――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家 1F 寝室――
  * * * side イフリータ * * *

「……二人ともよく眠ってるね」
「邪魔しちゃダメよ。それと、あんたももう寝なさい。そんなボロボロのままじゃ、マスターのおしおきに耐えられないでしょ」
「平気だよ。オーバードライブしたって言ってもほんの数秒だけだし、それに、せっかく久しぶりにリータちゃんと二人きりになれたんだもん」
 寝ちゃうなんてもったいないよ。はにかみながらそう言って、わたしの側に寄ってくるシルフ。その頬はほのかに朱に染まり、瞳は何かを期待するかのように潤んでいる。
「珍しいわね。シルフはそういうの、あんまり好きじゃないかと思ってたんだけど」
「エル姉たちを見てたらうらやましくなっちゃって。その、ダメだったかな」
「まさか。わたしはいつだって、あんたのこと捕まえたいって思ってるんだから。寧ろ望むところよ」
 不安そうな上目遣いに、思わず抱きしめながらそう答えると、わたしは彼女の唇を奪った。夕日に照らされ、長く伸びた二つの影が一つに重なる。
「ありがと。でも、リータちゃんは前もそう言ったくせに、あたしのこと放しちゃったじゃない。嘘は悲しいよ」
「嘘なんかじゃないわ。わたしがあんたを放すのは、あんたが風だからよ。風は自由なほうが輝いて見えるもの」
 唇を離して不満を吐露するシルフに、艶を帯びて滑らかになったわたしの唇はするりと口説き文句を紡ぎ出す。
「だから、あんたはそのままで良いの。その代わり、わたしが何度でもあんたを捕まえてあげるから」
 頬の朱色を深めたシルフの唇をもう一度、今度はもっと深く重ねて情熱的に奪ってあげる。わたしは炎の精霊イフリータ。火は風に抱かれて熱く燃え上がるの。
 だけど、その後、調子に乗ったわたしがシルフをサイドテーブルの上に押し倒したところを、哨戒任務から戻ってきたノームお姉さんに見つかってしまい、良い笑顔でごゆっくりとか言われてしまった。
 逆にそれで正気に戻ったわたしたちがその通りに出来るわけもなく……。ああ、もう、せっかくのチャンスだったのに。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第8章 団欒

 二時間程の睡眠を経て活動を再開したわたしが最初にしたことは、またしても食事の支度だった。
 今回のお手伝いは水属性担当の分霊、水の精霊ウンディーネ、ディーネちゃんだ。ノームお姉さんはお風呂の準備。
 シルフちゃんにはミリィの監督の下、無茶をした罰として地下室の掃除をやらせている。
 補佐にリータちゃんを着けてあげたから、今頃はきっと気まずい思いをしていることだろう。もう、人が寝ている側で情事に及ぼうだなんて、何を考えているのかしら。
 反省の意味も込めて、羞恥に悶えると良いわ。なんて考えていたら、実はわたしとミリィの時は逆の立場だったらしく、却って自分のほうが恥ずかしくなってしまった。
 とりあえず、お詫びも兼ねて二人には今度プライベートな時間を作ってあげるとして、わたしも次からはリンクを切っておこうと心に誓うのだった。
 ――閑話休題……。
 さて、皆疲れているだろうから、手っ取り早く作れて精力の付くものをということで、今夜のメニューはお鍋にした。お昼の熊肉の残りに、白菜、ニンジン、玉葱を加えたチャンコ風だ。
 肉の臭みを取るための下拵えと山車を取るのが少し面倒ではあったけれど、後は食べながら具財を追加していけるのでそこまで手間も掛からない。
 野菜の下拵えも包丁を使う練習をしたいと言ったディーネちゃんにほとんどやってもらったので、わたしがしたことは本当にその二つくらいのものだった。
「悪いわね。疲れてるのに手伝わせちゃって」
 皿やコップをテーブルの上に並べていくディーねちゃんに、わたしは具財の載った皿を置きながら労いの言葉を掛ける。
「いえ、ちゃんと仮眠はいただきましたし、他の皆さんも頑張っていらっしゃるのに、わたくしだけ休んでなどいられませんもの」
「ありがとう。でも、無理はせずに、必要だと思ったら一度戻りなさい。休むべき時を見極めて休むのも、大切なことだから」
「お気遣い、傷み入りますわ」
 意地を張って無茶をしたこともあるディーネちゃんだ。あまり説教臭くなってしまってもいけないけれど、気に掛けていることくらいは伝えておきたかった。
「はぁ、やっと終わったよぉ……」
 そうこうしていると、疲れきった様子の声音と共に、煤だらけになったシルフちゃんがリビングに顔を出した。
「こら、先に手とか顔とか洗ってからにしなさい!」
 きっと、夕飯に間に合わせようと全力で取り組んだのだろう。そのまま食材に飛び込もうとするシルフちゃんの腕を後から来たリータちゃんが掴んで引き戻す。
「二人ともそれなら先にお風呂入っちゃいなさい。ノームお姉さんが準備してくれてるから、そろそろ入れるはずよ」
「はーい。行こ、リータちゃん!」
「あ、待ちなさいって」
 わたしの指示に元気よく返事をすると、シルフちゃんは逆にリータちゃんの腕を掴んでリビングを飛び出していった。消耗したところに働かせてしまったのを気にしていたのだけど、どうやら杞憂だったようだ。
「まったく、あの方は無茶をして罰掃除をさせられたというのに、本当に反省してらっしゃるのかしら」
「まあまあ、シルフちゃんだっけ。会ったばっかのあたしが言うのも何だけど、あの子はああやって元気なほうがらしいんじゃないかな」
「はぁ、まあ、くよくよと落ち込まれているよりは良いのは確かですけれど」
 騒がしく通り過ぎて行った姉妹の様子に呆れたように嘆息するディーネちゃんに、ミリィが苦笑しながらフォローする。その様子じゃ、罰掃除中もあの子は明るく奔放なその性格を遺憾なく発揮したようだ。
「ほら、ディーネちゃんも。ここはもう良いから、ご飯前に一風呂浴びてきたら」
「あら、わたくし、そんな無粋な真似はいたしませんわ」
「いや、行ってあげたほうが良いんじゃないかな。あの二人、片付けしてる間も微妙に居心地悪そうだったし」
 さも自然な流れで入浴を薦めるわたしに、心外だとばかりに眉を顰めるディーネちゃん。もちろん、お互いに分かっていての発言だ。
 埋め合わせをすることに関してはディーネちゃんも了解してくれている。というか、いい加減に落ち着くところに落ち着いてもらいたいというのが本音のようだった。
 ラブコメ的なじれったさを見せられるようになってからもう大分長いのだ。ミリィもあの二人の関係には気づいているらしく、頷き合うわたしたちに少々湿度の高い視線を向けてくる。
「そうはいうけど、ミリィ。あの二人がああなっている原因の幾らかはわたしたちにもあるのよ」
「どういうこと?」
「わたくしたち四人がユリエル様の分霊、魂の一部であることはミリィ様もご存知ですわよね」
「様は止めてって言ったでしょ。って、まあ、今はそれは良いとして、それで?」
「この身体はユリエル様の魔力を用いて実体化しているのですけれど、別段外に出ていなくても意識が覚醒している状態であれば外界の様子を知ることは可能なのです。ですからして、その、つまりですわね」
 視線を逸らしたわたしに代わって、ディーネちゃんが説明してくれたけれど、その言葉も普段より大分歯切れが悪くて、ミリィは益々首を傾げてしまう。
「要するに、見られていたのよ。うかつだったわ。皆と過ごすようになってからもう長いのに、血でも流し過ぎてたかしら」
 自分のやらかしたうっかりに頭を抱えたくなるのを堪えて嘆息するわたしに、言われたミリィも小さくあ、と声を漏らして硬直する。二人ともきっと顔は真っ赤だろう。
「こほん。と、とにかく、そういうわけですので、わたくしは皆さんが揃うまでソファでゆっくりさせていただきますわ」
「あ、うん。クリスタルビジョンのチャンネル、そこのリモコンで変えられるから適当に観てて良いよ」
 空気を換えるように軽く咳払いして、それから早口にそう言うディーネちゃんに、我に返ったミリィがテーブルの上を指差しながら応える。
 クリスタルビジョンというのは魔法式のテレビで、台座に設置された野球の球くらいの大きさの水晶から壁に掛けられた長方形のクリスタルパネルに映像を投影しているものだ。
 オーブンやコンロがある時点である程度は予想がついていたからそんなに驚きはしなかったけれど、これを見た時には世界が違えど人は大体似たような発展をするんだなと、妙な感心を覚えたものだった。
「ねぇ、ユリエル。あたしたちも後で一緒にお風呂、入ろうか」
「そうね。……って、え?」
「あ、いや、別に嫌なら良いんだけどさ。その、庇ってくれたお礼に、背中でも流してあげようかな、なんて」
 赤い顔のまま、ちらちらとこちらに視線をやりながらそう言うミリィに、彼女の思惑を察したわたしは簡素に了承の意を伝えるに留めた。
 最初のような強引な誘いは望むところ。相手が最初からそのつもりであると明言しているのなら、真っ向から受けて立てば良いだけなのだから、至極簡単なものである。
 だけど、逆に恥らいながらの控えめな誘惑にはどうも弱い。こう、自分の急所を押さえられたような感じで、ずるずると相手に引き込まれてしまって、気づけば抜け出せなくなっているのだ。
 さすがにディーネちゃんは何か言いたそうな、というか、実際に今度は見られないようにしてほしいってリンクを介して伝えてきたけれど、これにはわたしも頷くより他なかった。
 妹か娘のような彼女たちにこれ以上、自分や恋人の痴態を見せるわけにもいかない。羞恥プレイにしても、それはわたしだけが彼女に与えるから良いのであって、つまりはそういうことだ。

 ぐつぐつと鍋の煮える音。立ち昇る湯気が肌寒さを感じる晩秋の夜気を緩和し、食卓に心地よい暖かさを提供してくれている。
 結局、今回もシルフちゃんとリータちゃんの間には何もなかったようだ。
 引き上げるタイミングを逸したノームお姉さんが巻き込まれて、三人での入浴になってしまったからだと言うけれど、あの人に限ってそんな失敗をするものだろうか。
 バーベキュー用の串を加工して作った箸を使って自分の顔よりも大きな白菜に四苦八苦している彼女の表情は、普段の笑顔からは幾らか崩れてしまっているようだけど、それでも何かしら企んでいるようには見えなかった。
 まあ、見えないだけで、本当に企てがないかは分からないのだけど。分霊にだってプライバシーはあるから、覗いて確かめるわけにもいかないし、そんな必要もないと断定出来る程度には信頼もしているつもりだ。
 それはさておき、こうして全員で鍋を囲いながらおしゃべりをしていると、自然と今日一日の出来事を振り返ることになる。
 思えば今日は朝からずっと動いていた。明日以降の行動指針を定めるためにも、このあたりで一度状況を整理しておくべきだろう。
 ――まず、早朝、ミリィに誘われて森に狩に出掛けて、そこでアルちゃんと出会った。アルミラージで雌だからアルちゃんだ。
 アルちゃんは森に生息しているにしては人間に慣れすぎているような気がするけれど、わたしが動物に懐かれること自体は珍しくないので別段問題もないだろう。
 ――次に突然の魔物の襲撃。直前に感じた邪悪な闇の気配もこれと無関係ではないだろう。
 襲ってきた魔物の中に魔法生命体と思われるマドハンドが含まれていたことからも、襲撃が何者かの意思によるものである可能性は高かった。
 なお、この襲撃に対する迎撃で、こちらに来てから初めて本格的に魔法を行使したわたしは、その出力が大幅に低下しているという事実に戸惑うこととなった。
 具体的には同じ魔法で同じ結果を出すのに通常の五割増から二倍程度も多く消耗している。これはわたしの魔力がこちらの世界のそれと干渉を起こしてしまっているからで、調整次第では何とかなる問題ではあった。
 その後はわたしの分霊たち四人を呼び出しての昼食を挟んで戦闘後の後始末に奔走することとなる。主には敵の魔法で貫通されてしまった結界の修繕だったのだけど、これが思った以上に大変だった。
 結界の魔法を構成する術式を刻んだ魔法陣が破損していて、応急処置をするも根本的な解決にはならなかったため、わたしが一から新しく結界を構築することになったのだ。
 そのために必要な触媒作りの材料を求めて家捜しをしている最中、またしても魔物による襲撃を受けた。しかも、今度は忍び込まれるはずのない地下室での奇襲だ。
 分霊のうちの二人を警戒待機させていたし、敵の性質からしてそもそも呪い封じと浄化の仕掛けが施されたあの場所では満足に動けるはずがなかった。
 相手は怨念の集合体が騎士の形を取ったもの、カースナイトとでも呼ぶべきアンデットだったのだから。にも関わらず、奇襲を受けたのは何故か。
 その答えはカースナイトとの戦闘中に明らかになった。
 この時、待機させていたノームお姉さんとディーネちゃんのほうにも襲撃があったのだけど、その敵の中に離れた場所から怨念を呼び寄せ、操ることの出来る術師がいたのだ。地下のカースナイトはそいつの差し金だったというわけだ。
 他にも全身鎧のアンデットが二体と六本腕のガイコツの剣士が八体、そのうちの半数が術師を護衛する布陣で攻めてきており、相手が足止め目的だったこともあって随分と梃子摺らされたようだった。
「申し訳ございません。わたくしたちがもう少し上手く立ち回っていれば、ユリエル様たちがお怪我をされることもありませんでしたものを」
 話が先の戦闘のことに及ぶと、ディーネちゃんはそう言ってわたしとミリィに向けて深々と頭を下げた。
「あ、いや、聞いた限りじゃしょうがなかったと思うし、ユリエルもあたしも結果的に大丈夫だったんだからさ」
「はい。いえ、ですけど」
「ほら、ミリィもこう言っていることだし、それでも悔しいって思うのなら、次に活かしなさい」
 良いわね。そう念を押すわたしに、ディーネちゃんは小さくはい、と頷いた。まったく、この娘は誰に似たのか。頑張ったのだから、もっと胸を張って前を向いていれば良いのに。
 少なくとも今回の結果に関して、彼女に否はないはずだ。寧ろ合計十一体もの敵を相手に、二人だけでよく持ち応えてくれたと思う。
 逆にそれだけの物量で攻めてきておきながら、積極的に押し潰そうとしてこなかった敵の動きが不可解だった。
 報告と合わせて戦闘中の二人の記憶も見せてもらったのだけど、こちらが奇襲に浮き足立ったところを押し潰すでもなく、分断して各個撃破するにしても、ああも本隊の動きが緩慢では話にならない。
 結局、二人が協力して鎧一体、ガイコツ剣士三体を倒したところで敵は撤退した。その少し前にわたしたちがカースナイトを滅していたから、それを引き際と見たのだろう。
 強さ的にもあれが向こうの切り札だったのだろうし、おそらく予めそういうふうに決めていた。そう思わせる程度には迅速な撤退ぶりを敵は見せている。
 しかし、最大戦力を投じての奇襲に、その後の別咆哮からの攻撃による戦力の分断。敵の物量も考えると、本気で攻勢に出られていたら押し切られていたかもしれなかった。
「うーん、死霊術師から恨みを買うような覚えはないんだけどな」
「呪われたアイテムを集積しているのを知られたんじゃないの。呪術を扱うものにとっては垂涎物だろうし、物が物だけに、盗られても訴え難いでしょ」
 鍋の後に試作した麦雑炊を蓮華で掬いながら首を傾げるミリィに、わたしが思いついた可能性を指摘する。
 しかし、やっぱりついこの間までお米が主食の日本人だった身としては、穀類が麦だけというのはどうにも味気ないわね。
 欧州では野菜として米を扱うところもあるし、この家にある食材を見る限りではこの辺りの食文化もそちらに近いように思える。なら、やはりお米もあるのではないだろうか。
「まあ、何にしても、皆大した怪我もなくて良かったよ。新しい結界用の触媒も、地下に出た奴が落としたので何とかなりそうだし」
 初めて口にする麦雑炊の食感に首を傾げながらも、そう言って笑うミリィの表情には明らかな安堵の色が浮かんでいた。まるで、この件はこれでお終いとでも言う様だ。
「何言ってるの。肝心なのは寧ろこれからでしょ。結局敵の狙いが何だったのかも気になるし、そうでなくてもこのまま黙っているつもりはないわ」
 自分や家族を殺されかけたのだ。報復することで却ってこちらが危険になるのならともかく、相応の力があるのに黙っている程、わたしは臆病でもお人好しでもない。
「つまり、追い掛けて行って殴り返すと、そういうわけですね」
「当然。というか、最初からそのつもりでマーカーを打ち込んでおいたんでしょ」
 いつもの笑顔のままでそう言って確認してくるノームお姉さんに、わたしは不適な笑みを浮かべて頷いて見せる。何、自分の家の庭に造られた蜂の巣を駆除するようなものだ。
 今回は一応安全なはずの家の中という意識が働いていたために不覚を取ったけれど、そういう可能性があると分かっていれば二度は通じない。ましてや相手はアンデットなのだ。
 もちろん、それなりの準備も整える。油断はなく、種族的にも優位に立てるとなれば、そうそう遅れを取ることもないだろう。
「まあ、あたしもやられっぱなしってのは癪に障るし、放っておいてまた攻められても嫌だしね」
「決まりね。それじゃあ、まずは結界を作って家の守りを万全にしましょう。留守にしてる間に他の魔物に荒らされでもしたら大変だもの」
 賛同を示してくれたミリィにこの後のことを提案し、それにも了解をもらうと、わたしは空になった食器を手に立ち上がった。

  * * * 続く * * *



 今回はインターミッションといったところでしょうか。
 作者です。
 状況整理の回は説明文が多くて退屈でしょうが、進行上必要なためご容赦ください。



精霊同士でも色々な関係なんだな。
美姫 「みたいよね。まあ、主たるユリエルの影響もありそうだけれど」
今回は現状の整理といった所かな。
美姫 「そうね。まだまだ事態は大きく動いてないわね」
これからどうなっていくのか。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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