――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家南西の広場・結界内
  * * * side ミリィ * * *

 魔法のカテゴリーに、古代禁呪と呼ばれるものがある。
 地獄の雷と呼ばれる黒い雷を呼び出すジゴスパーク。極大爆裂呪文のイオナズンを上回る大爆発を引き起こすビッグバン。
 ――そして、術者の魔力をすべて純粋な破壊の力として解放するマダンテ……。
 それらは彼の伝説の勇者ロトが天より与えられたという裁きの雷ギガデインに匹敵、あるいはそれを上回る威力を秘めていた。
 今となっては御伽噺でも稀にしか聞かなくなった、当然、使える人なんているはずのない幻の超強力魔法。まさか、そんなものをこの目で見る日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「あ、あの、天然ボケ娘は、うちのマスターになんてもの使ってくれちゃってるのよ!」
 尋常じゃない魔力の高まりを感じて、文字通りすっ飛んできたリータが顔を真っ青にしながらそう叫ぶ。マダンテのことは知らなくても、あれだけの魔力が全部破壊力に転化されるところを見れば誰だって叫びたくなるだろう。
 さすが、究極破壊呪文だとか言われてるだけのことはある。かく言うあたしも、驚きすぎて尻餅を着いた体勢から動くことが出来ずにいた。
 発動の直前に閃いた直感に従って退避したおかげで、ぎりぎり結界の外まで逃げられたから良かったものの、もし、巻き込まれてたらと思うと生きた心地がしなかった。
「はっ、そ、そうだ。ユリエル、ユリエルは無事なの!?」
 取り乱すリータの姿を見て我に返ったあたしは、慌てて結界の中へと呼び掛けた。姿を確かめようにも、爆発で巻き上げられた砂のせいで視界が利かないんだ。
 マダンテは唯一勇者以外の人間が単独で魔王を打倒し得る手段として、時の魔王の一人によって開発者ごと海に沈められた経緯を持つ。
 彼女が如何に最高位のセラフィムだったとしても、そんなものを受けて無事でいられるとは思えなかった。
「……はぁ、まさか、ここまでとは思わなかったわ」
 だけど、そんな言葉と共に立ち込める砂煙の向こうから現れたのは、ほぼ無傷のユリエルの姿だった。
 いや、服はボロボロだし、きれいな肌もあちこち煤けちゃってはいるんだけど、本人はそんな自分の格好を見下ろして困ったような顔をしてるだけで、全然堪えた様子はなかった。
 そんな彼女の様子に安心するのと同時、何だかよく分からないものが込み上げてきて、気づけばあたしは飛び出していた。
 立ち上がってからはほんの一足。持ち前の脚力を活かして一息に迫ると、そのままの勢いで彼女を押し倒す。
 ユリエルは避けなかった。ただ、受け止めようとしてくれたところを見ると、反応出来ていたんだと思う。あ、あたし今抱きしめられてる。
「バカ、心配させないでよ……」
 愛しい人の温もりがくれる安堵に、あたしは思わず脱力して押し倒した彼女の上に突っ伏す。やっとのことで漏らしたそんな呟きも、柔らかな双丘の谷間に埋もれて消えてしまった。
「ごめんなさい。でも、大丈夫だから」
 そっと回した腕でポンポンとあたしの背中を叩きながら、ユリエルは申し訳なさそうな声音でそう言った。きっと、困った顔をしているんだろう。
 でも、ダメだよ。大切な人がいなくなるかもって思うと、それだけですごく怖かったんだ。だから、当分は許してあげない。
 その後、我に返ったエリスに謝り倒された。幾ら興が乗っていたからって、個人の模擬戦で戦略級魔法を使うなんてどうかしてるって。
 あんまりにも必死に謝るもんだから、こっちが居た堪れなくなって許してあげたけど、エリスはまだ気にしているみたいだった。
 ちなみに、彼女の分のペナルティもユリエルに負ってもらうことにしたんだ。うふふ、楽しみだな……。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第16章 力の向く先は

 結局、エリスとの模擬戦は引き分けということになった。最後の一撃を放った彼女はその反動で動けなくなり、それに耐え切ったわたしもその後に乱入してきたミリィの不意打ちによって戦闘続行不可能になってしまったからだ。
 そのミリィはといえば、模擬戦が終わった直後からわたしの腕を抱え込んで放さない。何でも、エリスが使った魔法は魔王も恐れる程のとんでもない代物だったらしく、それに気づいた彼女は生きた心地がしなかったのだという。
 まあ、他人の模擬戦の巻き添えで殺されかけたとなれば、普通は怒るか怖がるかするものだ。
 そんな恋人の言い分に頷きながらも、彼女が本当は何に怯え、怒っているのか知っているわたしは内心の喜びを表に出さないようにするのに苦労していた。
 一応は怒られている身のわけだし、腕に伝わる微かな震えを思うと、あまり不謹慎なことも出来なかったのだ。
 一方、わたしに究極破壊呪文を放ったエリスは、分霊四人総出で怒られたこともあってすっかり萎縮してしまっていた。自分から言い出したことでもあるため、わたし自身は全然怒ってはいなかったのだけど、わたしを好いてくれているあの娘たちはそうはいかなかったようだ。
「本当に申し訳ありませんでした」
 俯いたままもう何度目か分からない謝罪の言葉を繰り返すエリスに、最初は怒っていた分霊たちも困ったように顔を見合わせる。まあ、やれと言ったのはわたしなのだ。
「もう良いわ。勝負に乗ったのはわたしのほうだし、被害もほとんど服だけだったんだから」
 小さく嘆息すると、わたしはそう言って彼女に顔を上げさせた。正直、そこまでしてもらうようなことをされたという気もしていなかった。
 模擬戦であろうと本気で戦うからには、怪我の一つもして当たり前。特に今回は理力の杖の代わりになるような模造品がなかったこともあって、お互いに武器は本物を使っていたのだ。
 まさか、魔法のほうで、それも反則っぽい避け方を強制されることになろうとは思いもしなかったのだけど。
「まあ、どうしても気が済まないっていうのなら、今度ダメになっちゃった服の代わりを買う時にでも付き合ってくれれば良いから」
「は、はいっ、謹んで弁償させていただきます」
「別にそういうつもりで言ったんじゃないんだけど……って、聞いてないわね」
 服を弁償すると言ったエリスは、何故か冷や汗を流しながら貯金がどうとか、足りない分は身体で、とか言っているけれど、さっきの模擬戦でわたしが着ていたのはただの量産品のトレーニングウェアだ。
 上下セットで1000ゴールドもしない安い奴。子供のお小遣いでだって楽に手が出せるし、そもそも洗い替えに予備も含めて同じものを後二着は持っているから急いで買い足す必要すらなかったりする。
 買い物に付き合う云々も、彼女にこれ以上、頭を下げさせないための口実に過ぎなかったのだけど、何か失敗だったかしら。
「それにしても、よくあれだけで済んだね。本当に下手な魔族なら瞬殺しちゃいそうな威力だったのに」
 混乱するエリスを尻目に、ミリィが感心とも呆れともつかない調子でそう言った。その声音に彼女を責めるような色は既になく、単純な興味から聞いてきているようだった。
 一応、エリスに聞こえないよう配慮しているのだろうけれど、身体を寄せて耳元に囁くように小声で話しかけてくるものだから、密着度がすごいことになっている。特に胸。
 人を羨む割には、彼女も決して小さくないものを持っている。特に今は二人ともお風呂上りで薄着のため、よりダイレクトに感触が伝わってきていた。
「わたしも驚いたわ。まさか、人間相手の模擬戦で位相反転を使うことになるなんて思いもしなかったもの」
「空間を引っぺがして壁にするんだっけ。それはそれで、でたらめも良いとこな気がするんだけど」
「まあ、普通は人間に敗れるものじゃないのは確かね」
 それだけに、突破されると分かった時の驚きも一入だった。思わず硬直してしまって対応が一瞬遅れ、その結果があの様だ。
 とっさに空間転移の応用で亜空間に退避出来たから良かったものの、もし、仮に直撃していればこの身体じゃ持たなかった。
 空間位相の表裏をひっくり返すことであらゆる物理干渉を受け流す位相反転フィールド。
 その多重展開を越えて尚、セラフィムの器たるこの身を滅ぼすだけの威力があの魔法にはあったのだ。
 侮っていたつもりはなかったのだけど、この世界の魔法がそれほどのものだと思っていなかったのも確かだ。今後はもっと慎重になるべきだろう。
「ところで、ミリィ。わたしはいつまでこうしてれば良いのかしら」
 甘えるように摺り寄ってくるミリィに、わたしは腕に押し付けられている柔らかな感触を気にしつつそう尋ねる。
「嫌かな?」
「まさか。ただ、そろそろお夕飯の支度始めないといけない時間じゃない。さすがのわたしもこのままの体勢で料理するのは難しいわ」
 そう言って、刺激してしまわないように注意しながら彼女に抱え込まれている腕を示す。全部念動力で動かせば出来ないことはないのだけど、料理と呼ぶにはそれは何か違う気がするのだ。
「無理だとは言わないんだね。でも、それだったら今日はリータたちが代わりにやってくれるって」
 そうだった。元は魔法運用の補助をさせるために生み出したこともあって、分霊たちはよくわたしの世話を焼きたがる。
 与えた人格を成熟させる過程で、母親との思い出を参考にしたこともあるのだろう。その時のわたしもそうだったから。
 しかし、わたしは誰かを頼るということに関して酷く不器用だ。ミリィには最近言われたばかりだし、一応自覚もある。
 原因は明白で、もちろん、改善する努力だってしているつもりだけど、今のところ上手くいってはいないんでしょうね。
 だからこそ、今回のように無茶をすれば、彼女たちはここぞとばかりに構ってくる。いや、嬉しくはあるのだけど……。
「こんな程度で当番を代わってもらうわけにはいかないわよ。それに、あの子を元気付けるためにも今夜は自分で腕を振るいたいの」
 そう言って、わたしがまだ幾らか落ち込んでいる様子のエリスに目をやると、ミリィはバツの悪そうな表情でああ、と呟いた。彼女がああなっている原因の幾らかはミリィにもあるのだ。
「正直、ちょっと大人気なかったかなって思うよ。でも、リータたちもう始めちゃってるみたいだし」
「みたいね」
「それに、あたしもユリエルが自分でやるって言い出したら止めるように言われてるんだ。だから」
 ごめんね。そう言ってぎゅっとわたしの腕を胸元に抱え直すミリィは、申し訳なさそうにしながらも内心の嬉しさを隠しきれないようだった。
 まあ良いか。こんな可愛い彼女を振り解いてまで通すようなことでもないし、それに、せっかくの家族の好意を無碍にすることもないだろう。
 結局、シルフちゃんがご飯出来たと呼びに来るまでずっと二人でいちゃいちゃしていた。

  * * *

 美味しいご飯は人を笑顔にする。老若男女、古今東西どころか世界すら越えても変わることのないそれは一つの真実なのだろう。
 落ち込んでいたエリスも、夕飯に振る舞われたディーネちゃんの特製シチューを口にしてからは表情に明るさを取り戻している。
 現金と言うなかれ。時間を掛けてじっくりと煮込むことで、野菜の甘みを余すことなく溶け出させたシチューはとにかく絶品だ。
 そもそも、水に干渉することで物体の組成を知ることの出来る彼女の料理は、使われている食材からしてすべてが一級品だった。
 調理中によくお皿を割ったり、包丁で手を切ったりするディーネちゃんだけど、こと水が絡む作業に関してはほとんど隙がない。
 彼女が厳選した食材をシルフちゃんとノームお姉さんが調理し、火を加える段になればリータちゃんに制御された炎で仕上げる。
 そうして出来上がった料理は絶妙な調和の上に成り立つ至高の一品となるのだ。
「はぁ、あれ程の高度な魔法技術を使ってやったことがお料理だなんて……」
 スプーンを口に運びながら、エリスは何とも言えない表情で溜息を漏らす。幸せそうな笑顔の合間に覗く魔法使いの顔には、どうにも納得がいかないというような感情が多分に含まれているようだった。
「お気に召さなかったかしら」
「いえ。ただ、もったいないと思いまして」
 チラリ、ミニチュアサイズの食卓を囲んで談笑している分霊たちを見やりながらエリスは言う。技術の無駄遣いだとでも言いたいのか。しかし、そんなのは当人の自由だろう。
 力の価値を決めるのはそれを使う個人の意思。善悪もまた然り。例外があるとすれば、昇華された力自身が意思を持った場合だろうけれど、その意識体とて一個の人格である。
 それとも単純に消費された魔力を惜しんでの発言か。お嬢様然としていて案外倹約家なのかも。合理主義に偏りがちな魔法使いという人種からすれば、寧ろらしいとも言えた。
「使った魔力は微々たるものよ。それこそ、あなたのメラ一発分にも満たないわ。それに、精霊に働きかけるなんて、魔法が使える人なら誰でも日常的にやってることでしょ」
 要は、方向性の問題なのだ。そう言うわたしに、しかし、エリスは表情を変えることなく首を横に振った。そういうことではないのだと。
 何故その力で一匹でも多くの魔物を殺さないのか。そうすれば、それだけ苦しむ人も少なくなるというのに。彼女の目はそう語っていた。
 そこにあるのはよく言えば若者らしい、青臭い正義感か。それとも視野狭窄に陥りやすい人間特有の被害妄想なのかは分からないけれど。
 どちらにしても、あまり良い傾向とは言えなかった。他者を慮ることの出来る娘がこうもあからさまに攻撃的な意思を顕にしているのだ。
 魔物を怖いというこの少女は、それと同じくらい彼の存在たちを憎んでいるのだろう。おそらくは、大切な何かを奪われた一人として。
 アルちゃんに変化の杖を使い続けてもらっていて正解だったわね。もし、魔物の姿で出会っていたら、どんな惨事になっていたことか。
 内心安堵しつつ、足元で食事をしている一羽のウサギへと目をやる。
 皿に顔を突っ込んで一心不乱にシチューを食べている彼女の額に今角はない。
 その原因は先に述べたように、使用者の姿を一時的に変化させる件のマジックアイテムにあった。
 魔物が怖いというエリスのために、彼女の滞在中はなるべく人の姿でいることにしたアルちゃん。
 ところが、変化の杖が変化させる姿はランダムで、いつでも望んだ姿になれるわけではなかった。
 それが今回はこれというわけ。おかげで少し大きいだけのただのウサギにしか見えない。
 思考が物騒な方向に向きかけていた様子のエリスも、そんな小動物の見せる微笑ましい光景に毒気を抜かれたようだ。
「お代わり!」
 そして、元気にそう叫んでお皿を差し出すのはミリィ。その発言も三度目なら、それを受け取ったわたしが鍋の中身を掬って注ぐのも三度目だ。
 旅をしたりダンジョンに潜ったりしていると、まともに食事にありつけなくなることもある。
 それは魔物に襲われた拍子に荷物を紛失したりだとか、目算を誤ってダンジョン内で孤立したりとか、指折り数えればきりがない。
 森に入って狩をしたところで必ず獲物を狩れるとは限らないし、悪ければ逆にこちらが狩られるなんてことにもなりかねないのだ。
 だから、冒険者は食べられる時に食べておくようになる。なるほど、彼女は自分だけが大食いなわけじゃないと言いたいのだろう。
「エリス。何も直接的な脅威を退けるだけが守るということじゃないわ」
 満面の笑顔でシチューを食べ続けるミリィを見ながら、わたしは彼女に言葉を送る。冷たい涙を流させないようにするのは難しいけれど、暖かい笑顔を作るのは案外そうでもないのだと。
「そう、ですね。わたしもシチューのお代わり、いただけますか?」
 たった一杯のシチューと、それを囲う賑やかな食卓。ありふれた団欒に咲く笑顔はきっと、掛け替えのない大切なものだから。
 柔らかな微笑を浮かべて皿を差し出すエリスに、わたしは満足げに頷くと席を立った。

  * * * 続く * * *



 ひらめきが作品の方向性を縛ることもあるんですね。
 作者です。
 今回、細かい部分で何度か修正をしたんですが、どうあっても最後のやり取りで終わってしまいます。本当はもう1シーンあったのですが、何度書き直してもしっくり来ないため、思い切って次回に回しました。
 ・古代禁呪について。今回作中で挙げたジゴスパーク・ビックバン・マダンテはドラゴンクエストVIから登場している特技です。
 これに同じくVIからの登場であるグランドクロスを加えた4つを本作では古代禁呪として位置づけることとします。



いやいや、最後の切り札がマダンテって。
美姫 「確かに強力な魔法なんでしょうけれど、模擬戦でぶっ放すなんてね」
耐え切ったユリエルも流石というべきか。
美姫 「どちらにせよ、このエリスって娘、とんでもないわよね」
ああ。魔物が怖いと言う点さえなければ、実戦でもそう遅れを取ることもないだろうに。
美姫 「その辺はこれからどう克服していくかよね」
だな。次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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