Maika Kanonical〜奇跡の翼〜

  第2章 水瀬家へようこそ

   * * * * *

 待ち合わせの場所に戻るという祐一と別れ、わたしはこちらでお世話になることになっている神奈さんの知り合いの家へと向かった。

 ちなみに神奈さんというのは本名を一ノ瀬神奈さんといって、わたしが現在住んでいるさざなみ女子寮の二代目の管理人だった人だ。

 戸籍のないわたしが学校に通えるようにいろいろと手を尽くしてくれた恩人でもある。

 甥っ子で現在のさざなみ管理人である耕介さんいわく、優しくて、調理師免許持ちで、無尽蔵のスタミナと野獣のような怪力を併せ持つ人。

 真雪姉さんには世界が滅んでもあの人だけは生き残るとか言われてたけど、まあ、それも頷けなくはないわね。

 優しいのは本当だし、仕事も完璧なんだけど、私生活ではちょっとだらしないところがあるし、何よりかなり強引な性格をしていると思う。

 何しろわたしの身の上を聞くなり、それじゃうちの娘になりなさいだものね。

 そのときの神奈さんは二十五歳。子供どころかまだ独身だというのに、本人はそんなことまるで気にしてはいなかった。

 わたしは迷惑が掛かるからって遠慮したのだけど、そしたら子供が大人に対して気を遣うものじゃないと逆に怒られてしまった。

 後で知ったことだけど、実はそのとき既に戸籍上では養子縁組が行なわれた後で、わたしが何と言おうと変更するつもりはなかったのだとか。

   *

 そんな神奈さんだけど、寮生に対してはちゃんと一人一人を見てくれている。

 わたしが今回の花音市行きの件で相談を持ち掛けたときも、とても親身になって話を聞いてくれたし、ちゃんと理由を説明すればすぐに対応してくれた。

 おかげで、わたしはまたこの町に来ることが出来たのだけど……。

『交換生徒?』

 わたしがその話を持ち掛けたとき、神奈さんはその言葉自体に馴染みがなかったのか、鸚鵡返しにそう聞き返してきた。

「うん、交換生徒」

 わたしが通っている聖祥女子と花音高校は姉妹提携を結んでいて、毎年冬になると数人ずつお互いの学校の生徒を交換して通わせるということをやっているのだという。

 そして、今年は品行法制で成績優秀なわたしに白羽の矢が立てられたというわけ。そこ、自分で言うなとか突っ込まない。分かってるから。

 祐一として花音高校に通っていた頃は、関心がなかったせいか、そんな話を聞いたことはなかったのだけど、転校の理由で悩んでいたわたしにとっては渡りに舟だった。

 ただ、学校側の手違いで交換中の滞在先が無くなってしまい、このままではせっかく手に入れた花音市行きの機会を失うことになりそうだった。

 せめて、向こうに知り合いでもいればという担任教師の言葉に、諦め切れなかったわたしは思い切ってそのことを神奈さんに相談した。

『あの町に知り合いねぇ。いることはいるし、頼めば引き受けてはくれるだろうけど……』

 珍しく言いよどむ神奈さんに、わたしは携帯電話片手に首を傾げる。

『あんたがあの町に行きたがってる理由、っていうのは、その、失くした記憶と関係があるの?』

 いきなり核心を突かれ、わたしは思わず言葉に詰まった。

 真雪姉さんに拾われてからこっち、わたしはずっと記憶喪失で通してきた。

 自分に良くしてくれる人たちを騙しているようですごく罪悪感を覚えるのだけど、本当のことを説明したところで信じてもらえるとも思えなかったから。

 そもそも、あのときわたしの身に起きたことが何なのか、本当のところはわたし自身にもよく分からないのだ。

『そう。じゃあ、行かないわけにはいかないわね。先方にはあたしから連絡して頼んでおくから、あんたは旅支度をしておきなさい』

 結局、わたしは神奈さんからの質問に対して、頷くことで答えた。まあ、少なくとも自分の過去と関係があることではあるので、まったくの嘘というわけでもないだろう。

 神奈さんは早速その人に連絡を取って頼んでくれたようで、その日の夜には引き受けてもらえたことを電話で教えてくれた。

 それにしても、冬の間娘がそっちの学校に通うことになったから、その間預かってもらえませんかはないでしょう。

 いや、お願いする内容はまったくその通りなのだけど、電話が繋がるなり開口一番そう言ったというのだから、電話を受けたほうはさぞかし驚いたか呆れたことだろう。

 先方は先方で、用件を聞いてから一秒と経たずに了承したと言うし、まったくこの頃の一般常識はどうなっているのやら。

 何となくそのときのことを思い出しながら、教えてもらった情報を元に自分で作った地図を片手に歩くわたし。

 ……そういえば、こっちでお世話になる人の名前って、何て言ったかしら。

 ちゃんと神奈さんから聞いて、その名前に何故か酷く驚いたような記憶があるのだけど、不思議と思い出すことが出来ない。

 ど忘れっていうのとも少し違うような気がするし、……もしかして、年かしら。

 いやいや、精神年齢はともかく、肉体年齢のほうは脳も含めて見た目通りの十七歳のはずだ。

 ……いや、まあ、調べてもらったことはないのだけれど。

 軽く頭を振って嫌な考えを追い払うと、わたしはお手製の地図に従って幾つ目かの角を曲がった。

 目的地に着いたら表札を見て確認しよう。

 そうすれば何故そんなに驚いたのかも思い出すかもしれないし、先方に対して失礼になることも避けられるだろうから。

 …………。

 そして今、わたしは目的の場所の前に立っている。

 そこにあったのは一軒の民家だった。

 表札にはまったく普通に水瀬と書かれている。

 だが、わたしにとってその苗字は特別な意味を持っていた。

 名雪、秋子さん……。

 思わず口に出してしまいそうになるのをぐっと堪え、わたしは心の中で二人の名前を呟いた。

 水瀬名雪は相沢祐一の従姉妹で、その母である秋子さんは祐一の母の妹、つまりは祐一にとって叔母に当たる。

 そんな二人が生活しているのがここ、水瀬家である。

 かつて祐一だったわたしにとっても、ここは馴染み深い場所だった。

 この町に降る雪が珍しくて、冬になるとよく親戚の家に遊びに来ていた一人の少年。

 それがある出来事をきっかけに、ぱったりと止んでしまったのが今から七年ほど前のこと。

 そして、今日。

 あの刻から成長したようで、まるで成長していないようなその少年が七年ぶりに北の雪を踏んだ。

 そこから再開される物語をわたしは知っている。

 数奇な運命を経てこの身は別の、一ノ瀬舞歌という一人の少女としての人生を既に歩んでいるけれど、確かな記憶としてそれはわたしの中に残っている。

 そして、一度この目の前の扉を開けてしまえば、わたしはもう物語の観客ではいられなくなるだろう。

 その事を理解した上で、今一度自分自身に問う。

 これからわたしはどうするのか。何をしようとしているのか。

 ただ物語を眺める観客の一人として、かつてのおのれの行く末を見守ることも出来るだろう。

 その先に悲しい結末が待っていると知っているからといって、自分が介入したところでそれを避けられるとも限らない。

 望んだ奇跡は一つではなくて、その代価は一人で背負うにはあまりに大き過ぎたのだと今ならば分かる。

 それでも、少年はきっと同じ道を辿るだろう。

 どうしようもなくバカでお人好しで、諦めの悪い彼はまだそのことを知らないから。

 そして、あの悲しい結末へと辿り着くのだろう。

 わたしはそれを認めない。認めてたまるものですか。

 歴史を改竄しようとする逆行者に対して世界がどんな罰を与えるかなんて、わたしは知らない。

 恐れる必要もない。

 何故なら、

 やり直すのではなく、

 ここから新しく始めるために、

 わたしは、この町に帰ってきたのだから。

 過去への未練が生んだ衝動から、ドアノブへと伸ばしかけていた手をゆっくりと胸元に引き寄せて握る。

 この扉の向こうにあるのは自分の過去ではなく、この世界に生きる人たちの今なのだ。

 わたしはわたしとして、一ノ瀬舞歌として、その責任において望むままに行動すれば良い。

 これはもうわたしの物語だ。

 ……覚悟、完了。

 自分でも知らないうちに震えていたその手は、今はもうわたしの支配下に戻っていた。

   *

 軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせると、改めて今度はインターフォンへと手を伸ばす。

 さて、わたしはちゃんと初対面の人として、秋子さんの前に立てるだろうか。

 内心どきどきしながら伸ばした指先でインターフォンを、押す。

「あの、わたし、神奈の娘で舞歌といいます。このたびは突然の無理なお願いをお聞き届けいただき、ありがとうございます。不束者ですが、これから二ヶ月ほどの間よろしくお願いします」

 ドアを開けてくれた秋子さんに向かって一気にそう言うと、わたしは深々と頭を下げた。

「まあ、これはご丁寧にどうも。外は寒かったでしょう。さあ、上がって」

 緊張で固くなっているわたしに、柔らかな微笑を向けながらそう言うと、秋子さんはスリッパを出してわたしの前に揃えてくれた。

「……お邪魔します」

 促されるままに靴とコートを脱いで上がる。今、わたしの表情は良い感じに強張っていることだろう。

 何せ、相手はあの秋子さんだ。

 さすがに正体に気づかれることはないと思うけれど、ふとしたことで不信感を持たれないとも限らない。

 戦々恐々としながらも通されたリビングでソファへと座り、出された紅茶に口を付ける。

 秋子さんは対面に座って同じく紅茶を飲みながら、にこにことわたしのことを見ている。

 どうでも良いけれど、こうして見るとやっぱり若いな。とても高校生の娘がいるとは思えない。

 いや、本当、名雪と並ぶと姉妹でも通用するんじゃないだろうか。

「どうかしました?」

 いつの間にか見つめてしまっていたらしく、そう言って首を傾げる秋子さん。

「いえ、義母の知り合いと伺ってましたから、もう少し年上の方かと思ってたんですけど」

「あら、ありがとうございます。でも、わたしは神奈ちゃんより上なんですよ」

「えっ!?

 そう言ってくすくすと笑う秋子さんに、わたしは二重の意味で驚いた。

 いや、名雪の年を考えると寧ろ当然か。それよりも、神奈ちゃんって……。

 驚きに目を丸くするわたしに、今度は秋子さんのほうから質問してくる。

「舞歌さんはこの町は初めて?」

「あ、いえ、昔何度か来たことはあります。この町に降る雪が珍しくて、わたしが住んでいるところは気候が穏やかで冬でもあまり降りませんから」

「そうですか」

 わたしの答えを聞いて、秋子さんは何故か一瞬驚いたような顔になる。

 あれ、わたし、何かまずいこと言ったかしら。

 首を傾げつつたった今、自分が口にした言葉を反芻してみる。

 何度かこの町に来たことがある。

 雪が珍しくて……。

「あ」

 思わず小さく声を上げてしまった。

 わたしが口にしたこの町に来ていた理由。それはそのまま祐一の理由でもあったのだ。

「でしたら、もしかすると何処かですれ違ったりしていたかもしれませんね」

 にこりと微笑みながらそう言う秋子さんに、わたしの頬を冷たい汗が流れる。

「え、ええ、そうですね」

「最後にこちらに来られたのは、いつ頃ですか?」

「えっと、七年くらい前だったかと。ただ、わたしはそのときのことをよく覚えていないので」

 取り繕うようにそう答えたわたしに、何故か秋子さんは小さく笑みを零した。

「まあ、七年も前のことですものね。別段印象に残るようなことでもなければ、忘れてしまっても不思議ではないでしょう」

「済みません。あ、水瀬さんみたいなきれいな人、一度見たら忘れるはずないんですけど」

「秋子で構いませんよ。娘もいますし」

「はぁ」

「それと、謝らないでください。だって、あなたとわたしはこうして今出会っているのだから。それが再会で、最初の出会いを忘れてしまっているのだとしても、一緒に過ごすこれからの時間を大切にすれば良いんです」

 そう言って柔らかく微笑む秋子さんに、わたしは思わず息を呑んだ。

 この人は本当は何もかも分かっているんじゃないだろうか。

 だって、それは今わたしが一番言ってほしかった言葉だったから。

「さて、そろそろ祐一さんを迎えに行った名雪が戻って来る頃かしら。少し早いですけど、お夕飯の支度始めちゃいますから、舞歌さんは適当に寛いでいてくださいね」

 壁の時計に目をやりながらそう言って立ち上がると、秋子さんは空になったカップを持ってキッチンのほうへと行ってしまった。

 ……すごい人。

 半ば呆然とその背中を見送るわたしの心に、舞のそんな呟きが届く。いや、わたしもそう思うわ。

 あれが祐一の叔母さん。会ったことはなかったけど、すごく優しそうな人なんだね。

 まいちゃんの嬉しそうに弾んだ声に、わたしも満面の笑顔で頷いてみせた。

 人の優しさがどれだけ尊いものかをわたしたちは知っている。

 だからこそ、わたしの好きな、大切な家族だった人が、その優しさを、暖かさを持っていることがたまらなく嬉しかったのだ。

「ただいま〜!」

 秋子さんが席を立ってから少しして、元気の良い女の子の声とともに二人の人物がリビングへと入ってきた。

「お邪魔します」

 一人は秋子さんの娘で祐一の従姉妹の水瀬名雪。そして、もう一人はその名雪が駅まで迎えに行っていた相沢祐一だった。

「もう、祐一。お邪魔しますじゃなくて、ただいまだって今言ったところだよ」

「悪い。何分慣れないもんで。って、あれ、君は」

 不貞腐れたように頬を膨らませてそっぽを向く名雪に謝りながら、リビングへと入った祐一はそこでわたしの存在に気づいて驚いたように声を上げた。

「お邪魔してます。それとも、おかえりなさいのほうが良いかしら」

 名雪を見てくすくすと笑いながらそう言うわたしに、彼女は顔を赤くすると慌てて居住まいを正した。

「お、お客さんが来てるなんて、知らなかったから」

「ああ、別に可笑しくて笑ったわけじゃないの。ただ、仲良さそうだなって。気を悪くしたのなら、ごめんなさい」

 そう言って軽く頭を下げるわたしに、名雪は益々慌ててしまう。

「その、祐一とわたしはただの従姉妹で、あ、でも、七年ぶりに再会出来て嬉しかったかな。って、そうじゃなくて……」

「おい、名雪。落ち着けって」

 混乱して思わず本音を口走ってしまい、更に混乱するという悪循環に陥る名雪の肩を祐一が掴んで落ち着かせようとする。

「なるほど。二人は微妙に良い感じの関係なんですね」

「舞歌さん、場を引っ掻き回して楽しんでませんか?」

「ばれました?」

「まったく、良い性格してますね」

「いえいえ、それほどでも」

 ジトっとした目でこっちを見てくる祐一に、わたしは何処吹く風とばかりに笑顔でそう答える。

「あの、えっと……」

 からかわれたと分かって多少落ち着きを取り戻したのか、名雪がおずおずと話し掛けてきた。

「一ノ瀬舞歌です。挨拶が遅れてしまいましたが、これから暫くの間よろしくお願いしますね」

「あ、はい。こちらこそ。水瀬名雪です。お母さんから話は聞いてます」

「名雪さんとお呼びしてもよろしいかしら。お見受けしたところ、年もわたしと近そうですし」

 最初にからかわれたせいか、少し緊張したようすで頭を下げる名雪に、わたしは苦笑しながらそう言った。

 しかし、礼儀正しい名雪というのも何か新鮮ね。

 祐一のときは従姉妹同士で気心も知れていたためか、最初から遠慮なんてほとんどなかったような気がする。それはそれで、従姉妹とはいえ、男を相手に無防備が過ぎる気がしないでもないのだけど。

「はい。それじゃ、わたしも舞歌さんて呼びますね」

「ええ。後、敬語は使わなくても良いですよ。これから一緒に生活するのに、そう堅苦しくては疲れてしまうでしょ?」

「ちょっと待った」

 わたしが挨拶がてら名雪との親睦を深めようとしていると、突然祐一が割って入ってきた。

「これからよろしくって、まさか、舞歌さんもこの家に住むんですか?」

「あら、言ってませんでした?」

「聞いてないですよ。っていうか、あんた、この町の住人じゃなかったのか?」

「祐一、幾ら本人が良いって言っても、初対面の人にそういう口の利きかたはどうかと思うよ」

「そうですよ、祐一。親しき仲にも礼儀ありという言葉もあるでしょう」

 従姉妹の無礼を窘める名雪に便乗する形で、今度は祐一を軽くからかってみる。

「初対面って、舞歌さん。俺と会うのはこれで二回目でしょう」

「似たようなものです。まあ、親しみを込めて接してくれるのはわたしとしても嬉しいんですけどね」

 突っ込む祐一に軽くそう返しつつ、ちらりと名雪のほうを見る。

「ちょっと祐一、それどういうこと?」

「ん、ああ、おまえを待ってる間に駅前で会って少し話したんだよ」

「それだけ?」

「いや、まあ、その後近くの喫茶店でお茶したりもしたが」

 祐一がそう言った途端に名雪の視線が鋭くなる。

「おまえが二時間も遅れてくるのが悪いんだぞ。舞歌さんが気を利かせて誘ってくれなかったらあそこで凍死してたところだ」

「うっ、で、でも、行き違いになってたら、わたしのほうが凍死してたかもしれないんだよ」

「いや、名雪の場合はそうなる前に家に帰るなりして暖を取れるだろう。俺と違って地元民なんだから」

「祐一を迎えに行ったのに、一人で戻れないよ」

「まあまあ、二人ともそれくらいにして」

 わたしのせいで二人が喧嘩になるのは嫌なので、やんわりと仲裁に入る。

 というか、祐一の怒りは正当なものなのではないだろうか。何しろ下手をすれば雪の中で二時間も待たされるところだったのだ。

 実際に待たされたときのわたしは、既にそんな気力すら残ってはいなかった。いや、本当によく生きていたと思う。

「まあ、待たせたのはわたしが悪いから謝るけど、どうして舞歌さんは祐一のことを祐一って呼んでるの?」

「可笑しなことを聞きますね。わたしが祐一のことを祐一と呼ぶのは、祐一が祐一だからですよ」

「舞歌さん、それじゃ答えになってないって」

「あら、祐一は祐一じゃないんですか?」

「いや、そうじゃなくて、俺たちは今日会ったばかりだろ。それなのに、君が俺のことを名前で呼び捨てにしてるのは、どうしてかってことだ」

 そう言って正面からこちらを見てくる祐一に、わたしは内心で小さく溜息を吐いた。

「本当に、忘れてしまっているんですね……」

「えっ?」

 悲しげな表情と声でそう言うわたしに、祐一は狼狽したように半歩後退る。

「いいんです。例えあなたが覚えていてくれなくても、あなたを想うこの気持ちは今も確かにわたしの中にあるのだから」

 芝居掛かった動作で胸に手を当て、そっと目を伏せるわたしに、名雪が目を丸くして固まった。

 祐一は何とか思い出そうとしているようだけど、それは無駄な努力というもの。だって、存在しない過去を探したところで、出てくるはずがないのだから。

 そのうち名雪が批難するような視線を祐一へと向け出し、そんな目で見られた祐一は益々慌てて思い出そうとする。

「ふふ、あはははは!」

 悪循環から高まり続ける緊張が最高潮に達する直前、わたしはついに堪えきれなくなって吹き出してしまった。

「ご、ごめんなさい。あんまり真剣に悩むものだから、つい可笑しくて……」

 目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、呆気に取られて固まっている二人へと謝る。

「えっ、ええ」

「なっ、もしかして演技だったのか!?

 驚く二人に、わたしはちろりと舌を出す。

「脅かすなよ。本気で悩んじまっただろうが」

 そう言って力が抜けたようにソファへと座り込む祐一。名雪は何処かホッとしたような表情をしている。

「ごめんなさい。でも、わたしにとって祐一が特別な存在だっていうのは本当ですよ」

「えっ?」

 わたしの言葉に祐一が顔を上げ、名雪が再び固まる。

「だって、これから一緒に暮らすんですもの。祐一も名雪さんも、それに秋子さんもわたしにとって特別で、大切な家族ですよ」

 そう言って二人の顔を順に見ると、何故かぽかんとした様子でわたしのことを見ていた。

 初対面の人にそんなことを言うのは、可笑しいとでも思っているのかもしれないわね。

 でも、これで良い。

 少なくともわたしは、この家の人たちと家族になることを望んでいるのだから。

 これからよろしく。そう想いを込めて、わたしは二人に微笑んだ。

   * * * つづく * * *





いよいよ、あの冬の日が始まる。
美姫 「舞歌も良い性格になってるわね」
うーん、真雪の影響か?
美姫 「元々の性格もあるような……」
ともあれ、水瀬家へと居候も決まったし。
美姫 「これからどうなっていくかしらね」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね」



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