――わたしは……を生き返らせるために、ジュエルシードの力でアルハザードに旅立つつもりだった。
 でも、もう良いの。
 すべては終わってしまった。

 それは、何処か疲れきった様子の女性の声だった。
 ただ眠っているようにも見える幼い少女を胸に抱き、彼女を母と呼んで手を伸ばす少女に背を向ける。
 やがて、女性の足元が崩れ、彼女は自身が唯一娘と認めた少女の亡骸と共に奈落の底へと落ちていった。

   * * * * *
  魔法少女リリカル☆プレシア
  狭間の夢(前編)
   * * * * *

「……姉さん、……プレシア姉さん……」
 誰かがわたしを呼んでいる。
「……姉さん、起きてください」
 そっと耳元で囁かれながら、優しく身体を揺すられて、わたしの意識はゆらりと現実に浮上した。
「やっと起きてくれましたね。もう、ダメじゃないですか。こんなところで寝たりして、春とは言え、夜はまだ冷えるんですから、気をつけないと風邪を引いてしまいますよ」
 顔を上げたわたしに、困ったような表情を浮かべてそう言うのは、何処かで見たことのある顔の少女だった。
 そう、見覚えがある。
 先ほどまで寝ていたせいか、どうにも記憶がはっきりしないのだけど、わたしを気に掛けてくれているらしい目の前の彼女にそんな印象を強く受けた。
「……誰?」
「嫌ですね。姉さんってば、寝ぼけてるんですか? わたしですよ。姉さんの妹のエルシア=テスタロッサ」
「エルシア……」
「はい、エルシアです。プレシア姉さん」
 そう言って柔らかく微笑む彼女、エルシアに、わたしの中で何かがかちりと音を立てて噛み合った。
 そう、そうだった。
 わたしはプレシアで、彼女はわたしの双子の妹のエルシア。どうして、そんな当たり前のことをすぐに思い出せなかったのだろう。
「忘れちゃ嫌ですよ。たった二人だけの家族なんですから」
 戸惑うわたしにエルシアは少し寂しそうな笑顔を浮かべてそう言うと、わたしの頬にお休みのキスを残して部屋を出ていった。
 これもいつものことだというのに、本当、わたしはどうしてしまったのだろう。
 妹の唇が触れた頬に手を当てて呆然としながら、伏せていた勉強机から上体を起こして室内を見渡す。
 明るめの落ち着いた色調に、ぬいぐるみなどの小物で彩られた女の子らしい部屋だった。
 ――壁に掛けられた聖祥大学付属女子中学校の制服。
 学年を示す胸元のリボンの色は二年生のそれだった。

 ――プレシア=テスタロッサ、十四歳……。
 聖祥大学付属女子中学校二年。
 両親は既に無く、彼等の遺産と保険金を頼りに、海鳴市郊外の高級住宅街にある邸宅に妹と二人で暮らしている。
 それがわたしのはずだった。
 でも、それなら、さっきの夢は何だったのだろう。
 夢の中のわたしはもう良い年のおばさんで、あまり似ていないけれど小さな娘までいた。
 それだけなら、幸福な未来に憧れて見た夢だと納得することも出来たかもしれない。
 わたしだって女だ。いつかは愛する人と結ばれ、子供を産んで育てる日々に憧れくらい持っている。
 だけど、そこにあったのは幸せどころか、何処までも悲しい、許容出来ない結末だったのだ。

 SFのような魔法のある世界で、研究者として生計を立てているわたし。功績が認められ、若くして大きなプロジェクトの責任者を任されるまでになっていた。
 だけど、それが悪夢の始まり。夢の中のわたしは天才とか、大魔導師なんて呼ばれていたけれど、その実は大したことないのだと思う。
 だって、会社の暗部に良いように利用された挙句、そのせいで起きた事故に娘を巻き込んで死なせてしまったのだから。
 その朝は自分の上げた絶叫で目が覚めた。
 夢の中の娘の名前を叫んで、ぼやけた視界に入ったのは何かを掴もうと宙に伸ばされた自分の手だった。
 その手を戻してまじまじと見つめる。
 不意に頬を伝う冷たい感触に、わたしは自分が泣いていたのだと気づいて呆然とした。
「姉さん、どうかされたんですか!?」
 わたしの叫び声が聞こえたのだろう。ノックもそこそこに部屋へと入ってきたエルシアが慌てた様子でベッドサイドに駆け寄ってきた。
「何でもないの。少し、嫌な夢を見ただけだから……」
 わたしの手を取って胸元に抱きしめる妹に、わたしは安心させるようにそう言うと、反対の手でそっと彼女の頭を撫でた。
 そう、あれはただの夢だ。魔法とか、魔導師とか、そんなものは物語の中だけで、現実に存在するはずがないのだから。
「ご飯にしましょうか。美味しいものをお腹一杯食べて、今日も一日頑張ろうって気合いを入れるんです。そしたら、きっと、嫌な夢のことなんてどこかに飛んで行っちゃいますから」
 まるでわたしの不安を拭い去るかのように、優しい笑顔を浮かべてエルシアは言う。ああ、この子はこういう娘だったわね。
 妹なのに姉のわたしよりしっかりしていて、時折こんなふうに不安なわたしを気遣って、支えようとしてくれる。
 両親がいなくなってからは、わたしがこの子を守らないとって思って、ずっと頑張ってきたつもりだけど、きっと、本当に守られていたのはわたしのほうだった。
「これじゃ、どっちが姉か分からないわね」
「何か言いました?」
「いいえ。さあ、もう起きないと。支度をするから、エルシアは先に朝食の用意をしていてちょうだい」
 思わず漏れた呟きが聞こえたのか、にこにこと笑いながら首を傾げる妹に、ごまかすようにそう言うと、わたしはベッドから降りてクローゼットへと向かった。

「ねぇ、エルシア。あなた、自分の将来って、想像したことあるかしら」
 ティーカップを傾けながら、何となく目の前の妹にそう尋ねてみる。
「はい。毎晩寝る前に想像してますけど」
「ま、毎晩……」
「ええ、毎晩。美しく調教された姉さんの御身体を想像して、自分を慰めちゃってます」
 頬を赤くして爆弾を投下してくれる妹に、わたしは思わず飲みかけていた紅茶を吹き出した。
「けほっ、けほっ……」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、あなた、何をしてくれちゃってるのよ!?」
 さも心配そうにこちらを覗き込んでくるエルシアに、わたしは咳き込みながら涙目で彼女を睨み付ける。
「嫌ですね。ほんの冗談じゃないですか」
「わ、わたしは真面目に聞いてるの。それとも、エルシアの将来ではわたしはあなたの性奴隷なのかしら」
「ああ、それ良いですね。わたし、前から一度姉さんとそういうことしてみたかったんです」
「エルシア!」
「きゃぁっ!?」
 真っ赤な顔で軽く拳を握って振り上げるわたしに、エルシアはわざとらしく悲鳴を上げて席を立つと、そのまま食器を手にキッチンへと逃げ込んだ。
 まったく、人が真面目に悩んでるっていうのに、セクハラで返すなんて、酷い妹だ。
 まあ、こういうじゃれ合い自体はいつものことだし、進路のこともエルシアはまだそれほど深く考えてはいないのかもしれないけれど。
 中学生。特にわたしたちの場合、聖祥女子高等学校に進学するのならほとんどエスカレーターのようなものなので、受験の心配をする必要もあまりないのかもしれない。
 ただ、わたしが聞きたかったのは、もっと漠然とした未来のことだった。
 例えば母親になった時、わたしは自分の娘に優しくしてあげられるだろうか。両親を早くに亡くした自分に、本当に母親という大役が務められるのか。
 あんな夢を見たせいか、考えても仕方のないことだと分かっていても、どうにも不安でならなかった。

 ――夢を見ている。
 あの夢の続き、娘を失った母親のわたしは、まるで狂ったように彼女を生き返らせるための研究に没頭していった。
 ――クローンへの記憶の転写に人造魔導師計画(プロジェクトF.A.T.E.)……。
 きっと、本当に狂ってしまっていたのだろう。
 それが命を、自分の娘を冒涜する行為だと気づかないまま、研究は一定の成果を収め、そうして誕生したもう一人の娘とも言える存在に、わたしはフェイトと名づけた。

 嫌な夢の続きを見た日の放課後、わたしは気晴らしも兼ねて久しぶりに駅前の書店まで足を伸ばしていた。
 身体があまり丈夫ではないわたしは、普段はほとんどの買い物をインターネットの通信販売で済ませてしまう。
 ウインドウショッピングが嫌いなわけではないのだけど、あまりはしゃぎすぎると身体に負担が掛かってしまうので、うかつに楽しめないのだ。
 本当は今日もクラスメイトの一人が誘ってくれたのだけど、気分が優れないのを理由に辞退させてもらった。
 ――本当に何なのかしらね。
 いつも買っている雑誌の置いてあるコーナーへと向かいながら、今はもうぼんやりとしてきている夢の内容を思い返して溜息を漏らす。
 自分の娘を生き返らせるためとは言え、禁断の技術に手を出すなんて、とても正気の沙汰とは思えない。
 そんなことをしても、生まれてくるのは姿が同じだけの別人だって気づけない程、夢の中のわたしは冷静さを欠いてしまっているのだろうか。
 両親が亡くなった時、わたしはまだ死という概念も分からない幼子だった。ただ、周りの大人たちが皆泣いていたから、漠然と悲しいことなんだなと理解していたくらいだ。
 でも、もしも、あの時、正しく死を理解していて、尚且つそれを無かったことに出来る可能性があったとしたら……。
 そこまで考えて、わたしは軽く頭を振った。
 止めよう。そんなIFを想像することに意味は無いし、これ自体、死んだ両親への冒涜になりかねない。
 もしかしたら、わたしは両親が死んだ時、何も出来なかった自分を悔いているのかもしれなかった。
 だから、次に誰かが不幸になるようなことがあれば、どんなことをしてでも救ってみせる。そんな、無意識の覚悟があんな歪な夢を見せていると考えれば、少しは納得出来ないこともない。
 ――自分の将来も分からない小娘のくせに、随分とご立派なことで。
 そんなふうに自嘲の笑みを浮かべながら、目的の雑誌を手に取った時、不意に視界の隅に映るものがあった。
 それは一冊のコミック誌だった。
 表紙には“新シリーズ連載スタート!”の見出しと共に、その作品の登場人物らしき少女のイラストが掲載されている。
 何となく、その娘を何処かで見たような気がしたわたしは、自分が買うつもりだった雑誌を一旦棚に戻すと、そのコミック誌を手に取った。

「ありがとうございました!」
 店員の明るい声に見送られて書店の外へと出ると、先ほどまで晴れていたはずの空に暗雲が立ち込め始めていた。
 振り出すにはまだ間がありそうだけど、今朝の天気予報を信じて出掛けたわたしに雨具の用意はない。
 早く帰らないと。濡れて風邪でも引いてしまったら、身体の弱いわたしは二、三日寝込みかねないし、そんなことになれば、妹にも多大な迷惑と心配を掛けてしまうのは必須だ。
 書店の袋を鞄に仕舞うと、わたしは少しだけ早足で帰路に着いた。

 何とか振り出す前に帰宅することが出来たわたしは、先に帰っていた妹に少し疲れたから部屋で休むと言って自室に篭った。
 久しぶりの寄り道に加えて、急いで帰って来たから身体に負担が掛かってしまったのだろう。
 挨拶もそこそこに部屋へ行こうとするわたしに、エルシアは少し怪訝そうな顔をしていたけれど、わたしの顔色が優れないのを見ると何も聞かずに頷いてくれた。
「後で何か暖かいものをお持ちしますね」
 そう言ってくれる妹に、少し申し訳なく思いながら頷くと、階段を上がって自分の部屋へと入る。
 机の上に鞄を置き、クローゼットを開けてから少し考えて、適当な私服に着替えると、わたしは倒れ込むようにベッドの上に身体を投げ出した。
「……フェイト、か」
 うつ伏せになって、両手で抱え込んだ枕に顔を伏せる。脳裏を過ぎるのは、書店で立ち読みしたあのコミック誌の新連載作品のことだ。
 ――フェイト=T=ハラオウン……。
 それが、表紙を飾っていたイラストの少女の名前だった。
 フェイト、fateの単語が持つのは運命、または末路という意味。
 決して親が子供に付けるような名前ではないことから、物語の彼女は望まれない子供だったのだろう。
 夢の中のわたしのもう一人の娘も、あのわたしが望んだ……の再現ではなかったから、そんな名前を付けられたのだろうか。
「姉さん、入ってもよろしいでしょうか」
 軽く扉がノックされ、その後に入室の許可を求めるエルシアの声が聞こえる。わたしが許可すると、彼女は失礼しますと言って扉を開けた。
「ホットミルクです。お疲れだとおっしゃってましたから、少しはちみつを入れさせてもらいました。どうぞ」
 そう言ってサイドテーブルの上にお盆を置くエルシアに、わたしはお礼を言って起き上がると、自分のマグカップに手を伸ばした。
「いただきます」
 なるほど、マグカップから立ち昇る湯気からは仄かに甘いはちみつの香りが漂ってくる。まだ両親が生きていた頃、母さんがよく作ってくれたこのはちみつ入りホットミルクの匂いがわたしは大好きだった。
「ありがとう。おかげで大分気分が楽になったわ」
「いえいえ、どういたしまして」
 マグカップをお盆に戻してそう言うわたしに、エルシアはにこにこと嬉しそうに笑顔を返す。母さん似の柔らかな雰囲気もあって、この娘の笑顔は見ていて心が和むから好きだ。
「エルシアはきっと、良いお母さんになれるわね」
「何です、急に?」
「何でもないわ。ただ、何となく、そう思っただけ。わたし、少し眠るわね」
 不思議そうに小首を傾げるエルシアにそう言ってごまかすと、わたしは布団をめくってベッドとの間に身体を滑り込ませる。
「お夕飯、少し遅めにしましょうか?」
「悪いけど、そうしてもらえるかしら。後、あんまり遅いようなら、適当な時間に起こしてもらって構わないから」
「分かりました。……お休みなさい」
 改めてベッドに横になったわたしの頬にキスを落とすと、エルシアはそう言ってわたしの部屋を後にした。
 ぱたんと扉の閉まる音がして、そこから遠ざかる妹の足音。
 やがて、それも聞こえなくなると、静寂の中、意外なほどはっきりと自分の息遣いが聞こえることに気づいた。
 不意に、この広い世界にたった一人で取り残されてしまったような、そんな錯覚に陥って、怖くなる。
 何だろう。この家には妹もいるし、そんなことがあるはずもないと頭では理解しているのに、身体が、心が寒くて堪らない。
 女性特有のあの日でもあるまいに、精神的に不安定になっているのはこの頃あまり眠れていないせいだろうか。
 気晴らしをするつもりでした寄り道も、あいにくの曇天のおかげで、結局上手くいかなかったし、本当に嫌になるわ。
 もしも、あの夢の中のように魔法が使えたなら、こんな暗雲も吹き飛ばしてしまえるのだろうか。
 そんなことを考えながら、少し八つ当たり気味に窓の外を睨み付けてみるけれど、勿論、それで何かが変わるわけもない。
 閉じたカーテンの僅かな隙間から覗く空は、相変わらず重く立ち込める雲に覆われていて、その向こうにあるはずの太陽を見ることは叶わなかった。

   * * * 中編に続く * * *



虚数空間に落ちたプレシアが見た夢なのか、それとも魔法世界が中学のプレシアが見た夢なのか。
美姫 「興味深いわね」
だな。こっちのプレシアは身体が丈夫じゃないみたいだし。
美姫 「後編がどうなるのか楽しみね」
ああ。気になる中編はこの後すぐ!



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