西洋の城の謁見の間のような広い室内に、少女を鞭打つ悲痛な音が響き渡る。
 ――あなたはこのわたし、大魔導師プレシア=テスタロッサの娘。やって出来ないことなんてないの。
 掛けたその言葉とは裏腹に、這い蹲って呻き声すら漏らさない少女を無感情に見下ろす視線は何処までも冷たいものだった。

 ――吐き気がする……。
 散々鞭打って、残酷な仕打ちをしておきながら、何が娘なものか。
 そもそも、そんなに時間がないと言うのなら自分で探しに行けば良いのだ。大魔導師なのだから、高々二十一個の石ころ程度、見つけ出すのは容易いだろう。
 それとも、その程度の魔法も使えない程、身体が弱ってしまっているのだろうか。だとしたら、仮に娘を蘇生させられたとしても、今度は自分が命を落としてしまいかねない。
 結局、また自分の見ていないところで大切なものが失われるのが恐ろしいだけなのだ。
「――臆病者……」
 夢の中の自分自身を罵り、毒を吐く。その声が二重に聞こえたような気がして、わたしはハッと目を覚ました。

 ――口元に感じるべたついた感触……。恐る恐る触れた手を見てみると、べっとりと赤いものが付着していた。
「これ、血……」
 錆びた鉄独特の臭いが鼻につく中、そういえば、夢の中のわたしも最後に吐血していたことをぼんやりと思い出す。
 まるで現実味がなかった。
 身体が弱いと言っても、血を吐くような疾患を抱えているわけではなかったし、そこまで調子が悪いという実感もない。
「とりあえず、エルシアに見つかる前に、これ、何とかしないと……」
 布団を汚してしまっている自分のものらしい血を見下ろして、わたしはうんざりした気分で溜息を吐いた。

   * * * * *
  魔法少女リリカル☆プレシア
  狭間の夢(中編)
   * * * * *

 ――その日は朝から雨だった……。
 窓越しにも激しく聞こえる水滴が地面を叩く音。この分では、せっかく咲いた桜も散ってしまうだろう。
 ――そういえば、今年はまだお花見してなかったわね。
 このところ、わたしの体調が思わしくなかったから、エルシアも遠慮して言い出さなかったようだけど、彼女はあれで結構騒ぐのが好きだったりする。
 雨が上がって、わたしの身体が回復していたら、誘ってみようか。
 大勢で賑やかに、とはいかないだろうけれど、エルシアと二人、お弁当を持って近所の公園あたりで桜を楽しむくらいは大丈夫なはずだ。
 ――それまで桜の花が散らずに残っていてくれれば良いんだけど……。

「そういえば、今日って少女フローラルの発売日でしたよね」
 夜の国の中CM中、ふと思い出したようにエルシアがそう言った。
「ちゃんと買ってきてあるわよ。他のと一緒に鞄の中だから、取ってきてあげるわ」
「……お願いします」
 番組が終わるまで席を立てない性質のエルシアに苦笑しつつソファから腰を上げると、わたしはリビングを出て自分の部屋へと向かった。
 少女フローラルは女の子向けコミックの月刊誌で、マンガ中毒症気味な妹はこれを毎月欠かさず購読している。
 本と言えば専門書か小説くらいしか読まないわたしとはえらい違いである。
 電気を点けるのも勿体無かったので、そのまま真っ暗な部屋に入り、手探りで鞄を探り当てると、中から書店の袋を取り出してリビングへと戻る。
 相変わらず食い入るようにテレビの画面を見ているエルシアは、わたしが戻ったことにも気づいていないようだった。
 同性の、姉であるわたしの目から見ても、エルシアは魅力的な女の子だ。家事万能で細かな気配りも出来る。
 ――少々、いえ、かなりシスコンなのと、このマンガ中毒さえなければ、言うことはないのだけど……。
 ソファに座り、袋から買ってきた本を出しながらこっそりと溜息を漏らす。
「エルシア、ここに置いておくわよ」
 聞こえているかどうかは怪しいが、一応妹にそう声を掛けると、わたしも自分の本を読もうと再び書店の紙袋に手を入れる。
 ――月刊エネルギー通信……。
 それは、動力に関する最先端技術からちょっとした開発秘話までを扱う、およそミドルティーンの少女が手にするとは思えないような技術系雑誌だった。
 そして、もう一冊。袋の中には金髪ツインテールの少女が表紙を飾るコミック誌が入っている。
 パラパラと立ち読みして、どうしても気になったわたしは後でもう一度ゆっくり読もうと思って、これも買ったのだった。
 早速そちらを取り出し、目次からページ数を確認してそこを開く。
 ――魔法少女リリカル☆なのは……。それが、あの娘の登場するマンガの名前だった。
 ページをめくり、少女が名乗りを上げるシーンで手を止める。
 ――フェイト、……テスタロッサ……。
 少女の名前。
 時空管理局嘱託魔導師と名乗った。
 ――わたしの、娘……。
 危うく取り落としそうになったコミック誌をテーブルの上に置き、わたしはそっとソファから立ち上がった。
「……エルシア、わたし、やっぱりもう寝るわ」
 表情を取り繕い、震えそうになる声を押さえつけてそう言うと、わたしはリビングを後にする。
「――見つけてしまわれたんですね……」
 扉を閉める直前、エルシアの声が聞こえたような気がしたけれど、その意味を問い質す勇気は今のわたしにはなかった。

 ――夢を見ている……。
 娘と、アリシアと二人、幸せだった頃の夢。
 必死になって取り戻そうとして、叶わなかった。けれど、それはわたしにとっての過去であり、確かな現実でもあったはずだ。
 ――なら、これは何なのだろう……。
 目が覚めれば、そこにいるのは十四歳の少女のわたしだった。部屋の内装こそ当時のそれに近いものの、他はすべて古い記憶の中には存在しないものばかり。
 一瞬、これも夢かと思ったけれど、それにしてはあらゆるものに実感が伴いすぎていた。
 ――若返った身体と、いるはずのない双子の妹……。
 これまで夢という形で見ていた自分の過去をそれと気づけなかったことや、この状況に違和感を抱かなかったことから考えて、何らかの精神操作をされたと考えるのが妥当だろう。
 それ以前に、虚数空間に落ちて死んだはずのわたしがどうして未だに意識を保っていられるのかという疑問もあるのだけど、その答えも彼女に聞けば分かるはず。
 それにしても、因果応報とでも言うのだろうか。
 わたし自身、フェイトを利用するために彼女に転写したアリシアの記憶を改竄して、要らなくなった途端にそのことを教えてあの娘の心を壊してしまった。
 これがその報いだというのなら、わたしはなんて残酷なことをしてしまったのだろう。
 ――唯一の肉親だと思っていた相手の、その優しさに裏切られる……。それがこんなにも心に堪えることだったなんて、アリシアを蘇らせることだけにすべてを懸けていたわたしには思いもよらなかった。
 でも、それでも、わたしに尽くしてくれたあの子の、エルシアのことを否定したくないという思いが、わたしに彼女を糾弾することを躊躇わせる。
 この気持ちさえも、彼女に植え付けられたものかもしれないと冷静な部分では考えていても、感情的なわたしはそんな自分を罵倒して押さえつけてしまっていた。
 ――あの子も、フェイトもこんな気持ちでわたしを見ていたのかしら……。
 脳裏を過ぎるのは、あの子がわたしに言った最後の言葉。
 ――それでもわたしはあなたの娘ですから……。
 自分も同じような立場に置かれて、今更その意味を考えて、どうしようもなく苦しくなる。
 フェイトはアリシアではなかったけれど、それも冷静になった今では当然だと理解することが出来た。
 何度酷い仕打ちをしても健気に耐え、必死にわたしの要求に応えようとしてくれた分、寧ろアリシアとはまた違った意味でよく出来た娘だったと言える。
 ――それなのに、わたしはただ違うというだけの理由で辛く当たり、最後には残酷な事実を突きつけて切り捨てた……。
 自分の罪深さに気づき、深く項垂れる。きっと、わたしもこれから同じ末路を辿るのだろう。
 妹のあの優しい笑顔の下に、侮蔑と嘲笑に彩られた表情が隠れているのかと思うと、急に背筋が寒くなった。
 ――わたしは、どうすれば良いのだろう……。

 暗い気持ちのまま、ベッドから降りて身支度を済ませ、重たい足を引きずって部屋を出る。
 今頃キッチンではエルシアがいつものように朝食の用意をしているのだろうか。
 そんな、昨日までなら何の疑いもなく身を委ねていた日常の風景も、気づいてしまった今では、まるで色が抜け落ちたような空虚さを伴ってわたしを苦しめる。
 ――終わってしまった現実と、いつの間にか見ていた夢……。
 夢を夢と気づかなければ、あるいは微温湯のようなこの日常に溺れてしまうことも出来たのかもしれないけれど、既に立ち止まってしまったわたしは、最早自分ではどちらに戻ることも出来なかった。
 ――せめて、この扉の向こうに、変わらない夢の続きがありますように……。
 そう思って目の前のリビングへと続く扉を開けたわたしの耳に、何処かで聞いたような声が飛び込んできた。
『――我、使命を受けしものなり』
 デバイスの起動パスワード。でも、この世界に魔法はなかったはず。じゃあ、一体誰が……。
『盟約の下、その力を解き放て!』
 プラズマディスプレイの中でその呪文を唱えるのは、白い制服に身を包んだ幼い少女。
『風は空に、星は天に、そして、不屈の心はこの胸に……』
 赤い宝玉からあふれる桜色の閃光。それはあの時、わたしの居城たる“時の庭園”に、管理局の奴らと一緒に乗り込んできた魔導師の少女のものだった。
『レイジングハート』
「……セットアップ」
 気づけば、桜色の少女のセリフに重ねるように、わたしはその言葉を唇に載せていた。

 ――コード認証、これより起動シークエンスに入ります……。

「えっ?」
 聞こえたのはエルシアの声だった。
 刹那、リビングに眩い光があふれ、一瞬にしてわたしの視界を覆い尽くす。
 その色は魔法少女の桜色でもなければ、わたし自身の濁った金色でさえもなかった。
「――起動完了。……おはようございます、マスター」
 そう言って微笑む昨日までとはまるで違う姿のエルシアに、わたしは思わず呆然と立ち尽くしてしまった。
「なるほど、それが、あなたの本来の姿というわけね」
 確認するように呟いたその声は、自分でも驚くほど平坦で冷たいものだった。
「さぁ、どうなんでしょうね。今の状態になってから、もうずっと誰かに姿を見せることなんてありませんでしたから」
 自分の身体を見下ろして少し寂しげに笑うエルシアに、胸の奥がチクリと痛んだ。
「この状況は何? わたしは虚数空間に落ちて死んだはずなのに、どうして未だに意識を保っていられるのかしら」
「確かに、わたしが発見した時、あなたの肉体は既に生命活動を停止していました。ですが、精神のほうはギリギリでまだ生きていたんです。そこで、わたしは緊急処置としてあなたとユニゾンし、精神の保全と肉体の再構築を行いました」
「なん、ですって……」
 エルシアのその回答に、わたしは思わず愕然として目を見開いた。
 彼女の言ったことが事実なら、それはわたしが成し得なかった完全な死者蘇生だ。
 しかも、話を聞く限りではクローンへの転写ではなく、あのボロボロだったわたしの身体を復元したのだと言う。
「細胞の絶対量が不足していたので、再構築した身体は十四歳になってますけど、若返ったんですから問題ないですよね」
 あっけらかんとそんなことをのたまうエルシアに、わたしは何とも言えない感情が込み上げてくるのを抑えることが出来なかった。
「方法に関してはいろいろ言いたいけれど、とりあえず、あなたがわたしを蘇生させたということは理解したわ。ところで」
 わたしは自分の着ている制服を指差しながらずいっと彼女に詰め寄った。
「わたしはどうして、こんな制服を着て、女子中学校になんて通わされてたのかしら」
「似合ってますよ」
「黙りなさい! ああ、もう、どうしてもっと早く気づけなかったのかしら。こんなでたらめな茶番劇、ちょっと考えれば可笑しいって分かったはずなのに」
 自分のこれまでの行動を思い返し、恥ずかしさに思わず頭を抱えてしまう。
「別にでたらめじゃないですよ」
「何処がよ」
「だって、わたしは試作次元跳躍管制型ユニゾンデバイス、XDN00改の管制人格であると同時に、あなたがいたのとは別の確立世界ではプレシア=テスタロッサの妹でもあったんですから」
 エルシアのその言葉に、わたしはハッとして彼女の顔を見た。
 わたしの妹だと言う彼女の表情は何処か誇らしげで、こちらを見つめるその瞳はあふれんばかりの歓喜に満ちていた。
 別の確立世界ではと言ったけれど、エルシアにとってのわたしはやはり姉なのだろう。
 思い返せば、彼女がわたしに向けてくる感情もすべて本物だったような気がする。
 精神操作をされたことに思うところはあるけれど、すべてが作り物ではなかったことをわたしは確かに嬉しいと感じていた。
「それじゃあ、わたしがこの姿でこれまで見て、過ごしてきた時間もあなたのお姉さんのものなの?」
「はい。わたしが覚えている範囲の姉との思い出に多少手を加えて、デバイスの機能で再生した仮想現実です」
「あなたはわたしを使って、自分のお姉さんを蘇らせようとしたのね」
 核心を突くわたしのその言葉に、エルシアの表情が曇る。
「わたしの世界でもヒュードラの暴走が起きて、アリシアが亡くなってしまった。それからの姉さんは人が変わったように、アリシアを蘇生させることだけにすべてを費やすようになりました」
「あなたのお姉さんもわたしと同じ道を辿ったのね」
「わたしは、姉を支え、止めることが出来ませんでした。何の因果か、虚数空間に落ちてこうなった今もわたしはそのことを後悔しています。ですから……」
「せめてもの償いとして、わたしを助けた。そんなところかしら」
 皮肉げに笑ってそう言うわたしに、エルシアは小さく頷いた。
「でも、結局はあなたの言うように、わたしは姉を取り戻したかっただけだったんだと思います。あなたを助けたのだって、最初は自分の姉だと思ったからですし」
「そう。でも、ごめんなさい。わたしはあなたのお姉さんじゃないし、例えそうだったとしても、助けてほしいだなんて思わなかったでしょうね」
 わたしのその言葉に、それまで俯いていたエルシアが驚いたように顔を上げた。
 助けてもらっておいて悪いのだけど、わたしはもう疲れたのだ。
 それに、自分のしたことを自覚した今、命が助かったからといって、のうのうと生きていて良いとはとても思えなかった。
「はぁ、似ているとは思ってましたけど、まさか、そんなところまでそっくりだなんて……」
 そんなわたしの考えを読み取ったのか、エルシアは少し呆れたように溜息を漏らすと、不意にわたしの背中に腕を回して抱きついてきた。
「辛いなら、このまま全部忘れて仮想現実で生きても構いません。ですが、もし、罪を自覚して悔いているのなら、現実の世界で生きて償うことを考えてください」
「死なせては、くれないのね……」
「許しませんよ。あなたは偉大な大魔導師プレシア=テスタロッサ。わたしの自慢の姉なんですから」
 胸を張って笑顔でそう言うエルシアに、わたしは何故か心が軽くなったような気がした。
「なら、あなたなんて他人行儀名呼び方はしないで。ちゃんと、姉さんって呼びなさいな」
「……はい、姉さん!」
 わたしがエルシアの額を軽く小突いてそう言うと、彼女は満面の笑顔でそれに頷いてくれた。
 きっと、ずっと寂しかったのだと思う。アリシアが死んで、わたしは世界に一人で取り残されてしまったような気がして、その寂しさに心が耐えられなかった。
 本当はヒュードラ開発に最後まで付き合ってくれた仲間たちも、友人だっていたはずなのに、失うことに怯えたわたしは彼らを否定し、自分は一人なのだと思い込もうとしていたのだ。
 ――本当、どうしようもないわね……。
「何かおっしゃいました?」
「何でもないわ。それで、これからどうすれば良いの」
「姉さんの望むままに。このまま現実空間に復帰するか。あるいは、あの日に戻ってやり直すことも」
 エルシアのその言葉に、わたしは今度こそ言葉を失った。
「救えるの? アリシアを、フェイトを……」
 思わず詰め寄ったわたしに、エルシアは神妙な顔で一つ頷いた。その回答はイエス。ただし、何かあるのだろう。
 でも、それでも、わたしは……。

   * * * 後編に続く * * *



いやー、まさかアルハザードのデバイスが作り出した仮想世界とは。
美姫 「でも、夢は覚めるものって所かしらね」
プレシアも気付いたしな。が、エルシアから放たれた言葉はびっくりだな。
美姫 「うーん、プレシアはどんな選択をするかしら」
それを脳内補完するのも良し。
美姫 「いよいよ後編ね」
後編もまたこの後すぐ!



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