* * * * *
 ――煌く銀線が宵闇を切り裂き、辺りに人ならざるものの断末魔を轟かせる。
 これで一体何度目だろうか。
 揮発して霧散する三つ目の狐面を被った人型を見やりつつ、桐生楓は大きく一つ息を吐いた。
 彼女が日本退魔協会の依頼を受けてここ、天宮町の郊外に出没する新種の妖怪と思われる異形の調査を始めたのは、今から三日程前のことだった。
 既に何人かの協会所属の退魔師が調査に向かい、行方不明となっていることは、依頼を持ってきた協会の人間を名乗る巫女の少女から聞かされていたし、昨日には実際に戦闘の後と思われる痕跡を見つけてもいる。
 しかし、一般人への被害はまだ無いようだが、それを理由に協会が調査を打ち切ろうとしているというのは、どういうことか。
 ――ここ数年は大きな攻勢も無いし、彼らの体質も変ったのかな。
 外敵による刺激の減った巨大組織が、怠慢の末に腐敗するというのは、何処にでもある話だ。人外と見れば率先して殺傷沙汰を起こしたがる気違い集団よりは余程マシだが、それはそれで、嘆かわしいことである。
 否、自分の知っている組織の長がそんな事態を看過するとは思えない。未だ伝統だの格式だのに縛られている頑固頭だからこそ、それらが汚されることを何より許せない吾人なのだ。
 ――では、何故。
 今宵最後の人外の首を鋼糸の一閃で落としつつ、楓は思考する。
 戦闘によって乱れた着衣の隙間から覗く、ほんのりと上気した肌が何とも言えない色気を漂わせているが、残念なことに、この場にそれを見ることの出来るものはいなかった。
 不可解と言えば、この敵の数もそうだろう。この三日の内に、楓が仕留めた人外の数は既に両手の指では足りなくなっている。
 ――幾ら夜が人外の時間であるとは言え、そう何晩も百鬼夜行が続くわけでもあるまいに……。
 今晩使った投擲用の小刀を回収しながらもう一度溜息を吐くと、楓は現在の住居となっているほたるび荘へと戻るのだった。
   * * * * *
   PAINWEST様 10000000HIT記念企画
  幻想退魔録異聞
  第1章 恋人たち……
   * * * * *
「お帰りなさい」
 そう言って玄関を潜った楓を出迎えたのは、ほたるび荘のオーナーの娘である天宮ほたるだ。楓にとっては公私共に深い関係にある少女でもある。
「ただいま。今日も待っててくれたんだね」
 そんなほたるににっこりと柔らかな笑顔を返すと、楓は駆け寄ってきた彼女の身体を抱きしめて、軽く口付けを交わす。最近恒例になりつつある二人の儀式の一つだ。
 深夜のロビーを、微かに桃色に染まった空気が満たす。これだけを見ても、彼女たちがただの友人以上の関係であることが分かるだろう。
 二人が出会ってから早一年。楓は自分が裏の人間であることから、当初はほたるの好意を拒絶していたのだが、それもある事件を通して彼女の覚悟を見せられるまでだった。
「愛しの旦那様が命懸けで、稼ぎに出てくださっているっていうのに、妻のあたしが先に寝るわけにはいかないじゃないですか。何か食べます?それとも先にお風呂にしますか」
 まるで新婚のようなことを言うほたるに、楓は苦笑しつつ答える。ほたるは二人きりの時には、いろいろと恥ずかしいことも積極的にしてくるのだ。
 ――未来は約束されたものでは無いから、今を少しでも幸せなものにする努力は怠りたくないんです。
 死を身近に感じる機会が人より少し多かった彼女は、満面の笑顔でそう言ったものだ。
「それじゃ、お風呂にしようかな。そうだ、せっかく待っていてくれたんだし、ほたるも一緒にどう?」
「え、それって……」
「初日の失敗がまだ尾を引いてるみたいなんだ。悪いけど、今夜も頼めるかな」
 戸惑うほたるに、楓はあえて直接的な表現を避けてそう答える。だが、それでほたるには十分だったらしく、彼女は耳まで真っ赤にすると無言で小さくこくりと頷いた。
 ほたるの実家でもあるここ、ほたるび荘は、半年程前に温泉旅館から女子寮へと変ったばかりである。
 楓が裏の仕事の拠点としてこちらに移り住む条件として提示した、不特定多数の人間が出入るする状況を可能な限り無くす、というそのただ一点を満たすために、ほたるが母親を始めとする従業員一同を丸め込んだ結果だった。
 長年受け継がれてきた暖簾の代わりに女子寮の表札が掛けられているのを見た時、楓はつくづく恋する乙女は恐ろしいものだと思ったものだ。
 ――閑話休題……。
 源泉が霊脈に近いここの温泉は、霊的にも極めて高い治癒効果を発揮する。旅館から女子寮に変っても温泉設備がそのまま残されているのには、そういった理由も含まれていた。
 一度部屋に戻って準備を整えると、楓は寝ている住人を起こさないようそっと温泉へと向かった。旅館だった頃ならとっくに入浴可能な時間帯を過ぎているが、今となってはそんな制限も無い。
 何せ、表の仕事としてここの管理人をやっているのは彼女なのだ。
 ――一方、楓に言われて先に浴場へと向かったほたるは、自身の心臓が高鳴るのを抑えられずにいた。
 体内に取り込んだ気の性質を反転させる、という特異体質を武器に退魔を行う楓だが、必ずしも取り込んだ気のすべてを反転させられるわけではない。体質的に合わないものや、あまりに多量の邪気を一度に取り込もうとすると、どうしてもそのまま残ってしまうものが出てくるのだ。
 過去にその事実に気づけず、闇そのものと言っても過言ではない程の濃密な邪気を取り込んだ結果、彼女はその身体に致命的な変異を来たして一度死んでいる。
 そんな失態を二度と繰り返さないためにも、楓は定期的に身体を浄化するようにしており、その作業を手伝うのは、彼女のパートナーであるほたるの務めだった。
 ……しかし、である。
 性的興奮によって、一時的に身体の持つ浄化能力を活性化させるというその方法は、十七歳の少女には聊か刺激の強過ぎるものだった。
 敷き詰められた大理石の上にマットを敷き、その上に裸身にバスタオルを一枚巻いただけの格好で正座するほたるの表情は少し固い。既に何度も肌を重ねているとはいえ、まだまだ初心な彼女にとって、こうして待っている時間は、ある意味本番以上に緊張するものなのだ。
 そんなほたるの様子が楓には可愛く映るのだろう。でなければ、必要な作業を終えた後、すぐさま体位を入れ替えて、彼女が疲れ果てるまで延々と攻め続ける、などということにもならないはずだ。
 ほたるもすぐに調子に乗って女性としての経験の乏しい楓を攻めるので、そのお返しの意味もあるに違いない。
「……じゃあ、始めますね」
 そう言うとほたるは、マットの上に横になった楓の身体からバスタオルを取り、露になった素肌へとそっと手を這わせる。
 反転させた邪気の余分を治癒に回すことで、瞬間回復の能力を得られる楓の身体に戦闘での傷は残らない。それは女性としての美しさを保てる半面、外見からの消耗具合を判断させ難くしてしまう、ということでもあった。
 だから、楓を補佐するに当たって、ほたるは独学で東洋医学を学び、また巫女であるいずみやマリアシルフィードの教えを受けて、初歩的な霊的触診技能も身に着けた。
 一般人からすれば、破格の運動能力を誇るほたるではあるが、日の当たる場所で形成されたその身体は、人外を相手にした壮絶な戦闘行動に耐えるにはあまりに脆弱だったのだ。
 以前の、楓と出会った頃のほたるであれば、それでも、無茶を重ねて同じ戦場で彼女の隣に立とうとしたかもしれない。それがどれほど無謀なことであるかも知らなかった。
 だが、今は違う。
 共に戦えないのなら、戦いに出る彼女が少しでもベストコンディションでそれに臨めるよう、日常での負担を減らす手伝いをすれば良い。戦いに疲れて帰ってきた彼女を全身全霊で癒せば良い。
 そう、考えられるようになった。
 幸せなことに、自分はそれが出来る立場にいるのだから。だから、それ以上贅沢を言う前に、まずは出来ることをしよう。
 軽く触れ合うだけの口付けを交わし、そのまま首筋から鎖骨にかけてキスの雨を降らせる。柔らかな唇による愛撫は、手のそれとはまた違った快感を齎すことを、ほたるは自分自身の体験から知っている。
 その一方で、手は楓の胸元を弄るようにして、少しずつその頂点へと近づけていく。ほとんど自分のされたことをそのまま返しているだけの、それもまだまだ拙い愛撫だ。
 年頃の娘だけに、ほたるの性的なことに対する興味は尽きない。反面、何処までやって良いのか分からないという怖さもあるのだろう。
 尤も楓にしてみれば、その拙いながらも一生懸命な少女の姿に、却って欲情してしまうのだが。
 女性の快楽というのは、その精神に大きく左右されるものだという。つまり、心がそれを欲していれば、与えられた刺激以上に女性は気持ちよくなれるということだ。
 そして、そんな女性の快楽に対する免疫が、楓には全くと言って良いほど無かった。僅かな刺激にもそれはもう敏感に反応を返してしまうのだ。
 女性化して二年と経たない身では当然と言えば当然なのだが、ほたるはそれが甚くお気に召したようだった。
「あ、ほ、ほたるっ、そこはダメだって……」
「ダメなんですか?でも、楓さん、すごくエッチな顔してますよ。本当はもっと弄って欲しいんじゃないですか」
「うっ、あ……」
 軽く桜色の先端を摘まれ、思わず漏れそうになった声を唇を噛んで堪える。その後にじんわりと退いていく快感に、せつなげに眉を寄せてしまうのは、どうにかならないものか。
 未だ男性だった頃の精神が色濃く残る楓にとって、女性の快楽は一種の麻薬だ。あるいは底なしの泥沼のように、一度足を踏み入れれば抜け出せなくなる。
 それでも一度達すれば多少は理性を取り戻すようで、作業としての行為が終わる頃には攻守を入れ替える程度の余裕が楓にはあった。
「ありがとう。それじゃあ、頑張ってくれたほたるにはご褒美をあげないとね」
「え、あの……」
「心配しなくても、もう邪気は残ってないから。ついでに気分爽快で、疲れも感じてない。これも全部ほたるのおかげだよ」
「そう思うんなら、偶にはこのまま寝かせてくださいよぉ。あたし、さすがに二日連続徹夜は辛いですよ」
 早速自分を押し倒してくる楓に、ほたるは無駄と知りながらも一応抗議の声を上げてみる。だが、やはりそれは無駄な抵抗だった。
「自分だけ楽しんでおいて、それは無いんじゃないかな。わたしは沢山ほたるに啼かされて恥ずかしかったのに」
「だって、楓さん年上なのに可愛いんだもん。あれは反則ですよ」
「わたしの事情知っててそういうこと言うかな。この口は」
「ちょ、楓さん。ど、何処に指入れてるんですか!?」
 開き直ったように訳の分からないことを言うほたるに、楓がその口の両端に指を引っ掛けて左右に引っ張る。ただし、そこは言葉を発するのとは別の口だったが。
 背筋を駆け上がる衝撃に、ほたるは堪らず抗議の声を上げるが、自分も先程まで散々楓を弄んでいただけに、強く出ることは出来なかった。
 こうなると、後はもう優しくしてもらえることを祈るしかない。
 だが、それも二人にとっては割りといつものことだ。楓はほたるが本当に嫌がることはしないし、ほたるも口で言うほど嫌がっているわけではなかった。
 ただ、ほたるがそうであるように、楓もまた、受けに回った少女の初々しい反応を見るのが堪らなく好きだったのだ。
   * * *
 ――同日、綾香市旧市街……。
 朽ちかけたビルの剥き出しの鉄筋の合間を縫うように、飛翔する巨大な人魂のようなもの。それを追って、淡い紫の輝きを携えた青眼の少年が鉄筋から鉄筋へと飛び移る。
 前者は自立行動する邪気の最小単位として知られる蝕霊虫、ミタマクライである。その外見通り、通常のそれは、人間の魂とさほど変らない大きさなのだが、このミタマクライは周囲一帯の邪気や怨念を取り込んで肥大していた。
 心ある存在に寄生し、その闇を拡大することで生じる負の情念を糧に、成長するこの異形は、時に強靭な理性を持つはずの上位の妖怪すらも暴走させてしまう。脆弱な心しか持たない波の人間など、ろくな抵抗も出来ないまま苗床にされてしまうだろう。それが普段はほとんど誰も近づかない場所であるとは言え、人間の生活県内にまで侵入してきているのだ。
 着地と同時に、紫電を纏った剣を振り抜く少年。
 斬撃の軌道に沿って、帯電した空気の刃が、巨大なミタマクライへと向かって飛ぶ。標的とされた異形は、巨体故にそれを避けきれず、紫電の刃が怨念によって補強された邪魂の外郭を切り裂いた。
 ――だが、浅い。
 既に何度となく振るわれた紫電刃によって、切り裂かれ、焼き焦がされた体表には、無事な箇所こそ無いものの、未だ斬滅するには至らない。そして、少年がその力を振るえる時間には限界があった。
 更に悪いことに、先程から新たに標準サイズのミタマクライが集まり出している。戦闘の気配に引き寄せられたのだろうが、そのせいで、少年は一緒に来ていたパートナーと分断されてしまっている。
 あれらにそんな知能は無いから、偶然そうなっただけというのは分かるが、まったく運の無いことだ。
 嘆息しつつ、少年は再び攻撃を放つべく剣を構える。だが、それは標準的な日本刀にしか見えない彼の得物で摂るには少々歪なものだった。
 刀身からはそれまで纏わり付いていた紫電も消え、壁に開いた穴から差し込む月光を受けて、刃本来の硬質な輝きを曝している。
 切っ先を僅かに下げ、逆手に握った剣を肩の高さまで持ち上げるその構えは、一見刺突のそれに見えなくも無いが、彼はそれに更に刀身に、人差し指と中指を揃えて伸ばした左手を添えるのだ。
 鉄筋を踏み抜く勢いで蹴って、前へと飛ぶ少年。同時に刺突を放ち、添えていた左手を鍔元まで引き戻す。
 引き戻される左手の動きに従って、伸ばされた二本の指が刀身に線を曳き、それを少年の指先が微細な動きで高度な呪印へと昇華させる。すべては一瞬のことだ。
 呪印の発動によって、少年の手の中で剣が変化を始め、それを見計らったように、下から突き上げるように広がった銀色の閃光が世界に影を作り出す。
 そして、少年は、着地と同時に変化を完了した剣を壁に映る巨大なミタマクライの影へと突き立てた。
 影を壁に縫い止められたミタマクライは、一瞬びくりとその身を震わせると、閃光とともに闇に溶ける。虚実反転の刃で貫かれた影は、その消滅に本体を道連れにするのだ。
 剣の変化を解いて鞘に納めると、少年は大きく一つ息を吐く。魔眼の力で無理矢理従えているこの魔剣は、ただ振り回すだけでもえらく彼を消耗させる。
 ――魔の物でありながら聖の心を以って退魔を成す……。
 そんな人外の退魔剣士のために、高名な巫女と最高の刀鍛冶が当時の霊的技法のすべてを注ぎ込んで鍛え上げたとされる、七つの姿を持つ魔剣、蒼牙。その正当後継者となった少年、草薙優斗もまた、魔に通じる血筋を持つものだった。
 油断無く周囲の気配を探り、今宵の戦闘が終わったことを確かめると、優斗は崩れかけた壁を背にその場に座り込んだ。魔性の力は、それを振るうものを蝕む。
 如何に彼が猫妖怪とのハーフであり、魔性に近いものを備えていたとしても、それを継続して使い続けるには限度があるのだろう。加えて、今宵のそれは、高速で飛び回るミタマクライが相手の空間機動戦だ。
 魔眼の使用と合わせて、極度の精神集中を要求されるそんな状況で、更に制御の難しい変化を二度も行えば、さすがにしばらく動けなくなる程度には疲れるというものだ。
 魔剣に付き物の使用者の能力を高める効果を利用して、事故の回復力を高める。効果自体は、魔剣本体の力を鞘で封じた状態でも柄を握るだけで発動するので、魔眼使用後の疲労した身体を癒すには打って付けだった。
 ――それにしても……。
 高められた代謝能力によって、身体に蓄積された疲労物質としての乳酸菌が、急速に分解されていくのを感じながら優斗は思う。
 彼の持つ魔眼の効果は一種の暗示だ。対象となる魔具に対して、こちらが絶対上位者であると思い込ませることで、強制的に従わせる。だが、魔具となるほどの器物、それも武具ともなれば、それを従わせるのは容易なことではなかった。
 よく優れた武具は扱うものを選ぶと言うが、永年に渡って蓄積された概念を以って力とする魔具ではそれがより顕著となる。中には自我を確立していて、本当に自分で所有者を選ぶものまであるのだ。
 況してや蒼牙は、魔剣でありながら“列島守護聖刀”と呼ばれる特別な退魔武具の中でも、最高峰の四天宝刀の一つに数えられる異端の名刀なのである。
 今の彼は剣に使われていると言っても良い。未熟であるが故に、正当後継者でありながら、魔眼の助けを借りなければ蒼牙本来の力を引き出せないのだ。
 ――認めてくれているのなら、せめて、もう少し素直に言うことを聞いてくれても良いだろうに……。
 戦う度にこれでは、さすがに身が持たない。そう思う一方で、かなり無理をして譲歩してくれていることも分かる優斗は、滅多なことでは文句をぶつけることも出来ない。
 結局は疲れを吐き出すように一つ大きく嘆息すると、彼は下で待っているであろう仲間の下へと向かうのだった。
「お疲れ様。はい、これ、今回のあなたの取り分」
 非常階段を使って一階まで降りた優斗に、そう言って茶封筒を差し出すのは、彼の幼馴染でもある城島蓉子だ。
「……何を企んでる」
 受け取った茶封筒の中身を確認して、優斗は咄嗟に蓉子から距離を取った。月明かりの中に佇む美少女へと向けられるその視線は、酷く猜疑的なものだ。
 私立探偵の真似事をして生計を立てている蓉子だが、彼女が無事に依頼を完遂したことはない。それと言うのも、蓉子が請け負う依頼はその大半が人外絡みの荒事だからだ。
 由緒正しい銀狐の末裔である蓉子は、その年齢としては破格の霊的パワーを有している。そして、身に余る力は時に本人の制御を離れて暴走するのだ。
 戦いになれば、自分の力の余波か暴走で必ずと言って良いほど何かを破壊し、それの弁償によって依頼量を帳消しにする。
 退魔探偵としての蓉子とは、そういう少女だった。
 先々月などは、ついに赤字を出してしまい、外部協力者として手を貸した優斗に謝礼金の支払いを待ってもらわなければならなくなったばかりである。
 そんな彼女が、仕事が終わった途端に謝金を支払うと言う。それも現金でともなれば、何かあると警戒するのは寧ろ当然というものだった。
「別に何も。ただ、今回は余計な出費もなかったから」
 警戒されたことにやや憮然としながらも、蓉子はそう言って、懐からもう一つ茶封筒を取り出す。普段なら文句の一つも返しそうなものだが、さすがに自覚があるのだろうか。
「それと、これは特別ボーナスよ。何だかんだで、あなたたちには迷惑掛けちゃってるからね。そのお詫びだとでも思ってちょうだい」
「…………」
「じゃあ、今夜はもう遅いし、帰りましょうか。優奈たちも待ってるだろうし」
 無理矢理握らされた二つ目の茶封筒を、優斗は信じられないとばかりに凝視する。そんな彼に蓉子は捲くし立てるように早口でそう言うと、現在の自宅となっている草薙家のある方角へと向かって歩き出す。
 照れ隠しなのだろう。足早に立ち去ろうとする蓉子の頬が少し赤いのを見て、優斗もそれ以上彼女を疑うのを止めた。
 問答無用に傍若無人で破天荒な狐っ娘は、意外なほど脆く純粋な一面を持っている。それを知らない程、二人の関係は短くも浅くもないのである。
「俺も帰るか」
「そうですね」
「どわっ!?」
 独白に合図地を打たれ、優斗は思わず可笑しな声を上げてしまう。声のしたほうを見ると、いつの間に現われたのか、青髪青眼の少女が、地面から数センチ浮かび上がった状態でこちらを見ていた。
「あやめか。どうかしたのか」
 唐突に出現した自身の愛刀に宿る少女の魂に、優斗は平静を装いつつそう尋ねる。実際には何を言われるか大体分かってはいるのだが。
「どうかしたのか、じゃありませんよ。あの程度の化生を相手に二度も変化を使うなんて、何を考えているんですか」
 案の定、あやめと呼ばれた少女は先程の戦闘のことで優斗を問い詰めてきた。
 魔剣の形態変化は制御が難しく、使用者の精神に著しく負担を掛ける。その分、引き出すことの出来る力も大きいのだが、彼の実力ならそこまでしなくてもあのミタマクライを倒せたはずだ。
 にも関わらず、優斗がそれをしたのは、余裕がある時に実戦でどこまで使えるか、試しておきたかったからだ。それは戦闘者としては正しい行動と言えるだろうが、そんな無茶に付き合わされるほうは堪ったものではない。
「美影さんも紫苑さんも怒ってましたよ。わたしがちゃんと抑えていられないのも悪いんでしょうけど、少しは自重してください」
 自身の生命さえも顧みないような優斗のその戦い方は、見ていて酷く危ういのだ。あやめなどは、心配のあまり、力を貸すのを止めてしまいそうになる。
「悪いな」
「本当ですよ。あなたの生命はもうあなた一人のものではないのですから」
 眉を八の字にして、如何にも“怒ってます”という表情を作りながらそう言う少女に、優斗は済まないと一言謝ると、蓉子の後を追って歩き出す。
「今回のことは、優奈様に報告しますから」
 だが、少女がそう言った途端、優斗の歩みがぴたりと止まる。その頬には、冷や汗とも脂汗ともつかないものが一筋。
「その、出来れば黙っていては、もらえないだろうか」
「ダメです。わたしたちは、あの方よりあなた様を監視するよう仰せつかっているのですから」
「もし、黙っていてくれるなら、次の夜は君の相手をしよう。それで、手を打ってはもらえないかな」
 優斗の意味深な言葉に、あやめの頬に朱が差す。
「で、でも、今夜はこの後、優奈様と、その、されるのでしょ……」
「……まあ、な」
「隠し通す自信がおありですか?」
「…………」
 至極真剣な表情でそう尋ねるあやめに、優斗は思わず閉口する。彼の本妻である少女は、とても寛大で温和な性格の持ち主だ。
 優斗が無意識に形成したハーレムを許容し、自身の大切なものを護るためだけに、戦う力を磨き、振るい続ける彼のその在り方にも一定の理解を示してくれている。
 だが、そんな彼女も優斗が必要以上に無茶をすれば怒るのだ。素敵な笑顔の下から放たれる圧倒的なプレッシャーは、思い出すだけで彼を身震いさせる。
 蒼牙の管制人格の一人として、数多の戦場を駆けたあやめですら、その迫力には抗しきれないものがあるのだ。これも偏に、彼女の優斗を思う気持ちの成せる業だろう。
 ――閑話休題……。
 ここ、綾香市は妖怪の町である。
 古くは“アヤカシの里”と呼ばれ、怪異が横行する平安の世にあって、唯一それらとの共存を実現させた町として、裏の歴史にその名を残している。
 草薙家はその当時から続く名家の一つで、時の家長が化け猫の娘を伴侶としたことから、現在もこの地の人と妖怪の仲を取り持つ役割を担っていた。
「おかえりなさい」
 今夜の見回りのついでに、蓉子に協力して例の俳ビルの持ち主の依頼を果たしてから帰宅した優斗を、エプロン姿の優奈が出迎える。
 栗色の髪を腰のあたりまで伸ばした、愛らしい顔立ちの娘だ。
 彼女は、優斗が帰宅したとき家にいれば大抵出迎えてくれる。その際に見せる優しい笑顔に、彼は多少の疲れなど何処かに行ってしまったような気になるのだ。
「ただいま。遅くなって済まないな」
「お仕事ですから。それに、今日はまだ早いほうですよ」
 済まなそうに謝る優斗に、優奈は優しい笑顔のままでそう言って寄り添うと、そっと彼の腕を取った。さり気なく自分の腕を優斗のそれに絡ませ、そのままリビングへ入ると、二人並んでソファへと腰を下ろす。
 対面の席では、先に戻っていた蓉子がパジャマに着替えてコーヒーを飲んでいたが、二人の、特に優奈の顔を見ると、慌てて残りを飲み干して立ち上がった。動物の感性は本能的に危険を察するのだ。
 かなり薄まっているとはいえ、猫妖怪の血を引いている優斗にもそれは備わっているはずなのだが、恋人と密着しているという状況が鈍らせているのだろうか。
「優奈、離してくれないか。その、少し派手に動いたから汗を掻いているんだ」
「そうなんですか?」
「あ、ああ」
 腕を組んだままこちらを見上げてくる優奈に、優斗は少しどもりながらそう答える。背中を流れる汗が冷たく感じるのは何故だろう。
「じゃあ、お風呂に入ったほうが良いですね。お湯は沸かしてありますから、この後でごゆっくりどうぞ。あ、それとも、お背中流しましょうか?」
 あくまでにこやかにそう尋ねる優奈に、優斗は答えることが出来ない。いや、あやめともそのことで話をしたし、半ば予想していたことではあるのだ。
「……悪かった」
 結局、言い訳するだけ無駄だと悟った優斗は、素直に頭を下げた。
 賢明な判断だ。
 これで下手に言い訳でもしようものなら、正座させられた上に朝まで延々と説教されかねない。蓉子とは別の意味で常習犯と化している優斗は、この点に関してだけは全く信用されていないのだった。
「それで、今日は何をしたんですか?」
「ミタマクライの親玉みたいなのを相手に、現時点での全力戦闘に近いことを五分間ほど」
「…………」
「いや、だから、悪かったって……」
 笑顔のまま無言で圧力を掛けてくる優奈に、優斗は早くも崖っ淵だ。何かないかと必至に懐を探り、彼は先程蓉子からもらった特別ボーナスのことを思い出す。
 この時、優斗には何の変哲もないその茶封筒が、お釈迦様の蜘蛛の糸のように見えたという。
 かくて、彼は窮地に一生を得たのだった。
 この後、二人は何事もなかったかのように一緒に風呂に入り、寝室にて蜜月の時を過ごすのだが、それはまた別の話である。
   * * * * *



  あとがき
龍一「祝・10000000HIT!」
蓉子「どぉぉぉぉんっ!(狐火炸裂)」
龍一「というわけで、浩さん、美姫さん、おめでとうございます!」
蓉子「すごいわね。10000000よ、10000000! これも、偏に美姫さんの努力の賜物よね」
龍一「いや、頑張ったのは浩さんであって、どちらかと言えば美姫さんは邪魔をしてたような」
蓉子「ほほう、駄作者の分際でそういうことを言いますか」
龍一「だ、駄作者って、幾らなんでも言いすぎだろ」
蓉子「喧しい。そもそも、何なのよこれは!」
龍一「いや、見ての通り、幻想退魔録異聞だけど」
蓉子「それよ、それ。あたしの記憶が確かなら、退魔録とファミリアのクロスオーバーだったと思うんだけど」
龍一「いや、それはその、諸般の事情という奴で一部というか、クロスさせる作品に変更があったんだな」
蓉子「ファミリア側の設定に違うところがあるのはそのせいなのね」
龍一「その通りです」
蓉子「で、何なの? 全くの新作ってわけでもないみたいだけど」
龍一「BLUE・BLOODという愛憎のファミリアのIF物です。こちらはまだプロットを組んでいる状態なんですが、退魔録とならいろいろ似たところがあるので、こっちをクロスさせちゃいました」
蓉子「つまり、完全に作者の都合ってわけね」
龍一「あ、あははは(汗)」
蓉子「そもそも、贈り物に中編なんて無謀過ぎるのよ。これで、他の投降が滞ったりしたら分かってるでしょうね」
龍一「済みません。既に大分滞らせてしまっておりますです(土下座)」
蓉子「こんのぉ、バカ作者がぁぁぁっ!」
龍一「うぎゃぁぁぁっ!?」
蓉子「ぜぇ、ぜぇ、……済みません。本当、いつもいつもこんなのばっかで」
龍一「…………」
蓉子「ほら、あんたもちゃんと謝りなさいよ!」
龍一「…………(返事が無い。ただの消し炭のようだ)」
蓉子「でも、本当にすごいですね。10000000HIT」
龍一「それだけ浩さんのSSが面白く、多くの人に注目されてるってことですよ」
蓉子「これからも頑張ってください」
龍一「わたしも一人の読者として、応援させていただきますので」
蓉子「あんたは書く側としても頑張りなさいよね」
龍一「へぇへぇ。っと、長くなってしまったので、今回はそろそろ」
蓉子「今後ともよろしくお願いします」
二人「ではでは」
   * * * * *





う、うーん。
美姫 「悩む前にお礼の一つでも言いなさいよね!」
ぶべらっ! ぐぅぅ、だが確かにその通りだ。
安藤さん、プレゼントありがとうございます。
美姫 「ありがとうございます。で、何を悩んでたのよ」
いや、今回頂いた作品、流石にまずくないっすか。
美姫 「流石に描写がかなり際どいわね」
いや、それでちょっと悩んでたんだよ。これはR指定ぐらいにはなるんじゃないかなとか。
美姫 「でも、こうしてアップさせたって事は」
あははは。これぐらいならセーフかなとも思ったりして。
どうだろう。
美姫 「私に聞かれてもね〜」
よし、なら今回はセーフという事で。まずいようなら、その時に考えよう。
美姫 「問題を丸投げしたとも言うわよね」
ともあれ、投稿ありがとうございます。
美姫 「ありがとうね〜」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る


inserted by FC2 system