「・・・・・・・・」

「そないに怒らんといてーな」

 

道場内に響く竹刀特有の軽やかな音を聞きながら、及川と一緒に靴を脱いで中へ入る。

 

「ふぃ〜〜〜〜、いくら冬って言っても防具を着けるとやっぱり蒸れるなぁ」

 

一直線に目的へ向かうと、北郷が防具をちょうど脱いでいるところ。

 

「ホンマやな。頭から湯気出てるで」

「のわっ!?」

「やほ、カズピー、おひさ♪」

「お、おひさー、じゃねえよ!いきなり湧いて出てくるなっての!」

「ワイはボーフラかっちゅーの!」

「「・・・似たようなものだろう」」

 

俺と北郷の声がハモる。

むしろボーフラより性質が悪いっていうのが共通認識だ。

 

「んで、お前ら一体何しに来たんだ?」

「・・・(ビキッ)」

「あわわわ!すっかり忘れとるやん自分!朧様、激怒り入ってるで!!」

「忘れる?お前らと何か約束してたか?」

「・・・(ビキビキッ)」

「してたかもクソも!冬休みに入る前に理事長から全校生徒に宿題が出たやろうが!!」

「宿題?・・・・・・・あー」

 

今思い出したという感じの北郷に怒りのボルテージが更に上がってきた。

 

歴史と伝統のある元女子校、現共学校の聖フランチェスカ学園。そこに通う俺らに対して、新しく建設した歴史資料館を活用し、冬休みの期間中に何かしらの感想文を書けと暇人の理事長からお達しがあったのだ。

 

「そういや、一緒に行こうぜって話をしたっけ・・・・あれ?朧も一緒だったか?」

「あ?」

「おわっ!」

 

ガン睨みをぶちかますと反射的に仰け反りやがった。

 

「してないな、ああ、してないんだよ!」

「そ、そうだよ・・な?」

「人が気持ちよく寝てたところを、朝の五時に起こしに来たこいつのせいで全部ぶち壊しだ!!」

 

そう、この糞莫迦は寮の人の部屋に入り込んだ挙句に起きるまで騒ぎ立てやがった。それも三十分間執拗に粘り強く、トリモチのごとく。思わず十分の九ほどぶっ殺してから、朝飯調達にパシらせてここに来た。

 

何だかんだ言いつつ付き合ってる俺って・・・・・はぁ。

 

「あ、朝の五時って・・・・」

「昨日からえらいハイテンションになってもうて、ワイは一睡もしとらんのや!」

「・・・・・・・んで、俺を呼びに来たのか。ま、練習も終わりだし、別に構わんが」

 

北郷は慣れたもので及川を軽くスルーすると、手際よく片付けを始める。

 

「でもな、何で今日なんだ?」

「・・・日取りも決めてなかったのか」

「ま、ついでって奴?」

「ついでー?何のついでだよ?」

 

そこで北郷はしまったという顔をする。良くない気配を察知できたまでは良かったが、遅かった。

見る見るうちに、及川の顔が天にも昇りそうなほどのぼせ上がっていく。むしろ、そのままリアルに昇天してくれ。男のそういう顔は傍から見て普通に気持ち悪い。

 

「で・ぇ・と、に決まっとるやろうが!」

「・・・・・・・チッ!」

 

口から花畑が溢れそうな及川に対して、怨嗟の篭った舌打ち。武道場でそれもどうかと思うが、悲しい男の性は止められんらしい。

 

「ムフフー!」

「まぁ、朝からこの調子でいくら半殺しにしてもすぐに蘇生しやがる・・・・早く着替えてお前もこいつの餌食になれ」

「パスしてぇー」

「却下だ、却下」

「ちぇっ・・・・・・はぁ」

 

気持ちは解かるが、こいつと二人で資料館に行くのは勘弁して欲しい。

いつ本当に息の根を止める解かったものじゃない。

 

未だ彼女のいない北郷一刀―――幸せ一杯夢一杯の相方に、青春真っ盛りの青少年らしい敗北感を漂わせながら更衣室へ入っていった。北郷まで及川並のバイタリティで彼女探しをされたら、それはそれで嫌だが。

 

 

 

 

 

俺こと―――緋皇乃宮 朧は家の事情で本来なら進学するはずだった別の学校からこっちへ進学することになった。実家は元華族で莫大な財を成した財閥家であるが、優秀な兄を四人も持つ五男坊にとって、鬱陶しいステータス以外の何者でもない。

 

現に俺がフランチェスカへ進学する羽目になったのも、共学校になるに当たり緋皇乃宮――これで“ひおうのみや”と読む―――の御曹司が通うことになれば他の名士の子息も通ってくれるだろうという一種の宣伝である。そんな安っぽい社交界の密約に使われる俺の立場がどんなものかは推して知るべし。

 

学校生活に不満はない。北郷と及川のような、迷惑だが面白い友人もできた。まぁ、迷惑なのは主に及川だが。根源的な病弱さを抱えるため激しい運動をしてはならないことと、仮にも一族本家に名を連ねるものとして優秀な成績を収めなくてはならないことを除けば、そこそこ快適と言える。

 

 

「あーくそっ!俺も彼女欲しいなぁ・・・・」

 

さっきから及川と二人で彼女論議を続けていた北郷が、どうにも彼女持ちと彼女なしの圧倒的なスペック差を見せ付けられて、ぼやく。

 

「別にモテないわけじゃないだろう、北郷は」

「そやな・・・アプローチが足りんだけやろう」

「いや・・・及川みたいに超猿のごとくは、ちょっとな。っていうか、朧に言われると何か傷つく」

「せやな。普段からあれだけ女に囲まれとるお前が言うとなぁ」

 

普段の俺の女子比率を知る二人はそろって横目で見てくる。人の苦労も知らないで。

女友達が多いことは否定しないが、あくまで友達だ。恋愛関係はまったくない。

 

「何度も言うが、明らかに向こうからお友達オーラを出されてるとな、そういう雰囲気にならん」

 

問題はまさにそこである。一族が有名なだけに、俺の名が目的で近づいてくる女か、普通に話せる友人として固い絆がでてきしまう女とか、そんなのばかりで浮いた話にならないのだ。

何せ、名前を出せばそれだけで身構えられてしまい、打ち解けたころには良いお友達になってしまっている。

 

「美味しいキャラやけど・・・・」

「微妙だよな・・・・・」

「ああ・・・まぁ、それでも北郷ほど女日照りにはなってないからな」

 

弁解じみてるが、女との経験値がないわけではないのだ。

 

「なんだよ・・・俺だけを別物みたいに扱いやがって」

「くくっ・・・あんじょうきばりや、人生の落伍者君」

 

及川は北郷の肩を励ますように叩こうとして、身を捻って避けられる――――が、後ろから追い抜こうとしていた男子生徒にぶつかってしまう。向こうも割りと強引に追い抜こうとしていたので、どっちもどっちだが。

 

「あ、わりぃ」

「・・・・チッ!」

 

男子生徒は軽く北郷を見てから、あからさまに舌打ちしてから一睨みするとすぐに走り去った。

嫌な眼だ。兄貴どもが俺を見るときの眼にそっくりだ。

 

「なんや、あれ。感じ悪いのぉ」

「・・・・・・・」

「なんや?カズピー、どないかしたんか?」

 

当のぶつかったというか、ぶつけられたというか、微妙な位置の北郷は黙りこくって走り去っていった男子生徒の残滓を追うかのように一点だけを見ている。

 

「えっ?」

「さっきの奴の背中ジーッと見つめて・・・・ぬっ!?もしやっ!カズピーってば、ウホッ!なんか!?」

「・・・・・」

 

心持一歩下がっておく。

 

「ちげーよっ!俺はただ・・・・」

「??」

「いや、やっぱ良い・・・・・それよりさっさと行こうぜ。お前だって時間がないんだろう?」

「おおっと!せやった、せやった・・・時間無いねんっ!ほら行くで!」

「へいへい・・・・」

「こいつに仕切られると釈然とせん」

 

ふむ・・・・だが、さっきの奴はやけにバランス感覚が良かったな。

体格だけなら北郷の方が大きいから普通は倒れてもおかしくない。それを踏み止まった。ほとんど不意打ちでもあるから、生半可なスポーツで身につくものでもない。

 

まぁ、関係ないか。見たこと無い奴だし。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ〜〜〜!また立派な資料館だな」

「さすがフランチェスカと言うこっちゃな。どんだけ金かけとんねん」

「億単位は間違いないな」

 

内装や展示方法など、かなり本格的になっている。市町村レベルの資料館以上だ。

流石に一般に知られるような名品は少ないが、ポイントは押さえてある。

 

「やろうな。そのくせ俺らの授業料はそんなに高くないし・・・裏で悪いことでもやっとるんとちゃうか?」

「悪いことって・・・・例えばどんなんだよ?」

「そやな。例えば・・・地下室に設置された調教ルームで、女子生徒たちが夜な夜な調教され、資産家や悪徳政治家たちの餌食に・・・とか」

 

・・・・こいつらから離れておこう。

全然気づいてないが、割と大きな声で話してるから他にも聞こえてる。俺まで同類と思われたら嫌だから他人のふり、他人のふり。

 

フランチェスカぐらいの格式と伝統があれば寄付金があるってのが解かってない。

特にミッション系であるフランチェスカは思考法が西洋的だから、母校へ何かしらを還元しようとする人間の比率も多い。

 

「待てよ朧!」

「・・・・ひ、人が折角他人のふりをしたのに」

「水臭いで俺とお前の仲やないかっ!」

「その仲のせいで俺はお前らとトリオ扱いだ」

 

はっきり言って不本意だ。

 

「ええやないかっ!美しきことは仲良きこと哉って言うやろう?」

「それを言うなら仲良きことは美しき哉だ」

「おおっ!ナイス突っ込みや!」

「・・・北郷、そろそろ息の根止めて良いか?」

「どーどー、落ち着け」

 

警備員がこっちを睨んでいても気にならん。始末をつけたほうが世のためだろう。

 

ガン睨みで及川を黙らせてから陳列された武具や掛け軸などを見て回る。

それでもアホなこと言うたびに軽くどついて(俺基準)強制的に沈黙させる。おかげで静かに見て回れる。

 

 

「これっていつの時代のものなんだ?」

 

北郷が興味を示して銅鏡のコーナーを覗く。

 

「パンフレットには後漢末期とあるな」

「後漢末期って言うと・・・三国志の時代か。すげーな、1800年前の遺物かよ」

「日本だと邪馬台国とかその辺の時代だからな。銅鏡も輸入品だろう」

「すげーな、二人とも」

 

良い具合にリバーブローを打ち込んでおいた及川復活。

相変わらずのゴキブリ並の生命力というか、ギャグキャラ体質というか。

 

「三国志とか、1800年前とか。よーそんな知識持っとんなぁ」

「なんで?こんなの常識じゃねぇ?」

「んなわけあるかっ!」

「確かにな・・・今時の学生でそれは常識じゃない」

 

何せ世界地図を見てアメリカとロシアと中国とイギリスぐらいしか分からないのが高校生だから。

 

「・・・田舎の爺ちゃん家にその手の本がめちゃくちゃあってさ、ガキの頃は休みのたびに遊びに行って、修行の間に読み漁ってたんだよ」

「北郷の田舎は鹿児島だったか?」

「そ、薩摩隼人・・・っていうけど、俺は生まれも育ちもこっち」

 

剣道部に所属する北郷の実家は、示現流の流れを汲む飛太刀流の剣術道場らしい。そのせいで子供の頃から道場の子が弱いままでは許されんと、祖父に叩き込まれたそうだ。

 

・・・本当に現代っ子かこいつ?

 

「カズピーは何かキモイ話やけど、朧はどないなん?」

「誰がキモイんだよ!」

 

北郷は軽くスルーして、と。

 

「俺は小さい頃からのスパルタ教育だ。ナニィと付き人から歴史書とか、古典作品は全部読破させられた。

「「・・・・・・」」

「引くな、引くな」

「無茶言うなっ!お前本当に現代っ子か!?」

「しかもナニィとか付き人とか、これやからブルジョワは嫌なんや!」

 

ええいっ!人の苦労も知らないで好き勝手言いやがって。

ここは一つお灸を据えてやらねばな。

 

 

――閑話休題

 

 

「ぐっ・・・効いたで・・・」

「くそっ!全然見えねぇ・・・」

 

顔に痕は残せないので、服で隠れる部分を集中的に潰しておいた。

ああ・・・・疲れた。あんまり激しい運動できないってのに。

 

生まれる前から原因不明の病気にかかっていた俺は、未熟児で生まれた挙句にかなり病弱だった。付き人――執事の清十郎から、「独孤九剣」とかいう中国武術を習って身体を鍛えたが、全力で運動したら命にかかわるほど脆弱なままだ。

 

「せやけど、二人ともよーグレへんかったな」

「これでも十分グレてる・・・っていうか、グレても意味ないし」

 

あれは反抗であって、反抗する相手もいない俺には無意味。

 

「ま、剣術は好きだったし。辛くはあったけど嫌じゃなかったからな」

「んで、フランチェスカにやって来て剣道部に入ってそんなに強なって何がしたいん?」

「今の目標は不動さんに勝つか、朧に勝つことかな?それよりも後のことは分かんねぇ」

「・・・・不動だけにしておけ。俺のは中国武術で、お前のは剣術だ。種類が違う、種類が」

 

俺と北郷が出会うきっかけは、俺を剣道部に入れたがる先輩からの頼みということで挑んできたこいつをけちょんけちょんに負けさせたことに由来する。正確には、俺の反則負けになる。剣道と武術では、ルールが違うのだから当然。

 

ちなみに不動というのは、剣道部女子の主将で全国大会優勝者のこと。そして、俺を剣道部に勧誘しようとして、病弱を理由に断り続けられている女の子のこと。

 

「いーや!勝つ!」

「あ、そう・・・・」

 

何をそんなに燃えてるんだか・・・・。

 

「ほーか。ま、がんばりなさい・・・ん?」

 

励ますように北郷の肩を叩いていた及川が、

 

「おろ?あいつ、さっきの奴とちゃうか?」

 

俺たちから離れた場所で展示物を見ている男子生徒を指さす。

 

「確かに・・・・・」

 

しかし、やはり見たことがない。

最近共学校になったばかりのフランチェスカでは男女比率で男子生徒のほうが圧倒的に少ない。それこそクラスの男子一人というのも珍しくない。だから、ほとんどの男子生徒は顔見知りのはずなんだが。

 

横で二人が話しているように下級生かもしれないが、それでも見覚えがあってもよさそうなもんだが。

 

何より、あれだけの立ち居振る舞いなら確実に記憶へ残る。

おそらく何かしらの武道の有段者だろう。見立ててでは、北郷よりも上だ。

 

しかし、何を見てるかと思えば鏡だ。俺らがさっきまで見ていた銅鏡のコーナーで一枚の鏡を凝視している、いや、凝視というのも言葉が不足している。親の仇という言葉がしっくりくる。

周囲の目がなければ展示ガラスを蹴破りそうなほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから展示場を見て周り、デートへ向かう及川と別れて北郷と二人で寮の部屋に戻った。

まぁ、及川の妄想力は素晴らしく阿呆で、壺を見れば「この中身は大量のメンマだったんや!」とか、鎧を見れば「これは可愛い女の子武将が着てたんや」とか、常人では想像できないようなことを口走っていた。

しかも、北郷もノリノリで付き合ったせいで周囲の視線の痛いことこの上なかった。

 

―――コンコン!

 

という、ノックの音に呼び出された俺は何故か北郷と二人で夜の学園を歩いている。

 

 

「あいつが鏡泥棒するって・・・・何の根拠がって言い出すのやら・・・」

「だから、勘だよ!そういう感じがしただけで、根拠なんて他にねぇよ!」

 

北郷はこの有様。

昼間の奴が鏡泥棒するんじゃないかって気になり、俺と二人で資料館の様子を見に行こうというのだ。

 

俺もちらりと考えたが、理性を優先して考えを捨てた。

資料館にだって警報装置ぐらいついている。泥棒するにしたって、簡単ではない。

それに考古学的価値はあっても、金銭的価値のあるものはほとんどない。あの銅鏡にしたってそうだ。盗む理由がないだろう。

 

 

「さみぃ〜〜〜」

「朝は及川に、夜はお前に付き合わされる俺の身にもなれ」

「うっ・・・・酔狂な俺を許してくれ」

「はいはい・・・これで何もなかったらただの莫迦だけどな」

 

何だかんだで付き合ったのは俺だからこれ以上言うのはやめよう。

 

「無いならないほうが・・・・・って!?」

「気づいたか?」

 

今、確かに足音がした。

 

 

「・・・ま、マジかよっ!」

「ほれ、パニック起こしてないで隠れろ」

「お、おいっ・・・」

 

動揺してる北郷を手近な木陰に押し込んで隠れる。

 

「何で隠れるんだよ」

「夜間外出してるから関係者だったら拙いだろうし、泥棒なら不意打ちで倒したほうが楽だ」

「・・・お前、頭良いな」

「お前も少しは頭を使え」

「・・・へいへい」

 

迫ってくる足音から大体距離を把握しつつ・・・・

 

「待てよっ!」

 

泥棒なら挟み撃ちにしようかと思っていたら、焦れた北郷が飛び出して呼び止めやがった・・・この莫迦。

 

案の定というか立ち止まったのは昼間の少年で、脇には資料館に展示してあったらしい鏡を抱えている。

 

 

「誰だ、貴様。俺に何の用だ?」

「何の用も何も。おまえ、その手に持ってるやつ、何だよ。

「・・・・・・」

「どっから持ってきたってのは聞くまでもないよな。っていうか、お前。この学校の生徒じゃないだろう?」

「だからどうした?」

 

おお、開き直りやがった。

これは面白い展開になってきたのかもしれない。

 

「あのなぁ・・・・子供の頃に言われなかったか?勝手にものを取ったら泥棒です――――」

「下がれ北郷」

「おわっ!」

 

予備動作のほとんどない上段回し蹴りが寸前まで北郷の頭があったところを空かす。

当たれば一撃で昏倒することは間違いないだろう。

 

「・・・チッ!」

 

横目で俺の存在を確認しながら、盛大な舌打ち。

警告が遅ければくらっていただけに、苛ついてやがるな。

 

「ちょ・・・てめえ、何しやがる!」

「邪魔だよ、お前ら」

「うわ・・・っ!人の話を・・・!」

「莫迦かお前は!ヨーイドンがあるのは試合だけだろうだがっ!」

 

これだからスポーツ武道の経験者は・・・・。回避が大雑把すぎて俺の動きの邪魔だ。

 

「話?聞く気はない。死ね!」

「はっ!軽量級が何をっ!」

 

数多の蹴りは無造作に見えてスナッピーだ。下手な受け方をすれば骨折するだろうが、体格が小さいせいで防ぎきれないほど重くは無い。

 

「チッ!しつこいな!」

「弱いっちいからそう感じるんだよ、チビ」

「貴様ッ!!」

「泥棒のくせして態度がでかいんだよっ!」

 

回避に精一杯で緊張のせいか呼吸があがり始めた北郷が、腹立ちの紛れに怒鳴りつける。

それだけ余裕があるならまだ大丈夫だな。

 

「盗み?ああ、これか・・・・これはお前らにとって用のないものだろう?必要のないをものを奪って何が悪い?」

「根本的な部分で話の合わない奴とは会話するだけ無駄だな・・・・」

「それに、これは貴様には関係のないことだ。死にたくなければとっとと失せろ」

「泥棒ごときが偉そうに言うんじゃねぇっ!」

 

北郷の言う通りだが、俺に勝つつもりでいるのが気に食わん。

いくら病弱で激しい運動はできなくとも、こいつ相手に一分も要らん・・・・・何しろ、マニュアル通りの戦い方だ。

 

「あくまで邪魔をするのか?ならば殺してやろう・・・突端を開かせる鍵がなければ外史は生まれず、このまま終わることができるのだ」

「・・・・・・・・・」

 

正直、こいつがどうなると知ったことではなかったが・・・気が変わった。

潰す。二度と減らず口を叩けないように徹底的に。

 

こいつは兄貴たちと同類だ。自分を何かの超越者と思い上がった屑だ。

 

「貴様の都合なぞ知らんが、俺に殺すと言ったからには貴様も殺されるぞ」

「ほざけっ!」

 

凄まじい速度で蹴りの乱れ打ちが放たれる。が、そんなもの一々目で追う必要もない。

 

「半端ものが」

「くそっ!何故当たらん!」

 

当たり前だ。急所“しか”狙ってこない蹴りなら、急所だけに注意を払えば良い。後は蹴りを変則させる軸足の膝の動きだけで、蹴りの軌道は容易く読める。

 

「北郷!足を払え!」

「お、おおっ!」

 

リーチの問題からこいつの攻撃は足に限られる。

拳打もかなりのものだろうが、届かなくては意味がない。

 

「チッ!しつこいぞ!」

「げっ!?」

 

鋭い呼気と共に殺気を放ちながら、脛を狙った木刀を足場にして飛び上がりやがった。

己は李成龍か!

 

飛び上がった態勢から自由落下も加えた連続蹴りが来る。

 

「死ねっ!」

「死ねと言われて死ぬなら、世の中苦労しないんだよ!ガキがっ!」

 

こっちとしても速くて中途半端に威力のある蹴りを相手にするのは飽きてきた。

殺気や威圧感にも慣れてきた。そろそろ方をつける。

 

「疾ッ!」

 

風音を纏った前蹴りをスウェーバックでかわして、

 

「斉ッ!」

「ぐっ!」

 

着地寸前のところへ、全力で前蹴りを打ち込む。ミシッと骨の軋む感覚はあるが、相手が軽い上に空中へいたせいで致命打にはなってない。

 

「まだ足りねぇのかよっ!」

「それも計算済みだ」

 

滑りながら着地した奴への距離を、前蹴りの姿勢から前傾を取りながら詰める

 

――ドクンッ!

 

チッ!もう身体の限界が始まりやがった・・・・これだからこの身体が恨めしい。

全力で酷使すればあっという間に限界がきてしまうこの不便な身体が。

 

「調子に乗るなぁっ!!」

 

自分が蹴りをくらったことがそんなに腹立たしいのか、奴は怒りを撒き散らすような咆哮を放つと殺意を剥き出しにしてかかってくる。

 

「いいや、乗らせてもらう!」

 

タイミング、速さ、重さともに申し分な中段の回し蹴り・・・・それを膝で受ける。

そして、上げていた膝を勢い良く下ろしてほぼ密着状態まで踏み込む。

 

「ふんっ!莫迦めっ!」

「近過ぎる!下がれ朧ッ!」

 

この間合いでは小さい奴のほうが有利。

誰もがそう思うだろう。

 

「言っただろう――――?」

「なっ!貴様ッ!」

 

人間の動きというのは、精妙に見えて実はかなりのロスがある。

そのロスを全てなくし、一点に向けて収束させるためには精密機械以上の身体操作が求められる。

それを可能にしたのが中国武術であり、かつて全盛であった頃は誰もが当たり前に使えたはずの技術。

 

――寸剄

 

 

ゴン!と体内を貫通する衝撃を、確かに手ごたえとして感じる。

 

「ごほっ!!」

 

その破壊力ゆえに、奴の服の背中部分が爆ぜ飛ぶ。

手に内臓の幾つが破裂する感触も伝わる。

 

そして、邪魔にならないように懐に入れていたらしい鏡が割れる感触も・・・・。

 

「し、しまった!!」

 

感触の直後、硬質な破砕音が広がる。

 

「何っ!?」

「ぐっ・・・くそっ!しまった!!」

 

肝心の鏡を割ってしまったことに、北郷の顔が埴輪のデフォルメになる。こら、俺が悪いのか!?

失態に悪態を吐こうとする奴だが、内臓破裂のダメージに血を吐いてそれすらままならない。

 

だが、膝をつく奴の懐から突然光が溢れ出した。

 

「むっ!?」

「な、なんなんだっ!?なんだよこりゃ!?」

 

光は徐々に伸び、呆然とするしかない俺たちを呑み込み始める。

 

 

―――白くなっていく視界

 

網膜を突き刺す白い光に対する未知なる恐怖が、俺に瞼を閉じさせる。

咄嗟のことは言えこれも失態だ。目を瞑れば肝心な情報が制限されてしまう。

 

慌てて動こうとするが、手足はピクリとも動かない。何かに拘束されているかのように。それでも必死にもがくが、そうこうしている間に心臓の動悸が強まる。身体が本格的にやばい徴候だ。

 

「無駄だ」

「ああっ?」

「・・・もう戻れん、幕は開いた!」

「その手の台詞は聞き飽きたんだよっ!」

「ふんっ!強がりもそこまでだ・・・・飲み込まれろ、それが貴様に降る罰だ」

 

何のことやら・・・罰だけならこの呪われた身体と、糞ったれな家柄だけで十分間に合ってる。

 

「この世界の真実をその目で見るが良い・・・・・」

 

薄れていく意識の中――――やたらと傲岸不遜でいて、意味があるのかないのか分からない言葉がやけに耳に残り、俺の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝。

青い空に白い雲。

 

所謂、本日も快晴。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

色々と思うところはある。何で外なんだろう。

ここはパターンとして「知らない天井」とか口走るところだが、残念ながら天井はない。

 

「あーえーうー」

 

呻いてみるが変わらないので、起きよう。

ツッコミは後にして学校へ行かないと。

 

「おろろろ?」

 

ここはどこ?

私は緋皇乃宮朧。長いけど緋皇乃宮が苗字で朧が名前。二十一世紀の日本人なので字はない。

 

うん。記憶喪失ではないらしい。

 

見たことのない景色がびろ〜んと広がる。聖フランチェスカ学園の公園は名前の通り洋風なのでちょっと違う。

そして遠くには扁平な山や尖った岩のようなそこそこ雄大な山が・・・・・

 

「山?」

 

山。山。山。

三つ並んでもどうにもならん、山。

 

「山!?」

 

ぼんやりというか、まだ冷静な部分を残していた頭へついに驚愕の衝撃が。

眠りから覚めていなかった部分も覚醒。

 

「ど、ど、どこだここは!?」

 

口先はどもりつつ、脳みそはフル回転。

PCで言うなら処理中のランプが常時点灯状態。

 

フランチェスカは豊かな森に囲まれた学園ではあるが、こんな開けた荒野もなければ山もない。

というか、あんな山は日本にありえない。日本にあるとすればそれは水墨画の世界だ。それも中国風。

 

「まずは落ち着け、俺・・・・」

 

そのためにも深呼吸。

寝起きでまだ目覚めていない脳へ酸素を供給、供給、とにかく供給。

 

「うっ・・・・・」

 

危うく過呼吸になりかけたところでやめる。

 

動顛することなく平静さを保ったままもう一度周囲を見渡す。

とかく広い荒野。日本ではとんと見かけることのない地平線の先には険しい、岩石じみた山々。

 

冗談を口にしているばかりでは話にならないので、原因を求めてみる。

 

昨日は及川と北郷に連れられて――と書いて拉致と読む――歴史資料館に行って・・・

 

「及川よりも怪しい奴を見かけて・・・・北郷が気になるとか言うから夜に資料館へ見に行ったら・・・・おおっ、そこであいつが鏡を盗んでるのを見かけたらから争いになったんだった。」

 

我ながら妙に説明くさいが・・・・それからどうなった?

 

「寸剄で吹っ飛ばした弾みで鏡が割れてから、光って・・・・気づいたらここにいた。」

 

さっぱりだ。及川の貸してくれたライトノベル風味の良い感じ展開。

 

あの兄四人が俺を殺そうとしてるにしては、手間をかけすぎてる。

あの四人なら嬲殺しなんていう不確実な方法を楽しまず、さくっと殺しにくると思ったんだが。

親父殿にして言えば俺のことを覚えてるかどうか。

 

とにかく、何故という理由はさておいてここがどこなのか・・・それを知らないことには考えようもないか。

 

 

 

 

かくして、歩き出して半刻で難題にぶち当たる。

 

でかいの、目つきの悪いの、小さいのが一匹ずつ。

言ってはなんだがコスプレまがいの格好というか、正しく布切れで作られた服を着ている。

 

頭には黄色い頭巾をつけ・・・・手に持っている剣は偽者ではありえない光りかたをしている。

及川あたりなら凝ったコスプレを褒め称えるところだろうが。

 

 

「兄ちゃん、良い服着てんな」

「いやいや、そっちの服には負ける」

 

その気合の入りようが半端ではないことぐらい及川ではなくても解かる。

 

「テメェ・・・・喧嘩売ってんのか?」

「あんまり気にするな。カルシウム足りてるか?」

「あ?なんだそりゃ?」

「スペシウムじゃなくて、カルシウムだ。足りてないからカッカするんだ。」

 

おかしい。言葉は通じてるのに、どうもカルシウムの意味が通じてない。

いくら頭の悪そうだと言っても限度があるだろう。

 

「訳のわかんねぇこと言いやがって・・・・まぁ、いい。俺様を舐めやがった侘びに、身包み置いていってもらおうか?」

「・・・・お、男が趣味なのか!?」

 

外見は下種な女好きかと思いきや、まさか衆道とは・・・及川並にディープな。

 

「身包み剥ぐだけだっ!!」

「見るだけで満足するのか!?」

「欲しいのはテメェの服だけだっつてんだっ!!」

「ふ、服だけで興奮!?」

「「そ、そうなのか兄貴!!」」

 

でかいのと小さいのが大きく距離をとる。

その気持ちはよく解かる。こんな変態趣味の奴が相手だといつ自分が標的になるか。

 

「ンの野郎っ!!」

「おっと・・・」

 

ブォン、と剣が振られた後に音が鳴る。

 

「うわっ、髪が・・・」

 

自慢じゃないが、自慢の髪の毛が数本斬られた。

 

「兄ちゃん、あんまイキがんな。まだ死にたくないだろう?こいつで腕をぶった切られるか、ぶっ刺されるか、どっちも嫌なら大人しくしとけや、あ?」

 

この切れ味は・・・本物。どうも、本当にコスプレではないらしい。

頭がおかしいとか、どういう理由でとか、今回もさておいて・・・・真剣を持った男三人相手に追剥ぎを仕掛けられていると現状を認識。

 

 

「けけっ、ビビッテ黙りやがった・・・反抗しても一瞬でぶっ殺すけどよ」

「目を逸らしやがった、こいつとんだ腰抜けだぜ」

 

兄貴分と小さいのが何か行っているが、無視。

こっちにも剣があれば話は別だが。

やれやれ・・・・素手は得意じゃないけど、そうも言ってられない。

 

追剥ぎが服を渡しても生かしておいてくれるかは解からない。というよりも生かしておくとも思えない。

だったら、ここは・・・・・・・・・。

 

距離は六歩。

足元には手ごろな石が四つ。

右から体格順。

ポケットには寮の部屋の鍵、手鏡、ハンカチ、ティッシュ。

 

これだけあれば・・・俺のひ弱で体力のない身体でも何とかなってくれるか?

こういう時に身体が弱くても戦い方を仕込んでくれた清十郎に感謝だな。

 

「OK、それじゃ・・・・・」

 

 

一か八かの勝負を仕掛けようとした矢先――――

 

「あっ!あっちに美人のねーちゃんがっ!」

「「「何ィ!」」」

「うわっ、本当に引っかかったよ・・・っていうか・・・・」

 

本当に俺が指差した方向には、馬に乗った物凄い美少女がいた。

甘やかな蜂蜜色の髪を二つ分けの三編みにして結い上げても、三編みが腰まで届く長い麗髪。知性を感じさせる海色の瞳が吸い込まれるような透明感を見るものに与える。しかし、小柄で華奢な外見に似合わず、与える印象は獰猛な肉食獣のイメージが真っ先に浮かぶ。

 

まさしく気品ある美少女に、トリオはただ見惚れてしまい俺のことなど眼中になくなっている。

 

 

ま、向こうに注意がいっている隙がチャンスということで・・・・

 

 

不用意に背中を向けている兄貴分に忍び寄り、

 

「っ!!」

「がっ!!」

 

ポケットから出した鍵を首の後ろ、脳幹の中枢へ突き刺す。鋭さが足りずとも速さと力によって、部屋の鍵でも十分に人間を刺すことができる。

ビクビクッと神経が混乱を起こしたせいで痙攣しながら、奇妙な呻きと共に倒れる。

 

 

「なっ!あ、兄貴ッ!」

 

チビが慌てて兄貴分を見てからおろおろする――――莫迦で助かったよ!

 

地面から拾った石を掌に載せたまま、こめかみに掌底を叩き込む。

痛い。石の硬さはこっちにも伝わってくるが、それと一緒にこめかみ部分の頭蓋骨が割れる感触も伝わってくる。

 

まだだ。倒れるチビの顔面に――――

 

 

「斉ッ!!」

「ぶふっ!!」

 

―――膝蹴りを叩き込む。

鼻骨が折れ、前歯が飛び散る。ほとんど同じ硬さの骨同士の衝突は酷く痛いが、我慢。

 

まだ、おそらく一番厄介なでかいのが残ってる。

振り返らなくても、ビビリながら腕を振り上げてるのは影で解かる。

 

焦るな、落ち着け。

何度も頭の中でシミュレートした。

その通りに身体をなぞらせるんだ。

 

膝蹴り直後の不安定な姿勢から手の中の石を投げつける。

 

「おっ!」

 

よし、怯んだ!

チビが手放した剣を掴む。どうせこの体格を考えれば刺しても簡単には死なない。ならば―――

 

足の甲を貫いて地面に縫い止める!

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!!!」

「うわー・・・・」

 

自分でやっといてなんだが、物凄く痛そうだ。

でも、悪いけど念のために深く縫い止めるために剣の柄を踏みつけて刃が見えなくなるまで押し込む。

 

「がぁぁぁぁぁっ!!」

 

ただでさえでかいのに、暴れるせいで酷くなるがそれで抜けるほど甘くは無い。むしろ、もがけばもがくほど痛いだけだ。

 

 

「ふぅー・・・・これで一安心」

 

声に出すと安堵感が満ちてくる。が、念のために兄貴分の剣と巨漢の剣は没収しておく。

チビは失神、デブは動けない。だが、兄貴分は時折痙攣しているがもうすぐ死ぬだろう。僅かに思い直してチビとデブの二人にトドメを刺した。

 

―――殺した

 

自分でやったことだし、承知の上だったが存外に罪悪感はない。正当防衛という免罪符があるにしても。

多少の気持ち悪さはなくもないが、我慢できないほどでもない。

 

まぁ、ここは正当防衛ということで。

 

 

「ふむ・・・・見事な手際だ」

 

トドメを刺した二人がピクリともしなくなるのを確認していると、背後から声をかけられる。馬蹄の音がしていたので、さっきの美少女さまだろう。

自分に溢れんばかりの自信ありげなその声に、殺人を見た驚きは微塵も感じられない。言葉も額面どおりに受け取るならば殺しの技量を褒めてさえいる。

 

この子も時代の違う変な格好。

 

・・・目を逸らしていたが、本当にここは二十一世紀か?

割れた鏡の起こした不思議現象を鑑みるに、まさかまさかのタイムスリップか?

 

待て、落ち着け・・まだ全ての可能性を否定したわけじゃない。断定するのも早い。

可能性として一番高いだけで・・・まぁ、それで十分とも言えるが。

 

「なんだ。お主は口が利けないのか?」

「あ、いや、悪いな。考え事をしていた・・・で、何か用か?」

「特に用というわけではないが、珍奇な格好をした男が手際よく黄巾賊を討ったのを見たので、気になっただけだ」

「こうきん・・ぞく?」

 

「こうきんぞく」で脳内に単語検索をかけてヒットしたのは二つ。

「黄巾賊」と「紅巾賊」の二つ。前者は後漢末に起きた太平道という道教を中核とした農民反乱、後者は元末に起きた白蓮教という仏教を中核とした農民反乱だ。

 

「・・・・・・・」

 

自分が殺した死体を見ると、頭に黄色の頭巾をつけている。こいつらは「黄巾賊」の方だ。

さっきのタイムスリップ説が正しいとすると、俺は1800年前の後漢末期―――所謂、三国志の時代に来たことになる。

 

ここは一つ、確認してみるか。この子、貴人っぽいし。

 

「つかぬことを聞くが、前帝の謚号を知っているか?」

「黙ったと思ったら今度は藪から棒に・・・・先帝の謚号は恒帝だ」

 

謎の美少女(仮称)は訝しむが、果てしなく落ち込みそうな俺はそれに構っていられない。

後漢の歴代皇帝の名を全部丸暗記しているわけでもないが、ローマ使節に謁見した恒帝なら知っている。

恒帝の次代が霊帝―――黄巾の乱当時の皇帝だ。

 

これはほぼ確定だ。

 

「参ったなぁ」

「・・・・お主、人の話をしっかり聞くつもりはあるのか?」

「そうしたいのは山々だが、諸々の展開に思考が止まりそうなんだ・・・少し待ってくれ」

 

さっき殺人を犯した罪悪感が軽く消し飛んだ。そんな脳内の無意識の処理システムに微妙な感謝を捧げつつ、疲れた思考に鞭打って考える。

 

まず現実に立ち返る。タイムスリップしたとして、ロマンに浸っている暇はない。人間生きている以上は衣食住が絶対条件。それらの基盤がゼロの俺はまず、確保に努めなくてはならない。

しかし、ここは人が人を食うのが当たり前の時代。しかもバリバリの乱世。甘い現代っ子である俺が生きていくのは至難の技だ。清十郎が様々な生きるためのスキルを伝授してくれているとして、どこまで通じるか。

 

武器は確保した。上等とは言わないが、ないよりは良い。

 

「ふぅ・・・気は進まないが」

「何をするのだ?」

「追剥ぎを追い剥ぐ・・・・」

「・・・・・言葉だけ聞くと何の笑い話かと思うが・・・」

 

別に駄洒落じゃないんだが。

 

「・・・色々事情があってな。兎角、文無しだと飯も、宿も望めない。そういうわけであまり見栄えは良くないが、死人に必要のない金子の類でも頂いておこうかと思ってな」

 

盗賊崩れの黄巾賊が大したものを持ってるとも思えないが。

 

「そのような珍しい格好をしていて文無し?お主、方士の類か?」

「方士?――――どうだろうな、まだ自分の立ち位置も分からないからはっきりとは言えない・・・っていうか、普通に話してるが、あんた誰?」

 

死体漁りの手を止めて、馬上の美少女を見上げる。

状況が状況だから気にも留めなかったが、俺はまだこの子の名前も知らない。それに何故わざわざ声をかけてきたのかも。

 

少女のほうも今思い至ったように手を打つ。

 

「これは失礼―――」

 

礼節に則り、馬から下りた少女はやや小柄だが・・・知的な威圧感をいっそう強めた気がする。誰もがこれだけで少女が只者ではないと感じる。

 

「私は、姓は郭、名は嘉、字は奉孝と申します」

「・・・・・・・・・・・はっ?」

 

屈んだままで失礼だと思って立った俺は、耳を疑う。

この子は何て名乗った?

 

「すまない・・・よく聞き取れなかったので、もう一度良いか?」

「では―――姓は郭、名は嘉、字は奉孝と申します」

「・・・・・・・・」

 

―――郭嘉奉孝

 

三国志の登場人物ではメジャーに入るかは微妙だが、通の間では知らない者はいない。

曹操にその才能を激賞されたが早世した天才軍師。曹操が後事を託せる人材として嘱望され、未来予知じみた洞察力から存命であれば赤壁からの撤退もなかったと言わしめた。

 

だが、史書の記述の中に女性だったという記述は一切ない。

ただのタイムスリップじゃないとか・・・・・まさかな。だが、試してみる価値はある。

 

「――豫州潁川郡の郭奉孝でよろしいのか?」

「ほぅ、私の名を知っているのか」

「・・・有名人だからな」

 

途端に眉を顰めて、思案顔になる郭嘉。

 

「名が知られぬようにしているが、方士の類に知られているとは・・・困ったものだ」

 

困り顔から一転―――これだから天才は困るみたいな、ちょっと自分に酔った雰囲気を見せる。

あー・・・・多分、これは本人だな。史書では品行方正とは言い難いとかあったし。

 

って・・・何を納得してる、俺。郭嘉が女だった・・・まぁ、百歩譲って史書が性別を偽ったという可能性もある。何せ、史書は王朝が変わったり、その当時の思想を背景として変更される。

特に儒者は儒教の間違いを糾弾した人間を、実質的にも社会的にも完全に抹殺することを当然とした上で、一つの項目として教育しているほどだ。

 

「私は名乗ったぞ。そちらも名乗るのが礼儀だろう」

「ああ、これは失礼・・・・緋皇乃宮朧だ。呼びにくいだろうから、朧で構わない」

「字で呼べと?」

「・・・字ではない。俺は――――」

 

どこから来たか?

適当な言葉が思い付かず、

 

「―――世界の果てから来た。そこでは、姓と名しかなくてな。生憎と俺の姓は長いから名のほうが呼び易いだろう」

 

などと、妙なことを口走った。

阿呆だろう、俺。この今だけは及川と同列という屈辱的な称号も甘んじて受けてやる。

 

郭嘉は一瞬だけきょとんとしてから、

 

「ハハッ・・・アハハハハハッ―――――中々面白いことを言うではないか、朧とやら!」

「・・・自分でもそう思うよ」

 

笑わば笑え。開き直った俺に怖いものはない。

 

「―――しかし、世界の果てとは大きく出たな。遠く東に羅馬なる大国があるそうだが、そこのことか?」

「いや・・・そうだな。天に最も近い国―――だな」

「今度は“天”とな・・・ふふっ、私を笑い殺す気か?」

 

大笑いでも、微笑でも、少女の美しさは損なわれない。

まぁ、笑われているのは俺で釈然としないが。

 

未来から来たとは言えないにしても、もっと巧い言い訳を考えればいいのに。

 

「まあ良いだろう・・・その煌く服からして、只者でないことだけは確かだろうからな。あながち世界の果てというのも嘘ではないやもしれん」

「・・・そういうことにしておいてくれ」

 

興味津々、そそられるとばかりに郭嘉の瞳には好奇心の光が灯っている。

煌めく服―――ポリエステル製の制服が助けになったらしい。この時代に重化合物の生成法があるわけもなし、ポリエステルが天上の素材と思われても仕方ない。

 

「・・・・ふむ・・・文無しというのならばどうだ?私と一緒に来るならば、宿も金子も融通するぞ?」

「・・・・・・はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

齢1○才にして、ヒモになるとは思わなかった・・・・・。

半ば冗談で、半ば本当。郭嘉は俺を娯楽にするつもりらしい。

 

ただ、郭嘉との話で幾つか解かったことがあるので差し引きちょこっとマイナス。

一つはこの世界の人間の寿命が異常に長いということ。病気や怪我で死ぬことはあるが、天寿をまっとうすれば二百年は軽く生きるらしい。しかも、肉体の全盛期が長く続くため老いは本当に晩年から。

 

えー・・・どこの野菜人だ。

 

もう一つ。有名な人物はほぼ例外なく、女性であるということ。信じられないかもしれないが、皇帝も代々女帝らしい・・・・。流石に十常待は男らしい。だって、宦官だし。

 

 

何と言うか、驚きを通り越して納得した。我ながら切り替えが早すぎるが、これも順応しようとする本能のなせる業だろう。とにかく、理由や原因は一切無視した上で俺は納得したのだ。

 

ここは、長命で全盛期が長い、登場人物が軒並み女性である三国志の世界だと。

有能な家庭教師たちの教育の賜物だろう。清十郎たちに感謝だ。

 

今は霊帝十七年。おそらく、光和七年。黄巾の乱が起きた年に相当する。

 

 

「ふむ・・・では、朧は黄巾賊の軍勢を一々破っていても埒は明かないと思うのか?」

「そうだ」

 

黄巾の乱は農民反乱だが、その指導者である大賢良師・張角らは宗教による世直しを考えていた。

腐儒と宦官に壟断される国政を道教思想で叩きなおそうとしたのだ。予てより漢王朝に不満を持っていた民間の識者がこれに呼応し、圧制に苦しむ農民と結託して中原全土で一大反乱を引き起こした。

 

当時権力を掌握していた十常待は保身のために大規模な討伐軍を組織させなかった。指揮を執る将軍が自分たちに牙を向くことを恐れたためだ。その腐敗は凄まじく、討伐を上奏した官僚は処刑され、討伐軍の指揮官である盧植を、賄賂を渡さなかったことで讒言して罷免させた。

そんな状態で中央の兵士は実戦経験が浅く、指揮官も未熟なものが多い。地方で経験を積んだ者達が奮戦するが、それも局地的な勝利でしかない。おそらく戦闘が続けば共倒れになった可能性が高い。

 

幸いというか、張梁や張宝などのトップが次々に倒れ、指導者である張角も病死すると黄巾賊は統率が取れずに空中分解してしまう。

 

 

「官軍と言っても農民を徴集しただけで、質は黄巾賊と変わらない。だったら数の多い黄巾賊のほうが有利だ」

「一理はある。だが、整備された制度も持たない黄巾賊の兵站はどうする?数が多ければそれだけ糧食は必要になるぞ」

「中原全土に拡大してる乱の中、官軍も糧食の確保ができてるとは思えない。確保するための資金にしても宦官や官僚が必要な額を用意してくれるのか疑問だな」

 

近く――と言っても十数kmぐらい――離れた先にある都城に入った俺と郭嘉は、そんな話を延々と続けていた。基本的に郭嘉が俺に質問をしてから、俺が返すという議論形式。

話題は今のトレンドである黄巾賊について。

 

この州ではまだ官軍が多い。真面目な役人にでも聞かれたらマズイが、郭嘉はどこ吹く風。

かく言う俺もしっかり付き合ってるので偉そうなことは言えないが。

 

「そうだな・・・最近では各地から討伐のために挙兵する者達も多いと聞く。その戦力についてはどうだ?」

 

郭嘉の中ではすでに答えの出ている問い。

俺を試すための問い。答えいかんによって郭嘉は俺の扱いを変えるのだろう。

 

いいさ、乗ってやるとも。

まだ六韜や孫子だけの時代に、現代レベルの軍事学をぶつけてやる。

 

「無論、挙兵は良いことだろう。しかし、黄巾賊を倒すという一点のみにおいてだ。挙兵する者たちは“官軍”じゃない。為政者は漢王朝であるはずが、それが独力で事態を解決できないことは地方の者たちの不信感を高める。昨今の腐敗ぶりで求心力を失いつつある中枢が頼みにならないと解かれば・・・・」

 

その先はあえて言わなかった。

 

「賢明な判断だ・・・・良い認識を持っている。すると、乱は治められないとお前は考えられるのか?」

「いいや・・・黄巾の乱は治められるだろう。正確には治める方法はある。朝廷にしても、豪族にしても、乱で政情が安定していない状況は望ましくないからな」

「ほぅ、その方法とは?」

「大賢良師・張角、人公将軍・張梁、地公将軍・張宝の三人を殺すことだ。十万の黄巾賊を破るよりも確実に瓦解させることができる。逆に局地戦で勝利を重ねても、頭を潰せなければ終わらない」

 

実際に黄巾の乱はカリスマである張角の死によって急速に終息へ向かう。

一説には清流派の知識人である張角がいかに重要だったかを示すことになる。

 

「中々どうして・・・世界の果てから来たというだけあって頭が切れるな」

「満足してくれて幸い。俺は飼われる身だからな」

「ははっ、そう拗ねるな」

 

そう言いながら、意味ありげで楽しそうな笑みを浮かべる郭嘉。

面白そうだという一事で得体の知れない俺と気安く言葉を交わせる点を考えれば、逆に恐ろしいぐらいだ。

 

俺自身、まだ郭嘉のことを信じたわけでもない。

 

 

「ところで、郭嘉はどうするんだ?」

「どう、とは?」

「自分の才能に自信があるんだろう?仕官を考えないのか?」

「・・・考えのうちにはある」

「ふーん・・・・」

 

この時代、人材探しにも儒学の影響が強く出る。というよりも、才能も儒学の強力な縛りを受ける。簡単に言えば儒学における成果を挙げて有名になり、官僚となった儒学者に目を掛けてもらい推挙されてから初めて仕官できる。

 

科学の探究をしようとする者は方士として差別を受ける。

絵画の才能が幾らあっても儒学の偉大な先人を巧く描かなければ評価されない。

音楽の才能が幾らあっても礼を表現していない音楽は素晴しくとも評価されない。

 

「・・・つまらん世界だな」

「ああ、そうだ・・・・どうだ、いっそう朧が私の主君になってみるか?」

「俺が?一文無しの上に飼われている身だぞ?」

 

面白いがセンスのない冗談に思わず吹き出した。

 

「そうか?私は割りと本気で―――――」

「――――どうした?」

 

馬を預けてから街の様子を見ながら話していた郭嘉の視線が固定され、言葉が途切れる。

話しかけても反応しないので視線の先を追う。そこには男が二、三人いるだけで変わったことはない。あえて変わったところがあるなら、全員が走った後らしく肩が上下していることか。

 

「角のある怪しい女・・・・?」

「なんだ、それ?」

「ああ・・・無視してすまない。さっきから走り回っている男たちが居て気になったから、唇から何を話してるか読んだんだ」

「読唇術か・・・・・」

 

あれ?そう言えば、俺と郭嘉は普通に話してるんだが言語ってどうなってるんだ?

ここは常識で考えないほうが良いのか?世界は女が回してる世界に迷い込んだことに比べれば小さいことだし。

 

「それで、その角のある怪しい女ってのは?」

 

変な疑念を頭から払い尋ねる。

 

「近辺で噂になっている角のある怪しい女を探してるらしい」

「角って・・・この国には普通にいるのか?」

「まさか。それこそ妖怪変化の類だが・・・・」

 

郭嘉の様子はそれだけではないことを伝えてくる。それも隠すつもりはないらしく、不快な方向性があるらしい。

 

「話したくないなら良いが」

「話したくないというよりも解せないだけだ」

「解せない?角があるってことがか?」

「いや・・・珍しさで言えば朧も同等だぞ?」

 

左様ですか。妖怪変化と同列の珍しさか。

 

「連中、“今日も楽しもうと思ったのに”と言っていた。駆逐するならまだしも、どうも下卑たものを感じるのが解せない」

「・・・・・それは普通、慰み者にしてると考えるべきじゃないのか?」

「そう思うか?だが、妖怪変化かもしれないんだぞ?」

 

そんな相手とやるのが男なのか、という風に郭嘉は首を傾げる。

よもやハイレベルの美少女と「妖怪変化相手に男はレイプを実行するものなのか」という話をするとは思いもしなかった。及川当たりなら、可愛いければOKと即答するだろうが。

 

まぁ、仮に本当にレイプしているとして、見てくれの悪い相手なら却下だろう。下品に聞こえるが勃つものも、勃たない。可能性としては二通り。見た目の美しい本物の妖怪変化か、妖怪変化のような外見を持ってしまった美しい女。

 

俺の世界にしてもほんの一昔前まで障害者は凄まじい蔑視と差別を受ける、人ではないものだった。

ケルト神話のヌァザは戦傷で片腕を失ったことで王位を追われたほどだ。五体満足ではないものはそれだけで差別を受けるのが昔の“常識”なのだ。

 

 

「つまり、場合によっては男はそういうこともあるんだな」

「勝手に納得するな。だが、女に飢えた男ならそういう相手に性欲をぶつけることはあるんじゃないか?」

「なるほどな・・・・そうなると、気になるな」

 

・・・嫌な予感がする。それも予感したは良いが、既に手遅れ同然だったりする展開の。

聞かないようにしても、説得しても無駄な類の。

 

「よし、見に行こう」

「・・・・やっぱり」

 

マー○ィーの法則、健在なり。

 

早足になって進む郭嘉に溜息をついてから着いていく。さすがに昔の人間だけあって、健脚だ。意識しないと置いていかれそうになる。

 

「見に行くこと止めるのは諦めた・・・・だが、その目的の女がどこにいるのか知らないだろう」

「見識は深いが、洞察は私のほうが上らしいな」

「はぁ?」

「男どもの動きはここに来てから見た分は把握済みだ。そこから男どもが探していない場所は大体見当をつけられる」

「・・・嘘じゃないみたいだな」

 

この程度できて当然のように郭嘉は振舞うが、尋常じゃない。瞬間記憶能力でも持っているとしか思えず、感覚で男たちの動きから場所を計算している頭の回転には恐れ入る。

 

神算鬼謀の称号を与えられた天才の名は伊達ではないということか。

それでも・・・好奇心で自分から危地に飛び込むのはどうかと思うぞ、本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、この辺なのか?」

「私を信じろ」

 

郭嘉に言われるままやってきたのは、さっきまでいた露天市場とは反対側。こっちにも露天が並んでいるが、裏路地が結構あって入り組んでいる。

 

「隠れるには絶好だが、絶好過ぎて最初に探さないか?」

「表を歩けば目立つ。角があるのならば顔は隠すのだ、そんな格好をしていればなおさら目立つのに男どもは気付かなかった。ならばここしかないな」

「一理あるが・・・」

「不満があるのか?」

 

自分の推論――郭嘉の中では確定事項―――に言葉を濁す俺をムッとして睨みつけてくる。薄々分かっていたが、郭嘉のプライドは高い。自分の考え―――策には絶対の自信を持っている。それもチョモランマよりも高いプライドだ。

 

「仮にだ・・・」

「ふむ」

「その女を見つけるとする」

「それで?」

「郭嘉の予測だと男どもより早く見つけるんだよな?」

「ああ、当然だ」

「その場合に女と会ってからどうするのか、考えてるのか?」

「・・・・・・考えているわけがないだろう」

 

来た。行き当たりばったり。

となると・・・・

 

「・・・女と会った後に――――うおっ!?」

 

狭くて清潔とは言えない路地の角を曲がろうとして、人の気配に飛び退く。

郭嘉よりも小柄な人影は物凄い速さで突っ込んできていたが、間一髪避けることに成功。いや、あれと激突したら多分、俺のほうが吹っ飛ばされてた。

 

向こうも避け損なって倒れそうになったが――――

 

「ふっ!」

「「なっ!?」」

 

人影は前のめりになりながらも、驚異的なバランス感覚で足を伸ばして踏ん張り体勢を直した。

しかし、その動きでフードのついたマントが翻り、フードで隠されていた顔が現れる。

 

「あっ・・・・・!」

 

人影は慌てた声を出すが―――フードに隠されていた顔は、絶句してしまうほど美しい。

本来なら金よりも美しい光を放つ金髪は汚れ、縮れ、虱までいそうだが、

本来なら乳白色で滑らかな手触りのはずの肌は泥塗れ、垢まみれだが、

着ている服は襤褸切れのほうがまだましと言えるほどで役目を果たしていないが、

全身から何日も身を清めていない独特の異臭を放って近寄りがたくはあるが、

 

それらを完全に無視させてしまうほど、人影―――少女は美しい。紫色の瞳が魔性のごとく、俺を惹きつけてやまない。

 

――妖怪変化

 

頭のどこかでなるほど、間違いではないと考えていた。

郭嘉とはまた違うタイプの美少女で・・・・右の額には角のように見える突起がある。

 

この子が件の女なのか。

 

 

「居たぞ!」

「こっちだ!」

 

一瞬の邂逅は、無粋で下卑た男たちの声で邪魔された。

 

「あ・・・・・見つかった・・・」

 

少女が諦念を滲ませて呟く。

三叉路の中心にいる俺たちに対して、どう図ったのか三方から男どもがやってくる。

 

「何て言うか・・・・色々予感的中だな」

「ああ、さっき何か言いかけたのはこのことか」

「そういうこと」

 

女――少女を先に見つけたとして、男どもと鉢合わせたらどうするかと聞くつもりだったが・・・それはもう不要だろう。

 

「朧」

「ん?」

「今知ったのだが」

「ああ」

「私はこういう時の男というものを金輪際好きになれそうにない」

「男としては複雑だが・・・同意見だな」

 

角――なのか微妙だが――がある美少女に、下卑た男どもが下品な面で迫っていたら仕方ないが。

大抵の男というものは、美味しい獲物の前ではこういう反応になると思う。おそらく、多分。

 

けど、人の振り見て我が振り直せというが・・・確かに生理的嫌悪がこみ上げてくるな。

 

前の一人が頭のネジが緩んでるんじゃないかという笑いを浮かべながら、

 

 

「なんだ兄ちゃんもそいつやりに来たのか?そんな別嬪の彼女がいるくせによぅ」

「・・・いつから私は彼女になったんだ?」

「ほら、そこは突っ込むな」

「つっこむぅ?つっこむのは女の穴にだろう?ひーっひひひひっひ――――!」

 

笑いが三方を囲む六人に伝播して、世にも不気味な笑い声が渦を巻く。

冗談なんだろうが、最高に笑えない。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

ほら、郭嘉なんて頬が引き攣るのを通り越して・・・・

 

 

――――ザシュッ!

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁーーーーっ!!」

「あ、手が勝手に動いた」

 

前に居た男を佩いていた剣で突き殺してる。脊髄反射の域だな。

うわー・・・・肝臓を見事にぶっ刺してるよ・・・・。

 

躊躇なく剣を抜いて相手を刺すことができる当たり、郭嘉もこの時代の人間だよな。

 

 

「さて・・・・考える間も無く、行動は決定だな」

「短慮だったかもしれないが、後悔は一片もない」

 

それはそうだろうな。害虫駆除を終えた後のような凄く良い笑顔だからな。本日快晴なり?

 

「・・・あ、あの・・・・・・」

「ふむ、気にするな。これは私らが勝手にやってるだけであって、君は一片、一欠片、一粒の責任もないことだ。私は正直言って、この腐り果てて腐りきって腐り過ぎた腐れ男を、肉片も残さず目の前から消したという、普段は押さえている本能的な働きかけによって動いているだけだ」

 

もごもごと何か言おうとする、少女に向かって放たれる言葉のガトリング。

 

「支離滅裂だなそれ」

 

やいのやいのと外野の男どもが罵声や威嚇を仕掛けてくるが・・・・郭嘉の無茶台詞のせいで頭に入ってこない。

 

 

「まぁ・・・・それ以前の展開はむちゃくちゃだが、俺らも戦わないっていう選択肢はないみたいだ」

 

ギャグみたいな展開だが肝臓を刺された男は地面に倒れてヒクヒクと痙攣を起こしている。

下品な男ではあったが、それでも命は命。何十年か生きた人生は一瞬にして消された。人の命は地球よりも重いなどという言葉さえあるほど人命が尊重される世界では信じられないほどに。

 

 

――最初の一人を殺せるか否かそれで決まります

 

武術の師匠である清十郎はそう教えてくれた。

戦闘者としての才能以上に殺人者としての才能が重要であることを。

 

全力で動けるのは短く。

内功を駆使すればもっと短い。

 

身体に欠陥があるゆえの時間制限。疲労に対しての回復力も遅く、病魔に対しても脆弱な肉体が恨めしい。そう思ったこともある。今ももっと健康な肉体であればと思うことはある。

 

清十郎―――俺にその言葉は無意味だったよ。

歯牙にかけられぬほど脆弱だったから兄たちに始末されずに済んだ。

その内勝手にくたばるだろうと。生きていても障害になりえないと。

 

そんな俺にとって、命は安く、易い。

 

殺した黄巾賊から奪った剣を二本とも抜き放つ。

 

 

「ぐたぐた言ってないで、殺される覚悟ができた奴から掛かって来いよ」

 

右の剣の鋩を男たちに向けると、可笑しさから口元に嘲りの笑みが込み上げてくる。

くだらないことに命を張る男たちへでもあり、命の軽重を問いながら戦いを挑もうとする自分へでもある。

 

その笑いがどうとられたのか、先頭の男が叫びながら手に持った短剣を振り上げる。

 

「なめんじゃねぇ!!このこぞ―――」

「動いたな」

 

左手首の捻りと左足へのウエイトシフトで、短剣を握っていた手を肘から切り落とす。

動きを止めずに反動で残った手の手首を切断。腹に蹴りを入れて倒す。

 

「ヒッ!!ヒッィィィィィ!!!!」

「お、おいっ!!?」

 

切断面から噴水のように血を吹き上げ、男は絶叫している。

 

「続きを言えよ。話せるように殺さないでいてやったのに」

「なっ!?」

「孺子って言おうとしたんだろう?続きはどうした?面白い内容だったら、生かして帰してやるよ」

「こ、こいつ・・・・・」

 

男どもの目に怯えが走る。

もう駄目だな、こいつらは。

 

「言えないのか・・・だったら――――」

 

斬撃を真一文字に走らせ、腕を失った男の首を刎ね、反す刀で横にいた男の頚動脈を抉り飛ばす。

 

「失せろ、屑が」

「くっ!」

「お、覚えてやがれぇっ!!」

 

まだ“一応”生きてる首から血を吹き出している仲間を捨てて、俺の前にいた二人がドタバタと逃げていく。

 

「ベタベタだ・・・・この時代でベタネタかよ」

 

現実に殺人をやっていて、割合シリアスな雰囲気だったはず。いや、だった。

それがベタネタで締められる・・・納得がいかん。

 

 

「剣のほうが得意か・・・しかし、見事な剣技だったな」

 

郭嘉が感心して声をかけてくる。その横には肝臓からどす黒い血を流して事切れた死体がある。対峙していたもう一人は逃げたらしい。

 

「まだ全然だがな・・・・・」

 

清十郎の教えてくれた独孤九剣はその真髄のほとんどが失われているらしい。代わりに戴天流という剣術流派で補っているとか言っていた。

 

「・・・取り敢えず、ここを離れようか。誰かに見られたら面倒だ」

「そうだな・・・ほら、君もフードを被って」

 

突然の成り行きに呆然とする少女へ手を伸ばして、フードを被せてやる。生死が日常とは言え、普通ではないやり方で人間が殺されるところを見せたのは拙かったか。

 

「郭嘉、手を引いてやってくれ」

「?・・・朧がやれば――――」

「俺、男だぞ・・・・」

「ああ、それは思い至らなかった」

 

意図を察してくれた郭嘉が強引に少女の小さな手を掴むと、一瞬だけビクッと怯えて見上げる。

まるで自分が悪者になったかのような雰囲気に郭嘉は溜息一つ。

 

「色々あるのだが、成り行きで君を助けた・・・一緒に来てくれるか?」

 

くぅっ・・・・怯えないように気を使う郭嘉が可笑しい。笑ったら睨まれるの解かってるのに、込み上げてくる笑いを止められない。

 

 

「朧・・・笑ったな」

「滅相もない」

 

血糊を払いながら、背を向けておく。我慢の限界だし。

 

 

 

 

 

 

 

 

路地から不自然ではないように出た俺たちは人ごみに紛れながら、ゆっくり歩いている。

自然、不自然を言い出すと既に俺の格好は目立っているがそこは流そう。

 

「で、どこに行くんだ?」

 

土地勘とかそういうレベルではない俺が聞くと、郭嘉は言ってなかったか?と前おいて、

 

「この街の知人が都に出仕していて、家が空いているので借りている。下人が何人かいるが、皆代々仕えてきた忠義者だ。安心しろ」

「・・・・何を安心すれば良いんだ、俺は?」

「私の父母は居ない、ということにだ」

「・・・・左様ですか」

 

こんなトンデモナイ女の親の顔を見てみたくもあったが、余計なことか。

解かったから、その含み笑いはヤメレ。

 

郭嘉の家まではそんなに時間は掛からなかったが、

 

「・・・・デカイな」

 

俺の本家の家はこの都城ぐらいの面積はあるが、借りている家にしてはデカイ。

 

「・・・奴自身のせいではないが、それだけ中央に出仕する士大夫は富を手にするというわけだ」

「かくしてその負担を強いられるのは賤民と・・・やるせないな」

「絞るにしても、絞りすぎれば出なくなる。士大夫どもはその加減を知らないのだから、莫迦としか言いようがない」

 

世の中の現実というのは押しなべてそんなものだ。

 

門前まで来ると、掃き掃除をしていた下人が郭嘉の姿を見とめてから慌てて出迎えを始める。

現代人に馴染みは薄いが、使用人にもランク付けがある。ただの下人は主人の目に留まらぬようにせかせかと働くことが儒学道徳に適っているというのがこの時代の常識なのだ。

 

「さて・・・何はともあれ、この子の身形を整えてやるべきだな」

「・・・見るだけじゃなかったのか?」

 

好奇心に誘われて見に行くだけのはずが、チンピラを殺して少女を保護する方向へ向かってるのはこれ如何に?

 

「莫迦者。優れたものは、最良の状態であるべきだ。優れた食材は、優れた包丁人に帰すべきだろう」

「莫迦って・・・・つまり、その子が美しいなら、美しい身形に整えさせてやる、と?」

「そうだ。それが、優れたものを知る者の義務だ」

 

己は芸者遊びをする富豪か。あいや、こいつは富豪も同じか。口調も微妙に変わっている気がするし。

 

「何か文句でもあるのか?」

「文句と言うか・・・本人の意思は?」

「ふっ、あると思うか?」

「ないのか・・・・・」

 

「無いな!」と言い切ってしまう眼が怖い。

女の子もササッと距離を取ろうとする。マッドな科学者と被験者の関係みたいだ。

 

逃がすものかと追いかける郭嘉と巧みな動きで距離を取り続ける女の子。

ん?待て・・・・何かおかしい。女の子はそんなに派手に動いているわけでもないのに、郭嘉は一向に女の子を捕まえられない。広くはあるが調度品の多い部屋だ。小柄な少女が素早くても逃げるには限界があるはず・・・・・。

 

まさかと思うが、郭嘉の手が届く間合いを完全に読みきってる?

華奢ではあるが、心得のある郭嘉の腕は不意打ちを不意打ちと気付かせぬ間にチンピラを刺し殺すほど。その郭嘉の動きは見ているよりも実は機敏だ。それを見切る・・・只者じゃない。

 

気配を殺して、そっと後ろに回って手を伸ばした瞬間――――

 

「――――!!」

「――――っ!?」

 

天井が真上に見える・・・って、投げられた!?

捻って着地―――嘘!?関節も極められてる!?これじゃ受身が――――

 

「ぐぺっ!!?」

 

なんかもー・・・このまま死にたくなるような呻き声をあげて俺は床に叩きつけられた。

痛いよ?痛いさ。痛いとも!

 

「あ・・・あぁ・・・・ああ・・・・・・・」

 

なんかメソッとした雰囲気が・・・・・。

 

「あぅ・・・・ぁあ・・・ひぅっ・・・・」

「いっ!?」

 

な、な、な、泣くぅっ!!!?

なんで!?どうして!?WHY!?

 

「待て待てぇっ!!頼むから泣くなっ!!」

「あうあうあうあうあうあう!!?」

「余計に泣きが入ったぁっ!?」

 

くそっ!小動物を苛めているようで、込み上げる良心の痛みのようなものがーっ!

落ち着け、俺。冷静に考えるんだ。こういう時にこそ冷静にしろというのが清十郎の教えだ。

 

後ろに男が立ったから投げた、というのは納得できる。微妙だが。ちょっと落ち込んできた。

けれども、あの動き。投げの動作が一切解からなかった。油断はあったが、それで見逃すほど甘くない。

 

これは疑う余地なく、この子が俺ほど――自惚れ抜き―――の使い手を投げ飛ばした挙句に、脱出不能な上に受身も不可能なトンデモナイ投げ技をかけたということだ。何故できるかはどうでもいい。できるものはできるんだ。暴漢に襲われてもこれを使って抵抗しなかったのは引っ掛かるが。

 

で、何で泣きそう、というか泣いているのか。

成り行きから考えて・・・・・

 

「投げたことを済まなく思ってるでいいのではないか?」

「あ、そう。どうも結論ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

 

小さなお世話というか、何と言うか。

 

 

「あ・・・・あの・・あの・・・」

 

まだ「あうあう」状態の女の子に膝をついて目線を合わせる。

こういうのは苦手なんだが・・・・。

 

「多少痛くはあったが、取り敢えず大丈夫だ。別に取って食うつもりはないし、腐れ暴漢みたいな真似もしないから、とにかく話を聞いてくれるか?」

「・・・・・(コクン)」

 

よし。突破口の構築に成功。

 

「色々あったんだが、俺たちは君を成り行きで保護することになった。あそこにいる唯我独尊だが根は多分良い人だと思う女がそうすると決めたから」

「誰が唯我独尊だ!」

 

はいはい、スルー。

 

「口に出しては絶対に言わないだろうけど、あの人なりに君へ気を使ってる。そのままの格好でいさせることは、矜持に関わるらしい。だから、身体を洗って、用意するから服も着替えてくれる?」

「で、でも・・・私、何もないです・・・」

「気にすることはない。むしろ、何か代価を払うとか言いだしたら怒るな」

 

振り返るまでもなくウムウムと家主様が肯く気配。

女の子のほうはまだ納得しきれてない・・・じゃないな。単純に急展開についてきてない。

 

「まぁ、悪いようにはしないから・・・・」

 

多分。後ろのお姉さんはちょっとヤバイけど、流石に同性愛者じゃないだろう。

 

「それでだ・・・俺の名前は朧。姓が長いから、朧って呼んでくれ」

「そそそそそそ・・・・そんな、畏れ多い!?」

「・・・・・畏れ多い?」

「私みたいなのが、真名で呼ばせてもらうなんて・・・・!」

 

本人主観ではかなりマジに言ってるんだろうが、ようやく標準。

 

「真名?」

 

どこぞのガンスリンガー・・・じゃないよな?

 

「真名というのは・・・相手を真に認めて呼ぶことを許す、親愛の名だ。ゆえに、濫りに呼ばせてならない・・・というのが建前だ。実際は簡単に呼ばせてる者もいるが」

「愛称みたいなものか・・・・まぁ、俺はその手のものがないからな。気にするな、俺が許す。存分に呼べ」

「あ・・・は・・・はい・・・お、朧様・・・・」

「・・・・なんで様付け?」

 

いかん・・・色々ツボに入った。

 

「・・・ああ、もう・・朧君でも、朧ちゃんでも朧様でも良いから。あそこの今にも笑い転げそうな魔女に着いていって、身奇麗にしてもらってきてくれるか?」

「あの、でも・・・・」

「はいはい、郭嘉―――一名様ご案内」

「ふふっ、了解した。さて、逝こうか?」

「えっ?えぇっ!?」

 

今にもスキップしそうな可笑しなテンションで、女の子の手を引っ張って郭嘉は部屋を出て行った。

遠慮を聞いていたら切りがないので、無理矢理だったがこれぐらいで良いだろう。

 

しかし、俺って何だかんだと言いつつ郭嘉と昔からの付き合いみたいなノリだが、大丈夫なのか?





恋姫のSS〜。
美姫 「行き成りこんな事態に巻き込まれたというのに、朧は予想以上に落ち着いているわね」
確かにな。しかし、これからどうなっていくんだろう。
既に恋姫とは違う展開だし。
美姫 「気になる次回はこの後、すぐ!」
ではでは。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る


inserted by FC2 system