「おうっ!?」

 

突き上げられるような衝撃に万葉は心地よいをまどろみから世知辛い現実へ引き戻される。

 

「起きたの?」

「おう?なんだ、万葉は寝てたのか?」

「呆れた………立ったまま寝てるから、わざとかと思ったら天然なんて。そんな粗末なコントネタは要らないわ」

「これは、褒められてるの?いや、そんなはずがない」

 

お得意の一人反語表現でやりとりを締める。万葉は口元に触れて情けなさの象徴である口から唾液を書いて涎なる代物が垂れていないかを確認する。幸いなことに無様な体液の漏出はなかった。

 

「それで、今はどの辺りまで来たの?」

「………前を見なさい、前を」

 

長い付き合いであるオルテガに言われた通り、リニアトレインの分厚いガラス越しに見える景色へ目を向ける。ほほぅ、と感嘆の言葉が万葉の口から零れる。こちらへ来るまで過ごした北欧にあるフィンランド湾とはまた趣の異なる一面の海は、キラキラと太陽の光を反射して白く輝いていた。

海上に出ているということは目的地まで大分近くなっている。もう少しで終点のアナウンスが流れるだろう。

 

「飛び込んでみる?」

「いやいやいやいや!なんでさ!?」

「青春、したいんでしょう」

「それとこれとどういう関係があるのさ!?」

「単に、それっぽいと思っただけだから、特に根拠があったわけではないわ」

「ひ、酷い………」

 

そもそも、高速で走っているリニアトレインから飛び降りて海面に叩きつけられた、ただの怪我だけではすまない。本気で言っているわけではないにしても、そんな発想が出てくることに涙が出そうだ。万葉はハンカチを取り出して小芝居をするが、あっさりと無視される。

 

「しかし、この国の言葉は読み辛いし、喋り辛いわね、ホント」

「………それだけ喋れてれば十分だって。発音なんてネイティヴですら怪しいのが言語界の常識だよ」

 

万葉とオルテガが話しているのは十数時間も飛行機に乗せられて到着したここ、日本の公用語である日本語だった。?瑰 万葉という日本人名の通り、第一言語が日本語である万葉は久しぶりで大分錆びついていても不自由はない。一方で、ブルネットが示すようにコーカソイドであるオルテガは日本語に関わることなどこれまで絶無であるため、猛勉強した今でも看板の文字を読むのも一苦労だったりする。

 

「よくこの短期間で日本語をそこまでできたよね。ヒオンも褒めたたし」

「………ヒオンは、明らかに私が苦労することが解ってて、楽しんでたのがムカついたわ」

「あははははー、それで莫迦にされまいと必死になって勉強することまでお見通しなのが更に腹立たしいよね、あの人は」

「思い出しただけで殺意が湧いてくるわ」

 

細く長い華奢な指を握り込み、殺意で眼をギラつかせる。仕組んだ張本人である保護者の高笑いが、脳内でドップラーする。

日本行きが決まってからの三カ月間で万葉はオルテガへ日本語を仕込むという難易度の高いミッションを与えられていたが、それを達成できたのもオルテガが優秀なのであって教え方が良かったわけではない。

 

「ラーニングがここまで通用しない言語なんて他にないんじゃないの?」

「まあ……同音異義語がこれだけあればね。それが日本語の良さでもあるんだけど」

「あら、貴方にも郷土愛なんてあったのね」

 

本当に意外そうに驚いているオルテガに、万葉はどう言ったものかと苦笑いを浮かべる。

 

「心躍るってこともないのが残念だけど、少なくとも嫌いじゃないよ。一時的に滞在することはあっても、こうして来ることなんて二度とないと思ってたし」

 

リニアトレインの小さな揺れに紛れて万葉の横顔を覗く。数年ぶりの故国の土を踏んだことに、感慨があまり無いというのは本当らしい。

 

「そういうもの?」

「万葉にとってはね。ほら、この国ってナショナリズムが妙に薄いし。その辺の分別ができる頃には居なかったしでね。覚えてるような良い思い出も、精々女の子絡みだしで………」

「………聞いておいて何だけど、とっても残念な気持ちになるわね」

 

良くも悪くも保護者的立場の人間の影響を受け過ぎだと、自分の与えた影響をオルテガは棚上げにする。その考えを読み取ったのか万葉はクスクスと忍び笑いを漏らす。だからそういうところがと思うも、立て板に水だろう。自分と違い、万葉は保護者的立場の人間のことを言葉遊びに使いはしても尊敬しているのだから。

 

「趣味、悪いわよね」

「え、いきなりなにさ?」

「なんでもない………こともないかもしれないわ」

「どっちさ!」

 

とっても自分の根幹に関わる部分に悪意を向けられた気がする万葉は眉根を寄せる。

 

「まあ、いいでしょう。こうして莫迦なことを言ってられなくなるかもしれないわよ?」

「そうかな?万葉はできると思うけど」

「その楽観の理由は何か教えてほしいぐらいだわ」

「こういう時は、深く考え過ぎない方が良い結果が出るってこと。それに万葉は、ヒオンやオルテガと違ってそんなに賢くないから」

「………真っ当なことを言いそうだと思った私が間違ってたわ」

 

目の前ののほほんとした相方が、頭にドのつく天然を標準装備していることをこうして忘れるのは一種の病気かもしれないと本気で考えてしまう。オルテガとしては、それが万葉の雰囲気に感化されたものだとはあまり認めたくなかった。

普段はド天然のくせに、本質的には筋金入りのドS人間なので後で碌なことにならないのが目に見えている。普通に学生していて、こいつとクラスメイトになったりしたら平穏な学生生活なんて到底望めないだろうと、本人が聞けば怒って否定しそうなことをオルテガは既定事項だと思っている。

リニアトレインの車内放送が終点を告げる。その学生生活―――もどきをやらされることになる。

 

「降りるわよ」

「了解」

 

生半可な重量ではないボストンバックを肩にかけて、安全扉まで開いた降り口からホームのコンクリートへ足をつける。春先でも、日本特有の湿度が肌に張り付く。空港からリニアトレインを乗り継ぐ時にも感じたが、オルテガはこの国の気候を好きになれそうになかった。日本語も、気候も好きになれそうにないが、明日のご飯がかかっている。8割ぐらい本気で。

がやがやと“うるさい”ではなく“姦しい”話し声がBGMとなるのは、リニアトレインの車中でも変らなかったが、ホームに降りると不思議と更に大きく聞こえた。

 

「ホント、女の子ばっかりだねぇ」

 

万葉の呟きだけが異質に聞こえる。

ここは日本国の離島にリニアトレインで交通手段を設けられた、国立IS学園。

世界の常識を一つひっくり返した機動兵器『IS』について専門教育を施す世界で唯一の学校だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、それでかつ丼って自腹で頼めるんですか?」

「頼めません!!」

「あはははー」

 

小動物みたいと生徒の間で専らの噂である山田麻耶は、精一杯の威厳を持って注意するが万葉はさっぱり堪えた様子もなく、軽く笑っていた。本能的にこの子との相性は最悪の一歩手前だと嘆く。

学園の体裁を持つIS学園にも存在する生徒指導室。実にテンプレートな備品群の中心で、折り畳みテーブルと、折り畳み椅子のセットに座るのは麻耶と万葉の二人だけだった。

 

「そもそも、あなたはどうして自分がここに居るか理解してますか?」

「………万葉の声が、思いの外低かったから?」

「人をおちょくらないでください!!」

 

普段は眼鏡の似合う優しい先生である麻耶でも、常識外れの事態が起こった直後で冷静さを欠いてしまい、不本意ながら口調が荒くなってしまっていた。可哀想な話だが、生徒を叱った後に叱ってしまったことで落ち込んでしまうほど気の優しい女性である。言っては落ち込むことを繰り返してした。

 

「ごめんなさい、先生があんまり可愛いからついつい」

「かわっ………んん!そんなことを言っても誤魔化されませんよ?」

「誤魔化してなんていませんよ。万葉は先生のことを、可愛いってホントに思ってるんですから」

 

こうも面と向かって言われると気恥ずかしくてならない。お世辞だと思っているのに顔が熱くなる麻耶は、圧倒的に男性経験が足りていなかった。

 

「もう、いいですか………もう一度確認しますよ。ちゃんと答えてくださいね?」

「はい」

 

返事だけは、惚れ惚れする。返事だけは。

 

「名前は?」

「?瑰 万葉です」

「生年月日は?」

「2034年6月19日の双子座」

「………現在の貴方の立場は?」

 

星座の付け足しには絶対に突っ込みたくなかった。

 

「スウェーデンのIS国家代表候補生です」

「最後の質問です。あなたの性別は?」

「男性です」

「………もう一度聞きます。あなたの性別は?」

「男性です」

「あう………やっぱり」

 

何度聞いても答えは変わらない。質問の内容から解かる通りに、麻耶は名前や生年月日、立場、勿論星座を気にしているわけでもなく、ここに呼んだ理由にもなっていない。心の中で先輩であり、正担任である織斑千冬の名前を呼んで助けを求める。と、本当に聞こえたわけではないが、織斑千冬その人が入ってきた。

ノック無しの入室が普段からクールビューティーで知られる彼女の焦りを示していたが、入室してきた彼女の同性ですら見惚れる美貌には焦りの翳は見せなかった。

 

「織斑先生………」

「事情は他の先生から聞きましたが、本当なんですか?」

 

その問い掛けに麻耶は無言で頷いて、万葉へ目線を向ける。

学園を創立以来の阿鼻叫喚に現在進行形で叩き落としている相手だけに千冬の眼付も厳しくなる。当の本人は、口に出してこっちの先生もすっごい美人だとかほざいている。思わず麻耶を見ると、そういう生徒なんですと涙目になりながら訴えてくる。

いつもやっている鉄拳制裁を控えていたが、そう遠くないタイミングで発揮することになると一人で納得する。だが、千冬には生徒指導の一環として性根を文字通り叩き直すよりも先に、IS学園のクラスを預かる者として、ISについて熟知する者としてやるべきことがある。

 

「さて、私は山田先生ほど甘くやるつもりはないぞ、?瑰 万葉」

「………ごめんなさい、織斑先生。万葉は、先生達から何を望まれているのか理解できていません」

「理解できていないで済まされる問題ではない。君が荷担していることは、国際問題になる重大な条約違反だぞ。それを知らない、理解できないと口にして逃れようとは甘いな」

「そこまで言われることですか?多寡が、万葉の性別が男性だっただけでしょうに」

「それが問題だ!!」

 

麻耶など及びもつかない剣幕に、直接万葉に落とすわけにいかなかった拳を折り畳みテーブルに叩きつける。衝撃に机上の書類が跳ねあがって、舞い落ちる。それを見て感心して喜ぶ様に千冬は更に怒りを煽られるが、それを呑み込むぐらいには大人だった。

どこで決定打を出す必要がある。立て板に水でも、話を進めて落とし所を見出すためには板に大穴を空けることを辞さないつもりである。

 

「女性にしか扱えないはずのISに、男性が適合した。それだけの話じゃないですか」

 

しかし、先に斬り込んだのは話を逸らし続ける側の万葉になっていた。思わぬ返しに千冬は僅かに動揺するが、この程度では崩れない。

 

「有り得ないな、それは。これまでどれだけのテストを重ねても、男に一切反応しなかったんだ。そんな偶然がある訳がない」

 

本来は宇宙空間におけるマルチフォームスーツを起源とし、一人の天才科学者が開発したIS。

画期的な技術が盛り込まれ百年先の超兵器とまで謳われるそれには、女性にしか動かせないという最大の特徴があった。原因は不明だが、男性では基本にして中枢を収めたISコアは一切反応しないのだ。

ISが開発され、その有効性が既存の主力兵器を遥かに凌駕し、小国の軍隊をもたった一機で対抗できるほどであると解かってからは、男性でも扱えないかの研究が熱心に行われたが、ついぞ実を結ぶことはなかった。それ以後、ISという力を背景に男性は社会的地位を失墜させ、女尊男卑が新たな社会秩序となっているほどだ。

ISの有用性を認めさせることになった白騎士事件の当事者であり、その後も関わり続けて今に至る千冬はそのことを誰よりも熟知していた。

 

「ああ、まさか、万葉を潜入させるための小芝居なんて思われるわけですか?」

 

極自然に千冬と麻耶、学園関係者が辿りついた答えを万葉は言葉にした。

鼻先で笑うような真似こそしないが、現実を受けいれましょうと言いかねない様子に、疑念が湧きあがる。

 

「スウェーデン政府には、現在照会中だ。こんな露骨なスパイ活動を行った意図はまだ不明だが、その辺は貴様から聞きだせば済む話だ」

「万葉はスウェーデンでちゃんとISを起動させることができたから、ここへの入学が認められる………って言っても信じてもらえないみたいですね」

 

大仰に肩を竦める万葉は不遜にも椅子に凭れかかる。

万葉に言わせれば馬鹿馬鹿しい展開だ。まるで現実を受け入れない麻耶や千冬の様子は失笑もので、それを実際にやれば激怒させることが分かっているので自嘲している。喋り方はふざけているようでも、候補生に選抜されるだけあり、頭の回転は一応速かった。

そんなことをしてもスウェーデン政府には何のメリットもない。最強の兵器であるISは、結局のところサミットを開く主要国が逸早くパワーゲームで抑えてしまい、その他の国には配分されていない不公平な状況だった。これをようやく他の国々にも行き渡るようになったのは最近のことであり、スウェーデンもこうして代表候補生を送り込めるようになった。

 

「スパイをしたければ、ちゃんと女の子を放り込めば良いじゃないですか。わざわざすぐにバレるような男の万葉を送り込んで何がしたいんですかね、政府は。先生もその点を承知の上で、万葉をとっちめているわけですけど」

 

麻耶とも散々繰り返された問答に万葉はほとほと疲れていた。

男性がISを扱えることは再び世界のルールをひっくり返してしまう恐れがあるのは解かるが、それを頭ごなしに否定して無かったことにしようとする姿勢はいただけない。だからと言って、能動的に解決を図ろうとしないところが良くも悪くも?瑰 万葉という人間だった。

 

「………分かった。仮に、貴様の言う通りだとして、本当に貴様はISを動かせるのか?」

「えーと、生徒の呼び方は“貴様”固定なんですか?………いえ、まあ、モンド・クロッソの優勝者から見れば稚拙でしょうが、本来の使用目的には十分使えますよ」

 

余計なことを言うなと一睨みされた。睨んでくる相手がとんでもない美女なだけあって凄絶さが小娘と桁違いで、頬を引き攣らせて答える。急速に外野になりつつあるがそのことに安堵して余裕が生まれていた麻耶かれ見れば頬こそ引き攣っているが、睨んでくる顔も美人だなーとか考えているのが丸分かりである。千冬の言うように本当にISが動かせて入学を認められた場合、絶対風紀を乱すだろう。

 

「本来の使用目的だと?」

「え?だって、アレは元々宇宙空間で作業するためのマルチフォームスーツでしょ?」

「………」

 

万葉はさも当たり前に“間違った答え”を言った。その様子に悪意はない。悪意はないが、わざとでもあった。千冬自身、脳裏によく知った開発者の顔を思い浮かべて舌打ちと共に打ち消しながら、棘を刺されたような気持ちになる。

この少年はただの嫌がらせじみたい思惑以上に、何か起爆剤になる存在ではないか。千冬の脳裏にそう掠める。

 

「織斑先生」

 

ノックの音がして、別の教師が千冬を手招きする。万葉から視線を外すのはなんとなく嫌だったが、このままでいるわけにはいかず、仕方なく席を外して部屋を出る。

 

「学園長からスウェーデン政府へ抗議を送り、その回答が来ました」

「それで向こうは何と?」

「正確には、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークの四カ国連名での回答です」

「四カ国?連名?」

 

何かの手違いの類ではないかと考えたくなるが、それは連絡しに来た教師も同じようで何度も確認したことが窺える。男性である?瑰 万葉の入学については一国に留まらない思惑が働いていることになる。

 

「私の口から言うよりは、こちらを見ていただいた方が速いと思います」

 

言って、プリントアウトされた紙束を渡される。

丁寧に日本語に翻訳されていたおかげで斜め読みできる。日本語、英語、ドイツ語を話せる千冬でもスウェーデン語やフィンランド語は読めない。

外交文書の書式をとっているせいで無駄に長文となっているが、読み進めている内に千冬の表情が険しさを増して行く。

 

「スウェーデンは我々に喧嘩を売りつけたいのか?」

「微妙なところだと思います。確かに、先方の言う通り、審査や書類に不正や改竄が無いにも関わらず一方的に混乱しているのはこちらですから」

 

IS学園の入学規定―――国際条約で補強されている――には、スウェーデン政府が主張するようにIS操縦者が男性であっても入学を拒否することは盛り込まれていない。これがメカニックのような支援の学科であれば別だが、種々の理由で男性は出願もしなければ採用もしていない。

つまり、これまでに絶無だった男性の適合者が存在して、入学することは禁止できないことになる。前例のない事態に事前の連絡がぐらい入れておくのが礼儀だろうと嫌味を言うぐらいが関の山になってしまう。

 

「どうしても疑うのであれば、ISの起動と操縦をさせてみろということは相当自信があるというのが、学園長の考えです」

「テストの許可はとれたの?事態が事態だけに、下手に他の生徒達には見せられないぞ」

「はい………新年度早々に頭の痛い問題ですね」

「言わないでくれ」

 

日本にあるだけあって、日本式の教育システムがとられているIS学園の新学期はどこか浮ついた雰囲気があるはずで、それを引き締めるために厳しくなりがちだが、どんな生徒が来るのか楽しみにするのが教師だ。それを初日の、しかも照れや羞恥心、スパイス程度の嫌な思惑が入り混じった自己紹介のホームルームでぶち壊しにされたのだから、堪らない。別件でホームルームに出られなかった千冬に代わりをしていて、その場面の直撃を受けた麻耶には同情する。

千冬は今日は早めに仕事を切り上げて、弟の顔を見に行く予定だったがそうもいかなくなってしまったことに肩を落とす。

 

「仕方ない………やるしかないだろう」

「準備は進めておきます」

「頼む」

 

千冬は踵を返すと部屋に戻る。

 

「あ、お帰りなさい」

 

ボディチェックで私物を取り上げられているはずの万葉は、どこに隠し持っていたのかトランプをシャッフルしていた。どこから注意すべきなのか判断に迷うが、あまりに図太い神経に脱帽しそうだ。生徒へも鉄拳制裁を辞さない千冬にここまで舐めた態度をとれるだけでも周囲から見れば大物だった。

 

「スウェーデン政府からは、貴様がISの適合者だとの回答しかなかった」

「まぁ、それ以外言わないでしょうね、普通」

「だから、我々も一番はっきりと白黒をつけられる方法をとることにした。これは先方も了解している。ついて来い」

 

身の潔白を示すためにISを起動させてみろ。

部屋に戻った千冬の第一声はそれだった。ようやく本国とのやり取りに一先ずの折り合いをつけようとする姿勢を打ち出してくれたことに、胸を撫で下ろす万葉。触れたら電流でも流れてきそうなほどピリピリしている教師陣を尻目に、指定された演習場までスキップしそうな軽やかさだった。

指定された演習場は人払いされた開閉式ドーム。機密を優先するために天井を設けているが、かなりの高さがあるため全力での戦闘でもしない限りは障害にはならない。

 

「万葉は嘘つきじゃないから」

 

少年は宣言の通りに待機状態となっていたISを起動させた。

陶磁器のような滑らかな装甲を一点の曇りも無く彩る白磁色をベースにしたペイント。縁取りと線取りは真紅と濡羽色でアクセントを入れてあって、どことなくIS学園の制服に似ていた。

千冬が渡そうとした学園の訓練用ISである『打鉄』を断り、スウェーデンが自作したIS。国外で初披露されたであろう新型であることが、男性の適合者の登場の衝撃に追い討ちをかけていた。

 

「まさか………スウェーデンは本当に男性の適合者を見つけたのか!?」

 

想像以上にマズイ事態が起こっていることに千冬のみならず、様子を見に来ていた学園関係者は色めき立つ。女性しか扱えないことが前提であったISが男性でも扱えることが実証されてしまえば、日陰に追いやられた男性達がまたぞろ息を吹き返す。

かと言って彼の存在はホームルームで知れ渡っている。ISの適合者である以上は建前上通学を認めないわけにはいかない。理由をでっち上げて入学を取り消すこともできるが、現在のところ唯一の男性適合者を掌中から逃すようなことを各国は認めないだろう。

畢竟、IS学園で預かることになる。学園長を始めとした学校運営の上層部のみならず、一介の教師達でも繰り広げられるだろう暗闘に悩まされ続けることになるのは明白だった。

 

「いっそ、ここで始末してしまえば………」

「お、織斑先生!?」

「いや、すまない。単なる思い付きだ。忘れてくれ」

 

ピリピリし過ぎの思考は剣呑だった。

 

「織斑先生、副担任辞めたくなってきました………」

「ホントに済まないが、多分私と最後まで一蓮托生だと思ってくれ」

「うえ〜ん………解かってましたけど、実際に言われると尚更ショックです………」

 

マジ泣きしそうな麻耶に、どちらかと言えば責任のない側の千冬でも良心が痛む。何せ更なる追い討ちをかけるのだから。

 

「おそらく、今日はこれから彼の処遇を決める会議が開かれると思う」

「………それって、家に帰れない系の会議ですよね」

 

無言の頷きにがっくりと肩を落として項垂れてしまった。仏具の鈴がチーンと鳴ったような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

「そういうわけで、今頃学園の偉い人達は額を突き合わせて悪事―――もとい、如何に無難な選択をするかの相談中よ」

《あははははは!なるほどね。それは彼らも大変だ。私がそこに居たらぜひとも夜食を差し入れたところだよ》

 

嗚呼、こいつやっぱり駄目だ。通信相手であるヒオンの呑気な言葉にオルテガは内心で諦めを入れておく。これで何度目とかも含めて。場所はIS学園の敷地内―――島が丸っと全部学園の敷地なのでイコールで結べる―――にある学生寮。

色々とお国の事情で部屋割が決まっているが、基本的には二人一部屋というオーソドックスな寮だが、国を背負って立つエリートに宛がう部屋だけあって、軍隊のタコ部屋のような「三不」が一切見当たらない、広い、綺麗、使い易い、の三拍子揃った良い部屋である。ちなみに、オルテガの同居人は万葉なのだが、会議の行方でおそらくは別室にされるだろう。

 

「こうなることなんて、万葉が男だって時点で莫迦でも解かりそうなものだけど、ホームルームまで引っ張ったのは単に慌てふためく連中を見たかっただけでしょうに」

 

そういうのを性質が悪いと言うんだ。

 

《まあね。私の人生って人に振り回された帳尻合わせに奔走してきたから、他の人にもその気分を味わって欲しいと思うのは人情じゃないかな?》

「人情というよりは、非情よ。それは」

《天才なんてものはいつだってそんなものさ。篠ノ之束だって、目的への布石は打ってもそれがどう転ぶかで楽しんでるぐらいだから》

 

IS――正確にはその中枢ブラックボックスであるISコアを世界で唯一製造できる天才科学者・篠ノ之束。世界がどうなるかよりも己の利潤を追求するために白騎士事件を仕組み、大国へ大金でISコアを売りつけた、今の世界情勢の元凶。

 

「天才イコール性格破綻者の図式を完成させたいなら、ぜひとも別の宇宙でやって欲しいわね」

《ああ、それは現在進行形でやってるよ。同じようなことを別の人間から言われてね。だったらと思ってこの宇宙でやってるわけさ》

「ゴミは自分で始末してちょうだいよ」

 

何て傍迷惑。イケメンはレイプしても許される的な超絶美形だけに始末が悪い。

 

《まあ、そう言わないでくれたまえよ、オルテガ。私は少なくとも彼女よりは真っ当だよ。一応組織も背負っている身だしね》

「その組織の駒である私が言うのも何だけど、どこまでも胡散臭いわよね、ヒオンって」

《あはははは!日頃の行いは大事だね、こういう時。色々と私も動くつもりでいるが、それが君や万葉を蔑ろにしての行動ではないことは誓って言えるよ》

 

誓うと言いつつ口調も変えず、信憑性が実に薄かった。

相手が凹まない嫌味は言っている方が疲れてくる。そろそろ話を切り替えるつもりだったオルテガは、添付ファイルの送信に気付く。

 

「これ、何?」

《現状のレポートだよ。私達も一枚岩ではないからね………君達なら乗り越えられると信じているよ》

「勝手に判断されても困るわよ。第一、そういう期待って大方碌でもないものだし」

《そう言わないで。当初の命令通り、君らはIS学園を良い方向に牽引するように動いてくれれば十分さ》

 

その間の降りかかる火の粉を自力で振り払えてという時点で“だけ”じゃないだろう。

だが、軽薄で変態なヒオンという男は、超人なのだ。“天才”というのは文字通り“天賦の才能を持った”という意味だが、ただそれだけだ。開花させ、十全にしていない才能は本物ではない。それを成した者こそが“超人”だと教えたのは他ならないヒオン自身である。

その“超人”が自分達を任務に当てたということは成し得ることができると見切ったからに他ならない。期待に応えるぐらいはやってもいいだろう。

 

「ただいまー!」

《おや、万葉が戻ったようだね》

「そうね。リンクさせる?」

《激励の一言でもかけてあげたいからね》

 

ヒオンから激励を貰えば万葉は喜ぶだろう。

 

「おかえりなさい」

 

言いながらオルテガはこめかみを中指で軽く二度ほどノックする仕草をする。その合図で察した万葉は、制服の上着を脱ぎながら会話に加わる。

 

「あ、ヒオンだ」

《やあ、予想通りに災難だったようで》

「あはははは!仕組んだ張本人が何をほざきやがりますか」

《………君ら揃って同じような反応しか返さないのはどうかと思うよ》

「「自業自得」」

《最近被保護者が冷たい………》

 

中性的でちょっと手を加えれば女子に見えるようにできる万葉を、女しか居ないIS学園に放り込むあたり悪意に満ち満ちているのだが、こいつは認めようとしやがらない。この男にとって“この程度”悪意の内にも入らないとでも言うつもりかもしれない。

 

《よし、立ち直り完了………それで、初日の感想はどうだい?》

「無駄に立ち直り早いなぁ………うん、織斑千冬は実物の方が美人だった」

《あー………それは良いことだ》

 

それで良いのか保護者。良いんだよ。

アイコンタクトで交わされた内容を万葉は知らない。

 

「それに他にも可愛い子が一杯居た!」

《うーん………素晴らしいことだね》

 

それは駄目だろう。やっぱり駄目だよね。

アイコンタクトで交わされた内容を、やっぱり万葉は知らない。

小躍りしそうなほど浮かれているが、さっきまでこってり絞られてきたのに元気が有り余っていた。

 

「ISのテストは?」

「バッチリやってきた。いやー、珍しいを通り越してみんな頭を抱えてたよ」

 

どこをどうやれば嬉しそうな人間が頭を抱えるのか分からないが、万葉的ニュアンスはそっちだった。

 

「アフターフォローは期待していいのかしら?」

《それなりにね。流石は轡木理事長と褒めるべきところだ》

 

黒も黒。ブラックホール並に真っ黒な暗闘に、これも腹の黒さは宇宙一を自分で豪語するヒオンは極悪な笑みを朗らかに浮かべる。被保護者達は黒い、黒いと囃したてて、言われた本人もノリノリな謎のノリになっていた。

 

《後ろ暗い話は私の領分だ。オルテガもそうだが、万葉も学園生活を全力で楽しみなさい。私としては万葉が女の子の一人や二人や三人や四人………十人ぐらい引っ掛けてくれるのも期待してる》

「おうさ!」

「折角ちょっと良い話になりそうだったのに………」

 

この男はシリアスを五秒以上できないかと疑いたくなる。こっち来る前はここまで軽くなかったはずだが、もしかするとヒオンでも投じた一石に昂っているのかもしれない。それすらも装っている可能性はあるが、考えると泥沼になりそうでやめた。深く付き合うと面倒な相手の典型だ。

 

「その“全力”の中には、“貴方が作ったIS”で有象無象を潰してまわることもアリなの?」

 

そう、最悪の場合は人類最強のISの使い手である織斑千冬を潰してしまっていいのか。女の話で莫迦に盛り上がっているところに、話を引きもどすネタとして爆弾を放り込んでみた。

結果は不発。ヒオンはその程度のことと言うように、是と頷いた。

 

《構わんよ。ここで出来る者ならやってみろと言うと、ちょっとラスボスっぽいんだろうが。生憎と私の望みは世界を引っかき回す小悪党程度でな。まあ、強いて条件をつけるならやる時はいっそのこと派手に仰々しくやってほしいものだ》

「その方があなたの望みに沿うと?」

「腹黒い会話だ………」

 

失礼な。オルテガは自分が用意していた食材を使って備え付けのシステムキッチンで調理を始めているヒオンの背中を睨みつける。ガチ睨みに比べればアマガミ程度の睨みだったが、それが逆にくすぐったいようで背筋を震わせていた。ざまあみろ。

 

《ま、当座の目標は―――篠ノ之束に脚本家だけではなく、俳優も兼業してもらうことだ。そんなに気張らなくてもいいよ。言ったように、同年代の女の子と楽しく学生生活やってもいいし》

「………」

《そこまで露骨に嫌そうな顔しなくても………オルテガから言えば、甘ったれの糞ガキの集まりだろうけど、ただ嫌うだけじゃ人間の伸びシロが無くなるぞ?》

 

まるで大きなゴキブリを踏んでしまった時のような嫌そうな顔のテンプレートで嫌がる。

諸事情があって女尊男卑の社会秩序を蛇蝎の如く嫌い、その秩序に頭の天辺まで浸っているIS操縦者を憎んでさえいるオルテガにとって、あまり居心地が良くない。ホームルームでの自己紹介も友好的な雰囲気は無かったほどだ。それは国の事情で他にもいたので特に目立っていないが、立脚点が違うのでいずれ火種になるだろう。

保護者的立場にあるヒオンは無理に矯正するつもりはない。いや、矯正さえ要らない。ただ一言、完璧に溶け込んで学生生活を満喫しろと命令すれば、彼女は言われた通りに完璧なまでにクラスに馴染み、他愛のない世間話にも加わるだろう。嫌な話だが、そういう風に教育したのはヒオン本人なのだから。

ただ、そうしてしまった張本人はそれでは面白くないと思ってしまっている。

 

「私は、貴方のご機嫌をとるための道具じゃないんだから、放っておいて欲しいわ」

 

こちらも自分の性格をきっちり把握しているオルテガは、余計な御節介をしかも本人ではなく自分のために焼くなと迷惑そうにする。

頭の良い子なんだがとヒオンは苦笑する。からかいが含まれていないその態度にオルテガは怪訝な表情になる。何でもないと言っても額面通りに受け取ってもらえないだろう。きっと、この子は自分が嫌われ役であれば、相対的に万葉が良い子に見えると思っているのだろうが、それで須らく問題が解決するわけでもないことこそ、自覚すべきだ。

 

《それが君の意志なら、私は尊重するさ》

「ぬけぬけと………」

《いやいや、そこまで言われると私にどうして欲しいのさってなるんだけど………言い出すと延々終わりそうにないからやめにしようか》

「ん?もう終わり?」

「………せめて、こっちが呼ぶまで黙ってなさいよ」

 

中途半端にしか空気を読まなかった弟分に、オルテガは盛大な溜息を吐いた。それ見たことか、ヒオンが笑っているじゃないか。

 

《そちらは君らに任せるよ。もしも、相談事があるようであれば恋愛でも、友達でも、授業のことでも相談してい―――》

「通信終了」

「わお」

 

これ以上息抜きがわりに遊ばれてたまるものかとオルテガは一方的に通信を切り、万葉は歓声を上げる。

 

「万葉、あんな穢れた大人になっては駄目よ?」

「ん、解かった」

 

敬慕と尊敬は、日本語で字面は似ているが、似て非なるものなのだ。

それを教えた張本人は鼻歌交じりに、日本に慣れてもらうためにここ二カ月ばかり毎日オルテガに食べさせていたソイスープ―――味噌汁の味見をして、出来栄えに満足していた。これがエロいお姉さんとかなら、裸エプロンさせてみたいとか思うが、残念ながらオルテガにそちらの趣味はなかった。

 

 

 

 

 

翌朝、早起きして万葉が作った白米、塩鮭、味噌汁、味海苔、出汁巻き玉子のテンプレート過ぎて絶滅した日本の朝食を食べ終わった頃、二人の部屋を山田麻耶が訪れた。

 

「なんだか………新婚夫婦の部屋みたい」

「その発現は教師的に果てしなく駄目じゃないの?」

「そこはほら、姉弟ぐらいで手を打って」

 

生徒からダブルツッコミが入りました。

しかも、無駄に切れ味が鋭い。

 

「片づけはやるから」

「任せた………それで、先生は何の御用で?新入生が遅刻しないかの見回りですか?」

 

コックを落として洗い場で使った食器を洗う万葉を背景に、きっかりと制服を着ているオルテガが応対する。

 

「気持ち的にはその方がよほど良かったのだけれど………」

「同情はしますが、それこそ教師的に口にしちゃ駄目ですよ、先生」

 

生徒の同情がここまで心に染みたことのない麻耶は今にも感激して泣きそうになる。実に面倒臭い大人だな、と言葉とは裏腹に辛辣な感想を抱くが、それを表に出さないぐらいの優しさはある。

 

「貴方のルームメイトの、?瑰 万葉“君”の方に用があって―――」

「ああ………そういうことですか。万葉、先生がお呼びみたいよ」

「はいはいっと―――それで、先生は僕の愛人になってくれる決心ができたんだね?」

「へ?あ?あ、あいじぃん!?」

 

そこでリアクションしちゃ駄目でしょうにと、オルテガは女子校教師のくせに初心過ぎる麻耶に肩を落とす。こういう人は市井に出すと場末のホストでさえ簡単に騙せそうで危うい。そこでだから事実上男子禁制のIS学園に放り込んでるわけかと一人で勝手に納得している。

まあ、決して能力はあっても使い辛いからこっちにやられたと考えるのは、邪推し過ぎだろうと思考を打ち切った。このままだと言葉巧みにイケナイ授業をされそうだったので、助け舟を出す意味合いで口を挟むことにした。

 

「その話は後廻しにして、先生の本題を聞いてやりなさい」

「後廻しもちょっと………」

 

言葉は遠慮がちながら麻耶の表情はどこか満更でもなさそうだった。いっそ冷たい目で見てやろうかと思ったが、チョロイとかいう次元ではない麻耶に万葉も逆に驚いている。万葉にとってはスキンシップとほとんど変わらなくてこの有様だと、本気でやったらどうなるのか見ものですらある。

ここは一つ何も気付かなかったことにするのが優しさだろう。万葉は脇に抱えていた制服の上着に袖を通す。

 

「あまり楽しい話でもないんですよね?」

「………それはね」

「あは、そこで先生に申し訳なさそうな顔をされる方がこっちも居た堪れないよ」

「う………そうだね」

 

これから起こることは全部察している。そうなるように仕向けたこともある。

それでも尚、すまなさそうにする麻耶は根が本当に善人なのだと感心してしまう。あまり認めたくないが、色んな意味で捻くれた人間に囲まれて多感な時期を送っている万葉にしては、好ましかった。

 

「万葉のことを嫌いかもしれないけど、甚振られるまではせめて明るい感じで行きましょう!」

「うん……解かりました。先生もお付き合いします」

「あはははは、うん。ありがとう、先生」

 

傍から見れば頓珍漢な会話を交わす姿はシュールだった。幸い早い時間であることやまだ新入生同士のコミュニケーションも少ないことから野次馬は居ない。そんなマヌケが居たらぜひとも顔を見たいものだ。

オルテガはまだ時間に余裕があるなと時計を確認すると、手ぶらで行ってしまった万葉の鞄を準備してやることにした。どんな会話があるのか気にならないと言えば嘘になるが、昨日のヒオンの口ぶりから大過なく済むだろうと思っていたからだ。軽薄でも、その実力への信頼は一点の曇りもなかった。

 

それは動揺から立ち直りつつあった麻耶が困惑するほど、平然としている万葉も同じ。

国家間の情報戦の場でもある学園内で、男性のIS適合者の出現はあっという間に広まって当然。早朝ながら諸事情で学校へ向かう生徒達は、麻耶と一緒に歩く万葉を程度の差はあれども珍獣を見るように眺めまわしていた。

昨日開かれていた会議を思い返して、やはり麻耶は目の前の少年を怖いと思う。明け透けな物言いや態度が、怖いのではない。おそらく状況を十全に把握していながら、それらをまるで自分と無関係であるかのように振る舞えることを。

 

―――この少年は本当は解かっているはずなのだ

 

世界のバランスを壊す存在であることを。

スウェーデンを含めた北欧理事会が何の意図を持って爆弾を投じたのか。昨日の会議でも推測の域を出ない仮説は幾つも出て来たが、これというものは無かった。ただ、誰もが感じていてあえて口に出さないことはあった。この件の裏には国家の更に後ろに控える者が居るのではないか?

 

―――例えば、世界で唯一のIS開発者であるとか

 

揉み消して何もなかったことにできれば一番だったが、既にその存在がクラスに知られれば、全校に広まるのは時間の問題。会議中に中座していた轡木理事長は戻って来ての開口一番で場の空気を冷やした。国際IS委員会は「?瑰 万葉」をそのまま生徒として扱い続けることを厳命してきた。

理事長である轡木夫人、クラス担任と副担任の織斑千冬、山田麻耶。各学年の学年主任。そして教頭。顔ぶれは多国籍に見えて、三年の学年主任を除けば日本人ばかり。恣意的であり、IS学園の在り方を象徴した顔ぶれは厳命の意味することを履き違えない。

 

世界中の諜報組織の注目を一身に浴びることは、命を危険に晒し、その生涯に大きな枷を負うことに他ならない。解かっていて確信犯であるはずの少年を、それでも山田麻耶は自業自得だと見切ることはできない。良くも悪くもそれこそが山田麻耶の美点だった。

 

「センセ、そんなに暗くならないで下さいね?」

 

わざとらしいほどに軽く言ってしまう万葉に、麻耶は少し困り顔をしてから首を横にする。

それは無理だと。言った本人も解っているが、せめてものきっかけになればとの意図が込められている。それが解からないほど麻耶は鈍くも無く、生意気にも年上を元気づけようとした少年を、小突いてやりたいのが本音。

代わりに学園長室の扉をノックする。中からの許可が出て入ると、昨日麻耶が出席していた時と同じ顔ぶれが揃っていた。

 

「?瑰 万葉“君”を連れてきました」

「御苦労さまです、山田先生」

 

一番奥。本当は好きではなくとも、各国に舐められないという建前のために豪華な意匠が施された机の向こう、部屋の主である轡木理事長は居た。万葉の前に居た麻耶が末席――織斑千冬の隣――に動いたことで、目線が交わる。年齢的には老婦人に達しており、万葉が通っていた小学校の校長をもっと柔和にした人のよさそうな感じがした。

そう言えば、あの小学校に通っていたクラスメイト達は今頃どうしているのだろうかと、場違いになるようなことを思い出していたが、それは顔には出さないでおいた。甘酸っぱい記憶もあることだし。

 

「はじめまして………の方がいいかしら、?瑰君」

「それが普通ですからそのままでお願いします」

 

もっとも、万葉の方は、メディアは当然のこととして事前に色んな情報や写真を確認しているので、あまり初めて会ったような気がしないなぁ、と思っていた。

 

「この学園はどうかしら?」

「はい、まだ一日だけですけど、とても楽しいです」

「それは良かったわ。私も報われるところがあるわね。参考までにどの辺りが、と聞いていいかしら?」

「綺麗な学園と設備に、綺麗な担任の先生達と、可愛い生徒です」

「ふふふふふ………思春期の男の子とは思えない回答ね。保護者の教育の賜物かしらね」

「そんなことろです」

 

もう少し衒った方が可愛げはあるのだけれど。遠回しにそう言われると万葉は、ストレートに返すしかない。轡木理事長はこの遣り取りで、なるほどと納得する。織斑千冬でも一苦労しただけはあると。

やや中性的な顔立ち。ウイッグではなく天然の肩まである黒髪。肌質に至るまで本人が言い出すか、声を聞くまで男性とは気付かなくても無理はない。ややサイズの大きめの服で骨格を隠しているのも紛らわしい。

 

「出来ればあなたの保護者とは一度お会いしたいと思うのだけれど………それは難しそうね」

「まあ、忙しい人ですから。何でしたら、万葉の方から連絡を入れてみましょうか?」

「それはあなたにとって良い話にはならないから遠慮しておくわ。入学翌日から親を呼ばなくてはならないようでは、今後大変よ?」

「なるほど。そういう考えはなかったですね」

 

呼べば来るのかという疑問を抱く者もいるが、轡木理事長は道化になるつもりは更々なかった。

二年生の更識楯無のように国際IS委員会が認めた自由国籍権を利用して、ロシアへレンタルされてロシア代表を務めている特殊なケースはあるが、名前も外見も日本人である万葉がスウェーデンの代表候補生である時点で、保護者にも裏がある。戸籍上の父親を本当に呼ばれても時間の無駄だ。それが世界的企業のCEOだったとしても。

 

「それで、親を呼ばなくても良いということは、万葉がこの学園で過ごすことが認められたと解釈しても良いんですよね?」

「あら、随分せっかちね。もう少し付き合ってもらえるかと思ったけれど」

 

キツネとタヌキの化かし合いに。万葉は薄く笑ってできれば付き合いたいけれど、そろそろ周囲の目線が痛くなってきたと訴えかける。誰も彼もが自分達のようにはできないんだよ、と遥か年下の少年に告げられるのは奇妙な気分だが、それを周囲からの目線に負けたというのは可哀想だろう。

昨日の会議からカリカリしているのは万葉の側ではなく、学年主任や教頭達なのだから。身内に弟が居る千冬や直接会話したことで悪感情を持っていない麻耶を除けば、?瑰万葉という男性の適合者の存在を歓迎している者は居ない。

 

教育者として内心はどうあれども、その態度は失格に近いがそれを咎めることは轡木理事長にはできなかった。

 

「私がもう二十も若ければ、あなたを引っ叩いて懇々と教え諭すところだけれど、嫌な事に随分と枯れてしまってそういう方法をとる元気もないのよ」

「そこは前向きに解釈した方が良いと思いますけど」

「ありがとう。ただ、根っこの部分は変わらないから―――あなたみたいに確信犯で何もかも判っちゃうような生徒って、実は嫌いなのよ」

「………実にリアクションに困るお言葉、ありがとうございます」

「あら、お礼を言われることを言ったかしら?」

 

意外な切り返し。言葉はわざときつめだが、実のところ八割がたは本音。但し、憎さあまって可愛さ百倍なところに、万葉の感じた善性があった。

 

「いえ、直接的に“嫌い”とかそういう言葉を言ってくれる人は貴重だから、そう言う時はお礼を言うようにって教わってるんです」

「その人とは本当に相性が悪そうだわ」

「人からの評価が好きか嫌いかのどちらかじゃないと徹底的に眼中に入れようとしない人ですかから、無理もないですよ」

 

言われた本人は高笑いしながらその通りと答えるに違いない。やはり、敬慕と尊敬は違う。

 

「あなたとの会話は飽きないけれど、このままだとずっと進まないわね」

「そうなんですけど、個人的には飽きるまで続けたいところですよ。慣れてきましたし」

 

何に慣れて来たとは言わない。

 

「残念だけど、それでも世界は回っていて、学業も疎かにさせるわけにもいかないわ。色々あって今の立場にあるけれど、私は教育者の端くれである矜持はまだあるの」

「素晴らしいことだと思います」

「ありがとう」

 

聞かせるべき相手が少年ではないことを、当の少年に見透かされていては語るに落ちるところだ。自然と苦笑いが、お互いに浮かぶ。

―――あなたも難儀なものね

―――いえいえ、そちらほどでは

こういうダークで陰湿な、それでいてちょっぴり塩味の効いた遣り取りはオルテガの役割のはずなんだけどなぁ、と思っていたりする。本人は否定しないだろうが、口にしたらデコピンの一発ぐらいは覚悟する羽目になる。

 

「IS学園は、あなたの入学を認め、生徒として扱います。あなた相手に隠しても仕方ないから率直に言うと、そうせざるを得ないというところね」

「えーっと………微妙に扱い悪いですね?」

「そこは自業自得と諦めてちょうだい」

 

扱いを良くして欲しければもう少し可愛げを見せなさい。どうにも役者の格が上のようで、万葉は照れたように頭を掻く。

 

「ただ、本題以外にも色々考慮する必要があるのだけれど、聞くつもりはあるかしら?」

「万葉の個性を削ぐものでなければ、お願いします」

「よろしい………まあ、これまでの話に比べればスケールダウンになるわね。主に、あなたの今後の処遇についてなの」

「学生生活は保障されるんですよね?」

「それは勿論」

 

ただ、左右に居る教師陣を見るにあまり歓迎はされていないことはビンビンに伝わって来る。今更男性の適合者など邪魔なだけなのだ。かつてあった秩序を叩き壊して今の秩序があるのだから、それに乗っかってきたものは、今の秩序も叩き壊さされる覚悟を持っておくべきだろうと思いつつも、それもまた人間だろうと他人事っぽくしておく。

 

「いえ、そっちではないわよ?そっちの覚悟があるにはこしたことはないけれど」

「はい?」

 

初めて素の声を出した万葉に、それで良いのよと轡木理事長は苦笑ではない笑みを浮かべる。これじゃまるで拗ねた子供が自分のおばあちゃんから手玉にとられているようだ。

 

「実に、教育の根本の話なのだけど………男女七歳にして席を同じにせず、という諺が日本にはあるの。それに乗っ取れば、女子校が共学化したと考えるとあなたを受け入れられるのだけれど、流石に女子寮に住まわせ続けるのはどうかと思うのよ?」

「万葉は一向に構いませんというか、ぜひとも現状維持で」

 

何をぬかすかエロガキめと周囲の冷ややかな視線が突き刺さるが、本人は至ってマジ。折角キャッキャッウフフな生活がスタートしたばかりなのに、その半分を削り取られる事態は最優先で回避したい。

 

「あなたは構わないでしょうし、生徒達の反応も微妙なところなのよ。だからと言って放任するわけにはいかないのがもどかしいところね。そこに本人の同意があったとしても、そういうことに子供を巻き込むのが好ましくないというのが本音よ」

「あー………ここで、それでも構いませんって言えたら楽なんですけど、流石にそれは人として駄目過ぎですよね?」

「ええ、そこで疑問形でなければもっと高得点だけれども、正直でよろしいと言っておくわ」

 

スパイの方法は数知れずだが、そっち方面は教育機関の建前上全力で阻止しなければならないのだった。

 

「いきなり野宿とか、犬小屋があって―――「今日からここがあなたのお家よ、オホホホホ!」とかは無いと信じます」

「………何故、そこで私を見た?」

 

高笑いをしている非道な女は私のことか?とかなり怖い眼付で千冬に睨まれるが、自爆だった。

ネタふりなので本気にしないで欲しい。そう言えば、昨日のホームルームで自己紹介していたイギリスの代表候補生はかなり似合いそうだった。主に高笑いが。

 

「それだと解決にならないわ」

「ですよねー」

 

調子を合わせると会話は楽しい。楽しんでばかりもいられないが。

轡木理事長―――学園の総意ではないところが“らしい”が―――の思惑としては、?瑰 万葉を監理監督とまでいかないまでも、眼の届く範囲に留めておきたい。それは日本政府も含めた世界各国による学園内での万葉に関する諜報合戦を抑止するためでもある。

万葉からしてみればそれも役得―――本人からすればだが―――だと思っているし、シャットアウトする手はないと聞かされているので、諦めていた。美人局とか、睦言からというのは大歓迎だが、主に痛い方面は拒否したいので、その辺の対策についてはオルテガに協力してもらって考えていたりする。結局、徒労に終わってしまったけど。

 

「………万葉の想像からすると、それってベストでもベターでもないかと」

 

徒労に終わった検討案の一つにあったそれ。実現性の低さと、それでも完璧ではないことから除外していた。まさか、それを本気でやろうっていうことじゃないだろうと思ったが、さっきから皆さんの視線や頬の筋肉やらが積み重ねって肯定の雰囲気が形成されつつある。

 

「私も悩んだのだけれど、若い人風に言うなら、最悪の一歩手前ぐらいしか手を打てなくてごめんなさいね」

「………心中お察しします」

 

それ以外に何と言えと。

 

「そういうことだ、?瑰 万葉」

 

会話の頃合いを見た千冬が一歩進みでて、そのまま轡木理事長の隣に立つ。パンプスを履いていても背筋が綺麗なので実際の身長よりも高く見える見事な肢体が窓から注ぐ光を背によく映える。

自分と轡木理事長の化かし合いはお気に召しませんでしたかと、視線を送っても無視される。にべもないが、それがこの場の最善の手である。

 

「今日限りで学生寮の部屋を引き払い、職員寮にある私の部屋で生活してもらう」

 

いや、ホント、御苦労さまです。

多分、そうしなくてはならなかった実に万葉好みの美人教師へ労う言葉を口の中で呟く。

 

 

 

 

 

 

 

男性のIS適合者。

その存在が広まるのは、当然の帰結だった。

学生の身空には世知辛い、社会の縮図を味わってから遅刻間際の時間に教室へ入った万葉はさながら珍獣の扱いだった。珍獣は珍獣でも、本質的にはその体格に見合った凶暴さを潜めているパンダなのか、希少性の高さは抜群なものの害はほぼないことから愛玩されるタイプなのかは、個人の趣味趣向や実家のやんごとない事情がはっきりと反映されていた。

 

興味津々。野次馬根性。ゴシップネタ。

そんな思惑で娯楽が限られている学園生活において新たな標的となった万葉を囲む少女達。

同年代の男子よりも、がっつかず、洗練されている―――芝居が上手いとも言う―――万葉と楽しくお喋りに興じる。時折相の手のように抉る質問が入っても笑い話に混ぜ込んでなかったことにしてしまう。

 

様子見。男性蔑視。騒動の種。

最早、男のような品性下劣な存在が回していた時代は終わったのだから、貴様も消えろ。そう言わんばかりで、態度を隠そうとしない少女達。教え込まれ、秩序となった価値観を新たな信仰の対象とし、教義に反する悪魔を滅するべし、と。

 

我関せず。一切無視。打てば返す。

前者二つのどちらにも属さず、接触を断つどころかそこに存在することさえ忘れようと務める。どちらかと言えば、敵対的な方向であることは否定できない。ただ、毒にも薬にもならないので無視することができるのは実にありがたかった。

 

そんなこんなで、万葉は学生生活二日目を満喫していた。心から本当に。

 

 

日本の学校教育に則っているIS学園は、特殊高等教育機関に当たる。特殊の部分は当然ISに関わるカリキュラムが存在することに由来する。

教育なんて国が変われば、制度も違う。それでも共通点が存在するのは高等教育を発展させたヨーロッパには教育の根幹を支えるキリスト教が国の垣根を超えて存在しており、更に植民地支配を受けた各地でその制度が根付いてしまったことが理由だったりする。

但し、日本は困ったことに100年前はいざ知らず、今となっては最大の学術―――高等ではない――機関であるべき大学が全入全卒なんていう他国からすれば失笑ものの制度を堅持していて、それが当たり前になってしまっている。有体に言えば、競争もへったくれもない60点の人間を大量生産する制度で、ゼロサムに近い他国にとって、高等教育でもそのまま使ってもらうわけにはいかない。

 

いかないのだが、その方が都合が良いということで押し切られ、そうはいかじと規定で採用されている日本人以外の教師達は日本式の授業を完全否定して、自国流の授業が繰り広げられていた。

 

「これって、どうにかならないのかなぁ」

 

授業の合間の休み時間。

個性というか、エゴというか、プライドというか。とりあえず全部混ぜ込んだような実に大人気ない空間について、万葉は愚痴ってみた。

 

「私達も困ってるから仕方ないと思うよ」

「うんうん、まあ自分の国のだったりするとちょっとありがたいかなーとか思ったりもするけど」

「それ、ないって」

 

色々あって、仲良くなったのは近場のお国の人ばかりだったのはしっかりオチがついている。

そこはかとない保護者的立場の人間の気配りかとも思ったが、違ったらしい。こちらの方が嬉しいので一々文句をつけるような野暮な真似はしないでおく。

 

「上級生になると上手いやり方って覚えてるのかな?」

「その辺、ぜひとも聞いてみたいよねー」

「アンタのところって、三年生に居るんじゃなかった?」

「無理無理。ほら、ウチみたいな弱小じゃさ、三年生って国家代表になれるかどうかの瀬戸際だし、さ。ほらねぇ?」

「ああ………って言っても、あたし達も他人事じゃないよね、コレ」

 

女三人寄れば姦しい。実際三人どころではないので、姦しいなんてもんでもない。

普通の男子であれば発言できずに引っ込むしかないところで、しっかり会話に加われるのが万葉クオリティである。容姿のせいもあるが、男子っぽくなさが周囲からはうけていた。

 

「まぁ、その辺はねぇ?」

「早急に考えても仕方ないというか何と言うか」

「ゴニョゴニョ………」

 

ISの国家代表は、最終的に国が保有しているISの操縦を許可した人間のことを指す。

ISの保有数は国ごとに異なり、先進国ほど保有数が多いという実に理不尽な制度だったりする。逆に、万葉の周囲に居る子達の母国は保有数が少なく、先進国のように“専用機持ち”が居ないのだ。ISが如何に優れた存在でも、乗り手である人間は24時間動いていられないため、ローテーションを組んで扱うしかない。それでも、ISの国家代表というのは狭き門である。入学早々、ちょっと凹んでもそれは仕方のない面があるのだ。

 

「それでさ、この学校のしきたりってどうなってるの?」

「う〜ん………私らもそこんところ今一つなのよー」

「ほら、日本の学校って、世界でもドマイナーな制度でしょ?まあ、セイトカイチョーだっけ?それが妙に変態なぐらい?」

「へんた………何やったのさ?」

 

入学式のときに居た、日本人―――更識楯無を思い出す。外見は文句のつけようのない美少女だけに、とても残念な気分が湧いてきた。ぜひとも、それを払拭するようにして欲しい。

 

「大浴場で歓迎会って言いながら、おっぱい揉まれた」

「食堂で歓迎会って言いながら、お尻どころかアソコまで撫でられた」

「自分の部屋に歓迎会って言いながら、新入生を連れ込んでた」

「………うーん、実に変態淑女だね」

 

男子諸君がやればブッ殺ものでも、女子がやると百合百合しい絵面なので許される。

 

「いやん、万葉ってばえっちぃ」

「でもねぇ、万葉がやったら間違いなく干される辺りが限界だよね」

「あはははは、自覚があるなら良いんじゃない?」

「良いの?」

「良いと思うよ」

 

どっちかって言うと玩弄されるのは自分の方だろうと思う。

女尊男卑の風潮とか関係なく、女に弄られるのは定番なのだから。

 

「でもまぁ、身の振り方は大事っぽいね」

「ん?何か言った?」

「いやいや、えっちぃ独り言だよー」

「もう、思春期!」

 

聞かれていた呟きを適当に誤魔化すと、丁度良いタイミングで次の授業の教師がやってきた。集まっていた少女達は三々五々に散って自分の席へ戻っていくのは都合が良かった。

万葉も真新しい教科書を机の上に広げながら、予想の斜め上を行く展開に対して本格的に身の振り方を決めないとなぁと思う。そうなると、学校が終わってからオルテガと同室ではないことがジワジワ足枷になっていた。多分、こっちの外部や内部との連絡手段を制限するために千冬の部屋に住まわせるつもりというぐらいは想像がついていたが、ちょっと予定外に邪魔かもしれない。

 

授業を聞きながら―――そもそも、授業自体に意味があるのかも興味が湧いてきた。

教師が真面目くさってやっているのは、化学の授業。別に国籍はどこでもいいけど、割と日本っぽい授業内容。大方の生徒は真面目に取り組んでいるが、おいおいそれで良いのかと万葉は驚かされる。

 

―――君ら、国を背負って立つエリートだろう?

 

日本国内なので、世界有数の修得難易度を誇る日本語を公用語とする学園に通学するべく、みんなそれなりに日本語を話せている。それだけに、まさか日本の高等教育レベルの化学の授業を真面目に聞いているのは逆に異様だった。むしろ、この内容であればISの機能を把握するためにも頭に叩き込んでおくもの。

そんな“万葉の常識”も空しく、カリカリとノートをとったり、ラップトップにタッチペンで入力したり、と各自のやり方で授業を聞いている。思わずジーザスと言いたくなる。

 

え、これ、万葉を担ごうとしてるの?

そう思ってしまっても不思議ではない空間で、気付かれないように居眠りして現実逃避することにした。

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさい、あなた………ご飯にします?それとも先にお風呂?そ・れ・と・も―――って!?」

 

一先ず、開けば戯言か軽口か化かし合うしかない口を閉じろとばかりに、特殊警棒が寸前まで万葉の顎のあった位置を振り抜かれた。当たれば顎が砕けて、一生美味しくご飯が食べられなくなるところ。

ハンドバックから電光石火で特殊警棒を抜いた千冬や、軽く舌打ちすると何事もなかったように特殊警棒を戻す。

 

「お帰りなさい。ご飯にします?それとも先にお風呂?そ・れ・と・も―――」

「私は“あなた”の部分に反応したんじゃない!!」

「へぶぅっ!?」

 

パーじゃなくグー。じゃんけんならパーの方が強いのに。

顎をかち上げられた。問答無用なところはむしろ万葉の好みだが、痛いものは痛い。それでも加減はしてくれているようで、意識を失ったり、顎関節も無事という絶妙な感じである。

 

「イタタタ………お茶目な冗談なのに」

「私はそういう冗談は嫌いだ。今のは警告程度にしておいたが、次にやったら………砕くぞ」

「………何でそんなに好戦的なんだか」

「………貴様だけ特別だ」

「あははは、そこは光栄だよね」

 

だから、そういう態度が駄目なんだよ、とここに麻耶が居れば視線で教えてくれるが生憎と部屋には二人だけなのだ。そう、二人だけ。場所は校舎でもなければ、学生寮でもない。学生寮とは比較的近い位置に建てられている職員寮である。

 

「あんまり聞きたい気分でもないが、貴様どうやって入った?」

「嗚呼、“貴様”で固定確定かぁ………いえ、別に特別なことは何も。ちゃんと玄関から入ったよ?」

 

せめて、“君”ぐらいにして欲しいと思うのだが、要望は聞いてもらえそうにない。

?瑰 万葉は“貴様”で充分なんだとさ。いつか、照れながら名前呼んでほしいなと表情に出ないようにしておくぐらいの配慮は学んでいた。でも、無いなーそれともう一発ぐらい殴りたそうにしている千冬を見る。

 

「セキュリティを破ったのか?」

「なんでそうなるの?―――普通にカードキー貰ったよ」

「な!誰にだ!?」

「用務員さん?」

「そこで疑問形なのか」

「と、言われましてもねぇ」

 

作業服を着て居て職員用のIDカードをぶら下げた初老のお爺さんが居たら、九分九厘用務員だと思うのだ。もしもあれが実は着ぐるみで中に、千冬ばりの美女が居るんですと言われればむしろ嬉しい。実に悲しい思春期の思考だった。

万葉からして見れば、職員寮のカードキーを持っている用務員なんかいるはずもないのだ。理事長から渡すのを忘れていたので見つけて渡すように頼まれていたとか、嘘も大概にして欲しい。そう思ってしまうところが、万葉のまだ若いところで本人も自覚はあった。

 

「まあ、いい………私の部屋には入ってないだろうな?」

「うわっ、今ちょっと日頃の行いを顧みましたよ、万葉は。幾ら何でも、それはルール違反ですし、調べたいことがあれば本人に聞くよ」

「私が答えるわけないだろう」

「まあ、そうでしょうね。万葉も本気で答えてもらえるとは思ってないし」

 

それで答えてもらえればめっけもの程度。そんな甘い目算で会話をしても、時間の無駄だ。

これも保護者的立場の人間の薫陶であり、ちゃんと別の目算がある。大したものではないけど、忠実に守っている。オルテガが時折影で、「このハチ公め」と罵倒しているのも納得である。

 

「………と言うか、貴様解かっていて話を逸らしたな?」

「いやー………そこはさ、お互いのために黙っておくことが吉だと思わない?」

「思わん」

 

にべもなかった。取り付く島がなければの心は、泳ぎを頑張れである。

 

「万葉も思春期で、興味津々で、しかも同居人は垂涎の美女とくれば色々と理性の箍が外れそうだけど………一応、紳士のつもりだよ。流石に、そこまではしない」

 

生憎と神も仏も信じてないから誓うものが何もないけどと冗談めかすが、千冬は言葉を真直ぐに受け取っていた。千冬も色んな種類の男を見て来たが、万葉は言うほどギラついていない。会話のキャッチボールのフレーバー程度にしか感じないのである。

 

「その点については、信用しよう」

「………警戒するぐらいなら、最初から拒否すればいいのに」

「貴様が背後関係と思惑を全部素直に話せば、私も要らん苦労は背負わずには済む」

「なるほどねー」

 

そんなのは無理だろう。お互いのためにも。こう言った会話にありがちな暗黙の了解に、万葉は千冬と違う意味の苦笑いを浮かべる。

 

「それで、色々と取り決めをするべきだと思うけど、どう?」

「賛成だな―――待て、貴様さっきから何をしている?」

「え?何って………おさんどん」

 

スーツの上着を脱いで自分の部屋へ引き上げようとした千冬は、ほとんど使わず埃を被っていたキッチンに万葉が立っていることの異常さをようやく見咎める。洗い物とレトルト食品の準備以外で使ったことのないキッチンには明かりとつき、買った覚えのない鍋や包丁、お玉などの調理器具が並ぶ。それだけではなく、火が掛けられていた鍋からは食欲をそそる匂いが昇り立ち、千冬の胃を刺激する。

 

はっきり言って、美味しそうでお腹が鳴りそうだ。

 

「………どこから何を言えばいいんだ、私は」

 

ここで鳴っては立つ瀬がない。意志の力ではどうにもならいと承知していながら、お腹が鳴らないように気を付ける。そして、絶妙なところで沸点に達することをさせない少年の調理方法に頭を悩ませる。千冬とて人間なのだから、アフターファイブまで頭を使わせないで欲しかったが。

 

「どうにも判断狂わせちゃってるみたいだから、先に言うけど―――これは、何の打算もない、純然たる万葉の趣味と実益だから、気にしないで」

「………」

 

食卓―――見られて困るものはないが整理されていなかった―――は綺麗に磨かれ、その上に次々と皿が並べられていく様を、何とも言えない表情で千冬は見て居ない。例えばこれを麻耶がやっていれば手伝おうとしただろうが、何故かできなかった。

念のために言っておくと、織斑千冬は学生時代の家庭科の成績だけが悪かったらしいことはおそらく、関係がある。

 

「まあ、詳しい話は食べながらということで」

「………解かった。着替えてくるから、先に食べるといい」

「いえいえ、待ちますよ」

 

釈然としない面持ちで寝室に引っ込んだ千冬は、手早くスーツを脱ぐ。

外食ばかりだが、現役時代も含めて体調管理に気を付けたこともあり、無駄のない抜群のプロポーションに翳りは見られない。自身の女としての魅力に無頓着な面はあっても、そこは女。気を使う部分はあるし、男からセクハラまがいの扱いを受けたことも一度や二度ではない。

部屋着のタンクトップとショートパンツを手に取り、流石にこれを思春期の少年の前で見せるのは目の毒―――本人は喜ぶだろうがむしろそれが問題―――だろうと、衣装ケースを探る。ここでの暮らしは一人暮らしな上に、男の眼が存在しないため頓着しなかったが、流石に今後はマズイだろう。

そう考えることは評価されるべきだが、人生を振り返ってもまともな男性との接触が弟しかいない彼女では、ロシアの友人が鼻で笑うように限界があった。

 

 

「あ、この人マジなんだ」

 

 

着替え終わって食卓についた千冬へ対して、万葉の呟きはそれだった。何がマジなのか解かっていない千冬を愛想笑いで適当に誤魔化す。使い古しのワイシャツとスパッツとか、それでも十分破壊力があるんだけど、と。

 

 

食卓に並ぶのはスウェーデン代表の日系人という経歴を反映しない、日本の家庭料理。

わざわざガスコンロの鍋炊きした艶々の白米。合わせ味噌を使ったナスと揚げの味噌汁。一工夫で衣がサクサクのポテトコロッケと付け合わせのトマトとキャベツの千切り。箸休めのキュウリの浅漬け。

共同生活を送る上での取り決めをしながら、気付けば千冬は綺麗に平らげていた。気付かない間におかわりまでしていたのだから、味のほどは解かろうというもの。

 

「いや、待て、私!!」

 

そんなわけで千冬が我を取り戻したのは食後のお茶を勧められて、適度な熱さと渋さにほっこりとなってしばらくした頃だった。

 

「あれ?美味しくなかった?」

 

自分も淹れた茶をしばいていた万葉が小首を傾げる。

 

「そう言う問題じゃなくてだな………あ、いや、問題あるのか?」

「それは僕に聞かれても困るって」

 

案の定肩を竦められる。

 

「さっきも言ったけど、これに打算の陰謀もないよ………」

「………それを否定も肯定できなければ一緒だろう」

「まあね………そこは万葉を信用して、としか言えないけど。こうも怪しいとねぇ」

 

無理でしょうけど、お願いしたい。無理な話と解かって居ての我儘。

上手く体を動かせない頃に、リハビリの一環で教えてもらってから続けて、今では料理をしないと落ち着かないぐらいになっている。それに、美味しいと言って食べてくれる人のことが、万葉は掛け値なしに好きだから見ていたい。

一方で、無理だとも諦めている。胡散臭過ぎる自覚はある。保護者的立場の人間の目論見自体が、遥か彼方にあって末端に過ぎない自分には読めないことも、大きく影響を与えているのだろう。無理難題を口にして、理解を得られなくて当然のことに対して“寂しい”などと甘えた感傷を抱く自分へ、自嘲するしかない。

 

「私はな、立場上リスク回避が必須だった」

 

突然話し出した千冬に首を傾げると、黙って聞けと目で示された。

 

「莫迦なことをやった自覚はある。貴様なら今更だろうが、マッチポンプの片棒を担がされた挙句に気付けば自由など全くなくなっていた」

 

織斑千冬を憎む者は多い。彼女は、白騎士事件において数千人単位で人を殺している。正当防衛を適用されるべき事態であり、やむを得ない状況ながらやってしまったことは取り返しがつかない。そして、その後のIS台頭によって女尊男卑の風潮を作る端緒となってしまったことも、拍車をかけている。

更に、IS開発者である篠ノ之束が心を許す数少ない人物であり、彼女に嵌められたとは言えISを世界で最初に扱ったことから、ISのブラックボックスについて知っているのではないかと執拗なまでの取り調べを受けていた。

食事に毒を入れられたことも、飲み水に自白剤を混ぜられたこともある。最終的にそれは最愛の弟さえ巻き込んでしまうことになり、彼女の心にトラウマとして残っている。

 

「………外食する場所も、これで気を使ったりしているものだ。何を食べさせるかわかったものでもないしな」

 

自炊できれば楽なんだがとは言わない。そこで混ぜ返すほど万葉も無粋ではない。

彼女にとって、来歴不明の工作員でしかない万葉の料理を食べたこと自体、最初の言葉を信じたことの証左なのだ。

 

「えーっと………気を使わせて、ごめんなさい」

「莫迦め。これぐらいのことで、子供が大人に気を使うな」

 

結局のところ、千冬が嫌だったのはその一点だったらしい。

万葉と同じ歳でもう何年も会話すらしていない弟のことを思い出しながら、そんな子供に色々と気を回されていることが、生意気に思えた。自分が決して歓迎されていないことを知悉しているくせに、他人に近づこうとして距離感を図ろうとしている。

 

その不器用さは工作員らしからぬものだが、こうして接する分には堅苦しくなくて良かったと素直に思った。

 

 

 

 

 

 

 

―――オルテガ

―――オルテガ=アントラーデ

 

彼女と初対面の人間は、年齢にそぐわない熟れた女のような艶めかしさに目を奪われ、会話を終えた後には決して敵に回してはならないと気付かされることが多い。それは、同年代と接触するよりは保護者的立場の人間のせいで海千山千の者達と渡り合い、言葉遊びを学んだことに起因する。

工作員という意味では、同僚である?瑰万葉よりも数段上に位置する彼女は、しかし同年代の少女達から見れば常に上から目線で透かした態度をとる―――有体に言って、嫌な女でしかなかった。

 

世の中そういう相手を見つけた場合に行われるのは―――イジメしかない。

幾ら相手が居ても普通であれば入学して一週間でイジメを主導する核になるグループが生まれないのもまた普通。しかし、IS学園には所属する国家という括りがあるため、グループは格段に形成しやすくなる。

性質の悪いことにイジメとはグループ形成のバックボーンが強ければ強いほど、過激で陰湿なものになり、助け出してくれる者も居なくなっていく。バックボーンはそのままの意味で、バックボーンであり実体がどうあれどもグループに逆らうことはバックボーンに逆らうことに直結し得る。例えるならばマフィアのボスの子供を敵に回せば、大人気なく親父であるマフィアのボスが出てきてより酷い目に合されることと同じ。相手がマフィアでなくとも、社会を見渡せばよくある話。普通の学校で教師がイジメを見てみぬふりするのは、生徒同士の問題を解決するこが面倒なこともあるが、教育性善説を唱える教育組織や正しい自分が育てた正しい自分の子供がイジメをするはずがないことを前提にしている親を相手にすると、とんだ痛手が負うことになると知っているからだ。

 

そして、国家を背景とする生徒に強く出ることのできないIS学園の教師達は、それが当然の如く生徒間の諍いを見て見ぬふりすることが慣例となっていた。

 

クラスメイトでも大国意識を振りかざすエリート候補生と、これまで歯牙にもかけられなかったIS後進国の出身のくせに超然としているオルテガが、関係性が一方通行のものであったとしてもぶつかるのは必然だった。

 

 

 

「だからね………言ったでしょう?」

「あ………ああ………ひ………」

 

カッと見開かれた瞳。滴り落ちるのは頭から水を被ったかのように噴き出す冷や汗。

恐怖に引き攣り、喉がひりついて声さえも出せなくなったアメリカ代表候補生のクラスメイトに、オルテガは同性ですら魂を震わされる艶然とした微笑みを見せる。見惚れるはずの微笑みは、トランプに描かれた道化師の全てを嘲るような恐ろしさを隠そうともしない。

 

「“私に構わないでちょうだい”って」

 

転校翌日からせっせと派閥づくりに精を出していたので、やんわりと断ったことを思い出しても後の祭り。

 

「あなた達の派閥争いなんて興味がないとも言ったわよ?」

 

遠巻きに眺めるだけで我関せずの態度を貫いていた、アメリカ派閥以外のクラスメイト達に笑みを差し向けられる。彼女達は、そこでようやく迫られているアメリカ代表候補生が尋常ではない怯えを抱く理由を共有させられた。具体的な言葉を受けたわけではないが、自分達が無関係ではないことを突きつけられる。

 

「この国には“仏の顔も三度まで”という言葉があるそうね。自分で我慢を約束していたから、そこそこ耐える覚悟はしていたけれど………それを黙って受け入れて、子供の玩具でいるなんて思い上がられると、とても迷惑なのよ?」

 

最後が疑問形で締められたことに、アメリカ代表候補生は理解していると何度も早回し映像のように頷く。

もしも、ここで理解していない素振りを見せれば、教室の床に転がされたまま動かなくなった取り巻きと同じ目に合されるに違いない。オルテガがそう言ったわけではないのに、恐怖のあまり思考を先走らせていた。

 

「さぁ、どうしたらいいのかしらね?」

「あ………あぅ………ゆ、ゆる………」

「あら?何を?あなた、何か悪いことでもしたの?」

 

見ている方が気の毒に思えるほど怯えて、許しを請うことさえまともにできなくなる。

まだ直接的に何かされたわけではない。取り巻き達も死んでいるわけではない。ひたひたと怪談話のように存在しないからこそ恐怖を感じるものもあるのだと。そう物語りながら助け舟を求める瞳を、遠巻きに眺めるクラスメイト達は一斉に視線を切る。

 

「あなた、私のお弁当に興味があったのよね?」

「……ぇ?」

「ないの?」

「あ、あ、あ、あり…ます!」

 

一刻も早く身を縛る恐怖から逃れたい一心で垂れて来た蜘蛛の糸を掴む。その糸を垂らしたのがお釈迦魔様のように慈悲に溢れる存在ではなく、現在進行形でおぞましいまでの恐怖を撒き散らす本人であることも失念して。

 

「そう、ならちょうど良かったわ………ちょっと見てくれが悪くなってしまったけれど、食べてくれるかしら?」

 

オルテガは怒ることを決めた時に、徹底して見せしめにすることにした。

今後に支障を来すような負傷は後腐れがあるので、取り巻き達は後遺症のない激烈な痛みを与えてから当身で意識を刈り取った。そして、本国の力を背景に己の先輩がやってきたようにアメリカ派閥をクラスに作ろうとしていた彼女を、肉体的にではなく精神的に二度と逆らえないほど圧し折る。

今後、ヒオンが言っていたようなガールズトークに華を咲かせるような学生生活を送れなくなるだろうが、そもそもそんなつもりは欠片ほどもなかったので好都合だ。

 

正直なところ、鬱陶しかったのだ。この微温湯のような学園と、将来自分達が何をやるのかも知らずに能天気に派閥ごっこをやっている学生が。

学園の意識を根こそぎ変えてやろうなんて、大それたことは考えていない。しかし、精々自分の周りでちょろちょろされるぐらいなら爆弾の一個や二個ぐらい投げ込んでやろう、と。

 

「こ、これを………?」

 

オルテガ差し出したのは、部屋を離されてしまっても律儀に作ってくれている万葉のお手製弁当。オルテガの食べる分量に合わせたサイズのお弁当箱に、色どりと栄養、味と好き嫌いまで考慮したおかずが入っていた。

過去形になってしまったのは、食べることを拒否したくて堪らないのに言い出せないアメリカ代表候補生と取り巻き達のせい。唯一の男性適合者である万葉と親しいことを、下等な男と交わる下女を呼ばわりし、それまでの悪戯の延長のつもりで、教室備え付けのゴミ箱の中身を開いた弁当箱の上へブチまけた。

埃や紙くず、その他の不衛生な塵芥に塗れて食べ物の原型を留めていないそれを食べれば、体調を壊すことは一目瞭然。

 

「食べたくないの?」

 

―――だったら、美味しくないと感じそうな舌を引き抜きましょうか

 

「ひぃっ!?」

 

勝手な妄想が理性を押し潰す。冷静になればそんなことをするはずがないと判断できたとして、失神しそうなほど追いつめられている彼女には無理だ。

許しの言葉に意味がないと切って捨てた女だ。弁当を取り上げた後の抵抗をさせないために抑えつけさせていた取り巻きを、一蹴した女でもある。敵対した者を、ただ許すような甘さは持ち合わせていない。

面子を潰せば、後に待っているのは百倍返しの惨い死か、死に等しい屈辱の果ての屈従。

 

靴を舐めろ。それと同義の行為として、残飯よりも酷くなったゴミ塗れの弁当を食べさせる。

クラスメイト達が見ている前で、無様な姿を晒してでも屈従したことを示せ。それ以外に、この場を逃れる術は無いと知れ。時間切れまで稼ごうというセコい考えは、すぐに見破るだろう。

 

「うぐぅ………うぇ………おぅっ………」

 

スプーンやフォークさえ渡してもらえない。せめて、と恐怖で濁った眼で訴えかけても家畜の言葉なんて解らないとばかりに、無視された。震える指で手掴みにした中身を、嘔吐しそうなほど震える口へと詰め込む。味がどうとかいう次元ではなかった。泥水や埃の塊を食べて感想など浮かばない。体が拒否反応を示す。

 

胃からせり上がったものに口を抑えて飲み下し、咽頭部から逆流した一部を鼻から漏らす。恐怖と、嘔吐でボロボロと大粒の涙を流す姿は、正視に堪えない。これがほんの十分前まではクラス最大派閥を作ると息巻いて、好き放題をしていた傲慢なアメリカ代表候補生の姿だと、経緯を見ていた者さえ信じられないほどだ。もしも、事情を知らない者が見れば、オルテガが彼女をイジメているようにしか見えないだろう。

遠巻きに眺め、ついには体ごと背けて見ないようにし始めるクラスメイト達に、オルテガは心の中でそれでいいのだと褒める。莫迦なことをする前に、それなりの覚悟を持っておくべきなのだと。この見せしめの意図するところを、誰もが正確に理解しているようで安心できる。

 

最初から上下関係を叩き込むつもりなどなかった。思い知らせず、思い知らず、お互いに害にならない程度の関係性を保っていれば良かった。

オルテガの望む関係を壊すならば、後は敵対するしか道がない。それこそ今に至るまで世界各地で紛争が絶えないことと根源的に同じ理由なのだ。舞台がIS学園の一クラスか、国際社会の立ち位置かの違いだけ。

 

(こういうのは、ホント不本意なんだけど)

 

少しでも真っ当な連中が居ると期待した自分が莫迦だったのだろう。

他にやりようがあるにしても、オルテガはこの手段を選ぶことにした。話を合わせ、適当な立ち位置を見つけることができたはずなのに、対立する道を選んだのだからあまり偉そうなことは言えない。

 

意識的だろうが、無意識だろうが、望んだ結果であれば責任の一つや二つ持つのは吝かではない。

しかし、問題点は残ってしまった。解決するのは難しいだろうとオルテガが諦めるほどの問題が。

 

 

「お昼………どうしようかしらね」

 

 

本気も、本気で、問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「校内ランキング?」

「そうそう、あ、このおかずちょうだいねー」

「どうぞ、どうぞ」

 

広げたお弁当から鳥の空揚げを一つ摘んだウクライナの代表候補生は、冷めても美味しいことに驚きながら幸福そうに、頬を緩ませる。

万葉は、入学翌日から話すようになった近場の国々の代表候補生とお昼を囲むようになっていた。相変わらずクラスの雰囲気は三分されているが、丁度良いバランスに保たれているおかげでどこかの誰かと違い割と平穏無事に過ごせている。少なくとも、嫌味や揶揄を言われるぐらいで、お昼を食べることに支障はない程度で。

 

「それで、校内ランキングって何?」

「うわちゃー、やっぱり知らないんだ」

「入学案内に書いてなかった?」

「ほら、あの手のパンフレットでついつい流し読みしちゃうもんじゃない?」

「あ、それ解かるー」

 

オルテガに知られればデコピンされること請け合いだが、本人が居ないので好き放題である。

 

「この学園って、ISの専門教育機関でしょ?」

「そうだねー」

「入学したばかりだと実感しにくいけれど」

 

学内カリキュラムは一年生の、しかも入学したばかりだと座学(しかも一般的な高等教育的な)中心で、後は基礎体力の向上のための訓練ばかりだ。今のところ、ISの“あ”の字も出てきていない。

 

「成績評価に一般の座学とは別に、IS関連の成績評価があるの。学校側が公式に出してるわけじゃないけど、そのISの成績に応じて学園内のランキングが決められるようになってるんだって」

「………え、その話って、学校の公式発表じゃないのにパンフレットに載ってるの?」

 

随分と大らかというか。考えていることがイマイチ理解できそうにない。

 

「生徒会長が入学案内のところに載せてるんだよ」

「あの人がね………」

 

はっちゃけ過ぎじゃないかな、あの人。ただの生徒会長に留まらない権限の発揮とか、明らかに背景ありますと宣伝してるようなものだ。

 

「っていうことは、何?その校内ランキングって、万葉達にとっては通信簿みたいに、お偉いさん達にも関係する話なんだ」

「そういうこと」

「一旦放り込んだ手前、引き下がれないことが悲しいところだけど、将来かかってくるからねー」

 

口調は軽いが、話そのものは大真面目。万葉も含めて、この学校に通う者の大半は国費留学生。

国のプロジェクトとして人権団体から批判されるような方法で候補生を選抜して入学試験を通過させる国もあるが、少なくとも万葉の周囲に居る彼女達は個人的に入学試験を受けて合格している。それでも、国際IS委員会の定めにより、入学試験を通過した者は国費で学費その他の費用を負担しなければならないのだ。

安くはない経費を―――しかも国民の血税である―――費やしている以上、それなりの成果を上げてもらわなければ、赤字である。それ以上に、国に帰った後の白い眼が厳しい。

 

「でも、万葉君って国の選抜なんでしょ?」

「ちなみに、あたしらは自由入学組だから」

 

イェーイ、とウクライナ、ベラルーシ、ルーマニアの自由入学三人娘は肩を組んでアピールする。

 

「万葉も本国から適当に頑張って来いとしか言われてないしなぁ」

 

保護者的立場の人間を思い浮かべる。

とれるかどうかは別問題として、仮にランキング一位になったことを知れば「うわぁ、これ頑張り過ぎ」とかしょんぼりするほど報われない展開になりそうだ。課せられている任務も、学生生活を楽しめということなので、思い通りにしようと思っている。

 

「まぁ………それなりかな、万葉も」

 

細かい打算など欠片もなさそうな万葉に、いつもなら周りも軽く同調して流す。

けれども、その日だけは明確に違うリアクションが、全く予想外の方向から飛んできた。

 

「ふん!まったく情けない限りですわね!」

 

友好的に聞こえれば耳か脳の病院に行く必要があるほど敵意に満ちた口調が、割り込んでくる。

視界の隅には入っていたが、今は関係がなかったので気に止めていなかった万葉は、取り合えず声の主へ視線を転じる。その途中で、何故か三人娘は十字を切っていた。

 

「えーっと、確か………セシリー=フェアチャイルドさんだっけ?」

「誰ですかそれは!!違います!!」

 

ナイスリアクションの言葉は胸の内に秘めておく。

 

「ごめんごめん、ついね。セシリア=ウォルコットさんでしょ?」

 

冗談で流すような風に、本当の名前を呼ぶとセシリアは満足そうにしつつ、すぐに造りの綺麗な西洋人形のような表情に険を戻す。

 

「貴方みたいな下賤な男に名前を呼ばれるなんて、汚らわしくてなりませんわ」

「………割と無茶なこと言うなぁ」

 

どう呼べと言うんだか。

 

「仕方ありませんわね………特別にわたくしの名前を呼ぶことを許してあげますわ」

「あー………それはどうも、ウォルコット嬢」

 

どの辺りが特別なのか、聞かずとも解かるがあえて解からないふりをしておく。その態度が癇に障るらしく、形の良い眉がヒクついている。

 

「それで、特別に名前を呼ぶことを許してくれるような寛大な心を持っているウォルコット嬢が、わたくしめに何か?」

「っ!………ええ、そうよ。貴方みたいな男と話すことなんて本来ないけれど、時間も勿体ないことですので、結論から言わせてもらいますわ。貴方、今すぐに退学して学園から消えてもらえませんこと?」

「ナイスジョーク?」

「ジョークではありませんわ」

 

今度は素早い切り返し。

現状、ここから友好的な雰囲気に持っていくことは絶望的。

どうして彼女が自分に構おうとするのか、聞いたところで時間の無駄だろう。

 

(主義者か………いやぁ、この年齢の子だと初めてかな)

 

ISの契機から十年。織斑千冬が見せてしまった、その圧倒的な力。

軍事力を女性が支えることにより、時代は変わってしまった。逆らえばISをちらつかせる恫喝的なやり方が横行し、どの国でも女性に有利な法律が作られ、社会でも女性の優位が築かれた。それはかつてあった父権的社会が、母権的社会へシフトしただけであるが、それを女性の勝利として、不必要なまでに男性を貶める、女尊男卑の風潮を作ってしまった。

ISの適合者に男性がなれずとも、整備や開発に関わることはできる。しかし、現実にIS学園の整備科に通う男子は居ない。それは梨園に女は入れない、土俵に女を上げてはいけないという、歪な慣習の根ざしていた時代と同じ。男にはISの技術さえ触れさせず、最先端の技術研究にさえ立ち入れなくなっていた。

 

そして、男性は社会底辺の仕事をするか、水商売をやるか、犯罪者になるしかない。蔑まれる職業にしかつけなくなっていき、更に蔑まされる悪循環から抜け出せなくなっていた。

 

そんな男性を愚かだと嘲笑し、積極的に差別排斥するのが女性至上主義者。

男性優位の象徴である宗教界にすら入り込み聖典さえも書き換えようとする者達。

ただ、男性というだけで排斥しようとするセシリア=ウォルコットのような女性達だった。

 

男性の、しかも現状唯一の男性適合者であることを踏まえれば目の敵にされる万葉は格好の標的だろうが、年相応の可愛げのあるセシリアは、無性に微笑ましかった。

 

「何が可笑しいんですの?」

「言いたいことはそれだけかな?前向きに善処するから、食事中なんでお引き取り願えないかな?」

 

どう足掻いてもぶつかるしかない。

解かってはいても、時と場所ぐらいは選ばせて欲しいのだ。

 

「………貴方みたいな存在と一緒にいること自体が嫌悪感を催すというのが、解かっていただけていないようね」

「いや、解かっているよ。うん。ウォルコット嬢以上にね」

「黙りなさい!セシリア様がおっしゃっていることに男の分際で反論するな!」

「そうよ!男なんて早く消えなさいよ!」

「汚らわしい!家畜以下の存在で同じ言葉を喋らないで!!」

 

どうにも旗色が悪い。古から集団で口汚い罵声を撒き散らす女ほど始末に負えない相手はいない。テンプレートに過ぎる言葉で一々気分を害するようなプライドも、安っぽい対抗意識も持たない万葉は聞き流す。一方で、気まずそうにしている友人達に早く離れるように目で促す。自分が平気だから他人も平気とは思わないし、派閥なんて大層なものと勘違いされて彼女達に累を及ぼすのも不本意だ。

 

同席していた子達がすまなそうにこっそりと離れても、罵詈雑言はやまない。むしろより下劣に過激な方向性へ転げ落ちて行く。

 

(もうちょっと、上手く立ち回れれば良かったなぁ)

 

弁当の残りをさっさと片付けながら自分の選択が失敗したことに、内心溜息を吐く。

このまま無視し続けても事態は好転せず、むしろ悪化の一途を辿ることは万葉でなくとも解かる。

 

 

ジリリリリリリリイ!!!

 

 

天祐とはまさにこのこと。言われっぱなしだった間に、昼休みの終了時間となった。

相手もじっと黙っている万葉に疲れ始めていたこともあって、罵詈雑言が途切れる。セシリアの取り巻きも言いたい放題のくせに、逆にストレスが溜まったような憤懣やる方ないという表情ばかりである。

 

「くっ………出て行くつもりはないようですわね」

「………」

 

捨て台詞を吐くつもりであれば、ぜひとも気合いの入ったものをお願いしたかった。

 

「あなたみたいな、惰弱で、覇気のない、情けなさの極致のような存在を、わたくしは絶対に許しませんわ!!」

 

言いたいことは言い切った満足感を覚えたセシリアは、取り巻きを引き連れて去って行った。

 

「え?あれ?教室出たよ?」

 

昼休み終わったのに。

 

 

「コラー!!あなた達!本鈴はとっくに鳴ってますよ!!」

 

麻耶の声が廊下に木霊し、ざわめきと複数の足音と共にセシリア達は教室へ戻ってきた。絶対に何も聞くなと、走ってきたせいだけではない頬の火照りを誤魔化しながらそれぞれ席に着いていく。

まさか、ここで特大級のうっかりを笑う者は居ない。笑ったら後が怖いのは言わずもがな。

 

「こう、微笑ましいと困るよ」

 

 

 

 

 

 

―――万葉が女の子達と華やかなランチを楽しんでいた頃

 

「うわぁ、凄いですね織斑先生」

「え、あぁ………」

 

英明果断で知られる千冬が珍しく言い淀み、顔を引き攣らせてまでいる。幸いにして声をかけた同僚教師は、千冬の手元を注視して気付いていない。

 

「これって、織斑先生の手作りですよね。流石ですね!」

「あ、いや、これは………」

「あの、今度もしよければ私にも教えてください!」

「だ、だから………」

「それじゃ、私は食堂なので失礼します!」

「あ、ああ………嗚呼」

 

捲し立てた同僚教師は、千冬と話せたことで今日も良い日だとスキップしながら食堂へ行ってしまい、残された側は「あ」だけで感情表現をするしかなかった。

本当のことを何一つ言えなかった罪悪感に苛まれながら、手元の可愛らしい弁当箱へと箸を伸ばす。デフォルメされたウサギのキャラクターのついた箸は、日本の国民的アニメキャラで世界中に知られている青い狸型――もとい猫型ロボットのキャラ弁からおかずを摘む。

 

当然ながら、このお弁当を作ったのは千冬ではない。この一週間、同居を開始してから毎日のように頼んでもいないのに渡されるようになり、習慣にまでなった。悔しいが美味しいので、文句のつけようがない。

 

「あいつは何を考えているんだ………」

 

箸の止まらない美味しさとはこのことなのだが、素直になれない千冬である。

考えるだけ無駄なのはこの一週間で感じ取った。しかし、理解不能だ。もしかしたら、万葉の上司は莫迦なのかもしれないと思ってみたりもする。この一週間で個人的な人脈を使って調べ上げても尻尾すら掴ませない相手だが。

 

「まあ、今は彼女の誤解をどうやって解くかだな………」

 

織斑千冬―――完璧超人に見える彼女は、実のところ未成年の頃から仕事づくめだったために家事能力が壊滅的という欠点があることを知る者は、意外に少ない。

 

 

 

 

 

(あれ?………みんな、ピリピリしてる?)

 

一日の授業を終えてホームルームのために1年1組の教壇に立った麻耶は、教室全体に広がる、ひりつくような雰囲気を感じ取る。まるでモンド・グロッソの選手控室のようなこれは、あまり良くないことの前兆と麻耶は捉えていた。

何となく原因は察することができる。それは去年もあったことで、開校当時からの先輩教師にも毎年恒例の行事みたいなものだから気にしないように助言をもらっている。

 

今の次期は各国の代表候補生の間で激しい駆け引きが行われる。何のと言うのは野暮というもの。

国の威信を背負う少女達にとって、自分の地位を得るための方法。有体に言えば、派閥作りの駆け引き。一年生は入学してからちょうどこの時期に動きが最盛期になる。

 

 

「今日の連絡事項を伝えます。カリキュラムを確認して知っている人もいると思いますが、明日から一年生も実機訓練が開始されます。これは、二週間後に予定されているクラス代表対抗戦に向けて、代表選抜の実力評価試験も兼ねています。但し、試験とはついていますが、あくまで代表選抜のためであり、現状で成績評価へ直結するものではないことを念頭に置いて、決して無理のない範囲で訓練に臨んで下さい」

 

麻耶は、質問を求めずに一方的に切りあげる。生徒からも不満は見られない。

この中の誰がクラス代表になるのか、実のところほとんど出来レースになっていることを知る麻耶は複雑な境地を悟られたくなかった。そんなことをエスパーにしかできなくとも、理屈ではなく感情で。

だから、教壇から見て一番右奥の窓際を指定席にする万葉と目が合ったのは本当にただの偶然。けれども、危惧したことをまるで見透かされたかのように、にっこりと笑みを返されて麻耶は心臓の鼓動が跳ねあがった。

知られたからどうということはないのに、悪戯を見咎められ手酷く叱責されそうになった時のような気分が襲う。被害妄想だと頭の中を切り替え、委員長へ指示をしてホームルームを終了させた。

 

 

 

プレッシャーを与えた本人はまるでそんなつもりもなく、今日も一日お疲れ様でしたと自分へ労い鞄を手に取る。いつもであれば多少はいつもの顔ぶれと雑談をしてから家路につくが、教室の雰囲気を察すれば手早く帰るのが吉だろう。他の子に迷惑をかけることは本意ではないのだ。

 

「それじゃ、お先に」

「うん、また明日ねー」

 

親しいクラスメイトはまだ言葉を返してくれる。ほんのちょっとのことであるそれに一々嬉しくなる自分に、少しだけ苦笑いと感謝を。そして、汚物を見るように憎々しげな眼を隠すこともしない少女達にわざとらしくウインクをしてから、教室を出た。

急いで帰ってもやることはほとんど無い。ヒオンは報告書の提出なんて面倒なことは要求しないから、工作員と言っても本当にただ学生生活をやるだけだ。ヒオンの他の部下と違って、何もしない時間がそう苦ではないので、今日はちょっと時間を使うことに決めた。

 

学生寮にしても、職員寮にしても、校舎からかなり離れているため通勤通学には敷地内を走る無料バスを使うのが一般的。中には込み合うバスを嫌ってロードバイクに乗って通学する生徒も居る。珍しい生徒では、自国で免許を取得しているのでオートバイ通学する生徒も少数ながら居る。万葉はその少数のオートバイ通学の生徒に含まれる。

今はモナコに住んでいる戸籍上の義理の姉が、誕生日にとサプライズで買ってくれたアルブレヒト・ドライス社の“ハイスクリンゲ”。Moto GPレース専用車の公道仕様モデル。自称小市民であるオルテガからは、絶対に購入金額を聞くなと何度も念を押された。ツーリングに出た際に他のライダーに雑談で聞いたところによると、公道仕様モデルには存在しないタンデムシートがあるのでメーカー特注の特別仕様らしい。随分と興奮していて、こっちがちょっと引くぐらいだった。

元来、“男の子”である万葉は例に漏れず、モーターモービルが大好きである。世界的な無公害エンジンの広がりと原油価格の高騰によって、ガソリンエンジンは昔のように主流ではなく、例えば“ハイスクリンゲ”のようにリニアモーターを使用した電動オートバイも珍しくない。休日には、洗車から部品の手入れまでを念入りにするが楽しみの一つになっている。

 

今日は買い物をしてから、洗車してあげようと決めてリモートスターターを起動させる。

 

「あれ?オルテガ?」

「ん」

 

隣に停められている250cc車がスクーターに見えるほどサイズの違う愛車には、見慣れたブルネットの少女が寄りかかっていた。

 

「乗る?」

「お願い」

 

折り畳み式のヘルメットを渡し、万葉はステアリングにかけていたフルフェイスヘルメットを被る。

義理の姉からはタンデムするのは自分だけだと言い含められている。オルテガなら許してくれるだろうと、姉心を知らない義弟は既に何度も乗せていたりする。聞かれないから答えないあたりが、確信犯である。

猛獣の咆哮じみたエンジン音は昔の話。リニアモーター特有の低周波と僅かな部品の摩擦音だけで、ほとんど音がしない。

 

加速を抑えた低速モードで校門の外へ出ようとすると当然人目についてしまう。まだ部活を決めて居ない新入生や一度寮に帰ろうとしている生徒は少なくないので、その中をスーパースポーツのオートバイにタンデムで乗っている生徒が居れば注目するなと言う方に無理がある。

万葉は頼まれてもいないのに周囲へ手を振り、オルテガはつんと澄ました態度で早く行けというように腰にまわしている両腕に力を入れる。これが嫉妬ならと思わなくもないが、単純に人目についた後が面倒なだけ。万葉も時間を潰すつもりはないので、校門を通って道路に出る。

 

そして、リニアモーター特有の燃焼機関型エンジンでは成し得ない、高加速によって悪い冗談のような速度へ達して、タンデムしている二人を怪訝な表情で見ていた生徒達を文字通り煙に巻いて消えて行った。

 

 

余談であるが、IS学園の敷地はどの国にも属さず、従ってどの国の道路交通法規にも抵触しない。従って、公道の速度違反が適用されないのである。

?瑰万葉が世の中の常識的な速度を守ったかどうかは、不明である。

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、貴様は部活を決めたのか?」

 

時間は夜。オルテガと買い物をしてから寮まで送り、料理の下拵え。それから予定通りに洗車。この一週間で知り合いになった職員も居るが、その大半は歓迎していないという次元ではなく、存在しなければいいのという具合に邪魔者扱いだ。それでもマイペースに洗車をする万葉も肝が据わっていると言える。満足いくぐらいに磨けた愛車に満足した頃に千冬が帰って来て、準備万端の料理を完成させて少し遅めの夕食を食べた直後に、最近ごく当たり前に受け取るようになった万葉の淹れたお茶を飲みながらの千冬の言葉が冒頭のものになる。

 

「部活………ああ、クラブのこと?」

「学園の規則は知っているだろう。生徒は全員何某かの部に所属することが決まっている」

「それは知ってるけど………何でまた。そんなことしてる国なんて、日本ぐらいなのに」

「それは私も知らん。だが、規則にある以上は今更グダグダ行っても仕方あるまい」

 

実に前向きで建設的な意見だった。

マイ湯呑を持ったまま、どうしたものかと考えてみるがどうでも良過ぎて考えがまとまらない。

 

「オートバイ部ってないの?」

「………無い」

 

規則に載っていないことを良いことに、とんでもないオートバイを私物で持ち込んでいることを苦々しく思っている千冬。万葉本人よりも、買い与えた人間に問題があると思っている。

 

「部活動、部活動、部活動………と言われてもねぇ」

「月並みな言い方だが、何か趣味にしてるスポーツなんかはないのか?」

 

それはオートバイなのだが、ばっさり無いと言われてしまっていた。

他にと言われれば万葉でも部活で存在しないと思うものばかりだ。

 

「軽音楽部とかは?」

「日本の一般的な部活動ぐらいだ、あるのは」

「つまりないのか………そもそも、ここ女子校だったね」

 

オートバイや軽音楽部なんて、女の子で興味があるのはマイノリティである。万葉の偏見だが、一面の事実でもある。

 

「こうして考えると、万葉って無趣味な気がするから不思議だよ」

「クラスメイトとはその辺については………そうか………」

 

話題に上ったりしないのか。それが禁句であると気付いても手遅れ、万葉は困ったように笑っている。

唯一の男性適合者である万葉がクラスで浮きたっていることは先刻承知。ウクライナやベラルーシの娘達が話相手になっているが、それ以外とは仲良くやっているとは到底言い難い。

千冬が一言不和について指摘すれば、大抵の生徒は雪崩を打って表面上受け入れるだろう。ISの競技大会モンド・グロッソの初代総合優勝と白騎士事件の中心人物―――実行犯ではなくあくまで開発の協力者として―――の肩書を、プロパガンタによって風船から大型飛行船まで膨らませた千冬の知名度は、“信者”まで生み出している。学園内には勝手にお姉様などと呼び慕う学生がいるほどだ。

だが、その千冬ですら己が根源である女性至上主義に毒された生徒達の本質を変えることまではできない。表面上従わせることはできても、それは嫉妬という二次災害を引き起こす。特に、男である万葉にとっては致命傷になりかねない。

 

(箒が………と言っても、無理だろうな)

 

クラスに居る幼馴染の妹である篠ノ之箒を思い浮かべて、溜息を吐く。

名字から解かるように、ISの開発者である篠ノ之束の妹である彼女は、姉の失踪と機密保持の名目で生まれ育った土地から無理矢理引き離され、挙句に各地を転々とさせられている。そうなると積極的に友達を作る能力に長けるか、内に篭るかのどちらかになり、箒は後者だった。

万葉へ対する無関心の派閥を貫いているが、他人とのコミュニケーションが下手なだけでもある。そんな箒に万葉と馴染むようにというのは酷な話だろう。

 

万葉は6組のオルテガ=アントラーデとは隣国ということもあって、付き合いがあるらしいと噂で聞いたことを思い出す。出勤前に受け取る弁当も千冬の分を含めて三つあり、残った一つは元ルームメイトの分だというのはかなり深い仲なのだろう。

ただ、類は友を呼ぶというのか、面倒事を引き起こすという面では実に近似した二人である。職員室で聞いた昼休みで起きた6組の事件を思い返せばそうとしか思えない。

 

「無理に運動部系じゃなくても………どうせなら、文系で………」

 

クラスでの交友関係に悩んでいる素振りを見せない万葉。しかし、見せないから存在しないという理屈は通らない。例えば、弟が生まれてからしばらくして失踪した両親のように、前触れもなくとんでもないことは起こるものだ。

 

「………貴様は、6組のオルテガ=アントラーデのことを知っているか?」

「………もうちょっとさ、聞き方がないかな。ルームメイトだったことなんてとっくに知っているわけだからさ。どうせ、聞きたいことってオルテガが昼休みにやった可愛がりでしょ?」

 

可愛げのないリアクションに千冬は鼻白む。

それ以前に、指摘された通りなので言い返す術もない。自分らしくない迂遠なやり方だと。

 

「あれを可愛がりで片づけられれば、教師は商売あがったりだな」

「あんまりこういうこと言いたくないけどさ………結局、あれが今の世界の縮図で、この学園の建前に対する生徒と所属する国家の本音なわけでしょう?」

「………そうだな。話を振っておいて悪いが、改めて言われると意外に応えるな」

 

そうだとしたらごめんね、と言われたが万葉に責任は無いので心苦しかった。変に弱味みたいなものを見せるのは良くなかった。

 

「人間ってさ、莫迦だから。とても悲しいことだけど、オルテガが採った方法が一番素早く被害がないんだよね」

 

零れた言葉は最後に冗談めかしたが、偽らざる?瑰 万葉を名乗る少年の本音なのだと強く千冬に思わせた。何かも煙に巻くような曖昧な態度の道化師が初めて見せた、本音に柄にもなく動揺していた。

口が滑った万葉は言葉を弄して誤魔化さず、大袈裟な態度に真実を紛らわせることもしない。知られちゃったら仕方ない。そんな、思ってしまう千冬が恥ずかしくなるほど、愛らしさ。

それが、久しく顔を見ることができないでいる弟の姿とダブってしまった。慌てて見直せば余韻はあっても、そうとは思えない。顔立ちは似ているが、並べてみれば違うと思うはずだ。幾ら最近顔を見に行っていないからといってもこれは重傷だろうと自己嫌悪に陥りそうだが、真面目な話でやることでもなかった。

 

「ねぇ、“織斑先生”―――もしもさ、万葉がオルテガと同じことをやったら、悲しい?」

 

表情は変わらず。されども、言葉は常と異なる。そもそもこの少年が人の気持ちを推し量るような質問すること自体初めてだった。

一体何を求められているのか。言葉の裏を探ろうとして、それが果てしない徒労になりそうな気持に囚われる。結果、返事が遅れ、悪戯に時ばかりが過ぎる。アナログの置時計の秒針が進む音がいやに大きく、思考を切り刻むように時の流れを告げる。

もしも、この場にオルテガが居れば、表情を以って千冬に助け舟を出してくれただろうが、残念ながら彼女は一人部屋になってしまった寮で、シャワーを浴びるという覗く人間がいないので誰得にもならないサービスシーン中である。

意図を読むことのできない自分に苛立ちを覚えて来た。弟と同じ歳の子供から手玉にとられているようだ。

 

そして、千冬が一人で思考の渦に巻き込まれる姿を、万葉は黙って待ち、最後に時間切れを示すように口を開いた。

 

「まあ、そんなことにならないのが一番だけどね」

 

きっとそれは、陰謀ばかりに浸ってきたツケなのだろう。それは双方に責任があり、量れば万葉の方が重いツケ。湯呑に口をつけて、そこでようやくとっくに飲み干していたことを思い出す自分の滑稽さに苦笑い。

 

(………まさか、お前)

(ごめんね。それは万葉のせいだから)

 

内心だけでも、呼び方が“貴様”から“お前”に変っていた千冬は偶然に少しだけ絡んだ互いの視線によって、万葉の意図を察することができた。意図と呼ぶにはあまりに幼稚で、それ故に解かり辛い。陰謀に晒され続けた者ほど見抜けない。

 

同居を始めて数日で初めて見せた、素の?瑰 万葉だった。

 

おそらく世界の闇の一番奥深いところで、超然と全てを玩弄するような笑いを隠すこともしないフィクサーから受けた、世界を揺るがす指令とは全く関係のない素顔。何故それを今になって見せたのか。まさか、自分に心を許したのかと思い掛け、都合の良い結論に自嘲すら湧いてくる。

ごく単純なことだった答えを直前に思い知らされていながら、同じ論法を即座に否定してしまう。故に、織斑千冬は決して答えに辿りつけず、最善の対応をとることができない。

 

「ところでさ、確認なんだけど」

「なんだ?」

 

次は何が来るのか。千冬はリアクションしか取れていない自分を歯がゆく思いながら、律儀に返す。

 

「この学園に、料理部ってある?」

 

ようやく思いついた名案とでも言いだけに、空の湯呑を置いて体を前に乗り出す万葉。キラキラと目を輝かせていていっそウザいぐらいだが不快感まではいかない。

わざとらしいにもほどがある。しかし、話を逸らされたことを指摘しても元に戻った話で、語るべきことがない千冬は、同じくわざとらしい会話に付き合う。

 

「ああ、それならあるな………」

「うん、それなら………入部しようか」

 

この時の会話を、後々もっとはっきりとさせるべきだったと千冬は後悔することになる。

ヒントも答えも全てあった。そして手を打てたチャンスも。全部逃せば、後の祭りであると過去の経験から知っていながら、同じ轍を踏んだことになるのはそう遠い先の話ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで、日本式?」

 

朝。登校して教室に入ると机の上に、菊の花を生けた花瓶が置いてあった。

そして、マスコミでは放送禁止用語になりそうな罵詈雑言が机の上で所狭しと乱舞している。

更には、机の中にはいったいどこから仕入れて来たのか、大量のゴミが詰められている。

 

被害者であるはずの万葉が思わず拍手して、感動すら覚えるナイスコンボ。

二つ目と三つめは世界中どこでもあるが、一つ目は日本式であるところが実に感動的。

万葉は礼儀の一種で、誰がやったのか見定めるためクラスをぐるりと見回す。クスクスと忍び笑いを隠そうともしない、オルコット閥のお嬢様方がいた。

 

(な・る・ほ・ど………)

 

多寡が学園の一クラスの派閥程度、歯牙にもかけるつもりはないがたった一週間でクラスの七割を取り込んだ手腕だけは評価できた。いつも話していた三人は、昨日のやりとりで意図を察してくれて中立派に行ってくれたようで、残りの三割はそんな感じらしい。

万葉は鞄からゴミ袋を取り出すと、机の中に詰められたゴミを移して行く。それが終わると今度はシンナーと布を取り出して落書きを消す。この程度は想定の範囲内でしかない。

 

「まぁ、これは勿体ないかな」

 

花に罪はない。気持ち悪いぐらいに気障なことを考えながら、菊の花が生けてある花瓶を机の隅に配置し直す。

 

10分も経てば、何も無かった机に元通り。

満足げな万葉に対して、どこからか舌打ちが響く。

イジメは、イジメを行う側の望むリアクションだろうが、望まないリアクションだろうが、どちらにしてもエスカレートする。今回の場合は望まないリアクションをとったので、次はもっと嫌悪を催すやり方になるだろう。万葉でなくとも、解かる理屈だ。

 

「ま、直接のやり方に変るまでは放置、かな」

「あら、今日は妙ななことをしてますわね」

「おろ?」

 

重役出勤で登校してきたセシリアが、前触れもなく声をかけてきた。

その割にはとても友好的な感じはなく、汚物を見るような眼で。一緒に登校してきた取り巻きに至っては殺意すら込めている。正直、そこまでするなら話しかけるなと思わなくもない。

 

「これはオルコット嬢、本日はお日柄もよく」

「………言っている意味はよくわかりませんけど、今途轍もなく莫迦にされた気がしますわ」

「気のせいだよ」

 

わざと判りにくい日本語の言い廻しを使ったのに、直感で見破られた。

 

「それで、下賤な男めに何か御用で?」

「その、情けない自己卑下は何とかならないのかしら。聞き苦しいですわ」

「注文が多いね。別に良いけど。それで、何の用?」

 

殺意や蔑みの混じった視線は無視すればいいものの、自分とセシリアが話しているだけで教室の空気がピリピリするのはいただけない。関係無いことを決め込んでいる中立派に悪いことをしている気分になる。

 

「朝から自分の机に花を置くだなんて、何の真似かと思いましたの。下賤な貴方が花を飾るなんて、花の方が可哀想ですわ」

「え?あ?………ああ、そういうことね」

 

思わず「こいつ、何言ってんの」と顔に出してしまい、数瞬で事態を把握した万葉は、やはり思わず笑ってしまった。

 

「な!?何が可笑しいんですの!」

「いいや、気にしないで。確かに、万葉に花は似合わないね。よければ、オルコット嬢が引き取ってもらえないかな?」

 

周囲からすれば笑いながら言っても無理だろう、こいつとなる。仕掛けた取り巻き達にしてみれば、一瞬血の気が引くような思いを味わう。

 

「な、な、な、何故わたくしが貴方から花をう、う、う、受け取らなくてはならないんですか?」

「万葉よりも、可愛い女の子の方が似合うと思ったからだよ。要らない?」

 

サンディブロンドにブルーの瞳は、日本人が思い浮かべる西洋人そのままで、彫の整った顔立ち。縦ロールだからというのは冗談だが、上流の教育を受けていることが見受けられる立ち居振る舞いはしっかりと洗練されている。それら全てを総合して言えるのは、まだ幼さがあるため可愛い美少女ということ。

もしも、内面を一切合財無視するのであれば、クラスでは篠ノ之束とセシリア=オルコットはトップ2の美少女になる。

 

「い、要りませんわ!」

「そっか、残念」

 

力一杯否定されると、肩を竦めて残念と付け足す。

一人相撲でプリプリと可愛らしく怒っているセシリアは、付き合っていられないとこれも可愛らしい捨て台詞を残して、去っていく。今回は教室を出るうっかりはなかったが、一度振り返って万葉を確認したことで台無しだった。

セシリアと入れ替わりに、複数の刺すような視線が万葉へ浴びせられる。余計な真似をするなと警告するそれに、万葉は笑いを堪える。怯えの交る警告に何の効果があるのか。

 

(駄目だなぁ………)

 

控えるように心がけていた嗜虐性が筍のように顔を出しそうになってきている。

楽しい学園生活を送りたければ控えるべきと頭では解かっている。今は男であることに対する通過儀礼みたいなもので、峠を越せば良いだけだ。しかし、オルテガのように恐怖政治を敷くようになれば、もう関係が固定になってしまい覆せなくなる。学園生活を楽しむつもりがないオルテガはそれを自分で許容することを決めているからできるのであって、万葉にはできない。

 

できないからやらないのではない。万葉は許容したくないのだ。

それだけの世界はどうにもつまらなくて、退屈で、生きて行くのが嫌になってしまうから。

 

 

 

 

 

篠ノ之箒は不機嫌だった。

何から何までが気に食わなった。

そのトドメが、目の前でヘラヘラしている軟弱を捏ねて人型にすればこうなる見本のようなクラスメイト、?瑰万葉だった。

 

世界で唯一のIS適合者である少年。

入学当日の自己紹介で、本当にこの人が教師で大丈夫なのか不安になるほど威厳のない山田麻耶が、それまでの評価を覆すような素早さで、連れ出して以来彼は学園の話題の中心に居る。

この時期は年に一度開催されるIS競技の公式世界大会モンド・グロッソ直前であり、誰が総合優勝を飾るのかで話題はもちきりになっているのが常だった。しかし、今はIS隆盛後に何千、何万と思考錯誤されてもついぞ誕生しなかった男性適合者の登場に、誰もが驚愕し、良くも悪くも注目している。

 

騒がしいことが好きではない箒は万葉の出現で浮ついた雰囲気が好きではなかった。しかも、イギリス名門貴族の出身らしい、いけ好かないセシリア=オルコットと対立していることでピリピリと不穏な暗雲まで立ち込めているのだから、やっていられない。

朝の嫌がらせにしても、あそこはビシッと言い返してやるべきところだ。少なくとも、箒の幼馴染で初恋の少年であれば間違いなくそうしただろう。まるで、何事もなかったと事無かれの態度をとるような軟弱さは断固として受け入れられないものである。考えが固いという意見もあるだろうが、実家が神社で剣道道場も兼ねていて、日本の学生剣道全国大会優勝経験もあるサムライガール的には当然の価値観だった。

 

そんな具合に否定的な感情しか抱けない箒だったが、何の因果かISの実機演習で万葉と組む羽目になってしまった。睨まれてしまった万葉にしてみれば、そのブラボーでベラボーな胸に手を当てて考えみたらすぐに解かるよとしか言えない。無論、本当に言わないのが紳士である。

 

(万葉も大概だけど、友達どころか、親しくできるクラスメイトも居ない時点でこうなるよね)

 

実に嫌な現実に即した理由である。はぐれ者同士傷を舐め合うのはナンセンスである。

 

「篠ノ之嬢からお先にどうぞ」

「どういうつもりだ?」

「どうもこうも、二人で一機しかないんだから、順番って言われたでしょ?」

 

IS学園の実機演習には世界で主流になっている第二世代ISが50機用意されている。これは世界最大のIS保有量を持つアメリカ、第二位のロシア、第三位の中国に次いで世界第四位の保有数である。あくまで学園の根幹たるISの実機訓練のために用意されているもので、どの国の所有物でもない。強いて言えば国際IS委員会ものである。

50機用意されていると言っても、数に限りはある。1クラス20名制が基本である学園において、実機訓練で一人に一機ずつ貸与することは難しい。第五まである演習場では他の学年も実機訓練を行っている場合もあり、規則では二人で一機を交互に使うことになっている。

嫌々組むことになったどちらかが先に使うしかないのだが、あっさり譲られると消化できないものがある。

 

「なんなら、じゃんけんでもする?」

「………いや、いい。遠慮なく使わせてもらう」

 

押し問答するのも嫌だったので、先に使うことにした箒は待機状態の腕輪を嵌める。

打鉄起動、と呟く。それだけで、量子変換による作用が働き、メディアに登場した際には冗談や魔法の類とまで言われたISが箒を装甲していく。1秒掛るぐらいで、装甲すると手足と背中を覆い、胴体部分は体を固着させるために最低限に装甲が施されているだけの、IS装着状態となる。

本来の“装甲”の意味をまるで覆している姿は、従来の全てを包んで防御と成す発想からはかけ離れていた。それを成した技術、シールドバリアによってISは装甲ではなく、力場によって防御している。原理自体が不明なそれこそが、それまで空の覇者であった戦闘機を遥かに凌ぐ運動性と併せて、ISを最強の兵器たらしめている。

 

「しかし、ISスーツを作った人は大したものだよねぇ」

「何か言ったか?」

「いいや、何でも。それじゃ、いってらっしゃい」

 

事前の注意事項は終わっているため、ISの起動後は指定の場所まで集合することになっている。

箒は独り言が気になっていたが、教官の千冬が手間取っている生徒を怒鳴りつけているため、トレードマークとも言える長い黒髪のポニーテールを揺らしながらすぐに行ってしまった。

 

「万葉も男の子ってことで」

 

誰も聞いていない言い訳だった。

ISスーツは装着する際の基本とされているスーツで、筋電位チェックに最適な素材となっている。

しかし、はっきり言ってエロい。実にエロい。健康な成人男性なら思わず前屈みになってしまうほどエロい。そして、あまりのエロさにガン見した男がセクハラで訴えられて敗訴したことがあるほどに、エロい。

筋電位チェックができるほど薄手な上に、動きを抑制しないために体にフィットさせているのだから、ボディラインがまるっと解かる。親しくない人のISスーツ姿に新鮮さを覚えた万葉は、予期せぬ目の保養に、早くも学園に入って良かったと不純にも程がある感謝をしていた。

 

今日は初めての実機訓練であり、いきなり武装を使った内容にはならなかった。

それもそのはず。ISの保有数の都合上、どの国も送り込んだ生徒達にISの実機訓練を施すことなどできない。そして、ISとは困ったことにシミュレーション訓練がし辛いものでもあるので、通常の機動から教え込む必要がある。ISは、ISコアが全てを統括していて、ソフトウェアをインストールさせること自体は可能でも、インターフェイスに関してもブラックボックスの部分が多く、模倣してシミュレーターを作ることができないのだ。

そのため、実機訓練を施すことは必須だが、保有状況や軍の配備状況等で必ずしも一定した質のある訓練を施せないことがある。だからこそ、各国は種々の面倒はあるもののIS学園を容認し、生徒を送り込んでいる。

 

しかし、何事にも例外はある。例を挙げるなら、学園が保有している第二世代機のどれにも当て嵌まらないISを装着している者が、一人居る。精確には、学園が貸与しているものと違うと言えば二人居る。

一人は南アフリカ共和国の代表候補生でもある生徒。使用している機体はB...システムズ社製の『スピットファイア』のカスタマイズ機。

もう一人は、万葉にとっては馴染みになってしまったセシリア=オルコット嬢。明らかに周囲の機体と異なるデザイン。奇抜さではなく、洗練された構造は一目で他と一線を画す優秀さを示す。蒼を基調とした色合いは、セシリアの碧い瞳と重なる。

 

―――B...システムズ社製第三世代IS『ブルー・ティアーズ』

 

未だ試作機の段階ながら、世界的に開始されている第三世代IS開発競争においてイギリスが国の威信をかけて開発した機体の一つ。

それを国から与えられている彼女は間違いなくエリート中のエリート。何せ、かつての兵器と異なり資金と資源と時間をかければ幾らでも用意できるわけではないISを、個人に任せるのだから相応の実力をもってしかるべきとされるのは当然。だから、セシリアのような存在を尊敬と嫉妬を交えて『専用機持ち』と呼ぶのが慣わしとなっている。

 

後に実機訓練を行う万葉も含めた生徒達は演習場の観覧席に銘々座って、訓練の課程を見守る。

千冬の指導はそのままでは遠く聞こえないため、生徒各自の端末にリアルタイム転送されて見ることができる。母国では受けることのできない実機訓練と、女神扱いされている織斑千冬直々の指導とあって、真面目に聞き入り、メモをとっている。

万葉はと言うと、映像こそ見ているが足をぶらぶらさせて、傍から見ても真面目には見えない。メモなんてとるだけ無駄だろうという姿勢は、周囲から反感を買っているが素知らぬ風を装う。

 

頑張っているクラスメイトには悪いと思いつつも、万葉は自分がここに居ることが莫迦らしくなってきた。

それは世界の裏側を覗いてしまった人間だけが持ち得る、鼻持ちならない優越感と謗られても仕方ない類ものであると自覚もあるが、止めることができないでいた。

ISによって世界は変ったか?―――肯定である。

ISによって人間は変ったか?―――否定である。

昨日、クラスで一発ぶちかましてアンニュイになっていたオルテガと、一緒に買い物をしている時の会話がそれであった。

 

IS学園がどの国家、組織、勢力にも属さない独立した組織という、誇大妄想じみた嘘。

善良さが際立ち過ぎて威厳と伴わない山田麻耶も一緒。

女神扱いされ、厳格だが公明正大である織斑千冬でさえ、生徒に一抹どころではない嘘を教えている。

 

もしかしたら、オルテガは全部面倒になったから強硬手段をとったのかとも思う。

本人に聞いても絶対に本音を教えてくれないとしても、想像できるのはそれぐらいだった。

 

 

「交代だぞ、?瑰」

 

気付けば、箒達の訓練時間は終わっていた。

不覚にも呼び掛けられるまで気付かなかった万葉は、瞬きを何度か繰り返して我に返った。

 

「むぅっ………」

「?」

 

待機状態の腕輪を受け取りながら、唸る万葉に箒は怪訝な表情を浮かべる。

座っている万葉の頭の位置と、立っている箒と言えば大体解かることだが、幸いにして箒には気付かれていなかった。

 

「本当に、動かせるんだろうな」

「心配してくれるの?」

「………ふん」

 

目線を彷徨わせて鼻を鳴らすと、箒は肯定も否定もせず行ってしまった。

周囲の視線も腕輪を受け取った万葉に集まっていた。嫌っているはずのセシリアさえ。きっと、ここでできなければ物笑いの種にするつもりだろうと、嫌な想像をしつつ万葉は起動させる。

 

(まだ、しばらくは道化でいよう)

 

オルテガと同じ道を選ぶかはその時に決めればいい。

 

「打鉄、起動」

 

量子変換の光の中。驚き、恐れ、諦め、呆れ―――歓迎されていない視線に包まれた万葉は、少しだけ懐かしい記憶を幻視した。

 

自分の頭蓋を9mmパラが砕いた瞬間を。

 

 

 

 

 

 

1年1組の実機訓練が行われたその日、千冬と麻耶は轡木理事長から呼び出されていた。

気の毒なほど緊張している麻耶に同情しながら、フォローはしない見事な放置を無意識にやってのける千冬は、求められるままに今日の実機訓練の考課表を轡木理事長へ渡す。

 

「1組も予想通りに成績のようね」

「はい。セシリア=オルコット、メアリ=フラット、篠ノ之箒の三人が抜けています」

 

イギリス代表候補生のセシリアと、南アフリカ共和国代表候補生のメアリ=フラットは専用機持ちだけあって、既に基礎ができている。基本動作だけでも数字が違う。そして、二人に並ぶ形で篠ノ之箒も高い評価を受けていた。

 

「流石は、篠ノ之博士の妹さんということかしら」

「それを本人に言えば、怒るでしょうが」

「………仲はあまり良くないの?」

「あの子は、天才である姉に人生を振り回され続けてきましたから、無理もないと思います」

 

学園に来るまで身柄の保護という名目で日本政府によって徹底した監視を受け続けた生活を思えば、誰もが同情してしまう。電話のみならず家の中の会話まで盗聴され、手紙も検閲対象、買い物も自由にできないほどだったと千冬は聞いている。

 

「IS学園への入学も、本人の希望ではありません」

 

入学してから少しだけ二人きりで話す機会があった際に、本人は直接言わなかったが行方を晦ましている束を釣るための餌として日本政府に放り込まれたことを暗に語っていた。

 

「痛ましい話ね………大人の嫌なところを子供に見せると、こういう意見になってしまうわ」

「それは………仕方ないと思います。私も、同じことをよく感じますから」

 

必要のないことは教えない。それを彼女達のためと言い張れるか。麻耶は騙しているという意識があるため、日々後ろめたい思いをしている。

轡木理事長は麻耶の気遣いに礼を述べてから、考課表で気になっている名前を見つける。

 

「“彼”は、普通のようね」

 

発音の都合上日本式の五十音ではなく、アルファベット順なのでおよそ真ん中あたりに記されている万葉の成績は平凡なものだった。セシリアや箒どころか、他の生徒達に埋没してしまっている。

 

「あの、それについては気になることがあります」

「どういうことかしら、山田先生」

「基準に照らし合わせて成績をつけると、考課表の通りになります。ただ、彼は自分の専用機は使いませんでした………」

「専用機を………?」

 

入学当日に適合者である証明のために起動させた、白磁色のIS。

三人共その機体を思い浮かべている。

 

「まだ、未完成ということは?」

「いえ……その、あくまで私見ですが、武装は別としても……外見や動作からは十分使用に耐えるレベルだと考えられます」

「私も、山田先生と同意見です。スウェーデンのISは実機訓練に使うだけの完成度はありました」

「二人がそう言うのであれば、間違いないのでしょうね。ですが、その上で訓練用ISを使用させたのは何故ですか?」

 

本人の申し出を避ける手立ては他に幾らでもあったはずだ。千冬と麻耶を疑うつもりはないが、二人の意図は確認しておきたいのが轡木理事長の本音だった。

 

「それは………」

「私の判断です、理事長」

 

麻耶の言葉を遮り、千冬は真実を告げる。

 

「説明してもらえるかしら」

「はい。彼と同居を始めてそれなりの時間が経過していますが、まず尻尾を掴ませていません。部屋も調べましたが、そもそも通信機の類もなければ個人端末も全て白です。肌身離さずという可能性も否定できません」

 

麻耶は同居にかこつけて生徒を調べ上げる手口に難色を示している。千冬も同じだったが、それでも自ら買って出た以上はやらなくてはならなかった。そして、二人に面倒を押し付けている轡木理事長は表情には何も出さず、続けてちょうだいと促す。

 

「試しに、私の持っている情報について少し調べれば出てくるようにガードを緩めるなど、囮や罠を置きましたが、それにも食い付いてきていません」

「意図を掴まれた可能性は?」

「否定できませんが、痕跡が一切なかったので本当にこちらを調べてないと思います」

「………それは、面倒な話ね」

 

?瑰 万葉はイレギュラーな存在だが、あまりにチグハグである。この場の三人の共通見解だ。

スウェーデン政府を含めた北欧五カ国のバックアップを受けながら、更にその裏の黒幕を持った工作員。そのことをまるで隠さずにむしろこちらへ喧伝している節すらある。工作員なのだから何かの目的はあるはずなのに、今のところアクションを起こす気配すらない。かと言って何か準備しているとも思えない。

やっていることと言えば、甲斐甲斐しく千冬へ炊事洗濯掃除で尽くし、毎日学校へ通い、趣味のオートバイや料理に時間を費やす。親しいのは母国の近隣国家の子だけで、後は同じ工作員と思しき6組のオルテガとイチャつくだけ。オルテガも昨日の一件以外では大人しいもので、何も行動を起こしていない。

 

尻尾を掴みたくとも、掴めないのはそもそも掴むべき尻尾がないからではないのかと思わされる。

あまりの居心地の良さにこのまま流されても良いかと思い掛けて、慌てて思考を打ち消した千冬は、まさかそうやって堕落を促すのが目的かとも思ったが………あまりの恥ずかしさに死にそうだった。

 

「か、彼の個人情報からは………」

「全て本当であれば………だけどね。アラスカ条約の建前、国際IS委員会から圧力を掛けて提出させた内容は、想像通りだけどよくできた内容だったわ」

 

轡木理事長が抽斗から取り出したファイルを受け取る。

出生地からこれまでの学歴、生年月日や血液型などのプロフィール。家族構成から、誰も聞いていない趣味嗜好。およそ必要と思われる要素は網羅されているそれを一通り読んで、怪しいところはないと思った麻耶は隣の千冬を見て口を噤んだ。

 

「半分は事実で、半分は改竄されていると考えます」

「私も同意見よ。健康診断などですぐに判るようなものは本物でしょうけど、他は巧妙に偽装工作がされているでしょうね」

 

万葉の足取りは出生した病院まで辿ることができた。日本政府が公安組織を駆使して調べた限りでは、叩いても埃一つ出ない。そのことが却って怪し過ぎる。普通こういったものは、どこかで足取りが消えているものだ。通っていた小学校にしても、毎年百人単位で卒業と入学があり、特別珍しいことでもやらない限り記憶や記録に残ることなどない。書類上は卒業していても、実際はどうだったか分からない。

それが万葉に限っては完璧と言っていいほどに追えている。人間の記憶ほど当てにならないものはないにも関わらずだ。?瑰万葉という名前さえ本当かどうさえ怪しくなってくる。

 

「それにしても、ISの操縦技能がここまで並というのは………どう思っているの?」

 

解らないものは考えても仕方ない。建設的な内容にすべく轡木理事長は話を戻す。老眼がきつくなったと夫と冗談を言い合うようになった目は、考課表へ移される。

 

「あんまり考えたくはありませんけど………実力を偽っていると思います」

「織斑先生は?」

「私も山田先生と同意見です」

 

普段のオドオドした態度や威厳の無さからは想像もつかないが麻耶も日本代表を務めていたほどの実力者。ISに関する目は確かなものがある。その麻耶に千冬まで同意見であれば、轡木理事長は正解だと思う。

基本動作ほど誤魔化しが効かないものはない。無理に誤魔化そうとすれば不審な点がどうしても出てしまう。千冬や麻耶がわざと間違った動きをすれば普段の精度が高いだけに、すぐに判ってしまうのと同じ理屈。

 

「隠す必要はあまりないわよね。今後も同じようにできるわけではないでしょうし」

「彼の性格からして、今回のような面倒を何の意図もなしにやるとは思えません」

 

理由は解からないが、技量を隠したい。そもそも実力を隠すには不向きな環境。工作員ならば男性である時点で注目は避けられないのだから、尚のこと厳しくなる。世界で唯一の男性適合者なのに、アピールに欠ける。女性からの反発を避けるにしてはやり方も杜撰だろう。

 

「あの………うぅ………やっぱり、違うかなぁ………」

 

麻耶は自信に持てない時によくやる、曖昧な言葉になっている。今にもごめんなさいと謝ってしまいそう。

 

「構いません。今は仮説でも意見が欲しいところですから」

「はい………あの、あくまで推測で、間違っていたら申し訳ないんですけど………彼は、クラス対抗戦の代表選抜を避けているんじゃないかな、と」

「代表選抜を?」

 

何故そういう推測に至ったのか、麻耶は続ける。

 

「こ、これも推測ですけど……あの子は、多分、代表選抜とクラス対抗戦の本当の意味を知っているんだと思います」

 

ホームルームで連絡事項を伝えた際に絡んだ視線。その後の笑顔。

あの時はまさかと否定していたが、徐々に形を成して推測まで育った。

 

「クラス対抗戦ね………」

「だから避けるか。考えられることではあるな」

 

カリキュラムに組み込まれてしまっているため、あえて意見は述べないが三人は否定的な意見を持っている。カリキュラムについては学園が作成しているが、国際IS委員会の恣意が入る余地はある。

学生は入学して浮ついた気分で居るためほとんど気付かないし、気付かないように配慮もされている。根本的におかしいのだ、行事が。

入学して一ヶ月以内でクラス対抗戦が行われる。目的は競争意識をクラス内で高め、更に他のクラスと競うことで切磋琢磨させて、互いに刺激を与えあうこととなっている。これを早期に行うことで、ISの操縦者としての意識と自覚を高めることも目的とされる。

冷静になって考えれば、目的自体は崇高でも現実に当てはめるとねじ曲がる。入学して一ヶ月で、基本動作を初めて学ぶものがほとんどなのだから、それが模擬戦とは言え戦闘機動を満足にできるはずがない。畢竟、代表に選ばれるのは母国でエリート教育を受け、既にISの操縦に慣れ親しんだ者達になる。

 

―――例えば、セシリア=オルコットのような専用機持ちであるとか

 

専用機を与えることができるのは、保有数に余裕のある大国だけの特権。

つまり、クラス対抗戦に出場するのは大国の専用機持ちだけ占められる。

アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国、日本、イスラエル、インド、オランダ、ブラジル、アルゼンチン、イタリア………先進国と呼ばれる国々ばかり。

 

意味するところはごく単純に、上下関係を叩きつけ、表向きは存在しない国家や組織や勢力の意志を介在せるための派閥醸成を成すため。クラス対抗戦で勝つことは、即ちその国が優秀な操縦者と高性能の機体を保有していることに直結し、軍事力を誇示することができる。

誰しも強い者の比護を求める。弱い者であれば尚更。長いものに巻かれるのが賢い生き方だ。クラス対抗戦の実績を基に、各学年で派閥は形成され、優勝者の下にはより人が集まる。集団となれば動きは格段に違ってくる。別に、派閥の長はISの操縦技術が高いだけでもいい。見た目が良ければ尚良し。集団をコントロールするのは、ISの操縦技術が低くてもその方面が得意な者にさせればいいのだから。

 

IS対抗戦とはそれらを踏まえた上で、国際IS委員会を裏で操る先進各国によるパワーゲームの妥協点が産み出したツールなのだ。

 

 

「クラス対抗戦に本来の思惑と異なる異分子が交れば、要らない不興を買う恐れがある、か」

 

千冬が若干の嘲りを交えた苦笑を漏らす。理事長の前でやることではないが、他の二人も同じようなものなので、咎める者はいなかった。

 

想像でしかないが、当たっていた場合の万葉は、前提条件に箒も、メアリも、セシリアさえもその気になれば倒せると思っていることになる。自信過剰にも程があるだろう。

IS学園の専用機持ちの中で別格とされる三巨頭を除けば、特にセシリアの技量は二年生のトップクラスと同等だ。三年生とも十分に渡り合える可能性もある。工作員の教育を受けてISに乗れるとしても、一朝一夕で何とかなるものではないことは、千冬と麻耶の知るところである。

 

「けれども、出場してもらうのも一つの手かしらね」

「理事長、それは………」

「冗談よ。クラス代表の選抜はクラスの自薦他薦が基本なのだから、そうそう上手くはいかないわよ。

 

 

それこそ、何者かの恣意が働かない限りは。

冗談めかして、話は締められた。しかし、言った轡木理事長も含めて、本来ならば有りもしない恣意が今回に限っては介在してしまうのか、そんな予感があった。

 

 

 

 

 

 

?瑰 万葉の人生は、波乱万丈な部類に入るものである。

本人は、そろそろこれで波乱万丈も打ち止めになるだろうと思っていても、周囲の期待に応えて参上と芸人のコントのようにやってくる。誰も頼んでないと言っても聞いてない。今の保護者的立場の人間に引き取られてからは、九分九厘奴のせいで酷い目にあっている。おかげで携帯の電話帳にはスタッフサービスの番号が常時登録されている。

 

 

「はい!?瑰 万葉君を推薦しま〜す!」

 

ただ、今回は彼の魔手から逃れたと思ったら、その先が地雷原だったというオチである。

実機訓練が始まり、クラス対抗戦の本番まで残り日数も少なくなってきた頃。ホームルームでクラス代表を決めるため、候補の自薦他薦を麻耶が促したところ、第一声が冒頭の黄色い声だった。

現実逃避したかった。何のために実機訓練の動きを下手な偽装してまで隠していたのか。普段から錐のように突き刺さる視線と、日に日に陰湿さを増すイジメをこれ以上酷くないものにしないための苦肉の策だ。

 

ISを操縦する国家代表たる女性に対してそうではない女性が嫉妬するように、上手くISを扱える男性はそれだけでイジメの対象となる。当初の女の子が一杯いるウハウハな学生生活(仮)は随分遠くなってしまったと枕を濡らしたことは、全部綺麗さっぱり粉微塵にされてしまった、

 

「そろそろ、開き直っちゃった方がいいのかな………」

 

呟きで流れを変えられず、推薦した子に呼応して教室が一斉に騒がしくなる。

肯定的な意見、否定的な意見、野次馬根性丸だしの意見。歓声混じりの遣り取りは、女子校ならではの華やかさがある。こんなところで発揮しないでくれという当事者の心の叫びは届かない。

 

「?瑰 万葉っと………」

 

騒がしさの止め処を吟味しながら、黒板に難しい漢字をキチッと千冬は書く。

普通、ホームルームの進行は担任で、板書が副担任のはずなのに誰も突っ込まない。憧れの千冬お姉様のやることなら全肯定かいと心の叫びが迸ってもやはり届かない。

 

「ほ、他にはありませんか………?」

 

既に波乱の予兆を感じ取っている麻耶は涙混じりになってきた。そろそろ彼女には誰か胃薬を送るべきだ。

 

 

「お待ち下さい!!わたくしが在籍しているクラスで、男を代表に選出するなんて恥晒しも良いところですわ!!断固として反対致します!!」

 

 

発言内容は空気を読んでいないが、発言したこと自体は空気をしっかり読んでくれていたセシリアは、細い指のどこにそんな力があるのかというぐらいに机を叩いて、抗議の声を上げる。

 

「ふむ………しかし、それはお前の個人的な感情だろう、オルコット」

「それ以前の問題ですわ!!こんな情けない男を代表に選出するなんて………先生も御存じのはずですわ!この男の成績が箸にも棒にも掛からない程度でしかないことを!クラスでさえ後ろから数えた方が早いぐらいなのに、代表なんておこがましいわ!!本当に恥を知るなら、今頃首を吊って死んでいるべきなのに!」

 

興奮のあまり、後半は声が裏返りかけていた。

どうしたって受け容れられないものは、受け容れられない。そう主張するセシリアに、クラスは静まり返るどころかいっそう盛り上がる。よくぞ言ったと賞賛する声の方が多いのは、セシリアの男性蔑視はさておき、言っていることが概ね事実だから。

そうでもなければただの誹謗中傷。流石に、そこまではしないのかと万葉は妙な感心をしていた。当事者のくせに、ここでセシリアが気張ってくれれば、蔑みは増しても降りかかる火の粉は確実に減らせる。与えられた任務に反しているが、今はそれどころではない。

 

全力で後ろ向きだった。オルテガには、程良く莫迦にされそうだ。

 

「もしも、まだ彼を推薦すると言うのであれば、わたくしは自薦で立候補いたしますわ!」

「それは構わんな」

 

教室がワッと湧きあがり、拍手喝采で盛り上がる。

千冬も名前を板書する。麻耶はいつものようにオロオロしながらも、止める気配はない。

 

 

「あ、そう。そういうこと………なるほどね。そうか、そうか」

「ん?何だ、?瑰?」

 

ブチブチ繰っていた独り言が耳に届いた、前の席の箒が怪訝そうに振り返る。凛とした日本のサムライガール的な綺麗な顔は、いつも以上にむすっとしていたのは独り言を気持ち悪く思っているだけではなく、あれだけ罵倒されていながら怒りの一つも表情に浮かべない情けなさを憤っていることは、万葉も判っていた。

本質的にはとても優しくて人を思いやれると何度か実機訓練でコンビを組む内に把握できているので、その憤りも嬉しい類のものだ。だから、扱いに困ってしまう。いつも話す子達のような間合いの計り方をしないので、動きを計算し辛い。

 

視線を転じれば、親の仇のように睨むセシリアと目が合う。だが、敵意も一瞬。目を合わせる価値も無いとそっぽ向けられてしまえば、肩を竦めるしかない。

 

 

(くっだらない………ああもう、ホントにくだらない)

 

 

可愛い子は好きだ。女顔扱いされようが、何だろうが男であるからに本能に根ざして可愛い子は好きなのだ。けれども、この状況は嫌いだ。全部裏目に出たことは自分の責任だから余計に腹が立つ。

これでは暴力と恐怖で綺麗さっぱり収めてしまったオルテガの手腕を、本人が嫌がっている方法であるとしても見事であると褒めたくなる。

 

「こんな男に代表をさせるなんて間違ってると思いま〜す!」

「はやく棄権して、セシリア様に任せなさいよ。アンタなんかに任せたらみんなが恥をかくんだから」

「いえ、棄権なんてさせませんわ!」

 

取り巻き達のブーイングを一言で収めると、失礼な行いと知りながらセシリアは万葉へ人差し指を突きつける。

 

「貴方みたいな下等な極東のサルに、わたくしと決闘する栄誉をあげますわ。そこで、如何に貴方が下等なサルであるかを身を以って教えて差し上げてよ」

 

白人至上主義者の言葉をそのまま女性至上主義者に取って代えただけの言い回しで下品さをオブラート包んだセシリアに、万葉は逆ににっこりを笑みを返した。

 

「な、なんですのその笑いは!」

「いいや、何もないよ」

 

そう言えば、以前も同じようなやりとりをやったなと苦笑に変える。

ちらりとセシリアに気付かれないように、千冬と麻耶を見る。普段であればこんなやりとりをしていれば、千冬の鉄拳制裁が等しく降って来るはずが、今日に限っては事の成り行きを――そうとは簡単に見えないが――楽しそうに見守っている。麻耶に至っては、視線に気づいて申し訳なさそうに目を伏せた。嘘のつけない人だ。

 

「決闘ね、いいよ。大いに結構じゃないかな。結局は、クラスで一番強い人を出すのが趣旨なら、それが一番だよ」

 

だったら、バトルロワイヤルでやろうよと言い掛けた。それはたいそう楽しいことになるだろうが、そこまで悪ふざけできるほど、気分が落ち着いていなかった。

 

有体に言えば、この学園に来て以来、初めて昂っていた。

 

 

「あら、貴方如きにわたくしの決闘に立ち合える勇気――いえ、蛮勇があったなんて驚きましたわね」

「勇気?蛮勇?まさか、そんなもの要らないよ。思い上がったお嬢さんにちょっとお仕置きするぐらいなんだから」

「な!?わたくしを誰だと―――」

「肩書なら万葉も同じだよ。他にも居るけど、スウェーデンの代表候補生だからね。セシリア=オルコット代表候補生様」

「!?」

 

白人特有の肌や顔を熟れたトマトのように紅潮させ、セシリアにとって侮辱の極みである暴言を吐く万葉に向かって言葉を返そうとするが、激し過ぎて言葉が出てこない。

周囲からは失笑や、これまでと比べて人格が豹変したかのように攻撃的になっている万葉にざわめきが起こっていた。

 

「それとも、まさか下賤な極東のサル相手にまさか、いや、本当にまさかだけど、決闘を叩きつけるために勇気を使うなんて、それこそ末代までの恥じゃないかな?」

「言わせておけば勝手なことばかりよくも―――良いですわ、二度とこの学園に出て来れないように徹底的に痛めつけてあげますわ」

「そう?気が早いもんだね。まあ、そっちがやる気になってくれるなら、ハンデキャップの一つや二つぐらいあげるから好きにしなよ」

 

 

ヤバい、本格的に楽しくなってきた。そう思っても、止められないし、止める気配はない。

ここに来てから自分が思っている以上に溜まっていたストレスがガンガン後押して、呼吸するように挑発できる。可愛い子を怒らせ、屈辱に震わせる行為は快楽ですらある。

 

「?瑰君、それ言い過ぎだよ」

「そうだよ、男が勝てる訳ないんだから無理しちゃ駄目だって」

「ハンデもらう側なんだから、大きなこと言っちゃったら学園にホントに出て来れなくなっちゃうって」

 

中立派の生徒達が口々に挟んでくる。

だったら、さっきのくだらない推薦は何だったのか説明しろと言ってやりたい万葉は、笑う。莫迦にしたものではなく、心底楽しげに。もっと盛り上げてくれよと言わんばかりに。

ハンデなど関係なく、後で死ぬほど後悔に苛まれるとしても、むしろそうなることが確定事項なら自分から飛び込むのが吉だ。くだらない遊びに付き合って、やることやり尽くした者が正解、華丸。踊る阿呆に見る阿呆なら、踊る阿呆の方が楽しいに決まっている。

 

沸点をとっくに超えて蒸発しそうなほど怒り心頭でも、怒り狂って我を忘れて居ないセシリアでは考えもつかないだろう。嫌味や皮肉なしで、可愛い子を相手にしてはしゃいでいるとは。

 

「気遣いありがとう。もうお腹一杯なんで、これ以上は遠慮しとくよ。いつまでも御託を並べるのは、不毛だしね。さて、学校的に今の話って許可をもらえるんですよね?」

 

世の中楽しい話ばかりでは飽きるでしょうというのが保護者的立場の人間からのありがたいお言葉。それを実践して見せる万葉は、外野を決め込んでいた先生二人へ会話のボールを投げた。

眉を吊り上げてバカ騒ぎに走り過ぎたと叱責する千冬とは好対照に、完全に使いものにならないほどテンパッた―――普通学級崩壊もどきの口喧嘩に直面して平静な方がおかしい―――麻耶は、千冬に助け舟を求める。

 

「クラス代表選だからな。勿論、より強く優秀な代表を出すために、意見が割れた場合はクラス内で実際に戦うことは認められている」

 

予定調和お疲れ様とでも言いたそうに、あっさりと認める千冬。

但し、演習場の都合で今日の今日は無理だと注釈をつけられる。それでいて、今日の怒りは溜め込んで高めてから思う存分爆発させろと焚きつけている。

 

「それじゃあ、お仕置きは明日に持ち越しだね」

「ふん、今更謝ったとしても絶対に許しませんわ。吠え面かかせて差し上げますから覚悟なさい!」

 

互いに高笑いを上げたところで、見ていた誰かがわざわざスイッチを入れたかのようにチャイムが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う………いかん、少し飲み過ぎたか?」

 

いつもカッチリとスーツを着込んでいる千冬は、ワイシャツの襟もとを大胆に開き、研ぎ澄まされた鋭さのある気配も少しポワポワと浮いている。

ホームルームの愉快な―――あくまで千冬視点で―――対決は、脅かせば死んでしまいそうなほど気の弱い麻耶には、残り1分しかない爆発物の処理を突然任されたのと同じぐらいの緊張とストレスだったらしく、職員室に戻ると、人目も憚らずわんわん泣き始めてしまった。

外野からすればよく職員室まで我慢した拍手喝采されるところ。自他共に厳しく接する千冬はそこまで追い詰めてしまっていたことに気付かなかった自分の失敗に、罪悪感を抱くことになった。それからどうやって慰めたものか考えあぐねたが、どれも効果が無かった。ところが、最後に日本のサラリーマン上司が使う伝家の宝刀を思い出して、抜いてみたところ効果覿面だった。

 

「まさか、山田先生が酒乱だったとはな………」

 

ついさっきまで一緒だった麻耶の乱れっぷりに、思わず溜息。

IS学園のあるこの島は、キング・ハリドシティのように純然たる学園の施設がある区画以外に膨大な数に上る生徒や職員等のために、商業施設の区画が併設されている。万葉が買い物をするショッピングモールの他にも、種々の国のニーズに応えられるように外食のできる飲食店や服飾店、その他、大都市の商業中心地が丸ごと入っていると過言ではないほど揃っている。当然その中には、大人が酒を飲むための店もしっかりと存在する。

 

―――よし、今夜は呑みに行こう!

 

その言葉も威力は絶大。流石は伝家の宝刀。

迷子の迷子の子猫ちゃん状態だった麻耶は、最初に呆けて、次に瞬間湯沸かし器になり、果ては挙動不審な性犯罪者寸前になっていた。にゃんにゃんが、ニャンニャンになりそうなぐらい。

泣きやんでくれて良かったと安堵していられたのは、飲み始める直前までだった。思い知った。麻耶のようなタイプこそ普段溜め込んで、酒の力で理性の箍を吹っ飛ばすと恐ろしいことになるのだと。

 

まず、飲むペースが尋常ではなく早い。

真夏で喉がカラカラになった時にスポーツドリンクを一気に飲み干すぐらいは誰でもできるが、それをビールであっさりやってのけられると流石の千冬も引いた。引いたが、これがまだ序章に過ぎない。ビール程度のアルコールでは足りないとワインまで頼んだところで、止めるべきだった。

しまったと思った時には手遅れ。ガンガン空けて行く様子に、店員の顔が明らかに引き攣っていた。

 

そして、自分のペースを基本に千冬にも飲ませる。

―――私のお酒は飲めませんか?

まだそれだけなら、宥める余地がある。

―――そうですよね、私みたいな駄目教師のお酒なんて飲めませんよね。

―――良いんです、判ってるんです。いつも、いつも織斑先生の足を引っ張って、生徒には舐められて

―――私なりに頑張っても全部空振りばかりで、あは、可笑しいですよね

―――こんな風に折角誘ってもらっても気のきいたこと一つできなくって面白くもないですよね

―――しかも、嫌なお酒を進めちゃうなんて、私人間の屑で、ゴミで、カスで、蛆虫以下です

―――嗚呼、もう死んじゃおっか。そうしよう。千冬お姉様にお酒を飲んでもらえない私なんて

―――死んじゃえ、死んじゃえ、背は低いけど胸だけは大きいから首吊りなんてちょうどいいかも

なんて、息継ぎなしのノーブレスで捲し立てられたら飲まないわけにはいかない。もう少しまともなら鉄拳制裁するが、ここでやったらどんな風に転ぶか判らないのでできなかった。

 

おかげで、人生の中で一番酒を飲んでしまった。

持ち前の強靭な精神力で耐えているが、限界まで飲んだ経験がないせいで今自分がどれだけ酔っているのか、把握できていない。もしかしたら、かなりマズイのかもしれない。

その他にも、色々とやられたせいで思考力ががた落ちになってしまっていた。抽象的な言い回しをすれば、山田先生はノンケに見えて、実はガチレズの願望があるんじゃなかろうか。具体的に言えば、着やせするせいで普段は判らない形といい張り・弾力といい最高級の一品である隠れ巨乳を揉まれた。それはねっとりとリンパの流れを意識した性感を引き出すような揉み方で。男では中々できない、女同士の妙技。

幸いにして誰も見て居なかったが、もしも見られていたら目撃者を処分することを本気で考えなくてはならない。

 

「本格的に情けないことに………なってきた」

 

最終的に酔い潰れた麻耶を部屋のベッドに寝かせるところまでは―――色々危険はあったが―――やってきた千冬だが、自分の部屋まで後少しというところで、致命的なまでに酔いが回ってきた。

酔っている人間ほど自分の酔い具合を把握していない者はいない。幸いにして時間も時間なので、千鳥足で真直ぐに歩けず、壁伝いに意識を朦朧とさせる千冬の姿は誰にも見つからなかった。カードキーで玄関ドアを開くと、そこで限界が来た。

壁の支えを失い、アルコールに狂わされた平衡感覚は呆気なく千冬を上がり框にダイヴさせた。火照った頬にフローリングの冷たさが気持ち良いが、かなり大きな音をたててしまったことが気に掛った。

 

「駄目ら………一夏が起きれ………いら、あいるのことらから………わらひが帰るまれ……起きれ……」

 

この世でたった一人の肉親である弟。学校や仕事で家に帰るのが遅い時間になりがちな千冬を、眠たいくせにずっと待っている。いつも先に寝て居ろと叱りながらも、照れ臭そうに待っている弟にどれだけ心癒されてきたことか。

今日もきっと待っているはずだ。そこまで酔っていないのだからしっかりしろと言い聞かせ、実は焦点が大分ぼやけている視線を上げる。きっとそこには、音に驚いて駆け付けた弟が居るはずだ。

 

「うわぁ………ベロベロだよ、これ」

「こら………誰らヘロヘロら………」

 

無礼な弟へ、ポカリと一発。

なのに、弟は生意気にも「はいはい、もうこんなに酔っ払って」とぼやきながら、肩を貸そうとする。

 

「て、訂正しろぉ………姉さんあ……酔っへないぞー………いちかぁ〜」

「え?」

「ん?」

 

力の入っていない千冬は寄り掛かっていた弟の体から身震いが伝わったことに、おかしさを感じる。

肝心なところで“ナニカ”が致命的にズレている。酔っているせいなのかと、内心首を捻る。

 

「ろうした、いちか」

「あ………ああ、ん………何でも。何でも無いよ、千冬姉」

 

千冬は、どこか弟の様子がおかしいと感じた。心当たりはないと即断したが、よくよく考えれば酔って帰ることなどまずないことに思い至った。酒を飲まなければならないほど辛いことがあったのではないかと、想像させるようなことでは駄目な姉になってしまう。

 

「姉さんは………大丈夫らから………お前はぁ……なんりも……心配しゅるにゃぁ………にゃにがあっても……絶対に、守るから………にゃぁ………」

「………うん、ありがとう、千冬姉」

「礼なんか……いらぬぅ………」

「うん、それでも………ありがとう。あ、っと……この体勢はきついから、こっちでごめん」

 

言うが早い、弟の手で膕に腕を通され、軽く抱き上げられる。突然の浮遊感に慌てる暇もなかった。

 

「こ、こらぁ……は、恥ずかしいだろぉ………」

「酔っ払ったところを見せてからじゃ、遅いって」

「生意気りゃ!」

「痛ッ!痛いって!」

 

一発の威力が足りないならばと、何発も叩く。これで懲りただろうと、隠れていない隠れ巨乳を突き出して胸を張る。謝って降参させるまで続けてから、満足する。それから背中から伝わる手の大きさに身を預ける安心感に浸る。

 

(ん………一夏も、大きくなったんだな)

 

ついこの間まで、叱られては泣いていた小さな子供が、今では自分を抱き上げられるまで育ったことを実感することができて、ほのかな暖かさの伴う幸福感に包まれる。決して、酒の心地良さだけではない。

まだまだ子供だと思うが、着実に成長して大人の階段を上っている。突然蒸発した両親に代わって、ずっと親代わりをしてきた千冬にとって、弟の成長は生きる喜びそのものと言っても過言ではない。手の掛る弟だけに愛おしさも倍増する。

 

「ほら、着いたよ。水飲む?」

「ああ………」

 

頼むというのも億劫になってきた。そっと降ろされたベッドから動きたくない。しかし、スーツ姿のまま寝るわけにはいかない。シャワーは明日の朝浴びればいい。落とすような化粧もしていないので、落とす必要もない。上着は脱がしてくれていたので、ワイシャツとスカート、後は下着を脱げばいいだけだ。

ベッドに寝たままホックを外してファスナーを降ろし、もぞもぞと動いてスカートを脱ぐ。ワイシャツも寝返りを打つ要領で脱ぎ散らかすあたりに、酒の回りが人の理性を削り取るのかが垣間見える。

 

「水持ってきた……って、何て格好してるのさ………」

 

弟が戻ってきた頃には、成長期は過ぎているはずなのにカップがきつくなってきたブラのホックに手を掛けていたところだった。

 

「弟に見りゃれたぐらい………見られたうちに、ひゃいるものか………」

「あー、はいはい。判ったから、まずは水を飲んで」

 

差し出された水を引っ手繰る。それから、男前に一息で飲み干すとコップを突き返す。

まるで子供をあやすような態度に少々カチンときていたことは事実だ。姉はいつまでも弟が手の掛る存在で、想定の範囲内であることを無意識に望んでいる。どうも今日の弟は、生意気が過ぎる。ここは一つ懲らしめてやるかと考え、酔っ払いをあしらうように寝かしつけようとする手首をがっちり掴む。

 

「へ?」

「来い!」

 

手首を返して、そのまま反対側へ寝返りを打つ。小手投げと同じコツで体勢を崩させ、そのままベッドに押し込む。慌てふためいて逃れようとしたのが、千冬の癇に障った。そのまま一発当身を喰らわせてから、寝技の要領で動けないようにホールドすると、がっちり頭を胸に掻き抱く。

頭を抱いたことで頭頂部が目の前にきたので、旋毛に鼻を押し付ける。風呂には入っているらしく、シャンプーの香りがする。それ以外に、どことなく女にはない男くさい匂いもした。

 

「お前は……何も………心配するな」

 

水のおかげで呂律だけは戻った。

 

「何があっても、私だけは………絶対に、味方だからな………」

 

幼い弟から、何度聞かれたことだろう。

―――僕の、お父さんとお母さんは?

まだ物心つく前の弟と、義務教育課程だった自分をおいて消えた両親。ずっと、弟には「お前の家族は私だけだ」と誤魔化しの言葉で、黙らせてきた。どうして、と縋りつく弟に、私も答えを知りたいと言い掛けたことも一度や二度ではない。

それでも、親の蒸発が周囲に知られ、噂話になり、心の無い大人や子供からからかわれる度に、外では泣かずとも家に帰って来て泣いていた。だから、イジメをする者を許せず、幼馴染の箒を庇ったりもしていた。

千冬達姉弟にとって、世の中の人間は敵か、味方ではないかだけで括るしかなかった。助けてくれた人も、手を差し伸べてくれた人もいたが、そう思うことでしか強く生きられないでいた。

 

両親のように、いつか裏切られるのではないかと不安を拭えない。

だから、せめてたった一人の家族である弟には、無条件の味方でいてやりたかった。そのための力を求め、果てに白騎士事件を起こしてしまっても、想いは変わらないままでいた。

 

 

「………っ!」

「なんだ………泣いているのか?」

「………違うよ」

「そうか………」

 

素肌の胸元を濡らすものは、そうしたら汗ということにしておこう。代わりに抱き締める腕の力を強める。大丈夫、私はここに居ると伝えるように。

昔、まだ弟が泣き虫だったころはよくこうして一緒に寝ていた。懐かしさが込み上げ、誰かが側にいる安心感も手伝って、意識が少しずつ眠りへと落ちて行く。

 

 

(こうして、一緒に寝るのはいつぶりかな………ああ、気持ち良い………)

 

 

もう、弟を抱いたままでいる意識さえなく、暖かにそのままヒュノプスの誘いの手をとった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う゛ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

天気も良く、爽やかな朝の始めから地獄の底で声帯を潰されながら、過酷な拷問に気が狂いそうな咎人のように唸り声を上げているのは、1年1組の誇る副担任―――山田麻耶である。

平和そのものだった朝の職員室は、彼女の出勤によって木端微塵にされていた。

 

歩けば幽霊のような足取り。

表情は、漫画ように縦線が入りそうなほど暗く蒼白い。

事ある毎にえずき、頭を抱えて机に突っ伏したまま唸る。

 

典型的な酷い二日酔いの症状だった。

麻耶には昨日の夜の記憶が綺麗さっぱり抜け落ちていた。

同僚だが、憧れの存在である千冬から酒の席に誘われて、それまで胃に穴が空きそうだった苦痛など軽く成層圏まで吹き飛び、有頂天になっていたことまでは覚えている。千冬に店探しを任せるわけにはいかないと、麻耶セレクトのお店に行き、大人同士なので酒を注文して何杯か飲んだところまでも覚えている。

 

案の定、二杯目以降の記憶がさっぱりない。

思い出そうにも、本物の鐘が鳴っている真下にいるのと変わらないような反響が、頭の中で暴れ回ってくれているせいで何も考えられない。考えるだけで頭痛が襲い、ちょっとの物音が爆音に聞こえるのだから深刻である。

昨日何があったのか、千冬に聞けば解かることすら思い浮かばず、出勤してるかどうか隣の席なのに確認していない。今日一日ほぼ使いものにならないことは間違いなかった。

 

 

だが、職員室が異様な雰囲気になっているのは、何も麻耶一人だけのせいではなかった。

 

 

「――――――――――!」

 

 

武術には相手を眼で殺すというものがある。

眼は昔から人の感情を読むための要素として重要視されてきた。感情によって眼の動きは異なり、相手を害する、嫌う意図の眼というのは非常に強いインパクトを与える。使える者になると、これを自在に扱い、眼力に殺意を乗せて、威嚇するということをやってのける。

 

正しく、今の織斑千冬だった。

 

致命的な醜態をさらして、半分死んでしまっている麻耶と比べて身嗜みも整え、二日酔いの症状は欠片もない。酒量が違ったことは確かだが、それでも酒はほぼ抜けている。

しかし、常であれば説教混じりに麻耶のフォローをするはずが、まるで眼中にないかのように椅子に座ったままでいる。机に肘をついて、両手を組んだその上に鼻梁を重ねているせいで眼光だけが際立つ。周囲の教師達の本音を言えば、超怖い。

 

君子危うきに近寄らず。

 

「どうする………どうする………どうするんだ、織斑千冬」

 

朝起きてから、ちょうど百回目になる呟きは呪いじみていた。

しかし、視線や呟きとは裏腹に頭を抱えていないことが精一杯なほど、精神的に追い詰められていた。

 

―――眼を覚ましたら、自分の部屋のベッドの上で半裸でした

 

しかも、玄関のドアを開いたところから記憶が全く無い。そこだけ修正液でもかけて塗りつぶしたように綺麗さっぱり抜け落ちている。カップがズレて零れ出していたバスト。伝線して二度と使いものにならないほどあっちこっちが破けているパンスト。スカートにラインが出ないようにするための割ときわどい下着も、捩れて湿っていた。

 

酒に酔った。記憶が抜けている。ベッドで着衣の乱れどころか、半裸。

キーワードが三つ揃えれば答えは自ずと出る。三段論法もお呼びではない。

そして、一番な大事なことも確認した。グルグルと頭の中が絶賛混乱中で、人生で最も動悸が激しくなる。緊張で震える手で掛け布団を捲ってベッドシーツを確認したところ………。

 

「っ!?」

 

カッ、と眼を見開いて回想から戻ってきた千冬は身悶える。幸いにして、見ているだけで精神衛生上よろしくないため、身悶える織斑千冬というスーパーレアな代物は誰にも目撃されることはなかった。

 

「忘れたい………」

 

朝の記憶こそすっぱり抜け落ちて欲しい。本気で、行方不明の幼馴染・篠ノ之束に都合良く記憶を消す方法が無いか、無くても発明できないか相談したい。

酒に酔ったことも、記憶が抜けたこと自体も、ベッドで半裸だったことも、ベッドシーツの赤い染みも、全部が全部、この世から抹消したい。させて欲しい。もしできるのであれば、アメリカとだって単独で戦えるかもしれない。

 

「忘れたい………」

 

同じ言葉を、より切実に呟いた。可能限り物証は隠滅した。おかげでいつもより出勤が遅くなってしまったが、人生の一大事の前には些細なことだ。

 

「………こうなれば、殺るしかない」

 

残った物証は、思い出すだけで胸のあたりが疼く、右の胸にきっちりと痕を残しているキスマーク。それだけ強く吸われたのか、どうやっても赤みが引いてくれない。いやはや、そんなことはどうでもいいと忘却の海へとそんなものがあったことを沈める。浮きがついているので後で浮上してくることも含めて。

時間が解決する物証以外は、生き証人がいる。本格的に隠滅するためには、ヤるしかない。都合の良いことに、事故で何とかできる立場にいる。後は筋書きを考えて、上手く処理する方法を………。

 

「いやいや、駄目過ぎるだろう、私………」

 

今度こそ頭を抱えてしまった。朝のホームルームは麻耶に任せることで回避するつもりだが、今日はクラス代表を決めるための決闘がある。焚きつけた側であり、万葉の尻尾を掴むためにも欠かせない。しかし、正直言って今万葉の顔を見て、平静で居られる自信がゼロ。今もゼロ。きっと、明日もゼロ。

冷静さをある程度取り戻した朝の時点で、事情があるので先に登校していると置手紙を残して、家に居なかった。朝のメニューは二日酔いに効くものばかりだったのが、余計に追い討ちをかけられる気分だった。しかも、お弁当まで今日もしっかり用意されている。空気を読み過ぎな配慮に、昨夜の麻耶ではないが首を吊って死にたくなった。

 

 

「はぁ〜〜〜〜」

 

 

アンニュイな千冬お姉様も素敵。そんな幻聴も今日は聞こえない。

 

織斑千冬―――肩書に「酔った勢いで生徒に手を出した淫行教師」が漏れなくつくかの瀬戸際だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「莫迦は感染しなくてもいいのに………」

「………愛が沁みる」

 

万葉は廊下で遭遇したオルテガのありがたいお言葉に涙を流して、感謝した。

 

「アレが保護者である限り、いつかこうなるとは思っていたけれど、やるならもう少しマシな方法を選びなさい」

「一言も反論できないのが痛いね。自業自得というか、堪忍袋の緒が切れたというか………」

「ごめん、その慣用句はよく解らない」

「………こっちこそ、もう色々ごめんな気分だよ」

 

ついでに色々と台無しだった。

朝からゾンビの方がまだマシな麻耶のホームルームからスタートした学園は、素晴らしい針の筵。敵意ビンビンのセシリアに、殺意バンバンな取り巻き達。それに当てられてピリピリするクラス。前の席の箒からはお前のせいだとばかりに、睨まれること十回。平和な学園生活はアメリカンドリームにように、遠い幻になっていた。

大事を控えているのに、精神状態は落ち込んでいる。その上で、演習場へ向かう間際にこれでは先が思いやられるというもの。

 

「これもヒオンのシナリオの内なのかな、と思うんだけど」

「結局それは結果論よ」

「言ったもの勝ちか………」

 

二人とも、保護者的立場の人間の顔を思い浮かべて苦い顔をするか、肩を竦めるしかなかった。けれども、オルテガが神妙な顔をすると、万葉は身構えてしまう。碌でもないことを言われる予感があった。

 

「………どうも、メンタルがおかしいのは本当みたいね」

「あー………やっぱり、解かる?」

「他は解らないけど、少なくとも私は気付くわね。あなたのお義姉さんでも解かるんじゃないかしら」

「通信来たら、居留守使おう」

「ヘタレ」

「何とでも言ってよ………」

 

女の勘の鋭さに、打つ手なしと降参のポーズをとる。

 

「ほら、例えばさ………スポーツで一位をとったは良いけど、実際にプレイしていたのは替え玉だったとしたらどう思うかな。一位の喜びはあるけど、その後に来るのは猛烈な後悔だと思うんだ。人間は身勝手だから一位の喜びが大きければ大きいほど―――憎いでしょう?」

 

この時、オルテガは感情を隠さず眉を顰めた。

いつもの掴みどころのない態度でもなく、良く言えばにこやか悪く言えばヘラヘラした態度でもない。年単位の付き合いがあるオルテガでも片手の指で数えるほどしか見たことのない、万葉の生の感情。言葉尻の通り、憎しみが瞳の奥で燃え盛り、敵意によって表情は歪められて生理的嫌悪を催す。

 

憎いものは、替え玉を使ってまで栄光を欲した浅ましさか。

憎いものは、自分では得ることのできない栄光を得られる替え玉なのか。

 

下劣な己への極度の自己嫌悪か、及ばない他者への醜い嫉妬か。

 

「そんなことで、セシリア=オルコットに勝てるの?」

 

人の悪意に耐性のあるオルテガは、心を落ち着かせる。

昨日、何があったのかは聞かない。こんな顔をしている万葉が正直に話すとも思えなかった。

結果的に、当たり障りのない話に留めた。

 

「………良いんだよ、多分負けてもね」

「そう」

「それじゃ、それなりにやってくるよ」

 

そういう意味ではないと遠回しにオルテガは伝え、万葉も解かっていた。

二人はすれ違い、言葉も合図も交わさなかった。オルテガは教室へ戻り、万葉は演習場へ向かう。

 

 

演習場では事前に話が通っている警備員に生徒用IDを見せて、中に入る。教育機関ではあるが、扱っているものが世界に1000機もないISであるため警備は厳重だった。

演習場内には複数の詰め所や監視カメラが設置され、装備も日本国内で想像するような制服や警棒ではなく、防弾ベスト付属のタクティカルジャケットを着込み、サブマシンガンとサブウェポンのハンドガンを下げている。

物々しさは当然であるべきだったが、やはりと言うべきかここにも男の影はなかった。誰も襲わないという前提の意識であるため、弛緩していることは否めない。彼女たちもPKOの一環で派遣されている国連軍の軍人なのだが、モチベーションが低下していた。

 

万葉はアリーナの東側のロッカールームに入ると、そこには麻耶が待っていた。

右手には手錠で繋いだアタッシュケースを握っている。万葉は自分を確かめるためにあえて軽い口調で声を掛ける。

 

「二日酔いは治った?」

「うぅ………朝よりはマシですけど………生徒にそんな理由で心配されるなんて………」

「いや、その様子で心配しない方が無理だと思うけど」

 

苦笑混じりに指摘すると、麻耶は幾分か和らいでも頭痛に苛まれているらしく、足元を覚束ない。万葉はアタッシュケースを見つめながら、こんな状態の人間に預けるのも問題に思える。そこまで指摘するほど小うるさくなりたくなかった。

なるほど。精神状態は大分持ち直しているとそれが自覚することができて、万葉は満足した。

 

「幸い、今日はこれで授業もほぼないわけだし、後はゆっくり見物しておくといいよ」

「うん………まあ、それができるといいんだけど………そうはいかないかな」

「どうしてさ?そんなに頑張ることないと思うよ?」

 

麻耶は、頭痛に苛まれて深くなっていた眉間に悲哀をもう一つ刻む。

自分は無神経なことを言ってしまったのか。万葉が考えるよりも先に、麻耶は返した。

 

「………情けないけど、私にもね、意地があるんですよ」

 

どうしてこうなってしまったのか、自分でも良く分からないけれど。

端々に滲む本音は助けを求めるように。

生徒からはドジで、言いたいことをはっきり言えないオドオドした性格を莫迦されていることだってちゃんと解かっている。能力の高さは同僚も認めるところだが、能力を発揮することに関して、あまりに下手である。

 

「私は望んでここに居るわけじゃない、そう言えれば楽なんだろうね。でも、結局それじゃあ何の解決にもならないんだって、私は教わったの」

 

不本意だから、それを叫ぶことは痛快だろう。叫ぶことの羞恥心が勝って踏み出せない分だけ、麻耶には憧れがある。麻耶の人生はそんなことばかりだ。憧れはするが、最後に踏み出せず実らない。いつだってチャンスはあったはずなのに。

人生の中で唯一成功した例は、ISの日本国家代表に選ばれ、モンド・グロッソに出場したこと。当時既に千冬は半引退状態で出場しなくなっていて、日本は急遽、あくまで織斑千冬の代役で麻耶を出場させた。代役の扱いには不満がなかったわけではないが、麻耶はその降って湧いて押し付けられたチャンスをようやく掴んだ。

 

「解決?」

「………望んでここに居るわけじゃないけど、だったら私の望んだ場所はどこなのかって、聞かれたの。それもとびきり場違いな処で」

 

麻耶が頭痛に苛まれる以外で、半笑いになっているのはこんなこと生徒にする話でもないと思っているから。過去の恥も良いところで、それは現在進行形で今も続けている。

 

「モンド・グロッソの格闘技部門準決勝………みんな、よく忘れてるから結構ショックなんだけど、こう見えても私は日本の国家代表なんだよ?」

 

IS学園の設立前だったせいで通ってはいなかったが、日本で訓練を受けた。事情があって学園の教師となっているが、今も日本の国家代表であることは変わっていない。日本の有事の際には、五年前に正式に軍隊を名乗るようになった自衛軍の軍籍へ復帰する。

学園で実機訓練に携わり、IS関連の座学を教える教師達は全員が同じような境遇にある。学園の雰囲気のせいで忘れがちであり、麻耶の場合は外見と態度から輪を掛けて忘れれているので冗談めかして付け足しておいた。

 

「ヴィーナス=アームストロング………」

「あれ?覚えてるの?」

「リアルタイムじゃ見逃したから、記録映像だけどね」

 

誰も知らない、覚えていない。そう思っていた自分の過去を知っていたことに、麻耶は嬉しそうに目を輝かせる。

 

「だったら、まあ、知ってるよね?」

「そこは黙秘しておくよ」

「いいよ………ケチョンケチョンに負けたのは事実だもん」

 

第一回大会覇者の織斑千冬が出場せず、第二回大会で栄冠を得たオリガ=バーブチカも軍務のために出場しなかった第三回大会総合優勝者の力は、代役扱いだった麻耶には荷が勝ち過ぎた。

自分で思い返しても酷い有様だった。格闘技部門はレギュレーションで装備が軽装に限定され、長射程のライフルやミニクラスターミサイルなどの装備は使えない。接近戦用のブレードやナイフ、短射程のライフル等の、近接戦闘で見栄えするものだけで戦う。武器の扱いもさることながら、機体の戦闘機動の技量は高い方が圧倒的に有利であり、麻耶は子供と大人ほどの差を見せつけられた。

開始早々イニシアティブを握られ、シールドバリアをガリガリ削られ、少しでもダメージを与えるためにそれまで誰もやってこなかったような泥臭い方法をとった。見目麗しい女性が扇情的なISスーツを着て、華麗に戦う場には相応しくない戦いだと、メディアからは酷評された。

 

「意識が朦朧で、後一発でももらっちゃうとシールドを削られるところで―――あんまり覚えてないけど、ISネットワークで会話したんだ」

「ヴィーナス=アームストロングと?試合中なのに?」

「本当は規則違反だけどね。割とみんなやってたことだよ………ISネットワークの会話はまず傍受されないから、チェックのしようがないもの」

「先生、意外と大胆だ」

 

てへっ、と舌を出して笑う麻耶に、万葉もつられる。

 

「じゃあ、そこで言われたんだ」

「うん………うわぁ、思い返すとすっごく恥ずかしいね。私が準決勝まで勝ち上がって、周囲が掌を返したように期待をかけ出した頃だから、正直言うと、嫌になりかけてたんだよね」

 

憧れの舞台で、無我夢中で戦っていた。“織斑千冬”ではないというだけで、無差別に向けられる失望の視線にも耐えた。自分が千冬に遠く及ばないことなど知っていたし、麻耶にとっても彼女は崇拝に近い憧れの女性だったから諦めることは簡単だった。

精々がベスト16止まり。マスコミから笑い流せよとせっつかれながら言われた言葉に、出場して全力お出すことに意義があるみたいなことを言ってお茶を濁した。悔しいが現実。けれども、その現実は思わぬ形で麻耶を準決勝まで進ませた。

まるで期待をしていなかった者達から、“まさか”“もしかしたら”と求めて居なかった期待をかけられるようになっていた。最初から期待していないなら、ずっと期待しないで欲しい。自分は期待されていないおためごかしの“代役”で、その地位に甘んじて言い聞かせるだけなら気持ちが楽なのだ。期待されていなければ、誰も失望せずに済む。

 

他人を失望させた時に向けられる時の―――“よくも期待を裏切ったな”という一方的な失望と怒りが怖くて堪らない。

 

恐怖に押し潰され、とても冷静に戦えるメンタルではない中。後少しでトドメを刺される状況での会話に、感情の捌け口を求め、爆発させた負の想念をぶちまけた。

 

―――“貴方は今まで耐えた才能がある”

それは周囲の身勝手な感情か、準決勝の戦いか。あるいは両方か。

―――“貴方はたった一人だけかもしれないけど、本音を叫ぶ勇気を得た”

ヤケクソで深く考えたわけでもない情動の果てに。

 

「―――“だから、貴女は一分前の貴女より前に進み、成長している”。そう言われた次ぎには、絶対防御が発動して意識を刈り取られちゃったけど、その言葉だけはずっと残ってるんだ」

「ああ……そっか」

 

懐かしい、それでいてついさっきのことようなキラキラと光る宝石のような過去を思い出しながら語る麻耶に、万葉は羨ましさを隠そうともせずにいる。

麻耶は、それが例え純粋な好意から寄せられる期待でもなく、マスコミから大々的なに取り上げられるような他人事めいた賞賛でもない、ただ自分がやってきたことを褒めてもらいたかったのだと。そして、褒めてもらうものと違うが、キチンと正しく評価してくれる人と出会った。

“代役”でも国家代表に選ばれるだけの努力もしてきた。総合優勝者相手に無様でも善戦した。ストレスから吐き気に苛まれるほどのプレッシャーにだって、最後まで耐えたのだ、麻耶は。上を見続ければ天上の彼方は宇宙になってしまう。追い続けることが生涯かかっても不可能なもの。けれども、麻耶はしっかりと十分な高みに居ることも認めた。

 

「望んでいなくても、不本意でも、私は成長しているんだよ。叫んでも良いけど、背は向けられないかな」

「これで二日酔いじゃなければなぁ」

「あぁ………それは言わないでー!!あぅ!?」

 

折角の良い話を思いっきり折られて叫んだら、頭痛に響きました。

 

「先生も大変だね」

「大変だよぉ」

 

それでも笑いながら言えるのだから、きっと大丈夫。そう思えるような笑顔に、余計なことを言うのをやめようと思った。

 

「さて、と………ところで、先生は万葉の裸に興味でも?」

「へ?え?ほ?」

「珍しい三段活用だ………いやさ、ISスーツに着替えたいんだけど、先生が見たいなら見せるよ?」

「あ………」

 

固まった。

 

「アアアァァァ!!?ごごごごごごご、ゴメンナサーーイ!!」

 

慌てて反対側を向いたが、勢いがつき過ぎてロッカーに激突した。金属が凹むような物凄い音がする。

 

「先生、大丈夫?」

「ぅぅ………何とか………」

 

弱り目に祟り目だとか言いながら、返事はしっかりしていた。

万葉は上着とシャツを脱ぎながら鞄の中からISスーツを取りだすと、着替える。男でも女でも機能も素材も同じだが、色々な技術が使われているため一着の価格は驚くほど高価だ。サイズの自動補正機能のある汎用タイプが主流な中で、万葉はオーダーメイドを与えられている。

 

「もう、良いよ」

「はい、ってあれ?その包帯どうしたの?」

「あ、これ?」

 

万葉は指された右の手首を掲げ見せる。手首には包帯が巻かれ、薄らと血が滲んでいた。

まさか何かの妨害工作を受けたのかと顔を曇らせる麻耶に、万葉は手をパタパタと振って否定する。

 

「違う、違う。これは昨日の夜にちょっとね。そんなに大したことないけど、ちょっと予想外に出血量が多くて自分でもびっくりしたけど」

「それのこと、織斑先生は知ってるの?」

「知らないと思うよ。今朝は準備のために早く家を出たし………どーも、織斑先生に一日避けられてるような気がするんだよね。先生、心当たりない?」

「うーん………」

 

鋭い。どうしてこの子はこんなに鋭いのだろうか。工作員にしても出来過ぎだと思える。

今朝も、麻耶は情けない話で怒られることを覚悟の上でホームルームを千冬にお願いしようとしたが、逆に千冬の方から土下座せんばかりに頼み込まれて、結局引き受けてしまった。しんどくて死んだ方が楽だったが、千冬の頼みを聞いてしまう辺りが、麻耶の長所で短所である。

今もそうだ。万葉の対戦相手であるセシリアには昨日の時点で麻耶が立ち合う予定だったのに、これも直前で頼まれて交代している。流石に麻耶でも、ここまでされれば千冬が万葉のことを避けていることが解かる。

 

(織斑先生が、生徒を露骨に避けるなんて………まさか、一方だけを贔屓するなんてことはないと思うけど………)

 

麻耶にも話している思惑があるのか。それとも政治的駆け引きが関わるようになったのか。今でも十分そうだが、万が一、億が一でも万葉が勝つようなことがあっては困ることが出来た可能性は有り得た。

織斑先生が私を巻き込まないために、と想像したら体が嬉しそうにくねくね身悶えた。万葉の生温かい視線で我に返り、ロッカーへ三回ほど頭を叩きつけた。話している間に二日酔いが不思議と楽になってきていた。

 

「………何考えたのか、大体想像できるけど」

「ごめんなさい………でも、織斑先生は公明正大な人だから、悪い意味合いじゃないと思うよ」

「万葉もその点は疑ってないけどさ………ほら、一応監督権者と生徒で、同じ部屋にも住んでるから」

「それは、気まずいよね」

 

家に帰ったら問答無用で顔を合わせることになる。しかし、このままだと大して広くもない中で、顔を合わさないようにという謎のスニーキングミッションごっこをする羽目になるかもしれない。それはそれで楽しいかもしれないが、悪感情由来だと歓迎ばかりもしていられなくなる。

 

「いやぁ、これって万葉にとってはかなり深刻な問題なんだよね。今日のこの勝負がどうなろうとも、さ」

「え、えぇぇ!?」

 

今、こいつ―――もとい、彼は何を言ったのか理解の範疇を超えた部分が、叫びで出た。

 

「この勝負に負けたら君は………」

「ほら、先生も勘違いしてるみたいなんだよね。この勝負に万葉が負けたら、退学することが決まっているみたいだけどさ、そんな約束なんてした覚えもないし、国がお金を出している留学生を簡単に退学させるわけないよ、普通は」

「あ、うーん……それは………」

 

IS学園の生徒になるということは、その才能を国に買い上げてもらうことに等しい。クラスで言い合いになって、負けたら退学という約束をしましたら、履行しますは通じない。

 

「でも、それだと君は………」

「晒し者は確定でしょーね。けれど、先生達も知ってるんだろうけど、万葉は万葉で現状もくだらないイジメを受けているわけでさ、負けたとしてもそう環境は変わらないよ」

「………」

 

そこを持ち出されれば麻耶にはもう言うべきことはなかった。掴んでいるアタッシュケースの取っ手をぎゅっと握り、その強さに震える。生徒達は気付いていないと思っているが、麻耶も千冬もイジメが行われていることは把握している。

手を出すべきである教師にありながら、直接的に害する内容に至らなければ見逃す暗黙のルールに従っていた。具体的に万葉は暗黙のルールを知っているわけではなくとも、教師が手を出すことはないと見切っている。見切られている自分のことをどう思っているのか聞くほど麻耶も莫迦ではない。

 

それに―――

 

(この子は多分、私と織斑先生がクラス代表を争わせることを“仕組んだ側”だって知ってるんだ)

 

―――鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、不如帰

思惑が読めない。行動が読めない。目的が読めない。

そんな万葉に無理矢理リアクションをとらせるためのお芝居。

セシリアとの言い合いにおいて、千冬と麻耶を見た時、見られた事に二人とも気付いていた。これで満足なんでしょうと言わんばかりの態度が、嫌な役割に追いこんだ麻耶の罪悪感に拍車を掛けた。そのせいで二日酔いになっているのだから、チャラにして欲しい。

 

きっと、直接そこまで触れないのが?瑰万葉のできる最低限の優しさなのだと麻耶は感じた。

 

 

「あんまり楽しい話じゃなくなったね。先生も女だから、気持ちは向こう側の味方かもしれないけど、せめて表向きは中立で居て欲しいかな」

「………解りました。それじゃあ、あまり時間もなくなってきたから、これを預けますね」

 

どちらの味方でも居たくないのが本音。嘘でも内心は万葉の味方だと言えれば良かったが、それができないのもまた山田麻耶だった。

アタッシュケースを抱えて、生体認証を行うと鍵が外れる。中に入っているのは学園が保有しているISコアの一つ。中身は本人の希望に応えて、日本の倉持技研製第二世代IS『打鉄』。

 

「今まで実機訓練で使ったものよりも制限が緩くなっています。使用の際には注意して下さい。武装についてもレギュレーションに従った希望通りのものを装備しています」

「了解―――」

 

腕輪型のコアを嵌めて、準備は終えた。後はコールすれば量子変換によって装着できる。

ここからは分かれることになる。麻耶は演習場をコントロールするための管制室へ行き、万葉はアリーナへ向かう。

 

「それじゃ、先生はもう行きます――終わったら、織斑先生のこと、相談にのりますね」

「うん、それはホントに助かるから、ぜひお願い」

 

にっこり笑う万葉は、顔立ちもあってドキッとさせられる。

けれども、同時にこれから戦うという緊張感はない。第二世代ISと第三世代ISの戦力差は安くないにも関わらず、悲観せず、しかも思い詰めて作戦を練ってもいるように見えなかった。

 

「ごめんなさい―――最後に一つだけいいかな?」

 

だから、聞かずにはいられなかった。

 

「えっちぃ話なら歓迎だよ」

「どうして、自分のISを使わないの?」

 

勝つ確率を上げる方法をとらないのか。隠す意図があるなら、テストの際に見せなければ良かっただけだ。

麻耶はおふざけを完全に無視して、注視する。万葉はどう答えたものか、悩む素振りを見せた。それは僅かな時間で終わり、指を一本立ててからまたにっこり笑う。

 

「“後日正式なお披露目をするんだから、それまで人に見せないように”」

「?」

 

誰かの声真似。

 

「万葉に命令を出す人からのお言葉だよ。先生達に見せるところまで良かったけど、戦闘は駄目らしいよ」

 

 

ごく簡単に、そして解り易く答えた万葉の顔は俗に言う表情は笑っていても、眼が笑っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セシリア=オルコットは自分の人生に誇りを持っている。

その誇りは英国の名門貴族の家に生まれ、上流階級の淑女たるべき教育を受けて育ったこともさることながら、貴族の出自に相応しい生き方をしてきたという自負に支えられている。上に立つ者は衆に優れたところがなければならない。

幼少の頃から、人に倍する努力を重ねて才能を内外に見せ、流石はオルコット家の娘と讃えられてきた。オルコット家の全てを取り仕切る母を尊敬し、目標としていたらからできた。

 

それは両親が列車事故でこの世を去ってからも変わらない。

 

むしろ、当主を失い後継者は幼い自分一人だったことがセシリアを更に駆り立てた。

幼いながらも両親の死を受け入れた。オルコット家に大黒柱たる母が居ないのでれば、自分が母に代わって大黒柱になるのだと。せせら笑い、オルコット家を食い物にしようとする大人を退けることが最初に行ったことだった。

 

常に人の上に立つための努力は惜しまず、家名を護るために搦め手こそ使えども卑怯な手は使わなかった。

 

相手が卑怯者であっても自分は同じところには堕さない。

卑怯な策略や謀は正面から堂々と突破するに限る。

 

嫌悪を差し向け、自分は違うのだと叩きつけ、格の違いを教える。

 

そして、侮辱は決して許さない。

 

 

「―――よくも、ここまでこのセシリア=オルコットを愚弄してくださいましたわね!」

 

 

並びの良い白い歯が軋む。

透明度の高い湖面のような碧眼は、憤怒に猛る。

 

「………まぁ、これじゃそうとられても仕方ない、か」

 

今は、万葉のぼやきは怒りの火に注がれる油となる。言葉を交わすことが苦痛どころか、吐き気を催す。

 

 

「恥を掻かせるぐらいで済ませて差し上げようかと思っていましたけど………貴方はそれだけでは済ませまわせんわ!!」

 

セシリアの胸に湧き上がる、ヘドロのような殺意。

セシリア=オルコットは侮辱を決して許さない。それを体現する?瑰万葉を許さない。

大口径レーザーライフル『スターライトMk-V』の銃口が、万葉を呑み込むように向けられる。銃口から光が迸るよりも早く万葉は打鉄を左右に滑らせる。

 

「逃がしませんわ!」

「ですよねー!」

 

レーザーライフルの特徴である“レーザーの連続放出による攻撃”は、光線をそのままに横へ滑るように逃げる万葉を追う。

 

「ちょこまかと!」

 

急降下から縦旋回に捻りまで入れた機動は、追随できないレーザーの軌跡を振り切る。

その動きは大口を叩くだけあってセシリアを感嘆させるが、そこ止まりだった。

 

【パルスレーザーモード】

 

ISコアのAIがセシリアの意志に呼応して、レーザーライフルのモードを変更する

それまでの工業用レーザーのように溶断する攻撃が、撃ち貫く高出力のパルスレーザーとなって万葉の打鉄へ降り注ぐ。

万葉は防戦というには足りない、回避に専念しても避け切れないレーザーライフルを貰い始めていた。シールドバリアによって防いでいるが、圧倒的に不利なことに変りなかった。反撃もせずに攻撃され続ければいつか潰される。

 

しかし、万葉は攻撃しない。攻撃がどうしてもできない。

間合いが違う。距離が足りない。

手元にあるブレード一本では、レーザーライフルと撃ち合えない。

 

 

とある武術の達人の至言がある。

―――武とは、相手を自由にさせず、己を自由にすること也

武器も、兵器もこの至言に従い、発展した。

刀よりも、槍。槍よりも弓。弓よりも鉄砲。鉄砲よりも大砲。大砲よりもミサイル。

相手から絶対に届かない距離から、一方的に絶対殺せる方法で戦う。

 

つまるところ、アリーナ全てを射程に収めるレーザーライフルとブレード一本では最初から勝負にならない。セシリアどころか、観客となっている生徒も、監督している千冬や麻耶も、当の本人である万葉でも解かっている。

 

戦う前から勝負がついていると。

 

 

 

 

 

 

「こんなことだろうとは思ってたけどね………」

 

網膜を焼き潰されそうな錯覚を起こすほど苛烈なレーザーの連続攻撃に、万葉はぼやく。その間にもシールドは確実に削られている。直撃ではないので耐えられているが、ちびけた鉛筆のように削り消される時間が長くなるだけで有効な手立ては打てていない。

 

セシリアは強いのだから当然だった。打鉄ではそもそもの性能差が大きい。

だから、考え得る最適の装備を吟味して、事前に装備させるように申請を出しておいた。

その結果がブレード一本。どうにも世の中はほとほと自分に厳しいようだと、笑うしかなかった。

 

《?瑰君!これはどういうことなんですか!?》

「どうもこうも、万葉が説明できるわけないんだけど」

 

泡食って慌てふためくとはこのことかという麻耶に、聞きたいのはこっちの方だった。

 

「まぁ、山田センセのことは疑ってないから」

《あ…あ……ああ………ごめん、なさい………》

 

麻耶は思い至った。管制室でネットワークから拾った万葉の打鉄には拡張領域にブレードが一本しか装備されていない。しかも、ほとんど機能のないただのブレード。昨日、麻耶が受け取ったレギュレーションに沿った装備はどこにもなかった。

 

「先生は悪くないよ。どっちかって言うとここまでやってのけた側を褒めるべきじゃないかなぁ」

《そんな………》

 

万葉の使っているISコアに触れることができたのは、麻耶を除けばIAコアを保管している管理課の職員しかいない。麻耶は万葉の申請書にサインと許可印を押してから、管理課に提出しておいた。

犯人探しは無駄だろう。見つけることは簡単でも、単純な人為的ミスで片づけられる。整備ミスではなく、ただの装備の追加を忘れただけだ。生徒同士の模擬戦で起きたことで、しかも相手は蔑まれる男。何事もなかったように処理される未来が、幻視できる。

 

《?瑰、織斑だ》

「ここまで来たら、棄権はできませ、って―――!!」

 

仰け反りながら伸身一回転で三連射を回避したが、それも追い込む仕掛けで右肩に良いのを一発もらう。万葉はもらった反動で後方に下がりながら、壁際で反転急上昇して射線から自分を外させる。

苛々しているようでセシリアの狙いは精度が高い。一発や二発外しても三発を当てる方法で確実にダメージを与えてくる。外見に反してやり方は堅実だな、と失礼なことを考えていたらまた一発もらった。

 

「痛ッ――!」

《まさかP...をカットしてるのか!?》

「うわぁ、バレたー!」

 

二回のヒットであっさりバレてしまい―――噛んでしまうので―――想像の中で舌を出す。後悔したいがそんな暇はなく、反省するつもりはなかった。

ISの備えるシールドバリア、量子変換に並ぶとんでも機能の一つ―――パッシヴ・イナーシャール・キャンセラー。文字通り、自機にかかる慣性力を相殺することで飛行し、シールドバリアにかかる衝撃波も消滅させている。

ミサイルのような爆発の衝撃でダメージを負わせるような質量兵器は完全にはとはいかないが、ブルー・ティアーズのレーザーライフルならば反動を相殺できる。万葉はそれをわざと被弾の際にカットさせていた。

 

《そんなことしたら、体が耐えられません!早く元に戻しなさい!》

「そうしたいのは山々なんだけど………無理!打鉄じゃあ、こうでもしないと回避できない!」

 

第三世代であるブルー・ティアーズは、あらゆるスペックで第二世代の打鉄を上回っている。時間が経過すれば、癖を把握し機動の上限を読まれて直撃を受けるようになる。そうなれば後は俎上の鯉。一方的な嬲り殺しに合う。

だから、本来のスペックでは絶対に有り得ない回避を行う。例えば、ISに本来存在しない被弾時の衝撃を利用した、進行方向と速度の急激な変更。

 

《莫迦者!最初から勝負になどなっていないのだから話になるか!》

「そういう先生は、『暮桜』の零落白夜一本でモンド・グロッソを制したでしょ!」

《あれと一緒にするな!当時は全部第一世代同士で、零落白夜にはシールドブレイクが付加されていた!ただのブレード一本でダメージなど与えられるか!》

「無理を通せば道理が引っ込むさ!」

 

千冬や麻耶の制止の声が鬱陶しかった。こっちは全力で回避しながら、次の手を準備している。

会話に割く脳の要領が勿体なくてならないのに、どうして自分は律儀に応答しているのか。自分自身に腹立たしくなってくる。

 

《素直に従え!?瑰!》

「ああくそっ!!こんなに汚い言葉言いたくないんだよ!―――こうなることを容認しておいて、いざ想定外のことが起きたら引っ込め!?莫迦にするのも大概にしてよ!そっちにも思惑があった!万葉にも思惑はあった!だから、くだらないと思っても万葉は乗ったんだからとやかく言わないで!!」

 

悪巧みするなら、最後まで見届けて欲しいだけだ。そんなに難しいことを言っているつもりはない。

 

《ああ、お前の言う通りだ。私達はお前がオルコットと戦うように追い込んだ。そのことについて今更詫びようなどと思わん。その点については、私もお前も等しく共犯だからな》

「だったら―――」

《お前にしてみれば勝手な話かもしれんが、ここからIS学園の教師である前に、織斑千冬としての言葉だ。どんな目的を持った工作員かは解らないが、お前をこのまま戦わせれば絶対防御があるにしても、戦闘機動で体がガタガタになってしまう!お前みたいな子供を、そんな眼に合わせることができないんだ、私は!》

 

純粋に、?瑰万葉一個人を千冬は心配していた。ISのAIが網膜に直接投影する映像には自分の顔が見えているはずだと、眼に力を込めて言葉以外の説得を行う。

朝の失態はこの際二の次で、弟に似て居て、年の近い子供がこうして無茶をすると胸が痛む。行き過ぎた厳しさはあっても、千冬にも人の痛みを想う心はちゃんと備わっている。P...を一部分でもカットすることは必ず悪影響となるのは、開発段階から関わっている千冬は嫌というほど知っているからこその心配だった。

麻耶から聞いた話であれば、勝ち負けは問うところではなく、負けても学園に留まるつもりになる。ならば、ここで障害を負わせることはマイナスでしかない。勝ち負けに意地を張らないなら、棄権しても良いはずだ。

 

聞いてくれと、願いを眼に込めて呼び掛ける。

少なくとも、そうした損得勘定はできるのが?瑰万葉だと千冬は想っている。

 

《止まれ!止まるんだ!?瑰!》

「―――っ!」

 

万葉は息を呑み、

 

 

 

「ふざけるなぁぁぁ!!!」

 

喉の痞えを怒号と共に吐き出した。

 

【ISコアの戦闘ソフトウェアの書き換えが完了しました】

【コマンドリアクションにおける媒介指数の変更が可能】

 

―――『瞬間加速(イグニッション・ブースト)

 

 

「なっ!?」

《《えっ!?》》

 

打鉄が視界から消え、

 

「キャァァッ!!」

 

ブレードがブルー・ティアーズのシールドバリアを斬りつける。

突然のことに悲鳴を上げたセシリアの瞳は、もう一撃と振るわれるブレードを映す。ISのスラスターに備わる瞬間的に最大出力を上回るパワーで急加速を行う、『瞬間加速』を発動させようとする。

 

―――ギイィィィン!!

 

だが、間に合わない。更にもう一斬。

 

【右上方55度】

 

―――ギイィィィン!!

 

【左上方21度】

 

―――ギイィィィン!!

 

【右後方11度】

 

―――ギイィィィン!!

 

【右下方26度】

 

―――ギイィィィン!!

 

【左上方83度】

 

―――ギイィィィン!!

 

 

初撃も含めて、全部で七つの斬撃が抵抗する間もなくシールドバリアに打ち込まれる。

お互いの顔。更には瞳に映る互いが見えるほどの至近距離に入られたセシリアは、距離を取るために瞬間加速を掛けた瞬間に、進行方向から襲う斬撃に慄然とする。寸分も狂いもなくタイミングを合わせるその斬撃は、自分の動きを読んでいる。

それ以前に、視界から消えるほどの速度で入れられた初撃に頭が混乱していた。性能で上回るブルー・ティアーズさえ遥かに上回る速度を、打鉄が出せるはずがない。ISのハイパーセンサーでさえ追従できなかった。突然叫んだと思ったら、綺麗に一撃をもらっていた。

 

 

―――ギイィィィン!!

 

八つ目の斬撃で、セシリアは何時までも考えている場合ではないと落ち着けた。

惰弱なはずの万葉が気炎を吐いている姿は驚きだが、これ以上攻撃を受けてはいられない。

 

「いつまでもやらっぱなしと思ったら大間違いですわ!!」

 

―――ギイィィィン!!

 

九つ目の斬撃をわざと受けた。ここぞとばかりにセシリアの眼に光が走り、これまで斬撃に硬直していた体は覚悟して耐えた。自由に五体を動かし、斬撃の僅かな継ぎ目より早くレーザーライフルを至近距離で突きつける。

 

「早く離れなさい野蛮人!!」

「ちぃっ―――!!」

 

万葉の舌打ちが大きく聞こえるのは有利な状況を捨てざるを得ない悔しさからだとセシリアは思っていた。

しかし、その考えは誤りだった。舌打ちしながらも、万葉の全身は痛みと衝撃に耐えるように力んでいた。

焦熱の光線が放たれ、打鉄のシールドバリアの表面に沿って滑り上がる。

 

「外したっ!?」

 

九つ目の斬撃。反動を瞬時の判断で殺さず、自らの全身で処理。受けてスラスターの瞬発力よりも早く、至近距離から体をもぎ離していた。反動の強さに全身が痺れる。

 

「でもまだですわ!!」

 

これでは終わらないブルー・ティアーズに斬り込んだ代価は絶対に払わせる。

ショルダーアーマーの補助スラスターが分離。表面装甲の一部がスライドすると短銃身の銃口が出現した。

 

「これがブルー・ティアーズの本領!とくと味わいなさい!」

「ぐぅっ―――!!」

 

分離した補助スラスター―――ビットは全部で四つ。それぞれの銃口が静止してパルスレーザーを連射すると、レーザーライフル一丁とは比較にならない。スラスターで下がる打鉄を容赦なく叩き据える。

レーザーライフルが絶対有利となる距離まで万葉を下がらせると、セシリアは一度ビットを呼び戻す。自分の周囲に円を描くように浮遊させておく。

 

「ふざけるなとは………確かにそのようですわね。まさかブレード一本で思わぬダメージを受けてしまいましたわ」

 

万葉の叫びをそう解釈したセシリアはシールドバリアの残量を確認する。進行方向を確認されてのムーヴカウンターは想像以上にダメージが大きかった。ただのブレードでもこれだけされれば、半分近くシールドを削られていた。

慢心と怒りは相手の思惑を読む心を曇らせる。その授業料にして若干高くついたが、二度と同じ失敗をしなければいずれお釣りがくるだろう。そう考えて納得した。

 

「ですが、同じ手はもう通用しませんわ」

 

結局何をしたのか、解らなかった。けれども、ベターな対策はとれる。

 

「そう……」

 

一方の万葉は、半分ブラフであるセシリアの言葉を額面通りに受け取って居なかった。錆び臭い口の中と食堂から競り上がるものを飲み下す。口元は装甲しているので拭えないから、ここで吐血すると面倒だった。感慨はそれだけで負傷そのものは気にしていない。

苛立ちは頂点に達し、戦いの興奮と相俟ってアドレナリンはドバドバと蛇口の壊れた水道のように垂れ流し。意識して止めたが、少し遅かった。

 

「誰が、何が、心配だ………万葉には、そんな人、居ない………居ない………居るのは奴だけだ………そっちだって、本当は奴だけしか想っていないくせに………」

「何をブツブツと………さっきのでもうお終いですの?」

「マジックは種が解れば、面白くないもんだよ………流石だよ、オルコット嬢。今ので終わらせるつもりだったけど、あの距離でもビットを使ってくると思ってなかったさ。読み違えは万葉も同じだよ」

 

奥の手はさっきのネタ切れした。ISを装着しても肩を竦める仕草は相変わらずだった。

思わずセシリアは可愛らしくクスリと笑い、戦いに気持ちを引き締める。まだ終わっていない。戦いの結末は自分の勝利で幕引きし、自分の母にまるで頭が上がらずにいた情けない父親のように、男とは嫌悪を催す下等な生き物であると証明するのだ。

 

「ふふ………ふふふふ………あはははは!!」

 

ボリュームのツマミを少しずつ捻るように、最初は小さい含み笑いが最後には大笑となった。

 

「何が可笑しいんですの?」

 

気でも狂った、とは思わない。これもブラフの一種かと警戒しながらも、不快ではあった。

一方的な蹂躙から、真剣勝負となったことはお互いの認識であるはずなのに。ようやく決闘と成り上がった神聖な場を怪我されたような気がした

 

「いいや………ううん、可笑しいんだよ」

 

否定を、否定する。そんなおかしな掛け違い。

 

「結局、決闘なのに、万葉もオルコット嬢も相手を見て居ないんだから。可笑しいよ。これが可笑しくなかったら………駄目だよ」

 

万葉は、少し待ってと手を翳す。

通信を繋ぎ、網膜投影される二人の教師へ向けて宣する。

 

「山田先生、織斑先生。何をどう言われようと、万葉は棄権しない。心配してもらう気持ちは嬉しい。でも、それが今の万葉にとっては、受け入れ難いことなんだよ。だから、黙って見ておいて欲しい。今からは純粋に決闘するだけだから」

《けど―――!!》

《山田先生、好きにさせよう》

《織斑先生!?》

 

慌てふためく麻耶を、千冬は事情を全て承知していると目線で宥める。

ブレード一本でここまで善戦している時点で奇跡。そして、実戦経験豊富な二人は奇跡が続かないことを知悉している。麻耶は奇跡を望むならば止めようと、千冬は突き進むのならば止めないことを抱いていた。

 

《だが、一つだけ聞かせろ》

「………どうぞ」

《さっきの“ふざけるな”は私へ向けてのものか?》

「そうだよ。上っ面だけの心配なんて、万葉には迷惑なだけだ」

《?瑰君!》

《いいんだ、山田先生》

 

人の好意や心配を足蹴にするが如き万葉に麻耶は堪らず声を上げるが、それも千冬自身が制した。

万葉の様子がおかしいのは、自分が思い出せないでいる昨夜帰ってからのことに原因があるのではと薄々感じている。ある意味で完璧なまでに自分を殺していたはずの?瑰万葉の仮面を破り捨てるほどのことを。

ならば―――ならば、これぐらい言われるのは当然かもしれないと思えた。そして、戦うことを決めた男を心配だから引き留めることは、野暮に過ぎる。

 

《はっきり言って、私がお前に何を仕出かしたのか心当たりがなくはないが、ない》

 

日本語がおかしい。記憶はないが、心当たりはあるややこしさだった。

 

《だが、この場でグダグダとその話をするのは私の性に合わん!私に向かって“ふざけるな”と啖呵を切ったのならば、純粋に決闘するのでれば勝ってみせるぐらいはしろ!》

 

本当に言いたいことは別でも、千冬は大人だから腹の底に収める。

麻耶も、万葉も、解かっていて変な顔する。性格的に仕方ないと思うが、もうちょっと言い方があるだろうと。

 

「了解だよ―――さて、お待たせしたね、オルコット嬢」

 

微苦笑。頭の内から余計なものを叩きだし、“勝ってみせろ”のお言葉をストンと落とし込む。

アリーナで求められることは本当にそれだけなのに、世の中はごちゃごちゃし過ぎていた。

 

「先生がたと何をやっていたのかは詮索しませんが………B..を起動させたわたくし相手に勝つつもりでいるその態度は、ホントに気に入りませんわね」

「………この世全てをさ、気に入るものだけで埋め尽くすことなんてできないよ?」

「………そうやって賢しげに語る口も、そろそろ塞いで差し上げますわ」

 

レーザーライフルの銃口がぴたりと貼り付くように、万葉へ向けられる。併せて、四基のビットも銃口を揃える。威力の差はあれども、単純に手数は四倍に増えた。

セシリア=オルコットに死角は無くなった。けれども、まだ挑もうとする万葉に無意識の苛立ちと戸惑いが沸き起こる。漠然としているせいで、焦燥だけを心に載せる。

 

「すぐに終わらせますわ!」

 

セシリアはごく自然に、焦燥を打ち消すために攻撃性を高めて吠えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日の事件以来、平和そのものである1年6組は一般授業が行われていた。

クラスのヒエラルキーの頂点に立つオルテガは支配方法こそ恐怖政治だが、要所を締めるだけで後は放任の形をとるため幸い、雰囲気はギスギスしていない。そうは言っても、支配者であるオルテガには誰もが鬱陶しくなるほどに気を使っていた。

本人は、余計な干渉がなくなっただけで十分なのでむしろ迷惑だが、自称下々はそこを察する能力がなかった。オルテガはノートをとるふりをしながら、授業など欠片も聞いていなかったが、周囲どころか教師でさえ恐れて咎めない。

 

《今頃、万葉は演習場で戦っている頃か》

 

だから、保護者的立場の人間から時節の挨拶もない突然の通信にも楽々と対応していた。

 

「そうね」

《ん?興味ないのかい?》

「無いわよ、そんなの」

《うわぁー、それ聞いたら万葉も落ち込むと思うけど?》

 

それはないとオルテガは断言できた。茶番劇の脚本にわざと乗っているのだ。しかも、あまりにもくだらない内容だから、引っ掻き回してやろうと企むのだから自業自得だろう。同じ歳なのに姉弟のような少年は、意外に自制できない性質だった。

 

「そういうヒオンこそ、そこまで言うなら専用機使わせてあげれば良かったでしょう」

《諸事情という奴だな。半分は私の趣味であることは否定しないが》

「悪趣味」

《あっはっはっはっは!最近、言われ慣れてきたよ》

 

芝居が掛った笑い声に、げんなりになってきた。授業を真面目に聞くよりも苦痛である。

オルテガは通信を切ってやろうかという衝動にかられたが、まだ本題に入っていなかった。

 

《私の手元には、対戦相手であるセシリア=オルコットの情報は上っ面しかないんだが、オルテガから見た印象はどうだ?》

「………これ、新手の冗談か何かなの?」

《いや、純粋に仕事の話だ。いつも言っているが、完璧に収集できる情報能力はこの世に存在しない。私の手元に彼女の能力を正しく評価できるだけの資料がなくても、不思議ではないだろう?》

 

オルテガからすれば十分不思議だった。

 

「ヒオン、あなた頭でも打ってないでしょうね?」

《………言わんとすることは解からないでもないが、断じて否だ》

 

おつむを心配されるのは不本意だと語尾に力が込められていた。

完璧超人が唯一の売りであるヒオンに情報の不足が存在することに信じられないという気持は本物だった。

だが、彼がそう言うのであれば事実なのだろう。受け入れなければならない。

 

「セシリア=オルコットの情報と言われても、クラスが離れているせいで私だって詳しいわけでもないわよ?」

《現場の生の情報が欲しい。人の主観は客観よりも、意外なものを捉えていることがあると教えたはずだ》

「そう言えばそうだったわね」

 

座学で実践的な理論を嬉々として話す変態紳士を思い出して、オルテガは顔を引き攣らせた。

 

《それで、どう?彼女は万葉のお嫁さんとして―――》

「素質はあるんじゃないかしら?万葉って、面倒見の部分は悪くないし、高飛車な物言いもただの個性ぐらいにしか思わないから、意外に相性は良いわよ」

《普通に切り返された………》

「期待に添えなくて悪かったわね」

 

くだらない話を振ってから一方的に落ち込むような小技は要らないのだが、話を実務一辺倒にできないのは保護者的立場の人間の悪い癖だった。今のところ、どうでも良さは黒板に板書される内容と同等である。

 

「微笑ましい子だと思うわ。周囲の流れに呑まれて溺死しないように必死で爪先立ちの背伸びをしてきたらしいところなんて、特に」

 

実のところ、オルテガはセシリアと会話したことがある。それは同じ学園の生徒同士が偶然出会って知遇を得た上で、友好を温める耽美小説のようなものではなかったが。

恐怖政治で早々にクラスを掌握し、クラス代表選の選抜候補も確実となっているオルテガはある意味で校内では有名人になってしまった。一々ひそひそ話や噂を気にしていられないが、だからと言って直球勝負で来られた時には失礼ながら阿呆かと思った。

 

「まあ、後は阿呆の子としか言えないけど」

《半分親みたいな立場の私が言うのもなんだが………君は人をけなす上手過ぎ》

「ありがとうと言っておくわ。半分は親じゃない人を見本した甲斐はあるわね」

 

厳しい言葉のパンチにヒオンは天を仰ぎながら、これが反抗期ってやつかとオルテガに寒イボが立つような台詞を吐いた。

 

「ついでに言うと、あの子からは親の顔を見たいと言われたわ。見せてあげても良いんじゃない?」

《あー、そこだけ育ての親と認識されるのは甚だ不本意だ。私とすれば君と普通に会話しただけでも大分傑物だと思うよ》

「だから阿呆の子なのよ」

《………なるほど、と言うと会ったこともない彼女に同情を抱いてしまうな》

 

きっと大きなお世話と言われるだろうとオルテガは思った。普通の環境で出会っていたら、面白い子と認識できたかもしれないが、何分お互いの立場がマズイ。

もっとも、通信相手の性悪イケメンはそんなことなど全部まるっとお見通しのくせに、空惚けていた。

 

《だが、あれで苦労人ではある。その点はどう思う?》

 

遠回しに環境は違えども、近い立場ではあるだろうと指摘されてオルテガはムスッとする。

 

「あの子は名門貴族の家柄でしょう?典型的な中流階級だった私と一緒にされても迷惑よ」

《そうは言っても、後ろ盾である両親は早くに亡くしている。その後は家名を守るために幼いながらに必死で立ち回ったようだ》

 

泣かせる話だね。浪花節ごっこをするヒオンは好きにさせておくに限った。その道の被虐趣味の人には辛抱堪らん冷ややかな視線だけで、罵っておく。

貴族の境遇など赤の他人であるオルテガにはどうでもいいことだ。それでなくとも自分の人生で手一杯なのに、表面上でも他人の人生を背負ったふりをするなど御免蒙る。

 

「どうせ、彼女の両親の死にもあなたが絡んでるんでしょう?」

《おいおい、それこそ濡れ衣だよ。当時は色々と忙しい身の上でね。特に害にもならない人間を始末しないさ》

「別に、あなたに限らず、組織の人間がやった可能性はあると思うわよ」

《それは巡り巡って頂点にいる私にも等しく罪がある?止してくれよ。君自身本気でそんなこと考えていないくせに》

「それは否定しないわ」

《保護者に優しくない子だよ、まったく君は》

 

ぼやきに近いながらどことなく嬉しそうな態度が怒りを誘う。人間のステージが違うためにこちらが何を言おうとも子供の言うこと程度にしか受け止められないであれば、会話したくなくってくる。わざと貶める発言でさえ効果がないのだから、始末に負えない。

 

《彼女の両親はスコットランド独立派の急先鋒でね。敵は多かったかようだ》

「フィクションじゃないんだから………」

 

その程度で一々殺するのはスパイ小説だけにしておいて欲しいと、これ見よがしに溜息を吐いてみせると同意見だよとヒオンも笑った。

 

《ただ、それが原因で殺されたのは間違いないようだ》

「………よほどマズイ話に手を出したようね」

 

手慰みにペン回しをしながら、国内、特に地元で強い影響力を発揮する人間を暗殺しなければならないほどのものが何か推理してみる。

 

イギリスが正式国名ではないことは割と有名な話。実際は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの同君連合―――それぞれに君主が存在しながら、その代表者に一国の元首を出すというシステムである。紙の上では、四カ国は対等なのだが、姻戚関係を盾に、力関係を矛とした方法で実際はイングランドが有利な内容になっている。

軍事力で敗北したウェールズやアイルランドと異なり、あくまで外交関係で連合を形成しているスコットランドは独立の気風が非常に強い。20世紀末にイギリス議会とは別に、スコットランド議会の設立を認めさせ、独立派が与党となるほどだ。

それでも、スコットランド独立はまだ遠い。政治的に中心人物を失脚させるにしても、わざわざ殺してまで止めることではないのだ。それでも殺されなくてはならないほどの“何か”があったことは間違いない。

 

「気風は既に独立………後は、経済的、軍事的に独自のものを持つことができれば良いだけ」

 

独立の大原則である。平和ボケした国ならまだしも、戦争していない期間の方が短い欧州ではまずもって軍事力である。調子に乗って武装放棄なんてやれば、総統閣下に踏み殺されることをきっちり学習したのだから。

経済は軍事力を裏付けるためには必要だ。幸いにして、スコットランドには後百年は採掘可能なことが先日確認されたばかりの北海油田がある。となれば、原因は軍事力に纏わるものしかないことまで推理できた。

後は導き出される答えは一つしかなく、オルテガはそれが解らないほど鈍くはなかった。

 

 

「スコットランドは、同君連合とは全く別にISの保有を考えたのね」

《正解―――まあ、ね》

「それは殺されるわね」

 

互いにこれは苦笑いするしかなかった。

当時は白騎士事件によって、これまで世界最強の兵器であったMILV搭載のICBMが事実上無効化できると図らずも実証されたばかり。ごく単純な話、相互確証破壊が本当の意味で無意味に堕していた。

しかも、最初に篠ノ之束が供給したISコアの数は現在よりも少なく、各国は躍起になって求めていた。

先手を打って、同君連合ではなくスコットランド単体で求めるのは悪い手段ではなかったが、些か不用心に過ぎた。

 

「チャンスだからと言って、本気で軍事力のオマケ付きで分裂しようとしたら、私でも殺すわ」

《私でも殺すね。まあ、私はあそこの国の国王陛下ではないから知ったことではないが》

「それを考えると、その娘に国家代表候補をさせるなんて皮肉が効いてるわね」

《いや、まったくだ》

 

本人は知らないだろう。知っていれば、劣化の如く怒ってISコアを叩き返しているだろうとオルテガは思う。そのままISを使ってエネルギー切れまで暴れ回るかもしれないが、そこまでは突き抜けきれないはずだ。

この先彼女はこの事実を知らずに過ごす。能力は悪くないので国家代表となり、両親の思惑とは全く反対の道を進んでいく。憐れみはあるが、それもまた本人の資質が齎した結果。勿論、オルテガはこの話を本人にするつもりなど更々ない。

 

「この話、万葉は知っているの?」

《どうだろう。この件に関しては、私は万葉と直接話していないから何とも。作戦を立てるために、資料が欲しいと言われたので私の手元にあるものと同じ内容が渡っているはずだが》

 

オルテガは思わず額に手を当てた。それはもう知っているのと同じだろうがと、ヒオンに蹴りを入れたい。

そこまで計算しておいてぬけぬけとしているヒオンは一連の流れを余興であるとばかりに楽しそうにしている。

 

《ところで、話は戻るんだが。万葉が第二世代を使って、彼女の第三世代に勝つ方法はあるかと思う?》

 

お互いにすっかり忘れていたが、思い出すのが早かったヒオンに、そう言えばそんな話だったと他人事みたいなオルテガ。勝負自体が他人事なのは本当なので仕方ないと言い聞かせる。

 

「カタログスペックを見た限りではかなり厳しいわね」

《オルテガなら、勝ち目があるわけか》

「一応、あるわよ。多分、万葉も気付いているでしょうけど」

 

当たり前の話で、正攻法。今更なのであえて言うほどのこともなかった。

 

《基本は大事だって教育が生き届いているね》

「その遠回しの自画自賛はどこか別の宇宙でやってくれるかしら?」

《別の宇宙でできなかったから、ここでやってるって言ったはずなんだが?》

 

死ぬほど迷惑な話である。

 

《ちなみに―――》

「なに?」

《あくまで参考までに聞くんだが、もしも正攻法が使えない場合はどうする?》

 

そうなると楽しいだろうと愉快犯じみた問い掛けに、オルテガは付き合いで考えてみる。

まだもうしばらく授業はあるので、その間の時間潰し。この会話自体がそうだが、ヒオンの言葉は癇に障ることが多いので、考えている方が気持ちは楽だった。

 

セシリアの両親を暗殺と断定して背景まで語った明晰な頭脳がフル回転して―――結論は出なかった。

 

《無理そうだな、その様子だと》

「無理………というか、学園のレギュレーションだと最終的に反則負けよ。ヒオンだって大方私と同意見なんでしょう?」

《それでも、あの子はそれをやると思うか?》

 

 

?瑰万葉はそこまでやるのか―――否、“やるようになったのか”。

おそらく昨日の朝の時点であれば、確定的に否とオルテガは答えた。けれども、今は不明だ。

昨夜に起きた何かが―――ネットワークをカットされたので把握していない―――原因で、万葉は常にないほど精神的に不安定な状態へ陥っている。与えられた任務からすれば、勝っても負けても大差ないことは解かっているにも関わらず、勝ちにこだわるようになっていても不思議ではない。

原因はおそらく織斑千冬ということまでは察することができる。廊下で会った時の語りからはそうとしか思えない部分がにじみ出ているように思えた。

 

それに、あれで男の子なのだから、女尊男卑の世界でくだらないと言われる“男の意地”を見せたくなる可能性だって十分にある。

そう考えると、スッと答えが入って来る感じがする。

 

 

「やると思うわよ、万葉は」

 

そして、きっと勝つだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「織斑先生………?瑰君が勝つ方法は………」

 

再開した戦いは一方的な蹂躙劇の様相を変えることはない。

すぐにでも止めたい衝動を、コンソールの上で握る手の中で抑え込む麻耶は聞かずにいられなかった。

 

「無い………どう足掻いても、無理だ」

「やっぱり………」

 

戦闘の続行を認めはしたものの千冬は、勝てないと思っている。続行を認めてから、まさか自分は勝てない戦いだから好きにしろと投げやりに認めただけではないのかと自分を疑っている。そんなことはないと頭を振って考えを散らす。

 

麻耶は自分の技量を基に考えて、解決策を何通りもシミュレートしてみた。

ブレード一本では、どうやっても接近して戦うしかない。けれども、肝心の相手であるブルー・ティアーズは射撃特化の機体であるため、接近するまでにシールドバリアを削られてしまう。万葉のやっているようにP...を一部カットして反動を利用したとしても。ビットによって手数を増やしたことで、攻撃は最大の防御でることを実践している。

テクニックでは如何ともし難い部分は厳然として横たわり、操縦者が麻耶であっても結果は同じであることしか証明できない。

 

そして、それは千冬であっても覆せない。

性能がほぼ横並びであった時代に、織斑千冬の能力に、篠ノ之束謹製のIS『暮桜』とシールドバリア無効化能力のあるブレード『零落白夜』が合わさったことで、モンド・グロッソを制したが、条件は更に悪い。

 

「さっきの瞬間加速からの連続攻撃が最初で最後のチャンスだった。あれから逃れられた以上は、打つ手がない」

 

通常の瞬間加速よりも遥かに高い加速は、アリーナに設置されている万葉を追っていたカメラからその姿を消すほどの加速性だった。打鉄のスペックでは不可能であり、開発元の倉持技研の技術者に見せたらお茶を噴き出すに違いないほどだ。

 

「あれって………瞬間加速の数値を弄ったんですよね」

「まず、それで間違いないだろう。普通は思いついてもやらんだろうし、やりたくてもできない」

 

生唾を呑みこんで万葉のやってのけた異常な現象に畏れを抱いてしまう麻耶を、これが普通の反応だと同じように末恐ろしさを千冬は覚える。

 

 

万葉の負っているリスクは、かつて戦闘機が空を制した時代では当たり前のはずだった。

 

 

 

 

麻耶と千冬が気付いているマジックの種に、直接食らったセシリアもようやく気付くことができた。

五つの銃口からのパルスレーザーが間断なく狙う中を、呻き声を食い縛って抑えながら戦っている万葉を見て、解かった。

 

「まさか、ISコアからのエネルギーをスラスターへ過剰供給して放出―――加速開始と同時に前方からの慣性をP...で推進力の慣性にスイッチさせるなんて、普通考えても不可能ですわ………」

 

おそらく、観客席にいる生徒で気付いている者はいないだろうとセシリアは思う。

ISの技術にある程度精通していなければ、まず思いつけない。そして、精通している者であれば不可能であり、仮にできたとしてもやらないだろう。

 

「貴方、一体何者ですの?」

「オルコット嬢の嫌いな―――男だよ」

 

答えるつもりはないと突っ撥ねる万葉の態度に、セシリアはここに来て眉を顰める。

万葉にしてみればコミュニケーションを断絶するような振る舞いをしてきたくせに、自分の都合の良いだけそんな態度をされてもイラつくだけだ。そして、その気持ちが解らないのがセシリアだった。

 

けれども、勝利は別として鎌首を擡げる劣等感がセシリアの集中を乱す。

女より下等なはずの男に、一部分とは言え能力で上回られた。しかも、最も優れているISの扱いで。

―――ISコアの戦闘ソフトウェアの書き換えによる、コマンドリアクションにおける媒介指数の変更

教本に載せるような書き方ではそんなところになるのが、万葉のやったこと。

 

ISコアには装備するスラスターや装甲に応じた戦闘に関するソフトウェアがある。

例えば、自動車でアクセルと踏んだとしても、アクセルの踏む量によって加速と速度は異なる。それは自動車ごとにあらかじめ決められたものであり、変更するために自動車を止めて手を加えなくてはならない。

ISで同じことをやろうとすれば出力や推力を制御する戦闘ソフトウェアを書き換えなくてはならない。車が止めなくては変更できないように、ISも外部から行うか待機状態に戻してから書き換えるしかない。

それを戦闘中に、しかもP...を一部カットした状態でやってのけることなど、前代未聞。そんな方法があるという以前に、発想する方に問題がある。

 

問題があろうが無かろうが、間違いなく神業。

 

そして、セシリアが仮にできたとしてもやりたくないと思う理由は、現在進行形で万葉の口の端から垂れるどす黒さを混ぜた赤い液体だった。

 

 

「貴方はこれ以上やれば、本当にタダでは済みませんわよ!?」

 

寝覚めが悪くなるどころの話ではない。拭うこともできずに口元から零れる吐血。明らかに内臓にダメージがある危険な兆候だ。

 

「それぐらい覚悟の上さ。これは決闘なんだから、命を懸けるなんて当たり前だ!」

 

セシリアの方が間違っているのと断じる万葉は、新たに競り上がる血の塊を呑み下して凄絶に笑う。

君は命を懸けないのかと平時ならカッとさせる安っぽい挑発に乗れないほど、セシリアは動揺していた。

 

「万葉はね、オルコット嬢のことを嫌いじゃない」

「いきなり何を………」

 

どういうカラクリなのか、パルスレーザーが当たらなくなってきている。しかし、距離が少しでも詰められればすぐに当てられる確信があったセシリアは、思わず話に付き合ってしまう。

 

「オルコット嬢は、IS国家代表候補になるように努力した。普段の態度も人より努力した自負心から来ていることも解かる。その努力は称賛されて然るべきものだと万葉も思う」

「な、何を………今更そ、そんな解り切ったことを………」

 

人間に生まれて死ぬ以外の平等は存在しないのだから、それを克服するための努力とは正しいものだと万葉は常々思っている。だから、ボロクソに言われてもそれがセシリアの自負心から出ただけであり、ある意味ではそう言ったコミュニケーションしか取れない、ちょっと残念な子程度にしか思っていない。

だが、そうであるが故に、?瑰万葉にとってセシリア=オルコットの我慢ならない部分がある。前半の褒めた部分に勘違いして顔を赤らめているところを悪いけどと、内心で呟き、容赦を切り捨てて続ける。

 

「だけど、許し難いことは厳然としてあるから万葉はここに居る!」

「!?」

 

叩きつけるように咆哮する万葉に、威圧感を覚えてセシリアは無意識に下がってしまう。

 

「行き過ぎて醜悪になりかけている自負心も!取り巻きに良いように扱われているくせにまるで気付かずに良い気になっていることも!―――そんなことはまだ可愛いと思える範疇だ!!」

 

これまで以上に速度を上げて、スピードをほぼ限界近くまで上げた万葉の打鉄はパルスレーザーの見切っているかのように、完全に回避する。反動を繰り返し、ピンボールのようにターンを繰り返す様は、観客となっているクラスメイトにUFOのようだと言わせるに十分だった。

しかし、その代償に新たな吐血が噴き出す。堪え切れなくなっている内臓のダメージは回復するはずもなく、わざと反動を利用するために撃たれる度に悪化している。

 

アリーナの観客席では、大半の生徒が想像していた蹂躙劇を完全に裏切られたことに驚愕していた。

ブレード一本で挑む姿に、憐れを催し、負けの口実を作るための姑息な手段だと思っている者は、もう居なかった。仕組んだ者を除けば、管制室によって映し出されるようになった万葉の姿に釘付けだった。

意地を張らずに棄権すれば良い。負けを認めれば良い。男なんだから、負けて当然なんだ。

誰もがそう思いながら、そうであっては駄目なんだと拳を握り、血を滲ませる男に見入った。

 

観客席を振り返る余裕もなく、興味もなかった万葉は何度も、何度も脳内でシミュレートを繰り返し、思考を傾けたせいで、閉じ込めた言葉を抑える枷が緩む。

曖昧な態度は霧散していた。人を食ったような態度も。疲労を滲ませる顔は、ひたすらに鋭く研ぎ澄ましていた。

 

「万葉が何より許せないことは―――セシリア=オルコットが、?瑰万葉を見ず、聞かず、相手せずにいることだ!!」

 

嚇怒する。どれほどセシリアの行いが許せないのか、言葉以上に怒りを以って証明する。

セシリアは電気を流されたように慄くと、畏れを振り払うように全身で息む。

 

「わたくしは―――」

「違うとは言わさない!」

 

セシリアの言葉を断固と制した。

脳内で巡るシミュレートは完了していた。チャンスはあれども、ただ活かすにあらず。

昨日まで感じることのなかったはずの、情動に突き動かされる自分を俯瞰して莫迦だと思う自分が居たところで構わない。

 

「違いますわ!!」

「―――っ!」

 

そんなことだから女のヒステリーで不用意な一発をもらう羽目になる。

直撃したパルスレーザーに息を詰まらせ、内臓が悲鳴を上げる。堪え切れない激痛を叫びに変え、気迫に転じ、再度咆哮する。

 

「二言目には、“男が”と口にしておいて抜かすな!!一度でも、?瑰万葉を見てから言えよ!!」

 

怒りよりも、悔しさが全てに先んじる。望まずに植え付けられた劣等感を何よりも刺激される。

愛情の反対は無関心だと偉大な慈善活動家は言った。その通りだ。最初から、存在ごと無視されるならまだ良かった。だが、存在を認知された上にコミュニケーションを取られて尚、自分の存在を無視することは耐え難い。輪を懸けて、昨夜のせいで我慢の限界が来ていた。

 

何のことはないと自嘲する。

決闘だ何だと、格好良く言ったところでやりたい事は小心者じみたいつまらない意地を突きつけるだけ。

 

 

―――『瞬間加速(イグニッション・ブースト)

 

 

カタログスペックを遥かに凌駕する超加速。

ISのハイパーセンサーを速度域の変化で欺瞞する裏技。

人間ではハイパーセンサーが警告を示してからでは間に合わない。

 

引き換えに、P...までも加速に用いるため、人体に掛る負荷が生じる諸刃の刃。

等しく己と敵の肉を切り刻む相殺。

 

 

けれども―――種が割れれば、マジックは意味を失う。

 

 

「同じ手は!!」

 

―――二度も食わない。

その点において、やはりセシリアは群を抜いて優秀である。

 

万葉が『瞬間加速』のマジックを見せたように。

―――奥の手とは、最後までとっておくから奥の手である。

学んだことを即実践に移すセシリアは、五番目と六番目のビットを起動させた

 

コマンドはハイパーセンサーが一瞬でも欺瞞された瞬間であること。

ハイパーセンサーの知覚が、セシリアの知覚にフィードバックされる際にタイムラグが生じれば自動的に作動する。新手の二基のビットは、銃口ではなく複数の射出口を一斉に解放する。

IS用マイクロミサイルはロケットエンジンが点火されると、如何なる速度であっても封じ込める意図を以ってまだ最高速に達していなくとも、ミサイルの弾幕となって打鉄を阻む。

 

(これで―――)

(―――そんなに都合良くいくわけない!!)

 

仕留めたと確信するセシリアへ向けたものか、それとも『瞬間加速』の種が割れた二度目が通用すると思ったことか、万葉にも判別できない。

 

知っていた。最初から。

ビット兵器を搭載していることも、待機させたままだった五番目と六番目のビットがマイクロミサイル発射用であることも。危険な奥の手になることも全部承知の上で、突っ込んだ。オルテガなら鼻で哂うに違いないだろう拙い対抗策を用意して。

 

むしろ、これを待っていた。

 

殺到するマイクロミサイルの弾幕に、万葉は自殺志願者のようにわざと飛び込む。

あっと声を上げる間もなく、信管が作動してミサイルは起爆。連鎖的に起爆するミサイルは爆圧で打鉄を包み込み、圧縮しに掛る。シールドバリアが見る間に減っていく―――が、その前に万葉は心筋の働きを最大限まで高め、人体保護の分にギリギリ確保していた慣性制御を全て加速に回した。

 

途端に全身をゾウに踏まれたような苦しさが襲い、細胞の一つに至るまで軋みを上げる。

全身の水分、血液、細胞、意識までもが後へと引っ張られて行く。自分の体に何が起きるのか知っていたはずなのに、いざ起きてみると知覚ができなかった。笑い声を上げるなど以ての外なのに、脳内麻薬の分泌は口元を笑いの形へ歪ませる。

 

まだいける。

全てが暗闇に閉ざされたあの頃に比べれば何でも無い。

そうだ、余裕すらあるはずだ。

?瑰万葉の体は―――ヒオン=トラウムから授かったこの体ならば、可能だ。

 

視界がブラックアウトしても、まだ他の感覚は生きている。

ミサイルの爆圧の慣性さえ制御して二段式ロケットのように再加速。

 

 

G−LOCによる意識喪失の瞬間。レーザーライフルを構えるのが間に合わなかったブルー・ティアーズのシールドバリアにブレードを突き込む感触だけはしっかりとあった。

 

 

 

 

 

―――覚えている言葉はないよ。

―――けれども、欲しかった言葉はあるんだ。

 

ベッドの上で膝を抱えて、自分の手が動くことを不思議そうに見つめる少年。

少年に何か問い掛けて、返って来た答えを自分の中で反芻している男性。

 

 

それは、セシリアの記憶には無い光景だった。

 

 

暗転。

 

 

見事なグラデーションを雲が映えさせる空がそこにはあった。

蒼穹とまでは言えないが、日の光の神秘は確かに存在した。

美しいという言葉よりも、穏やかという言葉が相応しい空は、差した影に遮られて見えなくなった。

 

「わたくしは!?」

 

呆けていた自分を叱咤する方が意識を完全に戻すよりも先だったセシリアは、差した影が万葉であることに気付いて戦慄する。背中の感触とハイパーセンサーが伝える自分の状態が、アリーナの地面に抑えつけられているせいだった。

 

「流石だ――――本当に流石だ。でも………だから………万葉が勝つ」

「あ……あぁ…ああぁ………」

 

セシリアの綺麗な玉の肌にピタピタと液体が垂れ落ちて弾ける。それが何かを触れて確認したいが、マウントポジションで抑えつけられている。両腕は動かすことができない。

視界が十全に戻ると、液体が何かはすぐに解った。口から零れる震えた声は、眼球を真っ赤に染めて破裂した毛細血管から流血する血涙が正体だったせい。顔面から首まで内出血でむくんだ顔はその眼もあって、人間というよりは悪魔じみた――出来損ないの蠅男のようになっている。

そこそこ整った顔立ちが見る影もないと思う余裕があれば良かったのだが、万葉の視線は恋焦がれるようにセシリアへと注がれた。

 

シールドバリアの瞬間最大防御能力を上回り、操縦者に対する最終防御機能『絶対防御』を発動させたことでシールドバリアのエネルギー残量をゼロにした。最早、体当たりと同じであるブレードの切先に集中させた運動エネルギーは容赦なく美しい空色のブルー・ティアーズを、無残なまでに穢している。

内臓のダメージの深刻さを物語るように錆び臭い息を荒く吐いている万葉の姿は、セシリアの西洋人らしい美貌もあって、まるで姫の貞操を狙う悪役そのもの。

 

ただ、今回に限り悪役が狙うのはお姫様の命。

スラスターがオーバーパワーに使い潰され、単純なダメージよりもカタログスペックを超えた過負荷に音を上げているため、機能はほぼ死んでいる。ISにおける戦闘ではそのダメージは敗北を意味するが、万葉にとって知ったことではない。

 

レベルCまで稼働率が落ちているブルー・ティアーズは―――生身でも操縦者を殺せるのだから。

 

 

「ま、まだ、戦うつもりですの!?」

 

絶対防御のおかげで直接のダメージはほとんどないはずの自分が、満身創痍の万葉に追い詰められ、正体不明の恐怖に押し潰されかけているセシリアは声が裏返りかける。

身動きがとれず、マウントポジションから一方的に蹂躙されるしかないことを理性は拒否しても、内心では正しく理解しているその姿に、内に潜む獣性が性的興奮さえ帯びてニタリと笑みを作らせる。

 

「これは、決闘だよ………レギュレーション?そんなもの関係ないさ。男だから、女だからなんて、関係ない。それが決闘だって、解からずに居たのであればそれは君の罪だよ、オルコット嬢」

 

戦士に性別は関係ない。万葉は、一週間飲まず食わず動かずで標的を仕留めた最高クラスの女性スナイパーを知っている。同じようにトラップと心理戦と驚異的身体能力で一個連隊をジャングルに釘付けにした男性猟兵を知っている。

 

「強いて言うなら、今の君の認識が男と女の覚悟の違いさ」

 

両親を早くに亡くした君が、学びきれなかった部分だろうけどと付け足すと、セシリアの顔色が変わった。

何故そのことを知っているのかと。

 

「それは―――」

「男なんて生き物は、女から見ればちっぽけなプライドにしがみつき、叶いもしない夢を無謀に追い掛けて、自分本位で、女が満足する振る舞いをしないと腹を立てる小さな存在だよ。でもね、普段がどうあれどもいざという時に輝いてみせる―――オルコット嬢達、女の人が小馬鹿にしている、それらを支えに空に輝く星になれるものさ」

 

ヘラヘラとプライドの欠片も見せず、女の子と軽口を交わし、直前までやる気も見せなかった万葉は、しかし誰もが絶対に勝てないと思った戦いを、ここまで持ち込んだ。文字通り、血反吐を吐き、骨肉を削り、魂を燃やして、不可能を可能にして見せた。

決闘から逃げても男だから無理もないと思う周囲に、戦う意志を見せ続けた。それこそちっぽけなプライドと失笑を買っても。言う通り、ちっぽけなプライドを支えにして。

 

言いたいことはほとんど言い終えたらしい万葉は、

 

「さあ、降伏しない気丈さに敬意を表して、死ぬまでやろうか?」

 

今更許しを請うなんて認めないと、言外に含ませて万葉は本物の殺意を差し向けた。

恐怖の権化を成り果てた万葉から、セシリアは眼を離せなかった。有言実行を続けた万葉は、言ったからには本当にどちらかが降伏を宣言するか、死ぬまで続ける。けれども、彼はやってのけたのだ。

誰からも無理であると言われた、第三世代ISブルー・ティアーズを駆るセシリア=オルコットを倒してみせると、お仕置きすると言ったことを実現させた。

 

 

どうしようもないほど、彼は本物なのだ。

それはかつて母を絶対の存在と尊敬しつつ、入り婿であるため常にオドオドと母の顔色を窺っていた父を嫌いだった自分が本当に求めていた―――

 

 

ISのパワーアシストを受けて振りかぶられる右腕。

防御能力ゼロの今、非装甲の顔面に打ち込まれれば致命傷になる。いや、貫手で心臓へ突き刺しても結果は同じ。どうせなら、顔はやめて欲しいと他人事のように思って、口を衝いて出た。

 

「顔は―――止めて下さいね、万葉さん

「!?」

 

何を驚いたのか、万葉の表情が驚愕に染まる。

セシリアは迫りくる拳が僅かに鈍ったのは目の錯覚と思いながら、目をしっかりと見開いて自分を殺そうとする一撃の行方を見届けようとした。

 

 

「?瑰!!」

 

 

最後の叫びが何故、織斑千冬のものだったのかセシリアは最後まで確認できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セシリアが次に目を開いたのは、見覚えのない天井を見上げた時だった。

グラデーションを描く空でも、血の涙を流す決闘相手の真剣な眼差しでもなく、石膏ボードを何枚も貼り合わせた、チープ感の否めない天井である。セシリア=オルコットに見せる天井ではないと、宇宙から下界ぐらいの上から目線で意味不明にけなしていた。

けなし終えてから、明らかに順番がおかしいことはさておき、自分がベッドに寝かされていること、どうにもここは一度も縁がなさそうに思っていた医務室であることに気付く。

 

「わたしくは………」

「あ、起きたみたいですね」

「山田先生?」

 

体を起こしながらの呟きを聞きつけた麻耶が、カーテンを開いて近づいてきた。

 

「え………夕方………?」

 

カーテンを開いた拍子に差し込んだのはオレンジの光。周囲を海で囲まれているIS学園では基本遮るものがないため、西日は留まることを知らずに入って来る。

時間の経過に形の良い眉を顰めて戸惑うセシリアへ、丸椅子に座った麻耶が事情を説明する。

 

「アリーナでの代表選抜戦から四時間が経ってます。オルコットさんは、意識を失ったので医療スタッフにここへ運び込まれました」

「意識を………それに、四時間も………」

 

驚きを隠さないセシリアは、少しずつ意識を失う直前のことを思い出す。

虎の子のミサイルビットを利用されての突貫。マウントポジションから見上げた、悪魔じみた顔。

そして、死ぬまでやることに消極的ながら同意して―――振り落とされたはずの右腕。

 

「………選抜戦は、オルコットさんの勝ちです」

「!?―――そ、そんな!わたくしは………!」

 

頃合いを図っての勝利宣告に、掛け布団を蹴散らす勢いで起き上がったセシリアは麻耶に押し留められる。

外傷はないが、急に体を動かすのは良くないと言われてもすぐには従えなかった。仕方ないというように宥められているのは何とも不本意だが、そうされてしまう状態であることぐらいは弁えているつもりだった。

 

「順を追って話しますから、ちゃんと言うこと………聞いてくださいね?」

 

そこでオドオドしなければキチンと教師然としているのに。それができないのが山田麻耶なのだが。

セシリアは指示された通り、リクライニングで起こされたベッドに背を凭れて、急かすような目線で麻耶に続きを求める。

 

「まず、さっきも言った通り、?瑰君との選抜戦はオルコットさんの勝ちです。一番知りたいだろう理由についてですが………レギュレーション違反による、反則負けです」

「レギュレーション………違反?」

 

本来聡いはずのセシリアの理解不能を示す表情に、麻耶は眉を下げてそれこそ教師っぽく授業でやったことですよと言う。

 

「シールドバリア消滅後の追撃は厳禁―――授業で教えたこと、忘れました?」

「あ………」

 

ごく基本的なことを忘れていたセシリアは声を上げてしまう。

 

ISの生存性の高さは従来兵器の追随を許さない。ISコアが発生させる斥力場はシールドバリアと呼ばれ、ISコアが供給するエネルギーと引き換えに質量兵器・光学兵器を問わずに防御する。瞬間的かつ大規模な破壊の際には斥力場を抜かれる場合はあるが、それでもエネルギー消費効率を無視した斥力場の緊急展開によって操縦者を保護する『絶対防御』。

ISを用いた大規模な戦争行為が起きていないこともあるが、IS操縦者の死亡事例は事故を除いて存在しないことも、その防御性能の高さを裏付けている。

 

しかし、裏を返せばISの防御はシールドバリアが全部になる。急所を晒した状態であるためシールドバリアのエネルギーが無くなり、消滅するとただの人に戻ってしまう。

そうなれば安全性は確保されなくなる。だから、国際IS委員会はシールドバリア消滅後の戦闘行為は禁じており、学園内の模擬戦もそれに準じて、レギュレーションを設定した。

 

「?瑰君は、双方シールドバリアが消滅して、引き分け判定だったはずだけど………」

「わたくしにトドメを刺そうとしたから、反則負けになりましたのね」

「うん。様子がおかしかったから、織斑先生がアリーナに駆け付けて、?瑰君の意識を刈り取ったおかげで間一髪無事だったんだよ?」

 

あの時の織斑先生は格好良かったなと、話のピントがズレたことはそっとしておいた。セシリアもそうだが、世の女性は少なからず織斑千冬のファンなのだ。ただ、ダメージ自体はセシリアと比べ物にならないほど重い万葉へ、下手したら死ぬんではないかというレベルの肘打ちを米神に打ち込んだ後に、延髄へ踵落としを入れるのは幾ら何でもやり過ぎだろうと後日その勇姿をVTRで見たセシリアは思うことになる。

 

(わたくしは……勝ちましたの………?)

 

相手の反則負けによる、勝利。勝ったのだと言い聞かせるが、何故その手は掛け布団を強く握りしめる。

セシリア=オルコットは、どんな結果でも勝ちは勝ちだと嘯けるほどスレていなかった。特に己の名誉をかけた戦いにおいてこれを勝ちと呼べば、恥だと考えているほどに。

性能で劣る機体を駆り、武器はブレード一本でしなかった男に引き分け寸前まで持ち込まれ、最終的には相手が何もかも承知の上で反則負けを犯したことによって齎された勝利は………。

 

 

「………こんなもの………負けと同じですわ」

 

八百長で勝ちを譲られるより、なお性質が悪い。

 

「………私は、先生らしいことをあんまり言えませんけど、まだ消化できていないことがあるなら、?瑰君と話すしかないんじゃないかな?」

「彼と、ですか?」

 

麻耶は偉そうなことを言ってごめんね、と前置きしてから、

 

「彼はロッカールームでは別に負けても良いってはっきり言ってたんだよ?」

「な!?それは―――」

 

自分に対する侮辱だと激昂しかけて、麻耶の次の言葉で絶句する。

 

「でも、武装がブレード一本だけの状態で、私も織斑先生も棄権させようとしたけど、彼はそれを断固拒否したんだよ」

「そうですわ!あれだけは許せませんわ!!」

 

器用に思い出し怒りをするセシリアは、シーツが裂けるのではと思うほど握りしめる力を更に強くする。

落ち込んだり、怒ったり感情の起伏が激しいなと思いつつ、麻耶が訂正を入れる。

 

「………凄く言い辛いことなんだけど」

「何ですの!?」

「ひぃっ!?―――あ、あの、怒らないで聞いて欲しいんだけど………あれ、?瑰君がわざとやったわけじゃないんだよ」

「な、何を言っているんですの、先生は」

「そ、それがね………」

 

―――カクカクシカジカ。

涙になりかけの麻耶は、目を三角にして怒っているセシリアへ一つずつおっかなびっくり説明していく。

学園のIS『打鉄』の使用許可と武装申請を万葉は適切に行っていて、その内容は複数の武装で構成されていた。麻耶はそれを管理課に提出し、選抜戦前に受け取って本人に直接渡したこと。本人の意思とは異なり、拡張領域にはブレード一本しか登録されていなかったこと。

 

「そんな………それでは、反則負けなのは―――」

 

自分の方ではないか。セシリアの白い肌から血色が抜けて蒼白になる。

 

「ううん……本当にただの手違いの可能性だって考えられるから」

「ですが、状況証拠は明らかにわたくしの………わたくしの………」

 

決して自分が直接手を下したり、指示を出したわけではない。

しかし、誰かが故意に行った可能性はあまりに高過ぎ、その場合に―――本人が望まないにしても――利益を得るのはセシリアしかいない。普段から側に居る取り巻き達か、それとも本国の関係者か、いずれかは判別できないが、それでも自分に纏わる人間がやったとしか思えないのだ。

その考えは七割当たりだが、麻耶からすれば百点にはならない。取り巻きを利用した、イギリス本国。そして更に?瑰万葉を突っつきたい諸外国もそれとなく手を貸しているはずだ。ホームルームの代表推薦の時点で、意図的ではなかったがどの国も思惑は一致していたのだ。それは、麻耶も千冬も同じだが、向こうはより露骨かつ拙速に事を起こした。

 

セシリアに非が無かったと言えば言い過ぎだが、彼女もまた当て馬でしかなかった。

 

けれども、それは本人にとって何の慰めにもならないこと。

負けは負けでも最も惨めな負け方をした事実は消せない十字架となって、セシリアを押し潰そうとする。

 

苦悩を隠しきれないセシリアに麻耶は本人には悪いと思いつつ、安心していた。

女性至上主義者にありがちな一方的な男性蔑視に囚われているが、性根はちゃんとした女の子であることが確認できた。思い込みとプライドからくる素直ではない部分があるにしても、自分が間違ったことをしているのであれば、それと気づくことはできるのは当たり前のようで、今では難しいことだ。

 

「オルコットさん………私も男の子のことを全部解かっているわけじゃないけれど、あなたにとって今の気持ちは“男に負けた”からですか?それとも、“?瑰万葉君に負けた”からですか?」

「それは―――」

 

男と女の図式で戦い、そしてセシリア=オルコットと?瑰万葉という人間の格の図式で戦った。

決闘には結果的に勝ったが、内容は負けた。ならば、人間の格の決着は―――。

 

「―――まだ、終わっていませんわ!」

「わわっ!?」

 

勃然と動いたセシリアは握りしめていた掛け布団を払いのけると、少しふらつきながら床に足を付けた。

それまでの敗北に打ちのめされていた姿から一変。力強く、瞳にもいつもの意志の強さが戻りつつある。

 

「山田先生、彼はどこに!?」

「え?え?あ!えっと………あ!今の時間だともう外駅に行っちゃってるかも」

「駅!?どうして駅に?」

 

島におけるメインの交通手段であるリニアトレインの駅は島内を巡る部分と、島外に出る定期便の二つが運行しているが、生徒は島内用の内駅しか使わない。外に出るためは、学校が発行する外出許可証が必要であり、平日の発行は特別な理由がなければ認められていなかった。

 

「?瑰君は、戦闘後に本国から連絡が来て、金曜日の授業終了後に政府専用機で一時帰国するよう命令が出たみたいなの。一度宿舎に戻ってから、外駅に行くって言ってたから時間的にはもう着いてると思うよ」

「い、一時帰国!?」

 

どもってしまうセシリアに麻耶も焦る気持ちは解かると、自分がそのことを伝えられた時のことを思い返す。

アラスカ条約に基づいて国家からの不干渉を貫いているが、あくまで生徒達は国家から派遣されている留学生であり、必要に応じて引き揚げさせることができる。勿論、学園へ干渉を目的としている場合はこれを突っ撥ねることはできるが、今回はそれに該当していなかった、らしい。

選抜戦の事後処理もあり、その上で見慣れない書類を何枚も急ぎで書かされた麻耶にとっては、泣きっ面に蜂だった。

 

その辺りの規則については同じ候補生であるセシリアは周知している。彼女が慌てたのはまた別の話だった。

 

「彼は、重傷のはずではないのですか!?」

 

見た目も中身もほぼダメージがなかったセシリアに対して、覚えている限りで万葉は重傷だったはず。毛細血管の破裂による血涙と血瞳、顔面のむくみ。内臓へのダメージは血を吐かせていた。思い出すだけでも恐ろしいほどだ。

麻耶は「ああ、そっちか」という顔をしてから、信じられない内容を話した。

 

「それはね、私も織斑先生もびっくりなんだけど………オルコットさんと違って、確かに重傷だった彼を、まあ、気絶させてここに運び込んで治療しようとしたんだけどさ………」

 

―――処置しようとした途端に、跳ね起きたと思ったらほとんど平気な顔して治ったみたいなんだ

 

「はい?………先生、わたくしを担ごうとなさってませんか?」

「まあ、信じられないよね?言ってる私も、その場に居合わせた人達もみんな同じ気持ちだったし」

 

性質の悪い冗談みたいな、本当の話だと麻耶は言い切る。

起き上がれば、毛細血管からの出血は止まって血涙も血瞳は消えていた。医療用の流しに向かって何をするかと思えば、口をもごもごさせてから口一杯に溜まっていたどす黒い血を吐き出した。麻耶からすれば、血、血、血の三重奏に気を失いかけたが、内臓も順調とのたまってピンシャンされたら、絶句する以外どうしろとなる。

医療スタッフに至っては、医学を舐めてんのかとキレたほどだから、その非常識ぶりの酷さも解かろうというものだ。

 

「そんな莫迦な………」

 

現場に居合わせたみんなと同じ思いを、セシリアも抱かざるを得ない。

ISの機能の一つに、筋電位の逆操作と脳内物質の限定的制御によって外傷の止血を行うという機能はある。しかし、そもそもP...をカットして負うGによる内臓へのダメージなんて想定されていないのだから、治療もできるはずがない。

 

「理解不能だけど、治ってしまったからには速く出て行けって感じだったよ」

「それで済ませる方がよほど問題だと思いますわ………」

 

流石に鋭いなと麻耶は自分達がその後にしたことを少しだけ後悔する。少しだけになっているのは、万葉のせいで嫌な耐性がついてきたからだろう。

 

「それでは、彼は外駅に居るのですわね?」

 

納得しかねる部分は多々あれども、今は健康であることが解れば十分だった。

 

「そうなるね」

「そうと解れば―――」

 

外駅までの道順を思い描きながら、セシリアは立ちあがると麻耶の横を通り抜けて、外へ出ようとする。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待って!!」

「申し訳ありませんが、先生のご忠告通りにさせていただ――」

「オルコットさん!服!服を―――!!」

「え?服?」

 

服がどうしたのかと一刻を争う中で振り返ると、麻耶がわたわたしながらその手にIS学園の制服を持っている。自分のサイズにぴったりで、プロポーションの近しい生徒がいるのかと訝しむ。

よくある話だが、基本的に人は自分がおかしいとは思わない生き物。だから、自分がおかしいと言われても、それがどこなのかまず解らない。その度合いは人それぞれだが、今回はある意味で深刻だった。

 

「服を着て下さい!」

「―――!――――ッ!!!?」

 

視線を下げて、絶句。セシリアは人生最大の羞恥に顔へ一気に血が上り、熟れたトマトになった。

極当たり前の話であるが、ISに乗る際のISスーツには裏地があるため下着は着用せず、更に付け加えるのであれば、気絶したセシリアは着用したISスーツを脱がして外傷が無いか調べられている。

 

つまり、駆け出して、外へ通じる引き戸に手をかけたまま彫像のように硬直しているセシリアは、一糸まとわぬ見事な裸体を曝け出している―――有体に言えば、裸だった。

 

 

 

 

 

 

 

「じ、人生最大の失敗ですわ………」

 

普段であれば絶対に犯さない失態がどうしても頭から消えないセシリアは、近くの柱に頭突きしたい衝動を我慢する。凄まじく微妙な空気の中、麻耶と二人お互いに沈黙を貫いて服を着たことも追い討ちをかけられた。

おかげで余計に時間をとられてしまった。靴を履いて校舎を出ると、空は茜色に覆われている。まだ春先の日本では日没の時間は早い。しかし、時間の猶予はほとんどない。セシリアは交通機関のダイヤを確認するが、どれも待ち時間が思ったより掛ってしまう。

 

「こんな時に!」

 

ぶつける先の無い怒りは無駄に力を使ってしまう。

ここから走るにしても、まず間に合わないのでこれは消去。手っ取り早いのはブルー・ティアーズを起動させることだが、許可の無いIS使用は厳禁である。千冬の拳骨か出席簿アタックでは済まされない。

こんな時に限って裏目に出ることが多過ぎるともどかしさに歯噛みしていると、意外な処から声をかけられた。

 

「百面相をやるなら、せめて道の脇でやってもらえないかしら?」

「あ、貴女はオルテガ=アントラーデ」

 

失礼な発言を咎めようとセシリアが振り返る。

体よりも大きなオートバイを押して歩いているオルテガは、本当に迷惑そうにセシリアは見ていた。

面識はあるが、親しいわけでもない相手からのこの物言いにセシリアはカチンときた。しかし、いつもならそこで言い合いを始めるところだったが、オルテガが押しているオートバイに見覚えがあった。

 

「そのオートバイは、万葉さんの………」

 

おそらく校内で知らない者は居ないだろう、万葉が所有するオートバイ“ハイスクリンゲ”。

 

「“万葉さん”―――?」

「?」

 

小さい呟きだったせいで、セシリアにはオルテガが何を言ったのか聞こえなかった。

オルテガも戸惑いを帯びた視線を向けていたが、それも僅かな間だけですぐに冷めた視線に戻る。

 

「貴女がどうして、そのオートバイを?」

「………今から次のリニアトレインに乗るために使うのよ」

「次の………でしたら、貴女も万葉さんと同じ外駅に行きますのね?」

「そうよ」

 

何となく話が読めてきたオルテガは次に何を言われるのか想像してしまい嫌そうな顔をするが、焦りもあって洞察力が落ちているセシリアはお構いなしに言い募る。

 

「わたくしも連れて行って下さい」

「………正気なの?」

「え?あ、しょ、正気に決まっていますわ!」

 

さっきからちょくちょく失礼なオルテガに、セシリアも語気が強くなる。

選抜戦で何があったのか大凡知っているオルテガは、深々と溜息を吐いてそう言う意味じゃないんだけどと思う。それをここでどうこう言っても仕方ないし、時間もなかった。

 

「取り合えず、これ被って」

「連れて行ってくださいますのね!?」

「そんなに大声出さなくても聞こえてるわよ。ついでだから、乗せてあげる」

「あぐっ!?」

 

渡したヘルメットを引っ手繰るとオルテガは、余計な手間をとらせるなとセシリアの頭へ強引に被せる。

オルテガはスカートの裾にあるロック式のジッパーを左右共に開く。動き易い用に規則の範囲内で改造したその部分を開くと、ショーツがギリギリ見えるか見えないかまでスリットが入り、跨る妨げにならなくなる。

 

「は、破廉恥な………」

「………」

 

女同士で何を言っているのか理解に苦しむという風に頭を振る。セシリアがやっているようにタンデムシートに跨る分にはスカートを巻き込めばいいだけだが、ライダーシートは車体を腿で挟み込む必要がある。お上品なだけでは、乗れないのだから一々声に出して欲しくなかった。

 

「一つ、忠告」

「え?」

「このバイク、加速が尋常ではないの」

 

だから、どういうことなのか説明せず、それで解かれと一方的に打ち切ったオルテガはクラッチを離し、アクセルを開く。セシリアには意味を斟酌する暇を与えられず、突如として強い力で後方に引っ張られる。

 

「うぐぅ!」

「だから、言ったのに」

「言ってませんわ!ええ!一言も慣性に気をつけろなんて言われてませんわよ!!」

 

鍛錬の賜物で落とされずに済んだセシリアは衝撃で痛む首を我慢しながら、怒鳴りながら抗議する。言われた本人はどこ吹く風。風の音でよく聞こえないふりをしていた。

 

頬をぷくぅと愛らしく膨らませたセシリアを背中に、どうしてこうなったのやらとオルテガは今日何度目かの深い溜息を吐いた。万葉を先に行かせたのは失敗だったかなと後悔も混じり始める。彼の義姉ならばそれもまた姉的存在の醍醐味と嘯くだろうが、そこまで殊勝になれないのがオルテガである。

取り合えず、引っ掛けた―――オルテガ視点による現状の正解はそれである―――女の面倒を姉に見させる弟など、ノーセンキュー。しかも、その女にちょっと残念なところがあるのでは尚更だ。

 

「………今、失礼なことを考えませんでした?」

「………別に」

 

おまけに、妙なところで勘が鋭い。間違いなく、普段は鈍いからと男がちょっと浮気でもしようものなら、そこだけ気付いてしまって修羅場になるタイプだ。オルテガが男なら絶対に願い下げである。

 

夕日の濃厚な日差しを浴びながら、疾駆する“ハイスクリンゲ”は法定速度の三倍の速度を軽く出していた。アクセルは最低限緩める程度で、ギアチェンジのないマシンはコーナーからの立ち上がりが凄まじく速かった。

それはほとんどオートバイに乗ったことのないセシリアにも普通ではないことがすぐに解った。リニア駆動によって原動機がタイヤと一体化しているためパワーロスは極めて少なく、トルクでは他を寄せ付けない。セシリアはモンスターマシンに分類されるマシンを見事なライディングで手足の延長のように操るオルテガにやはりタダものではないと危機意識を煽られるが、オルテガから言わせれば何も合図していないのにコーナーでバランスをしっかりとっているセシリアの方が十分に凄かった。

 

順調に道のりを消化していくと、二人の間の会話はなくなった。面識はあっても接点はない二人に期待することではなかった。

オルテガはそもそも関わり合いになるつもりはなく、セシリアは陰謀や背景抜きで万葉とどういう関係なのか聞きたくても、胸のもやもやのせいで上手く言い出せないでいた。方や人間関係を積極的に広げるつもりのない人間嫌いもどきと、方や自分の感情の処理が上手ではないせいで立ち位置を人の上に置きたがる人付き合いスキル追試中では、そもそも会話が続くはずもなかった。

 

 

結局、二人は外駅に到着するまでセシリア主観で気まずいひと時を送る羽目になった。

外駅へのリニアトレインは本数が少ないこと、そして基本的に島外へ出入りする人間が限られているため閑散としている。オルテガがオートバイを所定の場所へ駐車する。セシリアは借りていたヘルメットを返すと、抑えつけられていた髪を一度、二度と流してからヘアバンドをつけ直す。

 

「あまり時間はないわよ?」

「解っていますわ」

 

ファスナーを戻しているオルテガを置いて、セシリアは走り出した。

ちょっと不義理な気もしたが、今はリニアトレインの発車時間が迫っているため彼女を待っている時間がなかった。

 

 

―――けれども、急ぐ気持ちとは裏腹に、セシリアは本当に万葉へ聞きたいことがまとまっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、一ヶ月も経たずにまたこれに乗るとはねぇ」

 

万葉はしみじみ感慨深いと、一人で勝手に頷く姿は奇異に映るが気にも留めて居ない。

リニアトレインに乗る人はおらず、他の乗客は物資輸送用の貨物車に乗り込んでいるためホームにはぽつんと置いてけぼりをくったように万葉一人だけだった。

 

保護者的立場の人間による、緊急の帰国命令。予定にないことだが、それもまたいつものことだと振り回され慣れた我が身を一々嘆いていては、身が持たない。万葉は若くして頭髪を寂しくするけったいな嗜好は持ち合わせて居ないのだ。

万葉からすれば、昨夜から続く千冬との気まずい関係をどうしても避けられなくなる放課後と土日を避けることができたので、むしろ喜ばしかった。昨夜のことはなかったことにする。多少気持ちの上で引き摺るかもしれないが、それが懸命だと一方的に結論付けた。

そこに千冬の感情は一切考慮に入れない。それが彼女にとっても最善だと、考えてしまうのが万葉の割り切り方だった。特に今回はあえてそこに触れてしまうと、地雷原どころかドレスデン爆撃並の被害を受けること請け合いだった。

 

「まあ、昨夜のあれは………役得と思っていいんだろうね」

 

決して、手に入らないはずのものが少しだけ、ひと時でも味わうことができた。一睡の夢と思い、二度と訪れないと思い、そのことについては深く沈めてしまえ。

 

「何が、役得なのかしら?――独り言の多い少年」

「お、やっと来た………ね?」

 

待ち人来たりと、万葉は左手に持っていたオルテガのバックを渡そうとして固まった。語尾が疑問形であることが困惑の証左で、普段は弛緩している目元が判断つきかねると動いている。

 

「えっと、どうしてオルコット嬢が?」

 

まずはその疑問から。栗毛の髪を一度梳き上げて空気を孕ませるオルテガ。その後に居るセシリアの存在理由こそ疑問。

 

「それは私ではなく、本人へ聞きなさいよ」

 

けれども、力なく持ったままのバックを受け取るとオルテガはリニアトレインの乗降口に立つ。まるで話が終わるまでは乗ることは許さないと、退路を断つように。

アイコンタクトもすげない。気に障ることをした覚えはないのに不機嫌そうなオルテガに、何をやったのか思い返すが出てくるはずもない。フラグの乱立は勝手にすればいいのに、それに巻き込まれた側の不満は当の本人には永遠に理解できない言い掛かりなのだから。

 

万葉は不承不承――その感情は表に出さず―――セシリアへ向き直る。

夕日を浴びる金髪は光を反射して、砂金のように流れている姿は女の子慣れしている万葉でもちょっとドキドキさせるほど美しい。心の中で咳払いをする。

表情を窺おうとするが、セシリアは俯いて目も伏せているため見えない。まさか、さっきの決着が納得いかないとか言い出すのかとも思ったが、それは否定した。万葉にとって、セシリアはそういう子ではなかった。色々角の立つ部分はあるが、彼女は恥を知る。理由はそれだけだ。

 

だが、それと発車時間が差し迫るこの時にいつまでたっても口火を切ってくれないことは別問題だった。

もごもごと言いたいことを言えないでいる鬱陶しさに万葉よりも先にオルテガの苛々がマズイ感じで、目を伏せているセシリアに見えないところで万葉に冷や汗を一筋かかせていたりする。

 

仕方ないと思いたくはなかった。しかし、話が進まないのであれば何を話したいのか勝手に推量して、こちらからが組み立ててあげるぐらいはしてもいいだろう。

 

「言いたいことはさ、一杯あると思うけど………あの決着はあの決着で、意味が合って、万葉はあれで良かったと思ってる」

「で、ですが!あれは間違いなくわたくしの負けです!」

「でも、ほら、結局やり過ぎはイカンって話だよ、これは。お互いに最初からレギュレーションに合意して、決闘だからって勝手に逸脱したのは万葉の落ち度」

 

その罰に、千冬から良い一撃、もとい二撃を貰ったからと苦笑いする。意識どころか本気で殺すつもりだったかもと少し疑っていることは黙っておく。

けれども、冗談めかす万葉に、セシリアは縦ロールの入った金髪を嫌々するように振る。

 

「ちゃんと装備を整えての戦いでもなかったものを、それでは決闘とも呼べませんわ!」

「え………あー、山田先生喋っちゃったのかぁ」

 

余計ないことをしてくれたな、と万葉は思う。

当たり障りのない範囲で終えてくれれば良かったのに。

 

「貴方が反則負けであるというのであれば、その前に引き分けだった時点でわたくしは負けも同じですわ!」

 

ようやく顔を上げたセシリアの瞳は抑えきれなくなる感情を押し留めようと、強く光っていた。

人の眼がある。見る目がなくとも、あの戦いが引き分けではないことなど誰にだって解かる。勝負は勝負であるという以前に、図式が女性上位で、男性を懲らしめるというものであれば勝ちの要素はなく、万葉の宣言したお仕置きだけがなされたのだ。

 

万葉は、そこまでちゃんと理解しているセシリアに、本人がびっくりするほど優しく微笑みかける。

 

「ならさ………それでいいんじゃないかな」

「それでって………」

「万葉は、決闘という言葉を使って、それを押し通した。セシリアも最後はそこに合意してくれた。お互いに色んなものは背負ってるよ。万葉は人に言えないものだし、セシリアにとってもそうかもしれない。お互い、そんな諸々を背負った上で戦って、確かめ合って決着はついたわけだよ」

 

それでお仕舞いであると軽薄にさえ感じる笑みを浮かべる万葉の内心を、セシリアは今回読み違えることはなかった。言葉通りに、本当に言葉通りに?瑰万葉は決闘の目的を達したのだ。

 

―――決闘は目的ではなく、所詮は手段

 

あくまで手段である決闘を有りもしなかった目的にしかけていた自分の愚かさが呪わしくもある。

セシリアにとって決闘は、最初は男女の上下関係を示す手段であり、中途で目的を見失いかけ、そして今ここに実質的な敗北を経て器量の差を見せつけられていた。これでは万葉の宣言通り、お仕置きを受けて躾されたようなものだ。その考えは羞恥を表出させ、夕映えに紛れさせる。

 

「決闘は、あくまでわたくしと万葉さんの意志の押し通し合い………」

「そういうこと。万葉はそれを達したし………多分、オルコット嬢もそうじゃないかな?」

「―――セシリア」

 

万葉の疑問符に、自分の名前で答える。

 

「ラストネームではなく、ファーストネームで……結構ですわ」

「………了解、セシリア」

「はい、万葉さん」

 

凝然としてから、意図を読み取って名前を呼んだ万葉だったが、思いの外喜んでいるセシリアの憑き物の落ち切った、華やいだ笑顔に目を奪われる。これがきっと、素顔のセシリア=オルコットなんだと気付き、自分の顔も緩んでいることは棚上げだった。

 

「わたくしも、万葉さんのおかげで、大事なことを思い出しましたわ。こんな形で申し訳なく思いますが―――ありがとうございました」

 

貴族の出自に相応しい気品ある礼に、万葉は卒なく返礼する。

リニアトレインのホームに、美女と、一応美男という取り合わせは夕映えの後押しにより映画のワンシーンのようで、見る者の現実感を失わせるほどだった。

 

?瑰万葉は、あらゆる障害を自らの力と意思で払いのけ、セシリアを始めとするクラスメイトにその存在を認めさせた。個人ではなく男という枠でしか自分を見なかったセシリアに、己の存在を刻み込んだ。それが決闘の目的である以上、政治的駆け引きに対するリアクションが込みであったとしても、勝ったのは万葉だった。

セシリアは決闘を通して、自分がただの男性蔑視ではなく、自分の理想とする男性像と懸け離れた現実に対する憤りをただぶつけていただけだ。かつて資産家であるという一点で母の伴侶となりながら、終生その器量の差に劣等感を抱き、卑屈であり続けた父への憤懣を他人にぶつけるという醜い八つ当たり。砕け散ったそれらにようやく醜さを自覚して、また一歩人間的に成長を遂げることができたのは万葉のおかげである。

 

《間もなく、復路のリニアトレインが出発致します。ご乗車の方は早めにお願い致します》

 

時間切れを告げる構内アナウンスに、無粋と思うのは些か酷いだろう。

万葉はできることなら在るべき美しさを取り戻した少女との逢瀬をもう少し楽しみたかったが、時間がそれを許さない。

 

「それじゃ、そろそろ行くね」

 

バックを一度担ぎ直し、乗車口へ足を踏み入れる。

湿っぽくなったが、これが今生の別れではないのだ。日曜日の深夜には日本に戻り、月曜日の授業には出席するつもりだった。話し足りない分は、月曜日でいいだろう。

 

「万葉さん」

「あ、うん」

 

セシリアもそれを察したようで、言葉ではなく差し出した手で示した。

ISの操縦者らしい、繊細な指先は興奮のせいかほんのり暖かく握手を交わすと不覚にも気持良かった。

それが油断だった。手を軽く引かれるとされるがままとなる。

 

 

―――チュッ

 

 

柔らかいものが触れたと思った瞬間には離れてしまっていた。

 

 

《ドアが閉まります》

 

 

アナウンスに連動して、乗車口のドアが自動で閉まる。

珍しく呆気にとられる万葉はドアガラス越しに夕映え以上に顔を紅潮させる、金髪の美少女と潤んだ視線を絡ませている。何か言わなければと思うが、ISの基礎理論を一度も支えず暗誦できるほど滑らかに回る舌が、この時ばかりはもつれてしまった。何より、ここで言葉を発することがあまりにも無粋に感じていた。

 

二人の言葉よりも雄弁に多くを語り合う情熱的な視線は、リニアトレインの発車による物理的な断絶まで続けられ、途切れた。

 

 

 

 

 

「何も言わないでよ!絶対に何も言わないでよ!!」

「ええ、そうね。私も、もうお腹一杯で何も言う気にならないわよ………」

「だから何も言わないでー!!」

 

この上なに出歯亀お邪魔虫にされてしまったオルテガは、自慰の現場を見られた思春期の青少年のように頭を抱えてしゃがみ込む万葉に、付き合っていられないと深く、深く溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、オルコットはあいつを追い掛けたというわけか」

「はい………その間に色々ハプニングはありましたけど、多分無事に会えたんじゃないかなと」

 

日が沈み、とっぷりとまではいかないまでも暮れてしまった職員用の休憩室では、千冬と麻耶が三人掛けテーブルでコーヒーを飲んでいた。定時は過ぎているので、残って利用しているのは二人だけだった。

大人からすれば恋する乙女にジョブチェンジしたセシリアは格好の話のネタになっていた。そこで決して自分達を振り返らないのが、ISに学生時代を捧げてしまった大人の女の悲しいところでもある。

 

「おや、やっと見つけた」

 

そこへひょっこりと顔を出したのは、ショートヘアの似合う悪戯好きな猫のような美少女。IS学園の生徒ならば一度は見たことのある人物―――IS学園生徒会長・更識楯無その人。その後ろには同じく生徒会役員の布仏虚が従っている。

口調から千冬達を捜していたらしい楯無は目礼で断ってからテーブル最後の一脚に腰掛ける。虚は別のテーブルを寄せると、そこに一人だけ座る。

 

「どうした、更識」

「いやぁ、先生達が楽しそうなことをしてたって聞いたもので。不肖、更識楯無はご相伴に預かりにきました」

「よく言う………」

「生徒は教師の苦労を解かってくれないんですね………」

 

外野にとっては終わってみればという感じだろうが、関わってきた千冬や麻耶にとってはとんだ災難でしかない。

 

「イギリスが鳴り物入りで送り込んだ第三世代が倉持の第二世代に負けたと聞けば、それはもう。来週はその話題で持ち切りじゃないんですか?」

「学園に居なかった割には耳が早いな」

「まあ、この手の情報は伝わるのが早いですから」

 

抜け抜けと言い切る楯無には、千冬の皮肉も通じなかった。

千冬は隣のテーブルで何やら端末を広げている虚を見る。きっと、彼女が集めた情報を聞いたのだろう。

四年制であるIS学園の今年三年生である楯無は、自由国籍権を申請して去年からロシアの国家代表に任命された、本物のIS操縦者である。国家代表になれば必ずしもIS学園の治外法権は適用されず、間近に迫るモンド・グロッソに出場しなくてはならない。ISの最終調整と戦術確認のためにロシアに一時帰国して、さっき帰国したばかりである。

 

「聞けばブレード一本で代表候補生のブルー・ティアーズを倒したそうじゃないですか。これは興味を持つなって方が無理でしょう」

「その代わりに、使用した打鉄はオーバーホール行きで一度倉持に帰す羽目になりましたけどね」

「あれ?こっちでやらないんですか?」

 

意外な成り行きに楯無は首を傾げる。一年生ではまずないが、上級生にもなると実機訓練の模擬戦で相手のISにダメージを与えてしまうことがままある。絶対防御があるため操縦者の身体は基本無事だが、装甲や武装はそうはいかない。そうした時に整備科の生徒達が修理することも授業の一環に組み込まれている。

幾ら壊れたからと言って、折角のオーバーホール実習の機会を不意にするのは不可解だし、勿体ないことだった。

 

「内容が内容だからな………四年生ならまだしも、二年生や三年生は時間が掛り過ぎることもある」

「内容ですか………まさか、ロハでやるからなんてことじゃないですよねー」

「いや、それもある」

「………当たるはとは思わなかったなぁ」

 

呆気にとられて、得意げにすることもできなかった。

 

「ほとんどオマケのようなものだがな」

「じゃあ、他に何か?」

 

躊躇なくズバッと切り込む楯無に、千冬と麻耶は顔を見合わせて苦笑いする。そこはもう少し躊躇するところなのだが、こちらに考える暇を与えずに喋らせようとしているようだった。

轡木理事長からは隠しておくようにと伝えられていたが、楯無なら問題ないだろうと口を開く。

 

「楯無、理論上の話でも実戦の話でも構わんが―――お前なら、戦闘中にソフトウェアの書き換えはできるか?」

「はい?」

「だからな、ISで戦闘中、中身は問わんが戦闘に使用するソフトウェアの書き換えが可能か?」

「いやいや、それは無理ですよ。絶対にできないとは言いませんけど、それでも時間無制限ならっていう感じですし」

 

幾つも仮説を列挙して吟味したが、実現性の低さに匙を投げるしかない。

ISには音声対応の機能があるので口頭のプログラミングは可能でも、ソフトウェアを書き換えるだけの十分な知識が必要になり、更に書き換えのデータを自分で構築することになる。理論上は可能であっても、実現させることは不可能と判断するしかない。

そうだろうな、と千冬も同意を示すが、その続きがあった。

 

「戦闘に使用した打鉄は、使用前とソフトウェアの中身が異なっていたと聞けばどうする?」

「………えーっと、マジですか?」

「ああ、私はその言葉は嫌いだが………マジだ」

 

楯無は担がれている可能性も考えたが、千冬にはその手の雰囲気は皆無だった。

 

「轡木理事長はこのデータを学園内に留めておくリスクを考えて、今回の決定を出された」

「うわぁ、倉持に押し付けちゃったわけか。ご愁傷様」

 

南無と手を合わせる小芝居を挟んでから、

 

「先生達の様子からすると、外部からのバックアップは無しですか」

「使用したのは学園のアリーナだ。まず不可能だろう」

「一応、外部とのリンクチェックもしたんだけど、そっちも白だったし」

「事前にソフトウェアを持ち込んでいた可能性は?」

 

消去法で残ったものを、自分で疑わしく思いつつ楯無は言ってみる。

 

「そう考えるのが自然だが、前提条件がおかしくなる」

「彼のISには事前に何者かが細工したことで、予定した装備ではなくブレード一本しか登録されていなかったので、ああしていただけで彼自身が意図したことじゃないんだよね」

「うわぁ………」

「酷いですね」

 

やる側も露骨によくやるものだと誰しも思うが、同時に相手が男だからこそできる強引かつ有効な手であるとも認めざるを得ない。ソフトウェア書き換えの謎はあるが、その状態でも戦闘を続行して、実質的な勝利をもぎ取った万葉に、楯無は背景など関係なく俄然興味が湧いた。

 

「本人の当初の予定では、第二世代でも装備さえあればソフトウェアを書き換えずに十分やれたというのだから、わざわざソフトウェアを書き換え、無茶をする必要はないな」

「事前にそこまで想定していた可能性はあるにしても、ちょっと準備が良過ぎるかな。けれど、P...の一部カット―――操縦者へのイナーシャルキャンセルをカットするなんて、流石は男の子って褒めるところなのか、ちょっとね」

「そこまでやるかって感じだけどね。聞く限りだとそこまでマジにならなくても済む話にも思えるし」

 

試合前に負けても良い発言を聞いている麻耶からすれば楯無に同意したくなるところだ。その辺は余談の類なので、あえてこの場で開陳するつもりはなかったが。

麻耶はそう言えばと、千冬にこっそり視線を向ける。千冬と万葉の気まずい原因は結局何だったのか有耶無耶になってしまった。今日の夜から土日を、直接顔を合わせずに済んだことで、千冬は傍目にもほっとしていた。麻耶の想像では千冬も大分酔っていて、帰宅してから醜態を晒してしまっていたからだろうと推測したが、その域を出て居なかった。

 

 

「しかし………藪を突いたらちゃんと蛇が出てくれて良かった、ってところですか?」

 

どこからともなく取り出した扇子を景気良く広げて、ひらひらと自分を扇ぐ楯無。

 

「流石にここまでやれば気付くか………」

「あからさま過ぎますって。むしろ、彼に乗ってくれてありがとうって言わなきゃいけない気がするぐらいですね」

「それはどうだろうな」

 

万葉は万葉で思惑に従って乗っていて、きっちり成果を挙げた気もする。むしろ、仕掛けた側は余計に謎が増えてしまい、こうして頭を抱える寸前になっている。セシリアを本人に自覚がない間に釣り上げてしまったのだから、女性陣からすれば彼の勝ちだ。

あそこまで男たるものを見せつけたのだ。追いかけさせた時点で女の負けであり、よほど失敗しない限りはホームでゲームセットにはなり得ない。

 

「天然ジゴロか………」

 

弟は昔から近所の女の子を誑し込むのが上手かった。千冬は懐かしさに少し浸ってから戻って来る。多少顔が似て居ても重ねるほど落ちぶれているつもりはなかった。

 

 

 

「ただ、現状結局彼が何者なのか、背景がどの組織なのか不明なままですね」

「今回のことで解かるとは思っていたが、やはり尻尾を掴ませなかったな」

 

期待していた専用ISでも使ってくれればと思っていたが、勝負に不利な打鉄まで使って避けたのだから、まだ明かすつもりはないらしい。

 

「そうなると、私がこうして二人を捜しまわった甲斐があるものですなぁ」

「捜したのは主に私と………簪様ですけど」

 

扇子で口元を隠してニョホホホとキテレツな笑い声をあげている楯無に、虚が容赦なく突っ込んだ。実際に捜したのは楯無の妹である簪と虚。もう一人虚の妹である本音も居たが、戦力外だったので割愛された。

 

「何か有力な情報を掴んだのか?」

「ま、そんなところです」

 

ノリの良い喰いつきに満足して、楯無は閉じた扇子の先をくるくる回す。それが合図となり、虚は端末を操作して三次元の立体映像を投影させる。映し出されたのは縮小された万葉の全身像と、入学書類のパーソナルデータ。一応学園の機密書類なのだが、そこはそれだった。

日本政府とIS委員会、IS学園の三股を三組織公認で行っている組織に楯無も虚も所属していた。元々は日本の防諜組織に影響力を持つ更識家は、独自のパイプと政治力で国家の諜報機関とは別に半独立の形で存在することが黙認されていて、楯無はその十七代目の当主である。虚はその側近としてつけられている。

当主と言っても学生もロシアの国家代表もあるので、家の取り仕切りなどはまだ前当主がほぼ代行してくれているので気軽な身分だった。

楯無が独自に入手した情報を公開してくれるとあって、千冬も麻耶も聞き入ることにした。

 

「大方の予想通りですけど、この情報は偽造された本物です」

 

説明役をバトンタッチで虚。まるで委員長のようだと評されるお下げ髪の少女は、淡々と告げる。

 

「えぇっと………手続きや紙の上では正式なものだけど、本当の情報とは異なるってこと?」

「はい。山田先生のおっしゃる通りです。?瑰万葉なる人物は確かに存在しますが、このパーソナルデータは元々あった情報を上書きしたものになります」

「薄々分かっていたことではあるが、よく調べられたな」

 

千冬が感心すると、楯無と虚はそれが自分達に対する評価であれば間違いであるかのように苦笑いを浮かべる。

 

「どうした?私は妙なことを言ったか?」

「この場合は、褒められるべき私達の問題かなっと」

「楯無様」

「いや、いいんだよ虚。正直なところ、彼のバックボーンはヤバいですよ」

「更識家でもか?」

 

楯無は苦笑いそのままに頷く。

 

「まだ組織力なんかが見えませんけれど、こっちが調べ上げる手を全部見透かしてきてますから」

 

国の威信が掛った時のCIA並だと付け加えられれば、千冬も唸ってしまう。

だからと言ってこのままでいることはできない。

 

「具体的に言うと、どう言うことなんですか?」

「これを見て下さい」

 

虚が立体映像を切り替える。万葉の全身像はそのままに、新しいパーソナルデータが並列する。

 

「普通、偽造前の情報は徹底して隠すものですが、彼の場合は少しこちらの世界に精通している者が調べれば解かる程度にしか気付かれていませんでした」

 

並列された情報を見比べるとスウェーデン国籍や保護者のデータは変わらないが、過去の経歴や両親の情報は全く異なっていた。しかし、それでも十分とは言えないのが、この情報の怖いところでもある。

 

「この情報だけでは、バックボーンがまるで特定できないのか………」

「彼の出生はごく普通の少年で、?瑰万葉という名前も本名でした」

 

それが癖になっている虚は、くいっと眼鏡を押し上げる。

調べた情報もフェイクでる可能性はゼロではないが、限りなく低い。そう判断した上で持ち帰った情報だった。虚ろは、その先については主へバトンを戻した。

 

「これだけだと、まあ、私がこうして先生の前に来ることはなかったんですが………」

 

楯無は扇子の筈をテーブルへ垂直に立てる。

それから、千冬をしっかりと見据えて困惑させる。年齢不相応に意思の強さの篭った瞳は少し居心地が悪かった。

 

「おそらく、確信を得られる情報は織斑先生に確認してもらうしかないんですが………大分プライベートな部分や機密に触れるので………」

「………わ、私が一緒だとマズイってことですね?」

「すいません。ただ、私達が話した後に織斑先生が話されるのは自由ですから」

 

いつになく丁寧な楯無に、千冬からも無言ながら申し訳なさを匂わせつつ退出を促されれば、麻耶はここに残るとは言えなかった。

 

「それじゃあ、待つのも何ですので私はこれで帰りますね」

「すまない、山田先生」

「あ、謝らないで下さい。私が居てもあんまり力になれないと思いますし………」

 

頭を下げて詫びる千冬だったが、麻耶の一言に思い知らされる。

篠ノ之束に関わり、ISの始まりに関わってしまった自分と違い、麻耶はあくまで元国家代表でしかないのだ。政治的駆け引きに関わったことはあっても、どっぷりと陰謀の海に溺れて来たわけではない。

 

「すまない」

 

一体どの意味での詫びなのかは、二人にしか解らない。楯無や虚はこの点で外野だった。

 

 

 

麻耶が丁寧に部屋を辞してから、三人になると部屋の雰囲気が大きく変わった。

そのことに気付いて千冬は少し自己嫌悪に陥る。状況に流されるだけを嫌って独自に動いた結果が、世間一般と懸け離れてしまった。麻耶のようになれればと思わなくもないが、さりとて織斑千冬の本質として今を投げだすことを善しとはできなかった。

 

「それで、私のプライベートに関わる話とはどういうことだ?」

 

挑みかかるように尋ねながら、二、三心当たりはあった。

篠ノ之束と幼馴染で、開発に関わってしまった時点でアウトだったとも言える。

 

「その前に、先生。一つだけ確認させて下さい」

「何だ、いきなり」

 

これから名探偵の迷推理のように披露されるはずの内容を前に肩透かしを食らったが、気を取り直して質問を待つ。楯無の様子からは、ふざけたものは一切ないので至極真面目な質問が予想される。

 

「先生は、彼が入学するまで本当に?瑰万葉の名前を一度も聞いたことはありませんか?」

「………どういうことだ?」

「これ、大事なことなんです。疑問は後で説明と一緒にしますので、まず答えて下さい」

「解った………だが、私が奴の名前を………?」

 

何を根拠に言い出したのかはこの際さておくことにした。

千冬は記憶力もかなり良い方だが、これまでの人生で出会った、耳にした名前を全て覚えているわけではない。楯無がそこまで言うほどならば、重要な人物だったか、場面で聞いたことのある名前になる。

胸の内で何度か名前を呟くがやはり、これだと思い当たる名前は上がってこなかった。

 

「駄目だな………覚えがない。私に纏わる人間なのか、あいつは」

 

問い掛けに楯無は言い淀む。

 

「そう、ですね。あんまり良い関係とは言えませんが………何の背景もないようであれば、まず真っ先に先生との関係を疑いました」

「回りくどいな………一体何者なんだ、あいつは。私との関係は?」

 

焦れて言葉が自然と荒くなる千冬は、楯無の回りくどさに苛立っていた。

楯無も覚悟を決めたのか、虚に合図を送る。開かれた扇子が口元を隠して感情を読み取り辛くさせる。はっきりと見える眼だけが、鋭く光りを放った。ここまでは一生徒の更識楯無。ここからは暗部に属する更識家当主の更識楯無と線引きするかのように。

 

「先生、彼はですね………先生の――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《いっくんの模造品を送り込んだのは、誰か知らない君かな?》

「模造品ね………まあ、そういうことにしておくといい。どうせ貴女には認識できないことだ」

《ふん、私には君が何を言ってるのか理解不能だよ》

「―――そういうことだよ、篠ノ之博士」

《莫迦にしてるのかな、私を。それはちょっと許さないよ》

「ええ、ええ………さて、それはどうだろう」

《私が君達の正体を知らないとでも思ってるなら思い違いだよ?天才の束さんに掛ったら、君達なんて簡単に捻り潰せるんだからね》

「誤解がないように言うのであれば、貴女の造った玩具如きで世の中舐めた態度をとれると思ったら大間違いだろうな」

《凡人の造ったISと束さん謹製のISと一緒にしてもらったら困るなぁ………私はISの生みの親なんだから、出来ないと思われていることぐらい簡単にできちゃうかもねぇ》

「結局、貴女とて全て一からISコアを創造したわけでもないのに、随分な言い草だ………私が知らないと思われるのも心外であるし、アレを全部掌握しきっているわけでもない貴女如きでは―――はっきり言って私の相手にもならん」

《………束さんを怒らせた代償は高くつくよ》

「まあ、お山の大将を気取って居られるのはそこまでさ。自分の研究目的を忘れてしまった科学者の末路など、誰かが引導を下さなくてはならんからな」

《―――絶対に殺してやる》

「それは楽しみだ。ただ、私を殺したいのであれば表舞台に立って、人の悪意を克服することだよ、お嬢さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北欧の海―――バルト海。

狭い隘路の海であるため河川流入と循環速度の差によって塩分濃度が低く、冬季には結氷するその海は春先で幾分か氷を残していた。地元の小型、中型漁船では厳しい中、一隻の船が悠々と氷を砕きながら航海をしている。

排水量十五万トンオーバーの世界最大級の豪華客船の一つ、ダイオメドは処女航海を飾るため最大4000人を乗客として乗せることができる船体に相応しい風格を放っていた。保有するダイダラ社は莫大な費用を投じたこの船は、記念すべき処女航海としてある催しの舞台へと多くの来客を運ぶ。

 

スウェーデンの首都ストックホルムの海岸沿いにある大型の会議場兼展示施設には、バルト海クルーズ船や飛行機によって数多くの来賓が招かれ、来賓の動向を伝えるために集まったマスコミを含めれば数千人規模の大掛かりなものとなっていた。

 

「いやっはー、壮観だねぇ!」

 

フェリックス=ベルナルドはご機嫌そのもので、下界を眺めていた。会議場のほぼ最上階の部屋からは、人が豆粒のように見えている。そこに瞬くカメラのフラッシュはネオンサインもかくやと、ひっきりなしに光っている。

 

「ごきげんね」

「ごげきげんだよね」

 

オルテガと万葉はテンションMAXのフェリックスに早くも疲れていた。

 

「いつも思うけど、私達の上役ってどうしてこういつもどこか他所の宇宙で生存して欲しい類の奴ばっかりなのかしら」

「仕方ないんじゃない。ほら、日本の諺には類は友を呼ぶってあるし、変態には変態がってことでしょ?」

「それは、巡り巡って自分に帰って来るわね………」

「………ごめん、ここは一つなかったことで」

 

それだけは是が非でも否定したい現実である。

日本の成田から、フィンランド政府の政府専用機である超音速旅客機を用いて、ストックホルムのアーランダに二時間で到着。時差諸々のおかげか夜に出発しても、到着も夜だった。強行スケジュールの到着点でこんなハイテンションにつけているほど、頭がラリッてるつもりはないのだ。

 

「ノンノン、君らはもう少し明るくしてくれないと。これから晴れ舞台なんだから!」

 

黙っていればキツネっぽい容貌と天然パーマが良い方向に作用した赤毛のおかげで知的な男前なのに、全部ぶち壊しだった。晴れなのはお前の頭の中だけだと悪態を吐くことで堪えておいた。

悪態にめげるどころかそれに快感を覚えているかのように、謎のキモイポーズを取っているのは嫌がらせを超えている。

 

「………真面目な話、やる気ある?」

「もっちろん!」

 

多分、言葉でめげさせることは無理そうだ。

 

「まぁ、君らには聞かせてない予定だったからちょっと驚いているところかい?」

「何か仕掛けはあるようだとは思っていたけど、確かに私が予想していたよりも早かったわ」

「色々とねぇ………その辺はちょっとこっちも予定外があってねぇ。ほら、ヒオンっていっつも遊び過ぎて自爆するじゃん!」

「「最悪だ!」」

 

性質の悪い理由に頭を抱えたくなった。海外旅行で美人局に遭遇してパスポートその他の身包み剥がされたぐらい悪い。

 

「人生で楽しんでナンボが座右の銘になっちゃってるか仕方ないじゃんか」

「………振り回された側のあなたがそんなんだから駄目オヤジになるんでしょうに」

「いやだなぁ、私もバッチリ楽しんでるからオールオーケイ?」

 

イカン、こいつも同類だった。オルテガは引っ張らないようにしっかりと理想を保って、ついでに深呼吸で気持ちも落ち着かせておく。万葉は馬の耳に念仏だからと既に諦めているので、頼みにならない。

更生は絶対無理だと解かっているので、せめて同類と見做されることだけは避けたい。

フェリックスとそれ以外のテンションの落差に照明さえ明るさを変えたような気がして来た頃、部屋のドアがノックされる。

 

「入りなさい」

「失礼致します」

 

ドアを開いて丁寧に一礼してから入ってきたのはフェリックスの女性秘書と警備を任せているP...のアツェロタヴァヤ・ヴァトカ社の警備主任。

 

「社長、間も無くお歴々が到着されますのでご用意をお願いします」

「ああ、解かった。それでは二人は会場で会おう」

 

別人同然に落ち着いた喋りは二重人格かと疑いたくなるが、間違いなく同一人物のフェリックス=ベルナルドだった。少なくとも秘書や警備主任の前では、威厳のある態度でいるらしい。一緒に居ると疲れるので、二人とも早く行って欲しかった。

これからフェリックスは近年で欧州の重工業―――特に軍需企業の中で頭角を顕したアルブレヒト・ドライス社のCEOとして、各国政府要人を出迎える役目がある。背筋に芯を入れた、見られることを意識した歩みで出て行く背中を喜んで見送ってから、

 

「さて、と………万葉達も行こうか」

「そうね………無駄に疲れたけど」

 

腰を上げた二人は微苦笑する。肉体的な疲労は除くことができても、精神的疲労だけは中々拭い難い。

政府専用機の中でIS学園の制服からドレスコードに合わせて着替えたが、これから更に式典に合わせて着替えなくてはならないのが面倒だった。式典会場の裏手にあるメイク室へ向かう足取りは、気持ちを切り替えてしっかりしたものへ戻す。

 

「でもさ」

「なに?

 

嫌なことを口にしそうな万葉に、自然とオルテガの口調に棘が交る。万葉のせいではないにしても、もう少し常識のある行動をとらせて欲しい。四面楚歌のはずのIS学園の方が、気持ちが落ち着くとか、正直アリエナイのだ。

けれども、世の中思い通りにいかないもので、これから予測される嫌な事を万葉は口にした。

 

「多分、この後、一緒に式典に出るってことは義姉さんも居るはずなんだよね、メイク室」

「………」

 

オルテガはトドメの一撃を刺された。

 

(世の中、少しぐらい私に優しくても罰は当たらないわよ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

欧州にはアルブレヒト・ドライス社という新興企業が存在する。

近代経済において新興企業とは、実の所存在し得ない。それは業界における既得権益は等しく既存の企業に握られ、新たなベンチャービジネスもまた最終的には既存企業の協力なしには成り立たないからだ。そうした既存企業は国家経済における雇用の重要な担い手であり、また独占禁止の法規さえも企業間の暗黙のルールで乗り切るため、執拗なまでに延命される。

その中で新興企業が存続し、更に拡大できるのは魔法のように見せる何らかの仕掛けが潜んでいるからに他ならない。

 

ストックホルムの会場に集まった政財界のみならず軍関係者、マスコミは一様に一人の男に注目せざるを得ない。

フェリックス=ベルナルドを名乗る、三十台前半の優男は今や欧州経済における台風の目、少し古い言い方すれば正しく“風雲児”だった。かつて、インドの企業家が行った自社の株式時価総額を利用した驚異的なM&Aによって、瞬く間に会社を大きくし、アルブレヒト・ドライス社を産業界の一翼を担う大企業へと成長させた。

機を見るに敏とは言うが、あまりにも適確すぎる決断と行動にEUからは常にインサイダー取引の疑惑をかけられている。しかし、その証拠が全く出ないことから、その顔つきを揶揄して“グレイフォックス”と呼ばれている。

 

今日の式典は、近年EUと距離を置くべきという右派の与党が勢力を強めている北欧理事会の加盟国―――バルト三国、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、アイスランドの八カ国―――が主催している。だが、来賓やマスコミはそこに加わり、ホスト国であるスウェーデンの側にいるフェリックスの存在に注目していた。

北欧理事会がEUと更に距離を置き、NATOやCISからも離れて独自の軍事的プレゼンスの確立を目指しているという話は、その筋ではかなり有名な話である。そこにISの登場により特に大打撃を受けた軍事航空業界において世界第二位のEADSドイツをM&Aで併合したアルブレヒト・ドライス社が関わって来るとなれば、話は大きく膨らんでくる。

 

「そうなりゃ、この話はデケェ山になる。ウルセェ三流ゴシップや、お上品過ぎて胸やけがする連中がこぞって来てるってわけだ」

「へぇ〜〜〜」

「ってか、オマエ、んなことも知らねぇでよくもまぁブンヤになろうと思ったなぁ?」

 

会場の一角では、ベテランの記者が上司から嫌々押し付けられた新人に取り巻く欧州情勢をかいつまんで話し、今日の式典の重要性を説明していた。説明するのも面倒臭いのが本音ながら、キツイ取材仕事は全部野郎に押し付ける糞女編集長は、どうせ社員教育とか意味不明な理由をつけてこの新人にも記事を書かせつるつもりだ。ここである程度教えておかないと、何故か無理矢理押し付けられた新人の尻拭きまで怒鳴られる羽目になるから、嫌でも何でもキレそうになりながら説明してやっていた。

 

「でも、何で北欧理事会はそこまでEUと距離とりたがるんッス?」

「………いいか?」

 

そこからかよ。大学だけは良い処を出て、雇用機会均等法の頭数合わせに採用されたボンクラの顔面を妄想の中だけでぶん殴って、阿呆でも解るように説明する。

 

話自体はISの登場前に遡ることになる。

当時の欧州経済は行き詰まりを見せていた。今世紀頭には顕著になっていたが、所謂先進国の少子高齢化は国内経済を停滞させ、慢性的な失業問題を抱え、デフレに陥っていた。そうなると国内市場から外国市場を狙うかになる。その方法として欧州はEU経済圏を新たに捻り出そうとした。加盟国を増やすことで共通通貨のユーロを新たな基軸通貨にし、関税の撤廃や安い移民の労働力を手に入れるなどメリットはかなりあったため、多少強引でも加盟国を増やした。

そのしっぺ返しは当然あり、加盟基準をギリギリ満たしていたとある加盟国は上辺だけを取り繕ったため結果的に財政破綻に至り、EUへ財政支援を求めた。そこで問題なのは、誰が金を出すかであり、加盟国で出し合わなければならないものの、それは元々各国の血税である。幾ら何でも他国の経済政策の失敗を自分達の血税で補填するのは理屈に合わない。しかも、財政破綻を起こしそうな国家はまだ複数あり、一度前例を作れば次の時も補填しなくてはならない。

誰でもそんな莫迦なと言いたくなる状況で、最悪の判断をした国家が現れた。急激な加盟国の拡大で最も利益を受けていた中心的な国が、EUの離脱を掲げる左派を政権与党にし、実際に離脱寸前まで至った。結果として起こったのは、他の加盟国からの猛反発とその後における経済制裁までを見越した投資家による国債の投げ売りだった。甘い汁だけ吸ってはいさようならを認めるようなお人好しは一人として居ない。

国債の価値下落は新規国債の買い手が居なくなることも意味し、皮肉にもその国家は財政破綻となり、失業率が30%を超える大不況に陥った。更に、連鎖破綻が波及するなど欧州経済は大打撃を受けた。

その後、何とか持ち直しはしたものの、最悪の選択をした国家、ひいてはEU全体に不信感が燻り続けている。

 

「ぶっちゃけあん時の恨みは忘れてないぜーってところか。俺も当時がガキだったが、あの国の奴を見たら石を投げるのが常識だったぐらいだからな。今でこそ大分下火になっちゃいるが、あれを見るとあまり拡大した経済圏ってのも考えもんだろうってのは思うぜ」

 

新人がまるで初めて聞いた話という感じで、しきりに頷いているが無視する。

 

そうこうする内に式典が始まる。

北欧理事会加盟各国の中で、ホストであるスウェーデンの首相がスピーチを始める。

内容についてはベテラン記者が予想した通りに、かつてのEUの無策から起こった欧州全体の経済危機は、グローバリズムの弊害だったことを語る。一方で、国内市場の停滞は避けられないことでもあり、やはり外国市場を狙う政策は不可欠であると進める。そして、北欧理事会はより強固な連結を深めるパートナーシップ協定を本日締結し、その象徴を本日余興の一つとしてお披露目すると締めくくった。

 

―――新たな軍事兵器の紹介

 

おそらくそれだろうと、アルブレヒト・ドライス社の存在からマスコミは考えている。

現代において紹介するべき価値のある新型兵器となれば、IS以外に存在し得ない。欧州ではアメリカ・フォアントムワークス社の『ライトニングシリーズ』、フランス・デュノア社の『ラファールシリーズ』、ドイツ・ディッセンクルップの『シュヴァルツェシリーズ』の何れかがシェアの多くを占めている。

これらに依存しない北欧純生産のISを開発したとしても不思議ではなく、ベテラン記者も含めて目玉がそれであると考えている。だが、ブンヤの勘はそれだけではないと語っている。知り合いの国連担当記者からは最近IS委員会の動きが妙だとされていることから、予想を上回る隠し球があると睨んでいた。新人を連れて行くことを拒否して外されたら折角の特ダネを逃してしまうから、そのために我慢してきていた。

 

 

「皆さん、初めまして。初めましてではない方は、回れ右をして、お帰りのドアはあっちですよ―――まぁ、ジョークですが」

 

スウェーデン首相に譲られて壇上に立ったフェリックスは、某映画賞の総合司会のように軽やかな話し口を入ってきた。お付き合いもあって、会場は軽い笑いに包まれる。

 

「アルブレヒト・ドライス社というしがない企業のCEOである私が、首相閣下と肩を並べるのは恐れ多いですが―――ああ、そこのカメラマン、ツーショットはご遠慮を―――本日は、北欧理事会の新たな団結の象徴事業について仰せつかったことがあるため、僭越ながら壇上に立っています」

 

スピーチというよりは、どこかのトークショーのようだが、不思議と人を不快にさせない。

これが風雲児と呼ばれる男とは思えないが、同時にこれぐらいでなければ務まらないのだと強く思わせる。

ごく触りだけを軽く話してから、誰もが期待する本題へと話を進める。

 

「本日、来場の方の中にはお気づきの方もいらっしゃるでしょう。今回、我が社は北欧理事会から秘密裏に打診を受け、以前より進めていた共通兵器開発を進めて来ました。お披露目とはその兵器となります」

 

ついに来たと来場者の中には前のめりになる。レコーダーに録音していながら、マスコミは一言も漏らすまいと神経を集中させる。

 

 

「それではご紹介致しましょう―――」

 

 

突然、会場の天井が開いた。この施設のメインホールの売りの一つである天井開閉機能が作動し、ゆっくりと月明かりの夜空が姿を現す。何の仕掛けが来賓はざわめき、余興であると気付いた者は何をやってくれるのかと不敵に待ち構える。

幾重にもショーレーザーが放たれ、北欧理事会各国の国旗を夜空に描くとそれらが回転する。最初は演出に期待した来賓もそれだけなのかと失望をしかけた時、国旗がいきなり突き破られた。突き破られた国旗は破片となって漂い、徐々に中心に集い―――北欧理事会の象徴旗へ姿を変えた。

そして、国旗を突き破った何かが一直線に会場へと急降下。象徴旗の演出に気を取られていた来賓の鼻先で急停止、反転。壇上のフェリックスの横合いを一瞬で通過すると、タイミングを合わせて壇上の後方を飾っていた緞帳が引き下ろされ、隠されていた壇上の奥が衆目に晒される。

 

 

―――整然と居並ぶ、甲冑を纏った現代の天使達

 

 

今の時代、知らない者は居ないはずの新兵器―――インフィニット・ストラトス。

けれども、誰もが見たことのない斬新な外見は、カメラマンさえシャッターを押すことを忘れてファインダー越しに見入ってしまった。

 

―――北欧の降る雪のような白銀色の色調

―――部分保護の常識を覆す全身装甲

―――儀仗兵のように剣と銃をそれぞれ分担して掲げる飛行姿勢

―――忘れ去られつつあるエアロダイナミクスを求めたようなデザイン

 

かつて、追い求められたことのある兵器に存在する機能美という芸術性。

誰もが忘れかけていた美しさの再臨に、来賓は水を打ったかのように静まり返っていた。

 

それだけではなかった。見惚れてしまった二十機の見たことのないISは後列にあり、更に前には三機のワンオフ専用機が率いるように浮遊していた。その三機こそが、先程の闖入者であるとようやく来賓が気付く。あまりに高速で捉えきれなかったが、理屈ではなかった。

 

 

一機は、陶磁器のような滑らかな全身装甲を一点の曇りも無く彩る白磁色をベースにしたペイント。縁取りと線取りは真紅と濡羽色でアクセントにしている。

一機は、先の機体と隣にあり、姉妹機であること強く思わせる。色は濡羽色ながら縁取りと線取りは白磁色と真紅であり、デザインもほぼ同一である。

一機は、最も前に位置し、先の二機とは設計思想が異なるように全体的に細身でありながら、ネコ科の猛獣特有の瞬発力を秘めた力強さを兼ね備えている。さながら、眼を焼かれそうな深緋色のように強さを見事に体現していた。

 

 

「驚かれているところ、申し訳ありませんが――――改めて紹介とさせていだきます」

 

 

驚愕で場を完全に掌握したフェリックスが最前列の深緋色のISに並ぶ。動物の本能に従うように、来賓は全員が彼に注目してしまう。

彼の表情が、ここに至っても穏やかで爽やかなことは却って不気味ですらあった。悪く言えば世の中を舐め切り、良く言えば何者にも淘汰され得ない自信に満ちている。フェリックスが手招きすると後列と前列が入れ換わる。

 

 

「こちらの二十機が、当社が開発した第三世代IS『フラクシヌス』です。北欧理事会がこの後に予定しています、パートナーシップ協定締結後に、新たな軍事力として量産済みの本機を―――」

 

 

―――即時戦争可能な実戦配備とします

 

 

 

『―――――――――――――ッ!!?』

 

 

会場に居た全ての人間の眼が驚愕に見開かれ、絶句した。

幽霊を直接見てもまだここまで驚かないだろう

フェリックス=ベルナルドは今何と口にしたのか、我が耳を疑う者が続出した。ざわめきが一旦起こると爆発的に広がり、ここがどこであるかも忘れて騒ぎとなる。

 

―――第三世代IS

 

従来機の第二世代ISには存在しない、イメージ・インターフェイスや新機能を搭載した新世代ISのことを指す言葉である。世界各国は軍事的優位確立のために莫大な費用を投じて、開発を進めている。

 

しかし―――アメリカも、イギリスも、ドイツも、フランスも、イタリアも、ロシアも、中国も、日本も、インドも、ブラジルも―――如何なるIS先進国も、新機能の実証試験中の試作機しか存在しないのだ。

それをこれまでIS開発に参入したことのない北欧が、同じく軍事企業をM&Aで買収してきたISの実績ほぼゼロの新興企業が開発した挙句に実戦配備可能など、まず信じられるものではなかった。

 

事実、誰かが嘲笑いながら野次を飛ばしたが、フェリックスは肩を竦めてだけで意に介さなかった。それどころか、『フラクシヌス』を後列に戻させると、再度三機が前列へ復帰。力技でねじ伏せられるように野次が止んだ。

 

「続いて紹介しますのは―――」

 

濡羽色と深緋色のISの前面装甲が解放され、素顔と胴体が外気に触れる。

 

「当社がただいま全精力を傾けて開発中の―――」

 

濡羽色のISからは、栗色の髪の美少女であるオルテガ=アントラーデ。

そして、深緋色のISからは前髪パッツンの金髪ストレートロングの、オルテガを上回る大人の色香を纏い始めた美少女―――その登場に、会場中がどよめいた。

 

「―――第四世代IS『ブラックサレナ』と『スィデロ・グロスィヤ』の専属操縦者、オルテガ=アントラーデ嬢、そして皆さんもよくご存知でいらっしゃるでしょう、エミリ=ロシュフォール嬢の二人です」

 

紹介された二人はアルカイックスマイルを浮かべ、会場を一瞥する。

 

「せ、せ、せ、せ、せ、先輩!?あ、あ、あ、あ、あ、あの人って!?」

「っるせぇ!!解ってんだよぉ!………マジかよ」

 

合衆国大統領よりも有名人であり、世界各国がその動向を常に監視しているエミリ=ロシュフォールのサプライズ登場。驚くなと言われても無理に過ぎる。ベテランのように現実を現実として呑み込むのに時間が掛るのはまだ良い方で、呂律が回らない新人の方がむしろ一般的だった。

来賓達は仕掛けられたショーに翻弄されるばかりである。事態は既に、EUからの離脱や国産IS開発に留まるものではなくなった。

 

仕掛けた側のフェリックスは表情そのまま、内心は悪魔じみた笑いで喝采を送っていた。

物見遊山のつもりでこちら動物園のパンダとでも思っているらしい、来賓の百面相は爆笑ものだ。後で録画を見直して思う存分笑い倒してやろうと決めている。所詮は、愚民。自分達が人を使う側と思い込まされているただの駒。精々、驚き慌てふためいて無様を晒し、思惑通りに動けばいいのだ。

最初から絵図を引いた出来レースであるが、フィクションではあるまいにそこへ至る手筈を怠らなかった賜物である。実行を任されたフェリックスは己の功を誇るではなく、下知を下した主の慧眼に一層敬服の念を強くした。

 

―――世界をもっと面白く、混沌に叩き込んで来い

 

主からの背中を押す一言に、フェリックスの躊躇は雲を吹き払うように消えている。

仮面をかなぐり捨てて混乱の渦に回される来賓を惹きつけるべく、マイクの音量を上げて大音声を放つ。

 

 

 

「驚きのところを申し訳ないが、まだ私どもには最後のサプライズが残されています」

 

 

視線の集まりを肌で感じる。そこには興味よりも強い畏れが伝わって来る。

それでいいのだとほくそ笑みたが、ここはまだ我慢するところと弁えて居た。

 

―――白磁色のISの前面装甲が解放される。

 

タイミングは万全。演出の締めに、高揚しないものはいない。

観客を魅せるべく、フェリックスは大仰なフリで白磁色のISをクローズアップさせる。

長かった黒髪はばっさり切り落とされ、学園では見慣れた柔和な女顔は整った容貌そのままに鋭さを増して男らしくなり、充溢する気力で周囲を圧している。TV中継もされている映像を見た、知る人は本人であるか判断に迷う。

 

 

「同じく第四世IS『ニンバス』と―――世界初の男性操縦者・?瑰万葉君を皆様にご紹介します」

 

 

―――さあぁ!時代よ、変われ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

激動の一日が終わり、喧騒から解放される。

共同記者会見。各国主要新聞社との独占インタヴュー。国内向けのプロモーション撮影。

短い時間の中で予定されたそれらを全て消化してから、万葉は日本へと戻ってきた。本国の許可がない限りはマスコミとの接触を禁じられているため、VIP専用のルートを通り、囮車両まで使って紛れた。

リニアトレインの駅にも待ち構えていることは予想されているため、IS学園側へ事前に申し入れを行いヘリで移動する手筈になっている。

 

けれども、予定は変更となり、髪を切って軽くなった頭に違和感があるせいでしきりに毛先を弄りながら、リノリウム張りの廊下を歩いていた。スリーピーススーツはまだ着られている感が強い。しかし、彼を囲むように歩くスーツ姿の男達の存在が奇妙に存在感を押し上げていた。身辺警護でつけられているP...の要人警護担当を従える姿は、まだ少年らしさを残すためにまるでマフィアの若様のように見える。

看護士や患者は異質な一行と関わり合いになりたくないと端に寄ったり、露骨に踵を返したりしている。無頓着なふりは上手いが、ここまで露骨にしなくてとも自分の護衛を棚上げにしてぼやく。

 

「ここまでで」

 

目的の病室に辿り着く。関係者以外立ち入り禁止の札が掛けられているが、気にも留めない。

護衛は二人が外に、残りの二人が病室へ入って安全確認を行う。護衛の鑑のような働きに最初の言葉は言わず、安全確認が出来たら部屋から出した。

病室に一人きり。だが、もう一人居る。使用されている病室ならば、そこに病人が寝ているのは必然。IS学園を出た時と同じ茜色の空が間も無く暮れる。広い個室には中央にベッド、その周囲を一昔前のSFのように多くの医療機器が囲んでいる。

その光景は少し懐かしかった。病院には色々とお世話になった。そして、思い出したくもない最悪の部類の記憶が結構な割合で占めている。生き地獄という意味合いで。

 

 

「やあ、久しぶり―――と言うには面識が無いかな、君と万葉は」

 

ベッドの主に語りかけるが、返事はない。多くの機器に囲まれ、繋がれている身体は万葉と同年代のはずだが寝たきりのせいで小学生のように細い。

おそらく、寝たきりの彼は知らないだろうが、万葉はよく知っている。本当に良く知っている。こうして生で顔を見るのはほぼ初めてと言っていいが、想像していた通りあまりそういう感じはない。日々見慣れているせいだろう。

 

「思っていたよりは………」

 

感慨は深くなかったことに、落胆とも安堵ともつかない気持ちになる。もっと、込み上げる何かがあるのかとも思っていた。

 

「愚問だって解かっているけど、君はどうだい?」

 

ベッドに近づけば、よりはっきりと顔が見える。やはり見慣れたものだった。

見慣れているものと比べれば、寝たきりで筋肉がほとんどなく、基礎代謝だけを消費するために蓄積の必要がない身体は余分な脂肪をつけない。そのため頬もやや痩せこけ、除いている首も細く骨張っている。

ベッドの主のネームプレートをなぞりながら、万葉は名前を呼んだ。

 

「万葉と顔を合わせたらどう思うかな―――織斑一夏」

 

寝たきり特有の不健康さを除けば、鏡像のように瓜二つのベッドの主へ可笑しみを添えて問い掛ける。

 

 

 

 

 

 

「―――織斑千冬さんで間違いありませんか?」

「………そうだが、貴様ら何者だ?」

 

問題児が居なくなったと思ったら、本国で世界を引っかき回してくれた教え子の後始末をようやく終えた千冬は、予定よりも遅くなった弟への見舞へようやく出ることができた。病院の受付で許可をもらおうとした矢先に、顔馴染みの看護士から不信な一団が院長から直接許可を取り付けていることを聞きつけて、急いで駆け付けた。

肝心の病室の前には、明らかに堅気ではなさそうな男が居て確認されれば、いつもの冷静さを欠いた千冬は噛みついてしまう。

 

「申し遅れました。私どもはアツェロタヴァヤ・ヴァトカ社の者です。今回は要人警護のため、警護対象の希望でここに居ます」

 

襟元を飾る社章を示しながら身分を明かした男とは別のもう一人が、扉を独特のリズムでノックしている。

 

「その要人警護が何のために、ここに居る。ここが誰の病室かは解かっているのだろうな」

「勿論です。もし、織斑千冬さんが来られることがあればお通しするように命令されています……どうぞ」

 

流暢な日本語を話す男は、ノックで開かれた扉を慇懃に示す。噛みついた千冬は、この男は自分と問答する気は全くないのだと理解する。ただ、命令された通りに現れた人物を確認し、所定の人物であれば部屋の中に入れる。後のことについては一切受け付けず、感情をあえて汲み取らずに進める。企業が人員削減で進めている受付ロボットの微妙に融通の利かないところにそっくりで、もしかしたらロボットなのでは疑うが、流石にそれはなかった。

そうなるとここでは話が進まない。相手の落ち着きっぷりから自分にも弟にも害意は無いと判断して、言いなりになる不本意さを抱えながら、千冬は病室に入る。入れ換わりに部屋に居た二人が外に出た。

パタン、と引き戸が閉じられる音がすると医療機器の音以外無音となる。

 

 

「お前は……!?」

 

日が暮れてしまい、残光が射し込む窓辺に立つのは見慣れた制服姿ではなく、ドレスコードに合わせたようなスリーピースを着た万葉。千冬はその顔を視界に収めただけで眩暈を起こして、医療機器用のモニターに手をついて身体を支えた。

カタカタとモニターが震えている。千冬の手の震えを伝えられて、モニターが震えていた。呼吸が自然と荒くなり、焦点が定まらない。高熱に魘されるような症状。それらを治めるために、部屋の中央を占めるベッドの主を見る。

 

「い、一夏!」

 

痩せ細った病人。この数年一度も眼を覚ますことのない弟に縋りつく。ほとんど骨と皮だけになってしまった手を握り、それをお守りのようにして気持ちを落ち着かせる。

 

(違う!………あれは、断じて一夏などではない!!)

 

どうしようもない程、同じ顔である存在に動揺する心を呪文で抑えつける。

最愛の―――比喩ではなく、この世で最も大事な、自分の命よりも大事な―――弟が、まるでそこに居るのだと錯覚してしまうほど、似ている。そっくりさんは世界に三人は居るという俗説が真実と思えてしまうほど似ている。

 

「貴様………何のつもりだ!その顔は!?」

 

顔を見ることができずに俯いたままの千冬は、動揺と困惑に乱れる心をそのまま叩きつける。

万葉は感情の落とし所を見つけられない千冬の言わんとすることを把握していながら、空惚ける。

 

「その顔と言われてもね………これが万葉の顔だから、何とも答えようがないよ」

「何故貴様が“私の弟と同じ顔”をしている!!」

 

感情が爆発した。学園でやっていた腹の探り合いをかなぐり捨て、顔を上げた千冬は瞳を憤怒の色に染める。確かに学園を出発する前までは似ているとは思ったが、ここまではなかったはずだ。整形手術でもしたかのように瓜二つとなっている。

 

「“私の弟と同じ顔”………ね」

 

万葉の表情が僅かに引き攣ったことを、冷静さを欠いた千冬は見逃した。

 

「その言われ方は、ホント癇に障るよ。確かに、学園に居た頃は意図的に顔を変えてたよ。だけど、誤解がないようにはっきりさせてもらうと、万葉の本当の顔はこっちなんだ

「顔を変えた………だと?」

「ピンと来てないみたいだね。あれだけカメラや盗聴器を仕掛けてリアルタイムで監視しておいて、メイクで誤魔化した形跡もなければ、その道具も家探しで見つからなかった?―――困るなぁ、そんなチャチなものじゃないんだよね」

 

ホームルームでセシリアと応酬した時を千冬に思い出させる。普段は毒にも薬にもならない道化じみた少年が持ち合わせる、シニカルな部分。工作員の上位に位置する指し手のような振る舞いは、工作員に不向きな性格である。

 

「………ナノマシンなのか」

「ご明答。教師と生徒の立場が逆転しちゃってるけど、そこはそれで。顔面の筋肉と神経をちょっとずつズラしてね、良く似た他人レベルまで落とし込んだらしいね」

 

あっけらかんと、けれども徐々に冷たさを帯びて行く万葉。

千冬は話を全て真に受けるつもりはなかったが、それでも事実と仮定する他なく呻いた。今世紀初年に本格的な研究が創められたナノテクノロジー部分はようやく一部実用化したばかりで、まだ目標には遠い。抗体保持型ウィルスや癌に対して薬物レセプターとなるアダプター型ナノマシンは実用化され、またレセプターの機能を応用してISにも幾らか応用されている。

万葉の言うような顔面の筋肉や神経まで精緻に操作するほどのナノマシンはまだ研究室段階のはずで、安全性を確保した上での使用は論外だ。冷静さを全て失ったわけではない千冬はまだ残った部分で、驚異的な技術力に瞠目する。

 

だが、問題はそこではない。わざと“良く似た他人レベル”にしていたということは、今の万葉の顔こそが本当の顔ということになる。千冬はベッドで眠り、緩やかに呼吸を繰り返すだけの弟と再び見比べる。

 

「どうして………何故、お前は………」

 

明らかに自分を狙い澄ました存在。最この世に織斑一夏のそっくりさんが居たとして動揺してみせるのは十人に満たない。そして、IS学園に現れたとなれば織斑千冬を狙うしかないのだ。

それが一体何のためになのかが、まるで解らない。弟は確かにここに居るのだ。本物を隠して、意識を取り戻したと演技するならまだしも、種明かしのように喋るだけでは得るものはないはず。思惑の読めないことに苛立ち、その奥に恐れが溜まる。

 

「………どうせ、万葉が何者なのか調べたはずだよね。そう、例えば生徒会長が帰国した手土産にさ」

「それは……ああ、更識から聞かされた。お前が何者なのか。私のことを憎んでいるだろうことも」

 

当てずッぽうに近い万葉の予測を、強引に思考を落ち着かせた千冬は見破る。ここでペースに乗せられるな。相手が工作員であるとしても、この十年海千山千の連中とやり合ってきた自分の経験を信じろと言い聞かせる。

万葉は最後の行に首を傾げて、何を言っているのかという顔をする。

 

「憎んでいる?」

「そうだ。お前は私を憎んでいるはずだ………そのために、学園まで来たのだろう?」

 

組織の目的はあっても、?瑰万葉の思惑はそこにあったのだろう。

しかし、万葉はまるで見当違いとでも言うように声を上げて笑う。

 

「―――アハハハハハッ!!なるほど、なるほどね………いや、そうだよね!」

「なっ、何が可笑しい!?」

「………ふぅ……いやさ、普通はそうなんだろうねと思ってさ。そうだよ、憎むものなんだよね」

 

大きな誤解がある。千冬は鳥肌立つ肌で感じた。

後戻りはできないのだ。できないし、してはならない。下手を打てば、また弟を巻き込むことになる。

慎重に言葉を選ぶ緊張感に、そうと判らないように深呼吸を一つ。回り道をしても効果は薄いのであれば、正面突破しかなかった。

 

「お前は、五年前の第二回モンド・グロッソ決勝戦当日に起きた一夏の誘拐事件で―――」

 

何と表現すればいいのだろう。立場や感情によってそれは変わる。

僅かに惑った千冬に代わり、苦い敗北を思い出すような過去の語りを厭う表情で万葉は言った。

 

「―――誘拐の犯行グループが潜伏していたアパートメントに住んでいた、ただの少年だよ」

 

そして、誘拐に焦った織斑千冬の突出によってGIGNが強行突入した際の銃撃戦で死んだはずの少年。

 

 

 

 

 

織斑千冬は国家的英雄である。

誰もが熟練していないとは言え第一回モンド・グロッソを圧勝した。そして、第二回大会においても無類の強さを発揮し、二連覇は目前とされた。誰もが決勝において強敵とされたロシア代表との戦いに勝利することを期待していた。

しかし、彼女は決勝当日に急遽棄権。総合優勝ポイント争いから脱落し、栄冠を逃した。誰もが知る謎を秘めた事件であり、その後姿を見せた彼女は不慮の事故による負傷だった説明した。そして、負傷と引責を兼ねて国家代表を引退した。

当時は、マスコミは挙って真実を追求したが、結局はあらゆる憶測が流れるばかりで真相と呼べるものはなかった。お決まりの陰謀論も決定打足り得ず、関係者は揃って口を噤んだまま五年が経過している。

 

当時まだ年齢二桁になったばかりの?瑰万葉少年も、自分が男であるため絶対ISを操縦することが叶わないと知りながら、空を自在に駆ける姿に幼い憧憬を抱いていた。その日まで。

 

「何てことは無いはずの日で、生中継が予定されているモンド・グロッソの格闘技部門決勝戦を待ち遠しくしていたよ。まさか、同じフロアにテロリストが住んでいるなんて思うわけもないしね」

 

もしもそんなことまで想像できる奴は、妄想癖が酷いだろう。子供の空想遊び程度のお話。

そのもしもが起きた時に、どうなるかなどプロである対テロ特殊部隊ですら予想できない事態になる。

千冬はその当事者である一人として、気丈さが潜み、顔色を保つことで精一杯だった。全部背負うと決めたのだ。ここで弱気を見せても何のプラスにもならない。

 

「そこから先は、万葉は巻き込まれた側だからよく覚えてないっていうのが正直なところだよ。むしろ、そっちの方が詳しいんじゃないかな?」

「………」

 

返す言葉がなかった。その通りだと言えばそれまでなのに言えなかった。

モンド・グロッソの二連覇が掛った重要な試合前の大事件。第一回大会と異なり、フランス開催だったために長期間弟を一人にするわけにもいかず一緒に連れて来ていたことが仇となった。親類縁者も親しい近所付き合いもない―――心当たりは一人あったがそれだけは断固拒否したかった―――織斑家では、連れて来なかったにしても結果は同じだっただろう。

織斑一夏は滞在先のホテルから会場へ日本の関係者と一緒に移動中のところを誘拐された。明らかに織斑一夏を狙った誘拐。しかし、犯行グループからは要求もなく、解決の糸口もない。大会運営のホスト国であるフランスは警備体制を嘲笑われたに等しく積極的に事件解決へ乗り出し、政治的駆け引きのために他国の機関も協力した。

ドイツから齎された情報を基に、犯行グループの潜伏先を突き止めることに成功。フランスの対テロ特殊部隊GIGNの協力を得て、一夏の身柄を奪還しようとした矢先のことだった。

 

「ISなら奪還作戦の難易度が下がるとして加わったけれど、焦れたあなたは連携ミスによって突出。テロリストグループと激しい銃撃戦になった。細かい部分はもうちょっとあるけど、万葉の聞いた話はそんなところかな」

「………それで間違いない。私達の想定外は、相手も対ISを想定して通常のテロリストには有り得ない重装備だったことだ」

 

一夏の身柄の確保を優先し過ぎて、テロリストの装備の調査まで待たなかった。プロであるGIGNもだが、恫喝じみた方法で急かした自分にも責任があった千冬は辛そうに認める。

テロリストは、ISの勃興で市場が急激に冷え込みつつあった航空機業界から横流しを受けた、30mmガトリング式ロータリー機関砲を配置し、更には車載用地対空ミサイルや、個人携行用防空ミサイルまで準備していた。

ただの誘拐犯ではないことは一目瞭然。ISを撃破することまで視野に入れた戦闘部隊だった。

そうして始まったのは救出作戦ではなく、重装備を駆使した戦闘。大規模市街地戦のように砲火が飛び交う、地獄となる。

人質が居るため攻め手は場を引っ繰り返せるような重火器を使えず、逆に相手は使い放題。千冬は戦況を変えるためにISのシールドバリアを頼みに強行突入した。

 

「でもさ、突発的に始まった戦闘だったからアパートメントの住民は避難できてなかった」

「そうだ。私はそれを知らなかっ………いや、知っていた………」

 

知らされていなかったことは事実でも、避難前の戦闘であれば巻き込まれただけの非戦闘員が居たことはすぐに解かる話だ。今の千冬であれば、それがISの力を過信した愚かな行為だったと言い切れるが、当時の彼女は弟の誘拐によって冷静さを欠いていた。

楯無から聞かされたのはまさにこの時の情報。

 

「お前は………居たんだな、あの時」

 

聞かなければならない。

―――「先生、彼はですね………先生の弟さんを救出した作戦で巻き添えを食った民間人です」

 

「居たよ、どうしようもないほどバッチリと」

 

否定して欲しいと思うは虫の良い話で、万葉は追い詰める言葉と知りながら義務のように事実を告げる。

全身を襲う悪寒は怖気となって抜群のプロポーションを震わせる。

 

「万葉がかろうじて記憶にあるのは、振り切られたブレード―――零落白夜だっけ?―――に右腕を切断されて、シールドバリアに弾かれた分とかも含めた流れ弾が当たったところまで」

 

そこで意識は強制終了。ついでに人生も終了した。ついでが逆転しているのはご愛敬と笑う姿は、過ぎてしまったことだからどうしようもないと語っていた。

 

「あなたの強行突入で決着がついたらしいね。弟君は無事に保護され、モンド・グロッソは逃したけれど、ベターな解決を果たしたと。まあ、万葉からすればとんだ災難で」

「だが、あの時の巻き込まれた者で死者は居なかったはずだ………」

「死んだっていうのはある種の比喩だよ。でもね、ほとんど死んだも同然だったんだよ」

 

話が違うらしい千冬に、万葉はトンットン、と自分のこめかみに人差し指を当てて銃を撃つ真似をした。

けれども、仮に聞いていたとしても救出された弟が薬物のせいで昏睡状態に陥って眼を覚まさなくなっていることに気が動転してまともに反応できなかった。

 

「斬られた右腕、スラスターの反動で落ちて来た瓦礫で左腕は潰れ、流れ弾で両足が吹き飛んで、おまけに脳にも弾が入っちゃったらさ、生きてるだけでも奇跡でしょう?」

「――――ッ!?」

 

―――「先生は、彼が入学するまで本当に?瑰万葉の名前を一度も聞いたことはありませんか?」

それどころの話ではないではないか。生命はあっても、人として生きる道を閉ざした相手の名前を知らなかったのだ。

 

「それでも……それでも、万葉はかろうじて生きていたんだから、人体って凄いよね」

 

両手両足を失い、脳にも損傷を負いながらでも人は生存できる。不可思議さに微笑むが、あまりにも歪な状況での微笑みは凄惨なだけだった。ここからは千冬には直接関係な独り言の昔話みたいなものだからと前置きが入る。

 

「ただね、脳の損傷のおかげで中枢神経がやられちゃったらしくてね。意識はあるんだけど、何も見えない、何も感じない、何も匂わない、っていう感じで聴覚以外の五感は働かないし、首から下どころかどうやってもどこも動かせなかったんだよ。珍しい例らしいけど、全身不随っていうらしくてね。生命維持の部分以外は完全に駄目になった」

 

それは人としての終焉。意識だけがある。けれども意思表示さえ一つもできない。

絶望。本物の絶望。希望を抱けるはずもなく、死ぬだけが唯一の選択肢なのに死ぬことさえできない、戦場の地獄から、生き地獄への強制移動。ただ生きているだけ。聴覚のよる外部入力だけが許される。

 

「やはり、お前は私に復讐しに来たのか………?」

「いいや。微塵も憎しみはないかと問われれば、ノーかもしれないけれど。復讐かと問われればノーかな」

「莫迦な!?そんなはずがないだろう!!私はお前を殺したも同然なんだぞ!?」

 

そうでなくてはならないと断じるような千冬に、そうではないと二度目になる否定を重ねる困り顔の万葉。第三者が見れば奇妙な流れは続けられる。

 

「復讐ねぇ………仮にそうだとして、学園に入学する意味なんて無いでしょう、万葉は」

 

顎先をしゃくって、ベッドで眠るドッペルゲンガーを示す。

己の身を守るだけならば十分な力を手にした織斑千冬のアキレス腱。姉は姉、自分は自分としたまでは良かったが、ハリウッド映画に登場する大統領の莫迦娘みたいな能天気さで居た、愚弟。かつてサッカー界のスーパースターがワールドカップを断念さぜるを得なかったように、唯一の家族である弟を狙うことこそ、何よりも織斑千冬を苦しめることになる。

日本政府と交渉して極秘入院させたはずの弟は、こうして居場所を突き止められている。おそらく、万葉の組織ならばこのまま弟を手の届かないところまで連れ去ることは容易い。後は、拷問を加える映像を見せるなり、人質であることを利用して例えば全裸で街を歩けと命令するなりすれば良いだけだ。学園に入学する手間など要らない。

 

「すぐに信じてっていうのは無理そうだね。それに、今更謝って欲しいわけでもないんだ」

「だが………お前は……なら、何故ここに居るんだ」

 

土下座しろと言われればすぐにでも千冬はしただろう。自分のやったことはそれでは済まされないほどのことだった。弟のためならば幾らでも手を汚すと腹を決めているが、犯した罪を認めないほど人を辞めているつもりはなかった。

復讐でもない。組織に命じられての誘拐を計画しているわけでもない。それなのにわざわざ足を運んだ理由はどこにあるのか。万葉は自分の中で消化していなかった部分を、言葉へと変換して並べて行く。

 

「気持ちの整理をつけるため、かな。ほら、万葉と弟君は年齢も同じで、顔もここまでそっくりだからさ………思うところは色々あるんだよ」

「なに………?」

 

最初に引き攣らせた顔を見逃した千冬にとって、初めて万葉の生の感情が見えた。織斑千冬への憎しみはほぼなく、復讐も考えて居ないという少年が今回に限ってはすぐにそれと解かる憎しみを見せたのだ。

そもそも、何故この少年は織斑一夏とここまでそっくりなのだろうか。楯無の説明を聞いた直後までは、何らかの理由で造られた弟のクローンではないかと思っていた。それにしては成長が早過ぎるが、それはさっきのナノマシン技術を聞けば少しSFチック過ぎるが、速成クローンの可能性もある。けれども、来歴は確かであり、本人はそこに確固たる自信を持っている。

 

本人には悪いが自分の弟であること以外、速成クローンを造るほどの何かは無いと千冬は考えていた。

 

 

―――いや、待て

―――もしかしなくても、理由は存在するのでは?

 

天啓が本当に存在するとすれば、正しく今の織斑千冬に降りて来たものは天啓である。

定番であるが、逆転の発想だ。姉ですら知らない理由が存在したのではないか。そして、?瑰万葉の持つオンリーワンはつい昨日満天下に知らしめられた。

 

―――ISの操縦因子

 

考えれば考えるほど否定する材料が見当たらなくなる。

IS開発者である篠ノ之束。千冬の幼馴染である彼女には、大きな人としての欠陥があった。詳しくは省くにしても、彼女はこの世で四人しか明確に“誰なのか認識することができない”欠陥から、幼馴染である織斑千冬、その弟である織斑一夏、実妹である篠ノ之箒、そしてもう一人。両親ですら、“両親である”と認識する以上のことはできなかった。

当初の開発の経緯から考えれば、篠ノ之束が弟である織斑一夏だけが乗れるように設定しておいてもおかしくない。そして、その鍵として織斑一夏の遺伝子をあらかじめて設定していたとしたら?

 

クローンを製造する価値は大いにある。

検証するために生み出し、そして成功したが故に。

 

あまりに荒唐無稽な想像に千冬は頭を笑って口元を笑いの形にする。幾ら何でも突飛過ぎる。今時フィクションでもやらないような話だ。

 

 

この時点で、万葉は千冬が想像していることほぼ完全に把握していた。そう考える方が普通だと。

彼女は全て説明しきっても?瑰万葉の怒り、憎しみ――――その果ての感情を解からないかもしれない。解ってもらったところで仕方ないと諦めている。何もかも手遅れなのだ。全部五年前に済んでしまっている。

 

「繰り返すけど、万葉はクローンじゃないよ。ただ、操縦因子が遺伝子っていうのは良い線いってるよね」

 

どうして話すほど、織斑一夏への憎しみがますのか。理由が解っていてもあまり受け容れたくはない万葉はそれを外に出すことが深まらないようにする。この五年間で身に付けた処世術は、しっかりと機能を果たして憎しみを表に出す。

 

「6の22乗って、何のことか分かるかな?」

「6の22乗?」

 

突然の天文学的数字に千冬は首を傾げるが、次の一言に千冬は激発する。

 

「それがね、最愛の織斑一夏君が眠らされている理由だよ」

「―――ッ!!?」

 

意識が怒りで沸騰する。言葉の意味を咀嚼する暇もなく、肉食獣が獲物を狩るように両の手が万葉の襟首を締めながら、宙づりにする。千冬は頭に上った血で目の前を赤くしながら人を殺せるほどの憎しみを込めて、睨めつける。

 

「貴様がァッ!!」

 

既に復讐は成った後ならば、復讐は口にしない。猛獣の咆哮さながらに叫んで窒息を待たず首を圧し折るつもりで締め上げる。

これまでの全てがまるで布石だったのか。裏切られたような気持ちだけがじくじくと心を痛ませる。どこかで万葉はそんなことをしないと信じていたらしい。けれども、万葉もまた裏社会の悪辣さに染まった工作員であると認識させられる。

例え、その道に自分が堕落させてしまったとしても、決して許すことはできない。この場で殺してでも情報を吐かせると即決した矢先に、

 

「そこまでにして欲しいのですが」

 

ゴリッと、冷たい感触が首の大動脈に当てられる。

外で待機していたはずの警護が音も立てずに千冬の斜め後ろに立っていた。

 

「先に言えば、ここで私から逃れても、代わりに貴女の弟が旅立つだけです」

「くっ―――!?」

 

警護の二人がベッドの脇に立ち、寝たきりの一夏の頭に銃をつきつけている。千冬の身体能力が優れているとしても、対処しきれない。弟を人質にとられた時点で負けだった。ここで万葉の首を圧し折ることと引き換えにするチキンレースをする蛮勇は千冬にはない。

納得しきったわけではないと黙って万葉を降ろす。千冬のどこからそんな力が出るのか解らない繊手が離れる。万葉は襟を直して、一旦距離をとった千冬に向き直る。

 

「ありがとう。けれど、今は下がって」

「まだ危険です」

「いい。下がって」

「………はい」

 

警護の男達は銃をホルスターへ戻すと、部屋を出た。

再び、病室内は二人きりになる。

 

「どういうつもりだ?」

「あなたは、二度同じことをしないからね。ただ、あの人達も二度目は問答無用だから、やめてね」

「ふざけるな!」

 

怒りの矛先を収めたわけではない千冬の怒鳴り声に、万葉は困り顔で応じる。

 

「私の弟をあんなにしておいて、ただで済まされると思うな」

「………誤解があるような言い方をした万葉も悪いけど、別に万葉がやったわけでもないよ。あくまで推測の範疇だから。6の22乗の話も関係はあるだろうし」

 

怒りを向けられてなお、困る素振りだけで恐れる様子がない。殺されかけてもなお変わらない。

それどころか、千冬には僅かに細められた目が羨望の色を宿しているような気がしていた。怒りの矛先が幾分か鈍ったのはそのせいとは思いたくなかった。弟が健康に成長していればこうなっていただろう少年から向けられるには、本物ではないにしても居た堪れない。

 

「6の22乗は、多分解らないだろうね」

「………何の数字だ?」

「それが答えだよ。?瑰万葉と織斑一夏がここまで似ている理由は」

「はっきり言え。どういう意味だ」

 

苛立つ千冬に、一度は答えに到達したじゃないかとやはり羨望の混じった微笑を浮かべる。

 

 

「遺伝子プールって、知ってる?」

 

 

 

 

 

犬と猫を交配させることは可能か?

答えは、否である。一般的な有性生殖では両者が交配することはない。バイオテクノロジーの発展した現代では不可能ではなくなったが、自然に両者が生殖行為を行うことは有り得ないのだ。

そうした有性生殖を自然に行える、犬なら犬同士、猫なら猫同士のように繁殖可能な集団が持つそれぞれの遺伝子の総称を、遺伝子プールと呼ぶ。

犬なら犬同士という形になるが、個体群(集団)の枠組みをどうとるかによって遺伝子プールは幾つかの階層によって成り立つ。犬同士というのは最大の個体群であり、犬種で括れば柴犬同士、地域で区切れば特定の生態系というように、複数の階層を成すことになる。

これは人間にも当て嵌まる。ヒト全体、日本人、特定のコミュニティという具合に複数の階層を成す。

 

「それとこれまでの話に何の関係がある?」

 

つらつらと説明する万葉に散々焦らされている千冬は髪の毛が逆立ちそうなほどの不機嫌さを隠そうともしない。

 

「ヒトの常染色体数は?」

「………2n=44だ」

「正解。ヒトという種で見た場合、22組44本の染色体がある。そこに各染色体の有する遺伝子座が一つだったとすると、22の遺伝子座がある」

 

この辺は説明が長い上に、難しいから聞き流してと付け加える。

遺伝子の染色体内での位置のことを遺伝子座と呼ぶ。遺伝子座が22あれば、遺伝子は22あることになり交配の際に染色体を1セットずつ受け取る際のパターン数の基本となる。

万葉が例に挙げたものであれば、22の遺伝子座がそれぞれ組み合されることで倍になる。その際に最も単純な場合で3種の対立遺伝子が生成され、2倍×3倍で6倍となる。つまり、この時点で一対の遺伝子座は6通りの可能性を秘めていることになる。

 

「今回の場合だと22の遺伝子座がそれぞれ6通りの可能性をそれぞれ秘めている」

「………それが、6の22乗か」

「イエス。極単純なヒトに近い例でさえ、6の22乗――131,621,703,842,267,136―――約13京通りになるんだ。つまり、13京通りの多様性を有する可能性がある」

 

ヒトの染色体1組辺りの遺伝子座は最新の研究で約3万。対立遺伝子については研究途上だが、血液型の例だけでも3つこと考えればそれ以下ということはまずないだろう。

最低でも3つの対立遺伝子と仮定した場合でも、6の3万乗という最早数値で表現するにはグーゴルプレックス級。対立遺伝子の数が判明すれば、更に後二つプレックスの上がる可能性は十分にある。

 

「現在の世界人口が約80億で、これまで存在した人類の数を合計したとしても到底届かないぐらいの多様性がヒトにはあるってことらしいよ。これを別の視点から見ると、双子を除けば全く同一の遺伝子を産まれた持つ人間の存在する確立も―――また同じなんだ」

 

確率で言えば、分母がグーゴルプレックスプレックスプレックスで、分子はたったの1。

 

「まさか………」

 

千冬は瘧のように震えている自分を自覚し、意志の力でねじ伏せようとして失敗した。地震で無理矢理震えさせられているコップのようにカタカタと震える。語っている内容が恐ろしいわけでもないのに震えるのは、認めたくないがずっと秘めて来た?瑰万葉の深奥にある負の想念のせいだ。

ここまでの話で次の流れが解らないほど愚鈍ではないが、それこそ恐れるべき内容だ。

 

 

「まあ、そういうこと。?瑰万葉と織斑一夏は、確率論ではゼロに等しい、全く同一の遺伝子構成を持つヒトなんだ」

 

だから顔も瓜二つであり、姉である千冬にさえ真っ当に成長すればこうなったと言わしめた。

同じ歳で生まれ、テロリストからの奪還作戦で交わる奇縁まで仕組まれた、フィクション風に言うならば“運命の双子”というところだろうか。

人の一生は遺伝子だけでは決まらないのだから、それが全てではない。千冬はそう考えるし、嫌な言い方をすれば一般道徳でもそれは同じだった。

だが、と逆説になる。だからこそ、?瑰万葉は織斑一夏のことが妬ましく、そして轢逃げ現場から逃走した犯人のように自分がそうであると気取られないよう必死に取り繕いながら、織斑千冬に執着した。

 

 

「どうして、万葉は?瑰万葉で、彼は織斑一夏なんだろうね。同じ顔で、同じ遺伝子なのに………クローンであればまだ諦めがついたかもしれないのに」

 

羨ましさが隠れることなく完全に表に出る。同時に荒れ狂う台風のように嫉妬が撒き散らされる。

その姿に完全に納得できた千冬は弟である一夏と万葉を見比べる。本当に万葉が憎んでいるのは、織斑一夏なのだ。

 

「お前は、一夏の何がそんなに憎い?」

「何って?決まっているじゃないか―――あなただよ、織斑千冬」

「私?私だと?」

「そう、万葉と織斑一夏を決定的に別けるあなたの存在が、彼を憎ませる」

 

何故自分がと自答する千冬に、その内容を予想することで万葉は時間を潰す。

モンド・グロッソ優勝者だから?

ISの開発に携わってきたから?

在り来たりな自身の付加価値を幾らか検証したところで、それらが全て外れていると解かる。

?瑰万葉はそんな付加価値に目もくれない。それに万葉は“自分と一夏を決定的に別ける”と言ったのだ。そこからしっかりと考えて欲しいところだ。言葉通りの意味以上も以下もないのだと。

 

時間は最初の邂逅からだ大分経っていた。日は沈み、照明をつけない部屋は外からの僅かな光だけが射し込む。

いつか話すことになるならば、早めに話してしまえと言われたがどう転ぶかは万葉にも判らない。最悪の場合だって考えられる。それすらも、自分と織斑千冬の苦悩さえも掌中にある。弄ばれることを承知の上で?瑰万葉は本物の悪魔と契約してでも朽ち果てたくなかった。

 

「今から11年前、織斑夫妻はあなた達二人を置いて蒸発した」

「いきなり何の話だ」

「答えだよ。何で万葉が憎むのかね。その点が同じだからだよ。あなた達の両親が蒸発したように、万葉の両親も万葉を見捨てて失踪したんだ」

 

その告白に、千冬は頭が真っ白になる。

フラッシュバックする記憶を懸命に追い払い、酷い頭痛さえ感じながら驚愕に見開かれた目を向ける。

 

「さっきも言った通り、万葉は四肢を失った全身不随。生きているのが奇跡だけど、その大半を担っていたのは最新の医療設備による生命維持だったんだ。しかも、現代医学では完治不可能で、ただの生ける屍。まあ、色々と聞きたくない話を胸やけして、胃が爛れそうなほど聞かされたもんだよ」

 

ケラケラとその時のことを思い出して万葉は笑う。

再生医療は倫理と許認可の壁に阻まれ、頭部切開をしても除去できない弾丸は治療不能になっていた。

 

「耳だけはしっかり聞こえるものだから堪らないよ。向こうは植物状態と思っているものだから、好き勝手言ってくれるしさ。ホント、人間の悪意と不躾さって凄いよね」

 

ケラケラ、ケラケラ。動かすべき四肢を失い、言葉を発することも、感情を表現することさえもできなかった少年は悪意にただ殴られるまま生かされた。

 

「“世に銭ほど面白きものはなし”って言うけど、その通りだって痛感したよ―――痛覚はなかったけど―――信じられる?ただの生ける屍を延命させるだけで、サラリーマンの月収が軽く飛んでいくんだよ?」

 

窓辺で嗤う少年は、人差し指と親指で丸を作ると手の甲を下に向ける。

 

「金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金、金――――」

 

ただの記号が呪いになる。

 

「両親だけではなく、自称命を救うお医者様だって金の話。地獄の沙汰も金次第は嘘だよ。娑婆の沙汰も金次第が正しいって思うようになった頃にね、両親が病院に来なくなったんだ。それから主治医とやらが来て、しっかりと言ってくれたよ。“君の両親が入院治療費を未払いのまま行方不明になったから、カルテを脳死に切り替える”ってね。どうせ聞こえてないだろうがとか独り言っぽくしたりしてさ、こっちは聞こえてるってのにさ!」

 

可笑しいでしょうと爆笑する姿に、千冬はまるで笑えなかった。金のために捨てられたのかと確認するのと同じぐらい、やってはいけないことだと思った。

 

「金が払えない両親から捨てられて、現代医学では治療不可能なはずの身体を悪魔と取引して今の状態に戻した。けれども、取引を持ちかけられた理由ですら―――そこで眠りこけている彼と同じ遺伝子を持っているからっていう理由だった!!」

 

突き殺してしまいそうなほど力強くベッドの一夏を指差す。万葉の瞳はセシリアへ向けた時の比ではない黒々と燃え盛る憎悪の炎が宿っている。

 

「冗談で済まされるなら是非ともそうしたいところだよ!あなた達織斑姉弟はどこまでも疎ましいんだと思ったよ!―――人を怨むな?できるならそうしたいさ!そこのボンクラとあなたのとばっちりを受けて生ける屍にされ、あなたがフルボッコしたフランスのISは散々に扱き下ろされたせいでオヤジ殿はクビ!―――そのせいで金が無いばかりに両親からは捨てられ、脳死判定にされて臓器売買の商品にされかけた挙句に、何とか手を取った悪魔からはボンクラと完全同一の遺伝子を持っていることが理由だったと言われる!―――あなた達はどこまで万葉の人生に関われば気が済むのさ!!?」

 

何だって言うんだ。心の底からの叫びが、今度は確実に千冬を打ちのめす。

冷淡にそんなこと私がやりたくて関わったことではないと突き離せばいいのに、声が出ない。かつて白騎士事件で大量殺人の片棒を担いだ負い目が顔を覗かせ、更に責め立てる。篠ノ之束に騙されてではないのだ。

目の前の少年の人生を狂わせたのは自分達姉弟だと痛いほど思い知らされて、返す言葉がなかった。

答えない千冬に苛立ち、斜に構えていた万葉は余裕もかなぐり捨て、我が身を焦がさんばかりの負の感情を満身に込めて、窓辺を離れて千冬へ迫る。あまりの圧迫感に、触れられてもいないのに千冬は後ずさる。

 

「だけど!!」

 

逃げる千冬を一喝して竦ませる。

 

「万葉が今でも憎いのは!!」

 

遂に肩を掴まれる。千冬の業前であれば振り払い、地面に叩きつけることも容易い。だが、身体が動いてくれない。ほとんど生まれて初めて、目の前の相手に気を呑まれた。

感情の堰が破られ、憎悪が殺意を上回るほどまでに昂る姿は戦場で向けられる死よりも、怖かった。

 

「万葉が失ったものも!持っていないものも!完全同一の遺伝子のはずなのに!――全部持ち合わせた、このボンクラだ!

 

金が払えない両親に捨てられたことでも。

医者から私腹を肥やすために殺されかけたことでも。

完全同一の遺伝子を持つ代替品であったことでも。

そのいずれでも決定的に?瑰万葉を憎悪の病に罹患させた原因ではない。

 

掴んだ肩に籠った力は鎖骨を軋ませるほどで鈍痛を繰り返し千冬に与えて居たが、意識から締めだした。

今、彼女の意識にあるのは感情の昂りに身体がついてこずに流される万葉の本能の涙と、憎悪の業火を燃やす瞳に映った自分も流している涙だった。万葉が言った意味をようやく理解し、その辛さはかつて抱いた気持ちと全く同じだったことに涙が止まらなかった。

 

―――駄々を捏ねるように涙を流す少年が憎悪するのは

 

 

「どうして!どうして!どうして、父さんも母さんも失うところは同じなのに、こいつにはまだあなた(織斑千冬)が居たんだよ!!?」

 

 

―――同一の遺伝子を持った者同士でありながら

―――多くのものを失いながらも織斑一夏には少年の欲しくて止まなかったものがあった

 

「どうして万葉には何もないのさぁぁぁぁ!!?」

 

―――持てる愛情を全て注いで絶対の味方で居てくれる(織斑千冬)を持った者への狂おしいまでの嫉妬

 

両親が蒸発したせいで生きる糧を得るための生活費にも苦しみ、幼い弟を抱えて逃げ出したかったはずなのに、それでも千冬は自分も捨てられた立場なのに決して弟を捨てなかった。縋れる存在が弟だけだったにしても、生きるために楽な道を選ばず、得られる栄光も捨て、今でも人生を弟のために半ば捧げている。

?瑰万葉には決してなかった存在―――無償の愛を以って、見捨てない人。

彼の“どうして”は何故自分にはそれが存在しなかったのかに尽きる。

 

(この子は………この子が私の弟だったのかもしれない)

 

神にしか成し得ない天然の完全同一遺伝子の存在。

産まれた家が?瑰家か、織斑家だったかの小さな、そして決定的な違い。

 

―――「万葉が何より許せないことは―――セシリア=オルコットが、?瑰万葉を見ず、聞かず、相手せずにいることだ!!」

 

絶対不利の状況でどうして意地になったのか解かる。

嫉妬している相手の代替品である自分を理解しつつ、決して納得はしていない万葉にとって真剣に相手と相対すべき決闘においてもなお、?瑰万葉ではない存在を敵として見ていたからだ。

 

落ち度は一つもなかった少年を行き地獄へ落としたのは、幼馴染に騙されて世界を変えてしまった女。

世界を変えてから罪悪感に負けまいと生きて来た。しかし、一方で本当の意味で向き合って来なかったツケを、まるで関係のない他人に払わせた。そのしっぺ返しが彼なのだ。

 

―――子供っぽい空想遊びの時間は終わる

―――僕らは成長と共に夢と希望を信じる心は薄れる

―――いつかそうなるとしても、二人がしたことは歪にその時を近づけた

―――だから、その歪さは二人に手酷く帰って来る

 

篠ノ之束が認識できる四人目の彼から白騎士事件の直後に言われた言葉の意味が、今解った。

最も残酷な形で生きながら死なせてしまった。全てから見捨てられ、アインディンティーを破壊された。その時に万葉は自分が死に至る病に罹患したのだと思った。だから諦めることができた。誰も居ない一人きりで死ぬのだと、泣く機能さえ奪われたから心の中で泣き続けて、涙を涸らして。悪魔と取引したことも、諦めたからできた。

全てを諦めることで新しい人生を得ることができるはずだった。けれども、知ってしまった。完全同一遺伝子の持ち主が、自分の人生を奪った原因だったこと。境遇まで近しかったのに、彼は死に至る病に罹患していなかった。どうしようもないほど決定的な差として、全身全霊で愛してくれる姉が彼には居た。

それが理不尽でならなかった。その理不尽さが少年の諦観を砕いた。何万回、何億回自問自答しても出ない答えに懊悩した。

 

否―――悪魔に尋ねて、答えは知っているのだ。

“生きる苦しみに理由は無い”と。後はそこにどれだけの折り合い(諦念)をつけるか。

 

 

「すまない………すまない………本当にすまない」

 

だから、抱き締めながらの千冬からの謝罪の言葉が、根源的な苦しみを取り除くものではないことも分かっている。ただの小狡、織斑千冬が自分の犯した罪へ謝罪したいがためのもので、そこには心から万葉を癒したいという気持ちが半分もないものであることも。

 

それでも欲しかった温もりが、代替品でもここにある。

 

嗚呼、莫迦な。万葉は後悔すると解っていながら一時の幸福に溺れる自分を嘲笑う。

これだと千冬が酔って帰って来たと同じだ。失くせばまた思い知る。温もりを捜して心が彷徨い、そして織斑一夏のものであると狂おしいほど思い知らされる。

誰も救われない暖かな抱擁の空虚さが、早くも胸を焦がし始めた。

 

「………言ったでしょう。万葉が憎んでいるのは、あなたじゃないんだよ」

「?瑰………?」

「弟を捨てて、万葉の手を取ってくれるわけでもないのにさ………こんなことをされても、迷惑だよ」

 

驚きに固まる抱擁から実体のない幽霊のように抜ける。

涙の止まった泣き顔から、魂が抜け落ちて代わりに悪意に打たれて練磨された諦念が満面に表れる。

 

「万葉は、もうこれがどうにもならないものだって知ってるんだよ。理不尽さに耐えかねて怒りを爆発させ、誰かに縋りたくなる時だってあるけど………万葉には“無い”って知ってるんだよ」

 

10年を懸けた“自分”を捨てられた。“今の自分”は6年を懸けて造り直した。

その狭間において“誰か”は居なかった。在るのは、“今の自分”が築いたものだけ。

 

「手遅れ。そういうことか………」

「最初から間に合うものでもなかったのかもね。結局さ。あなたには僕と道を交わらせる前に、定めた信念みたいなものがあって、他に感けていられなかった。だから、その中で取り零したものは一杯あるはずだよ。万葉は偶々、あなたの弟と完全に同一の遺伝子を持っていただけ。事象だけを見ればそういうこと」

 

聞いている千冬にももどかしいほど伝わって来る。何度も同じことを言い聞かせて、少年は諦念を泣きながら塗り固めてきた。

唇を鮮やかな朱色に染めそうなほど噛み締める千冬は何かを言ってやりたいが、それも自己満足の迷惑にしかならないと気付いているために、口を動かすことができなかった。

お互いに、聡過ぎると感情の赴くまま莫迦になれないのは辛くて、どちらともなく自嘲する。もう少し莫迦ならば、千冬は万葉をもう一人の弟として扱い、万葉もそれを喜んで受け容れた。あるいは二人の邂逅がもっと早ければ。

 

明日は何とかなると思うのは莫迦者。

今日でもとっくに遅いのだ。

賢者であれば、昨日済ませている。

 

全て、手遅れであることも、手を出せないこともひっくるめて罪と罰なのだ。

 

 

 

 

 

夕映えの時間から夜の深まりが一層進んだ今のように、時間はどうしようもなく経ってしまう。

 

「そろそろ、行くよ」

 

ナノマシンの力なのか、あれだけ涙を流しても万葉の表情は泣き腫らしたところがなかった。まるで何もなかったように普段通り。全部を失った少年が築いたものの一つ。

 

「………遅刻はするなよ」

先生もね」

 

くるりと身体を翻し、感情を窺う手段はなくなった。気の利いた一言も愚直さに溜息が出そうな千冬は、その代わりに別の一言を、恥を忍んで投げかける。

 

「?瑰………木曜の夜には何があった?」

「木曜………っていうと、先生がべろんべろんに酔っ払って帰ってきた日の話?」

「うっ………そ、そうだ」

 

世の女性の崇敬の眼差しを集める“ブリュンヒルデ”が、酒に呑まれてヘベレケというのは物凄いゴシップネタである。それ以上に自制心の強い自分らしからぬ醜態に千冬は羞恥心をマックスまで高めている。

義姉と姉的存在から女性をからかうのは程々に言われている万葉は、急激に真っ赤から真っピンクになりつつある雰囲気に情けなくなってきた。あっさり言うのも癪なので、きっちり適当に話しておくことにする。

 

 

「介抱した後にたっての希望で、それは先生と一夜を明かしたけど」

「なぁっ―――!?」

 

インディアン嘘つかないと嘯く万葉は、顔は笑っているが目は笑っていなかった。

 

「水を飲ませた後に、ベッドに引き摺りこまれたからさ、これは万葉の方が被害者だよね?」

「ほあっ―――!?」

 

曲芸で何本ものナイフから串刺しにされる的のように、千冬の鬼神もかくやと言われる心臓は今だけは乙女チックなプラムのように繊細になって―――やはりナイフで滅多刺しだった。

弟に顔向けできない姉は壁に右手をついて俯く。キノコでも生えそうな陰鬱な雰囲気に、縦線まで入る。

 

弟と同じ顔で、しかも遺伝子まで完全同一の少年。

それはもう限りなく近親相姦だろう。

 

―――近親相姦淫行教師

 

漢詩じみた漢字八文字が頭の中でぐるぐると回る。

そんな千冬を見ているだけの万葉は、時計を確認してから少し追い討ちをかけた。

 

 

「ところで先生。リニアの最終って、もう間に合わないんじゃない?」

「な゛っ!?」

 

謀ったわけではないが、結果的にそうなった万葉は愕然とする千冬に、

 

「ヘリ、用意してるけど一緒に行く?」

「………頼む」

 

どんな羞恥プレイだと、千冬は叫びたかった。

 

感情の爆発も衝撃の告白もまるで夢だったかのように振る舞う万葉。

酔った勢いでしでかしたらしい近親相姦もどきに頭を抱える千冬。

病院を出てから、用意されていたヘリに乗った二人は、一路IS学園へと戻る。

 

(どうしようもないことはあって………まあ、それが自分に降りかかった偶然としか言えないんだよね)

 

シリアスな時とは百八十度違う理由で頭を抱える千冬を横目に、諦念に駄目押しを加えておく。

過去は散々でも、その狭間での耐え難い苦痛は続いていても、今の人生はそう悪くないものだと思っているのだから。望んでいた形とは違うながらも、織斑千冬とだってコミュニケーションはとれている。

携帯端末のカレンダーで周期がどうとか、二十何日目だったとか、一週間後に試薬でとかブツブツ呟いているのはどうかと思うが。

 

 

それに、世界を混沌へ叩き込む計画(?瑰万葉の本当の復讐)はまだ始まったばかりなのだ。

 

 

手を取った悪魔は言ったのだ。

―――世界はもっと、もっと楽しくなる、と。

 

 


あとがき(みたいなもの)

 

 

はじめてましての人も、こんにちは。

管理人様の好意に甘えるまま書き散らかしている駄目な投稿作家です。

 

メインで書いているリリカルものを一年以上放置して、今回は巷でヒロインに萌えるための作品と名高い「IS−インフィニット・ストラトス」の二次創作を投稿しています。

事情は色々あるのですが、言えることは―――ブラック企業を退職しました。

それでプライベートも色々と清算して、現在すっきりした状態になっています。ちなみに、ちゃんと再就職はしているので無職ではないです。

 

これでちゃんと投稿できる環境は整って、さて書くかと思ったら筆の力が無くなるわ、設定のデータが消えてるわでちょっと凹んでいました。設定は色々起こし直しましたが、書く力の減退は連載中もので試すわけにもいかず、今回のように書いたことのない作品の二次でリハビリしてみました。

あくまでリハビリなので何かの手違いで録画していたアニメのごく一部と、wiki先生のお力で設定を確認しただけ。最早別物です。というか、別物じゃない二次創作は有り得ないんで、これはこれでOKなんでしょう。

 

良いですよね、IS。ここまでハーレムを突き抜けて書けるのは流石、弓弦イズル先生。

魔王の設定なんか飾りです。それが偉い人に判らんのですと、ブチ上げた「ももんが」をアリスソフトで出しただけはあるわねぇ。

あくまでリハビリなので、この作品はかなり不真面目にやっています。完全ノープロット。その場の思いつきをつらつら書いているだけなので、分量の割に製作期間は一週間。間に龍が如くもやってたのだから、どんだけテキトーに書いたんだと。

それでも幾つか約束事を決めないと書けないのが、お話作りなので、今からはちょっとその辺をまたつらりと書いてみます。興味のない方はここから回れ右を推奨します。

 

 

今回の話を書くにあたって、余所様のサイトで幾つかISの二次創作を拝見しました。

分類すると、「転生憑依のオリジナル主人公」、「(元からの幼馴染ポジション)オリジナル主人公」、「転生憑依された原作主人公」、「異世界からやってきたオリジナル主人公(所謂クロス物)」の四パターンがほとんどでした。これはどの二次創作でもそうですが、ISの場合はこれがかなり顕著で元々の主人公である織斑一夏がハーレムの主というポジションをあっさりと手にしているため、二次創作をする意味がほとんどないことから、オリジナル主人公に走らなくてはならないという無意識の枷があります。

私が昔ナデシコの二次創作を挫折した理由も実はその辺でして、オリジナリティを物語に出せば出すほど別人になっていて話の整合性がとれなくなっていくので、オリジナル主人公が一番書き易いんですよ。

そこで今回は読み方が一般的ではない?瑰万葉(ばいかい・かずは)君をオリジナル主人公に据えました。

私の大好きな陰謀系主人公。巨大な陰謀の側に最初から立っているのだから、実に書き易い。ただ、ISって女の子とキャッキャウフウフするのが見て居て楽しい作品であって、最低でもちょっとはそういうシーンを入れなくてはならない。その辺を忘れた話ってそう面白くも無かったりするんですよ。けれども、ここに原作主人公の織斑一夏が居ると野郎との絡みをどうしても書かなくてはならない上に、ヒロイン格の少女達を取り合いになる。選ぶ女の子に、選ばせるためにどちらかを落としめなくてはならない。書いている方が滅入って来るので、すぐに却下です。

だから、終盤で明かされるように、織斑一夏は誘拐事件以後昏睡状態で入院しているとして退場させました。その代わりに、本当は織斑一夏に瓜二つ、入学当初はかなり似ている別人程度の?瑰万葉君を作りました。そこまで来ると、ルールが幾つか決まります。

 

・?瑰万葉と織斑千冬を積極的に絡ませる。

・セシリア=オルコットとの決闘は原作通りに盛り込む

・何故?瑰万葉と織斑一夏が瓜二つなのか明かす

・物語を盛り上げる要素として最後まで不明な巨大な陰謀を匂わせる

・何があっても織斑一夏は登場させても、活躍させずに昏睡させておく

 

この話は以上の五つに基づいて書かれています。

え?ファースト幼馴染?はい、無理です。

作中では姉の篠ノ之束の人格破綻(多分、サヴァンじゃないかと思う)っぷりがクローズアップされてますけど、ファースト幼馴染も大分破綻してます。設定や人付き合いを見る限り、彼女は“織斑一夏”を通してしか他人と関われていません。姉の症状が酷いだけで、姉と同じなんですよ。

だから、そっくりさんではあるけど別人の万葉君では気にはしても、心を開いて原作通りになんてできません。もっと時間をとれば可能ですが、今の所ここまでの話では絡ませることはこれ以上無理です。

 

基本は原作に沿って、決闘。本当はそれからセカンド幼馴染の出現です。もしもこの話が続くとしたら、ちゃんとセカンド幼馴染は登場します。つうか、稀少な才能を悪の帝国三巨頭の一角が見逃すわけないんで、登場してもらいます。

ただ、巨大な陰謀の一環として原作では試作段階の第三世代を完成させた実戦配備機を登場させ、篠ノ之束しか製造できていない理論上の第四世代を登場させるために後廻しにしました。

ついでに、この話は原作の「それは無理ぽ」という設定は恣意的に変えています。白騎士事件でミサイルを1300発以上撃墜したとか、その後の戦闘機や巡洋艦、空母を誰も死なせずに破壊したとか。無理です、そんなもん書けるかボケ、と。作者も最初書いてから意図的に無視してるみたいですけど、撃墜しきれなかった残りのミサイル(ICBMも含んでいるはずなのに)はどこに着弾したのかとか、速攻で親類縁者友人知人の身柄を拘束して人質にしないのかとか、たった500機にも満たないISって各国ごとにどうやって配備されて、配分されてるのとか。ハーレムを楽しむのに関係ない要素は全部無視なところが素敵です。

 

細かいツッコミが入らない部分は放置して最後にようやく、?瑰万葉君が何者か明かされます。

対立遺伝子(複対立遺伝子)の数は検索しても出て来なかったので、最低レベルで計算してますが数値はおそらく本当にグーゴルプレックスプレックスプレックス級だと思います。

そらまぁ、怨むはなと。これで怨んでませんと言われて信じる方がどうかしている。けれども、怨みよりも妬ましさが上回っちゃいました。この辺は原作でただのお調子者なのに美少女のハートをキャッチする織斑一夏へ対する男性諸氏の妬みと同じものだと思っていただければ。しかも、完璧超人な美人姉とかふざけんなよ、と。

 

そんな感じでルールを一応守りつつ、突っ走って書いてみました。

内容は支離滅裂なところが多々ありますが、手を動かしながら考えることで大分リハビリになったので私的に善しとさせてもらいます。

 

現在は、ちゃんとリリカルの続きを書いています。

これと同じようにエピローグまで書きあげてから投稿しますので、もうしばらく掛りますが必ず投稿しますので、お待ちいただいている方がいらっしゃればもうしばらくの猶予をお願い致します。………居るのかなぁ。

 

 

それでは、また別の作品でお会いしましょう。

 

 

 

追伸:千冬と万葉が致しちゃったのか、致しちゃっていないのかは読者の皆様の想像にお任せします




ISの作品を頂きました〜。
美姫 「でも、アンタは未読だったわよね」
ああ。でも、かなり楽しませてもらいました。
原作の方が結構、気になったりして。
美姫 「読む時間の確保ができるかね」
確かにそれがあるよな。
美姫 「綾斗さん、投稿ありがとうございました」
ありがとうございます。



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