繁栄を極めるミッドチルダの首都、クラナガン。
夜も眠らぬはずの街。まして、新年を迎え、その曙光を眺める人出で溢れるはずの日。
クラナガンはまるで滅びの日を迎え、人が死に絶えたその後のように静まり返っていた。
(そうなるのかも・・・しれないな)
ラーズ=ブロムクイスト――――絢雪御雫祇は自分の思考に小さく苦笑を浮かべる。
それは事実であり、事実を現実のものとするかは朽ち果てたように見える自分の手に掛かっている。
黒、真っ黒、漆黒。
黒に関する言葉が三つ並ぶほど、その男―――絢雪御雫祇の出で立ちは黒で統一されている。
袍に似た下半身の自由度が確保されたロングコート仕様のバリアジャケットだけではなく、靴から手袋、スラックスに至る全てが黒で統一された黒尽くめ。
色が違うのは露出した顔と首、両手に握られた小太刀サイズの光刃の色。そして、紅朱色に染められたバリアジャケットの左肩。
「隊長」
呼びかけられ、振り返ると部下―――否、仲間であるハンス=グリムが仮眠から起きたところだった。
コンクリートの上にかき集めた毛布を敷き詰め、その上に毛布を着るというマーカス=スノー曰く「サンドイッチの具か、俺達は?」という粗末な寝床だが。
「まだ時間はあるから、寝ていていいぞ?」
「いえ、目が覚めちゃって・・・隊長こそ、寝てないんですか?」
毛布から出たグリムは夜明け前の冷気にぶるりと体を震わせる。
温帯に属するクラナガンでも冬はある。冬深まり、十数時間が経過すれば年の変わる今日も冷え冷えとした空気が流れている。
「寝たさ」
「本当に?―――そんなに短い時間で大丈夫なんですか?」
「そう短いわけでもないさ」
短くはなかったと思う。
大切な、御雫祇にとって至宝である過去を夢に見ることができた。
「そんなものですか・・・?」
無駄に難しい顔をしているグリムを笑っていると、周囲で準備を進めていたスタッフの一人がコーヒーの入ったカップを持って走ってきた。そのせいで、しっかりとカップからこぼれている。
新人らしいスタッフは緊張一杯という面持ちでコーヒーを手渡してくれる。
コーヒーをこぼしたことにも気付かないなら、もう言うこともなく御雫祇とグリムは礼を言ってから苦笑を交わす。
「なんだ、二人ともいいもん飲んでるな」
もっそりと寝起きの熊のように起き上ったマーカス=スノーが、カップに口をつけたばかりの二人に話しかける。
「海軍の仕出しよりは、マシですよ」
「ふん、お前も言うようになったなグリム」
大柄ではあるが雑な巨漢というよりも、精悍さが際立つスノーは笑いながら頭一つ低いグリムの頭を上から押し込む。
兄貴というには、グリムとは年が離れすぎているがグリムにとっては新しい兄貴分。
本当の兄が居るグリムだが、声を聞いた限りではスノーのような豪快な兄貴とは違うのだろう。
「げっ、確かにこいつは海軍よりも美味いな・・・今度、アンダーセン艦長に直訴してみるか?」
「美味いコーヒーをメニューに入れてくれ、ですか?」
「良い考えだろう。―――これが、終われば俺達が飛ばなくていい空が戻ってくる・・・だったら、地上でのんびりコーヒー飲むのも悪くない」
――これが終われば。
スノーの言葉に、グリムは真剣な眼差しで頷く。
ベルカ戦争から十五年。
七発の禁呪と、五年前に公の元にさらされた『国境なき世界』によるクーデターは、政治的指導者も含めた多くの人々から戦争の根絶、ベルカを倒すために共に戦った連合国同士のデタントを促した・・・はずだった。
しかし、“彼ら”はまだ諦めていなかった。
祖国を覆され、クーデターを潰されてもなお。
だからこそ、“彼ら”は諦めなかった。諦められなかった。
十五年の月日は蟲毒のごとく、小さな薬効の毒を、世界を狂わせる劇薬へと変生させていた。
資金を蓄え、人材を集め、大国の首脳部を籠絡し、周到に計画完遂の下地を積み上げた。
そして、“彼ら”は十五年の怨讐を世界へ解き放つ。
次元世界最大の勢力を誇るミッドチルダとユークトバニアを衝突させ、ベルカ戦争を凌ぐ規模の戦争を引き起こした。自らは表舞台に立たず、かつてベルカを破滅へ導いた主犯である二カ国を自滅という最悪のシナリオで幕引きさせるために。
御雫祇は、その初戦に立ち会うことになった。
まだ正規の軍人として認められる前の話。
話声で起きだした隊の紅一点、ケイ=ナガセと自分達を鍛え上げた教官であり、隊長だったジャック=バートレットの二人だけを残し、その日空へ上がっていた同期と二名の教官は全滅した。
国籍不明の航空部隊。それが数カ月に及ぶ御雫祇達と、両国の死闘の幕開けだった。
おかしな戦争だったと今更ながらに御雫祇は思う。だが、口には出さなかった。
グリムは後から隊に加わったため、あまり経緯をはっきりと分かっていなかったこともある。
つと、ケイを見る。彼女も鋭い感性を持っているが、論理的思考に合わないことをわざわざ口にするタイプでもない。
だから、最初に口にしたのは亡き戦友―――チョッパーことアルヴィン=H=ダヴェンポートだった。
「『一体、誰が、何のために、何がしたくてこんなくっだらない戦争をしてんだよ・・・』か・・・」
奴らしい言い回しだと御雫祇は思い、懐かしさに口元が緩む。
「結局、俺達は奴らに踊らされただけだったってのが、腹の立つことだがな」
「まぁ、仕方ないですよ。誰も気付かなかったんですし、まさか自分の国のトップがクーデターですり替わってるなんて普通は気づきませんよ」
「・・・そうだな」
違う。
御雫祇はそれすらも気づける人間になりたかった。
願い、願って、そんなもの最初からなかったと思い知った願い。
その願いの残滓は、胸のうちに燻っている。
「隊長は、本当にすごいですよ」
「ああ、それ以上だと本当に人間じゃなくなるぜ?」
「それが、俺の憧れだった」
「「・・・・・・・」」
二人が決まり悪そうに黙り込む。
御雫祇も自分の失言だったと気付いて、少しそっぽを向く。
「そう言えば、隊長・・・前に少し言ってましたよね」
「何をだ?」
「“自分が強くなるのは憧れた人がいたからだ”って・・・」
「そんなことも言ったな」
以前、ラーズグリース海峡に潜水していた超弩級潜水艦リムファクシを沈めるために移動しているとき。
既に同型艦であるシンファクシを沈めていた御雫祇達は、任務に打ってつけだった。
その時にケイが―――ようやく話の気配でもぞもぞと起きだしてきた―――聞いてきたのだ。
―――ブレイズはどうして、強くなろうと思ったの?
―――憧れた人がいた。その人のようになりたかったからだ
「なんか、イメージと違うな」
「口が滑った・・・・ああいうことを聞かれると思わなかったからな」
当時はサンド島の分隊だったため、意外そうな顔をしているスノーは一緒ではなかった。
「口が滑ったっていうのは、本音が漏れたって言うんだぜ?」
「・・・まぁ、な・・・そう言うこともあるさ」
「あの時は僕もドキッとしましたよ」
「・・・俺が言うには子供っぽ過ぎるか?」
「あ、いえ・・・そういう意味じゃありませんよ・・・・」
意地悪く言うと途端に慌てるグリムに満足して御雫祇は腹の中で笑う。
スノーも気づいているが素知らぬ顔。きっと、同じように腹の中で笑っているのだろう。
この体たらくでは、魔導士としてはさておき男としては半人前。つと視線を向け、スノーと目配せで認識を共有する。
すると、後からコツンと軽い拳骨を貰った。
「こら、ブレイズ。グリムを虐めるんじゃないの」
毛布に包ったままのケイが、コーヒーを飲んでいる。
それも熱さや苦味を気にせず、男前にゴクゴクと音をたてながら。
(((ビールじゃないんだから)))
男性陣そろっての意見だが、男前なケイは男前にスルーしてお代りを頼んでいる。
三人の中で、グリムだけが御雫祇を隊長と呼び、スノーとケイだけがコールサインのブレイズと呼ぶ。
「虐めてない」
「嘘ばかり・・・そう言いながら、自然に虐めるのがブレイズでしょう?」
心外な御雫祇は口に出しかけて止まった。
スノーとグリムが実感を込め過ぎた同意の頷きをこれ見よがしにしていた。
「ほら、すぐにそういう顔するから・・・」
「・・・どういう顔だ」
「不本意な内容だが、聞き流してやろうっていう顔よ」
「うわっ、それどれだけ俺様なんですか―――」
痛い、とグリムが額を抑える、
師匠直伝の超デコピンをお見舞いした。
大袈裟すぎるグリムの痛がりようにケイとスノーは声をあげて笑う。
「二人とも、酷いですよ・・・これ、本当に痛いんですから!」
「だろうな。デコが真っ赤になってるぞ、グリム」
「―――っく―――――ぷっ――――」
「いや、ナガセもそれは笑い過ぎだろう」
ツボに入ったらしいケイは体を丸めて、痙攣のように肩を震わせて必死に笑い声を堪えている。それが余計にグリムを凹ませているが、それすら気が回らないらしい。
「―――グリム、俺にも子供じみた憧れを持った頃があった。前にも言ったが、俺はその人に少しでも近づきたかった。だから強くなろうと思った。強くなりたかったこともあるが、その人があまりに強大だったからだ」
赤みの引かない額を撫でながらグリムは興味よりも、素朴な気持ちで続きを聞いた。
「その人は?」
「―――強過ぎたんだ」
「ブレイズ?」
吐き捨てるように絞り出した御雫祇の言葉に、笑いを堪え過ぎて涙を浮かべていたケイの表情も真剣なものになる。今の御雫祇の様子は、チョッパーが死んだ後によく似ていた。
「魔導士人権特別措置法」
「は?」
「え?」
「あ?」
いきなり飛び出した単語に、三人は理解が追い着かない。
「魔導士として、人間の範疇を遥かに逸脱するほどに強大な力を持つ者の人権を剥奪する法律だ―――俺の憧れだったあの人は、その法律の適用を受けて座標も解らない次元牢に完全幽閉されている」
「そんな・・・酷い・・・」
「ああ・・・でも、あの人はその判決すら黙って受け入れたんだ―――っ!」
「何で・・・何でだよっ!!恭也は皆のために戦ったんだろう!?なのにっ!!なのにっ!!何でこんなことになるんだよ!!」
忘れ得ぬ法廷で自分が放った言葉。
今でも、あの日の光景は色褪せることなく心の中にある。
「あの人は世界を救ったんだ・・・人の心の光を見せてくれたんだ。人間はまだ捨てたもんじゃないって、まだまだ何度でもやり直せることを」
だが、それすらも利己主義に呑まれた。
あまりに強過ぎるから、人類の天敵となり得るために世界から放逐された。
(だから、ブレイズは・・・)
ケイは、一般市民の避難所を無差別攻撃したとして受けた査問会を思い出す。
あの時のブレイズが見せた、心臓が止まるかと思うほど恐ろしかった、冷めた表情。
常に戦場を共にしてきたからこそ解る。ブレイズ―――絢雪御雫祇がどれほどその人を尊敬し、憧れたのか。その反動として、その人を放逐した権力に胡坐をかく者達に嫌悪―――否、無価値と断じる。
「お前をここまで引っ張ってきたのは、憎しみなのか・・・ブレイズ?」
間違いなくミッドチルダを―――世界を救ってきた男の根源にあるのは憎しみ。スノーはそれを安易に否定するほど青臭くもなければ、安っぽくもない。
安易であるのは、スノーの思考ではなく、御雫祇の根源。もっと言えば憎しみで世界が救えるのかという疑問。
御雫祇は、スノーの問い掛けにはにかむ。
「いや・・・それもあった、と思うが。言っただろう、俺は憧れたんだ。だったらやることは一つしかないと思った」
「は?何だそれは?」
思わず口をついた。今の自分はよほどマヌケ面をしているのだろうと、スノーは思った。
何しろ、御雫祇がはにかみ笑いからクスクス笑いに変わっている。
「ブレイズ、もう少し解り易く言ってくれる?」
「これでも解り易く言ったつもりなんだが・・・ほら、あれだ。子供の頃、TVでやってるヒーロー物を見てよくやっただろう、“ごっこ遊び”」
「ご、ごっこ遊びですか・・・?」
何かごっこ遊びに良くない思い出でもあるのか、グリムの顔が引き攣っている。
「ヒーロー物のごっこ遊びってーっと、あれか?誰それが悪のボスで、それを倒すヒーロー役をやるって言う。そりゃ、俺にもガキの頃はあったから良くやったが・・・」
今一つ話と繋げられない。
「あんまり直接言うと恥ずかしいから察して欲しいんだが・・・」
そんな前置きをしてから、御雫祇は本当に恥ずかしそうに言った。
「俺は、憧れたあの人になりきるっていう、ヒーローごっこをずっとやっていただけだ。あの人が使っていた魔法の方式を学び、鍛錬した。口調も、仕草も、髪型も、服装も、全部真似した。真似していないところが無いってぐらいにな」
「「「・・・・・・・・・」」」
唖然として、口ポッカーンの三人はそれでもようやく絢雪御雫祇の根源が何かを理解できた。
本人が悶死するんじゃないかと思うほどの恥ずかしさで打ち明けた通り、“ヒーローごっこ”。しかも、おそらく世界一凄い“ヒーローごっこ”。何故って、彼は既にヒーローの中のヒーローなのだ。
もう凄過ぎてツッコミどころがない。
「呆れたか?」
「呆れたっていうよりも、理解不能」
「右に同じく」
「左に同じく」
「何だ、そのコントは?」
「「「コントじゃない!!」」」
十分にコントだろう、と思ったがここで後追いするほど御雫祇も天然ツッコミ体質ではない。
「本当に、俺にとってそれぐらいあの人は憧れだったんだ」
決して色褪せない記憶。絶対不敗の存在。
記憶の美化など不要。だって、美化の必要がない。
理解が追い着かなくて当然。
それはあまりに幼稚過ぎる。“ごっこ遊び”はいつか卒業して、やらなくなるものだ。
けれども、御雫祇はそれを続けた。誰の目を憚ることなく、それが当然のように。
“ごっこ遊び”につきものの恥ずかしさなどあるはずがない。目指す最高のものになれるとあれば、真剣に取り組むのが必定。
それがどれほど莫迦莫迦しくあっても、ケイも、グリムも、スノーも笑うことはしない。それどころか真剣な眼差しで御雫祇を見る。“ごっこ遊び”を“ごっこ遊び”ではなく、本物にしたのは紛れもなく御雫祇自身なのだから。
だが、御雫祇は自分に注がれる真剣な眼差しを否定した。
「でも、俺も間違っていたんだ・・・・・・」
「ブレイズ?」
「だって、そうだろう?あの人は、あの人だから、あの人だったんだ。俺が俺以外の存在になれるわけがなかったんだ」
謎かけのように至極当たり前のことを口にする。
そして、三人は至極当たり前のことを口にされて初めて気がついた。御雫祇が目指したのは、憧れの人と完全に同じ存在であり、“ごっこ遊び”から現実の英雄となることなんかではないと。
「そして、俺は最初から間違ってもいた。あの人は、俺に“憎むな”と言ってくれていたのに、俺はあの人を追放した全てを憎んでいたんだから」
全ての原動力ではなかったとは言え、御雫祇は憧れの存在をこの世から消し去った全てを憎んでいた。
権力者や大衆のエゴや、それらを覆せなかった自分も。
「御雫祇―――生き残ること、自分のルールを護ること・・・そして、憎しみを持たぬこと。それが俺達『円卓』で戦ったエースの掟だ。憎むな―――その果てに、お前が俺達の戦いを超えて新しい世界を作ってくれ」
「憎むな―――言葉はそれだけで、あまりに難しいことだよな・・・・・・・・・」
「ブレイズ・・・」
「それは・・・」
「・・・・・・・・・」
この場の居る全員が知っている。
憎しみを。何故って、全員が残酷過ぎるこの戦争を戦い抜いて、生きているから。
途中で加わったスノーでさえ、数十人居た同僚が全滅した最後の一人なのだ。
御雫祇、ケイ、グリムは首都クラナガンでの式典において。チョッパー――――アルヴィン=H=ダヴェンポートが多くの民間人を救うために散った戦い。演習との偽情報により援軍が全て帰還してしまい、首都上空をたった四人で、防衛しなくてはならなかった。
圧倒的な戦力差。特攻部隊を含んだ数千人の魔導士を四人で止めるのは困難だったが、最終的に止め切った。その戦いの最中にチョッパーのデバイスは致命的な損傷を受け、特攻兵を防ぎきれず、破壊が起きても安全な人の居なくなった式典会場であるスタジアムで自爆させた。自分の命と引き換えに。
あの時のことを残された三人は絶対に忘れることはない。そして、その後のことはあまり覚えていない。
ただ、ケイとグリムは覚えていることがある。
―――咆哮と嚇怒
殺した。これまでも戦争なのだから多くの人命を奪ってきた。
だが、これ以上ないほど“殺す”という言葉が似合うものはないほど、御雫祇は殺した。
戦いが殺すのではなく、憎しみが人を殺す光景こそそれだった。
「あの人が、最後の最後に俺へ授けてくれたこの教えを、俺は守れないどころか無視した。意味を理解しなかった」
だったら、それこそが憧れに対する最大の冒涜。
あの日からの十数年を無駄にした。
「悲しいの・・・ブレイズ?」
「何でだ?」
問われて反射的に答える。
「だって、泣いているもの」
「ああ・・・悲しいんだ」
頬を伝う涙をあえて拭わない。
「俺は間違ったままここまで来ていただけだから」
最初から何もかもを履き違えて、ここまで来た。
あの人は最後の最後まで誰も憎まなかった。自分を幽閉した管理局や権力者も、自分を裏切り敵対した相棒ですら、憎まなかった。
絢雪御雫祇は彼の意思を継いでなどいなかった。管理局や権力者を憎み、あの人を救えなかった自分を憎み、力を憎しみのために使った。
「だから、だから、俺はやり直す―――この日から」
頬を流れた涙は一筋で終わり、御雫祇は三人に向き直る。
その姿を見てグリムは安堵する。やはりこの人も英雄なのだと。
陸軍に入った兄と異なり、グリムが空軍に入ろうと思ったきっかけは五年前のドキュメンタリー番組。
一人の破格の英雄を追った番組。自分達が戦っているこの戦争の遠因であるベルカ戦争で、敗色濃厚だった連合軍の反攻の中心となった魔導士。
―――『円卓の鬼神』
グリムは彼に憧れたわけではなかった。番組では最後まで本人は登場しなかった。
代わりに彼と死闘を演じ、今も生存している多くの魔導士のインタヴュー映像が流れた。
恐怖の象徴として今怯え続ける者も居れば、傭兵風情と呼ぶ者も居た。恋人を殺されながらも憎まない者も居れば、今度は戦場の空ではなくただの空を一緒に飛びたいと願う者も居た。
正負どちらにしても人生に大きく影響を与えていた。グリムはそんな影響を与えられた人になりたかった。
勿論、そんなに都合良く自分が同じ体験ができると思っていなかった。
今ならグリムは解る。かつて『円卓の鬼神』によって落とされていたエース達の気持ちが。
例え立場は仲間であっても、御雫祇と一緒に戦ったから。敵であっても、きっと同じ気持ちを抱くだろう。
「ありがとう」
向き直った御雫祇は、背筋を正して腰を曲げ、はっきりとお礼の言葉を告げた。
「ど、どうしたんだよ、藪から棒に」
らしからぬ行動にスノーは面喰い、慌てる。
それはグリムも、ケイも一緒だった。
「俺は間違えていたんだ、ずっと。けれども、俺は今もこうしていられる」
御雫祇は思う。きっと、この仲間達に出会わなければ自分は踏み越えてはらなない間違いを犯していた。
己が利潤のみを追求する権力者を憎んだ。どれほど悲しみを積み上げても間違いを繰り返す世界を憎んだ。そして、未熟で何も変えられず腐るだけの自分を憎んだ。
何故忘れていたんだ。それこそが、王の谷“アヴァロンダムの決戦”を導いたのではないか?狂ったパラノイアであることすら気付かず、革命を目的にしてしまったジョシュア=ブリストーだってそうだ。
何より、自分と同じ道を辿った人物こそがPJを殺し、あの人を裏切り、あの人に倒されることを望み、その望み通りに倒された片羽の妖精その人だった。
ベルカの亡霊達を笑えない。
けれども、御雫祇は自分で幸福だったと思う。
教官であるバートレット。同僚であるケイ、チョッパー、グリムに出会った。ハーリング大統領、アンダーセン艦長、スノー大尉、ベネット、オヤジさん――――多くの素晴らしい人達に巡り合えた。
だから、ありがとう―――私は貴方達のおかげで過ちを犯さずに済みました。
「時間です、準備をお願いします!」
コーヒーの世話をしてくれていた兵士が四人を呼ぶ。
顔を見合わせることなく、カップを捨てて御雫祇を除く三人はバリアジャケットを装着する。
意匠が少しずつ異なりながら、唯一共通するのは“漆黒の鎧を身に纏い、羽飾りのついた兜を被った女性”が象徴として描かれていること。
死亡扱いとなり、消滅した飛行分隊に代わって四人は新たな隊となった。
ミッドチルダ大統領直属の極秘部隊。広く流布する御伽噺からとられたその名前こそが、
―――
その名前にハーリング大統領が込めた想いそのままに。そして、四人の願いそのままに今、御伽噺は現実のものになろうとしている。
15年前のベルカ戦争の復讐のために、牙を研いでいたベルカの亡霊。
ミッドチルダが信託統治領として占領を続けていたスーデントールの決戦で、ほぼ壊滅させた。
だが、最後に残された置き土産がまだあった。
空を見上げる。魔法の強化を受けた視覚には映っている“置き土産”はクラナガンを目掛けて高速で成層圏を周回している。
惑星としてのミッドチルダの宇宙に存在する、戦闘衛星“SOLG”。
最新型の魔力駆動炉を備えた超兵器の一つ。通常攻撃の届かない宇宙空間から放たれる魔力砲によって惑星上の敵を殲滅可能な性能を持つ。
地上の制御システムは全て破壊したが、コントロール不能に陥った際に自動的にクラナガンの地表へ落下するようにプログラムされていた。
仮にクラナガンへ落下すれば、都市は消滅し、誰一人生き残ることはできない。
そして、爆発によって生じる天変地異はミッドチルダ―――この惑星を未来永劫人の住めない星に変えてしまう。
それが、15年前に各世界の思惑と管理局のエゴによって嵌められ、極右政権による侵略戦争という謀略の絵図にまんまと引っかかったベルカ世界―――ベルカ人達の復讐。
特に、積極的に謀略の青写真を描き、利を得たミッドチルダ世界とユークトバニア世界への憎悪は深い。ベルカ人に否がないとは言わない。極右の侵略戦争を制止しきれなかったことは国民国家最大の失敗と言って良い。しかし、その失敗を他国が誘発し、あまつさえ糾弾と、是正を独善的に行使することはやり過ぎたのだ。
御雫祇は、これまでのことを思い出しながら仲間達の輪に加わる。
彼らの痛ましいほどの憎悪は、解かる。だからこそ、阻止する。
自分のことを無力だと知っている幼い少年は15年前に、高地に残った最後の軍事基地――ウスティオ世界のヴァレー空軍基地で、その想いを抱く契機となる出会いを果たしていた。
ごっこ遊びを続けてしまうほどの相手、“円卓の鬼神”だけではなかった。
“片羽の妖精”ラリー=フォルクだって居た。その他の傭兵達だって、報酬とはまた別に想いを持っていた。拝金主義者と蔑まれ、軍人からは忠誠のない犬と唾棄された彼らには彼らの誇りがあった。
誰に命令されるでもなく、誰に命令するでもなく、己の戦う理由を己で決定し、それを護り通す決意。
三対の視線が御雫祇へ向けられる。
「―――戦争は、終わった」
視線に促され、御雫祇は口火を切る。
「ハーリング大統領とニカノール首相の演説、そしてスーデントールの決戦で、“この戦争”は終わったんだ」
まだ終わっていないはずだという仲間からの無言の訴えに応える。
「これから、俺達がSOLGの落下を防ぐミッションは無かったことにする。そもそも、俺達は死んだことになっているんだから仕方がない。勲章も名誉も要らないが、戦勝の祝杯も加わることもできない」
下手な冗句に誰も笑ってくれない。期待もしていないが、リラックスしてもらえない。チョッパーのようにはいかないらしい。けれども、次の言葉に全員が応えてくれた。
「だが、それでいい」
「ああ」
「そうね」
「はい」
言葉は違えども、全員が肯定した。
そして、飛行魔法の発動によって体が浮き上がる。
「これが、ラーズグリーズ最後の出撃だ――――行くぞっ!」
飛行に入った四人は、瞬時に高空へと飛翔した。
周囲で固唾を呑んでいた兵士達は、呆気にとられ、そして歓声をあげた。
初めてその姿を見ても感じることができた。幾多の戦闘で奇跡を起こし、今世界を救った英雄達。あの四人であれば、宇宙から超音速で落下してくるSOLGを、落着まで数分もないタイムリミットという枷があろうとも必ず撃墜してくれるだろう。
SOLGが迎撃可能高度まで下がってから、最終阻止限界点を超えるまでのタイムリミットは五分弱。
笑えるぐらいに時間がない。だが、それでもかつて“円卓の鬼神”が背負った敵と、タイムリミットに比べれば大したことがない。御雫祇は自分に言い聞かせた。
―――お前が俺達の戦いを超えて新しい世界を作ってくれ
“円卓の鬼神”―――不破恭也の残した本当の最後の言葉。
(恭也―――俺は、新しい世界を作れているか?)
一生会うことのできなくなった男へ、心の中で問いかける。
(ラリー―――俺は、貴方が絶望の中で最期に希望を見出した人の心が集まって輝く光を灯せているか?)
二度と空を飛ばないことを枷とし、どこかの戦場で今も答えを探している男へ、心の中で問いかける。
仲間達に問いかけても、自分を知る他の誰かに問いかけても、いずれの問いにも是と応えてくれるだろう。
しかし、御雫祇には―――15年前の男達を追いかけ続ける少年ラーズにとっては、他の誰からよりもその二人からの答えを聞きたかった。少年だった自分の原点は正しくそこにある。
ごっこ遊びが終わった今、一人の男として聞きたい想いがどんどん強くなっていく。
同時に、生涯その答えを本人達は聞くことはない。
「前方に、八つの敵性反応!」
「ちっ、グラーバクとオヴニルの揃い踏みかよっ!」
「ご丁寧に僕らを待ちかまえていたわけですか・・・最期まで厄介なっ!」
かつて世界を震撼させたベルカ騎士のエース達。
憎悪に取り憑かれ、暴走の果てに狂気へ踏み入れてなお衰えることない力量。
「大丈夫だ、俺達は負けない」
御雫祇の言葉に誰も応えない。
脅威ではある。だが、気持ちは全員同じだった。
負けられないではない。負けない。確定事項。確信。そして、訪れる確定済みの未来として。
一歩間違えれば方向性は違えども、彼らと同じ存在になっていた御雫祇は今この場に至っても悪と断じることはできない。チョッパーを殺されたことも、謀略によって数多の命を散らせたことも許し難いが、それらとは別に気持ちが痛いほどに解るが故に。
だが、決定的に彼らと自分は違った。
アヴァロンダムでの戦い。恭也とラリーの一騎打ち。
涙が止まらなかった。歓喜と悲哀の入り混じった嗚咽。
あの戦いを目にして、道を違えることなどできようはずもない。
言葉で表現?―――できるはずがない。それだけの“何か”があの地にはあった。
あえて言うなれば、あの時に自分は“人の心が集まった輝きの光”を胸に灯された。決して絶やしてはならない、この世の何よりも価値のある宝物。
だから、負けない。
最も尊敬する二人の男が、死力を尽くし、命を文字通り捨て、魂魄の一片までを燃やし尽くした戦いから受け継いだ“想い”がある。負ければどうという安っぽいものではないが、それでも負けられない。これがあるから負けない。
自分は“円卓の鬼神”と“片羽の妖精”の想いの結実を正しく受け継ぐ。
そして、今も残る亡霊を打ち砕く。それは、どこか自分の内に燻っていた影を討つことと同じだった。
グラーバクとオヴニルの騎士達と交戦に入るまで後僅か。
いずれも真っ当な生き方をすれば歴史に名を残す騎士だったであろう者達。
今では、復讐の狂気に呑まれ道を失った黒騎士に堕してしまっていても、その力量に寸毫の衰えも見られない。
これは、使命なのだと御雫祇は感じていた。
想いの結実を受け継いだ自分が、15年前の亡霊を打ち砕く。
運命という言葉で片付けるつもりは毛頭ない。
きっと、グラーバクとオヴニルを倒しても歴史に残ることは絶対にない。これはそういう戦いだ。
だが、この戦いは必然だ。15年前から、決まっていたように思う。
(さあ、15年前の続きを始めよう・・・そして、終わらせよう、俺の影)
デバイスを起動させ、最初の一太刀を放つ前に
(15年前と同じ――――賞賛されることのない戦いを)
御雫祇は、逆光に阻まれて見えなかったはずの恭也の最後の表情を思い出した。
あとがき
リリカルコンバット章前から続く、リリカルコンバット2。
舞台はエースコンバット5のラストミッション直前。
6のグレースメリア奪還、ZEROの一騎討ちに並ぶ燃えシーンであるスーデントール攻略直後。
初代・絢雪御雫祇=5の主人公ブレイズとした時から書いてみたいと思っていました。
リバースでも書かれていたように、彼はZEROにおいてガルムである恭也とラリーの側で、その戦いを見続けた少年でした。歪んでいく戦争の大義。戦いの中で育んだ絆が生む確執。二人の一騎討ち。そして、最初から決まっていた恭也の次元牢幽閉の判決。
ZEROの全てを見てきた生き証人である彼が、同じように15年前を知る人々の出会いを重ねて5において想いの結実とする。そんなものの一端として書きました。
ブレイズ(アールズのメルセデス=御雫祇と区別するためにこう書きます)は世界を救おうという意識はほとんどありませんでした。サンド島でひっそり隠れていたオヤジさんこと、ベルカの元トップエースに誘われて軍に入っただけでした。
“彷徨う刃”―――恭也からの伝書を忠実に実行し、御神流の技を体得していながら、真髄たる“護る”ことをしない剣士。その彼が、戦争を通じて少しずつ過去を清算し、見つめ直し、“今”と“未来”に眼を向けて行くのがリリカル版のエースコンバット5となります。
次のリリカルコンバット3は、境遇は全く違うものの同じくアヴァロンダムの決戦で人生の行く末を決めた人物の話になります。リリカルコンバット2は後日談があるかもしれませんが。
それでは、次回またお会いしましょう。
御雫祇ことラーズの原点みたいなものが。
美姫 「何か感慨深いわね」
未来の話を読んでいるだけにな。
美姫 「良い話だわ」
出撃前の話で、何となくこれで最後というのを予感させるような感じがまた。
美姫 「本当に楽しませてもらいました」
次回はどんなお話なのか。
美姫 「楽しみに待っていますね」
ではでは。