自分の部屋に戻ったカーマインはソファに座ってテーブルに足を投げ出す。

プレシアの容態を安定させるために消費した魔力以上に、精神的な疲れが圧し掛かる。

費やした十年が無駄だったとは思いたくない。けれども、結局プレシアを変えてやることはできなかった。

 

眉間を軽く揉み解し、首に掛けているチェーンにつけられたロケットを取る。開くとロケットの左右に写真が一枚ずつ。

 

一枚は家族の写真。ピンク色の髪を左右にシニヨンを作って垂らす女の子と、紺色の髪を流したプレシアほどの年齢の女性。そして、四枚の羽のついたショートカットの妖精。妹と母、親友と一緒に取った写真。

もう一枚はカーマインともう一人、真珠色のロングヘアを一つに束ねて流した女性。カーマインが後ろから抱き着き、顔を赤くして恥じらいながらも嬉しそうに二人とも心から笑っている。

 

「ジュリア・・・」

 

たった一人、愛した人の名前を呼ぶ。もう二度と会えない代わりに。

写真の女性――ジュリアを見るだけで疲れが癒されていく。

 

「そうだ・・・・まだ、終わってない」

 

ハッピーエンドは無理だとしても、せめてバッドエンドだけは回避しなければならない。

ロケットを閉じ、一度目を瞑って短い回想に浸る。それが終わると、カーマインの右の金色、左の銀色の瞳に冷たい光が走る。

 

「戻ったぞ」

 

銀狐のセレブが影から抜け出てくる。

動きに気品を湛えながら、向かいのソファに座る。

 

「武装七課が動くそうだ」

 

「ネモが来るのか?」

 

「第二分隊か第三分隊だ。ベルニッツやハイメロートは乗り気のようだが、部隊長のエヴァンジェは嫌がっている。ネモ本人は第一分隊を率いて別任務にさっさと就いて、のらりくらりと命令を無視するつもりだな」

 

「時間がないか」

 

プレシアの命の灯火だけではない。

ガルムの存在に気付いた管理局が本格的に動き出した。カーマインは時間の余裕の無さに苦笑する。

 

「残りの時間は二日か、三日。それまでに片付けられるのか?」

 

「やるさ・・・まぁ、もし邪魔をされるようなら――――」

 

―――皆殺しにするだけだ

 

金銀妖瞳に強烈な色気と酷薄な冷気が漂う。長い付き合いであるセレブでさえ、慣れることがない。

これが世界を救う光にも、滅ぼす闇にもなれると予言された男の深層。

人間の形をしていながら、人間ではないために望まず持たされてしまった性質。

 

カーマインの不思議なところは冷酷さを誰かのために使ってしまうところ。だからこそ、セレブは今日まで共にあり続けることができたのだろうと思うが。

きっと、かつて自分の半身であった少女は彼のそんなところに惹かれて後を託したのかもしれない。

 

「他にあるのか?」

 

じっと見ているだけのセレブにカーマインが聞く。

 

「いや・・・」

 

何もないと言おうとして、唐突に疑問が湧いた。

 

「・・・今回の件で、恭也とコンタクトを取ったのは何のためだ?」

 

この世界に魔法文明の影響が強まっていく前に先手を打ったという考え方もできる。だが、十年間はこの世界で魔法と関わらずに生きていくつもりだと恭也は話していたのだ。それを邪魔するほどカーマインも野暮ではないはず。

 

カーマインはあれ?という顔をして、

 

「話してなかったか?」

 

「微塵もな」

 

どうやら、忘れていただけらしい。

少し考えて言葉を選ぶようにして、語りを始める。

 

「二十五年前、ミッドチルダのアルトセイムで俺達はプレシアと出会った」

 

「ああ、よく覚えている。私有地で釣りや猟をしようとして咎められたからな。あれはあれで中々得難い経験だろう」

 

一人訳知り顔で頷くセレブ。

 

「何が得難いかは知らないが・・・」

 

苦笑するカーマインは、二十五年前の光景を鮮やかに思い出す。

 

 

私有地を荒らす形になった自分達を咎めた少女―――15歳だったプレシアが金髪を春風に靡かせる。それが初めての出会いだった。

 

母親を早くに亡くし、著名なデバイスマイスターだった父親は安全性を優先するシステム開発を提唱するが、逆に会社からも学会からも追放されて失意の内にこの世を去っていた。両親の遺産である広大な土地と資産を持て余しながら暮らす、天涯孤独の少女だった。

 

宿無し飯なしの二人と一匹をにっこり笑いとは裏腹の強引さで家まで連れ込んだかと思えば、宿と飯を提供してくれた。加えて家がないならしばらくここで暮らしてもいいと言い出す始末。

こちらが犯罪者だから迷惑が掛かると言っても、「悪人には見えない」の一点張り。どうしようか恭也と顔を合わせて打開策を練っている間に、あれよあれよと滞在が決まってしまっていた。馬の耳に念仏、暖簾に腕押しとはこのことかと恭也は呟いていた。冷や汗を浮かべながら。

 

天涯孤独で大きな家と広大な土地に一人住む。15歳の平凡な少女にとってこの上ない孤独だと気付いたのはそれから少しして。母親譲りの綺麗な金髪を揺らしながらきびきびと働く姿は年齢以上だが、失意に沈んだ父を看取った心はか弱い15歳のままだったから。

三人と一匹の奇妙な共同生活が始まった。やもめ暮らしの長かったから料理ができるので、全てが当番制。

ある日は失敗した料理を笑ったり、ケチを付け合ったり。

ある日は洗濯物に入っていた下着をからかったり、顔を赤くしたり。

そんな馬鹿馬鹿しくも平和な日々。

 

田舎に暮らす平凡な少女であるプレシアは実のところ天才だった。望む進路であるクラナガン中央魔導大学を確実に飛び級で進学できると思わせるほどに。自分と恭也の持つ魔法に関する貴重な理論を瞬間的に理解し、ものにしてしまう。家庭教師代わりに課題や研究を見てやれば次々に知識を吸収していく。実に優秀な生徒だった。

 

自分達が犯罪者と知っても変わらなかったし、管理局と敵対して人殺しであると知っても変わらなかった。

だから何時しか自分や恭也も気を許していた。だがそれは誤りだった。

プレシアの家で暮らしてはいたが、以前活動は続けていた。それはプレシアも知っていたから何とも思わなかったが失敗だった。大学への進路を決めて受験票が届いた翌日にプレシアが言い出した。

 

―――大学に行かないで、私も皆を手伝おうかな?

 

それは禁句だった。言ってしまえば擬似家族の関係が壊れる禁句。穏やかな日々に浸ってしまっていた自分達にとって頭の片隅で分かっていながら、わざと見過ごしてしまった代償だった。

管理局と決定的に対立する者達の仲間に入れてしまえば、プレシアの夢は叶わなくなる。次元航行システムや魔力駆動炉の研究。失意の内にこの世を去った父親の無念を晴らす。それらは犯罪者の悪名を背負ってできることではない。

 

 

 

「だから我々はあの子の前から消えた・・・そこまでは私も知っている。その後何があったのだ?」

 

かつて、セレブもプレシアの前から消えることに同意した。このままでは才能豊かな少女の未来を潰してしまうことになると思って。

 

「俺も詳しい話はプレシアから聞いただけだが・・・最高学府に入ってから卒業して、娘を産んだ。名前はアリシア、アリシア=テスタロッサ」

 

「それも知っている・・・あの子が恭也以外の誰かと子を成したのは不思議だったが」

 

共同生活の中、プレシアは明らかに恭也へ惹かれていた。

カーマインも恭也も一線を引いていたが、遥か遠く時間を隔ててしまったジュリアのことを今も強く想い続けているカーマインは無意識に女性から距離を置いていた。

恭也の方は自分の男女関係には鈍感朴念仁であるためカーマインのように距離を置かず、プレシアも父性と男性を同時に求めることができた。

 

今は少し捻くれてしまったが、元々が情熱的で一途なプレシアが恭也以外の他の男に・・・というのは、セレブは想像できなかった。

 

「いや、アリシアの父親は恭也だ」

 

「・・・・・・何?」

 

あっさりと言われ過ぎて、呑み込むのに時間が掛かった。

 

「莫迦な・・・プレシアが大学を卒業した頃となれば、『幻月』が全て揃っていた頃だ。恭也がプレシアと会うことなどできるはずがない」

 

「そうなんだが・・・遺伝学上は不可能ではないからな」

 

だらしない態勢のまま、カーマインは無意識に硬くなる。

遺伝学―――カーマインにとってはあまり気持ちの良い分野ではないが話には欠かせない

 

「恭也の体細胞をクローニングした上でプレシアの卵細胞の核と入れ替えて胚性幹細胞を作り、そこから精細胞へ分化させる。それから改めて顕微受精をさせれば・・・遺伝上、恭也との子供はできる」

 

「まさか・・・それをやったと言ったのか?」

 

滅多に動じることがないセレブの声が僅かに震える。

カーマインの言うことが事実なら、あまりに深い女の情と業。分子生物学のその分野が倫理的に問題を孕むためにどの次元世界でも禁止されていることは言うまでもない。しかし、それさえも無視してでも惚れた男との子供―――もはやそう言って良いかも分からない―――を欲するものなのか。

 

(げに恐ろしきは女の情か・・・)

 

薫風と強さを兼ね備えた春風のような少女だったプレシアでさえ、そんな面を見せる。

銀狐ではあるが男(雄)でもある。そこには超え難い性別の差があるのだろうと思ってしまう。

 

カーマインは考え込まされてしまったセレブから、その内心を読み取る。

 

「可能性を論じるなら、俺らが不在の間に二人がそういう関係になっていて精子を保存していた可能性も捨てきれないが・・・」

 

「どちらにしろ、だな」

 

いなくなってしまった相手を追い求め、縋る絆が欲しくてそれを子供という形にしたことに変わりはない。

 

だが、そうしなければならないように追い詰めたのは自分達だ。

天涯孤独で寄り掛かれる誰かを求めていた少女を一人置いて行ってしまった。距離を置けば解決できた問題ではなかったのに。

 

「・・・だから、恭也を呼んだのか」

 

「勝手な俺達のせいで一人の少女の未来を狂わせたのは事実だからな・・・」

 

カーマインは思わずにいられない。

あの日に自分達と出会わなかったらプレシアの未来はどうなっていたのだろうと。

研究者として成功し、父の無念を晴らせていたのではないだろうか?

娘との関係に苦悩することなく、優しい母親として穏やかに暮らせたのではないだろうか?

 

(また『たられば』か・・・)

 

嫌気が差す。

偉そうな題目だが、本当に糧とできているのか?

長く生きているくせに後悔は減っていない。生きれば、生きるほど無様な後悔が積み重なっていく。

 

「少し、寝る」

 

「・・・そうしろ、魔力も大分消耗しているようだからな」

 

返事をしている間に、ベッドへ行くのも億劫だとカーマインはソファに寝そべった。

セレブも方々を巡ってきて軽い疲労がある。今のうちに休んで置くために丸くなろうとして、名前を呼ばれた。

 

「セレブ」

 

「どうした?」

 

寝そべって顔を反対に向けたままカーマインは言葉を継ぐ。

 

「俺は創造主に逆らって“人間”であろうと、“カーマイン=フォルスマイヤー”であることを選んだ。その選択は正しかったと信じてるが―――俺はちゃんと“人間”をやれてると思うか?」

 

「・・・ああ。悩んで、間違って、後悔している。“人形”にはできんことだ。胸を張れ。お前は我が半身であるアリエータに認められたのだからな」

 

カーマインは笑った。苦笑のように聞こえるが、どこか嬉しそうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠見市の自宅でフェイトは懇々と眠るガルムをじっと見つめていた。

 

プレシアの【サンダーレイジO.D.J.】の直撃から二人を庇ったガルムは、即座に転移して『時の庭園』へ戻った。二人に掛けた防御魔法によって、自分の防御はバリアジャケットとフィールド防御のみになってしまい酷い重傷を負ったにも関わらず。

幸い殺傷設定ではなかったため致命傷には至っていない。だが、転移直後の酷い様子は忘れられない。

雷の熱で焼け爛れて焦げた皮膚。一部は炭化しかけていた。焦げた匂いは煙と共に蛋白質が焼ける強烈な悪臭を漂わせる。それさえも怪我の一部で、感電する場合は外よりも内臓などの内側に酷いダメージを受ける。

 

致命傷ではないが、重傷には違いない。それでもガルムは言うのだ。

 

―――二人とも無事か?

 

痛いとも、苦しいとも言わない。苦痛を感じている素振りさえ見せずに、自分達を心配してくれる。

そんなことを言っていられるほど楽ではないのに。

 

だから、フェイトは怒った。

先に怒っていたアルフが度肝を抜かれるほど、怒った。怒ることばかりに気を取られていて、何を口走ったのかよく覚えていないほど。きっと、人の心配をしている場合ではないとか、もっと自分を大切にしてくださいとか、そんなことを言った。

 

けれども、ガルムは聞き流すばかり。それどころか嬉しそうにさえしているように見えた。

 

怒り続けて、怒り疲れた頃、アルフが突然走り出した。

プレシアへの我慢がついに限界を超えた。ガルムが庇ってくれたからこそ怪我はないが、間違いなくフェイトへの直撃コース。狙う以外に考えられなかった。

それが娘への仕打ちなのか?理由もなく当たれば死んでしまうような落雷を落とすものなのか?

このままではいつかフェイトは殺されてしまう。ただの気まぐれで。それを止めるためには先にプレシアを・・・殺す。

 

フェイトは後を追えなかった。どういう態度であっても、重傷を負っているガルムを残していくわけには。

 

それを、今は後悔している。少しだけ。

アルフは戻ってこなかった。病気で弱っていると言ってもプレシアに勝てるはずがないのに挑んだから。

 

それでも・・・それでも、フェイトはどこかに逃げたはずのアルフを探しにいけない。

あれからガルムは意識を失った。痛みに失神したほうが楽なほどでも、ぎりぎりまで意識を保っていた。

もしアルフを探しに離れている間にガルムが・・・苦しむかもしれない。本当は致命傷で、そのまま死んでしまうかもしれない。そう考えると怖くて離れられない。

 

でも、アルフも探しに行きたい。アルフだけはどんなことがあっても裏切らない、ずっと味方で居てくれる仲間だから。そんなアルフが傷つき、逃げているのに。いつも助けられてばかりの自分が助けないで見捨ててしまっていいはずがないのに。

 

(ごめん・・・ごめん・・・ごめんね、アルフ・・・)

 

世界はどうして、こんなにままならないのだろう。太腿の上に置かれた手をギュッと強く握りながら考える。体が二つあればどれほどいいだろう。

 

 

〔フェイト様〕

 

「え?」

 

声を掛けられて、顔を上げる。

ベッドの脇に今までいなかったはずの明星が立ち、スカートの裾を摘んで一礼した。

 

〔ここはわたくしにお任せになられ、どうかアルフ様を探しに向かわれてください〕

 

心の内に気付かれ、フェイトは狼狽する。

 

「わ、私はガルムさんを見捨てたいわけでは―――」

 

〔承知しております。わたくしはこうして現れないだけですから。フェイト様がヘルガルムをどのように思っていらっしゃるのかも、ある程度弁えております。その上で、どうか―――〕

 

ガルムよりもアルフを大事にしたいわけではない。どちらも大事だから。それを誤解して欲しくなかったフェイトに、明星はアルカイックスマイルを浮かべながらもう一度促した。

 

〔ヘルガルムの望みはフェイト様の幸福。いつか、いつの日にか、フェイト様の望む幸福が手にできるようにすることがヘルガルムの存在意義でさえあります。その幸福の中にアルフ様は欠かすことができない存在のはず・・・アルフ様をお探しになられること、それがヘルガルムの最も望むこととご理解をお願いいたします〕

 

「・・・・明星さん・・・・」

 

フェイトはようやく気付いた。

明星のそれが“許可”ではなく、“お願い”であると。主であるガルムの定めた望みを果たすために、願っている。デバイスの管制人格であるはずの明星が。

 

「本当に・・・私は行ってもいいんですか?」

 

〔はい、後事はわたくしにお任せを〕

 

恭しく礼を取る明星に、フェイトも頭を下げた。

必ずアルフを見つけて、すぐに戻ってきますと心の中で付け加えながら。

 

 

 

 

 

「・・・行ったか?」

 

〔・・・はい〕

 

バルディッシュを起動させたフェイトがベランダから飛んで行くのを見送った明星に、ガルムが尋ねた。

眠っていたのは確かだが、僅かな魔力に体が反応して覚醒していた。

 

「気を遣わせたな」

 

〔いいえ・・・私は胡蝶お姉様や琥冴哭綺お姉様のようにはできませんから。これで本当に良かったのかさえ迷っています〕

 

「これでいい・・・あの子にはアルフが必要だからな。心の均衡を保っていられるのは俺がいるからではなく、アルフがいるからだ」

 

それにと付け加えて、

 

「お前はお前でよくやってくれている。胡蝶はまだお前のことを認めていないが、確かに成長している。もう少し自信を持て。お前は全科博士(ドクター・ユニバーサルス)のフォルテ=クリストフォリの娘だ。」

 

「・・・はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ・・・」

 

黒い背広姿の恭也はネクタイをキュッと締めて、姿見に映るブラックスーツの自分を確認する。

我ながら変ではない範疇だろう、と結論付けてから、居間で待つ家族へ見せに行く。

 

「悪くは無いと思うが、どう思う?」

 

『・・・・・・』

 

「?」

 

尋ねて、無言。

 

「あー・・・悪いなら悪いで正直に言ってもらって構わないが?」

 

別に容姿が優れているわけではないから似合っていないかもしれないと、早く改善点を探したい恭也はオブラートに包んで促す。

 

「いや、似合ってはいるんだが・・・ね、美由希」

 

「うん・・・・へっ!?あっ!?―――うん、恭ちゃんすっごく似合ってるよ!?」

 

「・・・そうか?」

 

どうも返事が怪しい上に、取って付けたようだ。なおかつ最後の語尾に微妙な疑問符がついている。あえて言うのならば、似合っていないことを懸命にフォローしているように聞こえる。

 

「まぁ、馬子にも衣装ってやつ―――」

 

ゴッ!

ゴスッ!

ドッ!

 

「―――ぐきゅっ!?」

 

何か非常に拙い音と呻きを上げて、士郎は沈んだ。

美沙斗、美由希、桃子の女性三人から余計な一言を封じ込めるための一撃ずつをもらって。

 

「恭也素敵よ♪何だか若い頃の士郎さんを見てるみたいで懐かしいわ♪」

 

「う、うむぅ・・・そうか・・・」

 

桃子が本人としては会心の褒め言葉を出すが、後半部分で恭也の表情が微妙に引き攣る。

若い頃の士郎は、恭也の記憶の中で大変碌でもない顔しかない。ごくたまに真剣な表情もあるがあまりに少なすぎて思い出すことが限りなく難しい。それと今の自分が似ているというのは、あまり納得したくなかった。ああいう大人になるまいと心に誓った身としては。

 

「・・・それで、どこかおかしなところはないか?」

 

士郎の関節が曲がってはいけない方向に曲がっていたり、窪んでいけないはずのところが窪んでいたりするが無視する。深く考えてはいけない。

似合う、似合わないはこの際諦めてせめて礼服として間違った部分がないか聞く。

 

「うん、それは大丈夫だね」

 

「ネクタイの締め方もさまになってるし、仕立てもぴったりだから。髪型もばっちりよ」

 

「ならいいか」

 

美沙斗と桃子に太鼓判を貰い、納得する。

 

「恭ちゃん、時間は大丈夫?」

 

「ああ・・・そろそろだな」

 

美由希に言われて時計を見ると約束の時間に近くなっていた。

 

「それじゃあ、行こうか恭也」

 

「はい」

 

男装の麗人と言っても通るほどキリッとした出で立ちの美沙斗が立ち上がり、恭也と一緒にリビングを出る。桃子や美由希、いつのまにか復活していた士郎も玄関まで見送りに出る。

靴を履いた二人にそれぞれが言葉を掛け、二人も応えてから玄関を出た。

そこへちょうど黒塗りのセダンが二人の前で停車し、中から人が降りてくる。

 

「準備は万端みたい・・・・」

 

降りてきた金髪をポニーテールにしている女性は、そこまで言って言葉に詰まる。視線はじっと恭也に注がれたまま固定され、二の句が継げない。

美沙斗はもう苦笑するしかないが、一方の恭也はやはり自分の格好はどこか変なのかと確認する。

 

「エリス?」

 

「・・・・え?」

 

名前を呼ばれて、金髪の女性―――エリス=マクガーレンは我に返る。

そして、自分の行いを思い返して顔を赤くする。

 

(ふ、不覚だわ・・・私としたことがキョーヤのスーツ姿に見惚れるなんて・・・)

 

「んんっ・・・」

 

咳払いを一つ挟んで、気を取り直す。顔は赤いままで。

 

「準備は万端みたいだから余計なことは省いていくわよ」

 

「ああ・・・だが、大丈夫か?顔が赤いようだが?」

 

「気のせいよ」

 

「だが・・・」

 

「気のせいなの。私が気のせいと言えば、気のせいなの。分かった?」

 

「そこまで言うなら分かったが・・・」

 

何故ここまで頑ななのか。恭也は首を傾げるばかりで、エリスの内心など微塵も分からない。その横では美沙斗が呆れながらも、心底可笑しそうにしている。笑いたいが、笑えないと。

 

「・・・話したいことは色々あるけれど、先に現場へ行くことにするから乗ってくれる?」

 

「ああ・・・ん?」

 

言われて後部座席に乗り込もうとした恭也は、視界の端に最近見慣れなくなった姿を認めて止まる。

 

「おや、なのはちゃんだね」

 

「ええ。帰ってきた・・・という感じには見えませんけど」

 

歩道を歩いてくる姿は間違いなく末妹のなのは。

隣にはもう一人大人の女性が一緒にいる。エリスと同じようにポニーにしていて、雰囲気は何となく桃子に近いものがある。

 

「どうしたの、二人とも」

 

「用事で外泊していた妹が帰ってきたようでな。時間は少しいいか?」

 

「ええ、それぐらい構わないわ―――そう、あれが妹のなのはね。写真は見たことがあるけど、実物はもっと可愛いわね」

 

「まったくだ。俺や父さんではなく、かーさんに似てくれて本当に良かった」

 

「キョーヤに似た女の子か・・・」

 

どんなのかを想像して、エリスははたと気付いて美沙斗を見る。

そうだ。恭也似の女の子が生まれたとすると、美沙斗をずーっと若くして遡ればいい。

それはそれで、大変だ。異性からも同性から非常にモテること間違いなし。けれどもきっと、鈍感も恭也譲りになるのだろう。アーメン。

 

「エリス・・・なんだかとても理不尽な目で私を見なかったかい?」

 

「ううん。まさか、美沙斗にそんなことをするわけないわ」

 

理不尽ではないと自分に言い聞かせて、エリスは否定する。

二人のやり取りを横目に、恭也は近づいてくるなのはをじっと待つ。

 

なのはが家を出て10日。帰ってきてもおかしくない時間は経っているが、今一つ晴れやかではない表情からは用事とやらが終わったようには見えない。

 

(もう少し時間が掛かるから、一度帰宅して説明するためと考えるのが妥当か・・・)

 

いくら信用して送り出したとしても10日間も音沙汰がなければ心配する。なのはからなのか、それとも協力者から言い出しのかは不明だが、いい頃合だろう。

 

「!?」

 

恭也たちに気づいたなのはは、驚いたように目を見開く。隣の女性に一言告げてから、小走りに恭也へ駆け寄ってくる。

 

「おかえり、なのは。無事で何よりだ」

 

息を切らせる妹の頭を撫でながら、滅多に見せないはっきりと分かる優しい笑みを浮かべる。

だが、なのはにはその笑みが目に入っていない。

 

「おにーちゃん!怪我は大丈夫なの!?」

 

「怪我?―――何のことだ?」

 

突然捲くし立てるなのはに、恭也は困惑しながらも聞き返す。

美沙斗やエリスもいきなりの発言に驚く。

特に一つ屋根の下で暮らしている美沙斗は、恭也が怪我をした話をついぞ聞いたことがない。家族へ心肺を掛けないために嘘をつくことはあるが、そもそも恭也が怪我を負うほどの状況など滅多にあり得ない。

 

「でも、あの時おにーちゃんはあの子を庇って―――」

 

取り乱したかのように詰め寄るなのは。

恭也はややたじろぎながら、冷静に対処しようとする。

 

「落ち着けなのは」

 

「落ち着いてなんか―――」

 

「なのは」

 

大きな声ではないが、芯に伝わる発声になのはの言葉が止まる。

そのまま片膝をついて視線を合わせ、なのはの顔を醜い両手で包んだ。

 

「落ち着くんだ・・・兄はどこにも怪我などしていない。往来で服を脱いでみせるわけにはいかないが、無事だから何も心配する必要はない」

 

「・・・本当なの?」

 

「ああ。これから仕事へ行くというのに、怪我で満足で動けない状態で行くわけにはいかないからな」

 

「お仕事・・・?」

 

恭也が振り返り、釣られて視線を向ける。そこには事の成り行きを見守っていた美沙斗と、知らない金髪の女の人であるエリスが立っていた。

 

「初めまして、なのは。私はエリス=マクガーレン。貴女のお兄さんとは幼馴染よ」

 

「あ、初めまして。高町なのはです」

 

フィアッセと同じかそれ以上に流暢な日本語を話すエリスになのはは驚きながら、恭也仕込みの礼儀正しさできちんと挨拶する。

 

「兄はこれから二人と一緒に護衛の仕事へ行ってくる。折角帰ってきたのに一緒に居られないのは残念だが、とーさんとかーさんには甘えてくるといい」

 

「もう!なのははそんなに甘えたりはしません」

 

「仲が良いわね・・・美由希が扱いが違うって怒って当然ね」

 

クスクスと笑いながら、エリスが言う。

 

「美由希は失言が多すぎる。あれでも足りないぐらいだ」

 

「否定できない、ね」

 

美沙斗も苦笑する。

美由希はどういうわけか思ったことを口に出してしまう。それも悪いことを。

心の中で美沙斗の言葉に同意しながら、恭也はなのはに向き直る。

 

「なのは、そちらの方は?」

 

歩いて追いついていた女性――リンディが、なのはの後ろへ着いていた。

 

「えっと・・・私が友達と一緒にやってることを手伝ってくれているリンディさんです」

 

「初めまして、リンディ=ハラオウンと言います。なのはさんには大変お世話になっています」

 

「高町恭也です。こちらこそ、妹がお世話をかけて申し訳ありません」

 

リンディと恭也はお互いに挨拶し、握手を交わす。

 

美沙斗もエリスも、そしてなのはも何故か恭也が笑っているように見えた。凄惨に笑っているように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なのは達が家へ入るのと入れ違いに恭也達はエリスの運転で出発した。

 

「ねぇ、恭也」

 

「なんだ?」

 

エリスは後部座席に座る恭也をバックミラー越しに見る。

そこには仏頂面ともとれる無表情ないつもの恭也がいた。

 

「電話でも聞いたけれど、どうしてマクガーレンに入ろうと思ったの?」

 

数日前、以前から入社を打診していた恭也から「マクガーレンで働きたい」という電話を貰ったエリスは、今もその時の驚きを忘れない。

 

祖父の代から数えて三代目になるマクガーレン社はセキュリティサービスの名門として知られている。一般の警備も事業の一環として営むが、本業のためのサイドビジネスに近い。政財界の要人を日常レベルで専属的に護衛する。それがマクガーレンの中心を為す。

そのためには優れた人材であることも求められるが、何より信念が大事。その双方を満たす恭也は格好の人材と言える。なおかつ、英国上院議員として有名なアルバート=クリステラや、その夫人で世界的に有名な歌手であるティオレ=クリステラとも家族ぐるみの付き合いがある。

マクガーレンのお得意様で、エリスにとっても恭也と共通の幼馴染であるフィアッセもいるクリステラ家の護衛は、可能な限り実力・人柄の揃った人材を充てたい。正しく恭也はうってつけの人材。

 

だから、恭也を入社させたいと考えていた。幼馴染とその家族を護ることができ、なおかつ気になる異性も自分の近いところにいてくれる。会社にも+であるから、一石三鳥。

一方で誘いを保留してモラトリアムの大学へ入学した恭也が、考えを翻した理由が分からない。気にならないと言えば嘘で、教えてくれるものなら聞きたかった。電話では考えが変わったとだけ伝えてきたが。

 

「・・・エリスは、年老いた自分を想像できるか?」

 

「いきなり、なに?」

 

「俺は、海鳴に残って家族を護るのか、それともエリスのように他の誰かを護るのか悩んできた」

 

「それが年老いた姿の想像と何の関係が?」

 

フロントを見ていた恭也は運転するエリスの横顔を見る。

静謐で整った顔立ちの恭也に改まって凝視されると、自然と仄かに顔が赤くなる。

 

「年齢を重ね、誰もがいつかは自分だけの道を進み出す。俺の護りたいと思う人達も例外ではない。美由希はまだ俺の弟子だが、それも長くて五年もすれば一人前の御神の剣士の自負を以って、“護る”という信念の下に自分の道を見つける。なのはもまだ九歳だが、遠くない未来に自分の道を見つけるだろう」

 

恭也にとって家族を護りたいという願いこそがモラトリアム。

年齢を重ね、世代を重ねる。それが人であり、不変とも思える摂理。

家族はいつまでも一緒にはいられない。そうと思っていてもそれぞれの道を選んで、離れていく。今のように家族が一つ屋根の下で暮らし続け、護り続けることはできない。

それに恭也は思うのだ。剣で護ることだけが“護る”ことではないのならば、離れていても問題はない。剣士ではなくとも、人の幸せを護れるのならば剣士を辞めた士郎のように家族を護ることもできる。そして、誰だってその人の幸せを護りたいと思える人と出会い、護っていけるのだと。

 

「とーさんはかーさんに出会って、一番護りたい人を見つけた。そんな風に俺は家族だけじゃない、心から護りたい人を見つけたい・・・そう考えるようになった」

 

出会いからプロポーズに至る過程は悪夢のように軽薄なものだったが、士郎が護りたいと思った気持ちは理解できた。

一流のパティシェになろうと研鑽を積んでいた桃子。自分が努力を重ねて作ったお菓子を食べて、人が幸せになることが何よりの喜びという人。“護る”だけではなく、幸せを“作り”“護れる”人。

とにかく美味しいものが好きだから子供のように喜んで食べる士郎の姿はどんな賞賛や栄誉よりも嬉しいもので、きっと士郎も喜ぶ自分を見て、同じように純粋に喜んでいた桃子に惹かれたはずだから。恥ずかしい表現を用いるなら、運命の出会いによって士郎は心から護りたい笑顔――桃子を見つけた。

 

「だから、年老いた自分・・・ということなんだね」

 

その意味が分かった美沙斗。

 

「ええ。年老いた先に今の家族がいるか、いないか・・・いたとしても、きっとそれは違う道を歩んだ先。俺は年老いた自分に心から護りたい人が側にいることを望んでいる」

 

このまま今の家族を護り続けるのも一つの選択肢だろう。だが、それは家族への甘えだと恭也は断じた。いつか違う道を歩む上での障害になってしまう。それを拒む家族ではないから、恭也は自ら距離を置いて高町恭也としての道を探そうとしている。

 

「大学も楽しくはあるが・・・もう少し違う地平に立って見つけたい。だから、エリスに電話した」

 

「恭也らしい・・のかな。他に方法もあったのに、やっぱり護るっていうことに戻ってきちゃうところなんて特に」

 

「俺も莫迦だからな。剣士である自分も不可分なんだ。護るなら剣と共に・・・そう思ってしまう」

 

エリスは微笑し、恭也もつられたように微かに口元を緩める。

もし護りたい人に出会ったときに士郎のように剣を置く日がくるかもしれないが、出会うのならば剣と共に歩んだ先に出会いたい。それが、今の恭也の選んだ道。

 

後部座席の美沙斗はその想いを聞き、やはり美由希には芽がなかったのかと少し寂しく思う。

もし・・・御神が滅びなければどうだったのだろうとも。美由希と琴絵の娘が恭也を取り合っていたかもしれない。妹となってしまったために、美由希は恭也の心から護りたい人になり損ねた。

 

(・・・美由希)

 

痛いほどに残念な気持ちが湧いてくる。恭也が素敵だということは美沙斗にも分かる。静馬と出会うことがなければきっと自分も恭也を好きになっただろうから。今でさえ、共にすごす日常の中で惹かれそうになる。けれども、それは恭也の人生にとって重荷になるだろうから決して口には出せない。もしかしたら静馬と重ねてしまっているだけかもしれないから。

エリスもまた恭也に惹かれていることは同性の美沙斗にも伝わってくる。黒い服ばかり着ていて、寡黙で無愛想でも見る人が見れば恭也の良さは分かるから。

 

「恭也はどんな人を見つけるんだろうね」

 

何気ない一言のつもりだったが、意外なことに恭也は言葉を返した。

 

「そうですね・・・今はあまり知りたくないかもしれません。固定観念は持ちたくありませんし、それに知らないことで見つけたときの喜びが増えますから」

 

「ふふっ・・・なんだか、恭也らしくないな、それは」

 

「そうですか?」

 

「ああ」

 

そんな風に楽しみという気持ちを言葉に出すなんて、と付け加える。

恭也は少し考え込んで、そうかもしれませんと返事した。

 

「私も美沙斗と同意見かもね・・・まぁ、そのためには今日のテストを兼ねたローウェル氏の護衛をちゃんとやってもらうわよ?」

 

「そうだな。これで不合格になったら、しばらくは顔を合わせられない」

 

「まさか切腹なんて言い出さないでくれよ?」

 

「ふーん、ジャパニーズハラキリか・・・・ちょっと似合うわよ?」

 

美沙斗とエリスがからかいながら失笑を漏らすと、恭也は憮然として頭を振る。

 

「人を何だと思ってる・・・」

 

「朴念仁」

「超鈍感男かな?」

 

「・・・失礼な」

 

恭也はそれを言うだけで精一杯だった。

 

 

 

 


あとがき?

 

ちょっと長くなりすぎた。しかも前回から開きました。

今回は色々と小難しいネタを詰め込んでみましたとさ。なので解説、解説。

 

 

>人工授精

プレシアが恭也の遺伝子を用いて行ったものです。文章にある通り、げに恐ろしきは女の情。

ちなみに書いた内容は医療現場で実現されていませんが理論上可能な方法らしいです。クローン人間ではなく、あくまで恭也との子供に固執するところが何とも言えませんが。文中にもありますが、特殊な遺伝病治療の研究以外には先進国で禁止されているので当然ミッドチルダでも禁止されています・・・何気にフェイトと深い関係あったり。

 

>カーマイン

元ネタを知っている方には今更ですが、彼は厳密な意味の人間ではありません。その本性は人の皮を被った化け物そのものです。

 

>ガルムのデバイス

ガルムの持っているデバイスは今のところ二つです。[CARIBURN]の“明星”と、“胡蝶”と呼ばれるもう一つのデバイス。“琥冴哭綺(くさなぎ)”は、今は亡きデバイスの管制人格。明星が姉と呼ぶのは同じマイスターの手によるもので、先に作られたためですね。

 

>恭也のお仕事

あまり本編に関係ないようなので、詳しい内容は省きました。アリサパパの護衛が今回のお仕事です。これはマクガーレン社の採用試験も兼ねています。美沙斗は特別審査員ってところですかね。

ちなみに、現実の護衛は恭也みたいなのが活躍する時点で失敗です。本来の護衛は宿泊先や移動ルートなどを入念にチェックし、危険を遠ざけることですから。金庫も金庫に入ってるから無駄だと思わせるという防犯思想に基づいているのであって、家へ侵入されるようでは困り者というのと同じ理屈です。

 

>魔法による治療

正直、原作を見ていても今ひとつ分かりません。殺傷、非殺傷の設定のせいで余計に。

割とボロボロでも回復魔法で回復できたかと思いきや、なのはのように瀕死の重傷で後遺症が残るような場合でも魔法で治療できない。この辺はもう少し煮詰めてみようかと思います。

 

 

ええっと・・・12,3話では終わりそうにもないですね。

もう少し長くなりそうですが、みなさんどうかお付き合いください。

 

それでは、次回に・・・・。





父親の謎は解けた〜。
美姫 「にしても、本当に凄い情よね」
確かに。徐々に色々と明かされていく謎。
でも、恭也とガルムの関係はまだまだ不明。
美姫 「一体、どんなヒミツがあるのかしらね」
とっても気になるし、楽しみな所。
美姫 「次回も楽しみにしていますね」
待っています!



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