《アプリケーションのインストールが完了しました》

 

照明が落とされた部屋に無機質な合成音が響く。

カーテン一つなく、外の明かりが入り込むだけの部屋にドレットノートは一人床に座り込んでいた。

先日のテラの暴走のせいでアジトを移っていたが、そんなことを一々気にしてなどいなかった。

仮住まいだが、彼の部屋には広げられたままの寝具一式と、山ほど積まれた酒の空き缶や空き瓶だけしかない。

 

酒だけを縁に生きる世捨て人。

それがドレットノートのデバイスを調整しているマーシレスが下した評価だった。

インストールが完了すればお役御免の彼は片づけを終えて、デイバックを肩に提げる。

 

「これで俺の仕事は終わりだが、そっちから他に何かあるか?」

「いや、ない。これで十分だ。」

 

待機状態へ戻されたデバイスをポケットに突っ込むドレットノートは素っ気なかった。

その態度はマーシレスにとって物足りない。クソ真面目なほど自己陶酔しているギルバート=グレアムを知る彼にとって、同質の存在でありながら純化しているドレットノートは退屈な存在だった。

弄り甲斐がない。同時にイラつく。

 

「それじゃ、俺は退散するぜ。」

 

益体も無いことを考え、酔っ払いは放っておくに限る。

マーシレスはズブズブと床に沈み込み、消えた。

ドレットノートはその姿を目で追うことすらしなかった。

 

彼は誓ったその日から復讐の二文字しか見ていない。

食事、排泄、鍛錬の全ては復讐のため。その先は最初から断崖だと決めている。

酒を呑むことで怒りを紛わせ、抑え込んでいる。感情の箍を外すためではなく、嵌めるという特異なそれは酩酊することでしき生きていけない弱さの象徴だと自覚していた。

 

銘柄も見ずに買ったブランデーをボトルに口をつけて、直接流し込む。

焼けるような感覚があるはずのそれは、すっかり慣れてしまい何も感じない。

味など最初から気にして居ない。アルコールさえ回ればいい。

ビール程度では中々酔えない。だから、高町なのはと会話した時も酔ってはいなかった。

 

 

「誰かを助ける力があるから助ける、か………。」

 

まるで考えたこともない理由で戦う少女。

性善説の見本のような理由。

井戸に落ちそうになっている人がいた時、全く無視する人がいるだろうか。

助けに走るか、危ないと叫ぶか、方法は様々だが、理由を考える前に助けようとする。

それの延長線上で、どうしようもないほど理屈ではなく、誰かを助けようとする。

復讐に凝り固まったドレットノートでも、尊い行為であると認める。

 

自分とは相容れない思想。捨て去ってしまった過去が僅かに疼く。

あの日。全てを根こそぎ奪われたあの日。出会ったのがボスではなく、あの少女のような存在であれば復讐へ走らなかったかもしれない。

と、その思考自体がどうかしていると苦笑いが浮かぶ。

取り返しがつくかどうかではない。それが幾数年の間育まれた憎悪の答えに対しての皮肉だったからだ。

 

それが正しいと信じて生きてきた半生は、あの日見事に打ち砕かれた。

打ち砕かれてから始まった今は、自分が心血を、愛と言い換えても過言ではないものを注いできた結果、最悪の形で裏切られたことに対する復讐の道だ。

そう考えること自体が、あの少女への冒涜だろう。

 

ドレットノートは、殺戮集団アライアンス・グラーバクの一員である自覚を持っている。

これまで数多の人間を殺してきた。冤罪の疑いが濃厚でも、殺した。復讐の道に立ちふさがる石として、思い切り蹴飛ばした。殺してから何の感慨も湧かなかった時に、自分はようやく復讐の鬼になれたのだと喜びさえした。

何も縛られず、何も気兼ねすることなく、復讐を直走ることができる。グラーバクの一員に相応しい揺るがなさ。そういう意味では、己の欲望のために殺人を許容する同僚を、ドレットノートは敬意を持って接するに値するのだと思っている。

 

テラは己の研究を完成させるために、実践の場として人を殺す。

彼にとってそれは日常。実験室でモルモットを殺しても気が咎めないのと一緒。

ただ人を殺すだけでは犯罪者だが、犯罪者を殺す側に回ればそれは大義名分となる。

そして、グラーバクに殺しの方法の是非を問うことを誰もしないのだ。実験方法を試すにはうってつけだ。

倫理や道徳に縛られて平穏無事な人生よりも、殺し殺されで寝ても覚めても抜け出せない殺伐とした世界の方が、彼にとっては幸せなのだ。そこには研究の場があり、実証のための実験環境がある。ただその欲望を満たすためだけに戦うことに幸福を感じるから、泰然としていられる。

実にシンプルで、人間的、解り易い。そういう意味で、会話などほとんどしたことのない同僚を、ドレットノートは敬意を払うに値すると思った。

 

BBはもっと先鋭化している。

この世は闘争で成り立っていると本気で信じている。

テラにとって研究こそが生きる意味で、幸福を感じられるものならば、BBにとってのそれは闘争。

一括りにできない強さや弱さ。本心は本人しか解らないが、ドレットノートから見れば、BBはそれが一括りにできないことに我慢がならないのだろう。彼は超人を信奉し、強い者こそが他者を率いるに相応しいと信じ―――信仰している。

衆に優れた者が、より優れた者が、人の上に立つべき。それを彼は強さと表現する。

強さはいかなる時でも発揮されるが、BBの持論では闘争の場においてこそ最大限に発揮される。

魔導士ランク?魔力の多寡?才能?そんなもので勝てるなら苦労は要らない。本当に強い者はそれらを覆し得る何かを持っている。だからこそ、闘争に身を置き、彼は自らを常に高め、周囲にもそれを求める。

ハタ迷惑極まりないそれを、彼もまた当然だと思う。敗北して己の弱さを知ることも、勝利して強者としての自負を深めることも、彼にとっては幸福なのだ。その結果、自分の死に繋がろうとも、自分を殺した者こそが人の上に立つべき者であり、その者の糧になったのだと満足して死ねる。それがBBだった。

狂っているだろうが、彼自身は真っ当だ。

 

幸福のために殺しのライセンスを求めるテラ。

弱肉強食の果てにある超人を希求するBB

 

どちらも正常ではない。真っ当な生き方をしていれば生涯相容れない。

けれども、ドレットノートは否定する気持ちが微塵も湧かない。

彼らは自分の生き方に正直なだけだ。もっともらしい理屈を借りてくるわけでもなければ、理由を外側に求めたりしない。自分の幸福を見定め、その実現のために最大限努力している。結局復讐のために生きている自分と同じのだと感じていた。

 

グラーバクははみ出し者の集まりとも言える。そう考えれば殺戮集団も何やら可愛いものだ。

もっとも他人にとっては迷惑千万だろうが。不良の始末に困るのはいつの世でもそういうことだろう。

 

かつては、自分も、と思い掛けて留まる。

沈めた記憶が蘇りかけて、ブランデーを呑んで押し流す。

過去とは決別した。振り返ることはBB風に言えば、弱さだ。

復讐を果たすためには不要。

 

「後少し……あと、少しだ………。」

 

ポケットの中のデバイスを強く意識する。

全てを清算させるその日を思い浮かべて凄惨な笑いが込み上げる。

ああ、間違いなく自分は狂っているのだと確信する。

 

《総員傾注。》

 

デバイスを介して送信される通信。人間味のない声は分隊長であるベルニッツだとすぐに解る。

角刈りの髪に、硬質な表情。テラがプラスチックと揶揄するそれにドレットノートも同意する。

感情がないというよりは、備え付けられなかった。人間に近いながらも、感情がないために人間のロジックを解することのないAIとでも言うのだろうか。

だが、その男こそが殺戮集団であるアライアンス・グラーバクを統率しているのも事実。

 

《第97管理外世界時間において、12月23日である本日、ただいまを持って作戦計画を次のフェイズへ移行する。尚、本作戦において通達済みの事項について再度確認を行う。》

 

故意にそう仕向けた部分もあるが、アースラのリンディ=ハラオウン達は重大な錯誤をおかしている。

広域武装隊第七課―――アライアンスの本来の職務は、重大な容疑の掛かった犯罪者を専門に担当する。

闇の書が関わっているとは言え、狙われているのは主に管理局の魔導士である。管轄が本来違うのだ。

オヴニルのようにネロンやガルムを捕縛又は殺害するためならば動くにしても、今回途中まで一切その兆候はなかった。それにも関わらず、グラーバクは動いた。しかも、最初から。

 

《一つ、必達目標は起動状態となった闇の書の確保。》

 

そうなれば他に全く違う目的を持っていたと考えるのが筋だ。

彼女達は目的が異なることを知りながら、疑いつつどこかで軽視していた。

陥穽の罠。前回共同戦線を張ることになったオヴニルがそうであったからこそ効果的に働いた。

 

《二つ、本作戦の必達目標達成後は可及的速やかに洗浄へ移ること。》

 

罠に気付かなかったことを愚かと責めるのは酷だろうと、ドレットノートは思う。

こちら側に来ない限り、常識が異なるという発想すら浮かばないだろう。

 

《三つ、洗浄の達成が不可能であると判断された場合において、プランCへ切り替えることを許可する。》

 

復讐を果たすための条件としてドレットノートは破格の安値で悪魔に魂を売り渡した。

だから、その命令、確認事項に抱く疑問はない。

 

《以上を持って、確認事項を終了する。質疑は認めない。総員、事前の配置につき24時間待機態勢に入れ。》

 

呑んでいたブランデーもちょうど空になった。

おかしなことに、頭が妙に晴れやかだ。この十年間で最も思考が明晰になっている。

良い兆候だと少しだけ笑う。

 

 

―――アライアンス・グラーバク出陣

 

 

 

 

 

 

 

覚悟を決める時が近づいていた。

公園のベンチに座り、待機状態でミニチュアになっているデバイス[フォーマラウト]を見つめるアストラの瞳はどことなく焦点が合っていない。

パズルのピースは揃った。闇の書を取り巻く事件は一気に終息へと向かうだろう。

その流れを、意味を守護騎士の中でアストラだけが気付いてしまう。

 

「珍しく難しい顔なんてして、何か考え事?」

 

隣のベンチで歌のレッスンを終えたアリサが、ホットはちみつレモンを飲んでいた。

 

「キャラじゃないって、解ってるけどね。」

「………はやて、入院するんだよね。」

「うん……どちらかって言うと、はやてのお兄ちゃんのためだけどね。」

 

つい昨日のこと。一昨日、一緒に遊んだアリサや鈴鹿の話しで盛り上がっていたはずの八神恭也は、はやてが帰宅すると倒れていた。そのまま病院に救急車で搬送され、恭也の容態が判らないことから、守護騎士達が居たとしても不安はあるとして、一緒にはやても入院することになった。

 

「心配、なんだ。」

「それは……うん、家族だからね。」

 

恭也お父さんと、はやてお母さんの八神家。

 

「家族構成見れば解るだろうけど、僕らは色々事情があって一緒に暮らしていて、家族だから。本当に色々あるんだよ。だから、こんな風に似合わなくても悩まなきゃならない。」

 

悩むという言葉とは裏腹に、アリサにはそれがどことなく嬉しそうに見えた。

家族のことならば、と絆の深さを示すそれにアリサも自然と表情が緩む。

しかし、アストラの表情はどこか曇ったままでもあった。視線でその曇りの理由を尋ねられ、アストラは苦笑しながら応える。

 

「世の中さ、ハッピーエンドになって欲しい時にバッドエンドになるなーって、思ってね。」

「いきなり暗い話になったわね……大体、まだはやてのお兄さんの検査結果だって出てないんでしょ?」

「まあね………。」

 

検査結果を聞くまでも無く、絶望的な答え以外に繋がることはないだろうとアストラ達守護騎士は知っている。

それに話は検査結果に限らない。全てが上手くいっていない現状に対してだ。

 

管理局の小娘達。

グラーバク。

バーテックス。

ガルム一派。

 

混然としてきた状況。

八神恭也の容態も含めて、全てが悪い方向へ転がる要素しかない。

まるでデジャ・ヴュだ。何度も繰り返してきたような悪い展開。

それがどうしようもなく、アストラを憂鬱にさせていた。

 

自分のことだけなら、アストラはこんなに感情を乱されることはない。

自分のことは自分で始末をつけられる分だけ、好き勝手に生きる。

守護騎士としてプログラムに縛られていても、それが最初から設定されている性格付けだからだ。

けれども、今回は大事な、代え難い家族の安全が掛かっている。

他人の人生を預かるような面倒なことは、自分のキャラではないと自覚している。

 

同時に、それを見越した造物主のことを思い出して溜息を吐く。

 

「ちょっと、暗いわねー。そういう時の賑やかしじゃないの?」

「うわー、なんて暴言を吐くかな、この9歳児。」

 

苦笑ばかりが深まる。アリサは調子狂うわね、と打っても響かないアストラに不満そうだった。

 

「僕だって、家族の一大事なんだから悩みもするさ。」

「………アストラにはアストラの事情があるんだろうけどさ、私はそうやって悩んでる時間だって勿体ないと思うわよ?」

「勿体ない?」

「勿体ないわよ。時間は有限で、できることをしっかりやっていかないとあっという間に過ぎていくんだもん。」

「凄い含蓄あるね……でも、時間は有限かぁ。」

 

無限の時間を生きる守護騎士になってから、無縁だった言葉。

ただ、闇の書の主を守護することを存在意義としていた自分達にとって、時間はただ経過していくだけのものだ。それを有限と思えるのは、現実に命の灯が消えることに立ち会うが為だ。

 

幾度も繰り返された主との別れ。賑やかしである反面、アストラは自分が守護騎士の中で一番ドライだと思っている。感情の起伏が激しいヴィータや、クールに見えて激情型のシグナムは元より、シャマルやザフィーラも情に篤い。

その反面というか、ストッパー役としてなのか、それとも元々がそういう性格だったのか、アストラが入れ込んだ主というのはたった一人しか居ない。はやてを含めれば二人になる。

 

「今ある時間で僕にできることは………あるのかなぁ?」

「そんなのやってみないと解らないわよ。やらない想像よりも、やる努力よ。少なくとも私はそうしてるわ。突っ走って努力したことは後悔しないけれど、やらずにいた後悔はつきまとうもの。」

「いや、ほんと……アリサは9歳児の発想じゃないよ、それ。」

「それ、褒めてないでしょう。」

「とんでもない。これでも褒めてるよ。」

 

実際に褒めてる。それはアリサが口先だけじゃなくて、実行しているからだ。

歌を教わる理由だって、将来の布石と本人はあざとい理由だと思っているけれど、そんなことはないと思う。9歳にしてここまできちんと自分を確立して、見失わず邁進できることは誇って然るべきだ。

 

「僕もね、やるべきことは解ってるんだ。ずっと前からね。本当にずっと前から。たださ、それは僕にとって大事な約束を守るためでもるし、しかして、その約束を守るためには約束そのものを破らなきゃならないジレンマでもあるのさ。」

 

プログラムにとっての約束とは反故にできない。確定事項としてその身を縛る。

ただのプログラムと違う守護騎士は反故にできるが、そこにはやはりロジックエラーとして“悩み”がつきまとう。

 

「アストラも意外に莫迦よね」

「うはっ!」

 

思い悩むアストラを、アリサはこれだから莫迦はと、これ見よがしに溜息を吐いた。

 

「守った約束で誰も幸せにならないなら、そんなもの守ってどうするのよ。そんな約束する方もどうかしているけれど、約束しちゃったとしても、それが誰も幸せにしないなら破ればいいのよ。そして、堂々と約束を破ったことは宣言しちゃえば、勝ちよ。」

 

勝てば官軍、負ければ賊軍。弱肉強食の体現みたいな気炎を吐いたアリサに、流石のアストラも目が点になる。そして、笑い始める。それも腹を抱えての大爆笑。

 

「あははははは――――なるほど、確かにアリサ大先生の仰る通りだ。そんなもの破ってしまえばいい………そうだね、本当にその通りだ。」

 

暴論と言えば、暴論だが、自然と受け容れてしまった自分にも笑いが込み上げて来て、まだ笑いが止まらない。

 

だが、破れない約束だってあるのだ。

生きにくかろうが、辛かろうが、不幸になろうが、それが騎士の生き方でもある。

この国で言えば、“武士は食わねども高楊枝”と言ったところだろう。

アリサの言った事を実現するということは、これまでの生き方そのものを捨てることになる。

騎士であることを捨てるのは、アストラにとって死と同じだ。いや、死以上のものだ。

死んでも過去は残るが、過去そのものまで滅却すること。

 

(僕は、それに耐えられるのか………。)

 

そして、家族のためにそうすることができるのか。

 

「ままならないね、人生って。」

「だから、嫌な事でも後から思い返したら笑えるのよ、人間は。」

「詰まりは、生きてこそナンボかな。」

「誰か貧乏籤を引く莫迦が居てこそだけどね。」

 

それまでの会話を受けて、妙に的を得た発言をするアリサに、アストラはやはり苦笑するしかない。

高町なのは。フエィト=テスタロッサ。月村鈴鹿。あの三人にとって、アリサはお姉さんなんだろう。

 

姉。長姉。年長者として、弟妹を導く者。

望むと望まざるとそうなる。

 

 

「だったら、僕もお姉さんらしく振舞わないとね―――。」

 

 

造物主―――フォルテ。

これで、文句ないでしょう、コンチキショウ。

それで未練を断ち切り、フォルテは座っていたベンチから飛び上がって、着地する。

 

ベルカ聖王陛下が再臨されるその日まで、闇の書―――夜天の魔導書を守護する。

本来与えられていたそのプログラムに逆らうことに、禁則事項が設けられていなかったということは、そういうことだ。

 

「ホント、キャラじゃないわね。」

「それは言わないお約束でお願いしとく。」

 

考えている中身は違えども、困ってしまうほどタイムリーな言葉だった。

キャラじゃない。本当にそう思う。だから、造物主に腹が立つ。

そして、それが理解できるということはアリサも同じだ。

 

「“お互い”損な役割と性分だね。」

「………その辺は割と諦めてるわよ、私は。けれど、屈した覚えはないもの。」

「!?」

 

絶句するアストラに、アリサは続ける。

 

「私だって莫迦で夢見る少女でいられたらその時は幸せかもしれないけれど、そんな女じゃあ廃るでしょう?私の好きな人は、それで終わる女の子だって分け隔てなく守ってくれるだろうけど、私は守られるだけで満足したくないわね。」

 

アストラがして見せたように、アリサもベンチから跳ね起きる。

言葉を継げないアストラの眼を正面からじっと見つめてから、厳しい表情を崩して破顔した。

 

 

 

「貴女は、きっと正しいわ、アストラ。私が太鼓判を押してあげる!」

 

 

―――君は正しいぞ、アストラ=ボクスホール。余の信じる己を信じることだ。

 

アストラは義父だった人物の言葉を思い出しながら、道を定めた。

前の主の最後を看取った自分がケジメをつけるのだ、と。

 

 

 

 

 

 

明晰夢。

夢を見ている側が、それを夢だと理解しながら見る夢のことを言う。

恭也はそれが明晰夢であると、すぐに判断できた。

はっきりと夢に見ている場面が記憶に残っていたからだ。

 

“何時”というのは、はっきりと覚えてない。

同じように場所も判然としない。

けれども、覚えている。

人間の記憶は忘れているのではなく、思い出せないだけだと脳科学的には言われる。

しかし、真なる魔法である【幻月】を使える恭也は、その特性故に忘れることも、思い出す機能の停滞もない。もしれあれば、情報を均一化して複数の自己同位体を統御することができなくなる。

 

 

「聖王とはどんな人物だったんだ?」

 

場面はその一言から始まる。

言ったのは恭也。

 

「―――王の中の王、そして現人神だ。」

 

答えたのはディアルムド。

語る言葉にはいつもの硬質な声音に、幾重にも重なる想いがあった。

 

「私は、あの人の歩む王道をずっと一緒に歩んできた。」

 

その言葉に誇張はなく、絶対的な自負がある。

 

恭也が戦った5000年前のベルカ戦争。

ベルカ世界が他の次元世界へ侵略戦争を仕掛け、華々しく惨敗した戦争。

ミッドチルダ世界やユークトバニア世界、その他の次元世界にとってベルカ世界の比類なき工業力と技術力は邪魔だった。その総てを食い物にするため、彼らは謀略によって極右政権を誕生させ、侵略戦争へ突き進ませた。最初から、仕組まれた戦争。

ベルカ世界は、ベルカ戦争後に反動政治によって極端な民主共和制と平和主義に舵を切り、国力は急速に衰えた。

 

「『戦争しなければ食糧を得られないなら飢え死にしろ』―――当時の国会議員が本気で口にした台詞だ。平和という理想のために、人が死ぬのは戦争も飢え死にも変わらない。当時のベルカの政治家達は愚かにも、国民ではなく、平和の理想を護ることしか見ていなかった。一方で、自分達は飢えることのない生活が保障される……私は、そんな時代のベルカに生まれた。」

 

国民の殆どが貧困に喘いだ。そのせいか、ベルカ戦争から15年後に起きたベルカ事変を、国民のほとんどが支持していたほどだ。

ある者は生きる糧を得る為に世界外へと出た。ある者は生きる糧を得る為に犯罪者へと落ちぶれた。

腐敗した政治家や理想のために死を強要する政治家に支配され、逆らえば信託統治された領土の駐屯地から他世界の軍隊が治安出動と称して弾圧しに来る。

そんなベルカ世界に誕生したディアルムドは、物心つくころには両親を始めとした頼られる者もいない環境で生きていた。

 

「あの当時は何でもやった。騎士となった身では口にできないことも、な。」

 

ストリートチルドレンとして、警察ですら敵わないほどだった。

誰も触れず、誰も関わらない。猛獣に近寄ろうとする者は誰も居なかった。

 

「そんな私の前にあの方は現れた。正直言って死んだと思ったな。殺されても仕方のないことをやっていた私を、あの方は殺すどころか自分の仲間になれと言ってきた。人との関わりがないから、名前の無かった私に、名前を下さった。」

 

―――ディアルムド=ウア=ドゥヴネ。

 

その日から、獣だった少年は少しずつ変わった。

 

「あの方は、色んな話を私にして下さった。生きることや、その一つである騎士の在り方。ジョークも教えてもらったが……私にはその面白さが判らなかったがな。」

 

ディアルムドの眼は追憶に遊んでいた。

表情も緩んだ声に合わせて、どことなく幸福そうだった。

その表情を、恭也はかつて自分にも居た一族の追憶と重ねる。

同席しているクエロも幸福な頃を思い出す伴侶を微笑ましく見ている。

 

「あの方は、騎士で―――何より、生まれついて高貴な存在で、王者だった。」

 

静謐なる威。威に打たれれば、自然と跪き頭を垂れる。

努力をして身に付くものでもなければ、時間が与えるものでもない。

例えるなら、天空に輝くオーロラに誰もが心を奪われるように、理屈ではなく、本能からの“威”。

 

「何時からだったか………私も、あの方の役に立ちたいと思うようになった。それは私に限らず、自然と人が集まり、あの方の言葉に行動に心動かされた。」

 

年老いて諦めきった老人が。

スラムで酒浸りとなって酔いどれる若者が。

家族を喪い悲嘆に暮れる女性が。

絶望に沈んでいた者達が顔を挙げて、仰ぎ見た。

太陽のように存在感を放ち、北極星のように人々を導き、月のように見守る。

 

「獣だった俺は、あの方の役に立ちたい一心で騎士となった。騎士となってから、あの方の偉大さは益々大きく感じられた。思い出は美化されるものだが、それを差し引いても未だあの方の足元にも及ばん。」

 

騎士である以上に、王者であるが故に完璧だったとディアルムドは語る。

ベルカ至高の騎士として讃えられる彼をして、そうだと言われて恭也は想像もつかなかった。

 

「金色の王様―――莫大な魔力が収まりきらず金色の光となって溢れ出していたせいで、金髪に金色の瞳に見え、金色の光輝を背負っていたことから、そう謳われるようになった。」

 

その名前は因縁が深かったことから、当の本人はあまり呼ばれたがっていなかったらしい。

 

「元々、魔導士としても人間を超越した領域にあったこともあり、いつしか敵は居なくなった。戦いの場に、あの方が現れ微笑みを浮かべるだけで敵は自然とひれ伏していった。私も初めて見た時は驚いて茫然としたのを今でも覚えているよ。」

 

あの光景を見れば、誰もが納得するだろう。

その言葉は真実だと聞いた恭也も思ったのだ。

戦わずに勝つ。理想を究めた王者の姿だ。

 

「疲れ、草臥れ、絶望していたベルカの民はあの方に希望を見出し、その血統に納得し、正統なベルカを導く君主、大公として戴いた。民草を死なせる理想を唱える政治家も、他世界の軍事力も排撃した。そして、ベルカは再生した。いや、生まれ変わった。」

 

騎士の冥利につきた。民草を護ることを、祖国であるベルカを再興させることを己に課した自らの王と共に歩み、成し遂げた。

今でも新生したベルカが誕生した日の演説を、ディアルムドは一字一句違えることなく暗誦できる。

 

「『卿らが、今日の日を迎えたのは私の力ではない。ベルカ戦争に敗北してから、今日という日まで耐えた卿らの勝利だ。他国に蹂躙され、極右政権の短慮によって国土を大量破壊兵器で汚染されてもなお、立ち上がる心を忘れていなかった。私は、卿らの手助けをしたに過ぎない。卿らは、今後如何なる時があっても今日という日を忘れないで欲しい―――この日、いや、本日に至るまでの全てが、人の心が集って灯す輝きの光によって成し遂げられたのだと!』」

 

一部を身ぶりまで交えての熱演で、再現されたそれに恭也は二重に驚く。

感情の揺れ幅のないディアルムドの熱演。そして、聖王の演説内容に。

 

「それから、ベルカは王を戴く王制国家として千年王国を築いた。」

 

大破壊によって文明が崩壊するまでの実に4000年以上を王制国家として存続した。

 

「それが聖王陛下だ。名はエテルナ=ディアマント。私にとっては、父であり、兄であり、尊敬する騎士であり、尊崇する主君―――ああ、なんというか、私という存在を構成する大半と言っても過言ではない。」

 

あまりにも桁が違い過ぎて追い付けるとは夢にも思っていない。

 

「だから、私はあの方を追い掛けるのではなく、あの方に仕えるに相応しい騎士となることを己に課した。」

 

剣も、槍もひたすらに鍛錬し、立ち居振る舞いも獣だった頃など微塵も感じさせないほど洗練された。

その結果として、ベルカ至高の騎士と謳われ、自分が目標とされる側となった。

それでもディアルムド=ウア=ドゥヴネは、今は亡き王への忠誠だけを貫き、己に課した王に相応しい騎士の在り方を追究し続ける。

 

千年王国は消え去ったとしても、王を亡くしたとしても、ディアルムド=ウア=ドゥヴネは変わろうとしない。頑ななほどに、聖王陛下の騎士であろうとしている。

その在り方は限りなく純粋であり、だからこそ誰もが彼を至高の騎士として目標とする。

傭兵として戦い、今はテロリストとして戦う恭也にとって、正反対と言える。

 

「私はあの方に、ベルカの民を託された。ベルカ世界には二度と戻れないが、それでもあの方を王と仰いだ臣民がいる限り、ベルカは不滅だとあの方は言われた。私もそれを信じた。だから、ベルカの秘奥を預かる赤枝騎士団を率い、神殿騎士団、聖堂騎士団、その他の多くの騎士団を鍛えた。」

 

大破壊と、その後の動乱の中で住まうべき土地を喪い流浪する臣民を率いた艱難辛苦。

聖王という太陽であり、北極星であり、月である存在を喪った後だけに、壮絶な500年だっただろう。

その先頭に立ったディアルムド達、赤枝の騎士は、かつて聖王が演説したようにベルカの民の心を信じて戦った。

 

 

それだけに。

それだけに重いのだ。

 

この場に、ベルカ至高の騎士であるディアルムド=ウア=ドゥヴネが存在することは。

彼は言葉で語り尽くせないほど、尊敬し、尊崇し―――否、愛という名の全てを捧げる主君から、臣民を託された。それが、人生を主君にとって最高の騎士であることに捧げ尽くしてきた彼の存在理由。

しかし、その彼が一人の女性への愛のために、存在理由を、主君から託された臣民を捨てた。それが真実ではないにしろ、事実だった。

臣民を選べば、彼は愛する女性へ死を与えなければならず、それができなかったために、こうして逃亡生活を続けている。

 

「恭也、私に後悔はない。」

 

後悔は愛する伴侶と、主君への侮辱である。

言葉の裏も、瞳も、表情も全てがそう物語っていた。

 

「私が騎士になる時、あの方は言われていた―――『獣から、騎士になって、いつか君が人としての幸福を自らの手で掴んでくれることを私は望んでいる。その時は、私も心から祝福しよう。君は私にとって息子で、弟で、親愛なる騎士なのだから。』」

 

その言葉が背中を押してくれた。

ディアルムドは隣に座るクロエへ顔を向ける。彼女は暗さなど感じさせず、全てを承知していると微笑みを返す。そこには紛うことなく、幸福がある。

 

「騎士としては不忠を詫びねばならんだろう。無有何の里にて、な。」

 

騎士であることが全ての男にとって、ケジメはつけたいのだろう。

恭也は自分が同じ達に立つとしたら、決意できるだろうかと考える。恭也にとって、御神の、不破の剣を捨てることと同じだ。今も瞼の裏に記憶している人達―――美影、一臣、琴絵達一門と、幾百年と積み重ねられてきた想いの継承を。

できるともできないとも言えない。ディアルムドは選択したのだ。最愛の女性と、それまでの人生全てを秤に掛けて。

 

(―――私は、正直な気持ちを言えば、ディアルムド様になら斬られても良いと思っていました。)

 

かつて、事情を初めて知った後、自分の死を語っていると思えないほど澄み切った笑みを浮かべて、クロエはそう言った。

クロエもまた、ベルカの名門中の名門の生まれであり、ベルカに尽くすことを教育されて育った。幼子だった頃から、ベルカを率いていたディアルムドと望外だった伴侶の契りを交わせただけでも幸福だった。

彼女は聡明だからこそ、ディアルムドが聖王と過ごした日々を想い、聖王を喪ってからの覚悟へ心寄せることができた。伴侶が聖王陛下への忠誠を貫くためなら、喜んでその身を捧げることができるほどに。

 

「一度始めたのだから、後戻りは……できんよ。私はクロエと、そしてこの娘を永遠に護り続ける。」

 

夫の苦悩を全て承知して、捧げられた愛よりももっと深い愛を返そうとする妻。

ディアルムドはクロエの大きくなり始めたお腹へ手を当てる。

 

「まだ、女の子と決まったわけではありませんよ。男の子でも良いのに、どうしてそう決め付けるんでしょうね。」

「いや、どうしてと言われると―――直感というか、どういうわけかそうとしか思えんのだ。」

「まあ、どちらにしろ、注ぐ愛情に変わりがないのなら、好きに言わせておくことだ。」

「ええ、私も諦めました。」

 

仕方ない人だと笑う恭也とクロエに、ディアルムドは押し黙るしかなかった。

今のディアルムドはベルカ至高の騎士ではなく、ただ愛する妻と、これから生まれる我が子を想う唯の人だった。

 

恭也は目を細める。

二人の幸福は護られるべきものだ。

穢れた剣かもしれないが、自分の力が護ることに寄与できるならば全力を賭そう。

恭也は自分の首から提げている光を喪ってしまった指輪を服の上から握る。

もう二度と失わせないはしない。半身を喪う痛みは、愛の深さと比例するのだ。

 

「余計なことかもしれないが、改めて俺も手伝わせてくれ。」

「ああ、こちらこそ頼む。」

 

 

 

そうだ、この時、握手を交わしたのだ。

その後のことも全て鮮明に思い出されて、映像となって混在する。

 

 

どうやら、意識が覚醒を始めたらしい。

 

 

 

 

明晰夢からの目覚めはお世辞にも良いとは言えなかった。

まず目に入ったのは知らない天井で、それでもどこかはすぐに解った。

自宅では有り得ない。そして、以前はよく見上げていた。

 

「病院の、ベッドの上か………。」

 

夢の中と違い、声を出すのも億劫だった。

 

「そうか………ついに、バレたか。」

 

守護騎士達は知っている。

しかし、それでも入院はしなかった。

こうなったということは………。

 

「はやてに知られた以上は、終わりが始まる。ここが潮時だな。」

 

ベッドのサイドテーブルに置かれた日付表示機能付きの時計を見る。

日付は12月24日の未明を示していた。皮肉なことに、聖誕祭の前日だった。

 

「ディアルムド―――俺は、最後まで約束を果たす。」

 


あとがき

 

最近涙腺が弱くなったのか、やたらと泣かされます(挨拶)。

この時期になって、部屋の片づけを始めたところ、お約束で本を読み始める。1巻目から。

真女神転生のTRPGリプレイである「退魔生徒会シリーズ」はお勧めです(宣伝)

 

田中芳樹作「銀河英雄伝説」は「衆愚政治に陥ることがあっても民主共和制は最高の専制君主に統治される君主独裁制に勝る」ということも書きたかったそうです。個人的な批評なので、絶対にそうだという結論ではありませんが、そもそも最高の専制君主のモデルであるラインハルトが、最高の専制君主たり得ないので前提条件が既におかしいのが最大の欠点と思ってます。

歴史上、国を富ませた国民が豊かになったかは別として)専制君主は山のように居るというか、そっちの方が多いです。

統治責任を放擲した皇帝と、私利私欲で国家を崩壊へ向かわせる門閥貴族。国会の制度も人も疲弊しきっている。そこに颯爽と現れる野心に溢れ、才能と美貌に恵まれた若き天才ラインハルト。彼は最愛の姉を寵姫として奪った皇帝と、腐敗した帝国、腐敗させた貴族を憎悪して、全てを一掃するために簒奪を目論見、果てには人類の最高権力者になりたいと願い、行動する。

対して、帝国の君主独裁制に反発した共和主義者は新たに国を興して自由惑星同盟を建国して、150年に渡って戦争を続ける。同盟に生まれた冴えない風貌と無気力な態度ながら、軍略においてはラインハルトを凌駕するヤン。

二人が対決しつつ、ラインハルトによって統一された人類は、彼の死後も盤石の統治システムを築くため、ヤンの後継者であるユリアンの進言により、立憲君主制に至る。つまりは、主権は皇帝にあっても、最終的には民主共和制こそが何時までも平和を維持する最高の政治システムであることを残して幕引きとなる。

 

これ、上述した通りラインハルトは最高の専制君主じゃないのが欠点。

そもそも、作中において最高の専制君主を定義付ける話がどこにもない。最初からラインハルトが最高の存在からスタートしている。田中氏は「能力的には天才だが、情緒不安定で、専制君主だから誰に遠慮することなく自分の感情の赴くままに行動することが許される」という枠を設けていたようですが。

結果的に、彼は兎に角、傲慢で我侭で、人に能力を見せびらかして認めてもらわないと気が済まない、最初から私利私欲の塊だった。俺の国だから経済も軍事も政治も全部上手くいかないと納得しないけれど、全部上手くいくと退屈だから部下に反乱を起こさせる。

 

そんなもんはただの暴君です。けれども、作中ではラインハルトはひたすらに礼讃される。

銀河と人類が統一されれば、不要なのだ。そんな暴君は。独裁者の鑑であるケマルに謝れ。

 

 

なんでこんなどうでも良い小難しい話になるかと言うと、ベルカ聖王は暴君ラインハルトへのアンチヘイトな気持ちをぶつけたキャラだからでしょうか。

原作で聖王教会とか神格化までされている時点でどうかと思っています。しかも、原作では結局のところ聖王って何だったのか曖昧ですし。ヴィヴィオは聖王の一族の最後の皇女であって、聖王そのものではないみたいなので。

なので、聖王陛下は私のリリカルシリーズでは本話の通りのキャラクターになります。

エースコンバットユーザーの方にとっては、ニヤリとしてもらえれば良いですね。

 

それでは、長くなりましたが次回、またお会いしましょう。




嵐の前の静けさ、って感じかな。
美姫 「確かに、今回は大きな動きはなかったわね」
でも、個人個人には色々とあったけれどな。
美姫 「改めてアリサって凄いと思ったわね」
だよな。いやー、凄い子だよな。ただ賢いっていうのじゃなく、聡明というか。
美姫 「アリサのお蔭でアストラも決意できたみたいだしね」
それぞれに戦う理由を持ち、いよいよって所か。
美姫 「次回も楽しみです」
待ってます。



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