第15話 海
――その日は朝から快晴だった。
照りつける陽射しは白く眩しく、それを受けて煌めく水面が映す空に雲はない。
絶好の海水浴日和とはこのことで、浜辺は大勢のカップルや家族連れで賑わっていた。
蓉子が案内した場所は所謂穴場という奴で、それらの喧騒からは僅かに死角になっていた。
なるほど、確かにこれなら他人に邪魔されることなく、のんびりと寛ぐことが出来そうだ。
パラソルを立て、砂の上にレジャーシートを広げると、優斗はその上にごろりと転がった。
「泳がないの?」
「少し休ませろよ。これ、ここまで運ぶの結構大変だったんだからな」
怪訝な顔で尋ねる蓉子に優斗は頭上の傘を指差しながら疲れたような顔でそう言った。
「しょうがないわね。じゃあ、あたし、先に行ってるからね」
「ちゃんと準備運動してからにしろよ」
「わかってるって」
はしゃいだ声でそう答えると、蓉子はだらしない幼馴染を残して海の方へと駆けていった。
その後姿を優斗は首だけを軽く持ち上げた格好で見送る。
あんなふうにはしゃぐ蓉子の姿を、優斗はずいぶんと久しぶりに見たような気がする。
例の事件のこともあって、このところ彼女はずっと元気がなかった。疲れていたのだろう。
無論、共に働いていた優斗とてそれは同じである。
あれから何度か気配を感じたものの、彼らはついにその姿を捉えることが出来なかった。
蓉子の委任調査は昨日が最終日であり、調査終了とともにその権限は組織に帰されている。
従って、その彼女に頼まれて手を貸していた優斗も表向きこれ以上の介入は出来ないのだ。
方法がないわけではないが、それをするといろいろと面倒な知り合いに借りを作ってしまう。
……依頼料の分は働いたし、公的機関が動くのならそれでいいだろうとも思う。
ただ一つ気掛かりなのは、自分と行動を共にしていた奇妙なクラスメイトのことだった。
退魔師だった両親を超常に殺され、敵を討つために自身も退魔の道を志したという少女。
口ではもう止めたと言っていたが、その真相は定かではない。
危険なことをしていなければいいのだが……。
「優斗、早くおいでよ。水、冷たくて気持ちいいよ〜!」
美里が海の中で呼んでいた。
「あ、ああ。すぐ行く!」
そう返事したものの、優斗はまだしばらく動けそうになかった。
体が起き上がることを拒んでいる。そんなに疲れているとは思っていなかったのだが。
しかたなく、優斗はもう一度横になった。
そのまま視線だけ動かしてあたりの様子を眺めてみる。
こうして見渡してみると、本当にここには自分たちの他に誰もいないのだという事がわかる。
目を閉じれば、聞こえてくる潮騒に海の大きさを実感することが出来た。
そこに重なる海鳥の泣き声。そして、水を掛け合ってはしゃぐ少女たちの黄色い声。
流れていく時間は騒がしくも穏やかで、優斗は久しぶりに安らかな気持ちになれた気がした。
今だけはいろいろある大変なことも全部忘れていようと思った。
こんなにも平穏で楽しい風景が、ここには当たり前のようにあるのだから。
優斗がいい気分のままうとうとしていると、不意に近づいてくる人の気配があった。
「優奈?」
目を開けると、すぐそこに優奈が立っていた。
水に濡れた美少女の水着姿はなんとも眩しく、優斗は思わず目を細めた。
「ちょっとはしゃぎすぎちゃいました。ここ、座りますね」
そう言って優奈は優斗の隣に腰を下ろす。
「美里は?」
「蓉子さんと一緒に飲み物を買いに行きました」
「そうか。俺も何か頼んどけばよかったな」
「ちゃんと優斗さんの分も頼んでありますよ。二人が戻ったらお昼にしましょう」
「ん、ああ、もうそんな時間か」
言われて優斗はようやく上体を起こした。
日は既に高く、時計を見なくても昼が近いことがわかった。
軽く伸びをしてあたりを見回してみるが、相変わらず自分たちの他には誰もいない。
……蓉子の奴、どこぞの金持ちのプライベートビーチを勝手に使ってるんじゃないだろうな。
そんな懸念を覚えないでもない。
「……静かですね」
今はもう波の音しか聞こえなくなった海を見つめて優奈が言った。
その瞳がどこか遠いところを見ているような気がして、優斗は思わず彼女の手を握っていた。
「優斗さん?」
優奈は驚いたように目を丸くして優斗の顔を見た。
「あ、ごめん」
「……いいですよ」
慌てて離そうとした手を今度は優奈の方から握ってくる。
……やわらかくて、暖かい。
優斗は不安だったのだ。いつか変わってしまうことが、わかっていても怖かった。
手が触れ合った瞬間、彼女の動物的な感性がそれを捉えていたのかもしれない。
優奈は何も言わない。
何も聞かずに優しく手を繋いでいてくれる。それだけで優斗は安心出来た。
「お待たせ〜……って、あれ?」
四人分の缶ジュースを抱えて戻ってきた美里はそんな二人の様子に気づいてきょとんとした。
「え?」
「きゃっ」
慌てて手を離す二人。
「二人ともどうして手なんかつないでたの?」
「えっ、と、そ、それは、その……」
指摘されて優奈の顔がみるみる赤くなる。
「そ、そんなことより美里、おまえ蓉子と一緒じゃなかったのか?」
「うん。でも、用事が出来たから先に戻っててって」
美里は少し困ったような顔でそう答えた。
「どんな様子だった」
「え?」
「蓉子だよ。おまえと別れた後、一人でどこかへ行ったんだろ?」
「う、うん。なんか、急に怖い顔になって。あいつ、なんでこんなところにとか言ってた」
よほど怖かったのか、美里は思い出しただけで身震いしている。
「ったく、しょうがないな」
そう言って優斗は立ち上がった。
「探してくる。おまえたちはここにいろ。いいな、絶対動くなよ」
やや強めに念を押してから歩き出す。
それにしても、一体蓉子に何があったというのだろう。
誰か、知り合いを見つけて、それが軽視し難い相手だったということは美里の話から判る。
――問題はその相手。
美里を一人で戻らせたのが、その方が安全だという判断によるものだとしたら。
嫌な予感がした。
……蓉子が気配を隠していない。
優斗は走った。
そこは二人が飲み物を買いに行ったであろう自動販売機から更に遠い。
雑把に並ぶ木の群れを抜けたその先は、気まぐれな高波を防ぐための堤防のはずだ。
……聞こえる、刃を合わせる鋭い音。戦っているのか!?
不意に視界が開けた。同時に起きた音のない爆発が、優斗の眼前を白く染める。
「うわっ!?」
思わず立ち止まったその先に、見知った少女が肩で息を吐きながら立っていた。
「蓉子!」
「あ、優斗。バカ、あんた、なんでこっち来たのよ!」
駆け寄っていきなり罵倒された。
「な、なんだよ、いきなり」
「いいから戻って。早く!」
必死の剣幕に押されて優斗は慌てて踵を返した。
すぐに体勢を立て直した蓉子がその後に続く。
「一体何があったんだ?」
「邪妖。でも、フェイクだった。あたしとしたことが、あんな簡単な手に引っ掛かるなんて」
走りながら尋ねた優斗に蓉子は悔しそうにそう答えた。
――邪妖。
関係者は妖怪、魔物の中でも特に周囲に害を及ぼす存在を指してそう呼ぶ。
それが現れたということは、なるほど先の蓉子の言動も理解出来る。
人間との共存を望むものたちにとって、それこそが最も迷惑で倒滅すべき存在なのだ。
「やるのか?」
「当然」
即答する蓉子の手には淡いオレンジ色の炎が灯っていた。
狐妖怪の得意とする妖炎、霊を焼く幻の火である。
その炎を見る限り、彼女が本気であることは疑うべくもない。
浜に残してきた優奈と美里のことが気になった。
―――あとがき。
龍一「何気にかおりの正体が判明」
蓉子「っていうか、せっかくのイベントなんだからもっといろいろ書けばよかったのに」
龍一「しょうがないだろ。これを書いているときは締め切りと原稿の枚数制限という強敵と戦っていたんだから」
蓉子「そんなの気合いと根性で何とでもなるでしょ」
龍一「ふっ、甘いな。そんなものがこの俺にあるわけないだろう」
蓉子「そうだったわね」
龍一「いや、そこ否定してほしいんだけど……」
蓉子「そういうことは読者が楽しめるものを書いてから言いなさい」
龍一「うう、浩さん。蓉子がいじめるよぉ」
蓉子「ええいっ、鬱陶しい!」
龍一「ふっ、ファイヤーボールか。そんな普通の精霊魔術など俺にはもう効かないぞ」
蓉子「永久の夢幻をたゆたいし、すべての心の源よ。尽きることなき蒼き炎よ」
龍一「あれ、何か呪文が違うような」
蓉子「我が魂より出でし力。夢幻より来たりて裁きを今ここに!」
龍一「なっ、そ、その呪文は……」
蓉子「ラ・ティルト!」
――蒼き灼炎に身も心も焼かれて滅びるがよい!
龍一「ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
蓉子「さて、おしおきも完了したところで今回はここまで。続けて次も送りますのでどうぞ」
かおりの事情も分かり、やっと念願の海水浴!
美姫 「しかしと言うか、やはりと言うか、ただでは済まなかったわね」
うぅ〜、蓉子の水着〜。
美姫 「え〜っと、とりあえず、落ち着きなさい」
おっと、それもそうだったな。
しかし、安藤さんも大変だな。
美姫 「そう? 私は蓉子ちゃんの味方かな」
こらこらこら。
美姫 「う〜ん、私も久し振りに剣じゃなくて呪文で浩をぶっ飛ばしたくなってきたわね」
いや、脈絡なさすぎ!
美姫 「とりあえず、黄昏〜、以下略」
待て! 物凄く理不…………………………。
ドゴーーーーーン!!
美姫 「あれ? 浩〜、どこ行ったの〜。ちょっとやりすぎたかしら……」