*

「……じゃあ、また明日」

 軽い調子でそう言って、いつもの別れ道で手を振った。

 あいつはそれに頷いて軽く手を挙げると、自分の家へと帰っていった。

 そんないつも通りのやり取りが何処かよそよそしく感じられるのは何故だろう。

 理由は分かっていた。

 その原因となった出来事を思い出すと思わず溜息が漏れてしまう。

 軽率だった。いや、似たようなことなら今までにも何度かあったのだ。

 妖狐である自分の体質を知ったあいつは、身を挺して何度も助けてくれたではないか。

 ――本当、どうしちゃったんだろ……。

   *

  ヒロインドリーム〜愛憎のファミリア 城島蓉子〜

  前編〜ある休日の……〜

   *

 ――それは7月に入って最初の日曜日のことだった。

 風邪を拗らせて寝込んでいた蓉子の携帯に、優斗から電話が掛かってきた。

 彼女はのろのろとした動作で手を伸ばして枕元を探ると、携帯を握って通話ボタンを押した。

「――もしもし……」

 腕を引き戻すのも億劫なようで、そのまま受話器に向かって話す。

「蓉子か?大丈夫なのか」

「これが大丈夫そうに聞こえる?しんどいんだから、手短にしてよ」

「分かった」

 声からして辛そうな蓉子の態度に、優斗はそう一言言うと電話を切った。

「……何だったのよ」

 まるで要領を得ない幼馴染からの電話にそうぼやくと、蓉子は携帯を放り出した。

 ちょうどバッテリーが切れたようで、充電を催促されたが蓉子は無視した。

 誰かから掛かってきたところで、こんな調子ではまともな対応など出来ようはずも無い。

 相手に不快な思いをさせても悪いし、そもそも電話に出ること自体が億劫だ。

 ごろんと仰向けになると、蓉子は布団を顎のすぐ下あたりまで引き寄せた。

 体調が悪いときはさっさと寝るに限る。

 本当は何か食べたほうが良いのだろうが、そのためにはキッチンまで行かなければならない。

 更にすぐに食べられるものがあれば良いが、そうでなければ自分で作らないといけないのだ。

 この状況でそこまでする体力はないし、気力も湧かなかった。

 こういうとき、一人暮らしというのは不便だ。

 家族か同居人の一人でもいれば、頼んで何か作ってもらうことも出来るだろうに。

 ――あいつ、お見舞いに来てくれないかな……。

 先程の電話が脳裏を過ぎる。心配してくれていたようだが、結局用件は何だったのだろう。

 案外、本当にお見舞いに来てくれるつもりだったのかもね。

 自分のことにはだらしないくせに、他人のことになるとやたらと気が利く奴である。

 もしかしたらなんて思っていたら、彼は本当にやってきた。

 インターフォンが鳴って、耳慣れた声が聞こえたときには心底驚いたものだ。

 突然のことに蓉子が慌てていると、ドアがノックされて優斗が顔を出した。

「調子はどうだ。……って、聞くまでもないか」

 布団の上に上半身を起こした蓉子の顔を見て、勝手に納得する優斗。

「もう、女の子の寝室に断りもなく入ってこないでよね」

「ノックなら、したぞ」

「あたし、返事してないよ」

 蓉子は軽く唇を尖らせて抗議するが、優斗は気にしたふうもない。

 そもそも既に遠慮するような間柄でもないのだ。

 蓉子も言ってみただけである。

「はぁ、それで、今日はどうしたの?」

「見舞いに来てやったんだよ。さっき電話したときおまえ、すごいしんどそうだったから」

 そう言って優斗は持ってきたコンビにの袋を掲げてみせる。

「…………」

「蓉子?」

「えっ、ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしちゃってたみたい……」

 無反応な蓉子を見て怪訝な顔をする優斗に、彼女はそう言って照れ笑いを浮かべる。

「大丈夫か。しんどいんなら、横になってたほうが良いぞ」

「ありがと。でも、朝からずっと横になってたから背中が痛くて」

「そっか。まあ、無理はするなよ。辛くなったらすぐ休むんだぞ」

 真剣な表情でそう言う優斗に、蓉子は思わず笑ってしまった。

「何だよ」

「別に。ただ、いつもと逆だなって思って」

 憮然とした表情で尋ねる優斗に、蓉子はそう言って嬉しそうに笑みを浮かべる。

「まあ、こんなときくらいはな」

 照れ臭いのか、優斗は人差し指で頬を掻きながらそう言った。

「でも、正直助かったよ。ちょっと起きるのもしんどいくらいだったから」

「そんなに悪いのか?」

「油断してたのよね……。風邪なんて本格的なのは小さい頃に一度きりだったから」

 そう言って熱そうな吐息を漏らす蓉子の顔は、まるでリンゴのように真っ赤だ。

 妖狐である彼女は人間に比べて邪気に対する耐性が高く、滅多なことでは病気にはならない。

 反面、体調を崩したときには人間と同じ薬を使えないことが多いので対応に困るのだが。

「熱、計ったほうが良いんじゃないか?」

「そうだね……。えっと、体温計、何処やったかな……」

 言われて適当に枕元を探る蓉子。だが、手の届く範囲にそれらしいものはなかった。

「リビングのテーブルの上じゃないか?ほら、おまえよくそこで計ってたろ」

「あー、たぶんそこだよ。昨夜もそこで計ったような気がするから」

「よし、ちょっと待ってろ。取ってきてやるから」

 そう言って立ち上がると、優斗は部屋から出ていった。

「ほら、持ってきたぞ」

 数分もしないうちに戻ってくると、優斗は蓉子に体温計を差し出した。

 だが、何故か蓉子は受け取ろうとしない。

「どうした?」

「優斗が計って」

「はぁ、それくらい自分で出来るだろ」

「世話してくれるんでしょ。今度何か埋め合わせするからさ」

 そう言って顔の前で手を合わせる蓉子に、優斗は呆れつつもそれを承諾した。

「しょうがないな。ほら、計ってやるから前開けろ」

「えっ?」

「そのままじゃ入れられないだろ。それとも、他のところで計ってほしいのか」

「ほ、他のところって何処よ!?

「口とか。後、直腸ってのもあるな」

 そう言って、優斗はチラリと蓉子の下半身へと目を向ける。

 真顔で言っているあたり、特に深い意味はないのだろう。彼は事実を言っているだけだ。

 ちなみに、口で計る体温を口腔温、直腸は直腸温という。

 これらは一般的に腋の下で計る体温(腋下温)よりも高いとされている。

 具体的には口腔温は腋下温より1度高く、直腸温は口腔温よりも更に1度高いのだ。

 腋の下以外で体温を計る場合は上記のことを考慮して平熱か否かを判断してもらいたい。

 蓉子は熱で赤い顔を更に赤くすると、黙ってパジャマのボタンを外し出した。

 ――1つ、……2つ……。

 と、3つ目に手を掛けたところで蓉子はふと手を止めた。

「ちょっと、何処見てるのよ!」

 胸元へと注がれる視線に再び顔の温度を上げると、蓉子は彼の手から体温計を引ったくった。

「やっぱり自分で計る」

 そう言って腋の下に体温計を挟むと、胸を庇うように自分の身体を抱きしめる。

 本当は睨んでやりたかったけど、視線に力を込めるほどの元気も今の彼女にはなかった。

 優斗はバツが悪そうに頬を掻きながらあたりに視線を彷徨わせている。

「このエロ優斗。そんなにあたしの身体にエッチなことしたいわけ?」

「なっ!?バカ、そんなんじゃないよ」

「どうだか。お見舞いだなんて言って、本当は抵抗出来ないあたしを襲いにきたんじゃないの?」

「そこまで落ちぶれちゃいないさ。おまえこそ、無闇に挑発するような真似は止めとけ」

「だ、誰が……」

 大声を上げようとして、蓉子は思わず頭を押さえた。酷い頭痛だ。

 頭痛薬の一つも飲めば楽になるのだろうが、先述したように彼女に人間の薬は使えない。

 妖怪用の薬というのもありはするのだが、あいにくと今はストックが切れているようだった。

「で、結局何度だったんだ?」

「……394度」

「しんどいはずだな」

「な、何の、これしき……」

「心配するな。普通に冷やさないとまずい温度だ」

 痩せ我慢をする蓉子の手から優斗が体温計を取り上げる。

 元々、狐の体温は人間よりも高めではあるが、それでもさすがにこれは辛い数値だ。

 体温計をしまって立ち上がる優斗を、蓉子が焦点の定まらない目でぼんやりと見上げる。

「……何処行くの?」

「言ったろ、冷やさないとまずいって。ちょっと勝手に使わせてもらうぞ」

 そう言って再び部屋を出た優斗は数分後、タオルと洗面器を持って戻ってきた。

 水を張った洗面器に氷を入れ、その氷が少し溶けるのを待ってから、タオルを絞る。

 冷たく絞ったタオルを額に載せると、苦しそうだった蓉子の表情も幾分か和らいだようだ。

「ごめんね。せっかくのお休みなのに……」

「気にするなって。いつもは俺たちのほうが世話になってるんだ。それに……」

「それに?」

「い、いや、何でもない。……タオル、換えるな」

「変な奴……」

 ごまかすようにそう言ってタオルを絞る優斗に、蓉子の口元に笑みが浮かぶ。

「何か適当な薬、……バイタルゲンでもあれば良いんだが」

「えー、嫌だよ。だって、あれ坐薬でしょ」

「人間用の解熱剤だってそうだぞ」

「他にもあるでしょ。ワナコーウとか、普通に飲む奴が」

「いや、それは塗り薬だ。しかも痒み止め」

 熱のせいか見当違いなことを言う蓉子に、優斗が思わず冷や汗を浮かべつつ訂正を入れる。

「はぁ、良いからもう寝ろ」

「えー、眠くないよ……」

「しょうがないな。良いもの作ってやるからちょっと待ってろ」

 そう言って三度腰を上げる優斗。こういうとき、普通に言っても聞かないのは承知の上だ。

「これ、何?」

「玉子酒だ。風邪引いてるときにはこれに限るんだ」

「へぇ……」

「ほら、飲めよ。暖まるぞ」

 そう言って湯飲みを差し出す優斗に礼を言って受け取ると、蓉子はそれを一気に呷った。

「あ、本当だ」

「な、悪くないだろ。後は一眠りすれば風邪なんてすぐに良くなる」

「うん。あ、でも、ちょっと熱すぎるかな」

 そう言って蓉子は、開いたままだった襟元をぱたぱたと動かす。

「こら、女の子がそんなはしたない真似するんじゃない」

「あはは、あんたの口からそんな言葉聞くなんて思わなかったよ」

「目のやり場に困るんだよ。良いから大人しく寝てろ」

 出来るだけ視線を逸らしつつ、優斗はそう言って半ば強引に蓉子の身体を横たえる。

 その際掴んだ肩は意外なほど華奢で、鼻腔を擽る彼女の体臭と相まって彼に女を意識させた。

「……優斗?」

「わ、悪い……」

 そう言って肩から手を放したものの、優斗はそれ以上動くことが出来なかった。

 そのまま熱で潤んだ彼女の瞳をじっと見つめてしまう。

 どれくらいそうしていただろうか。不意に蓉子が首を伸ばして、優斗にキスをしてきた。

 ほんの少し首を持ち上げただけ。それで事足りる程に二人の距離は近かった。

「ねぇ、優斗……。あたし、汗かいたほうが良いんだよね」

「あ、ああ、そうだな……」

 唇を離した蓉子にそう言われ、優斗は戸惑いながらも頷いた。

「じゃあさ、優斗の身体で暖めてよ」

「なっ!?お、おまえ、自分が何言ってるのか分かってるのか」

「何今更慌ててるのよ。前はよく一緒に寝てたじゃない」

「いつの話だ、それは」

「良いから、早くしてよ。あたし、もう我慢出来ないんだから」

 完全にスイッチが入ってしまった声でそう言うと、蓉子は優斗の腕を掴んで引きずり込んだ。

 後に優斗は語る。蓉子に酒は禁物だと。

 ――数時間後……。

 夕日の差し込む蓉子の寝室で、優斗は彼女の身体をタオルで拭いていた。

 大量に汗をかいたおかげか、蓉子の表情は大分すっきりしたものになっている。

 ただ、その原因を考えるとどうしても熱とは違う理由で顔が熱くなってしまうのだが。

 時折自分の身体を拭いてくれている彼の顔を見ては、困ったように眉根を寄せる蓉子。

 その仕草は実に女の子らしくてかわいいのだが、優斗は決してそれを口にしたりはしない。

 そんなことを言った日には、彼は間違いなく彼女に蹴飛ばされてしまうからだ。

 それも照れ隠しではあるのだが、分かっていてわざわざ痛い目を見るのは御免である。

「あー、その、何ていうかな。……ごめん」

 沈黙に耐えかねたのか、蓉子が歯切れ悪くそう言った。

 彼と関係を持つのは何もこれが初めてというわけではない。

 お互いに獣の血がもたらす衝動に悩まされる身だ。

 強すぎるそれを鎮めるために協力し合うのは、寧ろ珍しいことではなかった。

 だが、今回のは違う。

 口では我慢出来ないと言ったものの、その衝動は本当に危険なものとは比べるべくもない。

 言ってみれば、それは蓉子のわがままだ。

 そんな事すれば、済し崩し的に堕落した関係になりかねないことは彼女にも分かっていた。

 優斗も気づいているだろう。だから、蓉子は謝った。だというのに、この男は……。

「身体のほうはもう良いのか?」

「えっ、あ、うん。おかげ様で大分楽になったみたい」

 ぶっきらぼうな口調でそう聞かれ、蓉子は少々戸惑いながらもそう答えた。

「じゃあ、着替えてこい。いつまでもそんな格好でいたら、ぶり返しちまうぞ」

「何よ、こんな格好にしたのは優斗じゃない」

「良いから早く行け。シーツ、替えておいてやるから」

 照れ隠しなのか、バスタオルを押し付けると優斗は追い立てるようにそう言った。

「分かったわよ。もう……」

 何となく理不尽さを感じつつ、押し付けられたバスタオルを身体に巻いて立ち上がる蓉子。

 それが不器用な彼なりの気遣いであることは、分からなくもないのだが。

 脱ぎ散らかしたものを拾い集め、部屋を出て行こうとして、彼女は一度足を止める。

「優斗……」

「ん?」

「その、ありがとね」

 こちらも照れ臭いのか、わざと素気無くそう言うと、蓉子は部屋を出て行った。

 ――それは夏本番を前にしたある日曜の出来事……。

   *

 ―― fin ――

   *



  あとがき

龍一「というわけで、新企画スタート!」

蓉子「ヒロインドリームって、何かそんなタイトルなかったっけ?」

龍一「さぁ、あったような無かったような」

蓉子「はっきりしないわね」

龍一「まあ、良いじゃないか。それより、今回の企画なんだが」

蓉子「あんたの作品に出てるヒロインとエピソードを組み合わせて短編を作るのよね」

龍一「その通り〜」

蓉子「で、その第1弾があたしってわけね。一応、理由とかあるの?」

龍一「いや、最初は本編で出番の少なかった子を救済しようと考えた企画だったんだけど」

蓉子「ふーん。でも、別にあたしの出番って少なくもないと思うんだけど」

龍一「ほら、おまえ、夜上さんの作品にゲスト出演させてもらってるだろ」

蓉子「うん」

龍一「で、だ。そのお礼を何かしないとって思って、どうせなら蓉子ネタでと思ったわけだ」

蓉子「なるほど。で、本音は?」

龍一「済みません。夜上さんの蓉子を見てたら、何か書きたくなってしまったんです」

蓉子「最初の顔見せシーンに触発されるってのもどうかと思うけど」

龍一「ゲスト出演のお礼がしたかったってのは本当だぞ」

蓉子「はいはい」

龍一「というわけで、いかがだったでしょうか」

蓉子「よくある日常のお話ですけど、楽しんでいただければ幸いです」

龍一「今後ともうちの蓉子をよろしくお願いします」

蓉子「お願いします〜」

二人「ではでは」

   *

 





新企画SS〜。
美姫 「第一弾という事は、第二第三とあるのかしら」
さあ? ともあれ、蓉子の出番〜。
美姫 「蓉子お気に入りのアンタとしては、喜びこそすれ、ね」
うんだ、うんだ。
安藤さんありがとうやした〜。
美姫 「それじゃあ、後編で〜」



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