『マリあんぐるハート異聞 〜紅黄白黒の四薔薇さま〜』




私立マリとら学園………。

明治34年創立のこの学園は、もとは華族の令嬢のために作られたという、伝統ある学校だった。

しかし近年、高等部からは男子生徒の入学も認められ、より一層活気が溢れた。

最大の特徴はスール(姉妹・兄弟)制である。

上級生が下級生に姉妹の契りの儀式を行い、ロザリオを授受するといったシステムである。

姉(兄)になった先輩は妹(弟)の指導を行うのである。

これは、共学化と言う流れにあえて乗った上村佐織学園長の英断若しくは道断の果ての物語である。





マリあんぐるハート異聞 〜紅黄白黒の四薔薇さま〜


A spiral encounter



    波乱万丈な火曜日  Episode B 「Border」



     1



 古今東西、噂の伝わるのは早いもので。
 翌日の昼までにはマリとら学園の生徒全部が、祐巳が祥子さまを振ったという事実を知っていた。それはつまり、祐巳の弟とである祐麒のクラス、一年菊組においてもその話題で持ち切りという訳で―――
「どう言う事だよ、ユキチ!?」
「知るか。俺が聞きたいぐらいなんだから!」
 まさか一日で此処まで広がるとは予想だにしていなかった。大方、あの一癖も二癖もある薔薇さま方がリークしたと言う所だろう。もしくは、静さまが面白がってという可能性も無くは無い。
 部外者と言う事で口出ししなかったが、せめてこういう事態にならないようにだけは手を打つべきだった。とは言え既に後の祭りで、それこそマリとら瓦版に記事を掲載するぐらいしか事態を完全に収拾する手段は無いだろうし、それとて完全では無いだろう。祐麒は潔く諦めて、クラスの惨状に思いを馳せた。
 一年菊組に於いて、この一大事に対する反応は大まかに分けて5パターン。勿論個々に違いがある訳だが、こと小林の下した分類だから間違いは無いだろう。
 1.幼稚舎から中等部までで祐巳と同じクラスになった事がある女の子達を中心とした、何かの間違いだろうとする消極的否定派。
 2.幼稚舎から中等部までで祐巳と親しくなった事がある女の子を中心とした、割合にすれば極も少数な消極的賛成派。
 3.祐巳を知らず、噂の成否はともかくあの祥子さまがあの藤堂志摩子の後に目を付けた程の人材を一目見ようと、短い休み時間に出掛ける行動力に富んだデバガメ派。
 4.はしたない真似は出来ないけど、噂は十分に気になるからと、クラス一の有名人にして黄薔薇のつぼみの妹たる島津由乃嬢に話し掛けたそうにしながらも中々行動出来ない静観派と言うか優柔不断派。
 そして最後、5.祐麒と祐巳の関係を知っている男子連中とアリス(本名:有栖川金太郎)のお友達による、小林を筆頭に祐麒を文字通り問い詰める尋問派だ。
「でも、祥子さまが祐巳さんにスールの申し入れをしたのかどうかぐらいはユキチも知っているのでしょう?」
「そうそう、それぐらいは教えてくれても罰は当たらないだろ?」
 アリスの援護を受けて小林が図々しくも寝言を口にするが、「ノーコメント」で突っぱねる。これだけ大声で騒いでいれば当然クラスメイトの視線や注意も集まる訳で、そんな中でうっかり口を滑らす訳にも行かない。授業開始のチャイムがこれほど待ち遠しかったのは、いつ以来だろうか。
 一生懸命授業する教師を他所に、祐麒は約一歳違いの実の姉に思いを馳せた。噂に鰭が付くのは避けられないから、休み時間毎に騒ぎは大きくなり、昼休みに一つのピークを迎えるだろう。意外と鈍くさい所がある祐巳の事だから、新聞部にでも捕まったら逃げ出せずに根掘り葉掘り聞き出されるに違いない。そうなると一番被害を受けるのは当然祐巳な訳で―――
「少し良いかしら?」
 四時間目が終ると同時に慌しく教室を出ようとすると、背後から声が掛かった。
「………よ、由乃さん?」
 祐麒は驚愕から立ち直れずに声を震わせた。昨日薔薇の館で顔を合わせて軽く会釈したとは言え、今までほとんど話した事の無かった、小林曰く「正に高嶺の花だね」だ。全体的に小柄で可憐な容姿、それに心臓に抱えた爆弾とあわせてどこか儚く見える立ち振る舞いの黄薔薇のつぼみの妹。彼女の椅子には、手作りらしきクッションが敷かれ、同じく手編みらしい膝掛けを掛けながら読書している様などは正に『可愛らしい女の子』で、密かに祐巳と較べたりしているのは内緒だ。そんな彼女から声を掛けられたのは初めてだった。由乃嬢の後ろでは、野郎どもが驚きのあまり静まり返っている。
「私はただのメッセンジャーだから、そんなに身構えないで」
 由乃さんは和やかな笑顔を浮かべ、傍からは他愛も無い雑談をしているように見せると、小声で素早く言った。でも、祐麒はその台詞に更に身を硬くした。メッセンジャーと言う事はつまりメッセンジャーで、つまりは―――
「……だれからの?」
「勿論静さまからの。付いて来て下さる?」
「うぁ……」
 さーっと血の気が引いていった。予想通りと言えば予想通りの答え。ただし昨日の朝の出来事に始まり、尊敬以上にちょっとした苦手意識を持ってしまっている人からのお誘いと言う事で、先程まではあれほど気に掛けていた祐巳の事もすっかり忘れてしまったのは仕方ない事だろう。―――ちなみに、祐麒が姉の顔を思い出したのは午後の授業が始まってからだった。
 由乃さんは話は終わったとばかりに歩き始めている。お陰で周りからは必要以上に注目される事態は避けられたが、状況は何も変わっていない。邪悪な笑みを浮かべて近づいてくる野郎どもの追及の手を逃れ、祐麒は慌てて由乃さんの背を追い掛けるのだった。
 由乃さんが案内してくれたのは、校舎から離れた建物。品の良い造りと住人達の影響だろうか。薔薇の館は昼休みの喧騒とも無縁の空間。今朝からの騒ぎは此処が発信地だと言うのに、本当に静かだ。
「由乃さんは、毎日ここでお昼を食べてるの?」
 階段を昇りながら、ようやく祐麒は声を掛ける事に成功した。
「学校に来ている日は大体そうね。ここなら天気も関係無いし」
「あ、ごめん……」
 毎日なんて、あまりにも無神経だった。クラスメートなのだから、由乃さんがときどき学校を休んだり遅刻や早退をするのは知っていた筈なのに――
「いいのよ、気にしないで。病弱なのは祐麒さんの所為ではないんだもの」
 そうは言われても、自己嫌悪に陥るのは避けられそうに無かった。穴があったら入りたいとはこの事だろう。二の句も繋げない。これからあの黒薔薇のつぼみと会うと言うのに、こんな調子じゃまた謂い様に弄ばれそうだ。
 祐麒が一人で悶々としていると、横からクスクスと笑い声が洩れ聞こえた。顔の向きを変えると、由乃さんが右手を口の前に当てて忍び笑いしている。それは階段を昇りきるまで続いて、
「祐麒さんて、良い人ね」
 そう言い残して、由乃さんはビスケット扉を先にくぐった。女の子からの『良い人』なんて、実際問題誉め言葉に受け取れないと言うのが年頃の男子としては正直な所。でも、そんな事が気にならないぐらいに良い笑顔で言われたから、素直に喜んでしまった祐麒だった。


          *


 早すぎもせず遅すぎもしない速さを心掛けて入った部屋の中は、やはり華やか。
 案内してくれた由乃さんにその姉である黄薔薇のつぼみである令さま、そしてそのまた姉である黄薔薇さまと黄薔薇ファミリーが揃い踏み。紅薔薇ファミリーと白薔薇ファミリーは不在のようだが、黒薔薇さまの所は二人とも揃っている。
「いらっしゃい、祐麒さん。お呼び立てしてごめんなさいね」
 最初に口を開いたのは黒薔薇のつぼみの静さま。続いて由乃さんに向けて「使い立てしてごめんなさいね」と礼を言う。礼を言われた方はと言えば、軽く頷き返して姉の方を向いている。素っ気無さではなく親しさゆえの素振り。それぞれの薔薇ファミリーに限らず山百合会幹部の仲が良好と言う噂は本当のようだと、あまり意味の無い事を祐麒は連想する。
「………それで、お話と言うのは?」
 左右に軽く頭を振って、少しでも主導権を得るべく祐麒から水を向ける。でも、そんな駆け引きが通用する相手でないのは明白だったのだ。
「立ったままでと言うのも何ですから、どうぞお座りになって。皆これからお昼なんです。祐麒さんもご一緒しましょう」
 そう言ったのは黄薔薇さまで、席を引いて座るよう勧めてくれたのは黄薔薇のつぼみ。「どうぞ」なんて掛け声付きだ。止めとばかりに目の前に置かれる黒薔薇さまが淹れたと思しき………緑茶?
 薔薇の館に緑茶。
 マリとら学園にSFと言うぐらい不釣合いに思える取り合わせだが、食事中の飲み物としては最善の部類には違いない。歯にも胃にも身体にも優しいし。
 でも問題が1つ。いつも昼食はミルクホールにあるパンをその日の気分で決めて食べている為、一緒に昼食を言われても困る。今頃はろくなパンが残って………などと思っていると、祐麒の目の前にサンドウィッチの山が置かれた。
「えっ?」
「共学化してからずっと山百合会が独自に調査して来た所、お弁当を昼食にする一年男子の割合は二割以下。月別では四月の頃が最も多く、夏休み前が最も少ない。でも不思議な事に、夏休み後は四月の次に多くなるのよね。祐麒さんはどうなのかしら?」
「あの、いや、その」
 唐突に始まった黄薔薇さまの話と、目の前のサンドウィッチとどう関係するのだろうか? いやまあ、昼食という繋がりなら確かにあるかも知れないけど、祐麒にはさっぱりだった。
「面白いのは、共学化してからも購買部の仕入れ量はさほど変化していないという点かしら。男子学生の数が少ない事も理由の一つだけど、男子学生にはコンビニ等で買った物を持参する人がいるのね。聞き込み調査の結果、飽きが来たと言う理由を上げた人が結構居たけれど、それだけでは『夏休み後』にお弁当を食べる人の数が増える理由としては弱い。祐麒さんは何故だと思うかしら?」
「だから、その」
「その謎を解く鍵として、新聞部が提出してくれた面白いレポートがあるの。マリとら学園の共学化に伴う学内カップルのパターン分析って言うタイトルなのだけど、興味は無いかしら?」
 黄薔薇さまがそう言うと、令さまがクリップで留められた紙束を渡してくれる。見覚えのあるそれは、小林が授業中にこっそりと回して来た怪文書だ。人物は全て匿名で、学年にクラス、部活も特定出来ないように配慮されては居たが、内容に変わりは無かった。ゴシップ。祐麒はその手の類が正直好きでは無かったから、眺めるだけで済ましたものだ。唯一、祐麒も記入した憶えのあるアンケートを元に統計されたデータとグラフ以外は。
「その顔だと読んだ事があるみたいね。じゃあ、一年間で最も告白が多いのは何時だか覚えているかしら?」
 夏休みとその直前。理由は統計好きな小林が説明してくれた。夏休み直前なら、断られたとしても長い休みが傷を癒してくれるから。夏休みこそ活発に活動する部活動などはその限りでは無いだろうと反論すると、そこはそれ、活発だからこそ親密になって………との事。部活をしていない祐麒には今一ピンとこなかったが、横で聞いていた高田やアリスがなるほどと相槌を打っていたからそんなものなのかと漠然と思っていたが………ってそうじゃなくて!!
「その話と目の前の食事がどう繋がるんですか?」
「別に繋がらないのよ」
 これは、何時の間にか横に立った静さまの発言。発言の殆んどを請け負っていた黄薔薇さまはと言えば………静さまの発言に呆気に取られた祐麒を見て微笑んでいる。からかわれて居たのだと気付いて席を立とうとしたその瞬間、静さまが隠し持っていたお皿を祐麒の目の前に置いた。お皿の上にはおかずが三品とサラダが綺麗に盛り付けられた上に、デザートまで付いている。まるでどこぞのランチメニューみたいだと考えていると、
「うちの母親が喫茶店をやっていて、そこの新メニューなんだ。口に合えば良いのだが」
 とは黒薔薇さまの言葉。その手元には別のお皿があり、どうやら大皿から個別に盛り付けているようだ。
 続けて静さまが、給仕さながらにメニューの説明をしてくれた。
「上から時計回りにきのこと白菜のサラダ、根菜のオムレツ、海老のフリット、鴨のロースト、干柿のムースのガナッシュコート。サンドイッチはお好みで取って貰うけど、ハッシュドビーフのがお勧めよ」
 いやだからそうじゃなくてどうしてそんなものがいまじぶんのめのまえにおいてあるのかということをききたいわけであって
「世の中にはデリバリーって言うサービスが在る事、ご存じ無い?」
 静さまのからかうような科白は止まらない。
「昨日の話では、祐麒さんはいつもミルクホールで並ぶのだと言っていたでしょ? こちらの都合で薔薇の館まで来て頂くのなら昼食ぐらいは用意しておくのが筋かと思ってお兄さまのお母さまにお願いしたら、丁度良いからって新メニューの試食を頼まれたのよ」
 でも準備が整う前に祐麒さんが来られたから、黄薔薇さまが間を繋いで下さったのよと言われては、ぐうの音も出ない。
 結局祐麒は、好意に甘えて頂く事にした。
「やっぱり祐巳さんと姉弟なのね。百面相、してたわよ」
 この黄薔薇さまの科白が、祐麒からやる気を根こそぎ奪ってしまったから。黄薔薇ファミリーと黒薔薇ファミリーも席に付き、主旨の良く解らない優雅な昼食会が始まった。
 本当にここは学園の中なのだろうかと言う祐麒の疑問を他所に、食べ盛りの身体は次々と食指を伸ばす。特に静さまお勧めのハッシュドビーフのサンドイッチなどは人の二倍も食べてしまい、やっぱり男性は良く食べるのねと黄薔薇さまにからかわれ、笑いの種を提供してしまった。
 その上舌鼓を打つだけの祐麒と違い、薔薇の館の住人達は『試食』と言う課題もしっかりこなしていたので小市民な祐麒としては肩身が狭い。サラダのドレッシングはビネガーよりも柚子のような柑橘類系のポンスの方が合うのではないかと黄薔薇さまが言えば、メインの3品はそれぞれ美味しいけど、重なるとちょっと重いかなとは由乃さんの弁。私もフリットより蒸し海老の冷菜とかの方が良かったかなと静さまがコメントし、実はお菓子作りが趣味だと言う事で祐麒のイメージを粉砕して下さった令さまは、デザートの作り方を黒薔薇さまに聞いていた。
 しかも黒薔薇さまがその質問にすらすらと答えるから祐麒が絶句していると、いつもの事なのよと静さまが説明し、でも桃子さんの味は中々出せないのよねと由乃さん。黄薔薇のつぼみとその妹は従姉妹同士で家もお隣さんと言う間柄だから、令さまが趣味に励むとその成果の大半は由乃さんの口に入るのだとか。聞けば由乃さんが教室で使っているクッションや膝掛けもメイド・イン・ロサ・フェティダ・アン・ブゥトンらしい。姉妹揃って祐麒のイメージをずたずたにしてくれたが、お陰で場の空気も和み、デザート用にと黒薔薇さまが入れて下さった紅茶に口をつける頃には随分と楽になっていた。
 食事はどれも美味しくて、その上話も弾む楽しい昼食な訳だから、本当にタダでご馳走になって良いものかと心配になったが、そんな祐麒の心情を読み取ったらしい静さまが賄賂だと思って頂戴と微笑んだ。
「賄賂………ですか?」
「そう。今日は祐麒さんにちょっとしたお願いがあってお呼び立てしたのだもの」
 団欒の一時にすっかり忘れていた。そうだ、何の為にお菓子のような扉の前で身構えたのだ。黒薔薇のつぼみたる静さまからの呼び出しを受けたからに他ならないと言うのに………
「取って食べる訳じゃ無いし、そんなに身構えないで頂戴。お願いと言うのは、祐巳さんと祥子さんとの事。ご承知の通り、学園は今朝からその話題で持ち切り。勿論そうなるように噂を広めた訳だけど……」
 悔恨の情にかられる祐麒を気遣ってか、静さまは軽い調子で話し掛けてくる。黒薔薇さまは妹の腕前拝見とばかりにお茶を啜るだけで会話に参加する気はなさそう。
「私達としても、祐巳さんの生活に支障が出るような事は望んではいないのよ。だから、祐麒さんに協力して欲しいの」
 どうやら黄薔薇ファミリーも静観の構えで、祐麒との交渉は静さまに一任されているらしい。理由は解らないが、昨日のお手並みを見る限りでは油断なら無い相手だし、褌を締めて掛からないといけない。
「……その噂のお陰で、祐巳の身辺は非常に賑やかなようですが?」
 あの場に居たのは、山百合会幹部を除けば福沢姉弟と写真部のエース武嶋蔦子さんだけ。黙っていれば今日のような騒ぎになる事は無かっただろうだから、既に祐巳の生活には支障が出ていると言っても過言では無い筈だ。
「それはそうね。でも、考えてもみて? これから学園祭までの期間、祥子さんは薔薇さま方との賭けの為に祐巳さんを妹にすべくアプローチを掛けるわ。それを目撃した人達はどうするかしら?」
 人の口に戸は立てられぬ。
 目撃情報はあっという間に人伝に伝わり、噂が噂を呼び、今日の騒ぎなど比べ物にならない事態を引き起こす事だろう。それならばいっそある程度の情報を噂として流し、主導権を握って舵を取る方が正しい選択だろう。悔しいが認めるしかない。祐麒などより遥かに真剣に、祐巳の事を気遣ってくれている事を。
「………協力とは、どういう事ですか?」
 祐麒が話を促すと、静さまは良くぞ聞いてくれましたとばかりに微笑んだ。
「昨日お兄さまが話された通り、祐巳さんが本当に嫌がるような事を祥子さんがするとは私達も思っていないわ。でも世界は二人だけで回っている訳では無いし、何が起こるか解らない。もしかしたら学園祭までの間に、祐巳さんがお兄さまに相談したいと思うような事態が起こるかも知れないけれど、お兄さまは鈍感で無愛想で無表情でこの通りきつい雰囲気の人でしょう?」
 話の途中なのに間を取って、静さまは黒薔薇さまに目をやる。妹から散々の言われような黒薔薇さまだが、確かにその表情は見分け難い。たぶん憮然としているのだろうなと思うのはあくまで祐麒の感想であってそれ以上では無い。黒薔薇さまの評判にしても、見目麗しく同性から見ても惚れ惚れするぐらいに格好良いが、あまり笑顔を見せる人ではない事から近づき難いというイメージがついて回る。最もファンに言わせれば、その気高くも厳しい様と、時折見せる微笑とのギャップがまた良いらしい。
 考えを巡らす祐麒、(たぶん)憮然とする黒薔薇さま、苦笑を堪えるのに必至な黄薔薇ファミリー(若干一名は肩を震わせているが)を他所に、静さまの話は続く。
「祐巳さんからは相談し難いだろうし、いざ相談しようと思っても忙しい人だから中々捕まらないかも知れないわ。だから祐麒さんに協力して欲しいの」
 静さまの言いたい事は解った。祐巳の事についても本当によく気に掛けていてくれているのだという事も。
 だが何故なのだろう、なんとも言えない嫌な予感が背筋を這い上がって来るのは。
「そこまではわかりました。祐巳の事を考えて万全を尽して下さってありがとうございますとお礼も言いたいぐらいです。でも協力と言われても、具体的に僕にどうしろと言うのですか?」
 言ってから後悔した。これではどんな事を言われても断われない。嫌な予感を自らの手で確信に変えてしまったのだ。
 だから祐麒は、静さまの次の言葉を聞いて拍子抜けしてしまった。
「祐麒さんには見極めをお願いしたいのよ。その代わり、祐麒さんがこれ以上は駄目だと判断した場合は山百合会が全責任を持って事態を治めるわ。どうかしら、やって下さる?」
 頷くしかない、頷く為にこそ呼ばれたのだと祐麒は理解した。「はい」と力強く頷く祐麒を見て、静さまは本当に嬉しそうに微笑んだのだ。
「よかった。じゃあ、祐麒さんも山百合会の劇に協力して頂戴ね」
「………………はい?」
「だって祐巳さんにも劇に出て貰うのだもの、祐麒さんにも出て貰わないと見極められないでしょ? あぁ、主役では無いからその点は安心して良いわよ。でも山百合会は男手が少ないから本当に助かるわ」
 助けを求めて周りを見渡すが、どうやら祐麒の味方は居ないようだった。愉快そうに笑う黄薔薇さまに、それを困ったような顔で窘める令さま。由乃さんはお気の毒様って感じで微笑んでいて、黒薔薇さまは静に首を横に振った。どことなく悲しそうに見えるのは、同類相憐れむという事だろうか?
 結局、祐麒は頭を縦に振った。
「じゃあ、これ」
 そして静さまから、数枚の紙束と台本を手渡される。
「……なんですか、これは?」
「劇の台本と社交ダンスのテキスト。ダンスの方は放課後までに頭に入れて来てね」
「えっ!?」
 劇中の舞踏会はダンス部に協力して貰って実際に踊るのよ、とは面白そうに微笑んだ黄薔薇さまのお言葉。見渡せば皆、多かれ少なかれ笑みを浮べている。それでも足掻かずにはいられないのが小市民の悲しい習性で、
「―――聞いてないですよ、そんなの」
「そうね、言って無かったもの。頑張って憶えて」
 問答無用に斬り捨てる黒薔薇のつぼみは、黄薔薇さまに負けず劣らず愉快そうに微笑んでいた。





     2



 音楽室から、グノーのアヴェ・マリアが聞こえる。
 高音パートは明らかに拙いが、それを補って余りある温かさと心地良さに溢れたピアノ演奏。ペダルによるエコーがそれに拍車を掛け、美しいハーモニーを奏でる。祐巳と祥子さんによる変則的な連弾。
 それは、唐突に終わりを告げた。
「やっぱり、だめですね。祥子さまにはついていけません」
 祐巳の声が代わりに響いた。やわらかな床に吸収されてか殆んど音はしないが、ピアノから離れたのだろう気配も感じられた。
「そう? とても気持ちよく弾けていてよ」
 祥子さまの返事に続いて、カタンという本当に小さな音が音楽室に響いた。きっとこれはピアノの蓋を閉じた音。祥子さまの気配が遠ざかっていくのも感じられた。
「じゃ、そろそろ行きましょうか」
「は!?」
「は、じゃないわよ。いったい、私が何をしにここまで来たと思っているの?」
「そういえば、祥子さまはなぜここに」
「もちろん、あなたを迎えにきたのよ。―――いい? これから学園祭までずっと、放課後は私達の芝居の稽古に付き合ってもらうわよ。それはあなたの義務ですからね」
 事態が把握出来ない祐巳の為に、祥子さまが理路整然と、立板に水の如く滔滔と説明をしているのを聞きながら、祐麒は呟かずには居られなかった。
「……で、私達はいつまでこうしているのですか、静さま?」
 理科室の隣に理科準備室があるように、音楽室の隣にも音楽準備室がある。楽器や楽譜を保管する為の場所に相応しく整理整頓された部屋ではあるのだが、ちょっと埃臭い。
「勿論、二人が出て行くまでよ。祥子さんに怒られたくは無いもの」
 小声ながらも微笑みながら言うから信用なら無い。そもそも音楽室は防音処理が施されており、隣の準備室でさえも音楽室の中の様子を伺う事は出来ない。にも関わらず祐巳と祥子さんの遣り取りが聞こえるのは、静さまがこっそりとドアを開け放ったから。
 つまり、祐麒は静さまとデバガメしている訳だ。勿論、静さまの発案。
「そんな無茶苦茶な!」
 祐巳の叫びも姉が弟の心情を代弁してくれた訳ではなく、ただ単に姉弟揃って先輩に謂い様に振り回されているだけ。山百合会幹部と小市民の福沢姉弟。昼休みにも思ったけど、勝負に成らないのは目に見えているのだ。
「無茶苦茶なものですか。お姉さま方だって、その事は承認済みよ。それに………考えてもご覧なさい? あなたはシンデレラの代役なんですからね。練習に出ないなんて事、もちろん許されるわけないでしょ?」
「代役……って。でもそれは、私がロザリオを受け取った時の話で―――」
「受け取らないという確固たる自信があるから、祐巳は練習に出ないつもりなの? だったら、私も出なくていいという理屈になるわね?」
「そんな」
 静かに淡々と理を説く祥子さまに、祐巳は防戦一方どころか太刀打ちさえ出来ていない。その様は正に立板に水と横板に雨垂れ。元々のスペックが違うと言ってしまえばそれまでだが………頑張れ、祐巳! 俺はもう諦めた。
「でも、私は練習には出るわ。『絶対』なんて言い切れる事は、世の中にそう多くはないもの。お姉さま達との賭けにしても、自信や確率はともかく、未来に待っている結果は二つに一つだもの。シンデレラをやるのは、私かあなたのどちらかしかないというのなら、私は練習するわよ。たとえ自分の自信と矛盾する行動だとしても、本番でみっともない姿を晒すよりましだもの」
「祥子さま……」
 あぁ、落ちた。長年、それこそ生まれてからずっと祐巳を見て来た祐麒には祐巳の思いが手に取るように理解出来た。次の祐巳の行動は、
「でも、そうね」
 なっ!!
 ………今の祥子さまの呟きがもう少しでも遅かったら、祐巳はきっと「ごめんなさい」と言って泣き出していた筈だ。
 これはどちらにとっての幸運だろうか。
 憧れのお姉さまに泣き顔を見られなかった祐巳?
 それとも、後輩を泣かしてしまって途方にくれなくて済んだ祥子さま?
「あなたにはあなたの考え方があるのだし、強制はしないわ。でも、私が練習する所を見に来てくれない?」
「………はい」
「じゃあ、鞄持って」
 どちらにしろ話は進み、結局祥子さまに丸め込まれたようだ。心の中で手を合わせておく、合掌。マリア様から宗旨換えしてしまいそうだ。
「どうしたの? 祐巳、いらっしゃい」
「あ、はい!」
 祥子さまの呼び掛けに答えて、祐巳が慌てて動き出す。そして祐麒の隣の人も、ドアの前へと移動し始めた。
「静さま?」
 ドアに張り付いた姿勢で、静さまは「静かにね」と告げながら手招きする。抜き足差し足忍び足と口の中で唱えながら近付いて、静さまが指差す方を見ると、
「あ」
 祐麒は図らずも、見惚れてしまった。
 祥子さまの両手が、祐巳のタイを握って形を整えている。
 まるで『姉妹』のように、親しげで美しい光景。
 タイを結び終わった時のキュッっという音がここまで聞こえてきそなぐらいに、絵になった光景だった。
 時が経つのも忘れて、祐麒は見惚れていた。気が付けば二人は仲良く音楽室を後にし、祐麒は静さまに手を引かれるままに第二体育館へ向かっていた。
「――気が付いた?」
「………あ、はい、って、あぁ!!」
 慌てて手を振り解き、距離を取る。
「あら、そんなに嫌がらなくても良いのに」
 くすくすと笑いながら、静さまは第二体育館の扉に手を掛ける。そして続く言葉で、昨日の様にまた祐麒の心を揺さぶるのだ。
「ところで、祐麒さんが見蕩れていたのはどちらだったのかしら?」
 颯爽と扉の先に消える黒薔薇のつぼみ。科白も含めて、正に映画の一シーン。
 祐麒は、鼓動が高まるのを確かに感じた。
 でも、選択肢は二つでは無く―――


          *


 来客用のスリッパに履き替えて体育館の中に入ると、薔薇さま方が「いらっしゃい」と出迎えてくれた。まだ練習は始まっていないらしく、そこかしこで談笑が行われている。祐巳と祥子さまを除く山百合会メンバーに加えて20名前後のダンス部員が居るとは聞いていたが、それにしても賑やか。そしてその中でもとりわけ目立っているのは、
「……柏木先輩?」
「やあ、ユキチ。奇遇だね」
 ダンス部の女性達に囲まれていた三人の男性の内の一人が、囲みを抜け出して近付いてきた。
 三年菊組、柏木優。黒薔薇さまと同じく共学化した年に入学された男子学生の一人で、マリとら学園非公式団体「樫の樹会」の会長だ。数が少なく肩身の狭い思いをしてる男子学生の為の相互扶助組織と言う名目で、全男子学生が強制的に会員にされている。もっとも、これまでに幾つかの改革案を(黒薔薇さまを通してとは言え)学校側に提出するなどその活動は至って真面目で健全、らしい。
 とは言え一年生の祐麒と三年生の柏木先輩が早々知り合う訳も無く、親しくなった切っ掛けは月に一度ある樫の樹会の定期会合ではない。少し前に行われた体育祭で祐麒はクラスの応援団員をやらされ、各学年の菊組からなる黄色チームの応援団長が柏木先輩だったのだ。以来何かとお世話になっていると言うかおちょくられていると言うか玩具にされているというか………
「何で柏木先輩がいるんですか?」
「それは勿論、僕がカッコイイ男子生徒だからさ、ユキチ」
 さすが通称『光の君』。こんな科白を堂々と言えるのはこの人ぐらいだ。これが嫌味にならないのは、この人の容姿と雰囲気と性格の為だろう。その上文武両道を地で行くのだから………やっぱり嫌味な人かも。
「山百合会から頼まれたんだよ。ダンスを踊れる男手が欲しいってね」
「あ、赤星先輩、ご、ごきげんよう!!」
 横から教えてくれたのは、男子剣道部主将の赤星勇吾さん。全国大会に名を連ねるほどの実力者でありながら、少しもえらぶった所が無い人だ。樫の樹会の副会長も務めているのは、男子学生だけの秘密。
「ごきげんよう。君がユキチ君だね、はじめまして。こいつに苦労させられてるんだって?」
 心底同情するよと続けながら、赤星先輩は気さくに話し掛けてくれる。噂通りの好人物で、祐麒は一目で好印象を持った。
 でも、気付いてはいないのだろうな。お陰さまで祐麒がダンス部の女性達から睨まれていると言う事は。自己紹介に始まり軽い世間話をしながら、祐麒は別の事を考える。
 マリとら学園において、山百合会幹部の人気はある種圧倒的でさえある。山百合会唯一の男性である黒薔薇さまに限らず、他の薔薇さまやそのつぼみ達も性別を問わず絶大な人気を誇る。そんな山百合会幹部に負けず劣らず人気があると言える数少ない男子生徒が、柏木先輩と赤星先輩である。何人もの女性達が見詰める先に居る黒薔薇さまと合わせてマリとら学園三銃士と呼ばれる訳だが、その事に自覚があるのは実は柏木先輩だけである。厳密に言えば、黒薔薇さまと赤星先輩は「他の二人は人気がある」とは思っていても、「自分も人気がある」とは思っていないらしい。これは柏木先輩情報だったのだが、昨日今日でその真偽が確認出来た。二人共とても良い人だが、大変鈍感である、マル。
「あの二人はね、助っ人なのよ」
 視線に耐えられなくて壁際に避難すると、打ち合わせをしていたらしき紅白黄の薔薇さま方、通称「女三銃士」の方々が説明を始めてくれた。この名称、先に述べた三銃士に対して呼ばれ始めたらしいが、当のご三方には大変不評であるらしい。マリとら瓦版に曰く、厳ついでしょうが銃士なんて。
「舞踏会と言えば男性と女性のペアで踊るでしょう? でもダンス部には殆んど男子部員がいないし、男性用のステップが出来る人も限りがあるのよね。そこで黒薔薇さまから声を掛けて貰った所、こんな豪華メンバーがエキストラとして来てくれたってわけ」
「彼らが参加してくれるってわかっていたら、劇自体ももっと派手な物にしていたわね」
 白薔薇さまに続いて黄薔薇さまが冗談めかして言うが、確かにそうだ。山百合会幹部に加えて柏木先輩と赤星先輩の二人となると、学園の有名人が殆んど揃った事になる。きっと、上演時間中は校内から人気が無くなる事だろう。
「さて、そろそろ練習を始めましょうか」
 紅薔薇さまが声を掛けると、それまでのざわつきが嘘のように静まり返った。
「事前に説明した通り、本番では二人一組が六つで一グループ。計三グループの36名で踊る事になります。舞台はここまでは広くありませんから、日を追う毎に範囲を狭くして練習して行きますのでよろしくお願いします」
「まあそんな堅い話は置いておいて、初日だから焦らずゆっくりね。パートナーの足を踏んでも謝らない止まらない。………何なら、先に互いに謝っとこうか?」
「はいはい。祥子がまだだけど、時間だし始めましょう」
 静かな体育館に前奏が流れる。少し身構えていた生徒達はクスクスと笑いながら程度な広さに散って行く。中には、文字通り頭を下げあっているペアもある。
 紅薔薇さまが空気を締めて、白薔薇さまが和まして、黄薔薇さまが締める。教科書通りの理屈だけど、実際にとなるとなかなかに難しい。それをあっさりと実践しているあたりがやっぱり凄いと、祐麒は感嘆した。





     3



 薔薇さま方は体育館の壁際に陣取り、言葉を交しながら時折指導に入る。楽をしているのではない証拠に、ダンス部の上級生にもしっかりとしたアドバイスをしている。ダンス部の部長や柏木先輩は初心者を選んで一緒に踊りながら指導してようで、超初心者の祐麒には到底想像のつかない境地である。
「ほら、余計な事は考えないで。一、二、三、一、二、三、一、二、三、一、二、三」
 静さまの先導で、祐麒は拙いながらも一生懸命に足を動かす。リードされる側の女性パートを踊る静さまにリードされるのは正直悔しいと言うか恥かしい限りだが、そんな事を気にしていたらすぐさま静さまの叱責が飛ぶ。なにより、ステップに集中しないと周りの視線が痛い。
 黒薔薇のつぼみ、蟹名静さま。薔薇さま方には一歩譲るにしても、その人気は十二分に高いマリとら学園の歌姫さま。そんな静さまとペアを組んで踊っている訳だから、主にダンス部の生徒から刺々しい視線が常時送られて来る。などと考えていると、
「あっ」
 静さまのおみ足を踏んでしまう。
「足ぐらい幾らでも踏んで良いから、ステップに集中する」
 すいませんと口の中で謝り、今度こそステップに集中する。昼休みに貰ったテキストで予習はしてあったとは言え、初めての社交ダンスである事に代わりは無い。学園祭で踊らなければならない以上、練習で手を抜く訳には行かない。時間が経つのも忘れてステップに集中していると、薔薇さま方の声が響き渡った。
「あ、祥子が来た」
「遅いよ」
 その声につられて周りと一緒になって入口を見ると、祐巳が祥子さまの後を追って体育館の中へ入って来た。視線の矢衾に直面させられて、祐巳が固まるのが解った。
 祥子さまは祐巳に何か告げてから、踊りの輪の中に入って来る。
「練習を中断させてごめんなさい。さ、続けてください」
 すると中断していたワルツが再び流れ、祥子さまは輪の真ん中で令さまと手を取り合って踊り始めた。他の生徒達同様、祐麒も少しマシになったステップを踏む。
「そう、その調子。大分良くなったわよ」
 静さまの言葉に背を押され、祐麒は始めてリードしてみる。するとその意図は十分に伝わったらしく、一瞬驚いた顔をした静さまは微笑んでリードさせてくれた。
 一、二、三。
 一、二、三。
 一、二、三。
 一、二、三。
 静さまが絶妙のリズムで付いて来てくれるから、調子に乗って実力以上のステップが踏める。祐麒がミスをしてステップが遅れると、すかさず静さまのフォローが入る。気が急いてステップが早くなると、窘めるようにブレーキが掛かる。悪戯半分に一歩を大きくすると、それを知っていたかのように付いて来てくれる。心地良い手応えを感じ、段々とダンスが楽しくなってくる。
 気が付けば音楽が止まり、振り付けの打ち合わせが始まっていた。
 静さまに度々おみ足を踏んだ事を謝り、同じ様な光景が周りでも繰り広げられている事を指摘されて周囲を見渡して気付く。黒薔薇さまの姿が見えない。
 ダンスが始まった頃は確かにいた。体育館の壁際で、薔薇さま方が四人で何か相談なさっていたのを目にしている。
「お兄さまならここには居ないわよ。居たら祥子さんの練習にならないから」
 小声で静さまが教えてくれる。どうも静さまには考えを読まれている気がしてならない。祐巳と同じく百面相しているのだろうかと考え込んだ所で、祐麒はダンスを踊らざるを得なくなった理由を思い出した。
 ダンス部の面々による絡み合うような視線の先で茫然と立ち竦む祐巳の姿。その手は白薔薇さまと繋がっており、先程までダンスの手解きを受けていただろう事が窺い知れる。
「あ、まずい。今度は祐巳ちゃんの二股説が広まっちゃうかな」
 白薔薇さまは笑いながら身体を離し、大きく片手を上げて皆に告げた。
「はーい。それでは皆さんに新しいお友達を紹介します。福沢祐巳ちゃんです。今日から群舞に参加しますから、仲良くしてあげてくださーい」
「っ――」
 珍しい。
 不意を突かれただろうにも関わらず、祐巳が声を上げなかった。自分の口を押さえているのぐらいはご愛嬌だ。
 そんな祐巳の耳元で何か囁いた白薔薇さまは、祐巳の背中を押して輪の中へ送り出す。。
「誰か、組んであげて」
 周囲が俄かにざわつく中、黄薔薇さまが面々の顔を見ながら言った。
「じゃ、私が」
 その視線を受けて、祥子さまと踊っていた令さまが手を挙げた。
「で、でもっ。令さまは、祥子さまと」
「私は代役だもの。本物の王子さまが参加されたらお役目ご免だし、祐巳ちゃんとペア組んでも問題無し」
 これは黄薔薇のつぼみの優しさだろうか。祐巳にも役が振られており、舞踏会でのパートナーが令さまだと言う事実を告げない事は。
 祐巳は困惑している。注目を浴びてしまう事は本意ではないのに、どんどん事態はエスカレートして行く。そんなどうしようもない状況に追い遣られてパニックに陥っているのは凄く良く判る。なんと言っても祐麒自身も先程経験した事だから。
 とは言え、ここで手助けする事は出来ない。下手に手を出せば余計な反感を買うのは眼に見ているのだから。だから、首謀者である薔薇さま方に非難の視線を向ける事にした。
 ………お三方は笑っていた。
 正確には微笑ましそうに眺めている。邪気の無い笑顔。あたふたする様子が可愛く仕方ないって感じで、孫娘を見詰めるおばあちゃんのような笑顔。
「何も言えなくなるでしょう?」
 静さまの言葉に、祐麒は頷くしかなかった。そして、練習は再開された。
 これまでの練習で幾分マシになった祐麒は、祐巳を観察する余裕があった。そんな祐麒を静さまも怒りはしなかったから、ステップに注意しながら祐巳を見ていた。
 祐巳は周りからの視線が気になるらしく、明らかにダンスに集中出来ていない。その上音楽にも乗れてなくて、令さまと足を踏み合いっこしている。ちなみに比率は三対一。
 そんな状況にも関わらず、祐巳の視線は祥子さまに釘付けだった。何処までも優雅に軽やかに、然れど一人で踊り続ける祥子さまは確かに見惚れるほどにお美しかったが、祐巳は令さまに怖い顔で注意されても見続けているのだから、その様子は正に恋する乙女。
「妬けるのかしら?」
「っ!!」
 それまで無言でダンスしていた静さまの不意討ち。思わず足を止めそうになるが、静さまが絶妙な合いの手を入れてくれたお陰で(恐らく)周りに悟られないだろう程度の動きで済んだ。
「あら、図星なの? と言う事は先程音楽室で見惚れていたのは………」
「違います!!」
 小声になるように注意しながらも強く否定する。ここは否定しないと不味い事になる。
「間違ってもそんな怖い事は口にしないで下さい」
「冗談だから、そんな怖い顔をしないで」
 はにかむように笑いながら、静さまがステップを踏む。祥子さまにこそ及ばない物の、華麗なステップ。リードされるがままに、文字通り振り回される。
 静さまの役所は、シンデレラのライバルとなる政略結婚候補No.1の隣国のお姫さま。でも実は護衛役の騎士と………と言う王道キャラだ。マリとら学園山百合会版シンデレラは、組んず解れつこそは無いものの、三角関係ならぬ六角関係で入り乱れる複雑な恋愛ドラマ。さぞかし見応えがある事だろうが、やらされる側の祐麒としては尚更気が重くなるだけの話。
「さぁ、もう一息。頑張って」
 考え事に気を取られて、否、気を重くしている祐麒を静さまが気遣ってくれる。歌声で無くとも、その響きは心地良い。
 気が重くなると言えば、この人の存在もそうだ。どうもここ最近で図らずも知り合う事となった学園の有名人方は、自身の人気とそれが及ぼす影響力と言う物に無自覚もしくは無頓着な気がする。例えば。ダンスが始まってからと言うものの、祐麒の鼓動が通常の二割増しのペースを刻んでいる事を静さまはご存じ無いだろう。
 でも………と祐麒は思索を続ける。
 物語のキャラクターにしてもそう。
 自身の魅力に鈍感なほど、その魅力は高まるのかも知れない。



今度は祐麒の視点から語られるお話し。
美姫 「祐巳と祥子の姉妹関係は表に出ているけれど、祐麒と静はどうなるのかしら」
果たして、この二人も何かしらあるのか!?
美姫 「その辺りも楽しみよね〜」
うんうん。
美姫 「さて、次回はどうなるのかしら」
それを楽しみに、次回を待つとしますか。
美姫 「そうしましょう」



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