満開だった桜も既に散り、徐々に上がっていく気温の中で迎えた夏という季節。

まだ初夏であるため真夏ほど気温は高くないのだろうが、どうしても暑いという言葉が口から零れてしまう。

そしてそれは至極当然の事ながら彼女たち――なのはとリースにとっても例外ではなかった。

 

「…………暑いね、なのは」

 

「……そうだね」

 

今日は学校も管理局もお休みというちょっと貴重な日。本当ならば友達を誘って外に遊びに行きたかった。

けれどこの暑さ故にそんな気もすぐに削がれてしまい、今では同類とも言えるリースと団扇片手に縁側にて居座っている。

かといって二人の間で何かトークがあるわけでもなく、こんな短いやり取りがそれこそ飽きるくらい二人の間で為される。

それほどまでに今日は気温が高い。しかも天気予報によれば、まだまだ気温は上がり続けるとの事である。

初夏と言えど季節的には夏という事なのだろうが、今でこれなら真夏になったら一体どれほど上がると言うのか。

そんな考えも一瞬頭を過るが、考えれば考える程暑くなってくる気がしたためか、二人とも揃ってそこは考えない事にしていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ねえ、なのは」

 

「……なに?」

 

「よくよく考えてみたらさ…………風が吹いてるわけじゃないんだから、こんな所にいても意味ないんじゃないかな?」

 

「……そう、だね。むしろ日差しが強いから、余計に暑いかも」

 

居座り始めて約一時間も経ってからそんな事に気づく辺り、暑さのせいで二人とも思考が蕩け切っているのかもしれない。

とはいえ、そこに気付いたからと言って二人ともその場を動く気配も無し。おそらくは暑さのせいで動く事さえ億劫なのだろう。

故にか先ほどまでと変わらず、団扇を扇いで庭をぼ〜っと眺めるという状態のまま、その場に居座り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女リリカルなのはB.N

 

【第三章】第三十四話 楽しい海水浴は狂乱の宴の始まりへ 前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそもにしてなのははともかく、リースにして見れば夏という季節はまだ数回程度しか迎えてはいない。

しかもその数回もほとんどが暑さを感じる事のない身体での体験だったものだから、当然慣れるという事などあるわけもなく。

それでなくとも何度となく夏の暑さを体験してるなのはでさえ頭が正常に働かなくなるほど今年は暑い夏。

当然ながらそれをリースが耐えられるわけもなく、いつもならしているはずの読書さえも今日は暑さのせいでお休み状態。

更には究極の怠けを開発する気だと言わんばかりにだらけ切った様子。恭也が見れば、深い溜息をついていた事だろう。

だが、当の彼は現在所用で十分程前から外出中であるため居らず、何かを言われる心配もないため余計に二人はだらけているというわけである。

 

「……ねえ、なのは」

 

「なに……?」

 

「冷たい麦茶入れてきてよ……出来れば氷入りで」

 

「……それくらい、自分で取りに行ってよ」

 

「やだよ。暑くて動くの億劫だもん」

 

そのあまりに勝手な言い分故にか、暑いのは自分だって同じだと文句を言いたくもなる。

けれど言った所で彼女の事だ……自分で入れてくるという選択を取らぬ所か、なのはが入れてくるまでしつこく言うだろう。

少なくともそう読めてしまうくらいには付き合いも長くなっている。そのためか、早々に折れて至極億劫そうに立ち上がる。

そして団扇を扇ぎつつ縁側からリビングへと移動。そのまま若干ノロノロとした動きで台所の冷蔵庫前に立つとその扉を開く。

そこからお茶の入ったペットボトルを取り出し、すぐ傍の棚からコップを二つほど取り出して並々とお茶を注ぐ。

次いでペットボトルを冷蔵庫へと戻し、団扇を脇に挟んでお茶が入れられた二つのコップを両手に持ち、再び縁側へと戻った。

 

「……はい、お茶」

 

「ん…………って、氷が入ってないんだけど?」

 

その苦情に関しては彼女も無視し、隣へと座り直して団扇を持ち直しながらお茶を一口飲む。

対してリースは頼んだモノに氷が入ってない事と無視された事に不満を感じるも、文句は言わず顔に浮かべるだけ。。

おそらく暑さのせいで文句を言うのさえ億劫になったのだろう……何も言わずに大人しく受け取ったお茶を同じく口に含む。

そうして溜息に近い形で一息つくとコップを置き、団扇を扇ぐ手を止めぬまま唐突に背中から床へと寝そべった。

 

「う〜……ほんと、暑すぎ。本気で何もやる気が起きないよ」

 

「せめて扇風機が無事なら、少しは違ったかもだけどね……」

 

「……過ぎた事は悔んでも仕方ないと思いま〜す」

 

「…………」

 

悔んでも仕方ないという言い分は確かにその通りだとは思うが、リースにだけは言われたくない一言である。

というのも扇風機だけならず、この家には当然ながらエアコンもあるのだが、その全てがリースのせいで使用不可能状態なのだ。

エアコンに関しては非常識な温度でほぼ毎日24時間つけっ放し状態にするものだから、恭也より限定されたとき以外の使用を禁止された。

そして扇風機に関しては全く涼しくならないからと勝手に分解し、モーターを弄繰り回して改造などしてしまった。

結果、一応稼働はしたが回転が速すぎて本体が耐えきれず、ガシャンと騒々しい音を立てて自然分解し、再生不可能な状態になってしまった。

つまり、団扇で扇ぐ以外に涼む方法がないのは全てリースが原因。なのはは毎度の如く、完全なとばっちりという形となっているのだ。

故に言動からもどこか冷たいような感じが窺えるのだが、これもまた毎度の事であるためか最早リースも全く堪えた様子は無い。

それどころか下手に慣れてしまったため、いつも通りの図々しい態度を押し通す始末。正直、非常に性質が悪い事この上ないと言えるだろう。

けれども今まで何度となく指摘して全く直った例が無いからか言うだけ無駄と嫌でも悟ってしまい、なのはも今では直させる事を諦めていた。

 

「「はぁ…………あつ……」」

 

ただ指摘しないならしないで同じ言葉を見事と言えるほど同時に呟いて以降は会話が途切れ、無言となってしまう。

そのせいかチリンチリンと音を鳴らす風鈴の音色のみが辺りに響くのみという、どこか物寂しげな静寂が広がるのだが。

かといって居心地が悪くなるとか、そんな事はない。むしろ、お互いがそこにいる事が当たり前というかのような空気すら窺えた。

喧嘩をする頻度が比較的多いにも関わらずそんな雰囲気を醸し出す辺り、喧嘩するほど仲が良いという言葉の信憑性を感じさせる。

 

 

 

――そうしてそんな様子で過ごす事、約三十分後。静寂の中で不意に玄関の扉が開く音が響いた。

 

 

 

響いてから次いで耳に響いてきたのは微かな足音。それを聞く限り、外出中だった誰かが帰ってきたのだと分かる。

いつもならそれが分かった途端、二人ともそちらへといち早く向かう所。だが、今日に限ってはそうする事はなかった。

なぜかと言えばもちろん、暑いから。去年の真夏にも近い今日の気温は今では二人の動く気力さえも奪っていたのだろう。

だから出迎えようとする仕草すら見せず、パタパタと団扇を扇ぎながら全く微動だにせずその場にて居座り続ける。

そんな中で更に響いてきたのは帰ってきた者を出迎えたのであろう者の足音と声。微かに聞こえたそれから察するに、おそらくはレンだと思われる。

そして出迎えた彼女の対応と同じく聞こえてきた低めの声から、帰ってきたのは所用で出掛けていた恭也だと分かった。

まあ、だからといってどうというわけでもないためか二人はやはり動かず、未だ聞こえてくる小さな話声に自然と耳を傾けている。

 

――ずいぶんお早いお帰りでしたけど、一体どこへ行きはってたんです?

 

ああ、ちょっと雑誌を買いに書店の方にな……ほら、土産のアイスだ

 

お〜、おおきにです〜♪ ちょうど食べたいなぁって思ってた所やったんですわ♪

 

それは何より。ところで、今日はなのはもリースも出迎えに出てこなかったが……二人して出掛けてるのか?

 

ん〜、おるとは思うんですけど……たぶんこの暑さやから、動くのが億劫でだれとるんとちゃいます?

 

見ていないはずなのに的確だったレンの発言も驚くべきではあるが、聞こえた会話で二人が重要視したのはそこではない。

何より二人の中で重要となったのは、それより前の所で恭也が口にした言葉――『土産のアイス』という部分であった。

入れた時は程良く冷たかったお茶も簡単に温くなってしまうこの暑さ。そんな中でのアイスという存在は至福の食べ物。

暑さに本気で参っていた二人にとっては正に救いの手に他ならない。故にか、今まで全く動かなかった二人は途端に動き出す。

しかもまるで我先にと言わんばかりにドタドタと駆け出す始末。正直、現金な子たちだと思っても何らおかしくはないだろう。

 

「「アイスーーーー!!!」」

 

「――――っ!?」

 

十秒と掛らずリビングへ辿り着くや否や、玄関よりの位置にてレンと対する形で立っている恭也へと飛びつく二人。

もちろん二人の接近には彼もレンも気付いてはいたが、まさかいきなり飛び掛かってくるとは思わず。

だからか咄嗟にレンは身体をずらして避け、恭也に至っても狙っているであろう代物を反射的に二人の進路から退けてしまった。

そのせいで二人の飛びつきは空振りし、勢いのままに地面へ倒れ込む。だが、すぐさま立ち上がると今度は普通に駆け寄り。

まるでぶんどるようにして恭也の手からアイスの入った袋を奪い、茫然とする恭也とレンを余所に嬉々とした表情でソレを漁り出す。

 

「イエ〜イ! バニラも〜らい!!」

 

「あ、ずるい! なのはもバニラが食べたかったのに!」

 

「へへ〜ん、残念でした〜♪ こういうのは早い者勝ちだよ〜ん♪」

 

「むぅ〜〜!」

 

むくれたなのはを放置してすぐさま一緒に入っていたプラスチック製のスプーンを取り、テーブルへと付いて食べ出すリース。

それを見てか彼女もバニラを諦め、残った中からチョコ味のアイスとスプーンを取り出すとリースの隣へ座り、同じく食べ始める。

そして二人が食べ始めてからおよそ数秒後、ようやく我に返った恭也は二人の様子に呆れ、レンなどは最早乾いた笑いを浮かべる他なかった。

 

 

 

 

 

アイスを食べ始めてから約十分後。綺麗にそれを食べ終えたなのはとリースの二人は現在、エアコンが付けられたリビングでまったり中。

さすがにこの暑さの中で過ごし続けるのは無理だと恭也に懇願した所、彼自身もそう思っていたらしく要求を呑んで付けてくれたのだ。

ただまあ、温度はいつもリースが付けていたよりも少しばかり上ではあるが、付けてくれるだけで有難いのか文句は言わず。

至福と言わんばかりの表情で冷気が流れる進路上に二人して居座り、そのままその場から動く事もなくエアコンの風に当たっていた。

その様子を前に恭也は一度だけ溜息をつきつつ、けれども声を掛ける事はなく二人が居座る場所の後ろの方にあるソファーに腰掛ける。

同じくしてお茶を持って隣に座ってきたレンから差し出されたソレを受け取り、感謝を述べつつ本屋で買ってきた雑誌(月刊盆栽の友)を開く。

そして静かにそれを読み始める横でレンはテーブルにあったテレビのリモコンを手に取り、ボタンを押してテレビの電源を付けた。

 

『――――○○県○○市の民家にて今朝方、八歳の女の子の遺体が発見されました。殺害されたのは――』

 

「は〜……なんや、物騒な世の中になったもんやなぁ」

 

付けた矢先に画面へ映し出されたのはニュース番組。そこでちょうどやっていたニュースを見つつ、レンは年寄り臭い事を呟く。

その言葉が耳に届いた恭也もチラッとだけ画面に目を向け、そうだな……と一応の相槌を打ちつつも視線を雑誌へと戻す。

ちなみにだが、もっともテレビに近い位置にいる二人組は画面を見るどころか、未だ至福の顔でまったり状態だったりする。

 

『続いてのニュースです。昨夜、○○県海鳴市の山中で火事が起こりました。近辺の神社の方からの通報で駆け付けた消防隊により、火は通報からおよそ二時間ほどで消し止められました。調べによりますと現場近くから煙草の吸殻が発見され、警察は――――』

 

「海鳴の山中って、むっちゃ近くやん……ほんま怖い話やな。というか、そないな所で煙草なんか吸うなっちゅうねん」

 

新しいニュースが流れるたびに一々コメントをする辺り、相当暇なのだろう。だが、このときは恭也も相槌すら打たず。

どうやらレンの声が耳に入らないほど雑誌を読むのに集中している様子。ついでに言えばテレビ近くの二人に至っては論外である。

それ故か彼女のそれは正真正銘の空しい独り言となるも、本人はそれを気にした様子もなく、お茶を啜りながらニュースを見続ける。

そしてそのまま見続ける事、約十分後。締めの言葉と共にニュースは終わり、続けて今の時期に於ける特集か何かを放送する番組が流れる。

映し出されたのは夏という時期故か、海に関して。暑さが異常に強まっている事から海へ訪れる人が増えている、という言葉から始まり。

映されている海の近辺にあるのであろう人気飲食店への取材やら、それらへ訪れる人々へのコメントやら、そんなものが流されていた。

 

「海、かぁ……こう気温が馬鹿みたいに高いと、さそがし冷たくて気持ちええんやろうなぁ」

 

「……海……」

 

先ほどから変わらぬ何の気なしの感想に対し、突如としてたった一言ではあるが反応を示したリース。

直後にエアコンから流れる冷気の範囲から外れ、食いつくようにテレビの画面へと顔を近づけ始める。

はっきり言って今現在テレビ観賞中のレンからすれば邪魔以外の何物でもないだろうが、別にどうしても見たいわけではないので文句はなく。

むしろ反応を示した事にちょっとばかりの驚きを示し、海にでも興味があるのかと画面に張り付いたままのリースへと尋ねる。

けれども彼女は返答を一切返さぬままテレビを見続け、ようやく動いたかと思えば驚くような速さで恭也の元へと駆け寄った。

 

「恭也!!」

 

「――ん? どうした、リース?」

 

「海! 海行こう、海!!」

 

「……は?」

 

若干興奮気味でやたら海と言う単語を連呼しながら告げてくる突然の要求。それには告げられた側の恭也も唖然とするしかない。

だが、フッと視線に入ってきたテレビの画面に映し出されている内容ですぐに全てを理解。次いで僅かばかりの溜息をつく。

 

「そんないきなり行こうだとか言われてもな……準備も何もないし、そもそも今の時期だと人で一杯だと思うぞ?」

 

「準備なんて今すぐでも出来るし、人なんて邪魔だったら蹴散らせば良いよ! 何のために魔法っていうモノがあると思ってるにゃ!?」

 

「……少なくとも、そんな物騒な事に使うためではないという事は確かだな」

 

一応突っ込みなど入れてみるが、全開興奮状態(要するに猫語モード)に入りつつある彼女の耳には全く届く事なく。

それどころか行こう行こうと喧しく騒ぎ立てる始末。正直、こうなると下手に言葉を並べても宥める事など不可能に近い。

故にか助け船を求めようと隣のレンへと目を向けるが、彼女とて今のリースを宥める手段が思い付かぬのか苦笑しつつ首を横に振るのみ。

となれば後はなのはしかおらず、そちらのほうへと目を向けようとすれば、さっきまで居た筈の位置に彼女の姿は見当たらず。

正にキスをしようとでも言うかのような距離まで詰め寄ろうとするリースを片手で押さえつつ、恭也は軽く周りを見渡してみた。

すると見渡し始めて間もなく、彼女の姿は難なく発見できた。だが、そのとき視界に映った彼女の様子に彼は嫌な予感を抱く羽目となる。

というのも彼女、先ほどまでのリースと同じでテレビの前に座り、その場から全く動かず画面を凝視するかのようにジッとしていたのだ。

その状態から現在興奮状態に移行したリースを見ている手前、そんなモノが目に映れば自然と嫌な予感しか浮かばなくとも不思議はないだろう。

そして案の定、全く動く事が無かった彼女は数十秒後に突如として動き出し、未だ詰め寄ってくるリースの横へと駆け寄って恭也を見詰めてきた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「なのは……言いたい事があるなら、ちゃんと言いなさい。ジッと見詰められるだけでは何も伝わらんぞ?」

 

「……海……」

 

「海が、どうしたんだ……?」

 

「……行きたいです、なのはも」

 

頭の中で浮かべた嫌な予感が的中した瞬間であった。だがまあ、予感していた分だけ驚きも少ない。

しかしながらそれは正直何の救いにもならず。むしろ事態がより一層悪化してしまったと言わざるを得なかった。

 

「いや、俺としては出来るなら連れていく事も吝かではないんだが……さすがにすぐというのは」

 

「……じゃあ、いつだったら連れてってくれるの?」

 

「むぅ……」

 

リースの言い分はすぐに行きたい的なモノだったので無理だと言ったが、今すぐという事でなければ悩んでしまう。

それでなくとも恭也はリースにもなのはにも甘い所がある。彼女らがどうしても行きたいというのなら、連れて行ってやりたいと思ってしまう。

とはいえ、行くとなれば家族全員でという事のなる可能性が高いため、どうしても全員の予定調整が必要となってくる。

なのはは後数週間したら夏休みに入るから問題はない。リースに至っては常時家にいるという遊び人に近い存在なので同じく問題なし。

レンや晶も小学校よりは少し遅れるとはいえ、夏休みはあるのだから大丈夫だろう。自身もまた大学はある程度融通が聞くので特別問題はない。

だが、一番問題となるのは桃子に関してだ。喫茶翠屋の店長を務める彼女は学生な自分らと違い、夏休み所か休み自体中々取れない。

かといって桃子のみを残して行くというのも悪い気がする。こういった事を最も楽しむ人だ……言えば絶対に行きたがるのは間違いないから。

まあ結局の所、話してみない事には何とも言えない。それ故、未だ詰め寄ってくるリースを抑えつつ、二人に言い聞かせるように告げる。

 

「何時とはまだ言えないが、とりあえず母さんに掛け合ってはみる。結果が出次第、伝えるようにするから……とりあえず今はそれで抑えてくれ」

 

「む〜……絶対行けるって、断言出来る?」

 

「断言はさすがに出来んが……二人の言う事だから、母さんも無碍にはせんだろうさ」

 

「そうですね〜。それに桃子ちゃんも自身もこういった事、結構好きですし」

 

二人だけでなく、家族の言う事なら結論がどちらにしても決して無碍にはしない。それが桃子という人の人柄だ。

加えて桃子もこういった皆で騒ぐ事が好きというのもあり、どちらかと言えば了承の旨を得られる可能性の方が高い。

そう伝えるとなのははそれ以上我儘を言わず、小さく頷いて返す。リースにしても、ちょっと不満気ではあったが同じく。

そして興奮気味で忘れていた暑さがそこでまた来たのか、二人揃って彼から離れ、冷風が流れる場所へと戻った。

そこでようやくと解放されたとばかりに溜息をつき、恭也は再び雑誌を開こうとした。だが、それより早くレンより耳打ちが為される。

 

(でも、ほんまにええんですか? お師匠、あんまり海がお好きやないはずでしょう?)

 

(問題ない。そもそも海が好きじゃないというより古傷がある手前、行く事を避けていただけだからな……それに関しても、俺自身が海に入らなければ大丈夫だろう)

 

(ん〜……でも、お二人がそれを許すようには思えへんですよ? 特にリースちゃんは少し強引な所がありますし……)

 

(……まあ、それはそれで何とかするさ)

 

古傷が体中にある手前、海はおろか中学校や高校でのプールでさえ基本的には見学という手段で過ごしてきた。

別に海やらプールやらに興味が無いわけではないが、傷だらけの体なんて見ていて気分の良いものではない。

要するに周りの人に不快感を与えない為の行動。そしてそれはもちろん、これからも続けていこうと思っている事。

だが、レンが言うようにリースは強引な所があり、おそらく行く事になった場合は確実に一緒に遊ぼうと言ってくるだろう。

当然ながら如何に彼女がそう言っても家族だけならともかく、赤の他人が多く居るであろう場所でその願いを叶えるわけにはいかない。

それ故、レンには一応とばかりにそう言って雑誌を開きながらも、頭ではそのときの対処についてを考え続けた。

 

 

 

 

 

結論から言えば、桃子は二言返事で海行きを了承した。僅かばかり、そこに二つの条件を付け加えるという前提で。

最も、その条件と言うのも難しいものじゃない。それどころか、恭也にしてもレンにしても予想が出来た内容。

まず一つ目に、海へ行くのは夏休みに入ってからにするというモノ。その方が全員に於いて都合を合わせやすいから。

二つ目はただ日帰りで行くのではなく、何泊かの旅行という形にするというモノ。これはおそらく、家族で出掛けた事が少ないのが関係している。

正直な話、家族が揃った状態で旅行に行った事は一度もない。日帰りでどこかへというのは何度かあるが、それさえも全員が揃って事は一、二度程度。

だから折角皆で海に行くのなら、そのままそれを初めての旅行にしちゃおう。そういう考えから、こういう条件を出したのだろう。

ただその条件を出されたとき、なのはとリースの二人は条件を呑むと同時に桃子へある一つの提案を告げた。

それは内容的に非常に単純――単にその旅行へ行くメンバーの中へ、自分たちの友達やらも誘っていいかというモノ。

桃子も家族だけでという事にそこまで拘っているわけではない。要するに家族が揃い、尚且つ皆で楽しめればそれでいいのだ。

故にその提案を彼女は笑顔で了承。しかも、旅費に関しては高町家が負担するという事まで言い出す始末……正直、舞い上がりすぎと言わざるを得ない。

まあ、旅費負担の件に関してはこの際ともかくとしても、誘ってもいいと言われた二人は聞くや否や、即座に携帯電話にてお誘いの連絡を行った。

 

「――という事なんだけど……どうかな?」

 

『えっと、とりあえず養母さんに聞いてみない事には何とも言えないかな。旅費の事もあるし、管理局のお仕事の事もあるし……』

 

「そっかぁ……旅費は最悪お母さんが出すって言ってるけど、お仕事はそうもいかないんだよね」

 

『うん。でも、シェリスも行きたいってさっきから騒いでるから……出来る限り行けるように掛け合ってみる』

 

そんなわけで最初にお誘いを掛けたフェイトだが、行きたいという気持ちはシェリス共々あるらしいが問題もあるとの事。

その一つである管理局の仕事に関してはなのはも同じ。旅行に行くからと仕事があるのに放り出すなんて出来るわけもない。

だから旅行に行くのであればある程度掛け合ってみて予定を調整し、纏まった休みを夏休み中のどこかに持ってこなくてはならない。

最も、その纏まった休みというのも取れるかどうかは分からない。しかもフェイトに関してはシェリスも合わせ、二人分だからより大変。

しかし、それでもシェリスに対して非常に甘い彼女だから、本人が行きたいと言っている時点でかなり努力する事は間違いないだろう。

ともあれ、その後少しだけ話をしてからフェイトへの連絡を終え、次とばかりにはやての電話番号を出して電話を掛けた。

 

『ん〜……海に旅行、なぁ。ウチとしては行きたいのは山々なんやけど、行くとなるとちょっと問題が発生するんよなぁ』

 

「あ、そ、そうだよね……私たちは良いけど、はやてちゃんは足の事もあるから――――」

 

『ああ、問題っちゅうんはそこやないねん。足が悪くて泳げんゆうても、海での遊び方はたくさんあるんやしな』

 

「え? じゃ、じゃあ、何が問題なの?」

 

『んっとな……海っていうとほら、ウチら以外でも海水浴に来とる人が一杯おるやんか? そうなるとウチらは良くても、アスコナがなぁ……』

 

「あ〜、そういえばそうだね……アスコナちゃん、人見知りだもんね」

 

『うん。実際、今の話を近くで聞いとったんやけど……もう呆れるくらい全力で拒否してるんよ』

 

「あ、あははは……」

 

家族以外では特にシェリスに懐き、次いでその姉であるリースにも最近では人見知りをほとんど見せなくなった。

そしてその二人(主に前者)に連れられて皆と会う回数を重ねていく内、自分からは話さないが話せば返事を返すようにもなった。

つまりは少しずつではあるが、人見知りが解消されてきたという事。だが、それはあくまで身内と親しい人物に対してのみ。

それ以外の人――赤の他人に対しては依然として変わらない。若干忘れ勝ちではあったが、そういう事実があるのだ。

だから、その事実を元にもしもアスコナが絶対行かないと言うのなら、八神家全体が行けなくなるという事に繋がってしまう。

けれども誘いでしかないこの件で無理を言う事は出来ない。それ故、八神家の皆は無理かなぁとなのはは考え始めるのだが。

その矢先に隣でずっと無言のまま立っていたリースが突然奪うような形でなのはから携帯を取り、彼女に代って電話に出るという行動に出た。

 

「もしも〜し、お電話変わりましたリースちゃんですけども、八神はやてさんでよろしいでしょうか〜?」

 

『へ? あ、うん、そうやけど……どないしたんや、いきなり?』

 

「んっとねぇ、ちょっとアスコナと話したいなって思ったんだけど……今、近くにいる?」

 

『まあ、おるにはおるけど……』

 

「じゃあ代わってくれるとリースちゃん、とっても嬉しいな♪」

 

どんな話かも言わず、ちょっと気持ち悪いと思ってしまうような声色と口調で代わってと言ってくるリースにはやては少し戸惑う。

しかしながら別に駄目だと言う理由も無いし、尚且つ他の人たち相手ならともかく、リース相手ならばアスコナも確実に拒否はしない。

故にか戸惑いながらも返事を返してきた後、僅かにはやてとアスコナの会話が聞こえてからすぐ目的の人物の声が響いてきた。

 

『……もしもし?』

 

「おい〜っす、アスコナ!」

 

『っ――……声が大きいよ、リースちゃん』

 

「あはは、ごめんごめん♪ それでさ、ちょっと聞きたいんだけど……アスコナが海に行きたくない理由って何かな?」

 

『……知らない人が一杯だから』

 

「だよね〜。アスコナ、人見知りだもんね〜。でもさ、それで旅行に行かないって言っちゃうのも惜しいと思わない? 私はもちろんシェリスも来るから、絶対楽しいと思うんだよね〜」

 

『…………』

 

「海に入って遊ぶのもそうだけど、砂浜で砂遊びするのも楽しいだろうし〜。あ、夜になったら皆で花火とかやるかもね〜♪」

 

『…………でも……』

 

「それにシェリスもアスコナと海で遊ぶんだってすっごく楽しみにしてるみたいだから、来てくれると姉の私としても嬉しいんだけどなぁ〜」

 

『……あぅ』

 

強引な形で電話交代して何をするかと思えば、どうやら行かないと豪語するアスコナの説得が目的だったらしく。

しかも妹をダシにする且つ嘘も交えるという正直どうかと思える説得ではあるが、何気に上手くいっている様子。

全面拒否していたのにその説得で悩む辺り、本当にシェリスの事を友達として慕っているというのが分かる。

そしてその後もシェリスをダシにしつつの説得はおよそ十分に及び、その若干長めな説得が功を奏したのか――――

 

 

 

『そこまで言うなら、行く…………コナも、シェリスちゃんやリースちゃんとたくさん、遊びたいから』

 

――アスコナの口から、その言葉を引き出すに至った。

 

 

 

赤の他人が多い中へ彼女を行く気にさせる。それは結構難しい事なのだが、方法はどうあれリースはやってのけた。

それ故かなのはもはやてもちょっとばかり驚くも、同時にアスコナが如何にシェリスに懐いているかを思い知る。

ともあれ、彼女が旅行に行くとなれば八神家に於いて懸念する事は特に無い。あるとすれば、なのはやフェイトと同じく休日を取れるかについてのみ。

それもアスコナが行く気になっているのだから取れる努力はするだろうし、何より親馬鹿なリィンフォースが黙っちゃいないだろう。

そんなわけで説得を終えて返してくる携帯を受け取りながら、忍も誘ってくると家の電話方面へと駆けて行くリースの後ろ姿を見送り。

後に少しばかりはやてと話してから電話を切ると次とばかりにアドレス帳を開き、選んだ電話番号へと電話を掛け始めるのだった。

 

 

 

 

 

所変わって家の電話がある方面へと向かったリースはと言えば、着くや否やすぐさま受話器を取って電話を掛け始めていた。

本当ならなのはのように携帯電話で電話する方が楽なのだが、生憎とリースはそれを持ち合わせてはいなかった。

それは別に桃子が駄目だとか言ったわけではなく、単純に携帯電話に特別必要性を感じなかったからというのが理由。

最近では外に出る事もあるが、行き場所は決まって月村家か書店。前者ならば簡単に連絡がつくし、後者にしても彼女は大して長居をしない。

それ以外では基本的に家に居る事が多いので家の電話で事足りる。だから、別に携帯を持たずとも困る事なんてないのだ。

だから彼女自身ソレを持ちたいとは言わず、いらないのであれば無理に持たせる必要もないと桃子も恭也も変に勧めずというわけである。

 

『――もしもし、月村でございますが』

 

「あ、ノエル? リースだけど、忍って今いるかな?」

 

『はい、いらっしゃいます。お代わり致しましょうか?』

 

「うん、お願い♪」

 

『わかりました。お呼びしますので少々お待ちください』

 

言葉の後に受話器から聞こえてくる保留音を耳にしながら、受話器から伸びるコードを指でクルクル弄りながら静かに待つ。

そうして待ち続ける事、一分後。フッと保留音が途絶えたかと思えば、その直後に目的の人物の声が受話器から聞こえてくる。

 

『ふわぁぁ……は〜い、もしもし〜』

 

「うわっ、テンション低!」

 

『いやぁ、さすがに気持ち良く寝てた所を起こされたらテンションも上がんないでしょ〜……』

 

「寝てたって……まだ七時にもなってないんだけど」

 

『ノエルのメンテナンスで一昨日から寝てなくってねぇ……』

 

「ああ、なるほどね〜。それでこんな時間からもう寝てたんだぁ」

 

以前忍から何の気なしに聞いた話なのだが、自動人形であるノエルのメンテナンスは結構長時間に渡る作業との事。

しかもノエルがいないとファリンの労働内容が異常に増えて下手を打つとテンパるため、早急に終わらせる必要が出てくる。

そうなると必然的に徹夜をするという羽目になり、更にはそれが一日で終わる話ではないから本人の疲労度は半端ではない。

よって作業が終わると絶好調な状態で復活するノエルとは反して忍はグロッキー状態となり、不足分の睡眠を補うために即寝てしまう。

ここ数日は月村家へ行っていなかったからというのもあるが、まさかメンテナンス時期に入っているとはリースも思わず。

 

「でも、そんな状態だったら明日また掛け直した方がいいかな? 別に急ぐ用事でもないし」

 

『ん〜……もう起こされた後だから、別に今でもいいよぉ』

 

だから要件を告げるのは明日にして今日はもう寝させてあげた方が良いかと思い告げるが、忍は今でも良いと返してくる。

というより今言ってくれなければ起こされた意味が無くなるから、彼女の本音からすれば言ってくれた方が良いのだろう。

そこをリースは悟ったわけではないが、そう言うなら今言ってしまった方が手間も省けると考え、例の話を口にした。

 

『――ふ〜ん……皆で旅行、ねぇ。とりあえず誘ってくれるなら私も喜んで行くけど……よく恭也が海水浴なんて許可したね』

 

「? 特に可笑しな事でもないんじゃない? 別段海が苦手ってわけでもないんだしさ」

 

『あれ、ひょっとして知らないの? 確かに海自体は恭也も苦手とか嫌いとかってわけじゃないみたいだけど、絶対に泳ごうとはしないんだよ?』

 

「は? 何それ? 一体どういう――――って、ああ……もしかして身体の傷の事かな?」

 

『うん。だから高校時代もプールの授業とかは必ず見学してたし、海水浴に誘っても来なかったんだけど…………やっぱり友達とかに誘われるのと妹に強請られるのとじゃ違うって事なのかなぁ』

 

何度も言うが、恭也は基本的に妹という存在に甘い。中でもなのは&リースというペアには特に甘いと言ってもいい。

その二人が揃って海に行きたいと言い出した。それだけで彼の中では行かないという選択肢がいとも簡単に消え去ってしまう。

シスコンもここまで来れば尊敬出来るモノだろう。そしてその分、彼女らが言い出した段階で予測できた結果でも忍は嫉妬を覚えてしまう。

自分だって彼とは仲が良いつもりだ。それこそ親友だと断言しても良いくらいだろう(彼女としてはそれ以上になりたいと思ってはいるが)。

そんな自分が誘っても苦笑するだけで決して首を縦には振ってくれなかった。だから、簡単に了承を得た彼女たちにはそういう感情を抱いてしまう。

けれどそれを表に出す事はもちろん無い。なのはやリースとて恭也の身内という事を抜きにしても大切な――それこそ友達に近い存在であるのだから。

 

「ん〜……でも別に本人が泳ぐって言ったわけじゃないから、やっぱり恭也は行っても泳がないのかなぁ。だとしたらそれはそれで、結構寂しいんだけど……」

 

『まあねぇ。けど人気が少しでもある時点で駄目って言うから、こればっかりはね〜……』

 

「人気が少しでもあればって……それって実質無理って事じゃん」

 

『人気なんて普通の海水浴場なら必ずあるしね〜。それこそプライベートビーチでもない限り――――って、そういえば……』

 

「?」

 

ふと呟かれた意味深な感じの言葉にリースは首を傾げるが、少し待ってみてもその先が告げられる事はなく。

だが流してしまうには気になりすぎる言葉ではあったため、自分から聞いてみようとするが、それより早く待っててという言葉が告げられる。

それ故か、開こうとした口を閉じてしばし黙れば、電話越しでおそらくノエルであろう人物との話声が微かに聞こえてきた。

けれど内容全てが聞き取れる事はないためか疑問は深まるだけ。そのせいか気になる気持ちがますます強まってしまう。

だからといって今すぐ尋ねても答えが返ってこないと分かっているため、その気持ちを我慢して待ち続ける事、およそ十数分後。

 

『ごめんごめん。ちょっと思い出した事があってノエルに確認を取ってもらってたんだけど、予想外に長くなっちゃった』

 

「いや、それは別にいいんだけど……何の確認を取ってもらってたの?」

 

『んっとね、うちって結構たくさん別荘を持ってるわけなんだけど、その中で一つだけプライベートビーチがある別荘があるのよ。だからぁ、そこが使えないかって事をちょっとね』

 

「へ〜、そんなの持ってるんだぁ。さすがお金持ちは凄いね〜……って、プライベートビーチ!?」

 

『うん、プライベートビーチ♪ 普通の海水浴場は無理でも、そこなら身内以外人気も無いから恭也も気兼ねなく泳げるかなってね』

 

別段恭也が泳がなくても海で遊ぶという上では何の問題も無い。問題はないが、リースとしてはやはり彼も一緒にという気持ちがあるのだ。

大学やら何やらがある手前、他より家に居る事が多くても常時居る訳じゃなく、更には一緒に居ても一緒に遊ぶという事はほぼ無い。

最も、なのはと年齢の近い女の子とではどう遊んでいいのか分からないというのもあるだろうが、何にしてもそれがリースにとって不満だった。

だから今回も海へ行けるという喜びもあるが、口には出さずとも同じくらい恭也と遊べるという事に対しての喜びが彼女の中にはあった。

それ故、身体の傷の事もあって海には入らないだろうと聞いた時は内心かなりショックだったが、そういう理由なら無理も言えないと若干諦めていた。

そんな中でプライベートビーチ所持宣言となれば、恭也も一緒にという気持ちを持つ彼女の中で嬉しさが湧き上がってしまうのも当然というモノだろう。

 

「それでその、確認した結果はどうだったのかな? まさかとは思うけど、使えないなんて事は……」

 

『その辺は大丈夫! 長い事使われてなくてちょっと管理が行き届いてない所もあるらしいけど、数日程度使う上では問題ないってさ♪』

 

「そ、そうなんだ……良かったぁ」

 

『ただ普通の旅館やホテルと違って食事は完全自炊な上に食料の貯蔵もゼロな状態だから、各自で持ってきてもらう事になるんだけど』

 

「それは私の方から皆に伝えとくよ。そこまでしてもらって何も無しじゃさすがに悪いし」

 

『そう? じゃあお願いしちゃうね。あ、それと一応数日前くらいには掃除とか色々としておきたいから、詳しい日程が決まったら真っ先に教えてね〜』

 

「りょうか〜い!」

 

かなり上機嫌に返事を返した後、一言二言ほど言葉を交わしてからリースは電話を切る。

と同時に彼女が電話を終えたのが分かったのか、今日の料理当番たる晶より夕食の時間だとお呼びが掛かる。

それにリースは上機嫌な様子を隠す事も無く、鼻歌すら歌い出しそうなテンションで呼ばれた方面へと向かっていった。

 

 

 

 

 

恭也たちが見ていたニュースで報道されていた山中。そこは本来、神社しかないためか人気が極めて少ない。

それこそ正月か夏祭りのときでもない限りは神社の関係者以外、訪れる人の数は多くても一人か二人程度なものだ。

そんな場所だから、火事なんて起こった今では一部一般人立ち入り禁止状態となっており、訪れる者も完全に居ない状態。

普段夜の鍛錬場所として使っている恭也と美由希の二人にしても、しばらくはそこを鍛錬場所として使う事を中止している。

よって夜も深くなってきた現在、より人が訪れる可能性が低い事から、山中はいつも以上の静けさが広がるはずなのだが――――

 

 

 

――ある一点のみ、そんな静けさの中で音を立てている場所があった。

 

 

 

いや、実際はその場所が音を立てているわけではない。正確に言えば、その場所に居る人物が立てているのだ。

若干ボサついた灰色の髪、同色の顎髭。黒み掛かったワイシャツに真っ黒な長ズボン……それがその人物の見た目。

見た感じからして仕事帰りか何かの男性という風に見えるが、それならばこんな場所に居る事自体が不自然でならない。

かといって何か怪しい行動をしているわけでもない。彼の行動を一言で言えば、木に凭れかかって煙草を吸う……ただそれだけだ。

 

「……ふ〜……」

 

それだけではあるが、静けさが包み込んでいる山中では煙を吐く際のソレさえも明確なくらい響いてしまう。

最も、それが別段問題がある行動と言うわけでもないし、本人も特に気にした様子も無く煙草をゆっくり吸い続ける。

そうして吸い続ける事、およそ一分後。ふと吸っていた煙草を口に咥えたかと思えば、そこで初めて別の行動を取り始める。

といってもこれも別に変った行動ではない。如いて言えば、木に掛けてあった服の内側からパンの包みを取り出しただけである。

だが、そこからの行動は少し変わっていた。というのも、取り出した二つのパンの包みの片方のみを開き、もうひとつを地面に置いたのだ。

そして木に凭れたままその場にしゃがみ込み、吸っていた煙草をその辺の地面で消して投げ捨て、パンを静かに食べ始める。

ただ食べ始めて僅かに経ち、ソレを食べ終えても地面に置いたパンに手は出さず。もう一本煙草を取り出して火を付け、再び吸い始めるのみ。

大の男があんなパン一個で満腹になるわけもない。だから、普通に見ればそれは可笑しくも映ってしまう光景であったが。

 

 

 

――煙草を吸い始めてから更に数分後。地面に置いたそのパンの意味がようやく分かる事となる。

 

 

 

草が若干生い茂っているのに足音さえ立てず、静けさの中で無音のまま彼の横に立った少女。

着ている衣服はその男性と似ているモノがあるが、唯一違う暗闇の中でさえ明確に映える紅色の髪は彼女の存在を強く主張する。

 

「…………」

 

そんな少女の突然の出現に彼は驚く事さえなく、マイペースに煙草を吸うのみ。少女もまたそんな彼に声は掛けず。

ただ彼の隣に置かれたパンを手に取り、その場に座りながら包みを開け、その小さな口でチビチビと食べ始めるだけ。

彼女のそんな様子に男性は目を向ける事も無く、けれども少しだけ微笑ましそうな笑みをその顔に浮かべた。

 

「相変わらず小動物みたいな食べ方するなぁ、おまえさん」

 

「……煩い」

 

実際に見ているわけでもないのに告げられた言葉に対し、少女は食べながら小さな声で悪態をつく。

だがもちろん彼もそんな少女の態度には慣れているのか悪態に対して文句はなく、苦笑を浮かべるだけ。

そうしてそこから少しの間無言が続き、ようやくパンを食べ終えたかと思えば、今度は少女のほうから口を開いた。

 

「現状は?」

 

「特に問題はねえな。いや、全然ねえわけじゃないんだが……まあ、それも時間が経てばどうにでもなる程度なもんだ」

 

「そう……『武装具』に関しても?」

 

「ああ。特に『剣』と『盾』に関してはあのまま行けば、あと数年くらいで形になるだろうよ。『書』に関してはそれよりもう少し掛かるだろうけどな」

 

話しながら煙草を吸い続け、早いモノでもう二本目を吸い終えると再び箱を取り出し、三本目を吸おうとする。

けれどもその手は少女によって叩かれ、渋々といった様子で箱を胸ポケットへ戻した。

 

「『武装具』と『守護者』の事については分かったけど、あっちの方の動きはどうなってるの?」

 

「そっちも特に変わった感じはねえ。“狂浸(カタルシス)”も復活して以降は大人しいもんだしな」

 

「……アレが大人しいっていう時点で凄く不気味」

 

それほどおまえさんに斬られた事がショックだったんだろうよ

 

「?」

 

「いや、何でもねえ。それよりも、そっちの方は無事だったのか?」

 

「ん。むしろ私が行く必要もなかったかもしれない……行った時はもう、“狂浸”しか生きてなかったから」

 

「へぇ……壊れてもさすがは『蒼夜の守護騎士』ってところだな」

 

「あの人たちは壊れてない」

 

無感情だった声にそこで初めて怒りという感情が籠る。といっても、ムキになった子供という程度のものではあるが。

だが男性にとっては別に少女を怒らせる気もなかったという事もあり、その時点で大人しく謝罪の言葉を告げた。

反対に少女としても彼がそういう事を心から思っているとは考えていない故か、浮かべた怒りを抱き続ける事も無く。

謝罪の言葉を聞いてすぐにその怒りも納め、僅かに草が擦れる音を立てながら静かに立ち上がる。

 

「そろそろ行く……一度あそこに戻って、“淵獄(マヴディル)”を問い詰めないといけないし」

 

「そうか……俺は今まで通り、適当に監視しときゃいいんだろ?」

 

男性のその問い掛けに少女は小さく頷き、その次の瞬間にはまるで消えたかのようにその場から居なくなる。

そこでようやくとばかりに胸ポケットから箱を取り出し、抜き取った煙草に火を付けると彼女が居た場所に落ちているパンの空包みを拾う。

そしてゆっくりと立ち上がると木に掛けられた上着を手に取り、肩に掛けるようにして持つと同じく、その場から静かに去っていった。

 

 


あとがき

 

 

よくよく考えるとさ、前中後編って構成のお話がここ最近多いと思うんだ。

【咲】 思うじゃなくて、実際そうなのよ。加えて言うなら、前中後編なんて生易しいものじゃないし。

あ、あはは……まあ、何にしても悪夢はこうして始った、というのが今回のお話だ。

【咲】 そんな言葉で締めくくるほど殺伐としてるわけでもなかったけどね。

まあ、ね。というか、そういう感じになってくるのはもう少し後だったりする。

【咲】 という事は、もうしばらくこんな感じが続くってわけ?

うむ。

【咲】 ふ〜ん……にしても、アスコナがシェリスじゃなくてリースの説得で行く事を決めるとはね〜。

リースにも心を開き始めてるからね。それに彼女の説得とはいっても、実質はシェリスのお陰でもある。

【咲】 まあ、それは確かにね。ていうか、海水浴にいくのってこの四家族のみなわけ?

いや、今回の話で出てはいないがアリサや赤星も行くよ。

【咲】 へ〜……って、その二人だけじゃないけど、その面子で問題が起こるとちょっと拙いんじゃない?

まあ、拙いっちゃ拙いが、ほぼ全員が事情を知ってる人でもあるから、赤の他人よりは大丈夫だ。

【咲】 赤の他人と比べる辺りどうなのって話だけど……まあ、いいわ。ところでもう一つ質問だけど……。

ん?

【咲】 最後に出てきた少女っていうのはともかく、もう一人の男性は誰よ?

ああ、彼の事ね。この後の話でも出てくるからそれを見なさいと言いたいところだが……まあ、一言で言っちゃえば少女の味方だ。

【咲】 ……味方なんていたのね。

一応、それっぽい事を彼女自身の口で言ってたんだけどね。

【咲】 そういえば、チラッと言ってたような言ってなかったような……でも、それにしたって監視ってどういう意味よ?

そのまんまの意味だよ。あの二人にしても下手な事されたら堪らないから監視してるだけ。しかも四六時中だから内情にも詳しい。

【咲】 それってある意味……ていうか完全にストーカーよね。

まあ、否定はせんがね。何にしても、彼も重要なポジションに位置する人物であるって事は覚えておいてくれ。

【咲】 はいはい。それじゃあ、そろそろ次回予告――って言いたいけど、また今回の続きとか抜かす気でしょ?

うむ。まあ予告めいた事を如いて言うなら、時間が流れて海水浴の日を迎え、現地に赴いた一同がはっちゃけるってお話だ。

【咲】 ぼやけた予告ねぇ……まあ、もう言っても無駄だから別にいいんだけど。

それじゃあ、今回はこの辺にて!!

【咲】 また次回会いましょうね♪

でわ〜ノシ




少女と男が登場。
美姫 「前話で話に出てきた人物かしらね」
かもな。にしても、恭也たはずっと監視されていたんだな。
美姫 「だからこそ、詳細な情報が入ったのね」
これから何が起ころうとしているんだろか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待ってます。



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