『華の園に咲く物語り』




 久し振りに訪れた薔薇の館。その賑わいに、蓉子はとりあえずの満足感を感じていた。
 現在、館の二階の会議室にいる人間は自分を含めて十人。今代の山百合会幹部メンバーだけであれば八名にしかならないわけで、二桁の人間がこの館にいて、さらにその人数で楽しくお茶とお喋りを楽しんでいるこの状況は、蓉子にとっては少なからず心躍るものであった。

「へえ、そうなんですか。何だかおかしいかも」
「そうね。祐巳ちゃんがそれを言うか、って感じだけど」
「でも本当に意外ですね」

 祐巳と白薔薇姉妹が、一人の女性と楽しそうに歓談している。
 人懐っこいようでありながら人見知りをするタイプでもある、白薔薇さまこと佐藤聖。
 その彼女が、昼に会ったばかりのほぼ初対面の相手に対して構えを崩しているように見える。それだけ相手の女性が、聖の興味を惹く女性であるということか。確かにあまり言葉を交わさずとも、魅力に溢れる女性であることは蓉子にもわかった。
 花で例えるなら、向日葵。
 蓉子の妹である小笠原祥子などは、凛と優雅に咲き誇る薔薇の花だろう。決して蓉子の姉バカではなく。
 それに対して椎名ゆうひという女性は。
 やたらぐんぐんと背高に、大輪の花を目一杯開かせ、「これでもか」と咲く向日葵のようだ。いい意味でとにかく目立つ。
 つまり祥子もゆうひも、どちらも人の目を惹くという点では変わらない。
 ――では。
 この人物はどうだろうか、と。蓉子は首を少し回し、視線を移して考えた。

「それは是非拝見したいものですわ」
「あら、黄薔薇さま。先程は興味が無いようなことを言ってませんでした?」
「そうね。でも、話を聞くうちに興味が湧くのは自然なことじゃない? それとも、由乃ちゃんには高町さんのお話が面白くなかったのかしら」
「そっ――、そんなことは言ってませんっ!」

 江利子と由乃に挟まれている人物。女学園であるリリアンにおいて、敷地内ではそう見る機会のない若い男性。
 名を、高町恭也。
 アイボリーのセーラーカラーがあるものの、膝下丈の長さで光沢のない黒のワンピースというリリアンの制服。それに身を包んだ蓉子が言うのも何ではあるが、黒ずくめの恭也の姿はまるでカラスのようだ。祥子の関係で黒服の逞しい男性を見たことがある蓉子でも、高町恭也をパッと見た第一印象は、とにかくその一点であった。
 もちろん、少し話をしてその中身も少しは窺い知ることが出来たので、ただのカラス男でないことはすぐにわかった。礼儀正しく、物腰もスマートで。見た目については、黒ずくめの格好は確かにカラスのようだけれど、中身である顔もスタイルもかなりイイ線をいっている。高等部の生徒の間で、わずか数時間で既にちょっとした噂になっているのも頷けるというものだ。
 だから、リリアンのお隣の男子校の生徒会長である柏木優を、かつて「王子さま」と称した江利子が恭也に興味を持ったのは、さほど意外なことではなかったといえる。話してみればその人格もなかなかに面白味がありそうだとわかり、ますます興味も湧いただろう。
 かく言う蓉子も、当初の目的を忘れるのもいいかな、なんてことを少し考えたりもしている。
 だがしかし――。

「ちょっと! 高町さんが困ってらっしゃるじゃありませんか、黄薔薇さまっ」
「由乃……」
「令ちゃんは黙ってて」

 江利子の反対側で恭也を挟んでいる由乃に関しては、蓉子としては非常に驚かされた。
 何と彼女は、恭也と既に面識があったというのだ。
 つい先日、街中で由乃の身に起きたアクシデントを恭也が解決してくれたらしい。由乃に絡んでいた柄の悪い男達を、恭也が追い払ったのだそうだ。
 江利子じゃないけど、それこそまるで王子さま。いや、由乃ちゃんであればお侍いさんかしら。――と、蓉子は変に感心した。
 とにかくそんな事情があったわけだが、それだけでは蓉子も大して驚きはしなかっただろう。
 問題は、由乃の表情。そして態度である。
 彼女が恭也に向ける表情は、淡く、ほのかに、憧れを匂わせる顔。態度にしても、江利子と取り合うように彼と話をしている。隣に座る令の複雑な表情など、知ってか知らずかといった風だ。
 そんな黄薔薇ファミリーを見ながら、蓉子は心の中で呟いた。

(頑張れ、由乃ちゃん)

 別に小さな恋のつぼみを応援したわけではない。今の自身の様子こそが、何よりも江利子を愉しませているのだということに気付けばいいと思ったのだ。恐らくは無理だろうけども。
 言っておくが、仲間である可愛い一年生の恋の応援を、したくないというわけではなかった。ただ、蓉子にとっての優先順位の問題なのだ。そもそもイケイケの由乃であれば、放っておいても自分の力で頑張るだろう。
 だから今、蓉子が気に掛け、頼まれてもいない世話を焼くべき相手は、自分にとって優先順位第一位の少女なのである。

(さて。どうしたものかしら……)

 蓉子はちらりと横に目を動かし、自分の隣の少女をこっそりと見た。
 表情を隠してお茶を啜る、プライドが高くて気難しくて、我がままで男嫌いのお姫さま。
 そして蓉子の可愛い妹である、小笠原祥子を。










〜 第三回 〜










 放課後。
 生徒会長である聖と江利子に誘われるまま、恭也はゆうひと共に薔薇の館と呼ばれる場所を訪れていた。
 建物は結構年季が入っているようで、二階の会議室に至るまでの階段などはギシギシと音を立てた。見た目に関しても、小綺麗でありながら壁も床も窓枠にも、なかなかの歴史が感じられる。いい意味で古臭い、趣と温かさのある建物だ、と恭也は感心した。
 そして恭也達を迎え入れた、生徒会である山百合会の関係メンバー八人も、とても好ましい雰囲気を持った女生徒達であった。
 まずは、校舎内で恭也達(というより、ゆうひの、だが)の案内を引き継いだ三人。水野蓉子、鳥居江利子、佐藤聖。
 彼女達三人は現職の生徒会長であり、それぞれが、紅薔薇という意味の『ロサ・キネンシス』、黄薔薇の『ロサ・フェティダ』、白薔薇の『ロサ・ギガンティア』と、何やら称号のようなもので呼ばれているらしい。
 次に、校門でゆうひを迎えた三人。藤堂志摩子、支倉令、小笠原祥子。
 この三人は次期生徒会長らしく、薔薇を姉に持つ妹ということで、つぼみの意味を持つ『ブゥトン』と呼ばれもするそうだ。
 そして残るは、祥子の妹である福沢祐巳と、令の妹である島津由乃の二人である。

(ロサ・キネンシス、ロサ・フェティダ、ロサ・ギガンティア。……口にすると舌を噛みそうだ。それにスール制度、か)

 ちなみに姉・妹と言っても、ここにいる彼女達は皆、実際の姉妹ではない。
 リリアン女学園高等部には、「姉妹(スール)」という独特の制度が存在しているのだ。
 このシステムは、姉が妹を導くように、一人の上級生が一人の下級生を自分の「妹(プティ・スール)」とすることで、姉妹の関係を築くのだという。ちなみに姉の方は「グラン・スール」というらしい。

(お嬢様学校ってことで、日本語さえ大変なのにな……。大変だ、まったく)

 恭也はこれから一ヶ月ほどを過ごす学校への愚痴を、心の中で呟いてみた。
 かなり特殊な状況の中で、この先上手くやっていくのは思ったより大変かもしれない。

「どしたん? 溜息吐いて」
「いえ、なんでも……」

 ゆうひはすっかり馴染んでいるようで、廊下でも生徒とすれ違う度に「ごきげんよう」を連発していた。流石は英語もロクに喋れないのに、イギリスのソングスクールに入学しただけはある。果たして、心臓が鋼で出来ているのか、脳がぐんにゃり柔らかいのか。
 とはいえ恭也も、この薔薇の館にいる山百合会のメンバー達とは少しは打ち解けられたようで――、

「嘘っ!? 高町さんのご実家って、お菓子屋さんなんですか」

 軽い身の上話なども、何となく披露していた。

「ちょっと、祐巳さん」
「あ。……ごめんなさい」

 驚きいっぱいの表情を浮かべた後、友人にたしなめられてうなだれてしまった少女が福沢祐巳。彼女はどこか恭也の妹である、なのはを連想させた。二つに結んだ髪型だけでなく、幼い雰囲気が共通しているのだ。色々な意味で素直そうなところも同じと思われる。
 祐巳を注意したのは、校門で顔を合わせた藤堂志摩子だった。
 やんわり、ふんわりとした物腰の少女で、強く触れたら壊れてしまいそうな儚い雰囲気を持っている。――だが、一年生にして来期の生徒会長として選挙に立候補し、見事に当選したというのだから、中身は芯の強い女性なのだろう。

「いいですよ。確かに自分はそういうイメージとは真逆でしょうし」
「うんうん。ミスター・リリアンの家が剣道の道場、ってのと違ってね」
「白薔薇さまの仰る通り。佐藤聖が小説家、というのと同じくらいに想像がつかないわ」 
「ちょっとちょっと、黄薔薇さま。今さらそれを引っ張り出しますか」

 やはりまだ聞き慣れない『ロサ・ギガンティア』という横文字で呼ばれるのは佐藤聖。少し日本人離れした彫りの深い顔立ちの美少女である。そして、この館に来てから話をしていくうちに一番変化のあった女生徒だった。
 自分の使い分けが巧い性格のようで、ゆうひの案内として現れた時には生徒会長として優等生然とした感じであったが、今は飄々とした空気を醸し出して人を弄っている。特に祐巳がお気に入りのようで、彼女に絡んでいる聖は楽しそうだ。
 そして『ロサ・フェティダ』こと、鳥居江利子。
 一見上品で落ち着いた風でありながら、昼の案内の時から初対面の恭也達に積極的に話しかけてきた様は、楽しいことに飛びつく子供のようだった。恭也もゆうひも、リリアンの生徒会長となればお嬢様の中のお嬢様だと思っていた為に、その積極性には少し驚かされた。

「でも洋菓子店かあ。祐巳さん、今度行ってみる?」
「え、私? 令さまじゃなくて?」
「お姉さまは誘わなくてもどうせ一緒よ。そんなに美味しいお菓子とあれば」
「うん。凄く興味ある」

 『令さま』『お姉さま』と呼ばれたのは支倉令。恭也達を校門から途中まで案内した三人の女生徒の一人だ。
 部活動では剣道部に所属し、実家は剣道の道場である剣道少女だという。少し話してみた感じや身のこなしなどで、心身共に鍛えられていることが、恭也にはよくわかった。

「でも。私のことが心配で、とかだったら付いて来てほしくありませんけど」
「うっ……、別にいいじゃない」

 しかしそんな令が、先程からなんとも情けない顔を見せるときがある。
 その原因は、恭也の隣りに座る三つ編みの少女だった。

「だって令ちゃんがいると、いちいちうるさそうなんだもんなあ……」
「由乃がそういうこと言う? うるさくするとしたら、私よりも由乃の方だと思うけど」
「そういう意味じゃなくて。っていうか、そういうことを言うお姉さまとなんて、ますます一緒に出掛けたくない」
「あっ、いや、今のは――」
「言い訳無用」

 二年生の令に対して何ともつれない態度を取る一年生、島津由乃。実はこの彼女、初めて訪れたリリアン女学園の中で唯一人、恭也が事前に面識を持っていた生徒なのである。
 きっかけは、由乃が柄の悪い男達に絡まれていたのを恭也が助けた、というわかりやすいものだった。
 恭也が助けた時の由乃は、絡んでいた男達への恐怖が残っていたのか、はたまた恭也に対して怯えていたのか。ほとんど言葉を交わせる状態ではなかった。恭也もそんな彼女の様子を見て、すぐにその場を立ち去った。
 それが、それから二日経った今日。
 その時の少女が、恭也の顔を見るや淑女らしからぬ大声を上げて指差してきたときには、恭也は思わず目を丸くしてしまった。昼から放課後までの数時間であっても、お嬢様らしいお嬢様達を軽い頭痛が襲うほど見ていたから尚更だった。
 一般庶民の恭也にとっては、お嬢様色が強くない方がありがたい。
 ただでさえ女子校に訪れた若い男などは、箱入りでなくとも警戒するだろう。特に自分の無愛想な人相では、お嬢様方に不安を与えるので尚のことだ。――と、恭也はそう思っている。
 だが薔薇の館で再会した由乃は、街で別れた時とは全く違い、物怖じせずに恭也に話しかけてきてくれた。そして、そんな由乃と話すうちに、ここにいる他の少女達も、少なからず恭也に打ち解けてくれたのである。
 『情けは人の為ならず』という言葉があるが、恭也は自分が助けた由乃にこうして助けられたことに、不思議な縁を感じていた。

「心配しなくていいわよ、令。私が一緒に行くから」
「結構ですわ、黄薔薇さま。祐巳さんがご一緒してくださいますもの」
「あらそう。じゃ、私は一人で行くわ。高町さん、その時には案内をお願いできます?」
「ちょーっと待ったぁ!」

 三年生の、しかも生徒会長である江利子に対して、全く怯む様子のない由乃。どうやら少々勝ち気な性格らしい。上下関係が厳しいようであるリリアンでは、なかなかに珍しいタイプなのではなかろうか。もっとも、相手が江利子だからこそ許されている節もあるが。
 ――それにしても。
 先程から恭也には、気になっていることが一つある。……いや、先程というか、正確には昼からずっと。

(さて。どうしたものか……)

 由乃や江利子達と話す間も、恭也の目は別の一人の少女を自然と見ていた。
 無表情な中にも相変わらず不機嫌さを感じさせながら、まるでどこかの姫君のように佇む少女、――小笠原祥子を。

「高町さん? どうかなさいました?」

 恭也の視線に気付いたらしく、祥子の隣に座っている水野蓉子が恭也に声を掛けてきた。

「あ、いえ。お気になさらず」
「そうですか? 何かございましたら、遠慮なさらずに言ってくださいね」

 蓉子はそう言って優雅に微笑んだ。
 どうやらこの彼女は、三年生の中でも一番大人びた印象がある。仕草にも言葉にも、何というか隙がないのだ。生徒としての優等生、というよりも、人間として優等生、という感じがする。
 初顔合わせが恭也達の前で妹を叱りつける場面であったから、そのイメージは尚更だった。

「ところでさ。ゆうひさん達はこれから一ヶ月どこに住むの? ホテル?」
「マンスリーマンション? 駅近くのそんな感じのトコ。ティオレ先生が用意してくれてん」
「高町さんもそちらに?」
「はい。これでも一応、ゆうひさんの付き人ですからね」

 今回の恭也の付き添いは、『護衛』というほど大袈裟なものではない。しかし恭也に頼む以上、万が一の際には危険から守ってほしい、というのがティオレの思惑だ。だから学園内だけでなく、外でもなるべくゆうひの近くにいることが望ましいのだろう。
 それは恭也にも当然理解出来る。出来るのだが――

「うちと恭也君、一緒の部屋やねんで。やぁん、めっちゃドキドキや〜」

 ――こればかりはどうなのか、と。恭也はティオレを若干恨めしく思っていた。

「えっ? 一緒って……。ゆうひさんはそれでいいんですか!?」
「んー。恭也君やったら嫌やないよ。それに先生が応援するんやったら、応えるんは教え子の義務やん? 他の娘達に恨まれるんは怖いけど。まあその辺は、恭也君が説得してくれんねやろ?」
「説得って、何をどうするっていうんですか……」
「涙に暮れる女の子を優しく慰めたったらええねん。うちの為に頑張ってや」

 恭也は呆れ顔で溜息を吐いた。これは、初対面のお嬢様方の前でそんな冗談を曰ったゆうひに対してだけでなく、ここにはいない家族や友人達を思い出してのものだった。
 恭也とゆうひは、別に特別な男女の関係ではない。そのことは恭也の周囲も知っていることだ。
 だというのに、恭也達が同じマンションで暮らすと聞いて、何かと騒ぎ立てたのである。

(俺にゆうひさんをどうこうできるわけがないだろうに。……俺ってそんなに信用ないのか?)

 もう一度先程と同じように息を吐く。――と、そのとき。
 カチャン、と別に何でもないような小さな音が、恭也の耳に響いた。

「他の娘達……?」

 その音は、ティーカップと受け皿が奏でた、陶器の触れた音だった。





(あちゃー……)

 蓉子は天を仰ぎたくなった。でも、見上げても突き抜けるような高い空はなく、天井の板しかない。だからわずかに上げかけた顎を引いた。
 それに、この状況を作り上げたそもそもの張本人として、無責任に天任せに出来るものでもないだろう。
 何より問題は、蓉子の大切な妹のことなのだから。

「高町さんは、随分と女性に人気がおありなのですね」
「あ、や、ちゃうねん。さっきのはジョークで」
「先程から見ていれば、女性慣れしているようにもお見受けできますし」
「や、ほら、それは――」
「ただ、ここは女子校ですのでご注意くださいますよう」

 自らの不用意な発言の責任を感じてか、ゆうひも場を取り繕うような笑顔を作っている。彼女は、祥子が男嫌いであることを蓉子から伝えられているのだ。
 それを見て、蓉子は申し訳なさを感じた。
 確かに蓉子がセッティングしたこのお茶会であるが、こんな展開にする予定はなかった。予定では、客人であるゆうひと恭也を招き、同じ時間を何となく過ごすことで、一悶着あった祥子と恭也に歩み寄りをさせるはずだったのだ。
 もちろん男嫌いの祥子であるから、急に仲良くさせるのは難しい。それでも、自分の仲間達が警戒を解いて話しているのを見ているうちに、少しは「この人は大丈夫かもしれない」という風に思ってくれるだろう、と蓉子は考えたのだ。
 だがその思惑は失敗だったと薄々勘付いたのは、由乃が恭也と仲良く話し始めた頃。――つまり、のっけからのことだった。
 祥子は自分の仲間達と話している恭也を安心できる人物とは認めず、自分の仲間達と馴れ馴れしく話す、軟派な男と認識したものと思われる。自分のお気に入りの妹である祐巳までが懐いてしまったのだから、その怒りたるや相当のものだろう。
 ただ、それだけであればまだ良かったのだが。

(……無視しているようでいて、しっかり聞いてるんだものね)

 ゆうひの言葉が、危ういところでオフに抑えていた祥子のスイッチを入れてしまった。
 恭也と他の皆が仲良く話していることに腹を立てているだけなら、結局はただのやきもちだ。いくら自分の妹にでも、「この人と話すのをやめなさい」という命令まではしない。相手がとんでもない悪人であれば止めもするだろうが、そこまで問題のある相手でもなければ尚のこと。苛立ちながらも平静を装って、気にしていない振りくらいはする。
 しかし、ゆうひの言葉を聞いてしまったら、話は別になったのだ。
 祥子の中の高町恭也が、『付き合ってもいない女性と同室に住み、地元に自分を慕う多くの女性がいて、女泣かせで――』という認識になってしまったのである。
 確かに高町恭也と言う人物、多くの女性に囲まれていても腰が引けている風ではない。普通に、平然と話している。だから祥子の、「女性慣れしている」との意見には蓉子も賛成出来る。
 とはいえ、それで軟派男と決めるのはどうなのか。
 環境の所為で周囲に女性が多いのかもしれないし、純粋培養のお嬢様はともかく、異性の友達がいることもおかしくもなんともない。
 そういった想像を踏まえて観察してみれば、恭也は本当に、普通に、平然と、山百合会のメンバーと話していることがわかった。
 相手が『女』だからと鼻の下を伸ばすわけでもなく。相手を『女』として特別に意識することもなく。ただ自然に、『話し相手』と話していたのだから。

「では、私はそろそろ失礼させていただきます。ごきげんよう」

 祥子が腰を上げた。

「待ちなさい」
「なんですか、お姉さま。今日は、特に話し合う議題はないと思いますけれど?」
「あなたこそ、特に用事はないのでしょう? ゆっくりしていきなさいな」
「結構です。黄薔薇さまと違って、楽しくお喋りなんて出来そうにありませんもの」

 冷ややかな声。それは、蓉子に向けられたものでも、名前を出された江利子に向けられたものでもない。
 昼のときには他の一般の生徒達も多かった所為で抑えられていた祥子の気性、それが出てきてしまっている。

「そういうことですので。祐巳、帰りましょう」
「あ、はい、お姉さまっ。――って、ふえっ!?」

 祥子に呼びかけられ、慌てて立ち上がった祐巳。しかし横から腕を掴まれ、その小柄な体は再びトスンと椅子に戻った。

「ロ、白薔薇さまっ!? あの、何を――」
「祥子が帰りたいなら止めやしないけど。祐巳ちゃんを巻き込むのはやめてちょうだいな」
「巻き込む、ですって……?」
「怖い怖い祥子と違って、祐巳ちゃんには悪役の仲間なんて似合わないもーん」

 そう言って祐巳の頭を自分の肩に抱き寄せ、聖は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 突然のことに祐巳は一瞬驚いたが、すぐにその顔を焦りの表情へと変わる。おそらく蓉子と同じく、祥子のピリピリとした気配にいち早く気付いたのだろう。さすがは祥子の妹だ。

「……悪役? それは私が悪役という意味ですか、白薔薇さま」
「さてね。祐巳ちゃんはこの後、何か用事あるの?」
「いえ、それはありません……けど」
「そ。じゃあ祐巳ちゃんは残りなさい。せっかく皆が揃って、ゲストまでいるんだから」
「でも――」
「いいのいいの。駄々っ子に付き合ってやる必要なんかないって」

 祥子を突っつくような聖の言葉に、蓉子は静観しながらも内心ではハラハラしていた。
 現在、帰ろうとして立ち上がった祥子の手にあるのは鞄。白いハンカチではなく、そこそこの荷物の入った鞄だ。女性の力で引き裂くことが出来るような、布切れ一枚ではない。
 苛立ちを堪える際、祥子はよくハンカチを握りしめる。ときには引きちぎれるほどの力を込めて。
 しかしそれが出来ない場合、祥子はどうするのだろうか。放り投げたりはしないだろうか。あまつさえ、聖や恭也に向かって投げつけたりはしないだろうか。

「――」

 ギリギリギリと。祥子の手の中から聞こえる音が、隣の蓉子の耳に届いてくる。
 その音を聞きながら、蓉子は昼と同じことをマリアさまに祈った。――と、そのとき。

「すいません。自分はここで失礼します」

 事態を横で見ていた当事者が、静かに立ち上がった。

「少しこちらの守衛さんと話をしたいので。後で迎えに来ますから、ゆうひさんは気にせずごゆっくり」
「……ん。わかった。迷子にならんようにな」
「はいはい。それでは皆さん、今日はありがとうございました」

 笑顔で小さく礼をして、恭也はすぐさま出口に足を向けた。
 由乃が何かを言いかけた。しかし令に無言で制され、開きかけたその口をへの字に噤んだ。
 他の皆も何も言わずに、その背中を見送る。
 そしてそのまま、恭也は、ビスケット扉の向こうに消えていった。

「…………」

 後に残ったのは静寂。
 皆、何を言ったらよいのかを探っている。

「ええかな? 喋っても」

 その状況を最初に崩したのは、山百合会の誰かではなく、部屋を去った恭也と同じ、客人であるゆうひだった。
 立ち尽くす祥子の元に歩み寄り、ゆうひはその手を祥子の頬にそっと添えた。
 祥子もそれを振り払いはしなかった。ただ、俯いて目を合わせようとはしない。
 ゆうひはクスッと小さく笑うと、表情を少しだけ引き締めた。

「人にはそれぞれ、その人の事情があると思う。せやから、好き嫌いがあるんは当然や。もちろんうちは恭也君のことが好き。大切な友達やもん。でもだからって、あの子が万人に好かれろー、とか、そんな図々しいことは思わん。そら、誰とでも仲良うなるんはええことやけど、人って無理して付き合うもんとちゃうやん? 好きになれんのならなれんで、なってもらえんのならなってもらえんで、それはしゃーないねん」

 皆の視線がゆうひに集中していた。祥子に向かって、ゆうひが何を言うのかが心配だったのだ。
 蓉子は、たとえ祥子がゆうひに罵られても庇っちゃいけない――、と決めていた。
 しかしゆうひの口からは、恭也を結果的に追い出した祥子を責めるような言葉は、一言も出なかった。

「ほらほら。うち、祥子ちゃんが恭也君と仲良うなれんことより、祥子ちゃんが怖い顔しとる方が嫌やよ? べっぴんさんやねんから、悪い顔にならんとええ顔してな。な?」

 ゆうひの手が突然、二本の指で白い肌を挟んだ。祥子の頬を、むにっと摘み上げたのだ。
 そして俯いていた顔を上げさせ、目と目をしっかりと合わせた。
 蓉子はその行動に驚いたが、されている当人はまたも抵抗しなかった。
 ほっぺたを引っ張られたその顔は、お姫さまにあるまじきもの。いつもの祥子なら、他人に見られれば大爆発をするであろう顔だ。
 なのに、祥子はポカンと力の抜けた顔で、ゆうひを見つめ返すだけだった。

(ああ、そうか――)

 それを見て、蓉子は自らの失敗を悟った。
 簡単な順序を間違えていたのだ。
 祥子が恭也に対して嫌悪感を持っていたのは確かだった。蓉子はそれを、徐々にでもプラスの方向に持っていきたいと思った。
 だから、その困難なミッションに気を取られ、それ以前の根本的なことに思い至れていなかった。
 竦んでいた肩の力を抜いてやらないで、顔の強張りなど取れるわけがなかったのに。

「祥子――」
「お姉さま。少しの間、頭を冷やしてきます」

 姉としての至らなさを言葉にしようとした蓉子を遮ったのは、祥子の一声。
 そして祥子は一直線に部屋を出ていった。
 それは見惚れる程に、普段通りの颯爽とした小笠原祥子の姿。

「……まいったわ。お姉さまだ薔薇さまだって言っても、人生経験の差で負けちゃった」
「んー、蓉子ちゃん? 何か言うた?」
「いえ。なんでも」

 薄い笑みを浮かべながらも、蓉子はゆうひに軽い嫉妬を覚えた。
 ――でも、すぐにやめた。
 とりあえず今は、妹の歩みを純粋に応援しようではないか。たとえ自分以外の誰かの手によってでも、それがいいことであるのには変わりはないのだから。

「さて、どうなると思う?」
「悪役はともかく、格好悪い役のままでは祥子のプライドが許さないでしょうね」
「あ、やっぱり黄薔薇さまもそう思う? 賭けにはならないわね、それじゃ」
「そう思うならそのクッキー、二人分は残しておきなさいよ。結局最後はヒステリー、なんてことのないように」
「食べ物の恨みは恐ろしい、か。了解」

 面白そうに語る聖と江利子。
 蓉子はその予想を聞きながら、そんなの当たり前だと思った。
 あの小笠原祥子が、このままでよしとするはずがない。あの負けず嫌いが、男嫌いの自分に負けてみっともないままでいいはずがないのだ。賭けようなんて考えることが馬鹿らしいほどに、結果が見えている。
 ……どうせ予想をするのなら、もっと面白いことがあるのに。

「あの、紅薔薇さま……」
「何?」
「お姉さま、大丈夫でしょうか?」

 心配顔の祐巳。事態を見ているしか出来なかったことを、祥子の妹として悔やんでいるのだろう。
 蓉子はそんな祐巳を安心させようと微笑みかける。

「大丈夫よ。関心がなければ記憶もしない、気に食わなければ気に食わないで、真っ向勝負で勝つ。……そんな祥子が、お昼からずっとむくれっ放しで、子供みたいなケンカを売って。ちょっと面白いと思わない?」
「面白いってそんな……。それって、笑いごとじゃないじゃないですか」

 不安を消せない祐巳に「それはそうなんだけどね」とだけ答えて、今度はただおかしくて笑った。
 『男嫌い』の妹は心配ではあるものの、『天邪鬼』な妹のこれからが、蓉子には楽しみで仕方がないのである。











あとがき

 ごきげんよう。

 瞳子もいいけど蓉子さま(意味不明
 そんな感じで私としては長めな3話ですが、次の回は短いです。そしてようやく初日が(多分)終わります。
 それが終わったら、ようやく恭也が主役になってくるので。
 スローな展開ですが、初日さえ終わればそこからはトントンといきたいと思ってます。

 以上、UMAでした。





うーん、祥子大爆発。
美姫 「いや、爆発って」
あながち間違いでもないだろう。
美姫 「うーん。でも、ゆうひは流石と言うか」
まあ、さざなみで過ごしていれば、な。
美姫 「まあ、それだけじゃないだろうけどね」
うんうん。にしても、早くも次回が気になる所。
美姫 「一体どうなるのかしらね。楽しみに次回を待ちましょう」
だな。それでは、また次回で。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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