――コンサート開始1時間前。
海鳴市・風ヶ丘コンサートホール――。
「はぁ、すごい人ですねぇ……」
既に満席となりつつある会場を見渡して、愛がいつもののんびりとした調子でそう言った。
「みんなゆうひちゃんの歌、楽しみにしてるんだよ」
「はぁ、あいつもえらくなったもんだな」
「えらいとか、そういうのとは違う気がしますけどね」
「まあ、何にしてもこんだけの人間があいつの歌好きだって思ってくれてんだ。身内としても悪い気はしないよな」
「そういう真雪さんだって、毎月すごい量のファンレター届いてるじゃないですか」
「おい、あんま外でそういうこと言うなよ」
「ごめんなさい」
顔を顰めてそう窘める真雪に、咲耶は軽く顔の前で手を合わせて謝る。
「でも、本当にすごいですよね。真雪さんのマンガ。わたし、直接知り合えてすごく光栄です」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。ていうか、デビュー直後の売り上げはおまえのが上だろうが」
「えっと、……あはは」
「ったく。……まあ、とりあえず今はゆうひたちの歌だな」
「アリスたち大丈夫かな……」
出掛ける前のアリスの少し堅い表情を思い出し、知佳が心配そうにそう漏らす。
その頃、コンサートホールの周辺では一般の通行人に混じって数人のSPが警戒に当たっていた。
とにかく敵の目的が不明なため、警備する側はあらゆる事態に備えなければならない。
会場へと続く2つの扉と同じく2つある非常口にも2人ずつ、合計8人が配備された。
更に施設の正面入り口に5人、従業員用の出入り口と非常口に4人ずつ。
既に護衛として幾つか実績を上げていた恭也は知り合いということもあって、ゆうひたちの側につくことになっていた。
「しかし、本当に来るでしょうか?悪戯という可能性もあるのでしょう」
玄関脇の屋外喫煙スペースでタバコを吸うふりをしながら通りの様子を伺っていたSPの一人がリーダー格の男に向かってそう尋ねる。
「悪戯であってくれればそれにこしたことはないさ。ただ、気になる情報も幾つかある」
「例の神咲の退魔師が言っていたことですか?」
「それもあるが、俺には例の脅迫状の内容が気になってな」
「絶望と恐怖が何とやら、ってあれですか。どうせ、ただの言葉遊びでしょう」
感心なさそうにそう言うと、男は銜えていたタバコに火をつけた。
どうもこの男、事態を楽観視しすぎている節がある。
……その油断が命取りにならなければ良いのだが。
* * * * *
――コンサート開始15分前。
海鳴の街を一望出来る高台に一人の少年の姿があった。
――年の頃は12、3。
だが、病的なまでに白いその顔は能面のように無表情だった。
填め込まれたガラス玉のような二つの赤い目にも生気がない。
まるで本物の人形のような少年は、それでも確かな意思を持って今、この場に立っている。
……さて、そろそろ始めるとしようか。
心の中で独白し、少年は脳裏に一枚のビジョンを広げた。
……そこに映っているのは煙と炎に彩られたコンサートホール。
僅かな後にこの手で生み出す未来の形だ。
だが、少年がその未来へと手を伸ばしかけたとき、不意に彼の中でビジョンが揺らいだ。
……何だ?
訝しげに眉を顰めてその向こうを見ようとした少年の脳裏でビジョンが弾け、暗転する。
もうろうとする意識の中で、少年は最初のアクションを実行した。
* * * * *
13 翼の歌(後編)
* * * * *
――コンサート開始時刻。
広場に設置された時計が鳴り始めるのとほぼ同時に、施設の裏手で一発の銃声が鳴り響いた。
サイレンサーでほとんど消されてはいたが、訓練を積んだSPたちが聞き逃すはずもない。
すぐさま数人が動き出し、残りは陽動を警戒してその場に残る。
その読みは正解で、そう時間を置くことなく他の場所でも銃撃戦が始まっていた。
敵はいずれもやや長身で、全身黒ずくめの上にマスクとフードで顔を隠していた。
手には大小様々な火器を持ち、それが正面を除いたすべての出入り口に出現している。
数は各グループに4から6人ほどで、それを聞かされたリーダーは現在の人員でも十分対処出来ると判断した。
「少々乱暴にしても構わん。一人たりとも中に通すな!」
その命令を受けて、SPたちはまず手持ちの火器を乱射して敵の足を止めようとした。
だが、次の瞬間、彼らは信じられない光景を目の当たりにして思わず動きを止めてしまった。
この襲撃者は殺到する弾丸をものともせずにSPたちのほうに向かって突進してきたのだ。
慌てて我に返った一人が銃を連射するが、それで止められるのなら敵は既に沈黙している。
コートの袖で弾丸を弾いた黒ずくめは銃を撃ってきたSPを蹴り飛ばすと施設内に侵入した。
同様に他の場所でも敵に突破され、SPたちは戸惑いながらも慌てて後を追っている。
このときコンサートホールを襲っていたのはギアシェイドと呼ばれる魔物の歩兵部隊だった。
魔物は準精神生命体であり、故にその体は物理的干渉に対して極めて高い耐久性を持つ。
自我をほとんど持たない歩兵であってもそれは例外ではなく、軽火器を中心としたSP側の装備ではなかなかダメージを与えられずに苦戦を余儀なくされていた。
「くそ、このままじゃじきに突破されちまうぞ!」
地の利を生かして回り込んでいたSPの一人が、空になった弾倉を交換しつつそう叫ぶ。
幸いコンサート会場まではまだ少しあるが、こんな調子ではいつまで持つか……。
「SPたちが半ば絶望しかけたそのとき、不意に金色の光の奔流がこちらに向かってきていた黒ずくめの一人を捕らえてこれを消し去った。
「君は神咲の退魔師か!?」
「嫌な気配を感じたんです。ここはうちに任せて、みなさんは下がってください!」
突然のことに驚くSPたちに向かって、神咲薫は燐とした声でそう言った。
「いや、我々もプロだ。一度受けた依頼を途中で投げ出すことは出来ない」
「だからって無駄に命を散らすこともないでしょう。落ち着いて、出来ることをしてください」
正面を向いたままそう言うと、薫は霊剣十六夜を構え直す。
その刀身に霊気の光が集まるのを見て、男は仕方なく動ける仲間を連れてその場を離れた。
一方、別の通路ではリスティが警備を突破してきたギガシェイドの一団を相手に暴れていた。
「サンダァァァブレイクっ!」
必殺の広範囲放電で一気に数体まとめて吹き飛ばす。
そこへ運良く電撃から逃れた一体がリスティへと銃を向けるが、リスティは相手が引き金を引くよりも早くその眼前へと移動すると、電気を纏った足で蹴り飛ばした。
ザカラと戦ったことのあるリスティには単調な動きしかしない少数の人形など、敵ではない。
何かの片手間といった感じで軽く片付けると、彼女はコンサート会場へと戻っていった。
* * * * *
――静まり返った通路の一つを銀髪の少女が歩いている。
今はまだコンサートの最中で、あたりに人の姿はない。
遠くに聞こえる銃声からして、どうやらまだ戦闘は続いているらしい。
神代咲耶はさざなみに来てからしばらくの間、自分がマンガ家であることを隠していた。
うかつに話して騒がれるのは嫌だったし、自慢していると思われたくなかったのだ。
それを打ち明けたのは住人の中に同業者、それも憧れの草薙まゆこがいたからだった。
最初は驚かれたものの、それだけだった。
知佳やみなみは彼女の描いた作品の読者で、面白いと言ってくれた。
真雪も優しい絵が好きだと言ってくれた。
いい感じであたし好みの話だしな。頑張って早く続きを読ませろよな。
そう言ってニヤリと笑った彼女に、咲耶は満面の笑顔で頷いてみせた。
……幸せな結末を夢見て物語は生まれてくるのだと誰かが言っていた。
そして、それを織り成すものたちはそれぞれが望む未来へと向かって活躍していくのだと。
なら、わたしもこの世界を構成するものの一人として。
――何より、わたしというストーリーの主人公として、その結末を決めないといけないよね。
角を曲がって現れた人外のものへと向かって、咲耶はゆっくりとその右手をかざす。
その手に集うは滅びをもたらす破壊の光か、それとも未来を照らす希望の灯火か。
それを決めるのもまた、彼女自身の役目であり権利だ。
「……還りなさい。汝が心のあるべき場所へ」
少女の手から光があふれ、魔なるものの歪みを修正していく。
その光に溶けるように、影の歩兵はゆっくりと姿を消していった。
* * * * *
薫たちの活躍もあり、コンサートはどうにか無事に終盤を迎えていた。
会場からのアンコールに答え、ゆうひがデビュー曲でもあるネームレスメロディーを静かに歌い上げていく。
恭也は退場してきたクリスフィード姉妹とともに、その様子を舞台袖で見ていた。
襲撃者は既に全員が検挙され、数人のSPの下で尋問を受けているところだ。
魔物といっても、末端のものではその運動能力は人間のそれとさほど変わらない。
異常な耐久性は厄介ではあるが、一度拘束してしまえばどうということもなかった。
しかし、ティナはこれで終わったとは考えてはいなかった。
魔物というのは大抵は知能が低く、集団で行動したりはしないものなのだ。
だが、交戦したSPの話では敵は一個の集団として統率された動きを見せていたという。
その話が本当だとすれば、襲撃者の背後にはそれらを掌握しているものがいることになる。
そんなものがいるとして、ティナにはその目的がまるで分からない。
破壊や殺戮を目的にしているにしては彼らの行動はあまりに消極的だ。
かといって単純に場を混乱させるだけなら、これほどの数を送り込む必要はない。
そして、敵が所持していた火器の数々……。
銃の携帯を禁じられているこの国で、これだけの火器を揃えられるものなどそうはいない。
……敵はよほどの後ろ盾を持ち、その存在を誇示するために今回の襲撃を行なった。
仮にそれが事実だとすれば、これからも似たような事件が起きると見るべきだろう。
そうなったとき、果たしてどれほどの被害が出ることやら……。
嫌な方向へと推理が進む中、彼女の考えを裏付けるかのように、施設内に新たな気配が出現した。
……近いわね。数は一人。……でも、さっきまでの奴らとは明らかに桁が違う。
恭也もそれを感知したのか、すぐさま小太刀の柄に手を掛けて臨戦態勢へと移る。
「わたしが行くわ。恭也はここでアリスやゆうひたちを護って」
「ですが、敵は自分たちに気取られずにここまで来れたような奴です。一人では危険かと」
「二人ともここを離れたら誰がみんなを護るの?」
「では、俺が行きます。ティナさんはアリスさんの側にいてあげてください」
あくまで退かない恭也に、ティナは小さく溜息を漏らすと、真剣な目で彼の目を見て言った。
「聞きなさい、恭也。わたしの剣は魔を絶つ剣でもあるわ。そして、今向かってきているのはそういう存在なの。あなたの剣は人を切ることは出来ても魔物を滅ぼすことは出来ないはずよ」
「うっ……、ですが、ザカラのときはそれなりに役に立てたんです。俺だって」
「そうやって意地を張って戦いに出て、帰ってこなかったら泣くのは誰か分からないわけじゃないでしょ」
「…………」
いつになく強い口調でそう言うティナに、恭也は思わず言葉に詰まった。
「恭也君、大丈夫だよ。わたしのお姉ちゃんはそこらへんの魔物なんかよりずっと強いから」
「そう、ですね……」
笑ってそう言うアリスに、恭也も何とか頷いた。
「アリス、それはどういうことかしら?」
「え、えっと……」
「恭也も頷いてないで否定してくれればいいのに」
「い、いや、しかし、ティナさんのあの強さは尋常ではないかと」
「そう思うんなら、ここは黙って任せなさい。大丈夫、勝算のない戦いはわたしもしないから」
そう言って半ば強引に恭也を納得させると、ティナは外へと通じる扉を開けて出ていった。
近づいてくる気配は確かに並の妖魔ではあり得ない程に強力だ。
しかし、御神が戦えば勝つように、破邪真空流もまた人外相手に敗北はあり得ない。
……後悔させてあげる。このわたし、戦天使の剣の前に立ったことを。
そっと冷たい闘気を解放しつつ、ティナは一人歩を進める。
その瞳に普段の優しい彼女の姿はなかった。
* * * * *
―― 第1章 完 ―― 間章へ続く……。
* * * * *
これにて第一章は終わり。
美姫 「でもでも、あの少年は一体〜」
それは、二章で明らかになるんじゃないかな?
美姫 「む〜、気になるわね」
とりあえず、二章の前に間章があるらしいぞ。
美姫 「そこで明らかになるのかも」
どうかな〜。どっちにしろ、早く次が読みたいな。
美姫 「うんうん。確かにそうよね。それじゃあ、次回を楽しみにして」
暫し待つとするか。
美姫 「それじゃあ、またね〜」
ではでは。