トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

 summernight memories

  2 勉強は計画的に

   *

 ――7月19日 1258

 桜台 さざなみ寮――

「ただいま〜!」

 元気にそう言って玄関を上がる知佳。

「おっ、お帰り。それといらっしゃい。理恵ちゃんと、えっと」

「はじめまして。藤沢牡丹です」

 エプロン姿で出迎えた耕介に、牡丹がそう言ってぺこりと頭を下げた。

「牡丹ちゃんだね。あ、そう呼んでも良いかな」

「ええ、構いませんよ。あなたは?」

「おっと、これは失礼。俺はここの管理人兼コックの槙原耕介って言うんだ。よろしく」

 耕介のその自己紹介に、牡丹は二重の意味で驚いた。

「耕介さんって、知佳の……。っていうか、どうして女子寮の管理人が男なのよ!?

「あはは、普通はそういう反応するよね」

 頭を抱える牡丹を見て、耕介は思わず苦笑した。

「牡丹、耕介お兄ちゃんは良い人だから大丈夫だよ」

「説明になってないわよ。大体、あんたはちゃっかりゲットされちゃってるじゃないのよ」

「うっ」

 宥めようとして逆に痛いところを突かれ、知佳は思わず言葉に詰まる。

「良いじゃありませんか。男性が管理人をされている女子寮があっても」

「良いわけないでしょ!?

「良いの。うちはそれで問題なくやってけてるんだから」

 半ば逆切れ気味にそう言うと、知佳はキッチンのほうへ行ってしまった。

「納得いかないわ……」

 牡丹は牡丹で、むすっとした表情でぶつぶつと何事か呟いている。

「とりあえず、お昼ご飯にしようか。二人ともまだなんでしょ」

「いただきますわ」

「…………」

 幾分か引き攣った笑顔を浮かべてそう提案する耕介に、二人はそれぞれの表情で頷いた。

   *

「美味しい」

 焼きジャケを口に運んだ牡丹の第一声がそれだった。

「今日は活きの良い魚が手に入ったからね。刺身とどっちにしようか迷ったんだけど」

「凄いわ。ただの焼き魚がこんなに美味しいなんて知らなかった」

「そ、そうかい。そこまで言ってもらえると、作った甲斐があったよ」

 キラキラと表情を輝かせながらそう言う牡丹に、耕介は照れたように視線を逸らす。

「むー、お兄ちゃん。幾ら牡丹がちっちゃくて可愛いからって、見惚れちゃダメだよ」

「あ、いや、別にそんなつもりじゃ」

 隣でむくれる知佳に慌てて言い訳をする耕介。

 その様子が何だか可笑しくて、牡丹はつい笑ってしまった。

 昼食後、後片付けをしていた耕介に知佳が話し掛けてきた。

「ごめんね。牡丹、昔嫌なことがあったらしくて、男の人が苦手なんだって」

「別に気にしてないよ。悪い子じゃなさそうだしね」

 小声で友達の非礼を詫びる知佳に、耕介は笑ってそう言った。

「でも、珍しいよな。知佳が理恵ちゃん以外の友達をうちに連れてくるなんて」

「皆遠慮してるんだよ。うちが寮だから他の人に迷惑掛けちゃ悪いって」

「そんなの別に気にしなくても良いのに」

「わたしもそう言ってるんだけどね」

 耕介らしいその言葉に苦笑しつつ、知佳は人数分の紅茶を持ってキッチンを出ていった。

 牡丹は昼食を終えると耕介から逃げるようにリビングのほうへと行ってしまっていた。

 初対面であんな態度を取ってしまったこともあり、いろいろと気まずかったのかも知れない。

 しかし、あの料理は美味しかったな。わたしもここに住もうかしら。

 思わず少し食べ過ぎてしまったお腹を押さえつつ、そんなことを考えている自分に赤面する。

 そんな牡丹を見て、紅茶を淹れてきた知佳は不思議そうに首を傾げた。

「どうかしたの?」

「な、何でもないわ」

 聞かれて慌てて平静を装う牡丹。

「うふふ、牡丹ちゃんは耕介さんに惚れてしまったようですわ」

「なっ、り、理恵。何言ってんのよ!?

 対面のソファに腰を下ろして雑誌を読んでいた理恵がぼそっとそんなことを言う。

 それを聞いた知佳はニヤリと笑みを浮かべると、牡丹の隣に腰を下ろした。

「へぇ、そうなんだ」

「な、何よ」

「べっつに〜。ただ、男嫌いの牡丹がねぇ」

 淹れてきた紅茶を配りながらニヤニヤと笑みを浮かべる知佳に、牡丹は大いにうろたえた。

「わ、わたしはただ、耕介さんの料理が美味しかったなって思っただけよ」

「そうだよね。牡丹、ご飯3杯もお代わりしてたもんね」

「いつもはもっと早くにお昼食べてるから、お腹空いてたのよ」

 顔を赤くしながらも反論する牡丹に、知佳はますます笑みを深めると彼女の体にすり寄った。

「照れた牡丹ってかわいいんだね」

「うっ、な、何を……」

「仕返しだよ。いつもわたしが理恵ちゃんにいじられてるのに助けてくれないから」

「あ、あれは知佳だってまんざらでもないって顔してるから」

 小声でそう反論するが、知佳には聞こえなかったようだ。

 それに複雑な表情を浮かべると、牡丹はそっと知佳から離れた。

「まあ、冗談はさておき」

「本当に冗談だったの?」

「あはは。まあまあ、せっかくだから紅茶、冷めないうちにどうぞ」

 懐疑の眼差しを向けてくる牡丹から逃れるようにそう言うと、知佳は二人に紅茶を勧めた。

「あら、良い葉を使ってるのね」

「ええ、それに知佳ちゃん。また腕を上げましたのね」

 口々に感想を漏らす友人二人に、知佳は少し照れたような笑みを浮かべた。

「ありがとう。でも、まだまだ咲耶やフィアッセには叶わないよ」

「フィアッセさんは本場のお生まれですものね」

「漬物とかお味噌とか好きだけどね」

 そう言って二人は日本人以上に日本人らしい友人の顔を思い浮かべる。

「咲耶って子は確か、喫茶店でアルバイトしてるのよね。えっと、何てお店だったかしら?」

「翠屋だよ。ほら、知り合った初日に一緒に行ったじゃない」

「ああ、あのお店ね」

 知佳に言われて、牡丹は思い出したように手を打つ。

「あのお店の紅茶とケーキは美味しかったわね」

「えへへ、実は今日のおやつ、その翠屋のシュークリームだったりしま〜す」

「本当ですの?」

「うん。耕介お兄ちゃんが午前中に買い出しに行った帰りに寄って買ってきてくれたんだ」

 知佳の言葉に理恵が身を乗り出し、牡丹が勢いよく立ち上がった。

「だ、出しなさい。今すぐ出すのよ!」

「ちょ、今さっきお昼ご飯食べたばかりでしょ」

「良いから。出さないと学校での知佳の恥ずかしい姿を納めたフィルムを耕介さんに渡すわよ」

「わわっ、分かったからそれだけは止めて!」

 両手で知佳の肩を掴み、激しく前後に揺さぶる牡丹。

「ふぅ、強引なんだから……」

 脅迫にあっさり屈すると、知佳はふらふらとキッチンへと向かう。

「牡丹ちゃんは甘いものに目がありませんからね」

「わたしがっていうか、女の子なら大抵そうでしょ。そう言う理恵だって」

「私は知佳ちゃんを脅迫してまで食べたいとは思いませんわ」

「その代わり、知佳には何度も襲い掛かろうとするけどね」

 先程の反撃とばかりに指摘するが、理恵はにこにこと笑っているばかりで堪えた様子はない。

「いや、そこ否定してくれるとわたしとしてはかなり嬉しいかな」

「知佳ちゃんは可愛いですから」

 シュークリームの箱を手に戻ってきた知佳にも理恵は全く笑顔でそんなことを言う。

 そんな友人に苦笑しつつ、冷や汗を浮かべてしまう知佳だった。

   *

 ――7月19日 1340

 海鳴商店街 喫茶翠屋――

 昼のピークもようやく過ぎた頃、従業員用の休憩室に忍び寄る一つの影があった。

 明らかに挙動不審だが、今のところそれを見咎める視線はない。

 室内を簡単に見渡し、目的の物を見つけると影は素早くそれへと駆け寄った。

 そこにあったのは海鳴中央指定の学生鞄。今もフロアを手伝っている恭也のものである。

 影はそっと鞄を開けると、その中から通信簿と書かれた物を取り出そうとした。

「そこで何をしてる」

 不意に背後から掛けられた低い声に、影はびくりと身を震わせた。

「きょ、恭也。あんた、フロアに出てたんじゃ……」

 いるはずのない声の主に驚き、その影――桃子はゆっくりとした動きで振り返った。

「不穏な気配がしたから、もしやと思って来てみたが、やはりかあさんだったか」

「や、やーね。そんな人を物取りか何かを見るみたいな目で見ないでよ」

「やっていることは正にそれなんだが」

「うっ。わたしはただ、親として我が子の成績が気になっただけなのよ」

 痛いところを突かれて、苦しい言い訳をする桃子に恭也は疲れたような溜息を漏らした。

「別にそんなことをしなくてもちゃんと見せるつもりだったんだが」

「本当でしょうね。去年みたいにまた隠そうとしてたんじゃ」

 そう言って疑いの目を向けてくる桃子に、恭也は僅かに視線を逸らした。

「出来ることなら見せたくはないんだが、そうすると後が怖いからな」

「ふーん、あんたのことだからてっきりこっそり燃やしちゃうくらいはするかと思ったけど」

「いや、それは犯罪だから」

 笑顔でとんでもないことを言ってくれる母親に、恭也は表情を引き攣らせた。

「それで、一体どういう風の吹き回しなの?」

「察してるとは思うけど、それの中身は惨澹たるものだ」

「やっぱり。っていうか、お願いだから少しは気にしてちょうだい」

 まるで動じた様子のない息子に、今度は桃子が溜息を漏らした。

「いや、気にはしているぞ」

「気にしてるだけでしょ。いっそ家庭教師でもつけようかしら」

 溜息混じりにそう言う桃子に、恭也の目が細められた。

「ああ、それなんだけど、実は既に頼んであるんだ」

「へっ?」

「さすがにこのままじゃやばいからな。知り合いに相談したら快く引き受けてくれたよ」

「へぇ」

 意外過ぎるこの息子の行動に唖然としながらも、一体誰に頼んだのか興味が湧いてくる。

「その知り合いって女の子よね?」

「あ、ああ、かあさんもよく知ってる人だ」

「ふーん、誰なの?」

 ニヤニヤしながら聞いてくる桃子に、恭也はやれやれというふうに溜息を漏らす。

「かあさん、そろそろ仕事に戻らなくても良いのか?」

「げっ」

 恭也の指差したほうへと目を向けると、そこには鬼と化した松尾さんが立っていた。

「店長〜、この忙しい時にサボりますか、あなたは〜」

「あああ、まっちゃん。ごめんなさい〜〜」

 ずかずかと室内に入ってきたかと思うと、松尾さんは桃子の耳を掴んで引っ張っていった。

 ピークを過ぎたとはいえ、翠屋の厨房はまだまだ忙しいのであった。

「ったく、かあさんもあれさえなければな」

 そう言いつつ、何度目か分からない溜息を漏らす恭也を後ろから誰かが抱きしめた。

「こら、溜息ばかり吐いてると幸せが逃げちゃうぞ」

「さ、咲耶さん、い、いつの間に」

 突然背後から抱きしめられ、恭也は慌てて振り向くと彼女の腕から逃れた。

「もう、良いじゃない。これくらいのスキンシップ。それとも、お姉さんとは嫌?」

「か、からかわないでください」

 顔を真っ赤にしてそう言う恭也に、咲耶はくすりと笑みを零す。

「恭也君って普段はすごく落ち着いてるのに、そういうところは年相応なんだよね」

「咲耶さんはもっと慎みを持ってください」

「あら、わたしだって、人前でこんなことはしないわよ。それに、これは恭也君だから……」

 顔を赤くしてそう言う咲耶。だが、後半は声が小さくて恭也には聞こえなかった。

「それにしても、本当に壊滅的な成績なんだね」

 桃子が落としていった通信簿を拾い上げて開くと、咲耶はざっと目を通しながらそう言った。

「放っておいてください」

「ダメだよ。わたし、恭也君の家庭教師なんだから」

 そう言って通信簿を閉じると、咲耶は逃がさないと言わんばかりに恭也を見た。

 何処か神秘的なその青い瞳に見つめられ、恭也は魅入られたように動けなくなる。

「これ、今夜一晩貸してもらえるかな。カリキュラムを組むのに参考にしたいから」

「本当に勉強するんですか?」

「当然だよ。こんな楽しい……じゃなくて、大事なこと放っておくわけにはいかないでしょ」

 一瞬本音が出なかったかと思ったが、それを尋ねる勇気は今の恭也にはなかった。

「はぁ」



   *

  あとがき

龍一「牡丹はちびっ子です。でも、胸は……」

知佳「ストップ。それ以上はセクハラ発言だよ」

龍一「どれくらい小さいかというと、1年の頃の知佳くらい(146cm)。でも、胸は……」

知佳「わたし、今は160cmあるもん。っていうか、本当にそれ以上はセクハラ発言だから」

龍一「成長したんだね。後、胸とかも」

知佳「えーい、いい加減にしなさい!(ソーラ・レイ)」

龍一「フィンで集めた太陽光を熱エネルギーに変換して放出してるんだな」

知佳「溶けながら冷静に解説しないでよ」

龍一「っていうか、今回ほとんど時間が経ってないし」

知佳「だ・か・ら、蒸発しながら冷静に解説するなっ!」

龍一「…………」

知佳「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、……と、とりあえず、今回はここまでです」

――「読んでくださった方、ありがとうございました」

知佳「次回はアリスのお話。コンサートでのゲスト出演を果たした彼女はその後……」

――「お楽しみに〜」

知佳「って、あなた誰?」

   *

 

 




今回もほのぼのとした感じのお話。
美姫 「にしても、恭也の具体的な成績ってどんなのかしらね」
……どうだろう。
美姫 「壊滅的ってぐらいだからね〜」
果たして、恭也の成績は上がるのか!?
美姫 「目指せ、学年トップ10!」
って、そういうお話じゃないと思うぞ。
美姫 「ともあれ、次回はアリスの登場」
何が起こるのか!?
美姫 「小学生の計算ドリルを解きながら次回を待て!」
って、お前、幾らなんでも俺をバカにし過ぎだぞ、それ。



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