トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜
第2章 summer night memories
*
寮へと続く坂の途中からけもの道を突っ切ると八束神社の社の横手へと出ることが出来る。
その道を途中で折れ、斜面を下ればそこはもう森の中だった。
そこから更に少し進み、寮から十分に離れたところで恭也はようやく足を止める。
寮の前で立ち尽くしていたところを愛に見つかって中に通されたのが今から数時間前のこと。
恭也は咲耶のことがあるので遠慮したかったのだが、相手が愛では強くも言えなかった。
元より預けていたなのはを連れて帰るために、中には入らなければならなかったのだ。
告白された衝撃のあまり、それを忘れてしまっていた自分に思わず苦笑してしまう。
その後、迂闊にも愛の料理を食してしまった恭也はその場で意識を失い、気づけば夜だった。
余談だが、話を聞いて飛んできた桃子に愛がリビングの隅で平謝りしていたとか。
結局、その日は桃子となのはと三人でさざなみに泊まることになってしまった。
ちなみに、美由希も今日は美緒と一緒に望の家にお泊りである。
意識を取り戻した後、恭也は気晴らしに少し外を歩いてくると言って寮を出た。
まだ少しぼんやりする頭に浮かぶのは、自分を好きだと言った少女のこと。
彼女が海鳴へと来た日、駅前で不良に絡まれているところを助けたのが出会いだった。
その後、翠屋でお茶をして、入寮者だという彼女をさざなみまで送っていった。
彼女は少し悪戯好きのようで、知り合ったばかりにも関わらず道中かなりからかわれた。
それでも人を傷つけるようなことだけはしないと分かって、嬉しかったのを覚えている。
そういえば何故自分をからかうのかと聞いたとき、彼女は兄に似ているからだと答えた。
雰囲気というか、人柄というか、そんなところが何となくそっくりなのだそうだ。
そんな彼女の言葉を思い出して、もしかしたら重ねて見られているのかとも思ったのだが。
あの瞬間に彼女の目を正面から見てしまった恭也の直感はそれを違うと否定していた。
女性の恋心なんて分からないが、あの目は憧れの延長などではなかったはずだ。
そこまで考えて恭也はふと、自分がいつの間にか彼女のことばかり考えていた事に気づいた。
今は自分の気持ちをはっきりさせなければいけないというのに。
一度立ち止まり、軽く頭を振って思考を切り替える。
そうすることで分かったのは、自分がいつの間にか結構な距離を歩いていたということだ。
そして、
「…………」
何かが、いる。
そう感じた瞬間、恭也は反射的に意識を戦闘モードへと切り替えていた。
手持ちの武装を確認しつつ、改めて周囲の気配を探る。
結論から言えば、その判断は正しかった。
探り当てた気配はまるで霞が掛かっているかのように酷く曖昧なものだった。
それだけ上手く隠せるということか。あるいは元々が稀薄な存在ということなのだろう。
いずれにしてもこの相手が自分に対して殺意を抱いていることだけは恭也にも分かった。
幸いだったのは、この場所が皆のいる寮からある程度離れているということだ。
尤も護るための御神がただの戦いで何処まで実力を発揮出来るかは未知数ではあるが。
気配が、動いた。
恭也はそれを右の小太刀だけを抜刀したいつもの構えで迎え撃つ。
――交差は一瞬……。
そして、
戦いが、
始まった。
*
5 強襲!
*
時刻は少し遡る。
散歩してくるという恭也を見送った後、耕介は知佳と二人で夕食の後片付けを始めていた。
洗い物事態はそれほど多くはないのだが、せっかくの好意を断る理由も耕介にはない。
知佳は恋人で、なるべく一緒にいたいという気持ちは二人の間で共通のものだから。
「それにしても、愛さんの料理って相変わらずなんだな」
「そんなに酷いの?愛お姉ちゃんの料理」
「知佳は食べないほうが良いぞ。あれは恭也君だからあんなに早く復活出来たんだから」
「あ、あははは……」
真顔でそんなことを言う耕介に、知佳は渇いた笑みを浮かべるしかない。
何気に失礼なことを言っているが、実際に気絶した人を見た後ではフォローし難いのだ。
「てゆーかさ、何で愛に料理なんて暴挙を許した。おまえらずっとキッチンにいたんだろうが」
とは真雪の言葉である。
「うう、良いんです。わたしなんて……」
そう言ってリビングの隅でいじける愛をアリスが慰めている。
そのうち料理の出来ないもの同士、意気投合して飲みだす始末。
アリスのほうは悪い癖がついてはいけないとティナにすぐさま酒瓶を取り上げられていたが。
「そういや、咲耶はどうしたんだ?」
自分もコップを出しながらそう言う真雪に、その場にいた数人が首を傾げる。
「そういえば見てませんね」
「夕飯にも降りてこなかったし、具合でも悪いのかな」
心配そうに顔を見合わせる知佳とみなみ。
「俺、ちょっと様子を見てきます」
「わたしも行くよ。何かあって、部屋に入るんなら女の子のほうが良いと思うし」
洗い物を終えた耕介と知佳は、そう言ってエプロンを外すと二人で二階へと上がる。
咲耶の部屋は前にリスティの暴走で半壊したのを修復した際に増築したうちの一室だった。
リスティが愛の養子となったことでさざなみの賃貸で使える部屋は4つとなってしまった。
さすがにそれでは厳しいということで、この機会に部屋数を増やしたのである。
それにより今のさざなみ寮は下6部屋、上8部屋の合計14部屋となっている。
増築に伴い細かな部分の改装等も行なわれたがそれは今は良いだろう。
208号と書かれた扉の前に立つと、まず耕介が軽くノックをしてから中へと声を掛けた。
しかし、部屋の主は寝ているのか返事はない。
「このところ少し具合悪そうだったからね。それで起きられないのかも」
「そうなの?」
不思議そうにそう聞いてくる耕介に、知佳は呆れたように軽く溜息を漏らす。
「お兄ちゃん。住人の健康を把握しておくのも管理人のお仕事だよ」
「あ、ああ、分かってはいるんだけど、まさか急に具合が悪くなるなんて思わなかったんだ」
「まあ、咲耶は隠してたみたいだし、しょうがないのかも知れないけど」
「面目ない……」
「良いから中入るよ」
項垂れる耕介を叱咤してドアノブへと手を掛けた知佳の動きがぴたりと止まる。
「え、えっと……」
困った顔で見つめる彼女の視線の先にはドアノブに掛けられた一枚のプレート。
そこには手書きらしい少女の丸っこい文字でこう書かれていた。
『――ただいま咲耶はお休み中です。起こさないでね』
チラリと耕介の顔を盗み見ると、彼も同じような表情を浮かべてこちらを見ていた。
二人はそのまま顔を見合わせると、音を立てないようにそっと彼女の部屋の前を離れた。
だが、このときもう少し注意していれば神咲の退魔師見習いである耕介は気づいたであろう。
ドア越しに感じられた彼女の気配が寝ているのとはまた違う稀薄さを持っていたことに。
あるいは知佳がそのプレートに気づかなければ、また違う展開になっていたかもしれない。
ドア越しに二人の気配が遠ざかるのを確かめると、少女はベッドから身を起こした。
*
手近な木の陰へと身を隠しつつ、恭也は高速で迫る銀色の影へと飛針を投げる。
直接狙っても当たらないのは既に実証済みだ。だからこの攻撃に牽制以上の意味はない。
行く手を遮るように飛来した飛針を鋭角的な機動で回避しつつ、更に距離を詰めてくる影。
だが、影から伸びた一条の光がその木を貫いたとき、そこに恭也の姿はなかった。
相手が雷のようなものを纏っていることは最初の交差で分かっていた。
更に高速で動き回る相手を捕らえるにはどうすれば良いか。答えはそう難しくはない。
恭也はこちらへと向き直った影へと更に何本か飛針を投げる。
先に投げたものも含めてそれらにはすべて最強の硬度を持つ鋼糸0番が結んである。
走りながら更に幾つか違う方向にも同じものを投げると、恭也は唐突に足を止めた。
それを観念したと思ったのか、影はそれまでとは違うゆっくりとした動きで恭也へと迫る。
恭也は慎重に相手との距離を測ると、あるラインを越えたところで一気に右手を引いた。
瞬間、獲物へと飛び掛ろうとした影を鋼糸の網が絡め取る。
即ち、これが答えである。
恭也は素早く鋼糸の端を結んだ小刀を手近な木の幹へと突き立てた。
いつまでも握っていると鋼糸を通して流れた電流でたちまち黒焦げにされてしまうからだ。
尤もこの罠自体、相手が幽霊のような存在だったら意味がないのだが。
だが、敵は恭也の予想を上回る存在だった。
何と影は自身の体が引き裂かれるのも構わず、強引に網を突破してきたのだ。
心太が押し出されるように幾つかに分裂すると影はそのまま別々に恭也へと襲い掛かる。
あまりの出鱈目ぶりに恭也は一瞬反応が遅れ、慌ててその場から飛び退いた。
それを追って殺到する無数の銀色に舌打ちしつつ、更に後ろに跳んで距離を開ける。
――洒落にならないな。
直接切りつければこちらが感電させられ、下手に網を張れば分割して増えてしまう。
さすがにすべて同時には制御出来ないのか、8つを残して一つの塊に戻っていたが。
状況が厳しいことに変わりはない。
――無理をせずに薫さんかティナさんを呼んでくれば良かったか……。
今更だとは思いつつも、後悔せずにはいられない恭也だった。
多数を同時に相手取れる御神流ではあるが、それも攻撃が通用すればの話である。
高速で動き回る標的は小さくなった分更に投げ物が当たり難くなっている。
鋼糸で一瞬だけ拘束してその間に飛針か小刀を投げ当てれば倒せるかもしれないが……。
考えている間も恭也の足は止まらない。
一瞬でも隙を見せれば、たちまち多方向からの同時攻撃に絡め取られてしまいそうだった。
神速で距離を詰めて、一気に本体を破壊するしかないか。
あの不定形では一撃で急所を捉えられるか分からないが、やるしかない。
そう腹を括ると、恭也は御神流で最長の射程を誇る技の構えを取った。
――御神流奥義之三、射抜――。
同時に神速を発動させ、色の抜け落ちた世界の中を銀色の影目掛けて走る。
小型の球体となって飛び交う分身たちの間を縫って近づくと、恭也は本体へと刺突を放った。
射抜の本質は派生であり、極めれば他の奥義に繋げることも可能となる奥義だ。
だが、恭也はあえて一回だけの攻撃に留めるとそのまま影の脇を駆け抜けた。
右膝が完治しているとはいえ、成長途中の身体に長時間の神速は耐えられない。
すぐにモノクロの世界から抜け出ると、恭也は振り返って敵の姿を確かめた。
影は依然健在。だが、分身の数が8つから5つに減っている。
本体がダメージを追ったことで数を維持出来なくなったか。
あるいはその傷を塞ぐために戻したのだろう。
いずれにしても、これである程度は今の攻撃が有効であることが分かった。
こちらも神速による身体への負担は無視出来るものではなかったが、これで勝機は見えた。
乱れた呼吸を整えつつ、再び射抜の構えを取る恭也。
だが、敵もさすがにそう何度も簡単には攻撃させてくれなかった。
5つに減った分身たちは恭也を近づかせまいとそれまで以上の速さで本体の周囲を飛び回る。
同時に本体表面に青紫色のプラズマを発生させ、全方位に対して広範囲放電を仕掛けてきた。
素早く動き回る標的に対するこれもまた一つの答えだ。
さすがの恭也もこれには対処しきれず、全身に強力な電気を受けて地面に片膝を着いた。
ただ、とっさに小太刀を地面に突き立てて電流を逃がした判断はさすがというべきだろう。
それでも全身に広がる痺れは相当なもので、次を受ければ持ちそうになかった。
――戦えば勝つのが御神だ……。
半ば朦朧とする意識を精神力で繋ぎ、無理やり立ち上がろうとする恭也。
そんな彼の努力を嘲笑うかのように、再び銀色の影から紫電の波が放たれる。
まるでビデオのスローモーションのようにゆっくりと迫る死の波動に、恭也は……。
一瞬、本当に一瞬、恭也は死を覚悟した。
――走馬灯のように様々な出来事が脳裏を駆け抜け、
最後に浮かんだのは、瞳に深遠の青を湛えた一人の少女の姿だった。
逃れられない死を前にして、彼女に答えられなかったことを悔やむ恭也。
結局、自分は彼女のことをどう思っていたのだろう。
年上の友人。フィアッセのような姉的存在か。それとも……。
そこまで考えて、ふと何故自分はまだ意識を保っているのかと不思議に思った。
雷撃に耐えたのか、それとも既に死んでしまっているのだろうか。どちらも違う気がする。
体に痺れはあるものの、意識が薄れていくような感覚はない。
思わず閉じてしまった目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
こちらに背を向け、自分を庇うように両手を広げて立つ少女。
長い銀髪を風になびかせて立つその背中に、恭也は確かに見覚えがあった。
「――許さないんだから……」
静かな怒りを湛えたその呟きは誰に対して向けられたものだったのか。
彼女の姿に少しの違和感を覚えつつ、恭也にはそれが何であるか分からない。
ただ一つ、言えることがあるとすれば、
それは今目の前にいる彼女が間違いなくこの場の誰よりも強いということだ。
受け止めた雷撃を撥ね退けると、咲耶は銀の影へと向かって地を蹴った。
*
あとがき
龍一「恭也と咲耶以外の人に出番がほとんどないのはどうしたもんかな」
知佳「まあ、第2章はこの二人が主役だからしょうがないと言えばないんだけど」
龍一「特に風ヶ丘組、瞳さんとかいずみとか弓華は未だ未登場だし」
知佳「第3章は十六夜さんとか薫さんメインだったっけ?」
龍一「その後は……って、先の話ばかりしてもしょうがないだろう」
知佳「それもそうだね」
龍一「それじゃ、次回予告」
――恭也の危機を救わんと駆けつけた咲耶。
覚醒した彼女の赤い瞳に込められたもう一人の少女の想いとは。
次回 トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜
第2章
6 護りたいもの
知佳「恭也君、本当は咲耶のことどう思ってるのかな」
*
おおう、おおう! 突然の襲撃!
美姫 「思わぬ相手に恭也が窮地に!?」
そこへ現れたのは咲耶だった!
美姫 「って、滅茶苦茶良いところで次回〜」
とても続きが気になるところ。
美姫 「アンタの首をながーく、ながーく伸ばしながら次回を待て!」
って、いたたたたっ!
美姫 「それじゃあ、次回も楽しみに待ってますね〜」
待ってま…ってててて。ムリムリムリ。それ以上は本当に無理だってぇぇぇっ!