トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第2章 summer night memories

  13 シリアスの後にはお約束を

   *

 一時間後、風呂から上がった二人は実に対照的な表情を浮かべていた。

 何時ぞやのお返しとばかりに心行くまで咲耶の身体を堪能した知佳。

 いろいろと楽しんだようで、彼女はすっかりご満悦の様子で脱衣所の戸を開ける。

 それに対して全身をこれでもかと丹念に洗われた咲耶は、ぐったりとした様子で後に続いた。

 それなりに経験を積んでいる知佳とは違い、耐性の低い咲耶はその手の感覚に弱かったのだ。

「咲耶、可愛かったよ」

「うう、言わないでよ。恥ずかしかったんだから」

 先の風呂場での光景を思い出し、笑みを深める知佳。言われた咲耶は真っ赤である。

 知らない人が聞けば誤解を招きそうな会話だが、決して二人はそのような関係ではなかった。

 ただ、仲の良い女の子同士のスキンシップというのは、時に男性の想像を超えて過激なもの。

 特に女子高育ちの知佳はそのあたりの経験が豊富だった。

 庶民である彼女は、理恵を始めとする多くのお嬢様に大変気に入られているのである。

 その点、咲耶も声の彼女との付き合いがあるので、全くの初体験ばかりではないのだが。

「そういえば、あの後宴会はどうなったの?」

 リビングの扉に手を掛けつつ、知佳はふと何気ない調子でそう聞いた。

「さあ、わたしもすぐに逃げたからどうなってるかは知らないのよね」

 それに知佳の数歩後ろで足を止めて答える咲耶。

 答えに反して逃げられるだけの距離を保っているあたり、大体の予想はついているのだろう。

「……逃げ出したくなるような状況だったんだね」

 苦笑いを浮かべて小さく手を振る咲耶に、知佳は少し恨めしげな視線を向ける。

 この親友は自分にたった一人でこの扉の向こうに赴けというのだろうか。

 そうは言っても、さっきの入浴で彼女から気力を奪ったのも自分なので何も言えないのだが。

 諦めたように咲耶から視線を逸らすと、知佳は振り返って一気に扉を開け放った。

 同時にバリアを張ってあらゆる物質の侵入を遮断する。

 結論から言えば、その判断は正しかった。

 知佳が扉を開けた途端、中から強烈なアルコール臭が漂ってきたのだ。

 冗談のような話だが、弱い人は臭いを嗅いだだけでも酔ってしまうことがある。

 バリアを張っていた知佳は無事だったが、後ろにいた咲耶はそうはいかなかったようである。

 知佳との戯れで消耗していた彼女は濃厚な酒気の直撃を受けてその場に座り込んでしまった。

 だが、目の前の惨状に衝撃を受けた知佳はそんな彼女の様子にも気づかない。

 酒気が晴れるのもそこそこに、知佳は室内に踏み入ると真っ直ぐに部屋の中心へと向かった。

 そこにはこの惨状を作り出した張本人であろう、さざなみのセクハラ大魔人の姿が。

 大方酔い潰れて眠ってしまったのだろう。

 しかし、怒りのオーラを纏った我らが妹、仁村知佳の接近に気づかないとは……。

 ――迂闊である。

 だが、怒りのあまり不用意に歩みを進めた知佳もまたその油断が命取りになることを知る。

 真雪まで後少しというところで、彼女は何かに躓いて転びそうになった。

 それは人の足だった。

 しかも、普段は一緒に風呂に入ったときくらいしか見ることの出来ない神咲薫の生足である。

 他にも巫女服の胸元がはだけていたりと、何かと目のやり場に困る格好をしている。

 彼女も犠牲者なのだろう。

 でなければ、真面目な薫がこのようなあられもない姿を曝したままでいるはずがない。

 彼女の乱れた服装を直し、その上にタオルケットを掛けると、知佳は改めて室内を見渡した。

 こうして落ち着いて見てみると、酔い潰れて眠っている人の数は意外と少ない。

 薫は真雪の暴挙を止めようとして、逆に飲まされたといったところだろう。

 その元凶の傍らに付き合わされたであろう耕介の巨体が横たわっているのもいつものことだ。

 他にも例によって、ジュースに混入されて飲まされたと思われる岡本君。

 さくらに付き合って飲み過ぎたらしい真一郎たち幼馴染トリオの姿もある。

「まったく、未成年もいるのにこんなになるまで飲まないでよね」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、手際よくそこらに散らかっている物を片付けていく知佳。

 これは大宴会の次の日の朝には割りとよくあることだった。

 直接的な被害を免れたものは無事であるが故に、その後始末をさせられることになる。

 理不尽ではあるが、だからといって当人たちにやらせるのは論外だった。

 酔い潰れて眠っている人たちが再起動するのを待っていたら、いつまで経っても片付かない。

 それに、どうせ知佳は手伝うのだ。

 今のうちにやれるだけやっておけば、それだけ耕介の負担も少なくなる。

 潰れるくらい飲まされているのだから、今日はきっと二日酔いになっていることだろう。

 そんな彼にいつも以上の仕事をさせるなど、知佳は恋人として看過出来なかった。

 まずは、汚れた紙皿や潰れた紙コップ、折れた割り箸等を纏めてゴミ袋に詰めてしまう。

 これらの消耗品は使い捨ての割りにコストが高いので、無駄遣いはしてほしくないのだが。

 とりあえず割り箸を食べようとした人には後で注意をしておくとして、知佳は作業を続ける。

 ゴミを分別し、洗い物を流しに移して、テーブルの上を拭いた。

 ここまで知佳はよく頑張った。後は他の人に任せて休んでも誰も文句は言わないだろう。

 だが、彼女はあえてこの最後の敵に挑むことを選んだ。

 ここまでやったのだから、という思いが逆に彼女を駆り立てるのか。

 あるいは目の前の常軌を逸した光景に、危機感を覚えてしまったのだろう。

 知佳の視線の先にあるのは、百を超えそうな勢いで積み上げられた空き缶の山だった。

 一体これ程の量を誰が消費したのか。いや、それ以前に何処から掻き集めてきたのだろう。

 近所のコンビにの一軒や二軒では済まない。

 大きな酒屋を店ごと買い占めたような、そんな量である。

 しかも、ざっと見た限りではあるが、それら全てが同じ銘柄のようだった。

 そこから立ち昇る強烈な酒気に、知佳は思わず数歩後退る。

 ――逃げちゃダメだよ。これも耕介お兄ちゃんのためなんだから。

 そう、逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだっ!

 脳裏に浮かぶのは愛しい彼のちょっと困ったような優しい笑顔。

 それを糧に自らを奮い立たせると、知佳は最後の敵に向かって突貫した。

 だが、ここは人外魔境のさざなみ寮。例え空き缶の山であろうとただで終わるはずがない。

 知佳もそれを考慮して慎重に一歩を踏み出したつもりだったのだが、甘かった。

 彼女が足を下ろした途端、巨大な空き缶の山全体をぼんやりとした光が包んだのだ。

 見慣れない超常の光にとっさに身構えた知佳の目の前で、数個の空き缶が宙に浮かび上がる。

 ボルターガイスト。一瞬脳裏を過ぎったその単語に、彼女はちらりと薫を見た。

 退魔一族神咲が一派、一灯流の当代も酔い潰れて眠っていたのでは、ただの女子大生である。

 あてには出来ないと悟り、視線を前方へと戻す知佳。

 このあたりの思い切りの良さは以前の彼女にはなかったスキルだ。

 ――迷いは自分を殺すことになる。って、元赤い彗星の大尉さんも言ってたもんね。

 だが、敵はその僅かな隙を突いてきた。

 視線を逸らした彼女へと、3つの空き缶がそれぞれ別々の軌道を描きながら飛んでくる。

 それに知佳は一瞬驚いた表情を浮かべたが、予想の範疇だったのか取り乱すことはなかった。

 すぐに冷静さを取り戻すと、彼女は飛んでくる空き缶を見据えて片手を振り上げる。

 HGSとしては最強の強度を誇る知佳のバリアだ。

 攻撃を防ぐだけなら、おそらくそう難しくはないだろう。

 だが、この手の浮遊攻撃端末は、移動力を失わない限り際限無く襲ってくるものだ。

 マンガ等の知識からそう判断した知佳は、落ち着いて一つずつ確実に潰していくことにした。

 2つを避けつつ、握った拳に集中展開したサイコバリアで目標を叩き潰す。

 所詮はアルミの缶なので、当たれば簡単に潰すことが出来た。

 日頃からリスティと超能力ど突き漫才を繰り広げている彼女である。

 この程度の数など問題ではなかった。

 だが、最初の攻撃を往なされたと分かった敵は今度は同時に5つの空き缶を飛ばしてきた。

 これまたすべてが別々の軌道を描き、速度も先程以上に速い。

 それを見た知佳の口元が僅かに歪む。そう、笑みの形にだ。

 彼女は右手の集束バリアをそのままに、左手にもフィールドを展開するとまず2つを防いだ。

 同時に右手の一振りで残りの3つを纏めて叩き落すと、盾をかざして前に出る。

 空き缶の攻撃は次第に激しさを増すが、知佳は巧みにバリアを使って確実に前進していった。

 そして、半分程距離を詰めたところで、ついに攻撃が途切れた。

 知佳はその隙に一気に距離を詰めると、フィールドプレスを掛けるべく跳び上がろうとする。

 だが、宙に浮いた彼女の足を誰かが掴んだ。

「えっ?」

 驚きでイメージが霧散し、再展開しかけていたフィールドが消える。

 何が起きたのか分からないまま、知佳は床へと引きずり倒された。

「あいたた……って、きゃぁぁぁっ!?

 痛みに顔を顰めつつ、自分の足へと目を向けた彼女は思わず悲鳴を上げてしまった。

 何と残った空き缶の山から腕が生え、それが自分の足首を掴んでいたのだ。

 幾ら力があるとはいえ、怖がりの知佳がそんなホラーチックな光景に耐えられるはずがない。

 更に悪いことに、その腕は今も彼女の足を引っ張り続けていた。

 恐怖で動く事が出来ず、そのままずるずると空き缶の山の中へと引きずり込まれていく知佳。

 彼女の悲鳴を聞いて、キッチンで休んでいた咲耶が駆けつけたときには既に手遅れだった。

 伸ばされた腕は虚しくも宙を掴み、次の瞬間には空き缶の山に呑み込まれて消える。

 その一部始終を見ていた咲耶は思わず呆然と立ち尽くしてしまった。

   *

「で、気が動転したおまえは思わず全開で力を使っちまったと」

 呆れたようにそう言って知佳を見下ろす真雪。

 だが、仏頂面に似合うはずの銜えタバコも、煤けていてはギャグにしかならない。

 大人しく反省している知佳も未だに眠っているティナの腕の中である。

 このイマイチ締まらない光景を作り出した元凶ともいうべき彼女は……。

 ――念願の抱き枕を得て、安らかな寝息を立てていた。

 妹ラブの彼女にとって、その温もりは安眠のために必須。

 最近では知佳もそこに加えられたらしく、こうして取り込まれることが多くなっていた。

 しかし、酔い潰れても尚求めるその執念、もとい愛情には凄まじいものがある。

 彼女を敵に回したとき、そのものは自らのおろかさをその身を持って知ることになるだろう。

 ちなみに、この後目を覚ましたティナは自分がしたことを一切覚えていなかったとか。

 まあ、酔っ払いなどそんなものであろう。

 そんなこともあって、真雪は知佳への切諌もそこそこに、自分の部屋へと引き上げていった。

 結果はどうあれ、彼女は自分たちの代わりに後片付けをしてくれていたのだ。

 自棄酒に付き合わせてティナを潰したのは真雪自身だし、強く言うのは筋違いというものだ。

 耕介は知佳の力の暴発、実際には違うのだが、で四散した空き缶の山を片付けていた。

 ティナが起きたことでその腕から解放された知佳も今は戦線に復帰している。

 彼女が流しに立って洗い物をしていると、隣で食器を拭いていた咲耶が話しかけてきた。

「……ごめんね」

「何のこと?」

「ほら、さっきの……」

「わたし、自分がしたことを素直に話して謝っただけだよ」

「………」

 あくまで庇ってくれるこの親友に、咲耶は顔の前で軽く手を合わせた。

「それにしても、ティナの酒癖の悪さには困ったもんだよね」

「あ、ああ、あれね。わたしもまさかあんな光景を見ることになるなんて思わなかったよ」

 げんなりした様子でそう言う知佳に、咲耶も渇いた笑みを浮かべて合図地を打つ。

 昔、子供向けのホラーコミックに似たような話があった。

 知らない人からもらったランドセルに夜中、女の子が呑み込まれるというようなものだ。

 呑み込まれた女の子はランドセルごと姿を消し、二度と戻ってはこなかったという。

 怪奇現象が冗談では済まない現実があるだけに、知佳はぞっとしなかった。

 一方、こちらは知佳に怪奇な恐怖体験をさせた張本人の部屋である。

 ティナは自分の悪癖を反省しつつも、今はそのことを完全に頭の隅に追いやっていた。

 酔いは完全に覚めている。

 二日酔いで痛む頭を抱えて自分の部屋に戻ってきて、いつものようにパソコンを立ち上げた。

 手製のセキュリティによる二度のシステムチェックを経て、表示されるアイコンの数々。

 情報交換用のアドレスの一つに、受信を知らせるランプが点っていた。

 届いていたメールは一件。

 その内容を読み進めるにつれて、彼女の表情が急速に真剣さを増していった。

 件名 :あなたが探していた例の物を見つけました。

 差出人:エリザ

 少し思案した後、ティナはそのアドレスにメールを返信した。

   *

  ―― 第2章 fin ――

  間章2へ続く

   *




  あとがき

龍一「これにて第2章は終了です」

知佳「いろいろ言いたいことはあるけど、一つだけ」

龍一「何かな?」

知佳「これ以上、わたしにトラウマを増やさないで!」

龍一「あれ、何かあったっけ?」

知佳「あるでしょ。理恵ちゃんとかティナとか咲耶とか」

龍一「ああ、そっち方面な。悪いけど無理だ」

知佳「どうしてよ!?

龍一「既に彼氏がいる知佳の出番を増やそうとすると、どうしても他の女の子との絡みになるんだよ」

知佳「もっと普通に日常の一コマとかで良いじゃない」

龍一「いや、あれもある意味では日常かと」

知佳「まだ言うか、この口は」

龍一「あははは」

知佳「はぁ、とりあえず、一線を越えるのだけはダメだよ」

龍一「ちっ」

知佳「今の舌打ちは何かな」

龍一「さて、間章2を挿んでいよいよ物語は最終章へと向かうわけだが」

知佳「皆は覚えてるかな。第1章の最後に出てきた黒幕っぽい人のことを」

龍一「第2章で登場した謎の少女、蛍河一夏も3章では本格参戦です」

知佳「そして、いよいよ明かされる咲耶の正体とは!?

龍一「その前に次回は間章2。ここでも重要なキーワードを幾つか明かす予定です」

知佳「真夏の浜辺を舞台に今、すべての謎が明らかになる?」

龍一「おい、そこ。何で疑問系なんだ」

知佳「だって、作者があなただと不安なんだもん」

龍一「うわっ、笑顔で言い切りやがったよ。この子は」

知佳「だって、これまでがこれまでだけに、ちゃんときれいに纏まるのか確信が持てないよ」

龍一「そんなことを言う娘には過酷なリハビリを体験させてやる」

知佳「わわっ、そんなの嫌だよ」

龍一「ティナや咲耶との絡みもまだまだあるし、楽しみだな。ふっふっふ」

知佳「消え去れ、諸悪の根源。ソーラービーム!」

龍一「うぎゃぁぁぁっ!?

知佳「お日様の光って凄いよね。ほんの数秒照射しただけで塵も残らず消えちゃうんだから」

龍一「それ、戦略級の破壊力だからな」

知佳「わわっ、な、何で普通にいるのよ!?

龍一「甘いぞ。日干しにされたくらいでこの俺がくたばるものか」

知佳「抵抗すれば無駄に苦しむだけだって、何で分からないのかな」

龍一「分かるまい。あとがきを遊びにしているおまえにはこの俺の身体を通して出る力は」

知佳「そんなものでHGSが倒せるものか。って、いうか、それはあなたでしょうが!?

龍一「SS作家に栄光あれぇぇぇぇっ!」

知佳「いい加減、このくらいで止めない?」

龍一「だな」

知佳「それじゃ、例によって」

龍一「ここまで読んでくださった方、ありがとうございました」

知佳「また次回も楽しみにしていてもらえれば嬉しいです」

二人「ではでは」

   *

 

 





いやいや、夜中にあれは怖がりな人や心臓の悪い人にはまずいな。
美姫 「あははは。まあ、面白かったから私は良いけどね〜」
うわ〜い。ともあれ、二章は終わりみたいだな。
美姫 「うんうん。まだ色んな謎は残っているけれど、それは次章以降ね」
次からはどんな物語が紡がれるのか。
美姫 「次回からも楽しみにしてますね〜」



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