トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第3章 夏のかけら

  7 望まれた刻の名前

   * * * * *

「はじめまして。僕の名は、フェンリル。フェンリル=C=サーヴァインだ」

 少年がそう名乗った瞬間、彼を中心に世界が何か別のものに塗り替えられた。

 ――結界……。

 それは空間を隔離し、内外での因果関係を遮断する空間干渉系の魔術または魔法の一種だ。

 異能が秘匿される傾向にあるこの世界において、魔術や魔法を実在のそれとして認識している人間はごくまれである。それこそ身近にそれと関わる誰かがいるか、そうでなければ……。

 咲耶は無言で右手を掲げると、その掌から一条の光の矢を放った。圧縮された魔力を矢という形で具現化したそれには、巨大な岩をも貫き砕く威力がある。

「いきなりだな。僕は名乗ったんだ。それに答えてくれても良いだろうに」

 だが、フェンリルは軽く肩を竦めてそう言うと、自分に向かって飛んで来たそれを無造作に手で掴んで握る潰してみせた。その手の中には、力を失って霧散した魔力の残滓があるのみだ。

「礼儀知らずはそっちでしょ。こんな時間に女の子の家を訪ねてくるなんて。しかも、その姿と名前は何?死んだ人のものを無断借用するなんて、冒涜も良いところだよ」

 普段の彼女からは考えられないような冷たい声でそう言うと、咲耶は更に三発の光の矢を放つ。相手が何物かは分からないが、このタイミングで現れたということは先に倒したギアシェイドと無関係ではないだろう。

 それにその口ぶりからして、少なくともこの少年は自分と“彼”との関係がどのようなものであったかを知っている。

 その上でこのような真似をしてくる相手を咲耶はどうしても許すことが出来なかった。

「なるほど。でも、僕も彼なんだ。フラグメントシステムのことを知っている君ならそのあたりも理解してもらえると思うんだけど」

 飛んできた光の矢をまたしても手で受け止めると、フェンリルは寂しそうな微笑を浮かべてそう言った。

 フラグメントシステム。

 それはこの世界が持つ防衛本能とでも言うべきものだった。

 この世界は様々な人間の意思力に影響を受けながら成り立っているが、その力自体は決して不変のものではない。人の想いは時とともに、あるいは一瞬のうちに生まれ、また消えていくものだ。

 それが世界に影響を及ぼさないのは、そうならないための緩衝材となるものが存在しているからだった。

 フラグメントとは失われた想いが世界に与える影響を最小限に留めるための代替物。咲耶の見る限り、目の前のこの人物は正にそれだった。

「わたしに、復讐しに来たの?」

 掲げていた手を下ろし、咲耶は目の前に佇む少年へとそう尋ねる。

 元となった想いの強さや性質によってその有様は異なるが、彼等には等しく帰巣本能のようなものが備わっている。それ故にフラグメントは帰るべき心の持ち主の前に立つのだ。

 だが、この少年に帰るべき場所はもうない。彼の名の本当の持ち主は、今から一年ほど前にこの世を去っていたのだ。

 そして、その原因を作ったのは……。

「復讐?……ああ、そういうことか」

 問われたフェンリルは最初その意味が分からなかったようだが、すぐに合点がいったらしく、納得したように一つ頷いた。だが、それは彼女からの質問に対する答えとしての肯定ではない。

「あれは取り込んだ力の大きさに呑まれて勝手に滅びただけさ。君が気にすることじゃないよ」

「で、でも、その力を取り込ませるきっかけを作ったのはわたしなんだよ」

「関係ないね。それに、あれが滅びたおかげで僕らは生まれてくることが出来たんだ。僕個人としては寧ろ感謝してるくらいだよ」

 戸惑う咲耶に、フェンリルはそう言うと屈託のない笑みを浮かべた。それは年齢相応の少年らしい自然な笑顔だった。

「さて、今日僕が来たのはそんな話をするためじゃないんだ。悪いけど、少し付き合ってもらうよ」

 少年の笑顔に毒気を抜かれかけていた咲耶は、その声で我に返った。同時にフェンリルの顔からも笑みが消える。

 その気配に本気の殺意を感じた彼女は、自分も覚悟を決めるしかないのだと悟った。

「何だ、やっぱりわたしの命が狙いなんじゃない」

 そう言ってそっと溜息を漏らす。これから始まるのは、完全に正当防衛の域を超えた殺し合いだ。

 咲耶のほうはそんなことしたくはないのだが、相手がその気である以上はこちらも全力で応えなければ、問答無用で殺されてしまう。

 そんなことになったら、知佳は自分を許さないだろう。帰ると約束したのだ。こんなところで殺されるわけにはいかない。

「(……来ます)」

 再び身構える咲耶に内面世界から静かな警告が伝わり、それとほぼ同時にフェンリルの手から黒い衝撃波が放たれる。夜の闇を切り裂いて迫るそれを咲耶は最小限の動きで避けると、三度光の矢を放った。

 先の二回と違い、本気で相手を殺す意思を込めて放たれたそれはワンランク上の密度を誇る必殺の一撃だ。しかし、それだけで倒せる程この少年も甘くはなかった。

 所詮は直線軌道の単発技、よく見てさえいれば避けるのはそう難しいことではない。現にフェンリルは僅かに立ち位置を変えただけであっさりとその射線上から外れてみせた。

 だが、咲耶もこれで終わりではなかった。彼女とて、仮にもフェンリルのフラグメントを名乗る相手をこんな矢の一本でどうにか出来るとは思っていない。

 重要なのはこの攻撃が相手にとってそれなりに危険なものであるということ。避けるということは、つまりそういうことだ。

 真っ直ぐに飛ぶ矢という攻撃は一点を突くものであって、その点から外れるだけで容易に回避することが出来る。だが、その点が無数にあった場合はどうなるか。

 光の矢は魔法としては初歩的なもので、術者の技量次第で如何様にも応用することが出来る。咲耶はこの魔法を僅差で連発することでその命中精度を高めるという方法を取ったのだ。

 そして、それだけでもない。

 光の矢を放つと同時に駆け出し、フェンリルへと迫りながら咲耶は次の攻撃を放つ。その右手には光輝く一振りの剣が握られていた。

 左手で立て続けに光の矢を放ち、逃げ道を塞いだところを光の剣で切り掛かる。並の相手ならそれで終わるはずだった。

 しかし、このフェンリルの名を持つフラグメントの実力は並どころではなかった。何と彼は右手を軽く横に薙いだだけで自分に向かって来た光の矢をすべて消滅させてしまったのだ。

 更にフェンリルは左手で咲耶の振り下ろした光の剣を受け止めると、右手で至近から衝撃波を放ってきた。

「きゃっ!?

 全身を襲う衝撃に、咲耶の身体が宙を舞う。何とか空中で体勢を立て直して足から着地することが出来たが、受けた衝撃は予想を超えて大きかった。

「どうしたんだい?君の力はそんなものじゃないだろ。それともこの一年、平和に浸りすぎて腑抜けたのかな」

「言ってくれるじゃない。後悔しても知らないんだから」

 わざとらしくあからさまな挑発をしてくるフェンリルに、答えて咲耶は光の剣を握り直す。

「(挑発に乗ってはいけません!)」

「(分かってるよ。でも、恭也君たちのことも気になるし、それに、こういうかわいくない子は見ててむかつくんだよね。だから、一発で決めるよ)」

 内面世界からの制止も虚しく、咲耶の目に危険な光が宿る。その瞬間、彼女の纏う雰囲気が変わったことに、フェンリルが僅かに警戒の色を見せた。

「我が魂の名において命ずる。風よ、光よ、汝らの力を以って我に仮初の翼を与えよ。ホワイトウインド!」

 ふらつく身体を地面を踏み締めることで無理やり立たせると、咲耶はその身に宿る力を解放する。瞬間、彼女の姿が一瞬掻き消えた。

「悪いけど、今夜は彼とデートなの。だから、君に付き合ってあげることは出来ないよ」

 次の瞬間、耳元で聞こえたその声に、フェンリルの目が驚きに見開かれた。彼の鳩尾には咲耶が逆手に握った光の剣の柄頭が押し当てられている。

 問答無用で急所への強打。いや、人型をしているからといって、フラグメントの急所が人間のそれと同じとは限らないのだが。

 だが、そんなことは問題ではないとばかりに全身を突き抜けた凄まじい衝撃に、少年は白目を剥いて気絶した。同時に彼が展開していたと思われる結界も消滅して元の空間へと戻る。

「(……死んだんですか)」

 倒れたフェンリルの様子を伺う己れの親友兼マスターへと、少女の声がおずおずとそう尋ねる。あえて殺したのかと聞かないのは、既に一度そうしてしまっている彼女への配慮だろうか。

「(まさか。まあ、良い感じに入ったから暫くは起きないと思うけど、念のために鎖で縛ってそのあたりの木にでも吊るしておこうか)」

 それに対して、何でもないことのようにそう言った咲耶の手には既に魔力で編まれた鎖が握られている。対象を物理と精神の両面から拘束する対魔物用の捕縛魔法だ。

「(徹底してますね)」

「(基本でしょ。……これでよし、っと。少し遅くなっちゃったけど、これで恭也君のとこに行けるよ)」

 気絶したフェンリルを言葉通り鎖で縛って木に吊るすと、咲耶はそのまま林のほうへと向かって歩き出した。

 残された少年は簀巻きの状態で木から吊され、まるで蓑虫のような無様な姿を曝している。

 尋ねたいことは幾つもあった。彼が本当にフェンリルのフラグメントだというのなら、一年前の事件の真相についても幾らか知っているかもしれない。

 犯人が消滅したことで事件に一応の解決を見た現在、それを知ることにどれほどの意味があるのかは分からないが。

   *

 咲耶がフェンリルを気絶させた頃、恭也たちのほうでも決着が着こうとしていた。

 林を抜けた恭也の前に姿を現したのは、背中に二対のコウモリの羽根を生やしたライオンのような魔物だった。

 やはり額の中央に赤い第3の目があり、恭也が小太刀でそこを貫くと簡単に灰燼と化して消えてしまった。

 あまりのあっけなさに逆に不気味なものを感じてしまう。予め弱点を知っていたとはいえ、こうも簡単に倒せるものだろうか。

 いや、驚くべき瞬発力を活かして突進してくるその巨体は確かに並の人間にとっては脅威そのものだった。

 最初の小型の魔物からして、普通の人間であればその存在に気づけないまま殺されていたかもしれないのだ。

 だが、それでもだ。

 少し前に薫たちが遭遇した同型の魔物は二人掛りで奥義まで使ってやっと倒したのだというから、その生命力は尋常ではないだろう。

 それを弱点を衝いたからといって、一撃で倒せてしまったというのはどうにも腑に落ちない。

 ……まだ何かあると考えるべきだろうな。

 一番に思い浮かぶのは、やはり未だ動かない最後の気配。だが、その主が今回襲ってきた魔物たちを率いていたとして、この局面で動かない理由が分からない。

 こちらから近づくのを待っているのだろうか。いや、この気配はまるで……。

 恭也がそこまで考えたときだった。

 唐突に轟音が大気を揺るがした。

 音源は真一郎たちが向かった湖のある方角。そう、真一郎が魔剣ザカラの力を開放したのだ。

 時を同じくして、それまで眠ったように微動だにしなかった最後の一つの気配に変化が現れた。

 爆発的に膨れ上がる魔の気配。そして、咆哮を轟かせてそいつは恭也たちの前に姿を現した。

 鷲のような嘴と鋭い目。頭には二本の角を生やし、背中の巨大なコウモリのような羽根で空を飛ぶ。

 それは神話に登場する石像の悪魔、ガーゴイルそのものだった。

「恭也君!」

 恭也が上空で咆哮を上げ続ける悪魔を見据えていると、横手から林を突っ切って楓が駆け寄ってきた。どうやらこちらも無事だったようだ。

「あれが最後の一体なんか?」

「そのようですね」

 自分の隣へと並びながらそう尋ねてくる楓に、恭也は上空の敵を見据えたまま頷く。

 こちらから先手を打つことは難しい。恭也の飛針も鋼糸も射程外だし、楓の霊力技では放つ前に気づかれてしまうかもしれない。

 せめて、相手が降りてきてくれれば幾らでもやりようはあるのだが……。

「二人とも無事だったんだ」

 恭也が攻めあぐねていると、不意に背後から声を掛けられた。いや、近づいてきていたことは気配で分かっていたのだ。

「咲耶さん、どうしてここに!?

 驚いたのは楓である。彼女は咲耶の力を知らないため、何故一般人のはずの彼女がこんなところにいるのか理解出来なかったのだ。

「話は後。とりあえず、あれを何とかしないと寮の皆が危ないよ」

 そう言って咲耶が指差した先には巨大な翼をはためかせて滞空するガーゴイルの姿。彼女たちの存在に気づいたのか、禍々しい眼光を放つ目でこちらを見下ろしている。

 つられて上を見ていた楓はその悪魔とまともに目が合ってしまい、慌てて顔を背けた。

「尋常じゃないわ、これは。もしかしたら、ほんまに悪魔とちゃうんか」

「かもね」

 背中に冷たい汗が伝うのを感じながらぽつりと漏らした楓の言葉に、咲耶が何でもないような調子で相槌を打つ。彼女にしてみればこの程度の相手等、臆するには値しない。

 一年前の事件の時には、それこそRPGに出てくるような魔物の大軍が徒党を組んで攻めてきたのだ。それにあのフラグメントフェンリルと比べても、目の前のガーゴイルは格段に弱い。

 まあ、それでもそこらの有象無象よりは強いだろうが、今の自分でも頑張れば倒せないことはないだろう。

「咲耶さん」

「うん、分かってるよ。二人ともわたしがあいつを下に落とすから、その後三人で一気にたたこう」

「は、はいっ!」

 言外に無茶をするなと伝えてくる恭也に頷き、咲耶が簡単に手順を説明する。それが妥当かと恭也は頷き、楓も訳が分からないなりにそれに賛同した。

「じゃあ、行くよ!」

 そう宣言すると、咲耶は力強く地面を蹴って飛び上がった。その背中には、光輝く一対の白い翼がある。

「我が魂の名において命ずる。閃光よ、天空より来たりて雷となり、邪なるものを打ち砕く鉄槌と成れ。エデンスライトニング!」

 一瞬でガーゴイルよりも更に上空へと舞い上がった咲耶の口から力を体現させるための言葉が紡がれ、同時に振り下ろした両手の先から強烈な閃光が放たれる。翼に聖なる雷の直撃を受けたガーゴイルは、全身から白煙を立ち昇らせながら地上へと落下した。

「二人とも今だよ!」

 咲耶の声で我に返った恭也が小太刀をガーゴイルの額に突き立てようとして、その刃を石の身体に弾かれる。

「退いてや。神気八勝……」

 驚きながらもすぐさま敵から距離を取る恭也。その恭也の目の前で楓が放った霊力技がガーゴイルの頭部に炸裂するが、こちらも僅かに表面を煤けさせただけでまったくダメージを与えることが出来なかった。

「まだ、もう一度だよ。剣には魔を払う聖火を、退魔の技には闇を貫く輝きを。エンシェントフレア!」

 早口に呪文を唱えて二人にこの場で必要な力を分け与えると、咲耶自身も光の剣を手に起き上がったばかりのガーゴイルへと突撃していく。その隣に小太刀を構えて恭也が並び、二人を援護するように再び楓の霊力技が飛んだ。

「うおおおぉぉぉーーーっ!!

 身の危険を察したガーゴイルが咆哮し、全身から赤く禍々しい光を放つ。だが、それで相殺することが出来たのは楓の霊力技だけだった。

 刀身に聖なる炎を纏った恭也の小太刀が急所を庇うように交差させた悪魔の腕を切り落とし、無防備になったその心臓を咲耶の光の剣が貫く。そして、インパクトの瞬間、解放された光の力がそれでも生きていたガーゴイルの上半身を完全に消滅させた。

   *

 天へ届けとばかりに立ち昇る光の柱を少女は自分に宛がわれた個室の窓から見ていた。

 儚く消える一夏の夢とは違う。願う程に輝きを増し、永遠に失われることのないその光に対して自分が向けるのは、嫉妬か羨望か。

 いや、例えどちらであったとしても少女には意味のないことだ。そう、一夏の夢のようにいずれ消える運命にあるこの身には……。

 疲れたように溜息を漏らすと、少女はパイプベッドの上で眠るこの部屋の主へと目を向けた。そこには自分とまったく同じ姿をした少女がもう随分前から変わらず眠り続けている。

 目の前で家族に死なれ、そのショックから心を閉ざしてしまったのだと聞いた。少女に家族という概念はないが、余程衝撃的だったのだろうということは容易に想像が着いた。

 あるいは、この町で知り合った自分に良くしてくれる人たちを失ったなら、同じ気持ちを知ることが出来るのだろうか。

 脳裏に何人もの人たちの笑顔を浮かべ、それが壊される瞬間を想像して少女は頭を振った。

 何故だか酷く不愉快な気分だった。

 束の間の代替物として生まれた自分とは違い、彼女たちは天より命を与えられた尊き存在だ。眩しくも遠いその輝きを不当な理由で自分の目の前から消し去られてしまうことが我慢ならないと思ったのだろうか。

 あるいはもっと単純に、あの優しい大柄な男性が作る美味な料理の数々を二度と味わえなくなるのが嫌だっただけなのかもしれないが。

「何をそんなに難しい顔をしているんだい?」

 不意に掛けられた声に、少女が顔を上げると赤い少年と目が合った。

「そういうあなたは何だか酷く疲れているみたいだけど」

 身体を鎖に拘束されたままの姿で立っているフェンリルに、少女は何ともいえない表情でそう言葉を返す。薄闇の中に浮かんだその顔は、何処か呆れているようにも見える。

「まあ、仕天使様と直接やり合ったからね。おかげで結構洒落にならないことになっているよ」

 自分の身体から鎖を外しながらそう言った少年は何故か楽しげだ。

「混沌の破壊神を倒したっていうあの子だね。それはまた、えらい無茶をしたもんだ」

「誰のせいだと。それに、君も人のことは言えないんじゃないか」

「しょうがないでしょ。手段を選んでいたらこっちが時間切れになるんだから」

 愉快そうな表情をそのままに指摘され、少女は憮然とした様子で口を噤んだ。彼女の左手を覆う無数の光点。蛍火のように明滅するそれの下に本来あるべき肘から先がないことをフェンリルは見抜いていたのだ。

「しかし、新米とはいえ魔剣使いと齢三百年の雪女のカップルに退魔剣士が三人。念動力者までいるとはね。これは中々面白いことになりそうだ」

「楽しむのは結構だけど、本来の目的を忘れないでよ。あなたが相手をしたあの子、まだ全然本調子じゃないんでしょ」

「おや、気づいてたのか」

「割と近くで見てたからね。それより本当に大丈夫なの。連中、数日中にも動き出すかもしれないんでしょ」

 釘を刺す少女に少年が笑みを深め、少女はそれに軽く答えると自分の懸念を口にする。

「正直、微妙なところだね。僕と君で一人ずつ相手をするとして、残りは三人。セラフィムソウルの彼女が一人くらいは何とかするだろうから、実質二人か」

「それでも普通は無理でしょ。S級フラグメントなんて、人間の手に負える相手じゃないんだから」

「まったくだ。ここの人たちが規格外で助かったよ」

 真面目な顔で頷くフェンリルに、少女は何だか無性に腹が立ってきた。

「結局は最悪わたしたちだけで残りもどうにかするしかないってことじゃないの?」

「そうならないように、今回こんな芝居じみた手まで使って彼女らの側の戦力を底上げしたんじゃないか」

「不確定要素が多過ぎるのよ。あなたはどうか知らないけれど、わたしにはもうそんなに時間が残されてはいないんだから」

「失敗は許されない、か。心配しなくても僕のほうも後がないんでね。全力でやらせてもらうさ」

「期待はしないわよ」

 棘のある声でそう言う少女に軽く肩を竦めると、フェンリルは無言でその場を後にした。

「まったく、本当に分かっているのかしら」

 何処までも飄々とした態度を崩さないフェンリルに、少女は小さく溜息を漏らす。もしかしたら彼なりに気を遣ってくれているのかもしれないとも思ったが、すぐに頭を振ってその考えを破棄した。

 まあ、この際あの少年の性格については目を瞑ろう。聊か問題ではあるが、少なくとも今まで彼がその言葉を違えるようなことはなかったのだ。

 本人にはああ言ったものの、少女も信用に足る人物であるとは思っていた。

 二人の関係にとってはその信用こそが最も重要。いや、利害の一致による協力というその関係に、他の何がいるというのだろう。

 少年は自分にとって邪魔な同類を葬り去り、少女はそれによって生まれた高純度の精神エネルギーを貰い受ける。

 そして、その力を使って自分はこの少女の心を開き、あるべき場所へと換えるのだ。

 帰還の刻は近い。

 その刻が来ればわたしは消えてしまうけれど、あなたにはこれから素晴らしい未来が待っているんだよ。

「だから、もう少しだけ、頑張って……」

 静かに眠り続ける自らの創造主の頬にそっと触れながら、少女……蛍川一夏は優しくそう語り掛ける。

 例え聞こえていなくても、その想いは届いているのだということを彼女はちゃんと理解していた。

 何故ならば、彼女こそがこの小さな眠り姫の欠けたる心。そこから生まれた存在なのだから。

   * * * * *




  あとがき

龍一「一応の脅威を退けた咲耶たち」

知佳「フェンリルには逃げられたみたいだけど」

龍一「まあ、あいつはわざとやられたようなものだから」

知佳「それはさておき、今回出てきたフラグメントって何?」

龍一「まあ、簡単に言えば瘡蓋のようなものかな。ほら、すりむいた場所をそのままにしておくと、血が出たり雑菌が入って化膿したりするだろう」

知佳「うん」

龍一「で、そうならないために、血液に含まれる血小板っていうのが血を固めて蓋をする。これが瘡蓋だ」

知佳「それで?」

龍一「やがて新しい皮膚の細胞が傷を塞ぐと、役目を終えた瘡蓋は剥がれ落ちる。これが世界とフラグメントの関係だ」

フェンリル「僕等は瘡蓋扱いなのかい?」

龍一「まあ、世の中なんてそんなものさ。見た目をどれだけ取り繕ったところで、所詮その本質は単純にして原始的。それをどう捉えるかはそれこそ人次第だよ」

一夏「身も蓋もないというか、歪んでるわね」

知佳「まあ、作家さんっていうのは皆何処か平凡とは懸け離れてるみたいだし(汗)」

龍一「まあ、俺のことは良いじゃないか。それより次回なんだが」

知佳「えっと、なになに。……楓の前で力を使ってしまった咲耶。追求された彼女は皆に自分の正体を明かすことに」

龍一「彼女の口から語られるのは、自分が発端となって起きた一つの事件。そして、歴史の闇に隠れたこの世界の真の姿」

知佳「真実を知らされ、恭也は、ティナは、耕介たちはどうするのか……」

龍一「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

知佳「第3章・8」

龍一「終末から続く物語〜ラグナロク〜」

知佳「出会わなければ良かったなんて、そんな悲しいこと言わないでよ」

   *





うーん、今回の襲撃には裏があるみたいだな。
美姫 「よね。一体、そこには何が隠されているのかしら」
また、次回語られるであろう咲耶の正体とは!?
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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