トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第3章 夏のかけら

  8 その使者の名は……

   * * * * *

 ――魔物たちの襲撃から一夜明けた今日。アリスから強力な魔物が市街地にまで入り込んでいたという話を聞かされたティナは、朝の鍛錬を返上してさざなみ寮の周辺を上空から偵察して回っていた。

 昨夜戦闘したメンバーは、その疲れからまだそれぞれの部屋で眠っている。謎の怪人物に攫われた雪も妖気を強制搾取された影響か消耗が激しく、すぐには起きられない状態だ。

 唯一、管理人である耕介だけは普段と同じ時間に起き出して仕事を始めていたが。

 それにしても、とティナは思う。

 昨夜妹を伴って帰宅した時にはすべてが終わった後だった。彼女がしたことと言えば、全力を出し切って動けなくなっていた薫や真一郎たちを寮まで運んだくらいだ。

 そんな状況だったので詳しい話を聞けたわけではなかったが、敵は相当に強かったのだろう。

 異能の発現には僅かだが前兆のようなものがあり、気配を読むことに優れたものであれば、例え異能を持たない人間であってもそれを察知することが出来る。

 況してやティナは達人級の剣士であり、霊能者であり、HGSだ。

 そんな彼女に対してその気配すらも隠し通せる相手となれば、それはもうただの魔物の域を超えている。

 ティナは知らないことだったが、昨夜の国守山はフェンリルが作り出した多重結界によって完全に外界から切り離されていたのだ。

 この世界での魔法というものを知らない彼女にそれに気づける道理は無い。

 だが、知らないからこそティナはそれを自らの失態として悔いていた。

 自分が気づいてさえいれば、薫がボロボロになることもなかったし、未熟な俄か退魔師でしかない耕介を戦わせることもなかった。

 攫われたという雪を途中で救い出せたかもしれなかった。

 いや、そもそも能力者として酷く不安定なアリスにその力を使わせてしまった時点で、自分は失格だったのだ。

 昨夜遅くに眠ってから未だ目覚めない妹を想い、ティナは強く唇を噛み締めた。

 自分がもっとしっかりしていれば……。

 そんな考えも口にすれば言い訳にすらならないことは分かっている。そして、過ぎてしまった時間に“もしも”は存在しないのだ。

 軽く頭を振って意識を切り替えると、眼下に広がる光景へと目を向ける。そこには、昨夜真一郎が解放した魔剣の力によって生み出した大地の亀裂が、まるで巨大な怪物の爪痕のように深々と横たわっていた。

 この大地が裂かれる瞬間をティナは見ていないが、それが圧倒的な暴力によって成されたことは一目瞭然だ。

 彼女の知る限り、こんなことが出来るのは自分かアリス、リスティくらいのものである。

 薫の神咲一灯流では、例え奥義を使ったとしてもここまでの物理的破壊を引き起こすのは不可能だ。

 未だ底の見えないあの銀髪の少女なら、あるいは可能なのかもしれないが、彼女はそのとき寮に残っていたのをティナ自身がその目で確かめている。

 となると、これをやったのは自然と敵側の誰かということになる。さすがの彼女も真一郎が魔剣ザカラのマスターとして目覚めたなどとは夢にも思わなかった。

 最強クラスのHGSか、それ以上の破壊の力を持つ敵が自分の留守の間に家族を襲ったのかと思うと、ティナは戦慄に身を震わせずにはいられない。

 そんなことが二度とないよう、また、起きてしまったとしても自分が撃退出来るよう、これまで以上に気を引き締めていかなければならない。

 今やあの寮に暮らす皆が自分にとって護るべき家族なのだ。

 こちらで使うことはないと思っていたけれど、場合によってはESを機動させないといけないかもしれないわね……。

 最悪の事態を想定しつつ、そんなことにはさせてなるものかと決意を固める。

 とりあえず今は近くに危険が潜んでいないか確かめることくらいしか出来ないが、それにしたって重要なことには違いなかった。

 とはいえ、あまり長い時間寮を離れるのも問題だった。

 昨夜は察知出来なかったこともあり、念入りに見回っておきたいところだが、そうしている間にまた寮のほうに来られでもしたら本末転倒だ。

 逡巡した末、ティナは一度湖の周囲を一回りしてから寮へと戻ることにした。

 朝食の時間も近い。

 アリスはもう起きているだろうか。

 体力の消耗が激しい薫にそれを代償に働く治癒力を高める心霊治療は使えないから、ある程度回復するまでは痛みを堪えてもらわなければならないだろう。

 咲耶は大丈夫かしら。

 何か酷く思い詰めた様子で、話さないといけないことがあるからと言って朝食後にリビングに来るようにと皆に声を掛けていた。

 彼女が何かしらの異能を操れることはあの行き倒れ少女が現れた夜に見て知っていたが、それに関連したことだろうか。

 考えを巡らせながら寮の庭へと降り立ち、玄関から中へと入る。

 これから朝食ということで、ティナが手を洗ってダイニングに顔を出すと、既に全員が揃っていた。

 影響が心配された雪とアリスもちゃんと自分の席に着いている。朝に弱いアリスはかなり眠そうな顔をしていたが、こちらはいつものことなので大丈夫だろう。

 ただ一人、真一郎だけは椅子に座ることが出来ず、立ったまま食事を摂ることになっていたが。

   *

 そして、朝食後……。

 リビングには最初から緊迫した空気が漂っていた。

 朝食前の咲耶の呼び掛けに応じる形で寮生は昨夜外泊だった美緒以外の全員が集まっていたが、誰も口を開こうとはしなかった。

 何しろ召集を掛けた咲耶自身が凄絶な笑顔を浮かべているのだ。

 戦うことの出来る人たちは言うに及ばず、荒事に縁のないはずの知佳やみなみまでもが本能的な恐怖を感じて言葉を発することが出来なくなっている。

 その原因は彼女の対面に腰掛けている人物にあった。

 寮生たちが朝食を摂り終えたのを見計らったかのように訪れた二人の客。そのうちの一人は何とあのフェンリルだったのだ。

「これは何の冗談?それとも新手の嫌がらせなのかな」

 笑顔を浮かべたまま、ただし目だけは全く笑っていない表情で、咲耶は目の前の赤い少年へとそう尋ねる。その顔を見れば、彼女が彼に対してどのような感情を抱いているか一目瞭然だ。

 問われたフェンリルは顔にこそ出さないが、自分に向けられた窒息しそうな程のプレッシャーに、内心舌を巻いていた。

 咲耶と日常的に接している者たちは彼女の尋常ではない様子にただただ困惑するばかりだ。

「まずはこのような刻に訪問したご無礼をお許し下さい」

 一度立ち上がってそう言うと、少年は主に咲耶に向かって深々と頭を下げた。昨夜の人を食ったような態度とは正反対の丁寧な口調と態度に、咲耶の片眉が微かに跳ねる。

「これはご丁寧にどうも。でも、わたしから言わせてもらえばその態度こそ無礼に思えるんだけど」

 そう言った咲耶から少年へと向けられる視線は何処までも冷たく鋭い。

 慇懃無礼という言葉がある。

 オリジナルを含めてフェンリルという存在を少なからず知っている彼女には、わざとバカ丁寧な態度を取ってこちらを挑発しているようにしか見えなかったのだ。

 少年もそれに気づいたようで、仕方ないかというふうに肩を竦める。

「さすがにわたしも公私の区別くらいは着けられるつもりです」

「どういうこと?」

「これでも今日は公務で来ているので」

 フェンリルのその答えに、咲耶の顔に怪訝な色が浮かぶ。

「不審にお思いでしょう。何せこの身は代替物。それもご存知の通り、既に寄る辺を失っている迷い人なのですから」

「回りくどい口上は良いから、とりあえず座りなさい。用件を聞くわ」

 威圧するようなプレッシャーを一先ず納めると、咲耶はそう言って少年に着席を促した。途端に周囲からホッとしたような溜息が漏れる。

「わたし、お茶淹れてくるね」

「手伝うよ」

 慌てたようにそう言ってキッチンへと行く知佳にアリスが便乗し、二人は逃げるようにリビングを出ていった。二人とも若干足を縺れさせていたところを見ると、余程怖かったのだろう。

「あいつら、逃げたな」

「知佳はともかく、アリスは胆力が足りないわね。あれじゃ、向こうに戻れたときに苦労するわよ」

「はぁ、二人とも余裕あるんですね」

 そんな妹たちを見て真雪がぼそりと呟き、ティナがそれに頷きながら感じたことを口にする。床にへたり込んだみなみは、豪胆な姉二人を尊敬の眼差しで見上げていた。

 咲耶は無論、再びソファへと腰を下ろしたフェンリルから視線を外さない。

 彼の言葉を信じるなら、少なくとも用件を果たすまでは下手なことはしないだろう。公務というなら、それを任じた組織なりの立場を悪くするような真似は避けなければならないのが常識だ。

 ただ、その用件が果たされた後であればその限りではない。

 昨夜の戦闘である程度は相手の力量を掴んでいるだけに、咲耶に気を許すつもりは皆無だった。

「さて、用件を聞かせてもらおうか」

 知佳が渡してくれた紅茶に口を付けながら、咲耶はそう言ってフェンリルの目を見た。こちらが優位であることを示すように、その態度はあくまで自然体だ。

「まずは、これをお受け取りください」

 そんな少女の様子に内心で感心しつつ、少年はそう言って一通の封筒を差し出す。だが、咲耶はそれをすぐには受け取らず、解析魔法で安全であるかを確認する。

「咲耶さん」

「大丈夫」

 いつの間にか傍らに来ていた恭也と短く言葉を交わし、問題がないことを伝えると咲耶はフェンリルから封筒を受け取った。

「こちらで言うところの捜査令状のようなものです。あなたと接触し、信用を得る必要がある場合にはこれを見せるよう仰せつかっておりまして」

「信用ね」

「はい。これ以上のお話を聞いていただくにしろ、信じていただけないのであれば意味がありませんから」

 真面目な顔で答えるフェンリルを胡散くさげに見やりつつ、咲耶は既に封の切られている封筒から中身を取り出した。

!?

 二つに折られた紙を開き、紙面に目を落とした咲耶はすぐさまそれを元に戻した。その顔には驚愕の二文字で表される感情だけがある。

「……これは、どういうこと?」

 先程以上に鋭い視線を向けながら、少年へと問う咲耶。再び膨れ上がるプレッシャーに、暢気に紅茶を飲んでいた何人かが喉を詰まらせて咽ている。

「見ての通りです。我々は今回、あなたの元職場の人間からの正式な依頼によって動いている。つまりはそういうことです」

「わたしはこれに協力しているだけだけどね」

 答えるフェンリルに、自分も同類にされては堪らないとばかりに一夏が口を挟む。

「魔力印は確かに“あの人”のものね。でも、正直信じられないわ」

「我々とて善意や正義感等といった酔狂な理由で協力しているわけではありませんよ。ただ、都合が良いから手を貸しているに過ぎません」

 臆面も無く言ってのけるフェンリルに、咲耶は思わず苦笑した。普段は飄々としているようで、必要とあらば本心を隠さないあたり、オリジナルとそっくりだ。

「分かった。あなたたちのこと、信じてあげる。ただし、昨夜の件に関しては納得のいく説明をしてもらうんだからね」

「ちょっと待て。一体何がどうなってるんだ?」

 そう言って、纏っていた威圧感を霧散させた咲耶に、真雪が堪りかねた様子で尋ねてくる。他のものたちも声には出さないが同じ気持ちのようで、視線が一気に咲耶へと集まった。

「えっとですね。わたし、昨夜このフェンリルに殺されかけたんです」

「何っ!?

 笑顔で爆弾を投下した咲耶に恭也が八景を抜き、薫の手が十六夜へと伸びる。

「ちょ、待ってよ。誤解……って、わけでもないか。いや、そうじゃなくて、頼むから話をややこしくするような発言は控えてくれ」

 複数の人間から本気の殺気を向けられたフェンリルは、大慌てで待ったを掛けた。口調が完全に素に戻っているあたり、余裕のなさが伺える。

「じゃあ、その誤解を解くためにも説明をよろしくね」

 してやったりという表情でそう言うと、咲耶は口元の笑みを隠すように再び自分のカップへと口を付ける。肝心の紅茶はすっかり冷めてしまっていたが、先程までのやり取りで渇いてしまった咽を潤すには十分だった。

 恭也は相変わらず八景を抜いたまま、薫もいつでも動けるよう十六夜の柄に手を添えて片足を半歩引いた体制で構えている。

 ティナは自然体で壁に背を預けているが、その姿には一切隙が見当たらない。

 知佳はこっそりアポートした御架月を耕介に渡したところを真雪に見つかって、自分にも木刀を渡すよう催促されていた。

 リスティの周囲では帯電した空気が火花を散らし、アリスも非戦闘員の愛とみなみを護れるように二人の傍らへと移動する。

 そんな中、一人だけどうするべきか迷っていた楓へと一夏が近づいて声を掛けた。

「君は構えないの?」

「あ、あんたこそ、あいつの仲間なんやろ。助けんでええんか」

 急に話し掛けられた楓は、戸惑いながらもそう言って小柄な少女へと警戒の目を向ける。

「あれは身から出た錆っていうか、まあ、自業自得だから。わたしは精々飛び火しないように避難させてもらうよ」

「薄情なんやな」

 最近見慣れてきていた爆食少女の意外な一面に、楓は何故か責めるような調子でそう言った。

 友達になれると思っていたから、裏切られたと感じたのかもしれない。

 そして、際限無く高まる緊張感に堪えかねたように、フェンリルがゆっくりと言葉を選びながら話し始める。

「まず、わたしが昨夜彼女を襲ったのは事実です」

 その一言に、彼に一番近かった恭也が飛針を放った。

 針と呼ぶには大きすぎるそれが短く空気を裂いて飛び、少年の脇を掠めて床へと落ちる。

「大した殺気ですね。さすが、その若さで永全不動八門の中でも最強と謳われる御神流を納めているだけのことはある」

「貴様、どうしてそれを」

 あっさりと自分の秘密を言い当てたフェンリルに、恭也の殺気が膨れ上がる。

「恭也君。少し落ち着きなさい。御神の剣士がその程度で取り乱したりしないの」

「……はい」

 咲耶に窘められ、軽く呼吸を整える。それにしてもこの少女、まだ未熟とはいえ御神の剣士の殺気に間近であてられて平然としているとは中々に肝が据わっているようだ。

「君も無闇に相手を挑発するような真似はしないように。お遣いも満足に果たせないダメフラグメントなんてレッテルは貼られたくないでしょ」

「……善処します」

「よろしい。続けて」

 苦い顔で頷くフェンリルに、咲耶は何処かお姉さん然とした態度で先を促す。少年もそれに従う形で話を続けた。

「ご本人は分かっていると思いますが、あのときわたしは本気で殺そうとしました。ですが、それは命が欲しかったからではありません」

 まるで謎掛けのようなその言葉に、咲耶の顔に怪訝な色が浮かぶ。他の何人かも似たような表情だ。

「殺す気で襲い掛かっておきながら、命が欲しいわけじゃなかったっていうの?」

「はい」

「ふざけてるわけじゃなさそうだし、それじゃ一体何が目的だったのかな」

 真面目な顔で即答するフェンリルに嘘や冗談を言っている様子は見受けられない。さすがにこの状況でふざける気は彼にもないようだ。

「それは」

 問われたフェンリルは一度言葉を切ると、全員を見渡してからそれに答えた。

「あなたのというか、ここにいらっしゃる方々の実力を見極めておきたかったんです」

「そんなことのために雪さんを誘拐して、ここに魔物の群れを差し向けたっていうの?」

「なっ!?

 咲耶の問い掛けに、フェンリルと一夏を除く全員が絶句した。彼女の言葉が本当なら、目の前に昨夜の襲撃の犯人がいることになるのだ。

 驚くなというほうが無理である。

「それは少し違いますよ。昨夜の襲撃は元々は我々が敵対する存在の手によって企てられたものでした。我々はそれに便乗しただけです」

「ふざけんなよ。結局は、てめぇらも共犯ってことじゃねえか」

「待ってください!」

 あくまで坦々とした口調でそう答えるフェンリルに、真雪が切れて飛び掛ろうとする。だが、それを止めたのは意外にも被害者のはずの雪だった。

「確かにその人は咲耶さんを襲ったかもしれませんし、攫われたわたしを助けようとした真一郎さんや薫さんたちに酷いことをしたのも許せません」

「まあ、当然ですね。その点に関しては、申し開きもありません」

「でも、わたしを助けてもくれました」

 湖底の洞窟で半ば自暴自棄になって捨て身の特攻を掛けようとした雪を止めたのもまた、彼女を攫った犯人だった。

「けどよ。そもそもこいつらがあんたを攫わなきゃそんなことにもならなかったわけだろ」

「それは、そうなんですけど……」

 真雪のその指摘は尤もで、雪は反論する言葉を失って俯いてしまう。

「別に弁護してくださらなくても構いませんよ。我々は他に選択の余地が無かったとはいえ、あなた方を傷つけた。その一点だけは揺るぎようの無い事実なのですから」

「随分と潔いじゃねぇか。なら、当然覚悟も出来てんだろうな」

「お姉ちゃん!」

「おまえは黙ってろ。おい、真一郎に恭也。おまえらもこい。嫁さんや彼女を傷つけられて黙ってるつもりはないんだろ」

 姉が暴力を振るうところなど見たくないと止めに入る知佳を一喝して黙らせると、真雪は先程から殺気やら怒気やらを抑えるのに苦労している男二人へとそう声を掛ける。

「待って」

 そんな三人を制するように、一夏がそう言って右腕を伸ばした。

「何だ。おまえも一緒にぼこられたいのかっ!」

「違うわ。寧ろ、わたしも混ぜてもらいたいくらいよ」

 そう言うと、彼女は伸ばしていた腕をフェンリルに向けて振るった。銃のような形に伸ばされたその指先から一発の光の弾が放たれ、少年の額に当たって弾ける。

「あいたた……。君はいきなり何をするんだ」

「うるさい。さも連帯責任だと言わんばかりに我々だなんて言いながら、その実一人で責任を取ろうとしてる奴の言うことなんて聞かないわ」

 赤くなった額を擦りながら文句を言うフェンリルの言葉を一夏はそう言ってばっさりと切って捨てた。

「あ、あの、耕介さん。今のって……」

「あ、ああ、昨夜湖で見たのと同じだ」

「って、ことは本当の誘拐犯は彼女のほうだってことですか!?

 光球を見た真一郎が耕介に確かめ、肯定をもらって驚きの声を上げる。

「そ、そういえば、声は女の人だったような……」

 思い出すようにそう言った雪の言葉に、今度は一夏へと皆の視線が集まる。特に昨夜直接“彼女”と話した耕介と真一郎は、その普段とのギャップに驚愕を隠せないでいる。

「ああ、まあ、昨夜のあれは悪役っぽく見せるための演技だったのよ。ほら、途中でばれたら元も子もないでしょ」

 そう言ってバツが悪そうに指先で頬を掻く一夏。さすがに自分でもあれはどうかと思っているのだろう。

「とりあえず、雪さんを誘拐したのが一夏で、残りは全部そっちの小僧ってことで良いのか」

 気を取り直すように真雪が二人にそう尋ねる。今のやり取りで幾分落ち着いたのか、その声にも冷静さが感じられる。

「敵の尖兵を利用してあなた方の力を計ったということであれば、その通りです」

「どうしてそんなことをする必要があったの?」

 頷くフェンリルにそう尋ねたのはアリスだった。彼女にしてみれば、自分を魔物から護ってくれた少年がどうしてそんなことをしたのか気になったのだ。

「あなたはアリスさん、でしたか。あなたは夕刻、わたしと共に魔物と交戦しましたね。あなたの目から見て、あれをどう思いますか?」

「なっ!?

 フェンリルの言葉に三度皆の間に驚きが走る。普段から恭也や薫たちと打ち合っている姉のティナならともかく、妹のほうにも戦う力があったとは誰も知らなかったのだ。

「えっと、危険だと思ったよ。見たところ、理性もないみたいだし、あんな力を持った怪物が本能のままに暴れ回ったら街や人にどれだけの被害が出るか分からないもの」

 質問に対して逆に問い返されたアリスは、少し戸惑いながらもそれに答えた。

「では、あのクラスの魔物が都市部に大量発生すれば、どうなるかもお分かりいただけますね」

「ちょっと、待って。それとうちの人たちを試したのとどう関係があるの?」

 焦ったように知佳が声を上げ、その可能性に気づいた他の何人かも顔を蒼くする。

「東京で原因不明の大災害があったことを覚えていらっしゃいますか?今から一年ほど前のことです」

 知佳の質問には答えず、またしても問い返してくるフェンリルに、何人かが頷いて返す。

「ガス管が破裂しての大火災だとか、地盤沈下による高層ビルの倒壊だとか、いろんな噂が飛び交ってたけど、結局詳しいことは何も分からなかったってあれでしょ。ネットでも話題になってたから覚えてるよ」

「ええ。あれは実は魔物のせいだったんです。それも一匹や二匹じゃない。それこそ数えるのもバカらしくなるくらいの数が徒党を組んで押し寄せてきましたよ」

「そんな、それほどの大事になっとったんならうちらのとこにも話が来とるはずや」

 フェンリルの説明に、楓が信じられないとばかりに声を上げる。彼女も神咲の退魔師だ。まだ子供と言ってもよい年齢ではあるが、それでも噂くらい耳にする機会はあっただろう。

「事実です。ただ、今回の依頼主と後もう一つの組織によって徹底的に隠蔽されましたけどね。そちらのお嬢さんは何処でその情報を手に入れられたのですか?」

「えーっと、あははは……」

 フェンリルに興味深そうに目を細められ、その視線を向けられた知佳は冷や汗を浮かべながら笑ってごまかしている。

「それで、今回動いている敵というのがその事件の首謀者の残党のようなものなんです」

 何事もなかったかのように話を続けるフェンリルに、咲耶が目を細める。

「それはあなたのことじゃないの?」

「確かにわたしはマスターフェンリルのフラグメントです。しかし、彼の意思を継承したのはわたしではない」

「何ですって!?

 フェンリルのその告白に、咲耶は思わず驚いて大きな声を出してしまった。

 通常、一つの思念に対して発生するフラグメントは一体だとされている。フラグメントという存在はその想いを代わりに抱くことで、それが世界から失われるのを暫定的に防ぐものだからだ。

 稀に例外はあるが、強力な意思になる程その確立も低くなる。況してや目の前にいる少年はマスターと同じ姿で体現しているのだ。

「悪い冗談にしか聞こえないよ。君と同等の存在がもう一人いるだなんて」

「いえ、マスターから生まれたフラグメントはわたしも含めて全部で六体です」

「……ちょっと、待って。今、何て言ったの?」

「信じられませんか?お気持ちは理解出来ますが、それが真実です。フラグメントフェンリルは全部で六対、それもそのうちの五体までが推進派です。わたしはこれらを打倒するために委員会側に着くことを選択しました」

 予想を超えた事態に咲耶は今度こそ言葉を失った。

「ちなみに、その五体全部がこれと同等、つまりS級フラグメントだそうよ」

 追い討ちを掛けるかのように、一夏がそう補足する。S級とは完全なるコピーのことだ。その力も経験もそれが生まれた時点でのオリジナルと全く同じになる。

 それが五体。一年前のどの段階でそれらが生まれたのか咲耶には分からないが、最低でもオリジナル単体より弱いということはないだろう。

 フェンリルの判断は正しい。能力が同じ上にお互いの手の内が知れているとなれば、余程上手く立ち回らない限り相打ちになる。それも一対一の場合ならの話だ。

「更に今回、委員会は人員を派遣出来ない状況だそうで、我々は戦力を現地徴用しなければなりません。昨夜の件はあなた方が魔物を相手に何処まで戦えるか。また、戦闘に巻き込まれた場合に自分の身を護れるかどうかを見させてもらったわけです」

「勝手な話だな。そもそも俺たちは一般人だ。こう言っちゃ何だけど、得体の知れない組織だの何だのに協力して危険な目に合うのはご免蒙りたい」

 そう言って耕介が一歩前に出る。この寮の管理人として、何より家族として、ここにいる誰かが望まずして危険に関わることを彼は容認するわけにはいかなかったのだ。

「我々も強制するつもりはありません。ただ、昨夜のように襲撃を受けた場合には個々人で対処していただかなければなりませんが」

「さすがにわたしたちも自分と同格の敵を複数相手にしながら戦えない人を護れるほどの余裕はないから」

「幸い、あなたたちは強い。そうですね。戦える方々はB級以上の魔物に囲まれでもしない限り、大丈夫でしょう」

「ちなみに昨夜のだと、あの悪魔タイプがA級、羽根の生えたライオンがB級、その他のたくさんいたのがCからD級ってところ」

 微妙な太鼓判を押すフェンリルに、一夏が例を挙げて説明する。

「勝手に試験させていただいたことに関しては謝罪いたします。許せないとおっしゃるのであれば、どうぞこの件が解決した後にでもこの身を好きにしていただいて構いません。ですが、こちらも形振り構っていられる状況ではないのです。そんな筋合いではないことは重々承知しておりますが、どうか我々に力を貸してはいただけないでしょうか」

 そう言って深々と頭を下げるフェンリルを、咲耶は見定めるようにしばらくじっと見つめていた。

 オリジナルの彼は目的を果たすためには手段を選ばなかった。それこそ敵対する組織と手を組むなど当たり前だ。

 だが、こんなふうに誰かに対して頭を下げることなどあっただろうか。

 決して多くを知っているわけではなかったが、咲耶はどうにも目の前で必死に頭を下げている少年の姿に違和感を感じずにはいられなかった。

   * * * * *




   あとがき

龍一「まずは前回の予告とタイトルが違っていることをお詫びします。ごめんなさい」

知佳「内容がほぼ予定通りなだけ、まだ救いがあるとは思うけど」

龍一「いや、予定では敵が海鳴に集結したところまで書くはずだったんだ」

知佳「長くなったから切ったんだね」

龍一「まさか、フェンリルとの対談でここまで長くなるとは思わなかった」

知佳「こういう駆け引きみたいなのは書くの苦手だもんね」

龍一「しかも、フェンリルはほぼ事情を知っている咲耶に照準を合わせて話しているので内容が謎だらけという体たらく」

知佳「へたれてるね」

龍一「容赦ないな。まあ、その通りなので返す言葉もありませんが(汗)」

知佳「それで、次回は?」

龍一「このところ戦闘続きだったから、偶にはほのぼのとした話を書きたいな」

知佳「閑話休題ってところだね」

龍一「実際には休んでもいられない人たちもいるんだが。さてはて、どうなることやら」

知佳「では、次回。トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

龍一「第3章・9 終末への扉を護る者」

知佳「ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました」

龍一「よろしければまた次回もお付き合いください」

二人「ではでは」

   *





襲撃の真相が明かされる。
美姫 「とは言え、襲撃自体はやっぱり敵さんだったのよね」
それに便乗しただけみたいだしな。
組織や何やらが出てきて、話が大きくなってきたぞ〜。
美姫 「果たして、彼、彼女たちはどう動く?」
次回もお待ちしてます。
美姫 「待ってますね」



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