トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  間章2

   *

 ――海鳴大学病院・遺伝子病棟特別治療室

 この日、矢沢医師の立会いの下、知佳のHGS治療が開始されようとしていた。

「――じゃあ、始めるわよ」

 看護士用の白衣を着込み、両手に手術用手袋を填めたティナがそう言ってベッドの脇に立つ。

 ベッドの上には知佳が下着の上にガウンを羽織った姿で横になっている。

 周囲に目を向ければ、様々な数値を計測する機械が設置されているのが分かるだろう。

 その様子だけを見れば、普段彼女が受けている定期健診と何ら変わりはなかった。

 そのことが知佳を少し安心させ、幾つかの数値の安定にも貢献しているようだ。

 無論、数値的な面での異常がないことは、既に矢沢医師に確認済みである。

「お願いします」

 知佳がそう言って頷いたのを確かめると、ティナは両手を重ねて彼女の胸の上に置いた。

 集中するためか、ティナが軽く目を閉じると彼女の重ねた両手から淡い光があふれ出す。

 退魔師の使う治癒のような、それは優しくも神秘的な光景だった。

 室内にいたものたちの口から異口同音に感嘆の声が漏れる。

「……ん……」

 何かが自分の中に入ってくるような感覚に、眉を寄せて小さく呻き声を漏らす知佳。

「……はい、力を抜いて。大丈夫だから、わたしを信じて全部任せて……」

 力を送り込みながら、優しい声で語りかけるティナ。

 その声と力を通して感じる彼女の暖かさに、自然と知佳の体から力が抜けていった。

 神咲薫は霊剣十六夜と霊力を同調させることで、その力を自在に操ることが出来るという。

 そして、ティナは複数の異能を組み合わせることで守護者としての力を得た技の人だ。

 彼女が考案したHGSの治療法も、またそんな異能の合わせ技だった。

 HGSの発作が患者の精神状態と密接な関係がある事はこちらの世界でも既に判明している。

 よって、精神的方面からのアプローチを主とするその治療法にも矢沢医師は理解を示した。

 決め手となったのは、彼女があちらの世界での実績を纏めたレポートを提示したことだろう。

 その中には今の知佳よりも遥かに難しい症例が癒えたケースもあり、彼を唸らせた程だ。

 幾つかの医学的根拠を踏まえた上で、矢沢医師はそれが十分可能だと判断した。

 そして、会心の笑みを浮かべると今回の治療を実施することを認めてくれたのだった。

 ――不思議な感じだった。

 優しくて、暖かくて、すごく安心出来る。

 まるで生まれたばかりの頃、母親の腕に抱かれていたときのような……。

「――ごめんなさい……」

 不意に囁かれたその声に、知佳は自分がいつの間にか泣いていたことに気づいた。

 ぼやけた視界一杯に広がるティナの顔に、思わず目を瞬かせる。

 そして、頬に触れる柔らかい感触……。

「あ……」

 思わず声が漏れた。自分が何をされたのか悟り、慌てて彼女の顔を見る。

「……手、塞がってて使えなかったから」

 そう言ってはにかむティナの顔を、知佳はまともに見ることが出来なかった。

 自分を包み込む光の眩しさに、心地良さそうに目を細める。

 その様はまるで太古の昔、太陽の恵みを受けて誕生したばかりの生命のようにも見えた。

 知佳はただ、光の中を漂っている。

 その向こうに、あるいはすぐ傍らに、

 自分を慈しむように包んでくれる彼女の存在を感じながら、ゆったりと……。

 余談だが、ティナのキスを受けた知佳の同様はしっかりと計器に数値として現れていたとか。

 その後は特に問題らしい問題も無く、調整は当初の予定通り、その日の夕方に終了した。

 一応、調整後に簡単な検査を行なったが、そちらも結果は良好とのことだ。

「それで、全部終わるのにはどれくらい掛かりそうなんだ?」

 帰りの車の中で、ハンドルを握った真雪が後ろで妹たちと談笑しているティナへと尋ねる。

「経過を見てみないと何ともいえないけど、調整自体は2ヶ月ってところかしら」

 問われたティナは少し考えるように首を傾げると、多めに見積もってそう答えた。

 それでも、彼女が担当したことがある症例の中では異例の速さではある。

 ただ、本人の言うように経過を見てみなければ分からない部分があるのも確かだった。

「まあ、今日のところはゆっくり休んで。知佳も初めての調整で疲れてるだろうから」

 そう締め括ると、ティナは手を伸ばして自分に身体を摺り寄せてくる知佳の頭を撫でた。

 何故か車に乗り込んでからこっち、ずっと抱きついて離れないのだ。

「しかし、調整後はリラックスした状態になるって言ってもこれはちと緩みすぎじゃねぇか?」

「もしかして、同調したときにお姉ちゃんの悪い病気が伝染しちゃったんじゃ……」

「ちょっとアリス。それ、どういう意味かしら」

 知佳の豹変ぶりに狼狽して思わず本音を漏らしたアリスに、ティナがすっと目を細める。

「ティナの病気っていうと、重度のシスコンからくる抱き枕依存症のことか。そりゃ、面白い」

「真雪さん、それ洒落になってないですよ。っていうか、心配じゃないんですか?」

「二人ともわたしを何だと」

 身も蓋もない真雪の言葉に耕介が冷や汗を浮かべ、それを聞いたティナが二人を睨む。

「まあまあ、お姉ちゃん。抑えて抑えて」

「アリス、あなたも自分だけ関係ないみたいな顔して仲裁しないの」

「きゃっ!?な、何で、お姉ちゃんまでわたしに抱きついてるの」

「さあ、わたし、そういう病気らしいから」

「そう思うんなら、ちょっとは自粛してよ〜」

 やんわりと宥めようとしたアリスだったが、逆にその言葉を免罪符に抱きしめられてしまう。

「おお、ティナは両手に花だな。これは次の連載のネタになるぞ」

 そんな少女たちの様子をバックミラー越に見ながら漫画家根性丸出しでメモを取る真雪。

「真雪さん、前、前!」

「おおっと!」

 運転中であることも忘れてメモを取る真雪に、耕介が身振りも交えて注意を促す。

 言われた真雪は器用にペンを持ったままハンドルを切ると、懲りずにメモを取り続けた。

 5人を乗せた車は危ういところでカーブを曲がると、何事もなかったかのように走り続ける。

「だから、ちゃんとハンドル握って、前を見て運転してください!」

「悪い。後もう少しだけ頼むわ」

「そ、そんなこと言われたって、……って、おわっ!?

 前方から迫る大型トラックを見て、耕介が慌ててハンドルへと手を伸ばす。

 そんな危うい場面をもう二度程体験しつつ、一同は何とか無事に寮へと帰り着いたのだった。

   *

 ――深夜の病院の廊下を一人の少女が歩いていた。

 長い黒髪と整った顔立ちが日本人形のようにも見える少女だった。

 和服の上にガウンを羽織ったその姿は入院患者のそれだが、何処か歪な別物にも見える。

 暗い廊下を進む少女に怯えた様子はなく、その足取りもしっかりとしたものだった。

 だが、やはり何処か悪いのか、時折立ち止まっては微かに表情を歪めて胸を押さえている。

 それでも人を呼んだりはせず、無言で苦痛をやり過ごすと再び何処かへ向かって歩き出す。

 そんなことを何度か繰り返して、どうにか少女は目的の場所へと辿り着いたようだった。

 ――特別病棟のとある個室……。

 少女は扉の脇にあるネームプレートの名前を確かめると、そっとその扉に手を掛けた。

 そのとき、少女の頭上にあった蛍光灯が一瞬爆ぜたような音を立てて消える。

 接触不良なのかすぐに元に戻ったが、そのときには既にそこに少女の姿はなかった。

 あの一瞬のうちに部屋の中へと入ったのか。

 まるで、のように溶け消えたその姿を見ていたものがいたら、間違いなくそう思っただろう。

 少女の見ていたネームプレートにはこの個室を使っている人物の名前が書かれている。

 まるで無機質なその白い板には、やはり無機質な黒文字でこう書かれていた。

 ――蛍川一夏……と……。

   *



  あとがき

龍一「今回は2章から3章に至る間の章です」

知佳「何でわたしってああなってるの?」

龍一「精神感応の余韻に浸ってたんだよ」

知佳「何だか幼児退行してるように見えるんだけど」

龍一「気のせいだ」

知佳「まゆお姉ちゃんは何か危険な方向に走ってるし」

龍一「それもいつものことだろ」

知佳「じゃあ、最後のあれは?何か前半とえらく雰囲気が違うけど」

龍一「演出だよ。ほら、作中は夏だし、ホラーチックなのがちょうど良いかと」

知佳「…………」

龍一「さて、冗談はこれくらいにして」

知佳「次回予告だね」

龍一「突っ込まないのな。まあ、良いけど」

知佳「夏本番!恭也君たち武闘派な人たちは集中鍛錬のための山篭りを始める」

龍一「薙旋の通じないティナを倒すため、試行錯誤を繰り返す恭也に彼女が示したヒントとは」

知佳「一方、わたしたち受験生は図書館に通って受験勉強。やっぱり学生の本分はこれだよね」

龍一「そして、夏休みも終盤へと近づいた頃、全員で遊びに行く計画が持ち上がるが」

知佳「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

龍一「第3章 夏のかけら」

知佳「せつない恋は、好きですか……」

   *

 

 





治療後に、思いがけない副作用?
美姫 「まあ、ティナ本人は嬉しがっているみたいだし」
まあ、報酬代わりって所かな。
美姫 「さてさて、次回からはいよいよ第3部ね」
今度はどんなお話なのか。
美姫 「次回も待ってますね〜」
ではでは。



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